7/5 ソーシャルをかなぐり棄てる人たちの理由
以前、読んだブログで気になった記事があった。
ヨーロッパで「リベラル」と言えば、ほとんど「ネオリベ」という意味であって、「ソーシャル」派からは悪口なんだが、なぜかアメリカではサヨクという意味になり、これが日本に入ってくると、「ソーシャル」という意味の党名を持ってた連中が「ボクもリベラル」「アタシもリベラル」となだれこんで、サヨクのつもりで、個人の自由が一番だとか、企業中心社会を破壊しろだとか、役人をたたきつぶせとか、余計な規制はなくせだとか、まあほとんどネオリベ99%一歩手前みたいなことを喚いていたのが90年代半ばまで。まじめに働く労働者を「社畜」とか罵っていた奴もいたっけ。これがあと1%進めば市場原理主義になる。今の学生には信じられないだろうが、今の小泉・竹中改革は政治思想的には90年代初めのサヨクが生み出したシミン主義のなれの果てなんだ。構造改革だの、規制緩和だの、自民党守旧派が権力から外れている間に、小沢だの武村だのといった自称改革派と「ソーシャル」を失った社会党のシミン派どもが結託して作った道。
それを批判していた自民党主流派が改革を乗っ取って、踊っていたシミンが追い出されて、もとの反対サヨクに戻ったのもいるけど、そいつらはどうでもいい。むしろ多くは結構なご託並べてた「リベラル」に裏切られてウヨク化してきた、というのが90年代末期以来の姿ではないか。「寝ずの番」ではないが、ウヨク、ウヨクと威張るなウヨク、ウヨク、シミンのなれの果て、というところか。(EU労働法政策雑記帳-ウヨク・シミンのなれの果てから)
過日、ある地方政治家と話をして、その人の元所属している党派について今はどう考えているのか、と聞いたら「●●党って呼ぶなよ」「左翼とか言うなよ」と逆に非難された。何となく、そのズルな態度に納得いかなかったが、立場も弱くなってそんな言い逃れするしかないのかなぁ、と同情したりもした。
あるいは、公正・公平という価値を標榜する政治関係者が、オリックスの宮内義彦みたいな政策提言しかしない場面には何度も立ち会った。
この日本では、「ソーシャル」なんてまともに咀嚼されたことはないし、伝えられたこともないんだ、とこの話を読んで自覚した。ラスプーチン佐藤優氏もネオコンがキリスト教原理主義とトロツキストの融合だとイデオロギー暴露している。日本の左翼陣営が、開発途上国型の反政府運動のまま、政治権力そのものの批判ばかり続け、有効に使うことを議論しなかったことが、今日的なネオコン・ウヨク全盛時代に迎えたと言ってよいのだろう。
●そんな状態の中で北朝鮮がミサイル発射。
左翼や東アジアを考える人にとって、北朝鮮は本当にお荷物的存在だということが痛感。私のような共産主義に付和雷同しない「ソーシャル」も、こんな北朝鮮の行動のおかげで先入観・偏見を持たれる。「リベラル」なんてぼかす自分も情けない。主体思想の字面だけみて心奮わす北朝鮮礼賛の一部の左翼のために、多くの左翼や「ソーシャル」が面倒な思いをしている。
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コメント
黒川さん、こんばんは。赤杉です。
黒川さんのこのエントリーにインスパイアされて、
自分なりに「ソーシャル」についてブログで書きました。
(最後は自分の活動分野の話に流れちゃいますが)
トラックバックもさせていただきましたので、
どうか宜しくお願いいたします。
それにしても
黒川さんのエントリー中の
>公正・公平という価値を標榜する政治関係者が、
>オリックスの宮内義彦みたいな政策提言しかしない
>場面には何度も立ち会った。
って、この5年間を振り返ってみると
本当にリアリティありますね。
投稿: 赤杉 | 2006.07.18 22:15
コメントありがとうございます。blog愛読しています。赤杉さんが一所懸命活動されていることに感動しています。それにひきかえ私は・・・。
多様性と自己責任の無規範な拡大が同化や競争をもたらすというのは、パラドックスですね。同感です。ネオリベ・ウヨクに転じなかったのは、はりぼてっぽい民族主義やステロタイプな家族主義が嫌いだったから、なんとか今日があるのかと思っています。
投稿: 管理人 | 2006.07.21 21:54