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2006.08.02

8/2 規制改革会議の保育所改革に拍手喝采していると痛い目にあう

規制改革会議の答申本文の保育所制度の部分を読む。多様な保育とか、利用者の選択とか、高コスト体質などと言うが、いいがかりに近いイメージで議論している。改革の視点が1990年頃に議論されたステロタイプから一歩も出ていない。

多様な保育といっても、規制改革会議の連中はイメージ貧困で、長時間保育と、調理室や園庭をカットしたローコスト運営ぐらいしかイメージがない。利用者の選択は強調するが、保護者が保育所を選ぶ視点を高める仕組みや、保護者が保育所を育てていく仕組みについては全く想定していない。高コスト体質と言うが、それこそコストを無視した暴論である。保育所運営費の算定根拠になっている保育士の月給は、名目19万5千円程度である。これをオリックスのceoや、本業があるくせにあちこちで講演料稼ぎをしている八代尚宏は、高コスト体質と呼んでいる。

彼らは激烈なことを言うと、厚生労働省や保育所を異様にまで守ろうとする労組や保育団体を観念の敵にしているキャリアウーマンやシンクタンクの観念的研究員から拍手喝采受けているが、実は、彼らの議論は働きながら子育てする人のことをこれっぽっちも大切にしようと思ってはいない落とし穴なのだ。

今回見逃せない議論が、「保育に欠ける」要件を撤廃しようと規制改革会議は言っている。つまり、就労しているしていないにかかわらず保護者に平等に保育所運営費をならしてばら撒くと言っている。余談だから、小泉政権や民主党右派の児童手当の異様なまでの執着はこの議論の延長にある。
つまり規制改革会議は、保育所利用者への補助金をカットして、専業主婦にもならしてばらまき補助金にしようと言っている。また応益負担とか言って保育所を利用した人ほど負担を高くなる。つまり今、フルタイムで保育所に預けている人は、専業主婦にばら撒く分の公費負担が無くなるから自己負担を上乗せされ、専業主婦がちょこちょこ保育所に子どもを預れば逆にトクをするという制度改革になるのだ。ましてや保育所と保護者が勝手に契約しろというのだから、保育事業者にとっては金払いのよい夫を持つ専業主婦の方が、保育所がなければ生活が成り立たない母子家庭や父子家庭より優遇されかねない。そうなれば、保育所の激烈な規制緩和のために利用された理論、M字型雇用が少子化をもたらすからM字雇用にならないように保育園を整備する、という前提そのものが崩れる。

前々からオリックスの宮内氏や八代尚宏氏は「保育所に預けている保護者は既得権者」という言い方をしている。今は議事録を取っていないが、規制改革会議の前身の規制緩和委員会(当時は議事録あり)では、八代尚宏氏とポピンズコーポレーションという全国規模の保育産業の社長が一緒になって、参考人として出席した保育園を考える親の会の普光院さんに投げかけた非難・攻撃の言葉が「既得権者」だ。
私は子どもを無認可保育所に預けているが、認可保育所に預けている人を既得権益と思ったことはない。これは多くの保護者の実感だと思う。無認可保育所にジャブジャブ公金が流れればいいのだろうか。モラルハザードにならないか。やっぱり無認可保育所しか選べない地域は、そこの基礎自治体の怠慢が最大の原因だ。

保育所に関しては、きちんと考えもせず、単純な市場経済原理によりかかった観念的議論が多すぎる。規制緩和や民間活力の導入で生産性を改善できるのは製造業だ。JRは民営化で嫌なことされなくなってはきたけど、新宿駅の埼京線ホームを見ても、電車の本数を見ても、満足な設備投資がされているとは思えない。大和総研のこんなレポートもあった。このようなステロタイプなレポートを書いて金になるのだから、うらやましい。少子化と保育所の「高コスト体質」といわれるものに相関関係がない。保育所は少子化対策のツールとは少し立ち位置が異なることを認識しなくてはならない。高齢者にたとえるとわかりやすい。高齢社会だからと介護を整えるのではなく、高齢者が多かろうが少なかろうが介護が必要な人に介護をつけるのと同じである。

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