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2006.10.31

10/31 質問側をカットするNHKニュースの国会審議の報道

民放のニュースは、バックミュージックつけたり、人々の妬みにつけいるようなセンセーショナルな報道の仕方をするので、極力NHKのニュースを見るようにしている。ところが最近、特定の企業名(別会計の子会社が制作し、サクセスストーリーで取り上げた企業)をバンバン出したり、与党の宣伝放送が目立ち、おかしいと思う。

とうとう国会審議のニュースも、質問者の質問をカットし、政府側答弁しか放送しなくなってきた。
今回の教育基本法の審議で、単位未履修問題で、民主党側が教育の地方分権をいっそう進めることを訴えて、教育委員会制度そのものについて問いただしている質問をカットして、文部科学省の都道府県教育委員会への指導監督の強化を答弁した文部科学相や首相の答弁だけを画面に流していた。
民主党と自民党は地方分権の教育なのか、中央集権の教育なのか、というシステムの論争をしているのに、国民には、文部科学省の指導監督について議論しているかのような誤解を与えている。ウソつく技術の1つ、「言わない」ウソ、である。従軍慰安婦の民間裁判放送の一件以後、NHKは安倍晋三に配慮しすぎているのではないか。

中央集権制の教育制度を是認している限りは、今の文部科学省=教育委員会=学校という密室教育は温存されるし、地域社会と教育、家庭と教育の相互理解など、まずもって難しい。教育の側が凝り固まってしまうからだ。それでも中央集権制でやっていくというなら、今日の首相や文部科学相の答弁にならざるを得ない。

地域社会や家庭と教育の連携を本当に実現しようとするなら、教育の地方分権をいまよりもっと進めなくてはならない。地域社会の合意でカリキュラムを組み、教員を雇うということをしていく必要がある。この制度なら、単位未履修に対して温情的な措置を取るにしても地域社会の合意があればできるし、私学との競争が激しい地域や、立身出世しないと食べていけない地域は、もっときちんとした教育をやることができる。責任も文部科学省まで累が及ぶものではなく、自治体が責任を負わなくてはならない。今の教育制度では政治からの中立という美名のもとで民意の監視ができない。だからおよそ時代にかけはなれたアナクロな手法が通じている。
地域が教育について責任を持つよう、地方分権一括法で文部科学省が都道府県教育委員会を統制できるシステムをなくしたのに、それを復活させようという議論はナンセンスである。佐田規制改革相が今日、言ったことは時代に逆行していると言わざるを得ない。

単位未履修問題について言うと、安倍首相は一昨日と今日とで言うことが違ってきている。一昨日は温情的措置を執れと指示している。今日は、未履修に不公平な措置をとってはならないと言っている。教育再生とか言っておきながら、立脚点があやふやであることがよくわかる。

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10/31 バブル再発構造とタコ部屋労働

国税局からパソコンで税金申告ができる「e-tax」の利用のおすすめの手紙が来た。税金を払うために交通費を払って、日中1日潰さなくてはならないのか、全く疑問だったから、使えれば便利だと思った。
昨年、税務署に申請する書類づくりに時間がかかり、オンラインで申請しようかと思って、国税庁のHPから入力しようとしたが、郵送でいろいろやりとりしなくてはならず、その手続きの面倒さにうんざりしてやめた。手続きとは、①税務署に開始届出書を送る(HPからできる)→②税務署から識別番号の通知と必要なソフトが届く郵送)→③市役所で電子証明証を発行してもらい、ICカードリーダーを購入する→④申請ソフトのインストールをする→利用開始、となる。
あまりにも煩瑣な準備が必要なので、断念して仕事を休んで申請に行った。結局、税務署の職員さんに直されることもあって、手書きで申請したのが一番早かった。

最近、40億円も投じてつくられた旅券のオンライン申請システムが300人しか利用されず、廃止されるという話が出ていた。オンライン化するのに、業務の見直しが行われたのだろうか。手順が間違っているとしか思えない。

●昨日の朝のテレビ番組で、若者の新しい住居スタイルということで、ルームシェア(月6万)、コンパートメントルーム(月4.3万)、○○○(失念)ボックス(1日1500円)が紹介されていた。
ルームシェアは、本来友だちどうして家を借りることだが、紹介していたのは下宿スタイルの住居。コンパートメントルームは、押し入れのような高さの個室。ドラえもんの寝室を広くしたようなもので、立っては暮らせない。○○○ボックスは、船の2等寝台のように部屋に2段ベッドがずらっと並んでいるもの。これは人材派遣業者が運営していて、仕事の手配とワンセットになっているみたいだ。
住むスタイルがいろいろあるのは面白いとは思うし、徳川式社会主義者の私は住居が広ければいいとは思わないが、狭いこととは別に違和感があった。
とくに○○○ボックスって、手配師付きの山谷のドヤと変わらない。カタカナ表記がいけないとはいわないけど、そうすることできれいに覆い隠し過ぎている。山谷の日雇い労働者だった高齢者が今どうなっているのか、考えると、この雇用の規制緩和で生まれたこういう境遇におかれた若者たちの社会保障政策をきちんと考えておくべきだと思った。
若者が独居するのにこうもお金がかかるのはどうしたものかと思う。おそらくこういう住居に住むのは不安定雇用の人たちじゃないかと思うが、そうだとすると、収入の半分近くが家賃に消えてしまう。信用不安による景気対策で議論が封じられてきたが、不動産価格が高すぎることを改めて問題にすべきだろう。諸外国に比べて不動産業が経済に占める割合も大きい。
景気回復で空前の企業収益は、労働力に分配されず、設備投資もほどほどという状況の中で、だぶついたお金は投機にまわりやすい環境にある。加えてバブル退治のための税制や金融規制は解除されている。資産価値だけがどんどんつり上がるバブル経済を繰り返す愚は避けなければならない。

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2006.10.30

10/30 公務員だからこそ育児休暇を

朝日新聞朝刊27面に、子どものできた職員は、男女問わず2ヵ月の育児休暇取得を義務化した三次市役所(広島県)の取り組みが紹介されていた。それに対して恵まれすぎという批判もあるようだが、そうではないと思う。

市役所の仕事には、福祉、教育、保健、葬祭、生活相談、消費相談などなど言い出したらきりのないぐらい、人の人生に密接に関わる分野が多い。人の人生の流れや重みに想像力をめぐらす能力が問われているし、「お役所仕事」という言葉の批判は、便利屋的要求を差し引くと、こうした批判が残ってくるのではないかと思う。

ところが市役所の児童福祉課や教育委員会に行っても、子育てしたこともするつもりもないような男性職員から、規則や実態にあわない世間常識を講釈されることが多い。「障害児をお抱えなのに外で働かれるのですか?」「延長保育は子どものためになりません」「民間の力を発揮してもらうためにも民間保育所にあれこれ口を出すのは良くないと思っています」などなど。
生まれたばかりの赤ちゃんと2ヵ月2人きりでずっと過ごしてみるということは、窓口で「子どものため」と必死になっている保護者たちの気持ちや、彼らのニーズと行政のできることのおとしどころを掴む上でとても大事なことだと思う。へたな人事交流をするよりも、こうして市民が何を大切に思っているのか、掴む機会は何よりの研修になる。

高松市のタクシー会社が、子育てタクシーを始めるにあたって、保育所で運転手の研修をしたという。何より自分の子をつかって研修することができるチャンスである。市民や公務員の仕事についてあれこれ議論する人たちには、三次市の取り組みを前向きに捉えてほしい。

また、障害者雇用とか、育児休業とか、企業にとって直接プラスにはならないが社会全体として必要な労働政策は、公務員から先鞭を付けて実験をしていく必要があると思う。労働者の権利から議論が出発する賃金や一般的な休暇制度とは扱いが違うべきだろう。

お隣の新座市も、男女ともに育児休業(休暇?)取得できるように、1週間交替の育児休業(休暇?)取得ができる制度づくりが始まっている。全国でいろいろやってほしい。
ところで朝霞市は、育児休業取得した男性職員って何人いるのだろうか。

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2006.10.29

10/29 内部崩壊から自分たちを守るために

1年間のマンション管理組合の理事長の任期が終わる。不動産や建築の専門知識がほとんどない中で、共有財産の管理を体験するいい機会だったと思う。
私の任期の間にやったことは、防火防災計画をスタートさせたこと、専門的工事を進めるときには専門家の助言を受けることができるように必要な権限を整えた。

●自民党の中川昭一政調会長が、核保有について議論を始めることをアメリカに諒解してもらって歩いているようだ。政権が核保有について改めて議論することはしないと明言したのだから、そういうことを外国でやるべきではないだろう。ミサイル防衛システムの話(民主党・前原も共犯らしいが)でも外国で非公式にこうして空手形を打って歩く政治家がいたので心配だ。
また、核保有の可能性表示は、吉田ドクトリンの離脱を意味し、アメリカから危険視されることがわからないのだろうか。父・一郎の死因は謎に満ちているが、自主独立のための、ロシア接近がいけなかったという説もまことしやかに伝わっている。後藤田正晴氏のオーラルヒストリーでもそれを示唆している。過ちは繰り返すべきではないだろう。
国内では北朝鮮の金正日が糖尿病だから判断を誤っているとも発言して問題になったようだが、中川氏こそアルコールもほどほどにと思う。

●NHKの番組ではかつて、事件報道を除き企業名が徹底して隠されたが、携帯電話の番号持ち運び制度の開始でも見られたけど、平気で企業名を公開するようになったと思う。一方で、どんなに話題になっていても企業名を隠すこともある。その違いは何だろうか。週刊誌しか伝えなかったが、プロジェクトXが展覧会を開いて、NHKの子会社が番組で紹介した企業から何千万もの協賛金を取っていたということがあった。

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2006.10.27

10/27 カーナビの不法改造を危険運転行為に含めよ

路上禁煙は定着しつつあるものの、相変わらずニート予備軍大学生みたいなのはどこ吹く風だ。市役所はきちんと罰金を取ってルールを徹底してほしい。

●NHKニュース「おはよう日本」で、カーナビを操作しながら自動車運転をすることの危険を取り上げていた。ふざけた話がいくつかあった。
①「運転は退屈なので、ついついテレビ見ちゃうんですよね」(ドライバー)。退屈に耐えられないならクルマの運転なんかするな!20年前の人たちは結構バス乗って生活していたぞ。
ケータイしながら自動車運転する人とか、傘持ちながら自転車乗る人とか、ほんとうになくならない。逮捕してほしい。
②カー用品店。運転中はカーナビを操作しないでください、とディスプレイに出しながら、「お客様への改善提案として」運転中に操作できるように改造してやっている。危険運転への幇助じゃないか。
快楽追求だけを改善提案として推奨し、安全対策のための我慢を視野の外に置く思考法は、「報われる者はがんばった者」という短絡的な価値評価が社会を覆っているからではないか。客の要求していること、業者のやっていることは、パロマの不法改造と同じだ。どうして自動車だけこんなに安全対策を壊すことに甘いのか。こういう業者に刑事罰を加えていくようなことを考てほしい。
店員は念書取っているとか行っていたけど、念書が交通事故の現場で死人を甦らせたり、傷の手当てをしてくれるんかい?カーナビに限らない。保育所の事故対策にまで見られる。いつからこんな念書さえ取れば安全対策をしたという念力主義がこの社会を覆うようになったのか。

ドライバーの免許は更新制だが、実際に更新に行くと、交通法規の改定の説明もなく更新が進む。危険運転致死傷罪とか、携帯電話の使用について、古いドライバーはきちんと教わらないで更新されてしまう。また、見てくれで判断してはいけないが、見るからに危険運転しそうな人が簡単に更新していたりする。実技の抽出検査とかやった方がいいんじゃないだろうか。

●以前、俗悪と紹介した若葉駅前の温泉付きマンションだが、アパグループがデベロッパーで耐震強度に問題があったらしくて建設が止まっているという。

●高校の単位偽装問題で、PTA連合会が「適切な判断で生徒を安心させてほしい」と文部科学省に要望した。映像としては美しい保護者の姿だけども、冗談じゃないという感じがしている。
PTAの本来の機能を考えれば、カリキュラムの点検することもせず、このような事態に陥るまで放置しておいた自分たちの責任は問われなくてはならない。あるいは子どもたちからの疑問の声を挙げる機会をつくったのか、あるいは高校を大学受験の予備校化するよう煽ってきていないか、自己検証してほしい。円満に卒業させて事なきを得るような対応こそ、共犯関係に陥るのではないか。エリート校の高校生が、一番大切にしていることからしてこんな書類の偽造をやっているから、書類さえ整っていればいい、というエリートの行動パターンができてしまうのか、エリート校を知らない私のうがった見方か。

●マイクロソフトの新基本ソフト「ビスタ」の発売と、今の基本ソフトXPのサポート打ち切り時期が発表された。
ビスタを搭載するためには、1GBのメモリがなくてはならないという。「デジタル生活を大きく変える」とマイクロソフトは言うが、セールスポイントが従来のセキュリティーソフトができていたことを取り込んだこと以外は、デジカメの映像を無線で取り込む、誤って消したファイル・フォルダの復元、操作ガイド、よく使う機能の記憶など、はっきり言ってドーデモいい機能を追加しただけ。
セキュリティー機能も、情報公開の悪いマイクロソフトのことだから、従来の専門メーカーのものより対応が劣っていることが想像できる。マイクロソフトから独占的に情報を流してもらえる日経、朝日系のパソコン雑誌が毎号毎号さかんに新OSの提灯記事を載せる。相次ぎ発覚する日経の汚職体質がこうした情報工作に弱いことは想像に難くない。
サポート停止で新しい基本ソフトに乗り換えさせるよう脅かし、重たい新しい基本ソフトに乗り換えると今度はパソコンでの動作が遅くなってメモリを買いなおす、基本ソフトにあわせてワープロ・表計算なども新しいのに買い替える、それでもフリーズばかりするから新しいパソコンを買う、と次から次にマイクロソフトとインテルとPCメーカーが儲け続けることに付き合わされる。マイクロソフトを頂点に、パソコン関連業界はたけのこ剥き売春みたいだ。そういう商売をして恥ずかしくないのだろうか。
マイクロソフトの論理に付き合っていると、5年もつパソコンが3年しかもたない。他の家電製品がこんなに頻繁に買い替えをさせられるだろうか。環境問題も起こすし、20万以上するパソコン、数万するソフトや周辺機器をその度に買い替えさせられるユーザーはたまらないだろう。毎年7万~8万使わせさられるとすれば、ちょっとした税金みたいなものだ。こういう仕事の仕方を、報われる「努力」というのだろうか。

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10/26 謝る相手を立たせてもいいのか

必修科目をすっ飛ばした高校が次々にわかり、全校集会で校長が謝っていたが、謝る相手の生徒を立たせっ放しでヘンだと思う。普通の客商売ではありえない。そんな感覚で子どもと接しているからいけないのだろう。

●プロ野球日本ハムが日本一になったことを祝いたい。北海道民はずっと球団を持ちたがってきたが、北海道の企業にそれを支える力がなくて、夢物語だった。それをかなえたのが日本ハム。余談だが、ワールドカップのための無駄な公共事業の見本のような札幌ドームも、使い道ができてよかった。

●公明党が安倍政権に「右翼二塁打を狙わずセンターヒット中心にいけばうまくいく」と牽制。中川政調会長や麻生外相の核保有の議論について批判した。小選挙区制時代に公明党のような政党の存在意義を見いだすのは難しい中、こうしてぎりぎりのところで日本社会を守っているような感じがしている。民主党がもし政権を取ることができたときに、こうしたことをやってくれる政党があるのだろうか。

●逮捕された佐藤栄左久福島県知事の功績についてきちんと評価しておかなければならないと思う。福島第一原発の重大事故が発生した後、運転再開に相当に厳しい条件を出し続けた。これが原発の安全についてきちんと対応していこうとする自治体の発言力を高めることができた。だが、原発に厳しくあたったこのことが摘発のきっかけになっていなければいいと思うが。

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2006.10.25

10/25 カリキュラムも把握していないのに国旗国歌のチェックだけはマメ

文部省指導要領に定めた世界史の授業を、全国各地の一流進学校がすっ飛ばしていたことが判明、卒業資格が危ういというニュースが出ている。世界史を馬鹿にしている日本人の歴史観が表れているような感じがしている。

それはさておいて、この問題に触発された、東京都教育委員会が慌てて都立高校のカリキュラムが指導要領に叶っているか調査に入ったというニュースを聞く。日の丸掲揚・君が代斉唱には微に入り細に入り点検をし処分までやり、裁判所の判決まで上告しているのに、肝心のカリキュラムの把握すらやっていないとは、教育委員会の本分って何だろうか考えさせられる。

軽々しくどうせよとは言えないが、教育指導要領をどの程度のものとするかによって判断が分かれる。国旗、国歌を指導要領で縛り、厳しく強要するなら、当然、問題になっている高校生たちは、原則どおりに補習せさるか留年させるべきだろう。もちろんそうなった場合の高校生たちの不利益は教育委員会が損害賠償すべきだ。逆に、今回はお目こぼしというなら、教育指導要領の締め付けの緩和や、教育指導要領で全国画一で厳しく縛る文部行政のあり方こそ改革すべきだろう。

●学校でのいじめが大問題になってきて、テレビのコメンテーターが無意識に、「学校が」を主語に解決すべき主体としてコメントしているが、気をつけてほしい。学校がいじめと被害にあった子どもの中立的に解決できる立場とは思えない。
いじめは子どもに対する人権侵害の一種と捉え、第三者が解決に働くべきだろう。ところが、子どもの権利を「わがまま肯定」と誤った解釈を意図的に行い批判してきた山谷氏や伊吹文相、安倍首相に解決する能力があるとは思えない。いじめが子どもの人権侵害であり、子どもの人権保障として解決する、ということを明言しなければ、単に心を痛めているだけでは、具体的な解決策など提示できないだろう。
晩のニュースの解説でちらっと聞いたが、フジテレビのニュースでキャスターをやっている木村太郎が、「いじめを認知してうまく問題にしないようこなせない管理職やベテラン教員の力量がないのが問題。表沙汰に成っていることが学校に力がなくなっている証拠」と断罪しているが、とんでもないコメントだと思う。

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10/25 子どもも守れないのに国民保護ですか

京都・長岡京市の児童虐待死事件が起こる。まったく痛ましい。根拠のない脅迫観念みたいな育児論がトリガーになっていることも気になるし、父親が早朝から深夜までトラックを運転していたことも気になる。

マスコミでは京都府の児童相談所の責任を問う報道が続く。権限があるからそうだけども、もう一歩踏み込むと、県機関が個々の児童虐待を日常的にモニタリングできるわけがない。区市町村の対応が問われているのではないかと思う。
ところがまだ一部を除いて、区市町村は児童虐待は県の仕事と涼しい顔だ(朝霞市も涼しい顔はしていないが、国や県の通達以上にはどうしていいのか考えがまとまっていない段階)。こうして市町村が子どもが死に至ったり、衰弱したり、暴力を受けている中で、まったく公権力として何をやっているのか、疑問に持たざるを得ない。子どもオンブズマンを設けたり、高齢保育士を活用して市町村版の児童相談所みたいな窓口を設けたりしているところもある。公園やプールを造ってばかりいないで、やるべきことをやってほしい。

一方で、戦争や武力攻撃、テロ攻撃を受けた場合の自治体の対応施策をまとめた朝霞市の国民保護計画案がまとめられ、現在パブリックコメントに出されている。朝霞市にしては珍しく事細かに内容を規定した計画になっている。
国民保護計画自体の是非については議論があると思う。両論とも与することのできる部分もあるので、是非論は棚上げしておきながら、内容については問題を感じた。市民への人権保障の内容があまりにも薄いこと。国民の幸せな生活の継続を後回しにした安全保障施策は全く効果がないというのは先の大戦の敗戦の教訓ではないだろうか。それと、想定されている事態がどうも第二次世界大戦のような戦争であること。武力攻撃の質が変わっている中、町内会や各種団体を動員して命令を下すタイプの「保護」施策だけで適切なのか、疑問である。

国民保護なのに、保護する内容が、生命・身体・財産だけなのである。民主主義や自由の価値、基本的人権を最大限保護することが何一つ記述されていない。財産権は保障してやっても、言論の自由や集会・結社の自由が保障するとは一言も書いていない。国民保護とはそういった我々が大切にしてきた価値を守りながら、非常事態に対応することではないだろうか。
公的機関などの権力や、戦前でいう隣組などの準権力機関は、非常事態に名を借りて、不必要な干渉や人権侵害をやってしまいがちである。そのことの救済規定が一切ない。先の大戦でアメリカはおおむね人権を保障し、国民は好きな映画を見ながら戦争に勝ったが、地何もかも投げ出さされて闘った日本は負けた。もちろん先の大戦の結果については国力とかいろいろな影響はあるけども、非常事態に国や自治体は何を大切にすべきか肝に銘じておくべきだと思う。

権力動員が明確な国民保護計画については、あっと言う間に事細かにまとめられているのに、もっと日常的で、市町村として機敏に対応しなければならない児童虐待については、遅々として対策が進まない。いったい誰のためにある公権力なのか、見失っているとしか思えない。

●吸引が必要な子が障害児だからと東大和市の保育所入所を拒絶されていたが、裁判の判決で保育所入所できることが確定した。児童福祉法では保育所入所資格は「保育に欠ける子」であり、障害の有無ではない原則を踏まえたよい判決だと思う。記者会見でお父さんが「子どもが体を動かすようになって、伸び悩んでいた身長が急に伸びた」と話していた。この言葉の意味することの重みを考えてほしい。控訴をやめた東大和市の勇断もいいと思う。

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10/24 道路特定財源ではウソ報道ばっかり

道路建設にしか使われない税金を何でも使える一般会計の収入に移す議論(道路特定財源の一般財源化)は、石油・自動車関連団体の猛反発で議論がいったりきたりしている。私は、自動車利用者があまりにも社会環境、自然環境に負荷を掛けすぎていること、道路建設だけ別会計として聖域になっていることはおかしいと思う。こんなの抵抗する方がおかしいと思っている。財政事情が厳しい厳しいと言い収入もない障害者から介護利用料を取ったり、生活保護を切ったり、母子家庭を困窮に突き落とす政策をやりながら、自動車を乗り回すことだけは税金の聖域とすることこそおかしい。

道路に使わないなら減税せよという議論もあるが、これも、公金投じて自動車利用者のために便宜を図ってるのだから、社会コストとして払うべきだろう。自動車のために払う社会コストは様々ある。減税なんてことはナンセンスだ。公共交通を利用している人は、これらのコストはすべて運賃として払っている。明らかに不均衡である。石油業界の独善的なPRに誤魔化されてはいけない。

マスコミは道路特定財源だけで道路を造り剰余金が出ている、と報じているが、これも一面しか報道しないウソの一種(毎日)。これは国の会計だけの話。
道路を造ると、その建設費の一定割合を自治体が負担をしなければならない。国負担分はほぼ全額道路特定財源から出るが、自治体負担分は道路特定財源からほんのちょっとしか手当されない。ではどうやって自治体がお金を出すかというと、出すお金がないから、国が地方交付税を上乗せするようになっている。その分も計算に入れると、道路特定財源を使うと必ず一定の割合で地方交付税の支出が増え、剰余金どころか、国の財政支出を膨脹させる仕組みになっている。国と地方をあわせれば道路特定財源で全ての道路が整備されているわけがないのだ。マスコミはよく調べてから報道してほしい。地方交付税制度を使ったマネーロンダリングみたいなものだ。

地方交付税は本来、財政力の弱い自治体の力を補うために国から地方に支払われるお金だが、どういうわけだか公共事業に関しては、国が規格化した事業についてはやればやり散らかしただけ(もっともそのためには国の起債許可が必要になる。そしてそのための口利きを国会議員がやったりする)、上乗せされるような仕組みになっている。国の裁量ばかりが大きいから、不透明な圧力を国土交通省や道路公団にかけ、道路をひっぱってきた国会議員がほめられる仕組みになっている。

私は、道路特定財源については一般財源化し、道路建設は一般会計の支出とすべきだと思う。どうしてもマイカー利用者の負担した税金が他に使われるのがまかりならん、という論理は、たばこ税はたばこ吸いのために使え、酒税は酒飲みの楽しみのために使え、消費税は小売業のために使え、という馬鹿な理屈になる。
それでも、そうした馬鹿論理が社会合意となるなら、せめて自動車がたくさん走れば走るほど膨らむ社会コスト全体に使える財源にすべきだろう。第一には、交通事故に関する社会コスト。具体的には交通警察の人件費など。第二には、自動車排気ガスなどの呼吸器疾患や環境汚染に対する対策費用。第三には、自動車交通量をマネジメントするために必要な代替交通手段、具体的にはバスや電車の運営経費の補助金。第四には、地球温暖化対策費用、などにも使えるようにすべきだ。総合交通財源とか、環境税などと言われる構想にある。

それもダメで道路特定財源でなければダメという原則論が通るなら、減税の前に、国と地方での配分の見直しをやってほしい。道路建設には地方負担分があるのに、道路特定財源は国ばっかりに流れていく。その差を地方交付税が埋めるから地方交付税制度の財政悪化を招いている。支出割合に応分なかたちで国と地方の財源のあり方を最低限やってほしい。

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2006.10.24

10/24 環境を壊す大学の無料コピー

大学で無料コピーが流行している。しかけは紙の裏に広告が入っていて、スポンサーがコピー代を負担しているというもの。
アイディアとしては面白いし、大学生活でコピー代に難儀したことがあるから、評価したいけど、チョット待て、と思う。
コピー代がタダでは、紙を節約しようというインセンティブは全く働かなくなる。コピーは紙、電力、トナーなど環境破壊となる要素がたくさんあり、メーカーもその汚名返上のため対策にいろいろ努力しているのに、ざるで抜け穴をつくってしまうような使い方をしてよいのだろうか。環境負荷は一定の受益者負担がなければ何の抑制もなくなってしまう。

環境だとか、生活がどうのこうの言う大学生協が、こんなコピー機を学内に置かせてなんの罪悪感がないのかと思う(野菜を食べよう、食生活のバランスを考えようと啓発しておいて、運営する学食ではラーメンや揚げ物など体に悪そうなものしかなかったり、売店で売っている食べ物と言えばチョコレート、スナック菓子、カップラーメンしかないという矛盾も今に始まったことではないけども)。それから、大学の敷地は固定資産税が減免されている。広告入りコピー機というのは一種の営利活動であり、コピー機を置いてある土地については、減免措置を解除すべきだろう。

さらに大きな話をすると、こうしていたるところに無料メディアが氾濫して、情報にする抵抗感のなさも困る。対価のない情報が出回りすぎると、経済力のない情報発信元は対抗しにくくなる。広告主がついた情報ばかりであることに疑問を持たない社会というのは恐い。

●八王子の有料道路の借金を返す目途が立たないからと、都が買い取って無料開放することになるという報道。行政は元気な自動車ユーザーばかり甘やかす。保育園や介護施設は民営化されるのに、道路は独立採算から行政直営になる矛盾。メンテナンス費用ぐらい徴収したらどうだろうか。元気な奴ほど無料サービスを使えるようになっている。

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10/23 赤ちゃんの逆襲

DVDで映画「赤ちゃんの逆襲」を見る。近所のDVDレンタル店に置いてあって、ずっと借りられてて、やっと借りることができた。
この映画は、赤ちゃんをよく観察してつくられている。うっかり交通事故で死んだ男が加害者(男)の子に魂がのりうつって(なんて書くとホラー映画みたいだがギャグ映画です)、加害者を苦しめるためにありとあらゆることをする。たいていの赤ちゃんがやる、大人にとっては迷惑なしぐさにあわせて、死んだ男の声のナレーションで、加害者である父への復讐の言葉が入る。
赤ちゃんには、なんでこんなことしやがるんだ、と思うことも多い。こんなふうに誰かの魂が復讐しているんだ、なんて考えると、気楽におかしく考えられるかも知れない。育児ノイローゼ気味の人は見た方がいいと思う。

昨日のNHKスペシャル「赤ちゃんの成長の不思議」という番組も面白かった。生まれたばかりの赤ちゃんはいろいろなことを感じ取る能力や、先天的な運動能力を備えているという。それをそぎ落として、再び人間として生きる能力をつけていく(らしい)。早期教育は全く意味がなさそうだった。

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2006.10.22

10/22 何でも「既得権益集団」からの被害妄想を膨らますな

●民主党二敗。直前で支持率低下が見られた。両候補とも惨敗ではなく、また無党派層の一定の支持の厚さも見られたので、敗因の冷静な把握と、着実な参議院選挙対策を続けていくべきだろう。前原などのゆさぶりに動かされては無駄な時間を浪費することになるので無視すべきだろう。
神奈川16区の方は民主党の戦略のなさを浮き彫りにした感じがする。議席を守る側が二世を立て、弔い合戦とふざける要素が全くない選挙に、「実現男」なんてふざけたパフォーマンスを売り物にした候補を出したことはミスだったのではないか。票になるような話題にもならなかった。格差社会批判の中で、通産省官僚出身で構造改革を推進したという経歴だった候補者が、おふざけパフォーマンスで知名度を高めたことは良くないと思う。終盤「実現男」のくだらないパフォーマンスも控えめにしたせいか、それにしては善戦したと思う。上に仕える人の関係でこの選挙に突っ込まれた友人がいた。よくたえたと思う。
大阪の結果は本当に残念。共産党がどういう役回りをしているのか、比例区のない補選で独自候補に拘る意味は何なのか冷静に振り返ってほしい。

●滋賀県栗東市の市長選挙で、新駅建設推進派の現職が当選。どうしても栗東市民が新幹線の駅が欲しいというなら、自分たちの町だけで滋賀銀行でも何でも借金してお金を調達してほしい。ほんとうに建設費以上の経済効果があるなら、自前で建設費は回収できるはずだ。全滋賀県民に迷惑かける理由がわからない。親戚がこの近辺にいるのでよくわかるが、各駅停車の新幹線しか止まらない駅があったから何だ、という感じがしてならない。
国や県の支出金へのたかり、公共事業の債務保証債の発行による地方交付税の分捕りで他の自治体に迷惑かけないでほしい。どうせ土地持ちのドラ息子あたりが、他人の金使って、農地を新幹線の駅前に化けさせて金儲けを企んでいるのだろう。それに金欠政治家どもが巻き込まれているだけだろう。税金が何のために使われるのか、考えさせられる話だ。

●愛読するLovelessZeroというブログを紹介するサイトでリンクされていた「余丁町の散人」というブログに、介護財政の配分に対する大きな誤解があるのでただしておきたい。
1つめは、介護労働者に介護報酬の1割しか渡っていないということが書かれている。介護計画を設計しメンテナンスするケアマネージャーが介護労働かどうかということが問題になるが、ケアマネの報酬を抜いて半分、含めれば6割は渡っている。大手事業者を中心に事務経費や人材仲介経費分の取り分が多い面もあるにして、それはそれで問題だとしても、もともとの介護報酬が少ない中での取り合いの構図なのだ。
2つめは、フィリピン人の移入が既得権益集団が妨害しているという誤解。どういう既得権益があるのかわからない。既得権益集団という何だかわらかない悪の集団さえなくなれば世の中良くなる、という小泉政権を支えたチチンプイイデオロギーだ。
既得権益集団よりも、外国人労働者への制度整備が追いついていないこと、在日韓国・朝鮮人ですら文化的なアレルギーが克服できていないことに問題があるのではないだろうか。外国人労働者を受け入れるというスキームがないままに、介護だけフィリピン人を働かせるという政策にさまざまな無理があるから話が進まないのではないか。
フィリピン人労働者を入れた場合、彼らも日本で住み、日本で生活しなければならないのだから、日本人同様の生活コストがかかる。彼らの賃金が安いということは、彼らの立場が弱いことを利用してひどい仕事を強要しているということになる。それが経済的合理性という言葉で何よりも価値を置くというならずいぶんな経済大国である。多くの人がやりたがらない仕事や重労働の労賃は上がる、というメカニズムが働かなければ経済的合理性と言わないと思う。立場や文化の違いを利用して人件費をけちるのは経済的合理性と言わず、政治的強要というのではないだろうか。

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10/21 偽装請負があれば偽装留学もあり

製造業で法律で禁止されている偽装請負がバレて、役所の指導が入ったり、日本経団連の会長がさらなる労働分野の規制緩和を求めたり、いろいろ波紋が起きているが、サービス業もサービス業でひどいもので、偽装留学といったらいいのだろうか、留学と称して派遣労働者を募集する手口があった。

紹介してくれたのは、ライバル労組ではあるけれども、保育・福祉関連分野の労組の職員が運営しているブログサイト「tamyレポート・保育士東京ビジネス留学には驚いた」より。募集しているのは、就職難の地方の保育資格保有者を派遣労働者として集めて東京の認証保育所や企業内保育所を運営している人材派遣業の関連会社「パソナフォスター」。

年収200万円程度で人をかき集めて東京で働かせるために、「ビジネス留学」と呼んでいるところが嫌な感じがする。
もちろん仕事を通して学ぶことは多いのは当然として、出向や派遣、転職で「キャリアを積む」という言葉には留学と呼んでもおかしくないようなモチベーションの持たせ方もあるけれども、その含みには、本来は金貰って機会をつくってやるのに給料を払ってやるんだよ、という、明治時代の雇い主が丁稚奉公に投げかけてきた言葉のようなものを感じてしまう。

地方での保育所・保育士過剰と首都圏での保育所・保育士不足という偏在の問題は、少子化(全国的な子どもの数の減少)と男女雇用機会均等法(専業主婦率の高かった大都市圏での女性就労率のアップ)が同時代で進んできている中で発生しており、土地にこだわらない地方の保育士に首都圏で働く機会をつくるというのは1つの大事な仕事だと思うが、労働を留学といいくるめて連れてくることに、偽装請負と同じニオイを感じ取ってしまう。

紹介されている日刊工業新聞のリリースに誤りがある。パソナフォースターは東京都内で厚生労働省認可保育所を運営しているように報じられているが、東京都の認可保育所は運営していない。認可保育所は埼玉県坂戸市のみなので、エリアも認可権限も埼玉県。東京都内は東京都独自の認証保育所制度にもとづく保育所のみ。

学生時代に文系男子が遊んでいるのを横目に見ながら、実習だ補習だ家庭学習だと資格取得のためにせっせと努力してきた人たちが生きるすれすれの賃金で働かさせて、一方で聞いたこともないような外資系金融機関で誰のための仕事なんだかはき違えているようなマネーゲームの片棒担ぐ若造(彼らを食わすために農産物・原材料・為替の価格が乱高下する)が何千万もの年収(彼らはいつ解雇されてもおかしくない仕事だと開き直るけど)いることの矛盾は良くない。

●古い話になるが木曜日の「クローズアップ現代」で介護の人材不足が深刻になってきているという報道はよかったと思う。医師の人材確保の議論もいろいろあるけれども、こっちの方が職務に見合わない待遇であることはもとより、人並み以下の待遇なだけに景気回復とともに人材流出は深刻になる。経済界のように、外国人労働者を安くこき使えるように輸入解禁を求める意見もあるけれども、これには一定の条件が満たされない限り反対だ。(過去記事はこちら。)
年収200万を割り込むような介護労働を前提にして、介護保険財政を組み立ててきた矛盾が出てきている。医療的な知識に加え、精神労働として、あらゆる知識やコミュニケーション能力、社会的知識を求められる介護労働が、独立生計すら立てられない、結婚したり子どもを育てたりする余力がない、という労働力に支えられているなら、制度が維持できなくなる日は遠くない。労働組合のがんばりどころだが、大元のお金を出す政府が増税はしないわ、医療との領域分担を再定義しないわ、支出抑制はやるわ、さらには企業減税のためにさらに政府支出を捻出しなければならないわで、当面、微調整は行われるにしても介護労働者のおかれた事態が改善される見込みはない。介護保険料もマスコミが上げるな上げるなの大合唱。
進められている改革は利用者を減らすことで、介護抑制をさせることだ。安倍政権の保守的な家族政策もあいまって、悲惨かつ虐待の温床でもある家族介護を奨励するような動きにもなりかねない。軽度介護を見過ごすと、重度化するまで何も手が打たれなくなるし、体が動くため軽度の要介護者の方が家族にとっては負荷が高い場合もある。介護保険の意味が問われる心配な状況だ。
このままでは、介護労働者は年100万未満の年金しかつかない。公務員か大企業に働く配偶者でも見つけなければ、一生続ければ生活保護受給者(全額ではないが)になっていく。介護される高齢者は年金が足りない、介護保険料が高すぎる、消費税は上げるなと叫び続けている。叫ぶことにおかしいとは言い切れないけども、割り切れないものを感じる。
ゲストの神野直彦東大教授が、仕事には、待遇、評価、仕事を通した教育機会のどれかが最低限保障されなければ質は維持できない、というコメントが良かった。

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10/21 政府税調を退任した石氏のコメント

過日の記事:10/14 黒字企業の利益を税金で補填する安倍政権で安倍政権が打ち出した企業減税を批判しました。これに関連して、今回解任された石弘之前政府税調会長は朝日新聞のインタビューで、政権が打ち出している企業減税は、少子高齢社会を無視した長期的視点のない、家計からの富の収奪だという意味のことを言っています。
石さんは今回の税調委員の選び方を評価していますが、新しい政府税調の委員には、幸田真音、伊東元重、吉川洋など企業寄りでものを考える政権エコノミストばかりになっていて、議論が偏ってしまうのではないかと心配になります。

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2006.10.21

10/21 教育バウチャーは子どもの主体的な学習権を保障させるのか

教育再生会議で、保護者に教育用金券を配布して、利用高に応じて学校に納付する「バウチャー制度」の導入が検討されている。教育関係者はあわてふためいているし、当然、日教組や革新政党は反対声明を出している。
保育所の規制緩和のときに、規制緩和派はさかんにバウチャー制導入を打ち上げて、保育園を考える親の会や、保育関係団体が反対したが、共産党以外の政党や、教育関係者は冷ややかだった記憶がある。証拠が手元にないが、社民党の保育政策も、バウチャー制導入含みだった。何を今ごろ、という思いもある。

教育の場合、保育と違い、多くの人に関心のあることなので、バウチャー制導入の効果は出る部分もあるかも知れない。その場合に必要なことは、保護者にバウチャーを渡すのではなく、本人に渡すべきである。また、基礎教育である義務教育課程でのバウチャーなど意味がない。選択制授業のあり、また子ども自身が社会に出ることを意識しながら勉強させる可能性を持つ大学や高校で導入すべきだろう。
またバウチャーを導入するなら1回1回の授業で、電車の回数券のように使うスタイルにすべきだ。それだけのことをやれば、利用者、すなわち子どもの教育権を保障するバウチャー制となる。意欲のある子どもだけが教室にいるようになり、教室の光景も一変するだろう。しかし、通年で一括して使うようなバウチャーなら、授業のオリエンテーションで騙してしまえばいいので、意味はない。また、現在の私学入学のように入学と同時にバウチャーを使うようなものなら受験時に騙してしまえばいい。

電車の回数券方式のバウチャーなら、子どもにとっては、勉強するコストを実感できるようになるし、意味のない授業と感じれば期中でそんな授業に浪費する時間を無駄にすることがなくなる。それくらい本人の権利性を保障するなら、教育バウチャーありだけど、今の私立高校の生徒獲得競争みたいに、子どもそっちのけで保護者を幻惑させ騙すようなことを拡大する改革なら絶対に許してはならない。

●革命的な速度で走る関西の通勤電車「新快速」が福井県の敦賀まで運転し始めた。むかしは京都と西明石の間だけで、京都・大阪・神戸の間の利用客中心の電車だったが、いつのまにか運転区間が伸びて、全然座れない電車になってしまった。おかけで滋賀県の新幹線新駅は要らないという議論ができるわけであるけども。

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10/20 他人のキスで怒る馬鹿ども

愛読している六本木のナンパ野郎のブログで知ったのだけども、(保育政策で対立し私の大嫌いな会社ではあるが)ベネッセの「たまひよ」の広告でキスしているシーンにクレームが出ているという。

こういうこと真顔で怒っているのはあほかと思う。怒る奴って、キスもせんと子どもをつくっているのかなぁ、なんて思う。不快なら見なければいい。
過日、細野豪志議員のスキャンダルでも言ったけど、こんなどうでもいいことに騒いでいるなんてほんとうにお気楽で幸せだ(世に倦む日々のテサロニケとか)。

90年代後半ぐらいからこうしたプライベートについてはあまりうるさく言わなくなってきたし、前世とか運命論みたいな馬鹿な話も少なくなってきたのに、最近再び盛り返しつつある。ほんとうの規制緩和とは、こうした社会に役立つ能力とは無関係なロジックと決別することなのに、自らの生活を壊す規制緩和に拍手喝采を送り、運命論的な意味不明な束縛を歓迎し受け入れていくような世論の傾向に、思考力の低下や退廃を見る。危機感を持つ。

●好況時ほど財政再建をしなければならないのに、政府税調は増税否定シフト。政権は、増税論者の石氏を斥け、減税論者の本間正明が政府税調のトップに。不況のときにはせっせせっせと増税を行って国民の富を収奪し、好況のときにせっせせっせと減税を行って景気を暴走させるこの国の「財政規律」はどうかと思う。

●滋賀県知事が10月分の新駅建設費用を支払わないと決める。決断を評価したい。

●中川昭一のアルコールが回り始めた。確かに、独自の外交、独自の安全保障政策を模索しようとすれば核兵器保有というのは1つ選択肢だ(清水幾太郎の主張のように)。しかしそんなことを理解できるのは日本国憲法を知っている日本人だけで、外国は核兵器保有とは米中露への挑戦と見られる。そんなことを見通して、1960年代に核兵器を保持しないとした我が国の歴史を全くミスリードする発言である。

●北朝鮮の核開発を受けて周辺事態法の適用をしようとする動きがあるが、民主党の小沢一郎党首はそれを明確に批判した。それに対して前原の馬鹿が「政権交代をするには問題だ」とこれしきのことで自民党に反対するのはけしからんと発言している。安倍晋三と大の仲良しであることをカムフラージュして政権交代の弊害になるというような主張で、安倍晋三の手先となっている前原こそ、ほんとうに政権交代のプログラムがあるのか。党を自滅させかけた人間として自己反省のないレッテル貼りの議論だと思う。滅びよ寮雲会。

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10/20 学校はなぜ障害者を雇わない

教育行政のことを連日話題にしているが、教育委員会部局(教員と学校関連職場の職員)の障害者雇用率がやたらに低いことも言い添えておきたい。障害者雇用率のあらゆるカテゴリー別の指標の中で、教育委員会部局が最低となっている。京都府教育委員会以外の46都道府県教育委員会は障害者雇用が達成されていないという惨憺たる結果。そして、大都市部では埼玉県がとりわけ悪い。民間企業だってこんなに悪くはないという数字だ。

反差別の取り組みがおうおうにして教育・啓発で止まってしまっていることが多い。その1つの例が、学校が障害者を雇っていないという現実である。いかに、学校での障害者差別に対する教育啓発が空虚なものか、如実に示すものだ。生徒として障害者を受け入れず養護学校に押しつけている以上、教員に障害者を雇うなんてことは起こりえない。

また、障害者を雇わない人たちはいろいろな条件をぐちゃぐちゃ言うが、学校現場で言えば、明治時代の職場環境のままで、今日的な職場環境ではないことの問題が指摘できる。まずは、普通の職場並みの環境整備をやってから、障害者を雇うか雇わないか判断してほしい。

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2006.10.19

10/19 安倍晋三の思惑超えて暴走する教育再生会議

教育再生会議は正確な議事録を出さないということ。事実は真実ではない、などとノーベル賞科学者の座長が記者会見で答える。規制改革会議のときにも指摘したが、もちろん民主主義社会の手続論として問題があるばかりではなく、議事録に掲載される議論というのは真実を表現していないと科学者が宣ったわけで、これは科学者としての資質を示すものになるだろう。かねてよりこの人の教育の議論については、論理的な内容がないと疑問を感じている。

その野依氏の答弁に、こうした反動教育を煽ってきたあの山谷えり子でさえも、要約は出すからととりなすぐらい。でも要約ではそれぞれの委員がどんな話をしたのかわからない。みんなの大事なものを動かすのだから、きちんと監視される必要があるのではないか。

「元ヤンキー元教員」の義家氏については、今日は毎日新聞のインタビューに出ていたけど、言っていることがおかしい。「適切な負荷をかけ続けることで子どもは育つのに、学校教育は何もかも個性や自由が出発点で、成長に責任を持てなくなっている」と。この人の教育の考え方の本質が見えたと思う。
だいたい今の学校教育が、いつ「何もかも個性や自由」を出発点にしてきたというのか。どんなに自由な学校だって個性や自由なんか尊重したことはない。権力的従属で子どもを従わせ、現実を直視しない体質しかないではないか。問うべきは仕事としての責任放棄であって、イデオロギーの違いの問題なのだろうか。ばかばかしい。「元ヤンキー」ということで反権力みたいに見せて、事実反権力的志向の強い学校を踏み台にして有名になり、現場を棄て、最後は権力に従属するとは、ズルさを感じざるを得ない。

安倍晋三氏の教育への暑い思いを超えて、教育再生会議のトンデモぶりに、議論はどうなっていくのやら、各委員の信念と称する思いつきがどう転んでいくのか心配でならない。議事録も公開されないから、どんなトンデモ発言をしても思いつき発言をしても責任を問われない。他の委員の記憶の中だけだ。規制改革会議よりも利権に絡まないだけに、よけい現実に遊離した議論が展開されるのではないかと心配する。
数年後には、子どもたちに教育とは別の生きる場所を見つけていくことが必要になるかも知れない。

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2006.10.18

10/18 死なせるぐらいなら学校に行かせるな

学校でのいじめが原因で自殺が相次いで、全人格的指導力を誇示し、いじめをなかったことにしたり、適切な指導をしてきたはずの文部科学省や教育委員会が慌てふためいている。いじめがなくせるかなくせないか、ということはわからない。職業倫理としていじめを加勢してはならないし、教員が対応できる範囲でいじめはなくさなくてはならないと思うが、証拠を出させない、本人の口を封じる、という陰湿な手段が使われるのがいじめなのであって、おカミと教員の統治力で何とかしようとする発想がそもそも無理なんじゃないかと思う。もっとも自殺に至る前にできることはあって、そこで教員たちがうまく子どもを逃がしてやらなかったことが責められるべきだと思う。

そんなことを考えていたら、寺田学衆議院議員(民主・秋田1区)が、不登校で自殺することを考えるなら、学校なんて行かなくてもいいから命を守って欲しい、と、自身のHPで、自分の体験談を赤裸々に書きながら訴えている。
いいこと言ってくれると思う。政治家の多くは、わかっていながらも、いじめぐらいで学校行かない奴なんて、という感覚を、票のとりまとめをやる地域ボスたちと共有したふりをしなくてはならない。少なくともあえて反論したりはしない。そういう中でほんとうにいいこと言ってくれたと思う。

死ぬまで学校に通うことが自己目的化してしまっている。死なない限り、誰も同情すらされない、学校でのいじめの悲惨さ。学校なんて自分のための道具なんだから、少なくとも辛い思いをしていたり、ひどい思いをするなら、行かなければいいと思う。人生の大事な時期を、必要以上に苦しむことに費やすのは無駄だ。我慢しても報われることもない。闘ってもものを言っても壁は厚い。

さらに寺田議員は、不登校に対する居場所づくりが進んでいることを評価しながらも、だんだん学校に復帰させるための場になってきていることに警鐘を鳴らしている。

次世代育成支援行動計画に関わっているけど、自治体や地域の有力者が無学なまま不登校児への政策を語るときには、不登校児は精神異常者扱いだ。自分が何かに被害を受けたときに、何も応援してくれないのにカウンセリングだけ受けさせられるとしたらどうだろうか。
「専門家(心理学関係者)の相談」「カウンセリング」が強調され、「学校への復帰」だけが政策目標になる。その子が尊厳を持って生きられるような環境整備や機会づくりについては全く無頓着である。

本人の知的能力を高めるために学校はあるのであって、学校を語るおとなたちは、学校が自分たちが安心するための牧場ではないことを自覚しなければならない。

●イーホームズの藤田東吾元社長に判決が下りて、その後の記者会見でアパグループの使っていた構造の建築士も強度偽装をしていた、と告白、政府の建築強度認証の制度設計に問題があると発言している。
ところがこの内容を全てニュースとして取り上げたのは東京新聞。朝日と毎日、読売は政府の姿勢の問題点と、裁判で構造偽装の責任がなかったことが証明されたと言及したところのみ、犯罪者が言い訳をしているようなニュアンスで紹介。昨日の「電通の正体」では企業が電通経由で不祥事報道の対策を行うことが紹介されていたけど、アパグループも派手にテレビCM打っていた時期があったっけ。ヒューザーのテレビCMなんて見たことないけど。アパはマスコミも批判しにくいわな。

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2006.10.17

10/17 都知事選、共産党が候補擁立する

東京都知事選挙は、前回の選挙結果をみて、非石原の勢力が意欲減退しているような感じがする。その中で、共産党が早々と元足立区長を担ぎ出し、擁立してしまった。「正しい革新」の主張だけして終わってしまうのだろうか。

石原都知事にいろいろ問題があって、それへの対抗馬を立ててきちんとやらなきゃならないと思うし、息の根が止まらないような、今回負けても、次回も立候補するような人が出て欲しい。

打倒石原でまとまろうとしても、陳腐な石原批判はそろそろやめるべきだと思う。おそらく石原に投票した300万票は、石原のナショナリズムぶりに心酔した人だけではなくて、そんなことの問題は百も承知で、もっと別の石原の魅力に心酔しているのだと思う。そういう人に石原はナショナリストだぞ、と言っても、そんなのわかっているよ、あんたら対抗勢力に何の未来も感じないからだよ、という回答になってしまうのだろう。

まずは対抗馬の候補者は、平和、フェミニズム、民族主義の問題は主張として持っていた方がいいけど、選挙での主張は少し後ろに後退させた方がよい。これらを前面に出しても、石原氏はその批判が強ければ強いほど票を伸ばす。ナショナリストは固まるし、平和やフェミニズムが重要と思っていても地方自治にもっと別な期待をしている人は、飽き足らないだろう。
その上で石原が都知事としてどうなのか、二期目に入ってどんな問題が起き始めているのか、三期目という長期政権になってきて、どのような問題が始まろうとしているのか、見据えた批判をすべきだろう。
・長期政権の末期症状としか思えない道楽行政が増えている。オリンピック誘致やせっかく有名になっている青梅マラソンを否定するような新たなマラソンの開催など。そして公金が相当突っ込まれることになっている。
・ディーゼル車の排ガス規制のようなイデオロギーや立場を問わない善政が見られなくなっていること。政策の停滞。
・教育のイデオロギー締め付けをしても歯止めがかからない公立学校の信頼低下
・都議会の混乱
などがぱっとおもいつくところであげられる。
非石原の都民がきちんと議論をしてまとめていってほしいと思う。

●「電通の正体」を読む。よく思い返せばこの会社、戦前の国策会社という出自以外は、どんな会社なのかほんとうのところ知らない。社名の由来も知らなかった。それ以外は、よく働き、よく遊び、生活や家庭を知らない高所得者の会社というイメージしかない。広告代理店業界って、電通一強、ほぼ独占状態なんだと知る。
私は民放がうるさいから嫌いであまり見ないが、たまに見て、労働組合は抵抗勢力だ、と声高に叫ばれて不愉快な思いをしながらCMに移ると、日榮とか、武富士とか、KSDとか社会的弱者を食い物にして問題を起こした企業や、水のクボタとか、パイプメーカーとか公共事業がらみの企業、消費者相談で話題になる商品取引や引越業者、預託金狙いの会社などの広告が続く。心の中でテレビ局もよく言うよ、と思いながら、どうして問題企業や税金にたかっているような企業がバンバンテレビCMを打って、公共広告機構等の審査機関で問題にならないのだろう、と疑問に思っていた。そのことの答えが書いてある。
先日、テレビ番組で小泉前首相の回想番組で、飯島秘書官が「小泉について書かれた週刊誌のゲラは2日前には入手できるようにしている」と告白するシーンがあったが、電通がそうしたマスコミ対策を必要としている人たちへの便宜を図っているということがこの本には書いてあった。
また政権のタウンミーティングとか、万博、オリンピックなど、税金がジャブジャブ投入されるイベントごともほとんど電通が随意契約で請け負っているらしくて、これは政治的問題じゃないかと思う。

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10/17 熱心な教員を疑え

教育について考えさせられる。
1つはいじめの自殺が続発。教員がきっかけを作ったものもあって言語道断。自殺後、いじめを受けていたという遺書があっても、しらばっくれる教育委員会。あまり生徒の人格管理をすべきだとは思わないけど、遺書残されておきながら何もなかったなどと調査結果を出すようなシステムの問題は何だろうかと考える。

もう1つは、「ヤンキー先生」義家弘介氏が教育改革国民会議の事務局長に就任。安倍首相と山谷えり子の軍門に下り、国旗、国歌の押しつけは良くないという過去の発言を全面的に撤回。

(国旗国歌法は)公立校に勤務していたら順守します。キリスト教の学校で(教師が)「私は仏教徒だから礼拝に生徒を出しません」ということがまかり通れば教育現場はめちゃくちゃになってしまう。

と言う。論理のすりかえだ。
国旗国歌法は学校現場で国旗掲揚・国歌斉唱を求めていない。単に国旗と国歌を定義したものだ。国旗掲揚と国歌斉唱は文部省の教育指導要領が求めていることだ。そうであるなら、教育指導要領の問題であって、公立だから、私立だからというのはすり替えにすぎない。それに、国旗掲揚・国歌斉唱反対派の教員たちは、「礼拝に生徒を出しません」と行動を縛っているのではない。
余談だが、私学でキリスト教の学校とはいえ、北星余市高校のようにある程度門戸を広く開けている高校なら、教員はともかく、生徒の宗教行事の参加の自由が保障されなければおかしな話で、義家氏はそれについてどのような対応をしてきたのか、非常に気になる。

教育が混乱し始めると、右翼も左翼も熱血教師をもてはやす。でもそんな教師は、生活指導や思想調査みたいなことばかりに熱を上げて、結果として、子どもたちに学校が楽しかったか辛かったかという評価しかされない場にしているし、ひどい場合は人権蹂躙になるようなことを平気でしている。
熱血教師のニーズがさめやらないのか。知力の向上を二の次にして、生徒の取るに足らない行状について、追跡調査したり、内面に深入りするからいけない。公教育の質がなぜ上がらないのか。労働者でしかない教員に、過剰な人格形成の責任を負わせているからだ。

生徒の放課後の不良行為や、不純異性交遊、問題行動など学校が責任を負うべきことか。それは家庭・地域など本人をとりまく人間関係が考えるべき問題であり、学校で問題行動をしなければ教育が干渉するのは抑制的であるべきだろう。知育以外は、教育ができる最低限の環境整備(授業妨害の排除や学校内での人権侵害の防止)だけに教員はやるべきで、それ以外の労力は本業に専念すべきだろう(そういう意味で夜回り先生が教員を退職したことは正しいと思う)。

また義家氏は、教育の地方分権について、地方で教育委員会が機能していないことを理由に後ろ向きな答えをしている。しかし、これは地方に問題があるのではなく、教育を民主主義社会の聖域にしている教育委員会制度にあるのではないか。
今や公権力に関わる分野で、もっとも市民参加が遅れた分野が教育ではないか。部活や補修で子どもを放課後まで囲い込み、さらに生徒指導と称して24時間管理下におく。子どもには学校と家庭が社会の全てのように思いこませて社会から隔離してしまう。その前提で、学校とPTA関係者以外に議論をさせず、生徒指導で24時間すべての子どもたちのあり方に支配を行ってきた学校。地域社会で子どものことを考えたことに取り組もうとしたときに、公教育が社会の他のシステムと全く隔絶した世界を作り上げている上に子どもを全面管理下に置いているため、手も足も出なくて、困った世界だよね、と言うしかない。

今の制度のもとでは、非常識な教育委員会の運営があっても誰も何も手を加えられない。有権者や保護者や子どもたちがいろいろ議論して何かを申し入れても聞き置くだけで無視される。それは地方がダメなんじゃないと思う。自治体の中で、教育委員会が独立性が強すぎて誰も手を出せない。彼らにものを言えるのは県教育委員会そしてその上の文部科学省でしかない。

教育委員会制度は、教育の中立性という名のもとに、教育が市民の監視と議論の対象から排除してきた。そのことで結果的に教育の中立性や科学性が守られてきたのだろうか。誰もが立ち入れない聖域として、文部科学省を頂点とした統帥権みたいなものとして、進歩が後れた世界になっているのではないか。もっとオープンで誰でもが議論を追いかけることができる教育行政のあり方を考えないと、文部科学省がいいことを上意下達で押しつけるだけのシステムを克服しないと、良くなるわけがない。上意下達で推進されたいわゆる「ゆとり教育」の失敗と自己矛盾に学ぶべぎたろう。

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2006.10.16

10/16 市の審議会ジャックの手法

朝霞市でマンションと大規模開発の開発指導を条例化しようという動きが始まり、その審議をする委員会が発足する。今日、その公募市民委員を選ぶ抽選会があり出席してきた。私は、朝霞市の福祉資源があまりにも貧弱でその整備ができるまで、整備に協力しない業者には開発規制をし、何らかのかたちで整備に協力する業者は開発規制を緩和するような制度が考えられないかと思い応募した。

定数4委員に、9人が応募し、残念なことに抽選ははずれ。
落選した悔しさも少しはあるけど、運動するなり、別のアプローチからいろいろ要請してみたりできると思うので、これはこれで納得。ただ、ひっかかることがあった。抽選に出席した応募者の顔ぶれを見ていると、同じグループと思われる人たちが4人来ていて、なおかつ抽選に欠席した応募者も2人も仲間のよう。定数以上に応募者を殺到させて自派の当選の確率を上げるのは、ルール違反ではないけども、道義的に問題があるんじゃないかと思った。私は、特定の主張の市民が委員会をジャックしようとする意思を持つのは仕方がないと思う。しかし、それに対抗しようとする人や違う意見を持つ人を著しく参加しにくくするような工作は慎むべきだろう。また、グループであることを明らかにしないでやっているから質が悪い。

市民活動なんでも結果オーライの私でも、この人たちの振る舞いがあまりにもと思い、周辺情報を集めてみたが、土地利用や自然保護関係の市の市民参加の機会を捉えて、何が正義かということも掲げずに、行政に対して市民代表のようにして、いろいろなことをしているらしい。

こうしたことの是非は政治学の領域になるけれども、市民参加する市民って、どうしても「一部の市民」にならざるを得ない。このことの是非論があるが、私は仕方がないと思う。
一部じゃない市民の意見って何か。例えば、町内会なんかが良い例だが、大多数の市民を代表する組織は地域の利益誘導みたいな話か、地域に公害がやってくるような問題でもなければ、現状追認か行政追随しかできない。突出する要求を行政にすれば、なかなか構成員が納得しないからだ(札幌の町内会のように、町内会ごとに自・民・公・共・ネットで支持政党が明確になって嫌がる会員は町内会を分離独立させるような風習がある地域もあるが)。
市議会はどうか。一番公正に選ばれ、公正に運営されている(手練手管はあるが、何から何までルールで運営されているという意味ではこれ以上の組織は自治体にない)。しかし、ここでできることは条例づくりと行政への調査権の行使であって、予算案成立までの流れを確認すれば、1つ2つの政策が不満だからと何から何まで止めるようなシステムにはなっていない。市全体を目配りして、提出される議題をめぐって議論を進めるというのが基本的な流れ。だから、マンション問題があってもそれだけで議員がとことん議論するなんてことは、まずない。スキャンダルが発生したときだけだ。調査権や質問権、行政提案の議案への議決権などを楯に、個別政策の実現をめぐり働きかけることはできるが、それは議事録にのるようなやりとりがあって進むことではない。

個別課題を中心に、当事者の深刻な問題意識、のちのち誰もが関心を持つかもしれないが今は専門的な人しか言わないような主張を感じ取る装置として、「一部の市民」であっても、思いがある人たちの意見を聞こうということが、行政にとっての市民参加の必要性の一面だと思う。
「一部の市民」の突出した意見(理解不能な言動ということではなく)を取り込む可能性があるということは、その主張の妥当性を今も未来も検証できる仕組みが必要だと思う。だから、議事録も残らなければ、資料提出もない公開されない場で、「一部の委員」が政治的に振る舞うことは、できる限り慎まなくてはならない。
そういう意味で、このグループの振るまいは、市民参加のクビを絞めることになりはしないかと心配する。

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2006.10.15

10/15 大きな街道をとぼとぼと歩く

我が家の大行事も一段落つきはじめ、そろそろ部屋の模様替えでもしようと、新座市のニトリに行く。新聞の折り込みのちらしには、新座警察署の交差点のすぐそばにあるような地図が書いてあって、これなら自宅の近くのバス停からバスで一本!と思って出かける。

ところが、バスを降りて交差点のそばにあるはずのニトリが見えない。地図に書いてある方向に向かって、排気ガスだらけの川越街道バイパスをひたすら歩くこと500メートル、やっとニトリを発見。バスもない大きな道を買い物のためにとぼとぼ歩くのは札幌にいた頃、ホームセンターを探して、札幌新道を雪の中15分歩いた情けない思い出以来。排気ガスの中、郊外型の小売店や飲食店と産廃中間処分場が交互交互に立ち現れる道を歩くのはけっこうめげる。映画「卒業」のラストシーンのチョット前とか、アメリカ映画なんかで、バスを降りて、クルマはびゅんびゅん通っているけど歩行者がほとんど歩いていない道を歩いたり走ったりするシーンがある。あれはほんとうしんどい。「卒業」では聖堂のドアを開けるシーンが有名だけど、私にとっては、その前の街道を走るシーンの切なさが重なってくる。

ニトリに着いたときにはへとへとで、見る気力を失って、一回りして、他のホームセンターより著しくましな家具がないかだけを見て、すぐ店を出る。歩行者には厳しい店だ。
げんなりしてタクシーを呼んで、せっかくなので新座の奥地にある有名なうどん屋に行く。接客も、味もグッド。店の前にあるバス停からバスで帰宅する。

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2006.10.14

10/14 黒字企業の利益を税金で補填する安倍政権

昨日に続けて、法人税減税を打ち出した経済財政諮問会議の方針に、新聞の一面を見て腹が立ってくる。
私たち個人には、労働力を吸い尽くされた挙げ句に所得税を払うが、その減税廃止がすでに行われ、これから消費税を上げられて、財政再建や年金財政の維持に回されるのかと思ったら、黒字企業に利益補填をする話にしようということだ。経済界は「努力した者が報われる」と言うが、政府に利益を補填されて恥ずかしくないのだろうか。
国際的な税率比較で日本は高いというが、誤解が2つある。日本はさまざまな減税免税措置があり、実際に払う税金はさらに低い。租税特別措置法の政策減税も、比較的長期間に安定的に行われる。諸外国のようにある日、今年限りで政策減税はやめます、ということはあまりない。
また、税金が使われた結果としての、インフラ整備、労働力の規律性の高さなどを税金の安い国と比較してものを言ってもらいたい。企業城下町の道路のでこぼこを直さなくて良いなら、公害の被害者に対する補償を全額企業や経済団体がやってくださるなら、企業が人をこき使う結果として必要な保育所整備と運営を企業が全額負担でやってくださるなら、雇用の流動化で増えている生活保護を企業が自主的にやるなら、企業が自治体に持ち込む開発プロジェクトを財政事情で中断してもよければ、税金を下げたっていいだろう。そんな公益的なことほとんどやっていない。自分の企業の始末はすべて子会社か政府か、はした金で飼い慣らしたNPOにおしつけておいて、もっと減税とはよく言うと思う。

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10/14 安倍と菅義偉の放送局ジャック

政権と、歴代「改革派」宰相にごますりねずみの菅義偉(旧宮沢派)総務相が、NHKの短波放送に北朝鮮の拉致問題のプロパガンダをせよと政府に命令させるらしい。これには自民党の中からも問題視する声が挙がっている。

政府が公共放送に放送を命令する権限は、地震や戦争、あるいは先の大戦のときのように戦争をやめるときなどに最低限必要だと思うが、政治的主張には用いるべきではないだろう。拉致問題の特番は安倍晋三事務所が得意なマスコミ対策で要請すればいいことではないか。きちんとネタを提供する手はずを整えておけばやってくれるだろう。

拉致問題の国際宣伝をする必要があるにしても、それは放送局が独自に取材して、ドキュメンタリー番組をつくる場合においてだ。日本政府のプロパガンダ放送を流しても、見る人がどのくらいいるのだろうか。また海外で政治的影響力をつくる場合に、短波放送ってどれくらい意味があるのだろうか。せっかく小泉政権で磨き上げたPRのテクニックも、こんな権力的なやり方でやれば逆効果ではないのか。

また、こうして政治介入の意図ありありのことが表沙汰になってしまって、かえって拉致問題が放送しにくくなってしまったのではないか。放送局が自主的に取り上げても、どうせ放送局の社員の不祥事かなんかのネタと引き換えに政権に圧力がかけられたのだろう、と色眼鏡で見てしまう。

安倍晋三事務所は、自分たちに都合の悪い報道内容には、執拗に質問状や抗議文を送りつけるらしい(東京新聞記事)。政治家ってマスコミに批判されてなんぼの仕事でもある。戦前の暗黒社会に戻すのではないかという疑惑がつきまとう安倍首相のイメージアップのためには、放送局に権力を使ったり圧力をかけるのはやめるべきだろう。

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10/13 財政赤字を埋めるべきときに法人税だけ減税大盤振る舞い

経済財政諮問会議が開かれ、どうも法人税減税がまとまったらしい。財源については何も言及していない。
満足な情報公開もされない年金財政改革の議論で、政府・与党は問題点を指摘した野党側に財源の裏付けがないというレッテルを貼りまくったが、自分たちの仲間には財源の根拠もなく大盤振る舞いをする。世界でも相当に安い法人税をさらに下げるというとんちんかんな政策が決断されようとしている。企業の政治献金の規制を緩和しようということとの裏返しの取引か。

以前、小さな政府論は財政赤字を拡大する、と書いたことがあったが本当にそうなりそうだ。年金や社会保障の財源がないから行政のリストラをします、福祉や公共事業の切り下げを行います、国民のみなさんご協力ください、というのが増税論の谷垣・与謝野を斥けた小泉→安倍政権の主張だったはず。それで節約できる税金なんて高がしれているが、それでも財政の建て直しか高齢化による施策に使われるのだろうと思っていた。しかし、結果は法人税の減税。何のための政府支出の見直しなのか全くわからない。また法人税さえ下げれば活力ある社会がやってくるという発想も安直だし公明党ばりのバラマキ政策だ。税金が高いから日本で仕事したくない、という生産性の低い企業など出ていってもらった方がいい。
ほんとうに努力したい企業にとっては、きちんと税金を取られても、公教育の再建なり、労働と両立できる福祉サービスや、安定した労使慣行を確立することに価値をおくのではないか。

一昨日、景気回復が進んでいるが多くの人には実感がない、というニュースが伝えられた。景気回復による成果が所得や家計に全然回っていない。企業が内部留保を蓄積させているだけ。
その上法人税がさらに下げられれば、給料を払って税金を下げるというインセンティブもなくなり、今まで以上に企業が内部留保を蓄えるし、当然、景気回復の成果が個人所得・家計に回りにくくなる。また、景気が上昇しているときには、これまでの景気を下支えした財政赤字を埋め合わせ、さらには次の景気下降に備えて、政府部門が内部蓄積(借金返済)をしておくべきタイミングではないか。自然に景気が上がっているのに、さらに減税して財政の穴を広げて景気を過熱させることの意味がわからない。減税は景気下降局面で行うべきだろう。

その後には、労働ピックバンと称することもやるらしい。これ以上の労働者保護の撤廃が進み、法人が蓄積する富に使われる人、法人が蓄積した富を使う人との明確な固定化が進むんじゃないかと思う。豊かだけども人を騙すぐらいしか努力する希望のない社会がやってくるのかな。今朝の朝日で労働市場の規制緩和を訴えている学者の寄稿を読んだけど、食うや食わずの非正規雇用労働者のことを「それでも仕事があっただけありがたいと思え」式の主張で問題をすり替えていて、まるで野麦峠の時代。いつからこんなに低レベルな資本主義国になったのだろうかと思った。

●今回の北朝鮮の核開発危機に、反米に重きを置く多くの左派系の人々の間でも、おおむね北朝鮮の行動を非難し、一定の経済制裁に容認的な態度を見せている。
しかし、一部にはわけのわからないねじくれたことを考える人もいる。例えば、「世に倦む日々」というブログが、「1941年の対日石油禁輸措置 - 米国は二国間協議を決断せよ」と論じている。対日石油禁輸措置が日米開戦につながったことになぞらえて、米国が北朝鮮包囲網を解除して北朝鮮が望む二国間協議をすべき、というものである。
この歴史観は、首相になる前に安倍晋三氏やその右翼ブレーンたちが公言していた、戦争犯罪免責論と共通認識である。戦争や核での恫喝は絶対良くない、という立場が、靖国参拝を否定する論理であり、戦争犯罪者を受け入れてきた論理であり、世界に普遍性をもってきた反核運動の論理だろう。
盗人にも五分の理みたいな話で、左翼の中には北朝鮮の核武装に寛容的な考え方を言う一部の人たちがいる(今はこそこそと)。それはインドやパキスタンを差別するダブルスタンダードで間違いな考え方だと思う。核開発を放免するなら反核運動なんか二度と門をくぐらせたくない。軍国日本が国連脱退をして対米、対ソの二国間協議で問題解決を図ろうと暴走していった歴史をふりかえれば、北朝鮮が6者協議という多国間協議のテーブルに戻り、核放棄をするまで、手を尽くさなくてはならない。
北朝鮮というのは、軍国日本の現代版ジオラマみたいな国である。その国に対する評価というのは、戦前日本に対する評価だと心しなければならない。

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2006.10.12

10/12 国のおっぱい指導見直しへ

厚生労働省が保健行政を通して離乳指導をしているが、「5ヵ月離乳」を見直し、6ヵ月とする検討に着手している。そのほか、生後3ヵ月ぐらいから果汁を与えよ、という母子手帳の記述削除や、出産後の産婦人科での母子同室などの推進も検討されるという。

離乳時期を5ヵ月を6ヵ月にすることに意味があるとは思えない。10歳超えてもお乳を与えている国もあるし、授乳は月経再開を遅らせる(子宮への負担を軽減できる)効果もあることから、もっと後で離乳した方がいいという考え方もある。
一方、母乳がどうしても出なくて、あるいは出せなくなってしまって、早くから粉ミルクを使っている人もいる。少子化と孤立で育児不安の瀬戸際を歩いている今の親たちに、べきだ論を過剰に押しつけて、その通りにならないからと「問題ある子育て」かのような扱いをすることはどうかと思う。母乳を通して母体を尊重する考え方が普及することはいいことだと思うが、それが非科学的なモラリズムや、性的役割分業論に結びつける考え方、父子家庭の子に対する差別の土壌作りになることには十分警戒しなければならない。

かつては母乳を与えない子はぐれるみたいなことをいう似非科学者もいたけども、今では公的機関でそんなこと言う人はほとんどいなくなった。結局どうだっけ。こういうことは証明できなさそうだけども。非行になる因子っていろいろありすぎて、母乳だけでの相関関係など出るわけがないと思うし、非行少年たちが赤ちゃんの頃の生活環境や育児環境と、今の育児環境は全然違うから、その相関関係が出たとしても必ず役に立つとは思えない。
母乳を与えた方が免疫形成にはいいけども、子どもの衛生管理が発達し(すぎ)て、母乳でないから大きな不都合があるという話にはならないと思う。「母乳ならタダだしええやん」と言い切った同僚(母親)のような機会主義的な態度が結局正しいと言えるのではないか。

また、近年の研究では、咀嚼能力の発達しない早期に離乳食を食べさせることがアレルギーの原因じゃないかという考えもあるらしい。とくに3ヵ月で果汁を与えることはほんとうに良くないらしくてアメリカの母子保健の指針では絶対に6ヵ月までは果汁を与えてはならないとなっているらしい。私自身も果物によっては口の中が痒くなるものもあるので、それは実感する。

そうしたいくつかの考え方に触れて市の3ヶ月検診に行くと、「なぜ果汁を与えない」「離乳食を覚えなさい」と指針の通りに問いつめてくるので、無意味だしそれ以外にもほんとうに嫌な思いをしたので、それ以後無視している。

そもそも子どもの育ちは千差万別で、おおむねこうだ、ということしか言えない。何ヶ月でこう、何ヶ月でこう、というマニュアル化は、子どもを見ないで耳学問で子どもを育てよ、という指導になってしまうのではないか。母乳の与え方については、子どもの状況、その家庭のおかれた社会的環境、母体の母乳供給能力で、総合的に判断して考えるべきだろうし、初乳指導がきちんとできれば、あとはその家庭家庭で、その条件にもとづいて自然に母乳が与えられ、自然に離乳していくのではないだろうか。

そういう意味で、母子保健指導に関するこうした指針について、今回の見直しをきっかけに、科学的根拠に基づかないものや、科学的詰めにまだ余地のあるものについては、各自治体で柔軟に取り扱うことができるような内容に見直してほしい。

※母乳に関しては、検索で面白いほどいろいろな資料が出てきます。みなさんでそれぞれお読みになってご確認ください。

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10/12 朽ちていく命

NHK東海村臨界事故取材班「朽ちていった命 被爆治療83日間の記録」(新潮文庫)を読む。NHKスペシャルの番組の内容とその取材記録を文字に起こした本。

人類文明の歴史の中で、20回しか発生していない臨界事故による被爆で、患者・その家族・医療が全く未知の分野の治療を尽くした記録で、原子力事故の気味悪さ、生命倫理などいろいろ考えさせられた。
折しも、北朝鮮の核実験と同時期に読んだだけに、その点でもいろいろ考えるものがあった。

被爆して細胞の再生能力を失いながら83日間生き続けた大内さんの検死解剖では、筋肉細胞がほとど壊れていた中、心臓の筋肉だけがきれいだったということが印象だった。

知り合いの市議(朝霞ではありません)さんから、がんになった原子力技術者が退職後、原子力発電の現場について報告している講演録を紹介されました。核廃棄物についての問題は知っていたものの、原発の運転維持にこんなにも無駄な労力を払っているのか教えていただき、とっても衝撃的な内容でした。

原発がどんなものか知ってほしい

あと、北朝鮮の核開発について、何について能力がある、ないという議論が焦点になっている。原水禁の「原水禁ニュース」の「核問題入門第6回」がシロウトにもわかりやすくて参考になる。もっと役に立つ高校物理に出会いたかったなぁ。その他、原水禁HPには核兵器の政治的意味や各国の開発状況について十分に資料化されていている。

●先日、選挙の相談に来ていただいた仲間と話していて思い出したことだけど、90年代中盤からの日本の市民活動が公認されるステップとして、85年チェルノブイリ原発事故を契機とした反原発運動(市民運動が平和運動や左翼運動、労組の資金と動員力から自立して勝手にかたちを創っていった)、89年のおたかさんブーム(自民党の配慮の政治とは違う自分たちが創る社会モデルが必要なんじゃないかという意識を表に出した)、95年の阪神大震災(個々の自発的な活動が公的な価値を持つということを明らかにした)の3ステップがあったなぁと思った。たまたま和田春樹東大名誉教授と話したときに、ソ連のペレストロイカや東欧政策の変更もチェルノブイリ原発事故を契機とした情報公開要求に起点があるということで、反原発運動というのは、その運動成果は評価が別れるにしても、全共闘運動以上に戦後の市民社会の変化の大きな転換点として評価されるべきではないかと思っている。
それにしても、最近、書店のNPO関連本の半分は、「起業」という言葉と混ぜて安っぽい金儲けのツールみたいに語られている。公的な価値を創りながら金儲けできればそれに越したことがないのだろうけど、どうしてこんなになっちゃったんだろ。そしてNPOにどうして金儲けが期待されてしまうようになってしまったのだろう。

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10/11 家宅捜索5周年

地域福祉計画の推進委員会があった。
もういちどゼロベースで検討を再開した障害者の社会参加の場づくりについて議論が行われる。福祉オンブズマンの創設についての議論の着手がされる。

●今日は、自分の職場に東京地検特捜部が家宅捜索に入って5年目。ふりかえりの学習会があった。この事件は自分の人生にとっても大きな転機だったと思う。つまらない金銭スキャンダルの当事者が仲間割れでマスコミに内部告発した幕開けだった。
状況としては小泉政権が始まった途端に入ってきた検察。同時並行で、ニューヨークの世界貿易センタービルへの航空機突入と崩壊、民主党が旧民主の持つ社民連的な価値観からネオコン体質にぐいっと進んだ時期。この頃は価値観の変化がいろいろあった一年だった。

この経験があって、佐藤優さんや、山本譲司さんの思いが素直に聞ける自分があると思う。
今も北朝鮮の「核実験実施」でいろいろな価値観が変わって、また世の中が動いていくのだろう。

●そんな職場の事件を振り返りながら、昨年の衆議院選挙で自民党のPRを支援したフラップジャパンの社長矢島尚さんの「好かれる方法」を読む。何もかも広報ビジネスにするPR会社の仕事にうんざりするような思いで読みながら、コンテンツしか考えない風土について改めて考えさせられる。

著者はいちはやくPR会社との連携をしながら選挙で敗北した民主党がその敗北の理由として、

選挙からずいぶん経ってから、この問題について再度考えさせられる機会がありました。2006年1月に都内のあるところで開かれた、民主党岡田克也元代表の講演会のことです。「小泉後の政治」と題されたこの講演会は、広報・PR関係者を対象にしたものでした(中略)。質問の答えで大変印象に残ったことがありました。岡田元代表のこういう発言でした。 「私は、政治に一番大事なことは、政策だと思う。政治の一番基にあるものこそ訴えないと、コミュニケーションというのは手段であって、目標ではない」 私はこの発言を聞いて、民主党の敗因を明確に知った気がしました。(中略) 自分を好きになってほしい、という思いを発信せずに、「でもついてきてほしい。投票してほしい」というのは無理な話ではないでしょうか。
と的確なことを言う。 岡田さんは堅物だから、そうなんだろうなぁ、と思うが、他の民主党議員はどうか、というとこれまた同じような誤解をしている。必ずしも民主党の議員が政策第一の行動を取っているとは思わないが、コミュニケーションというのを忘却の彼方においやっていることこそ、民主党が信頼感を勝ち取れない最大の要因だと思う。 最近は聞かなくなったが「政権担当能力」という言葉を乱用し、実感のある政策を打ち出させない寮雲会(前原派)や塾出身者右派議員の独善も、そんなものだろう。 本社としての営業戦略がめちゃくちゃで、その埋め合わせを、どんな選挙区でも2回で小選挙区勝利しなければ公認剥奪する、という個々の議員の努力に押しつけているだけで、党として全体的な支持率の底上げをどうするかという戦略は全くない。旧社会党が常時キープしていた支持率15%切っても平然としている。 鳩山氏や菅氏も、思いつきのような政策や運動論をよく打ち上げるが、これも同じような誤解があると思う。国民はどっちらけで、寒い風が吹いていたりする。 小沢党首の論理は、「それで票になるのか」という価値判断。それだけで共謀罪も教育基本法改正も潰す方向で動いている。そのことはほんとうにいいことだと思う。難を言うと、それでもその票のカウントの仕方が前時代的な感覚なので、業界団体と取引しているようなイメージがなかなかぬぐえない。

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2006.10.10

10/10 「正当」な子の意味

向井亜紀氏が代理出産をアメリカで敢行して、出生届が受理されないということで、戸籍法や地方自治法上で興味深い論争になっている。また、法務省とは別の立場から、向井氏がアメリカの低所得者に出産させたことや、子どもがなければ家庭じゃないか否か、というモラルを考える上で興味深い議論もある。
が、まず考えるべきは親を選べなかった子どもの不利益だろう。子どもが不利益を被らない現実をまずつくってから、親のモラルの問題について議論してもらいたい。

同じことが、未入籍の親から生まれた子や離婚家庭の子へのとんでもない社会的差別、社会的待遇の悪さを放置し、棚に上げ、親のモラルについて言い募る社会風土にも言える。
親のモラルについてあれこれいい募る前に、まずそんな議論を楽しんでいるあんたがその子どもに最善の環境を用意してやれよ、と思う。モラル言い募り派の連中には、そんな親のもとに生まれてしまった子どもには何か責任があるのですか、と聞いてみたい。その子は不幸にならなくてはならないのですか、と。

向井氏の行動についてはいろいろ議論の余地があるが、せめて生まれた子には不利益にならないような社会が必要だと思う。

逆に、一方、大阪・茨木や青森・五所川原の監禁魔、六本木外国人ホステスバラバラ事件の犯人みたいな連中は監禁場所となった家を親が何に使っているのか疑問も挟まず提供しているという現実からも、親に原因の一端がある。こういうときには、子どもの不始末について親は言い募られなくてはならないだろうし、一定の社会的制裁を逃れられないだろう。

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10/10 年金族議員は責任取らないのか

志木駅、朝霞台駅周辺でたばこを吸っている馬鹿がまだ減らない。1回通るだけで2~3人は吸っている。ものの15分でも徹底的に取り締まれば、職員1人分の給料ぐらい稼げる。
条例で市役所の職員等が指導し取り締まるとしていたが、そんな職員見たことがない。こういうことは全く何もしない。行政の怠慢である。抗議が必要かも。

●東武動物公園の「カバ園長」こと西山初代園長が亡くなる。テレビで見たことしかないが面白い人だった。開園当初、西山園長はそれまで動物園の職場長として当たり前だと思っていたのか徒弟社会のような接し方で職員を扱っていたら、東武鉄道はじめグループ企業から出向・転籍した職員たちが反発、労使紛争になりかけたことがあったなぁ、と思い出した。

●「ニッポンが危ない」を一部見る。年金がもらえるか心配を政治家とタレントが大激論。社会保険庁職員を全員クビにすれば解決するというような、まったく因果関係のない議論を与党政治家とタレントがしていた。教育改革でも、年金改革でも、最近の与党は国民の妬みみたないものにつけいって、政策効果が全く無い荒療治ばかり打ち上げる。
年金が危なくなった理由は①過去の負担者が大した保険料(率や制度移行での様々な免除制度など)払ってきてもないのに、その人たちへの年金を上げ続けたこと、これは政治家の責任。②政治家(与党も野党も)たちが制度設計しまとめる能力がないくせに、具体の運用面では役所が決めず年金保険料も給付額も国会決議つまり金権政治家たちの合意を必要としたこと、これは厚生労働省本庁役人と政治家の共同責任。③年金財政予測のパラメーターである出生率の低下ということになるが、子育てについて精神論ばかりたたかわせて、セーフティーネットや社会保障としての子育てについて全く考えてこなかった文化人や政治家の責任だと思う。
社会保険庁職員には、個々の年金が宙に浮いたとか、年金未納状況の盗み見など、それなりの懲罰の必要な問題があるものの、それは年金不安に対する責任と混同すべきではないだろう。収納率アップで不正があって、どうよしようもない組織だ、と批判されるが、年金制度が社会に追いついた改革をしていないのに、収納率だけ上げるなんて無理だし、現実的には2万人の職員が全国何百万人もいる未納者からお金を取り立てることなど不可能だ。サラ金の職員数や取り立て実績と比べれば無理だということはよくわかる。まさか「営業は根性」とか言うつもりだろうか。そう思っているなら宋文洲様に皮肉られたらいい。
そういう環境の中でノルマ達成しなければ、ねんきん事業財団移行時にクビにするというのだから、やれる手段は何でもやるだろう。ノルマ未達は、昇給査定や昇格査定で厳しい結果にするというぐらいなら、社会保険庁職員もそこまで無理はしなかっただろう。組織改革時のクビをちらつかせたことがこんなことになっているのではないか。やらなければクビだと言われて、それが殺人や他人に危害を加える行為でもなければ、多くのサラリーマンはルール違反を躊躇するだろうか。
社会保険庁職員を全員クビにするなら、もっと責任のある厚生労働省年金局のキャリア官僚の解雇や、年金族の政治家の引退を迫るべきではないだろうか。肝心な人が処分されていない気がする。運用金から無駄な年金施設を地元に誘導して儲けた政治家、儲けさせた高級官僚は今、涼しい顔をしている。
これまで社会保険庁職員バッシングを猛烈にやってきた長妻昭代議士(民主党)が、今回は割と現実的なことを発言していた。国税との統合による社会保険庁解体案を出してきた。旧民主時代からの持論だと思うが、未来志向だし、現実的な改革だと思う。

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2006.10.09

10/9 選挙区割りで既得権益にしがみつく県議会会派

市町村合併が進んで、最近はその二次的問題があちこちに出始めているが、衆議院議員や県議会議員の選挙区割りがその1つ。

選挙区割りは市区と郡を単位に組み合わせてつくられているが、市町村合併では同じ郡の一部の町村だけが合併したり、市に統合したりした。その結果、同じ市なのに選挙区が2つ3つにまたがる市が出てきて、扱いが注目されている。

埼玉県も選挙区割りの見直しの作業をしているが、同じ市で選挙区が別れている区をめぐって、今までの選挙区を維持して定数是正を行うべきという自民党と地方主権の会(旧新進党系民主)と、同じ市は同じ選挙区にすることを基本に定数是正を行うべきとする民主(旧民主党系民主)と公明、共産が対立している。

公職選挙法は市郡で構成するとしており、飛び地でもない限り、これを分割するのはそもそもおかしい。有権者に対しても旧自治体で選挙区が違うというのは、シロウトの選挙参加を妨害する1つのわかりにくさになる。また、県は市は市として見ていて、旧市町村別に対応しているわけではない。そういったことから、自民党と地方主権の会の方針は今いる議員の既得権益に手をつけたくないということだろう。とくにしがらみ一掃という候補が多い地方主権の会がそうした自分たちの既得権益にしがみつくのが理解できない。

●テレビ東京「カンブリア宮殿」で「ここが変だよ日本の営業」の著者、宋文洲さんがゲストだというので見る。なかなか面白い。
どうでもいいことだが、CMのみずほ銀行の新社会人向けの広告で、坂道で自転車の暴走運転をするシーンがあるのが気になる。新社会人をいかにも小さくまとまっちゃったような映像でまとめているのも、気になる。

●社会党衆議院議員だった島田琢郎さんが亡くなる。旧北海道5区という鈴木宗男氏と同じ選挙区で5議席中、社会党が3議席を取ることがしばしばあった選挙区の議員。今年は旧社会党の元議員が次々に亡くなる。

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10/9 地下核実験をいろいろ考える

北朝鮮が地下核実験を行う。情けない話だ。それについて主張はあるけど、多くの人と同じなので、省略する。そのまわりにいろいろ考えさせられることがある。

安倍首相が中国・韓国との関係改善で訪問中というタイミングでぶっ放すというのは、何らかの計算があるのだろう。北朝鮮との融和政策に取り組んできた韓国廬大統領が、たった数時間後の首脳会談にむけて政策の方向転換を行い、言葉を考えなくてはならなかったのではないかと考えると、一番大変だったかも知れない。安倍氏のコメントはミサイル防衛システムの導入以外は抑制的だったのが印象深い。

また日本の新聞は、あすが朝刊休刊日で、あすの夕刊まで出てこない。新聞社のHPで文字情報はあるものの、日本の世論は扇情的なテレビの報道が形成していくわけで、そこまで北朝鮮が計算してやったのだとすれば、脅かしの効果は最大限に発揮されている。

反応が早かったのが社民党だった。「北東アジアの非核地帯化」とわざわざ入れているのが「アメリカの核が無くならない限り核武装はやめない」という北朝鮮の言い分と紙一重だが。
この流れだと、インド、パキスタンのときのように、朝鮮総連本部前などそれなりの場所で抗議行動をきちんとやってくれるものだと思う。ただし、過去の北朝鮮との関わりををきっちり表に出して総括しないと、多くの人からの社民党への嫌悪感、不信感はまずぬぐえないだろう。また北朝鮮拉致被害者が、北朝鮮にパイプがあるからと最初に門を叩いたのが社会党だったのに、不誠実に対応してしまった事情も明確にすべきだろう。
昭和10年代の日本をそのままパワーアップしたような北朝鮮を擁護するような輩が、日本の社会主義の代表の顔をしていたことに、日本での社会民主主義が不当に評価が低い現状のおおもとと言える。
国としての北朝鮮と国交樹立をめざす考えは容認されなくてはならないと思うが、鎌倉孝夫元埼大教授のように北朝鮮のイデオロギーの販売元になった党員や、謀略機関に便宜を図るような人とは、社民党は断固とした絶縁を図るべきだと思う。関係なくなったと言いながら、明確に否定されたコメントは聞かない。過去のずぶずぶの時代の全貌も明らかにされていない。対外的な信用を回復するためには、残念だが全党員調査みたいなことをして必要に応じて統制委員会にかけて整理をしていくぐらいしないと難しいだろう。

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2006.10.08

10/7 羽生市のタクシー会社、免許返納者に1割引

●羽生市のタクシー会社は、運転免許を返納した人のタクシー料金を割り引くサービスを始める。
警察に運転免許を返納して、その証明をもらえる制度がある。その証明書を見せれば割り引くというもの。高齢者のドライバーは、自覚する運転能力の低下や、家族の諫言で運転をやめたいと思いながらも、実際にこれまでマイカー利用して生活してきた便利さを捨てることはなかなか難しい。マイカーをやめることの支援策もインセンティブもきっかけづくりもされないのでは、そういうことになる。そして、下手すると高齢者ドライバーの事故という結果になる。
羽生市のタクシー会社はいいことしたと思う。
全国的にタクシー会社の経営が厳しくなり、景気回復とともに変わり映えしない営業をしているタクシー会社ならドライバー確保も難しくなるだろう。高松市の子育てタクシーにしても、羽生市のこの取り組みにしても、どうしてもタクシーを使わざるを得なくなる上得意に何らかの手を打つことは有効だと思う。そういう営みの向こう側に、脱マイカー→バスやタクシーへの利用者のシフトが起こるのではないか。

余談だが、首都圏に住んでいると、タクシー利用の敷居が高い感じがしてならない。
タクシー代が高いとか安いとかいうのではなく、ドライバーの流動性が高いので運転手に道を教えてあげないと目的地に着かないとか、うっかり会社を選ばずに乗るとたばこ臭くて服にも鞄にも髪にも煙の臭いがついてしまうとか、利用するには結構ストレスがかかる。子育てとか高齢者などことを専門的に対応していくことはそういう面でも、敷居を低くするためにいい効果が生まれるのではないかと思う。

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2006.10.07

10/6 無理に戦後体制を否定しなくても

友人が議員の選挙に出ることになって、前からいろいろ話をしたいと思ったので自宅に来ていただいて気持ちなどを聞く。所属する党派がそれまで出してきた属性と違う初の候補になるので、考えたりやらなくてはならないことがたくさんあるということだった。

しらみ潰しの運動が得意な政党なので、どうしても運動を早く着手したいと焦っている。でも、商品戦略ではないが、入れたい候補者として有権者にノミネートしてもらうためには、焦って刷り物を作ったり、HPを開く前に、候補としての売り、話題性、有権者に浸透させていく政策、他候補との差異性、地域住民のプライドがどこにあるのか、をまとめた方がいいと助言。営業戦略は若干の追加や見直しが必要になりそうだったが、最近関わった他の選挙よりずっと良い。商品戦略さえきちんとできれば大丈夫だと思う。

●安倍首相の答弁がふらついている。昨日は、中道よりになってそれは歓迎すると書いたが、今日は、東京裁判の結果についてだけだが、国内法によらないものだったという答弁。暗に日本人としては正当性を受け入れていないんだと言うような姿勢を見せている。
では、安倍首相は死刑になった戦争犯罪者が連合国に虐殺されたと解釈するのか。連合国が一方的に虐殺したことになるのだろうか。占領下であることなど特殊な事情や国際法で戦勝国としてやっていいことがいろいろあるのだろうけど、これはヤルタ・ポツダム体制の否定になり、これは「日米同盟」に問題をつくるのではないか。またイラク戦争でのフセイン大統領の言い分に一理を認めることにもなる。

戦後世代の政治家の多くは、戦後を揶揄してばっかりだけども、戦後体制というのは、戦争の敗北と占領という右翼と日本共産党からみると「屈辱的な」出自を持ちながらも、後世高く評価される時代になるに違いない。いつかは戦後体制は変わることがあるかも知れないが、戦後体制を否定することを自己目的化することは、無駄な議論だ。

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2006.10.06

10/5 英国・スウェーデンの保守政党に注目

西欧保守政党の変化の胎動を感じるニュースが2つある。1回の中断をはさんで社民党政権が70年続いたスウェーデンで、政権を獲得した保守政権と、イギリス保守党。両党とも、これまでは小さな政府路線だったが、やや左翼よりに軌道修正して、先進国にふさわしい十分な福祉を認めながら、法人減税などを通して若年者雇用の拡大を図る政策に転換したというもの。職業訓練と称する潜在的失業に対する問題意識があるようだ。職業訓練は必要だと思うが、両国で選挙の争点になるのは、日本でいうところの仮面大学院生のニートみたいなものなのだろうか。保守政党が高福祉の前提を認めた場合、どのような政策展開になるのか、特に若年者雇用については注目できる。

イギリス労働党やドイツ社民党が小さな政府志向の路線を迷いながら歩き、社会民主主義的な新しさに打ち出すのに四苦八苦している状況と対照的な状況である。

また、もとが日本と違って大きな政府だったので、社民主義政党側も、保守主義政党側もいろいろ工夫する余地があるのだろう。
日本のように官僚や本庁部門の公務員の裁量権限が大きいのに、財政規模や公務員・準公務員数、社会資源の再配分機能で小さな政府の場合、小さな政府と叫んでも大きな政府と(迫害されるのでこっそり)叫んでも、とんちんかんな処方箋になってしまう。

●TBSアナウンサーと民主党若手議員の不倫問題で、大した話題にならないとなると、今度は不倫旅行で使った切符が無料パスかどうかと詮索に熱を上げるマスコミ。不倫旅行に無料パス使ったかどうかなんて小学生の学級会での遠足のおやつの議論レベルだ。JRの無料パスがダメで、もっともっとコストの高い公用車の乱用が全然問題ならないというのも変。有名人の不倫をあれこれ言うのもどうかと思うが、どうせ不倫報道するにしてももっと不倫の本質に差し迫る報道であってほしい。今回の騒ぎ方は女キャスター界と若手政治家の足のひっぱりあいのエサにしか見えない。

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2006.10.05

10/5 タカがハトになるか爪を隠すか

あす、マンションの管理会社と管理組合総会の議案づくりをするが、そのためのたたき台になる文書を家事の間に作る。その中で大きなものは、管理組合の支出権限や手順を明確にするための規則案と、防火計画案。半年間の理事会の議論の結果をまとめていく。支出権限の規則案は、管理会社が管理組合を自由に指導できなくなるので嫌がる議案。申し訳ないと思いながら、管理組合の信頼を維持するためには少し厳しくやっていくしかないと自分を言い聞かせてまとめる。

●安倍首相の平和・外交問題についての国会答弁は、これまでの安倍氏の発言より軌道修正がかかっている。いくつかの点で常識的な解釈にたどりついていないとはいえ、従軍慰安婦、中国政策、祖父岸信介氏への戦争犯罪への認識、村山談話への解釈など、明らかにこれまでの安倍氏の発言とは異なり注目に値する。また、北朝鮮拉致被害者の解放にも、軌道修正は有益だろう。
これまで発言の勇ましさに安倍氏を礼賛してきた「ネットウヨ」たちには少し寂しい結果かも知れない。安倍氏が方便としての軌道修正なのか、本当の軌道修正なのか、中国とのトップ会談の結果で見えてくると思う。
後者であれば長期政権になったり、「名君」の評価を勝ち得る可能性は高い。土屋埼玉県知事や、穂坂志木市長は、首長になるまでどうしようもない右翼議員と評価されてきたが、首長になるやいなや国家観はともかくとして、DVや児童虐待に積極的に対応するようになったり、障害児や障害者の権利性に着目した政策に着手したり、左翼政党が得意だった政策を彼らは前進させた。
かといって、冒険的な教育政策や雇用政策、無意味な社会保険庁バッシングが方向転換するとは思いにくい。私はそちらの方が困ったものだと思っている。

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2006.10.03

10/3 続再チャレンジなるものの正体

以前のブログ記事で、自民党総裁選の安倍陣営が打ち上げた「再チャレンジ」なるものの正体は、経営者にとって都合のよい雇用の流動化にあるのではないか、と懸念をしたが、やはり本当だったようだ。あちこちで再チャレンジというものに中身がないとさんざんコケにされているので、中身の検証がほとんどされていないが、小泉時代よりさらに悪い色が出てくる可能性がある。

定数4人の経済財政諮問会議の民間委員に選ばれた八代尚宏氏のインタビューが今朝の朝日新聞に掲載された。見出しは「この人に聞きたい安倍新体制 基礎年金全額消費税で賄え」となっていて、その中で「安倍首相の説く再チャレンジ支援策にはどう取り組みますか」という質問に

中心は労働市場の流動化だ。正社員の身分を持ったものだけが雇用が守られるというのは一種の身分社会。非正規社員を正社員に転換する制度を導入するなら、同時に正規社員の過度な雇用保障も見直すべきだ。雇用制度を弾力的にしておく方が、全体として雇用は増加する。企業も安心して正社員を雇える。

と答えている。
「正規社員の過度な雇用保障」って何だろうか。我が国で、正規社員の過度な雇用保障なんて実体があるのだろうか。「雇用制度を弾力的」というのは、おそらくただで残業させる自由(現在議論中)、休暇剥奪の自由、賃下げの自由、解雇の自由(現在一部議論中)、ということだろう。そうでなければ「企業が安心」という理屈がわからない。非正規社員が困っていることを正規社員にも広げ、全ての労働者を経営者にいいように利用できるシステムにしようということだ。

また前々から八代氏は、雇用や社会保障が効率的になるために「市場が決めるべきだ」という論理しか展開したことがない。労働分野については、労働法の諸規制や労使の社会合意などを社会の効率性をそぐと言ってきたことから(本当は規制改革会議の議事録があれば八代氏のトンデモ発言は追いかけられるが、なぜか小泉政権以後作られてきていない)、労働者を守る公的なシステム、自主的なシステムを保障する法律や社会慣習そのものを壊そうという意図があるとみた方がいい。「正社員にしてやる」という甘言で、正社員になれた人たちを妬んでいる階層と、実社会で働いたこともない観念的な研究者や政治家志望の若者が飛びつく、羊頭狗肉の論理だろう。

一方、八代氏の主張の羊頭の部分、つまり非正規雇用を正規雇用にするようなことを言っているが、そんな強制力をどのように持たせるのか。残業させる自由や賃下げの自由、解雇の自由を規制できない社会で、非正規雇用を生活できるような正規雇用に転換させることなど不可能だ。それとも、とんでもない悪い労働条件を法律が認めるような社会になって、それを「正規雇用」と呼ぶのだろうか。

八代氏は、規制改革会議の議長を10年以上も務めた宮内氏の片腕として、雇用、福祉の市場原理による「改革」だけを提言してきた人物。他の3人の委員(御手洗冨士夫キヤノン会長、丹羽宇一郎伊藤忠商事会長、伊藤隆敏東大大学院教授)が専門分野がもっと別にあることから、安倍政権のもとで改革という言葉が使われれば、雇用に関しては八代氏のイデオロギーが色濃く出てくるものと考えられる。

仕事柄、雇用・労働関係のサイトをいくつか見るが、経営者よりの研究家も、雇用の流動化では生産性は上げにくいということを言っている。
私は、社畜型の人材養成は転換すべきだと思う。が、OA化とその後のIT化で仕事の前提となるシステムが複雑化しており、仕事の各現場でスキルやノウハウの蓄積が重要になっている。焼畑農業的な労働政策を取っている限りは、それらの蓄積が各現場でされなくなり、社会進歩があちこちで停滞することになるだろう。八代氏の議論は、労働力を買う売るという関係でしか捉えない、19世紀の経済モデルの議論だと思う。

八代氏の雇用政策を採用した場合の弊害はもう1つある。雇用政策がより流動的で市場原理的にしていくとなれば、労働運動も法律に定められた方法ではない合意を求めていくところが出てくるだろう。日本の労働運動はどんな左翼的組合でも、およそ職場を愛し、経営者側の要求にも応えてきた。それは法律や社会慣習で労使交渉とその結果が守られてきたからだと言える。しかし、そうした法の保護を外せば、今も暴君の支配する中小零細企業の労働運動であるように、経営者を屈服させるために労働者側の破れかぶれの抗戦が頻発する可能性がある。せっかくマルクスの予言を外してきた資本主義の進歩の歴史のねじを巻き戻すことになる。

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2006.10.02

10/2 連合はキッザニアにパビリオンを出せないか

同じ9時のNHKニュースでキッザニアが紹介されている。子どもが仕事や社会を疑似体験できるテーマパーク。子どもたちが社会を作り上げていく模擬体験「ミニミュンヘン」が各地の市民団体が取り組み始めているが、それを企業側が乗っ取って、大人が全部シナリオ用意して子どもに買い与えるようなもの。そしてそれぞれには企業スポンサーがついている。ミニミュンヘンと比べると、子どもの主体的な努力をどこかやっちゃっている感じがするが、でも安倍政権が改革の炎としてやろうとしている、屁にもならないイデオロギー教育よりは何万倍もましだとは思う。
キッザニアの社会には金儲けしかない。金になる仕事だけが価値だという誤解だろう。社会の縮図を教えるというなら、労働組合、NPO、町内会、生活協同組合などがあるべきだろう。とりわけ社会で働くことと密接に関わっている労働組合は必要だと思う。連合は今からでもスポンサーになって、キッザニアに労働組合パビリオンを出して貰うように取り組むべきじゃないか。
子どもたちに働くことや経済の基本的な原理を教える「レモンをお金にかえる法」という絵本がある。ここには起業も、労働組合も、価格交渉も出ていて、自分の身の守り方も教えずに忍従させることだけが社会体験のように教える今どきの日本人の常識とは違う、アメリカのプラグマティズムが全面展開されている。ほんとうに良書だと思う。

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10/2 狭い道路の事故は15年で65%増

NHKの9時のニュースで川口の保育園児への交通事故を受けて、「事故多発 住宅街に狭い道」という特集が組まれた。バブル以後、狭隘道路に自動車が異様に増えたと書いたが、やはり、幅員5.5m未満の道路の交通事故が15年で65%増と数字が示されていた。全体の交通事故は横ばいであることも考慮に入れるべきだろう。
そういう時代には、先日の朝日新聞「素粒子」を批判したが、ガードレールや歩道をつければいいというものでもない。私は狭い道への歩道設置には反対である。そもそものクルマが入りにくいつくりにしてほしい。

一方、表通りの歩道はどうだろうか。クルマの危険はないとは言わないけれど、ここで危険なのは、喫煙者と自転車。子どもを連れて歩いていると毎日何度も危ない目にあう。

今日から、朝霞・志木・新座・和光の歩道がすべて禁煙になり、駅周辺の指定区域で喫煙したら罰金を科せられるようになった。9月からのキャンペーンで吸っている人は相当減った。これだけでも条例に反対した市議が言っていた予測は外れ、効果があったと言える。が、それで喜ぶのもぬかよろこび、罰金制度がスタートした今日をもって吸っている馬鹿者がいる。そもそも条例では四市全域の道路上を禁煙としたことを周知しているのだろうか。今の多くの人の認識では駅周辺だけだと思いこんでいるし、そう誤解されるような幟やビラで啓発活動がされている。
駅周辺の歩道の喫煙の罰金は2000円でスタートしている。10人捕まえれば市職員の1日分の給料が出る。財政が厳しいばかり繰り返し、不透明な財政カットばかりやっているが、市はこうした罰金徴収の努力でもしたらどうだろうか。千代田区は罰金徴収を徹底したことで成果が上がった。一度でも罰金徴収を怠れば違法駐車のようになるだろう。今日は志木も朝霞台も市職員の姿は1人も見なかった。
歩道に接しているわずかばかりの民有地に足だけ入れて喫煙している姑息な馬鹿もいる。歩道に煙や火の害を無くすのが歩道上の禁煙の考え方だろう。禁煙とは煙のないことではないだろうか。こういうのもきちんと罰金を取ってほしい。

歩道の自転車・バイクも取り締まってほしい。
歩道上のバイクの走行・駐車はクルマ並みの厳格な取り締まるべき。
違法駐輪もひどい。新座市は通勤者の違法駐輪には目を光らせているけど他がゆるゆるで、新座市の税金で作られた駅前の歩道はパチンコ屋の駐輪場に成り下がっている。
ヘッドフォンで何かを聞きながら自転車を運転している馬鹿が目立つ。それに、傘を差しながら運転する者、少ないが携帯電話を使いながら運転する者もいる。これらの自転車ドライバーに子どもはよく轢かれそうになる。問題を放置している状態なら、事故に遭ったら道路の管理者を問題にしたい。
自転車とはいえ、事故を起こせば被害者を寝たきりにしてしまう。音は危険を察知する上で重要なのにイヤフォンで別の音を聞いているのは注意放棄だ。傘を使うのももってのほかだ。突風が吹いたり、前が見えなくなったりしたら事故を起こす。危険な目に遭う直前になったのは、傘を使いながらの自転車運転が一番多い。携帯電話にいたっては交通違反として対応してもらいたい。

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10/2 美しい我が国への挑戦

所信表明演説の質疑答弁が行われた。民主党の鳩山氏は、東京裁判のいわゆるA級戦犯への認識を質したが、それに対する首相の答弁は、先の大戦に対する責任の主体についてはさまざまな議論もあるので政府として確たる答えはしない、というもので、サンフランシスコ講話条約を反故にし、天皇の首を洗い直す暴挙ではないか。あるいは不起訴となった安倍氏の祖父岸信介氏の審査をやり直してもよい、ということなのだろうか。戦後改革を受け入れてきた美しい我が国の歴史に対して、アヘンの売人や死に損ないの戦争指導者を復権させようとする挑戦である。

また、安倍首相は、社会保険庁の改組問題を政治問題としてヒートアップさせている。スウェーデンなど年金改革に成功した国の事例と比較すると、年金制度も、特定の役所に配属されている職員についても、政治問題化することは好ましくない。
年金制度がおかしいというところから始まった議論は、社会保険庁叩きにすり替えられ、肝心の年金制度の再構築はどこか飛んでいってしまっている。社会保険庁を解体したって、改組したって、職員痛めつけたって、年金制度が良くなるわけではない。
年金制度を設計しているのは社会保険庁職員ではなく厚生労働省の本庁キャリア官僚たちである。そして、年金制度が歪むのは、保険料率1つ変えるのに金権政治家が跳梁跋扈する国会を通すからだ。金権政治家を説得するためには、おみやげを用意しなくてはならない。だから、誰かのお金である運用金でわけのわからない施設を作って利益誘導してやらなくてはならない。社会保険庁をスケープゴートにする前に、保守政治家たちの、おみやげ持ち帰り体質をなんとかすべきだ。
結果として、今も年金不安は消えていないし、。われわれ国民が払う年金ももらう年金も何の影響もなく、安倍氏の社会保険庁叩きでも不安は消えない。誰かにフラストレーションのはけ口をぶつけていることを煽っているだけである。

もう1つ。社民党議員と連んで社会保険庁叩きに熱心だったジャーナリストが、自治労批判にかこつけて全労済叩きをやろうとしている。労働組合の幹部に圧されて保険金詐欺を許してしまった全労済は善良な加入者を騙している組織、というキャンペーン。このジャーナリストが公的年金と民間共済を叩く動機はなんだろうか。アメリカが日本の公的年金の民営化と、県民・JA・全労済の3共済を潰したがっていることからひもとけば動機は明らかだ。記事も保険金詐欺をした当の本人のうちあけ話がニュースソースらしく、よく言うよという感じ。

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2006.10.01

10/1 誰のための支援か

借りっぱなしにしていたDVD「愛についてのキンゼイレポート」を観る。キンゼイ博士に、冷たい仕打ちをした当時のアメリカの人たちの言い分を聞いて、安倍首相と山谷えり子の性教育批判がいかに通俗道徳によりかかった愚劣な内容かを再確認する。

●秋田の子殺しの畠山鈴香容疑者の動機について、今朝の朝日新聞に書かれている。子どもに嫌悪感を持っていた畠山容疑者が、生活と育児の頼りにしていた父親が倒れ、収入が途絶えたのに介護をしなくてはならなくなったというもの。畠山容疑者について擁護するつもりはないが、セーフティーネットが機能していたらどうだったか、考えさせられる記事だった。

私が社会福祉の仕事を担当した最初の実習型学習会で、講師の先生からお題を出された。身体介護が必要な高齢者がいる家だが、家族はやる気を失っていて介護放棄状態。家の中でも洗っていないお皿が散らかり、お風呂はもうずっと洗っていない状態でお湯が腐っている、あなたならどういう介護をするか、介護計画を書きなさい、というものだ。
私を含めて参加者全員が、介護放棄になっている高齢者が生存できるためだけの介護計画だけを通常の介護計画よりパワーアップさせた内容でせっせと書いてしまった。しかしお題を出した先生は、家族に介護能力がないのでしょうか、介護に疲れているのですよね、本人への介護も大切でしょうが、家族の残っている介護力を引き出して、この高齢者の家族を大切に思う気持ちを引っ張り出してあげることが必要じゃないでしょうか、本人のためではないけど、お風呂を洗うことも1つの支援のアプローチじゃないか、とコメントをもらって、はっとしたことがある。

介護も、子育ても、闘病生活も、その人への力を貸してあげられる周囲の人たちの力をまず引っ張り出していく支援が必要なんだと気付かされた。

子どもに嫌悪感を持つ親を安易に非難する社会だが、当の親はともかくとしても、生まれてきた子どもは親を選べず何の罪もなく、生まれてきた子どもに悲しい思いをさせないように社会のフォローが行き届けば、と思う。しかし、安倍政権の家庭政策は、親がしっかりしろ、と国民に命令するか、命令するための退職教員たちをかき集めて「教えてやろう」と近寄ってくるだけ。さらには当の被害者の子どもには親を尊敬しろと言いかねない。むちゃくちゃだ。
余談だが、山谷えり子は関係が深いが、新興宗教のいくつかには、DVを受けた人に対して、配偶者がDVをしたのはあなたが悪い、だから相手の行いが変わるまで耐えろ、というトンデモ宗教がある。

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9/30 議員の報酬を下げよと叫ぶワルたち

愛知県の半田市議が札幌に出張に行ったのに、11人の市議が所定の会議に出席せず、観光に出かけたことが発端で、政務調査費の廃止を決めた。ところが、この廃止提案をしたのが、当の出張をさぼった市民クラブという会派だというから変な話だ。

全国的に議員の報酬は低ければ低いほどいい、ざまあみろ、みたいな論調がまかり通っている(確かに無駄な仕事ばかりしているし、交通事故の違反もみけしとかろくでもないことばっかりやっている人が多いからそうなっても仕方ないが)が、結果として、それがワイロ的な政治資金に依存した政界の体質になっている。出張をさぼって観光旅行した、半田市議会の市民クラブの議員たちにとっては、政務調査費なんて月数万のはした金がなくたって、口利きや公共事業の斡旋、県議や国会議員から流れてくる運動資金で取り返せるのだろう。そんな知多半島の地方議員の懐事情は久野統一郎さんが議員を辞めた経緯を書いた「政治家やめます」に書かれている。

ごく一部の土地持ちなどの例外はあるが(そんな裕福な人が政治家やる動機はあるのか、という次の疑問が湧いてくる)、つまり、言いにくいことしている議員ほど、報酬カットとか、政務調査費カットに前向きだと思ってよい。サラリーマンが市議に転身し、清貧にしていると、初任給ぐらいの手取りで暮らさなくてはならない貧乏生活が待っている。報酬引き下げは、野党系政治家に対する生活面からの弾圧に近い効果がある。

だから半田市の市民クラブは、率先して政務調査費の廃止を提案したので、決して反省してのものではない。
市民クラブ以外の議員はたまらないだろう。自分たちが観光旅行なんかしたわけではないし、市民クラブが市民に謝罪して歩いたわけでもないだろうに、市民クラブの行状について同じ半田市議として市民に批判をされ支持者に釈明したり謝ったりしただろう。それなのに犯人の市民クラブは市民ウケするようなことして、自分たちのかちとってきた経費の公費負担を取り上げられるのだから、ふんだり蹴ったりだ。

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