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2006.07.02

7/1② ゆとりとハイグレードニーズ

午前中は次世代計画推進委員会のワーキンググループの会合。今回もおしゃべりがほとんどだが、障害者の作業所を作ろうとしていた方がひょうたんから駒のような話をもらって、前に進みそうといううれしい報告がされる。

Koza午後は、地域プロデューサー養成講座。最終回。昨日は職場の研修があったので、頭の中で、それぞれで学んだキーワードが断片的に入り交じって、混乱していたり面白かったりする。

昨日の研修で「クレーム」を「ハイグレードニーズ」と呼んでいる会社があるという話は面白かった。電話相手の仕事をしている職場ならどこでもヤクザの因縁つけみたいに手を焼く電話魔(必ずしも顧客とは限らない)がいて、クレームも限度があるとは思うが。
また、仕事は対価と対価の交換で成り立っているのだから仕事の価値創造には必要だ、という研修を受けたが、では労働団体にとっての価値とは?ということが悩みになる。賃金や労働条件、機関紙の発行が労働組合費の対価であるのだろうけど、それだけに価値を見いださない組合はまた、自分さえよければよいという大企業の企業内労組的体質になる。
運動団体というのは、清朝末期に中国の内乱を指導した団体を見ればよくわかるが、到達できもしない大義や目標を掲げて、みんなでお金を持ち寄ってわざわざ苦行みたいなとこをすることもあったりする(苦行できるチャンスが得られたという対価という言い方もできるが)。交換する価値のはかり方が難しい。

今日の研修では、これまで5回の講座での疑問を洗い出して、それを講師の西川正さんがいろいろな地域での活動実践を紹介しながら、回答していくというもの。地域の企業を地域活動に取り込めないか、ということでは寄付を求めるのもいいが、それより本業で役立てることに協力してもらうよう働きかける方が効果的という話はよかった。また会員になって会費を払ってもらう見返りに何をつくるか、そんな話は昨日の研修の疑問の回答になったような気がする。

休憩時間にバックミュージックでかかっていた桜井和寿「僕たちの将来」に心がふるえる。学生時代、中島みゆきの曲の中でも良く聴いた曲だったので懐かしくなる。稚内の友人宅のお父さんを思い出す。中島みゆきというと北国と連想するが、先週の講師から返メールが来て、北国の望郷の念を語り合いたい、というようなしめくくりにもほろりとする。ものすごく北と、橋本さんの先代総理の出身県である西国と、そして殺風景なベッドタウンに、郷愁を点々を移しながら生きている自分がいる。

●ニュースの情報源は不明確だが、ゆとり教育世代が大学に入るようになって、議論が上手にできるようになったというニュースが出てきた。
これまで学力低下が「ゆとり教育」の責任だけにされてきたし、「ゆとり教育」は学力低下しか生まなかったという評価しかされてこなかったが、もっと別の検証も必要な感じがする。もちろん「ゆとり教育」に戻せばいいというものでもないが。
教育改革では、「ゆとり教育」派もその反対派も、ポスト工業化時代と国際競争時代に対応できるように、議論できる人間を育てるたい、と有識者が口々をついて出てくる。議論できる子どもたちが大学に入ってきて、教員たちが役に立つと思えているということは「ゆとり教育」を全否定すればいいというものではない。

議論OK、学生変わった? 「ゆとり第一世代」入学 共同
 授業時間や学習内容が少ない新学習指導要領の下で学んだ“ゆとり教育第一世代”が今春、初めて大学1年生になった。人前での議論が平気で、プレゼンテーションが得意な学生が増加。大学教員からは「今までの学生とは違う」「ゆとりの効果では」という声も上がっている。
 「話し合うのを嫌がらない学生が多く、今年は授業がしやすい」。東京海洋大で1年生に日本語表現法を教える大島弥生助教授は変化に気付いた。書きたいテーマを決めて学生同士の議論を重ね、リポートに仕上げる授業で、学生の積極的な発言が飛び出す。

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コメント

>運動団体というのは...到達できもしない大義や目標を掲げて
>地域の企業を地域活動に取り込めないか
唐突ですが、上記のくだりを読んで渋谷定輔さんのことを思い出しました。
渋谷さんは、南畑小作争議(富士見市)が成功したは、教条主義にならず、かつ「村長、警察署長まで引っぱり込んで地域闘争の形でねばり抜いたから。これは今の住民運動や公害反対運動に参考になりはしませんか」と著書に書いています。
渋谷さんの交渉相手であり埼玉一の地主だった西川武十郎氏は、地主経営者としての見通しの鋭さもさることながら、農民の主張を認めたり、志木駅の建設費用を寄付するなど社会貢献もされた方で尊敬しています。
当時志木は地主が多く住む町だったということですが、今はどうなのでしょうか。

投稿: はちきん | 2006.07.02 10:03

こういう理想的な話しになればいいのですが・・・。
この地域の地主に、そうした責任感や公的な価値に対して協力していこうという風土がなくなったような感じがします。
マンション開発会社に土地を売り払って儲けた人の口からマンション住民は地域に責任を持たないとバカにするような言葉が出てきたり、市議会等に自分たちの発言力を確保しているのに、そうした発言力のない市民が何かを主張すれば「特定の市民が偏った主張をする」とか「行政に甘えることばかり考えて」という言葉が投げかけられてきます。その度に、この地域は地域間競争に生き残れるのだろうか、とため息が出てきます。

労働組合に話を戻すと、賃金や労働条件の対価として組合費を払うという組合員と労働組合の関係性って、イデオロギーや派閥が労組を支配することに対する有効な批判になりえても、高度成長期の耐久消費財を買い続け棄て続けるライフスタイルと何にも変わらないと思います。そのとき大義とは何か、いろいろ考えさせられます。
地域ではどんな大義なのだろうか、地域ではそもそも対価といわれる関係性ができているのか、そんなことも考えさせられます。
いつも真剣なコメントありがとうございます。少し哲学的にいろいろ考えてしまいました。

投稿: 管理人 | 2006.07.03 22:58

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