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2006.06.14

6/14② 認知症と暴走族に免許交付は断れない

朝霞台駅の回りはいろいろ発見がある。

東武バスのバス停のうしろに市の掲示板があるが、なぜか「大ナポレオン展」のポスターが貼り出されていた。大ナポレオン展は、マスコミなどが主催しているような体裁をとっているが、なぜか不釣り合いに「東京富士美術館」がそこに名前を並べている。この美術館は政治に影響力の強い新興宗教が実質的に運営しており、事実、その宗教団体と関わりの深い党の現職県議候補のいる新座市では、その県議のポスターと並べて「大ナポレオン展」のポスターが貼っている。宗教団体の構成員が「大ナポレオン展」のチケット売りに動員されているという話しもあるし、市の掲示板を貸してしまっていいものなのだろうか。そもそもナポレオンに何の価値があって、今さら美術館が持ち上げなくてはならないのかが解らない。

今度は朝霞台駅の横の昔の立ち飲み居酒屋があった。そこが壊されてビルが建つことになった。
ところが、そのビルを建てるために、駅ロータリーのタイルがはがされ、その上にアスファルトが雑に敷き詰められた。同時に点字ブロックが消えてしまった。時折、白杖をついた人とすれ違っていたが、最近彼を見ない。点字ブロックがなくなってどうしているのだろうか。
日本国憲法なんて屁とも思ってもいないような人間が、憲法の財産権を声高に主張して、こうしたハンデのある人がハンデをなくするためにあるものを平気で壊していく。ビルやマンションを建てることに反対しても財産権でかき消されてしまうが、憲法25条の価値にのっとりこうした福祉的なものを求めると、贅沢な要求だとか、善意いっぱいの顔で「まだまだそういう時期じゃない」などという人が多い。

朝霞台駅周辺の違法駐車。まだあとが断たない。また駅に送迎に入ってくるクルマのマナーの悪いこと。バスの遅延の原因になっている。送迎のマイカーを駅のロータリーに入れないようにした方がいいのではないか。
駐車違反の民営化で摘発強化ができると警察は豪語しているが、気の小さな人だけがひっこんだ感じ。あと、歩道の自転車の駐車は違法駐車じゃないのだろうか。最近、志木駅南口の駐輪がすさまじく悪くなっている。よくぶつかるので腹が立つ。こういうことがある以上、環境問題を理由に自転車を礼賛するような考え方には賛成できない。だいたい公共交通機関がない生活を可能にする自転車利用は、最も環境破壊につながるマイカー依存のライフスタイルの第一歩じゃないかと私は見ている。

●クローズアップ現代で認知症ドライバーのことを取り上げていた。えらいこっちゃ。社会的弱者である認知症高齢者によって、交通事故に遭遇する危険性が高くなる。
1つには、警察の免許交付の条件が甘々のような感じもする。以前、管轄の県警が変わるため鴻巣の免許センターに行ったら、彼らに自動車免許与えてもいいのかよ、と思うような地元の警察に行きにくい若者がいっぱい更新手続きに来ていた。そんな状況では認知症に制限など加えられないだろう。
また、交通事情のこともある。我が国はマイカーを甘やかしすぎた。そのことで全国のバス路線はずたずたになってしまった。認知症の人がクルマを運転せざるを得ない社会という現実はその通りだし、朝霞市のような東京に近い自治体でも、バス空白地帯とバスが1日に10本も来ないようなところが市内の半分ぐらいある。
道路族議員は、道路さえ通せば交通権を保障したようなことを言うが、高齢社会とは、運転する能力がない人の交通権を洞察しないといけない時代で、やみくもにマイカーに便利な道路を造ればいいってことではないのだろう。

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コメント

認知症の方々の運転は本当に難しい問題です。私の亡父も脳梗塞のため認知症と同じような症状がありました。世間の方は「認知症の人に、どうして家族は運転を続けさせるのだろう」と不思議に思われることでしょう。症状を知っている家族は「一日も早く運転を止めさせたい」と誰よりも思っているのです。けれど、運転を諦めさせるのがもの凄く大変なんです。
私達の場合、最初に「お父さん、もうその身体では運転は無理よ。人様を怪我でもさせたらどうするの」と言ったのがつまずきの始まりでした。病気で身体が弱っているところに、自尊心を傷つけるという過ちをおかしました。「50年近いドライバー歴で一度の事故もなし」という人でしたから、想像以上に精神的ダメージを与えてしまったのではないかと思います。次に家族が望みを託したのが、免許更新時に講習で「不合格」となることでした。「不合格を祈る」というのも変な話ですが、本当にそういう気持ちでした。しかし運転免許は「見事に」更新されてしまい、どんなに落胆したことか。かと言ってこのまま父に運転を続けさせることは家族として出来ません。父の心を傷つけることなく、うまく説得する方法はないかと、家族が思いついたのが「エコ」という言葉です。「お父さん、これからは環境のことも考えなくてはね。自転車の方がリハビリにもなるし、カッコいいヘルメットをかぶって、マウンテンバイクにでも乗ったら、気持ちいいよ」とおだてて、ようやく車を手放す決心をさせました。自転車に乗ることは、筋力の衰えもあり、ほとんど出来ませんでしたが...。父は誰もケガをさせることなく無事故の運転歴のまま亡くなりました。今思えば、正しいことした思う一方で、父には随分キツいことを言ってしまったと、今でも思い出して涙ぐんだりしています。

投稿: はちきん | 2006.06.15 09:30

はちきんさんありがとう。
エコというのがいいですね。私の父は、クルマは好きなのにやや危険運転気味で、将来が心配でなりません。さらにまたライフスタイルが認知症になる危険因子だらけで、唯一希望が持てるのは、孤独でも全然認知症にならなかった祖父の遺伝だけです。でも自分を律する強さは全然違う・・・。
エコとかそういう価値観に「けっ」と思っていたりもして、免許を取り上げるのは難航しそうです。
おやじがもうすこし歩いてくれないかなぁ、と思っています。

投稿: 管理人 | 2006.06.16 21:36

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