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2006.10.10

10/10 「正当」な子の意味

向井亜紀氏が代理出産をアメリカで敢行して、出生届が受理されないということで、戸籍法や地方自治法上で興味深い論争になっている。また、法務省とは別の立場から、向井氏がアメリカの低所得者に出産させたことや、子どもがなければ家庭じゃないか否か、というモラルを考える上で興味深い議論もある。
が、まず考えるべきは親を選べなかった子どもの不利益だろう。子どもが不利益を被らない現実をまずつくってから、親のモラルの問題について議論してもらいたい。

同じことが、未入籍の親から生まれた子や離婚家庭の子へのとんでもない社会的差別、社会的待遇の悪さを放置し、棚に上げ、親のモラルについて言い募る社会風土にも言える。
親のモラルについてあれこれいい募る前に、まずそんな議論を楽しんでいるあんたがその子どもに最善の環境を用意してやれよ、と思う。モラル言い募り派の連中には、そんな親のもとに生まれてしまった子どもには何か責任があるのですか、と聞いてみたい。その子は不幸にならなくてはならないのですか、と。

向井氏の行動についてはいろいろ議論の余地があるが、せめて生まれた子には不利益にならないような社会が必要だと思う。

逆に、一方、大阪・茨木や青森・五所川原の監禁魔、六本木外国人ホステスバラバラ事件の犯人みたいな連中は監禁場所となった家を親が何に使っているのか疑問も挟まず提供しているという現実からも、親に原因の一端がある。こういうときには、子どもの不始末について親は言い募られなくてはならないだろうし、一定の社会的制裁を逃れられないだろう。

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コメント

確かに子供は親を選べませんね
そう言ったことを踏まえて
きちんとした議論は必要だと思います
また、親の責任論も重要です
特に未成年者の犯罪は親の監督不行届
だと思っています。

投稿: 通りすがり | 2006.10.11 10:45

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