10/3 続再チャレンジなるものの正体
以前のブログ記事で、自民党総裁選の安倍陣営が打ち上げた「再チャレンジ」なるものの正体は、経営者にとって都合のよい雇用の流動化にあるのではないか、と懸念をしたが、やはり本当だったようだ。あちこちで再チャレンジというものに中身がないとさんざんコケにされているので、中身の検証がほとんどされていないが、小泉時代よりさらに悪い色が出てくる可能性がある。
定数4人の経済財政諮問会議の民間委員に選ばれた八代尚宏氏のインタビューが今朝の朝日新聞に掲載された。見出しは「この人に聞きたい安倍新体制 基礎年金全額消費税で賄え」となっていて、その中で「安倍首相の説く再チャレンジ支援策にはどう取り組みますか」という質問に
中心は労働市場の流動化だ。正社員の身分を持ったものだけが雇用が守られるというのは一種の身分社会。非正規社員を正社員に転換する制度を導入するなら、同時に正規社員の過度な雇用保障も見直すべきだ。雇用制度を弾力的にしておく方が、全体として雇用は増加する。企業も安心して正社員を雇える。
と答えている。
「正規社員の過度な雇用保障」って何だろうか。我が国で、正規社員の過度な雇用保障なんて実体があるのだろうか。「雇用制度を弾力的」というのは、おそらくただで残業させる自由(現在議論中)、休暇剥奪の自由、賃下げの自由、解雇の自由(現在一部議論中)、ということだろう。そうでなければ「企業が安心」という理屈がわからない。非正規社員が困っていることを正規社員にも広げ、全ての労働者を経営者にいいように利用できるシステムにしようということだ。
また前々から八代氏は、雇用や社会保障が効率的になるために「市場が決めるべきだ」という論理しか展開したことがない。労働分野については、労働法の諸規制や労使の社会合意などを社会の効率性をそぐと言ってきたことから(本当は規制改革会議の議事録があれば八代氏のトンデモ発言は追いかけられるが、なぜか小泉政権以後作られてきていない)、労働者を守る公的なシステム、自主的なシステムを保障する法律や社会慣習そのものを壊そうという意図があるとみた方がいい。「正社員にしてやる」という甘言で、正社員になれた人たちを妬んでいる階層と、実社会で働いたこともない観念的な研究者や政治家志望の若者が飛びつく、羊頭狗肉の論理だろう。
一方、八代氏の主張の羊頭の部分、つまり非正規雇用を正規雇用にするようなことを言っているが、そんな強制力をどのように持たせるのか。残業させる自由や賃下げの自由、解雇の自由を規制できない社会で、非正規雇用を生活できるような正規雇用に転換させることなど不可能だ。それとも、とんでもない悪い労働条件を法律が認めるような社会になって、それを「正規雇用」と呼ぶのだろうか。
八代氏は、規制改革会議の議長を10年以上も務めた宮内氏の片腕として、雇用、福祉の市場原理による「改革」だけを提言してきた人物。他の3人の委員(御手洗冨士夫キヤノン会長、丹羽宇一郎伊藤忠商事会長、伊藤隆敏東大大学院教授)が専門分野がもっと別にあることから、安倍政権のもとで改革という言葉が使われれば、雇用に関しては八代氏のイデオロギーが色濃く出てくるものと考えられる。
仕事柄、雇用・労働関係のサイトをいくつか見るが、経営者よりの研究家も、雇用の流動化では生産性は上げにくいということを言っている。
私は、社畜型の人材養成は転換すべきだと思う。が、OA化とその後のIT化で仕事の前提となるシステムが複雑化しており、仕事の各現場でスキルやノウハウの蓄積が重要になっている。焼畑農業的な労働政策を取っている限りは、それらの蓄積が各現場でされなくなり、社会進歩があちこちで停滞することになるだろう。八代氏の議論は、労働力を買う売るという関係でしか捉えない、19世紀の経済モデルの議論だと思う。
八代氏の雇用政策を採用した場合の弊害はもう1つある。雇用政策がより流動的で市場原理的にしていくとなれば、労働運動も法律に定められた方法ではない合意を求めていくところが出てくるだろう。日本の労働運動はどんな左翼的組合でも、およそ職場を愛し、経営者側の要求にも応えてきた。それは法律や社会慣習で労使交渉とその結果が守られてきたからだと言える。しかし、そうした法の保護を外せば、今も暴君の支配する中小零細企業の労働運動であるように、経営者を屈服させるために労働者側の破れかぶれの抗戦が頻発する可能性がある。せっかくマルクスの予言を外してきた資本主義の進歩の歴史のねじを巻き戻すことになる。
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