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2006.10.18

10/18 死なせるぐらいなら学校に行かせるな

学校でのいじめが原因で自殺が相次いで、全人格的指導力を誇示し、いじめをなかったことにしたり、適切な指導をしてきたはずの文部科学省や教育委員会が慌てふためいている。いじめがなくせるかなくせないか、ということはわからない。職業倫理としていじめを加勢してはならないし、教員が対応できる範囲でいじめはなくさなくてはならないと思うが、証拠を出させない、本人の口を封じる、という陰湿な手段が使われるのがいじめなのであって、おカミと教員の統治力で何とかしようとする発想がそもそも無理なんじゃないかと思う。もっとも自殺に至る前にできることはあって、そこで教員たちがうまく子どもを逃がしてやらなかったことが責められるべきだと思う。

そんなことを考えていたら、寺田学衆議院議員(民主・秋田1区)が、不登校で自殺することを考えるなら、学校なんて行かなくてもいいから命を守って欲しい、と、自身のHPで、自分の体験談を赤裸々に書きながら訴えている。
いいこと言ってくれると思う。政治家の多くは、わかっていながらも、いじめぐらいで学校行かない奴なんて、という感覚を、票のとりまとめをやる地域ボスたちと共有したふりをしなくてはならない。少なくともあえて反論したりはしない。そういう中でほんとうにいいこと言ってくれたと思う。

死ぬまで学校に通うことが自己目的化してしまっている。死なない限り、誰も同情すらされない、学校でのいじめの悲惨さ。学校なんて自分のための道具なんだから、少なくとも辛い思いをしていたり、ひどい思いをするなら、行かなければいいと思う。人生の大事な時期を、必要以上に苦しむことに費やすのは無駄だ。我慢しても報われることもない。闘ってもものを言っても壁は厚い。

さらに寺田議員は、不登校に対する居場所づくりが進んでいることを評価しながらも、だんだん学校に復帰させるための場になってきていることに警鐘を鳴らしている。

次世代育成支援行動計画に関わっているけど、自治体や地域の有力者が無学なまま不登校児への政策を語るときには、不登校児は精神異常者扱いだ。自分が何かに被害を受けたときに、何も応援してくれないのにカウンセリングだけ受けさせられるとしたらどうだろうか。
「専門家(心理学関係者)の相談」「カウンセリング」が強調され、「学校への復帰」だけが政策目標になる。その子が尊厳を持って生きられるような環境整備や機会づくりについては全く無頓着である。

本人の知的能力を高めるために学校はあるのであって、学校を語るおとなたちは、学校が自分たちが安心するための牧場ではないことを自覚しなければならない。

●イーホームズの藤田東吾元社長に判決が下りて、その後の記者会見でアパグループの使っていた構造の建築士も強度偽装をしていた、と告白、政府の建築強度認証の制度設計に問題があると発言している。
ところがこの内容を全てニュースとして取り上げたのは東京新聞。朝日と毎日、読売は政府の姿勢の問題点と、裁判で構造偽装の責任がなかったことが証明されたと言及したところのみ、犯罪者が言い訳をしているようなニュアンスで紹介。昨日の「電通の正体」では企業が電通経由で不祥事報道の対策を行うことが紹介されていたけど、アパグループも派手にテレビCM打っていた時期があったっけ。ヒューザーのテレビCMなんて見たことないけど。アパはマスコミも批判しにくいわな。

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