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2006.06.22

6/22 8日の参議院で助産士について議論がされる

少し古い話になるが、医療制度改革を議論している参議院厚生労働委員会で8日、野党系議員が助産士のことについていくつか質問している(連合の情報から)。野党の質問者は、助産士への評価や、助産士の開業を阻んでいる嘱託医の資格要件など緩和するよう求めた。
産婦人科に関してはいろいろな問題が出てきて、関心が高い。お産が医療に依存しすぎていないかということを振り返る必要があると思う。そういう点で助産士の再評価に視点をあてた今回の野党の質問は的確だったと思う。

野党の3議員(円より子、津田弥太郎、福島瑞穂)質問からは、他の医療問題とともに、①助産士の嘱託医は、病院か開業医でなければならず助産士の開業を阻害している。②さらには、日本産婦人科学会は嘱託医を受けないように会員に通知しており、その弱みにつけこんでお礼奉公的なアルバイトを逆に要求する事例もある。③助産院のお産は曜日による偏りが見られないのに産婦人科でのお産は平日日中ばかりである。ことなどの助産士と産婦人科医の不適切な力関係が指摘されている。
これに加えて、医療不足がそうするのか、あるいは母体の力が弱っているのか、帝王切開の比率の急増などもつけ加えると、産婦人科医が安心して働ける環境ではないことは認めながらも、助産士にとっても、産む母体にとっても、安心できるような状況ではないということが言える。

厚生労働省の担当局長の答弁では、①助産所の開業に当たっては、医療安全の確保の観点から、嘱託する医療機関を定めるようにした。②助産所の嘱託医が契約料を求めること、助産師のパートタイム労働を条件に嘱託に応じるのは適切でない。③日本産婦人科医会の関係者とはよく話し合い、不適切な部分があれば指導する。助産師の業務範囲は、医療安全の面から現行の範囲で充実をはかることが当面は良い。出産後1時間以内の母子対面や分娩時の姿勢など、病院が助産所から学ぶべきことはある。

産婦人科医は確かに大変だと思うが、それでも自らの大変さをマスコミを使って声高に宣伝できる立場がある。最近はそれを悪のりして訴訟を起こす患者を非難し、ときには受診放棄も辞さないような言動をしている。国民の生命財産に影響のないような職種の公務員にまでスト権を否定している国で、生命を預かる職業人の言葉かと耳を疑う。
産婦人科業界は、死産やお産による死亡を下げてきたという功績はあるが、終戦直後にGHQの力を得て以来、ニッポンの伝統である助産士(産婆)や、自然なお産を不衛生で前近代的なものであるかのように言い、否定し病院に収容し続け、お産を人々の生活空間から医奪い取ってきた。病院の保育器の並んだ部屋などその象徴だと思う。また何度も批判しているが、本人の承諾もなく、中東やアフリカの性器切除にも似た会陰切開という蛮行を繰り返していることも由々しき問題だと思う(三砂ちづる「オニババ化する女たち」を読んでください)。

産まれたばかりの赤ちゃんの、匂い、なまなましさ、実に機能的な泣くタイミング、そんなことを見て感じて感動する機会を奪い取ってしまった。いつから生と死は、病院でしか行われなくなったのか。人々の眼や鼻に伝わらなくなってしまったのだろうか(なぜかこの問題になると、私はとても復古調だ)。
安易な医療否定は問題だと思うが、医療機関がないわけではない大都市のようなところは、助産士でのお産にシフトすることが有効だと思う。お産は、ほ乳類が2億年以上も医者なしで続けてきたこと。大半のお産は医療が介在しなくても何とかなるように思うが、これは違うのだろうか。

※連合は、この情報で主に医療保険の免責制度の導入に対する野党議員の反対論を取り上げている。この政府の考え方も問題があるが、また別途の機会にしたい。

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