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2006.10.16

10/16 市の審議会ジャックの手法

朝霞市でマンションと大規模開発の開発指導を条例化しようという動きが始まり、その審議をする委員会が発足する。今日、その公募市民委員を選ぶ抽選会があり出席してきた。私は、朝霞市の福祉資源があまりにも貧弱でその整備ができるまで、整備に協力しない業者には開発規制をし、何らかのかたちで整備に協力する業者は開発規制を緩和するような制度が考えられないかと思い応募した。

定数4委員に、9人が応募し、残念なことに抽選ははずれ。
落選した悔しさも少しはあるけど、運動するなり、別のアプローチからいろいろ要請してみたりできると思うので、これはこれで納得。ただ、ひっかかることがあった。抽選に出席した応募者の顔ぶれを見ていると、同じグループと思われる人たちが4人来ていて、なおかつ抽選に欠席した応募者も2人も仲間のよう。定数以上に応募者を殺到させて自派の当選の確率を上げるのは、ルール違反ではないけども、道義的に問題があるんじゃないかと思った。私は、特定の主張の市民が委員会をジャックしようとする意思を持つのは仕方がないと思う。しかし、それに対抗しようとする人や違う意見を持つ人を著しく参加しにくくするような工作は慎むべきだろう。また、グループであることを明らかにしないでやっているから質が悪い。

市民活動なんでも結果オーライの私でも、この人たちの振る舞いがあまりにもと思い、周辺情報を集めてみたが、土地利用や自然保護関係の市の市民参加の機会を捉えて、何が正義かということも掲げずに、行政に対して市民代表のようにして、いろいろなことをしているらしい。

こうしたことの是非は政治学の領域になるけれども、市民参加する市民って、どうしても「一部の市民」にならざるを得ない。このことの是非論があるが、私は仕方がないと思う。
一部じゃない市民の意見って何か。例えば、町内会なんかが良い例だが、大多数の市民を代表する組織は地域の利益誘導みたいな話か、地域に公害がやってくるような問題でもなければ、現状追認か行政追随しかできない。突出する要求を行政にすれば、なかなか構成員が納得しないからだ(札幌の町内会のように、町内会ごとに自・民・公・共・ネットで支持政党が明確になって嫌がる会員は町内会を分離独立させるような風習がある地域もあるが)。
市議会はどうか。一番公正に選ばれ、公正に運営されている(手練手管はあるが、何から何までルールで運営されているという意味ではこれ以上の組織は自治体にない)。しかし、ここでできることは条例づくりと行政への調査権の行使であって、予算案成立までの流れを確認すれば、1つ2つの政策が不満だからと何から何まで止めるようなシステムにはなっていない。市全体を目配りして、提出される議題をめぐって議論を進めるというのが基本的な流れ。だから、マンション問題があってもそれだけで議員がとことん議論するなんてことは、まずない。スキャンダルが発生したときだけだ。調査権や質問権、行政提案の議案への議決権などを楯に、個別政策の実現をめぐり働きかけることはできるが、それは議事録にのるようなやりとりがあって進むことではない。

個別課題を中心に、当事者の深刻な問題意識、のちのち誰もが関心を持つかもしれないが今は専門的な人しか言わないような主張を感じ取る装置として、「一部の市民」であっても、思いがある人たちの意見を聞こうということが、行政にとっての市民参加の必要性の一面だと思う。
「一部の市民」の突出した意見(理解不能な言動ということではなく)を取り込む可能性があるということは、その主張の妥当性を今も未来も検証できる仕組みが必要だと思う。だから、議事録も残らなければ、資料提出もない公開されない場で、「一部の委員」が政治的に振る舞うことは、できる限り慎まなくてはならない。
そういう意味で、このグループの振るまいは、市民参加のクビを絞めることになりはしないかと心配する。

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