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2006.10.01

10/1 誰のための支援か

借りっぱなしにしていたDVD「愛についてのキンゼイレポート」を観る。キンゼイ博士に、冷たい仕打ちをした当時のアメリカの人たちの言い分を聞いて、安倍首相と山谷えり子の性教育批判がいかに通俗道徳によりかかった愚劣な内容かを再確認する。

●秋田の子殺しの畠山鈴香容疑者の動機について、今朝の朝日新聞に書かれている。子どもに嫌悪感を持っていた畠山容疑者が、生活と育児の頼りにしていた父親が倒れ、収入が途絶えたのに介護をしなくてはならなくなったというもの。畠山容疑者について擁護するつもりはないが、セーフティーネットが機能していたらどうだったか、考えさせられる記事だった。

私が社会福祉の仕事を担当した最初の実習型学習会で、講師の先生からお題を出された。身体介護が必要な高齢者がいる家だが、家族はやる気を失っていて介護放棄状態。家の中でも洗っていないお皿が散らかり、お風呂はもうずっと洗っていない状態でお湯が腐っている、あなたならどういう介護をするか、介護計画を書きなさい、というものだ。
私を含めて参加者全員が、介護放棄になっている高齢者が生存できるためだけの介護計画だけを通常の介護計画よりパワーアップさせた内容でせっせと書いてしまった。しかしお題を出した先生は、家族に介護能力がないのでしょうか、介護に疲れているのですよね、本人への介護も大切でしょうが、家族の残っている介護力を引き出して、この高齢者の家族を大切に思う気持ちを引っ張り出してあげることが必要じゃないでしょうか、本人のためではないけど、お風呂を洗うことも1つの支援のアプローチじゃないか、とコメントをもらって、はっとしたことがある。

介護も、子育ても、闘病生活も、その人への力を貸してあげられる周囲の人たちの力をまず引っ張り出していく支援が必要なんだと気付かされた。

子どもに嫌悪感を持つ親を安易に非難する社会だが、当の親はともかくとしても、生まれてきた子どもは親を選べず何の罪もなく、生まれてきた子どもに悲しい思いをさせないように社会のフォローが行き届けば、と思う。しかし、安倍政権の家庭政策は、親がしっかりしろ、と国民に命令するか、命令するための退職教員たちをかき集めて「教えてやろう」と近寄ってくるだけ。さらには当の被害者の子どもには親を尊敬しろと言いかねない。むちゃくちゃだ。
余談だが、山谷えり子は関係が深いが、新興宗教のいくつかには、DVを受けた人に対して、配偶者がDVをしたのはあなたが悪い、だから相手の行いが変わるまで耐えろ、というトンデモ宗教がある。

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