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2006.05.31

5/31 朝霞から出ていった人がどのくらい戻っているか?

万年筆をなくす。愛着もって使ってきたので、悲しい。

●障害者の作業所を立ち上げようという保護者の方が改めて市役所に説明に聞きに行かれた。市役所の福祉課が手の内まで見せて、できない事情を説明してくれたようだ。
結果は変わらず当事者たちにはたまらない状態が続くけれども、そういう本当の話を当事者としながらどうしたらよいか考えることが大切なんだと思うし、長い目で見ればそのことがいい結果になっていくと思う。

●市民の9割がサラリーマンかその家庭で、その半分以上が市外通勤者のこのまちで、この層の人たちが地域社会でものを言っていくということが、相当に排除されているなぁ、と感じるこのごろです。
昨日、東京都議の柿沢未途さんと会って若者政策について議論する機会がありました。柿沢さんは若者政策というよりもこれからの生活を提示するような象徴的なことをやった方がいいんじゃないか、と言い「通勤なんてムダなことがなくなる社会」を訴えてみたいとおっしゃっていました。ほんとうにそうだろうと思います。
職住接近もあるけど、IT社会の進化や、コミュニティービジネスの育成などの進化で、通勤は意味がなくなる、そうなったときに、働き盛りのお父さんの地域参加がおきてくる、ということです。本当か?と思いますが、私鉄の乗客数は毎年じりじり減り続けていますし、ありえない話でもないようです。
そんな会話を続けながら、通勤なんてものの価値が否定されたときに、朝霞市の存在意義ってどうなるのか?そんなことを改めて考えさせられました。市役所や地域社会は平日日中しか開かれていないから通勤者がもの言う機会などほとんどなし。たまに言ってもそれは苦情と取られ意見を聞き流されるだけ、もちろん何かが変わるなんてことはない、それで通勤が無意味になったときに、通勤者たちが愛着もって住み続けてくれるか、通勤者たちの落とす税金や家賃などのお金で食べている人たちはシビアに考えた方がいいと思います。
経済的には貧しいけれども、父の郷里の大分県臼杵市には、そこに自分の活躍する場があり、まちを一緒に考える仲間がおり、住み続ける必然性を感じます。保守的な価値観の中にも若者が自治し挑戦できる仕掛けがちゃんと用意されていました。臼杵から出ていって、戻った人はたくさんいます。出ていった人は定期的に同窓会をやっています。朝霞の場合はどうでしょうか。

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2006.05.30

5/30 新設の朝霞市・仲町保育園は公設民営方式へ

22日、保育園運営審議会が開かれ、2007年5月から開設される仲町保育園の運営方式は公設民営方式とすること、業者決定方式は宮戸保育園で行なわれたプロポーザル方式による入札とすることが決定した。

公設民営方式とは、看板が朝霞市立●●保育所となっているが、保育スタッフや行なわれる保育内容は民間というもの。公有財産を利用して民間事業者が事業を行なえる、民間にとっても単独の民間保育所として運営するよりも自治体から多くの支援を得られるというメリットがある。一方で、運営責任やカリキュラム編成などの責任があいまいになりがちで、市役所のチェック能力や地域や保護者による運営参加ができていない場合は、問題がおきても苦情を言う対象する明確にならない。

実際、朝霞市で公設民営で開かれた宮戸保育園では、株式会社に委託されたが、保育士の相次ぐ退職、欠員、保育内容の貧弱化など多くの問題が発生し、2004年12月と2005年3月の市議会でも問題になった。このときの市役所の答弁は何ら具体性のある答弁がされてはいなかったし、私も、次世代育成支援計画推進委員会でこの問題について質問したが、行政はしかるべき監査をやっているのでうまくいっている、という答弁しか返ってこない。

しっかり宮戸保育園について明確に検証報告もされず、特に全国でも稀な株式会社への運営委託ということの評価もされず、保育所を民間委託するにあたっての基準なども作られないまま、再び同じやり方で民間委託を繰り返そうとしている。プロポーザル方式の質の検討に、どういう条件で、どのような人が行なうのかまったく示されていない。いったい、業者たちとどんな関係があるのか。

さらに決定過程も問題がある。保育園にかかわるさまざまなステークホルダーと検討した痕跡が見られない。当事者である保護者や、子育ての質を高める議論をしている次世代育成行動計画推進委員会などに何の話も来ていない。
この審議会、審議時間は17分しかない。おそらく市役所が議案を説明して、何の質疑もなく承認されたのだろう。審議会の委員は日当が1万円以上も出ることになっているが、子どもたちの生活の場を誰に預けるか、その枠組みを考える場がそんな審議でよいのだろうか。市役所というブラックボックスの中でなんら妥当性も検証されずに政策決定がされている。そうして我々の税金が不透明な使われ方をしている。本来は市役所がそうならないよう締める役割が保育園運営審議会にあるのに、市役所を追認しているだけで責任感が見られない。

民間委託の質をどう保障し、ルールを設定し、みんなの評価が可能なように運営する、ということがない状態では子どもたちがどんな目にあっても防ぐことができない。問題だと思う。

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2006.05.29

5/29 お金はどこからながれてどこに行く

社会保険庁の問題が大騒ぎになっているが、問題は社会保険庁の経営陣がアイフルの経営陣と同じで、納付率など短絡的な指標だけでノルマ締め付けをやれば、こんなことが起きるいい見本。川崎厚生労働大臣は、公務員がルールを守らない、と批判していたが、ルールでがんじがらめなのに「民間の手法」という口実でノルマを課せばこんなことになる。ルールを守らせたければ納付率なんて数字を使うべきじゃない。
そもそも納付率が問題になるような年金制度が問題なのだ。商品開発のところ、つまりそもそもの年金制度のところをきちんとしないで、営業部隊だけの責任にさせてきたことがにおかしさがある。

この問題は大騒ぎされているが、国民には痛みはない。免除制度を使えば年金の国費投入分だけが給付されるから生活保護と同じ。生活保護として支出されるか、生活保護が一部カットされて国民年金の国費投入分が支給されるか、の違いでしかない。

もう1つ言うと、経営陣は国民年金の納付率向上にばかり熱心になっているが、構造的に年金財政が赤字である以上、加入者が増えれば増えるほど赤字が膨らむ。社会保険庁(これからは「ねんきん事業機構」だっけか)の財政だけを考えれば国民年金の加入者を増やさず、生活保護受給者として厚生労働省に押しつけてしまう方が得策である。生命保険会社はリスクの高い人を加入拒否して死差益を稼いでいる。

●年金未納問題の罠で失脚してしまった菅直人さんが、民主党のイベントで料理に挑戦のニュース。料理を作ったり子育てしたり、企業社会の論理や市場原理が通用しないわけのわからないものにもっとつきあうことが、民主党の観念的な改革論を超えられると思うのでいいことだ。
けちをつけると、藤野真紀子が料理をやっているみたいな雰囲気がある。料理って繰り返さないと大切さがわからない。それより他人の子の子守りをする(遊ぶじゃなくて)とか、一回でもっと緊張するような体験をしないとダメだろう。その点、秋田の寺田学議員は、秘書に育児休業を取らせた。政治業界にそうした人材がもっといてほしい。天下国家しか語らない維新風の人間は余計なことばっかりして、終いには「日本を愛する心」とかアナクロなことを言う。はっきり言ってうざい。

●阪急が強引に公開買付に。村上に振り回されないためには仕方ない選択肢だと思う。
NHKニュースで訳知り顔の大学教授が村上がやったことで関西の電鉄会社は経営強化された、阪神は失うものが大きかった、と論評していたが逆じゃないかと思う。
阪急は茨木市の住宅地の開発に多額の投資をして経営が非常に厳しい状態。さらに企業価値に比べて高めの阪神株を買わされて、借金返済が当面の課題になってしまった。しばらくはミニバブルで阪急は一息つけるが、景気が再び悪化したときには、クレジットクランチに巻き込まれる状態ではないか。
経営強化なんてものではない。公益企業と梅田の一等地という公益性の高い土地利用を守るために多額の資金が村上や村上に金を預けている不労所得者たちに渡っただけである。

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2006.05.28

5/28 「一部の市民」というレッテル貼り

午前中、マンション管理組合の理事会。防災計画づくりがスタート。副理事長さんが中心にやってくれることになった。管理組合の契約行為のルール化の作業も着手。これは私の仕事になる。近所の住宅公園がマンション敷地内に大きな看板を立てさせてくれ、と申し入れがある。以前にも申し入れがあって断ったものだ。マイカー客相手の商売はバカでかい看板が必要をしている。生活の視線を遮り影ばかりにするし、まちの美観を壊す。

近所にできたセブンイレブンは、昔からあるファミリーマートを潰すために出店した。ところが思うようにファミリーマートの客を奪えず、どんどん看板を大きくしている。マイカーの客には目につくだろうけど、駅前通りを歩いている人の視線には残念ながら入りきらない。

午後は、協働のまちづくり研究会の主催する「市民参加と開かれた行政」を聴きにいく。志木市で市長が交代してから、直接的な市民参加、市民が政策決定に関与してきた志木市民委員会が解散になり、市民参加で進めてきた事業のほとんどが「一部の市民だけが口を出す」として否定されてしまった。その今の状況を聞きたかったが、今のことを言うと現在民間ベースで自主的にやっていることに支障があるのか、昔の話ばかりで残念だった。私は志木の市民委員会がやってきたことは特定の市民の利益ではないし、彼らがいなければ志木市役所がぴりっと締まることもなかったのではないかと思う。

地域社会に思いをもって発言し改革していく市民に、「一部の市民」だから許せない、という農村保守のようなレッテル貼りが行われる。とくに最近は小林よしのりあたりが「プロ市民」などという言葉を発明して、それからなおさらだ。朝霞市でも基地跡地利用の審議会で、どう見ても基地跡地利用で一枚金儲けに噛める不動産屋の委員が、基地跡地利用に抵抗したり商業利用に反対する委員や市民懇談会委員の動きに「一部の市民」というレッテル貼りを行っている。
私はこのようなレッテル貼りは無視すべきだと思う。本人や周囲がそれを真にうけて、誰もが自分が少数だからと発言することを断念してしまったら、再び裁量行政が始まる。そのことでおきる弊害が不正行為だけならよいが、かつての土建業者のように政治と密接に絡み金も権力も操作できるような人間だけがこっそり市役所を動かすようなことに逆戻りすれば、その政策決定の犠牲になる人も多いし、財政規律も政治的に歪められていく。

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2006.05.27

5/27 埼玉県の良好な介護財政をどう評価するか

昨日、子どもの病気で職場を早退。
午前中、東洋大学で開かれた地方財政学会の地方財政と福祉分科会を傍聴。事情で1つめの長崎県立大学の綱辰幸助教授の「介護保険における介護サービスの高支給地域と低支給地域との比較分析」だけを聴く。

低支給地域の埼玉県と、高支給地域の徳島県や沖縄県を比較して、介護給付の内容を分析する報告を受ける。タイトルが魅力的だったが、内容は、施設介護が多い地域は介護保険給付額が多くて、在宅介護が多い地域では介護保険給付が少ない、という報告。その結果から出てくる提言が、介護保険財政を維持するためには、家族介護への報酬を出せ、介護度の低い高齢者には、NPOやボランティアを(タダまたは安く)使え、というものだった。

埼玉県は介護政策が成功しているから給付額が少ないのではない。
施設が作りたくても作れないし、だから入るべき介護度の高い要介護者が施設に入れず、病院を渡り歩いたり、押しつぶされそうな家族介護で耐えたり、サービスの割に費用が高額な負担の有料老人ホームを利用してしのいでいる。こうした現象は東京の多摩地区や神奈川県、千葉県も同様のことがおきている。また一方で家族介護によって、家族が労働力にならないため、市町村の財政収入にも影響があるはずである。社会全体の介護コストをもっと広げて把握しないと、介護財政だけを取り出して分析しても意味がない。

埼玉県は、これまでたまたまふるさとを離れた就労人口の割合が高く、高齢者が少ないプレミアムを享受できた地域だっただけではないか。埼玉県が今後20年ぐらいで最も高齢化が急速に進むと言われている。おそらくあと15年ぐらいすると、埼玉県の人口増をもたらした団塊の世代が介護の必要な高齢者になってくる。このままの埼玉県の状態を学者や経済評論家たちが評価しているととんでもないことがおきる。今のようにサービス供給量にあわせた介護保険の運用をやっていると、大量の介護保険難民が発生し、介護保険の外側で自治体がさまざな施策を打たなくてはならなくなるだろう。

討論者として立ったのが、北海学園大学の横山純一教授(私の大学時代の財政学の先生で北海道民主党が作って市民の政策提言テーブル「未来への扉21」でもご一緒した)。横山さんは綱さんの報告に対して、施設の整備率との関連性や、埼玉県の短期入所施設への給付が突出している現象についてさらに突っ込んだ調査を求めた。また提言に対しては、家族介護への給付は、介護しないのに給付をもらうという(児童手当も同じだ)家族、高齢者虐待などにどう対処するのかという回答がなく危うい、NPOやボランティアを労働力として使うという前に、介護予防を自治体でしっかりやることが介護給付を下げるということを指摘した。

埼玉の短期入所施設の利用の多さは、全国平均に対する専業主婦率の高さと、施設入所がほとんど絶望的な現実とのはざまにある数字ではないだうろか。その状況が今後も通用する環境だと思えない。また、軽度介護を制度外におくことは危険だ。重度化するまで放置されてしまうということを意味する。それでは措置制度時代の介護地獄の復活だと思う。介護保険財政や自治体財政を軽くするが、たまたま要介護者を抱えた家庭だけに運不運でものすごい金銭的、時間的、精神的犠牲を求めるものになる。

地方財政とはもっと政策論とリンクしなくてはならないが、地方財政の議論では、「地方財政が危機だ」という掛け声にそのまま反応して、財政の帳尻あわせのためにトータルコストを無視したパッチワーク的なコスト削減提案合戦が流行している。ほんとうに財政を健全化するということはどういうことなのか、もっと慎重な議論をしてほしいと思う。

その後の、関西学院大学大学院生の的場啓一さん「自治体の少子化対策はなぜ効果が上がらないのか?」の報告はとても興味があったが時間切れで退席した。
配布されレジュメを見る限りでは、自治体は「少子化対策へ取り組む姿勢は見せているが、施策の有効性はともかく、それ以前に解決しておくべき課題は多い」として、施策の周知ができない体制であること、施策の総合的なコーディネートができていないこと、相談窓口はあっても相談しやすい仕組みになっていないことを指摘している。そして自治体の次世代育成支援行動計画について、「既存計画を集め、再整理した」だけと評価している。ほとんど同感。
朝霞市の次世代計画の策定を側面で見ていたが、個々のセクションが子育てを応援する施策に変更していくという熱意がなく、今やっている事業を変えずに追認してもらうために次世代育成とか少子化ということに強引に結びつけている施策ばっかりだった。目標項目と、具体的施策とに矛盾する内容も多い。
ただし、次世代計画の意図は少子化だけではない。子育てを大切にする社会的価値観を作り、子どものポテンシャルを高めること。次世代計画の評価を少子化の回避だけで測るのは良くないだろう。

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2006.05.25

5/25② 今ごろ作業所ができないと言われても

朝、作業所を作ろうと奔走していた方からメールをいただく。
障害者自立支援法で、障害者の作業所設立のハードルが高くなって、個人の力で立ち上げることが絶望的な制度になったと市役所から説明を受けたということ。市役所は、これまで作業所を作ることをけしかけてきたのに、全く手のひらを返した態度をとったらしい。

まず、その道義的問題を問われなくてはならない。作業所作りができるかできないか、ということに、そこには障害者の生活自立へのきっかけが断たれるかどうかという場面があり、成功するかしないかで障害者とその家族の人生をパーにしてしまうかも知れないという問題。市には責任感がなさすぎる。

それから、朝霞市の職員に自分の仕事に関わる制度に対してスキルがあまりにもない。特に福祉関係部署は顕著だ。中央の審議会でいろいろ議論され、その議事内容について新聞や厚生労働省のホームページにすぐ掲載されているのに、全然目を通していない。だから制度改正の議論に入るのが遅いし、地方分権一括法以前の、機関委任事務のように「国がこういう制度にしろというから」という言い訳がまかり通っている。あるいは市民に面倒な説明をしたくないからそもそも勉強しないようにしているのだろうか。
介護保険の見直しも、次世代育成支援行動計画の策定も、スタートが遅くて、計画策定の委員会の委員たちは、結局市役所の都合を丸飲みさせられていた。

それと、地方分権を全く理解していない。現在、自治体の福祉の事務のほとんどは自治事務になっており、国の関与は補助金を出すか出さないかに限られていきている。国がどんな制度になろうと、自治体が必要だと思うなら、国が制度を廃止しようとしまいと、自治体で存続することができる。ただし持ち出し財源になるが、どうでもいい事業や、レジャーまがいの事業(湯ぐうじょうなどクルマを持っている人しか行けない温泉でしかないのに年1億も赤字を垂れ流していた)が市役所にごろごろころがっているから、それを見直すことで捻出できないお金ではないと思う。

ほんとうに朝霞市は運不運に左右される自治体だ。鳴子だ基地跡地利用だ、遊びみたいなことばかりにお金を使って楽しいのかも知れないけど、そんなのでいいのだろうか。
障害者として生まれてくるのも、子どもが障害者として生まれてくるのも、誰の責任でもない。そして社会全体でならせばその障害者にまつわる負担はみんなで分担できる。さらにはその障害者の力を温存したり伸ばしたりするのか、家や施設の中に閉じこめて生存すれすれで置いておくのかでも、その分担する「コスト」をコントロールすることができるのに、そんなことは夢のまた夢である。
そうした人の生きることにかかわるリスクを管理できる地域社会でなければ、どんどんひどい地域になっていくことが避けられないだろう。焦りを感じてくる。

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5/25 政治がダメで宗教がOK

民主党の教育基本法改正案の要約でないものを読んだが、本当に内容がひどい。
これからは現場で子ども・保護者・教員・地域が話し合えば改革できる、分権自治型の教育システムが必要なのに、国の責任論。国の責任論というのは誰も責任をとらないということなんですね。
教育の目的も、「人格の形成」。人格の形成を「国の責任」でやる必要があるのか。国民(在住外国人含む)のポテンシャルを上げることが本当の課題じゃないかな。
知識や能力を高めることではなく、人格とか、精神とか、そんなことばかりが強調されていて、教育機関の宗教団体化をめざす法案ともいえる。
「発達段階」などという共産党の教育理論を無批判に書き込んでいることもどうだろうか。子どもの能力をマニュアル化して子どもの能力を見くびり、多様性・多面性を認めないのが「発達段階」である。

それと私学への位置づけがちゃらんぽらんだ。日本は、私学に多大な公費を支出して、私学に依存して教育基盤を整備しているが、それなのに、私学の経営にはまったく無頓着で、社会福祉法人のような厳格な公費使用の制限が見られない。私学が建設会社とつるんで不祥事を起こしたりすることはうわさの世界では日常茶飯事、理事長が公用車を乗り回したり、不可解なことばかりだ。
私学の建学の精神の自由を高らか尊重しながら、公費助成はもっとやれというのもかわらない。自由なことやりたいなら公費はなし、ではないか。
政治教育は私学でもしちゃいかんが、宗教教育は私学なら構わないというのもわからない。オウムや幸福の科学(実際幸福の科学の信者の議員がいるらしいが)は良くても、共産党や社民党や自民党はダメということか。私学に党派性があったっていいんじゃないかと思う。子どもたちにちゃんと拒否したり抵抗する権利を認めれば。船田元の作新学院のように中立といいながら裏で自民党を応援している私学なんてゴマンとある。中立性なんてうそっぱちを否定してその私学の政治的な立場を透明性を確保することに全力を挙げてほしいと思う。政党助成金の残金で民主党が学校作ったっていいと思う。
そこまで政治にはセンシティブになりながら、宗教教育やっている私学に公費を出すことがどうして可能なのかわからない。

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2006.05.24

5/24 年金不正免除は制度設計の問題だ

社会保険庁が、保険料免除措置の申請もしないで保険料を払っていない人に保険料免除を行っていたということがマスコミや国会で袋だたきにあっている。ダメな年金制度を創った政治家たちの尻ぬぐいで、大阪の社会保険庁の局長が更迭された。嫌な感じがしてならない。

更迭はやりすぎだが、懲戒はありうる。しかし、それなら、そんな現場が暴走するような制度設計した政治家どもも責任があるはずだ。年金の危機とモラルハザードは国民年金に象徴的に現れており、国民年金を含む一元化とか、税方式に移行するとか、いろいろな提案がされていたのに、そうしたシステム改革を全部一蹴した。そして年金財政の帳尻あわせだけの制度改正と、それから目をそらすように職員の不正行為をしつこくマスコミにリークして現場職員を雇用不安に陥れ、年金保険料の収納率のアップだけを目標にしたことだ。


何もしないで、収納率だけ上げるというのだから、やれることは限られている。暴力団でも雇って集金させるか、書類の上で誤魔化しをやるしかない。今回のことで言えば、書類の上のごまかしで、誤魔化された人こそ得をしているのだから、やむを得ない。

そもそも国民年金の保険料免除制度などというものが歪んでいる。
国民年金保険料は人頭税で、毎日拾った週刊誌売って、月収30000円の人も、月収1000万の大金持ちも同じ保険料しか払わなくてよい。人頭税に等しい国民年金保険料による財源のまま、投資先が宿泊施設から、株や債券に変わっただけなのだ。証券会社とつるんだ人がトップになれば、体よくボロ株の引受先に使われることだろう。
もちろん貰える年金も一緒だけど、月収3万円の人が苦労して月6万5000円しか貰えなければ、月収1000万の人も6万5000円しか貰えない。ないよりましな制度でしかない。政府は貧乏人や学生向けに免除制度があります、と盛んに宣伝し、免除制度の枠をどんどん広げている。そして免除制度が適用されれば「収納率」の分子にカウントされて収納率が上がるしかけだ。
しかし、免除といってもその分しっかり年金はカットされる。したがって貧乏な人はより貧乏な年金になってしまうだけなのだ。結局、その分は生活保護で埋め合わせるわけで、国民年金は損得以前に、払わない奴がトクする制度になってしまっている。

今回の大阪の問題は、大臣とそれ以上の、政治責任でもあると思う。アイフルもJR西日本もそうして現場の暴走の責任を取っている。年金のとりあえずの改革が終わりようやく本質的な年金の議論を始まろうという矢先に、うやむやにして衆議院を解散した小泉首相の責任は大きい。

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2006.05.23

5/24② 相続税の課税強化へ

政府税調が相続税の課税強化で動き出す。歓迎したい。
相続税を高くすることは努力に水を注すというような意見もあるが、所詮、子どもは他人。親の財産当て込むようではどうもならない。今の税制では、詐欺まがいの商売をやったり、親の財産をあてにして生きることを評価されるようなかたちになっている。いろいろ留保はあるが、賛成したい。

一方で、地域の緑地を守っている土地持ちなどを保護したい気持ちもある。だからといって相続税を下げればいいかというと、違うと思うし、これこれの用途なら、と理由をあれこれつけると、それを抜け道に相続税を払わない大金持ちが出てくる。

台湾の資産課税に学ぶことが多い。台湾の土地課税は、土地の価格を申告制にしている。そして申告した土地の価格が高ければ日本で言う固定資産税や相続税を高く払う代わりに、土地を売り払ってもほとんど課税されないし、逆に土地価格を低く申告すれば、固定資産税や相続税はべらぼうに安くできる代わりに、土地を売ったときにはごそっと税金で持っていかれる。孫文の思想がルーツらしいが、面白い税制だ。これなら、土地を公益に使おうとする土地持ちには固定資産税や相続税は安く、土地を投機に使おうという土地持ちには固定資産税や相続税をがっちりかけられる。

そして1980年代のバブルの頃、こうした税制を主張していたのが菅直人さん(「国会論争土地政策」参照)だが、今の民主党には土地持ちと労組出身議員の相続税の是非の対立論しかなくて、コロンブスの卵を割るような主張が見られない。

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5/23 文部科学省は小中学校を刑務所化すると

文部科学省が、学校秩序を守るために「問題行動」の生徒に懲戒権をもっと行使しろ、という報告書をまとめる。
内面支配するよりは外形支配の方が決着つけやすいけど、その運用やルールは市民社会の原理とはほとんど相容れない内容ばかりで、ひどいものだ。

教育にとって子どもは客で、客に対する懲戒権はどこまで使ってよいのか、もう少し冷静に検討すべきではないか。
学校秩序とは何か。学校はそもそも何を目的にしているのか。クラスという閉鎖社会で王様である教員が統治することが「学校秩序」なのか。子ども自身の能力開発と「学校秩序」がどのような関係性があるのか、薩摩の持ち込んできた明治維新以後の教育スタイルの中から、これらの答えは出てこない。

教育を他の商売と比べてみた方がいい。他の客商売で、客に懲戒権を行使することができるのか、行使するときはどのようなときなのか。そして懲戒の内容はどのようなものか。教育だから別次元で比べる必要がないというのは、文部科学省や教育者たちの驕りでしかない。さらに極端なこと言うと、その社会性のない驕りから教員たちによる性犯罪が引き起こされているのだ。

たとえば、授業妨害や、学校内でのほかの子に対する虐待・暴力などは、私個人は反対だが、他の子を保護するために出席停止などの一定の懲戒権が行使されることは仕方がないと思う部分もある。小売店では、クレームのうるさい客に懲戒権は行使しない。しかし万引きを放置したら商売が成り立たないから場合によっては問答無用で警察に突き出す。客への懲戒権の行使には一定の行動原理がある。
しかし文部科学省やこの報告書作りに協力した馬鹿者たちや、懲戒権をもとに教員たちがやっていることは、自由主義社会のしきたりを無視した、権力的な支配と服従の強制である。ルールはなんら合理的な基準もなく、子ども集団との合意形成なし教員が勝手に押し付けるものであり、ときには恣意的な判断がされるし、親が有力者だったり、担任と親がイデオロギーが近ければお目こぼしがあったりもする。

懲戒の内容も「訓告」や法律的な対応ならともかく、「居残り」させるとは拉致にあたり、「清掃」は強制労働にあたる(余談だが奉仕や懲罰で清掃をさせるから掃除が差別労働になってしまう。こういうことをする教員は清掃労働者への差別をつくっていると思う)。私の嫌いな共産主義政権とやっていることは同じである。そういうことを客である子どもたちに課すことがこの社会に成り立つのか、ことあれば、わが国は自由主義だとか言う論理と矛盾するのでないか。

愛国心だとか、学校秩序ばかりが優先されて、肝心の学力や考える能力、社会でたたかっていく能力がつかない。そんな公教育に税金を使うのはおかしい。小沢一郎は教育は国の責任と言ったが、そうだろうか。旧民主党時代、民主党は文部省の廃止を政策に掲げ、教育は現場と地域が責任を持てと。これからは自分たちの教育をつくる営みが求められているのに、それに反する動きばかりだ。
市場原理で公教育を変えることだって賛同したっていい。高校・大学のときの持論だったが、義務教育・高校教育予算を廃止、教育バウチャー制を導入すべきだという思いが復活してくる。子どもを客と思えないような学校なんて滅びてほしい。

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2006.05.22

5/23③ 「多様な保育」という誤魔化し言葉にダメ出し

十分な合意なく保育所の民営化をした横浜市に賠償判決が出る。

民営化がダメということではなくて、保護者の合意をおろそかにした民営化は賠償の対象になるという内容の判決。民営化の是非論と、民営化による質の低下や乱暴な不利益変更の是非論を分離して、利用者やその家族にとって実害のある部分に限って、厳しい結果を出した判断は妥当だと思う。

みんなの共有財産である保育所政策について権威のある人に白黒つけてもらうことは好ましくないと思うので、このことについて裁判で決着をつけるのは疑問だが(自治体政策決定過程への市民参加や市議会の勢力転覆で決着つけるべきということ)、鈍感な政治家が多いことや、そもそも政治的発言力の弱い保育所入所児童の家族にとって、やむを得ない手段だったのではないかと思う。

判決について記事でしか判断できないが、その中で「多様な保育ニーズに応えるため」という理由で不利益変更したことを根拠が足りないとしていることは注目だ。
朝霞市もそうだが、あちこちの自治体は、内容もわからないくせに「多様な保育ニーズ」を理由に民営化や安易な無認可保育所の活用などを行っている。この判決ではそのことが不利益な保育を押しつけられる理由にならないことを指摘している。朝霞市も、公園だかスーパーだか医師会館を作るために財政をけちり、無認可保育所に子どもたちを押し込めている政策を取っているが、その口実が「多様な保育ニーズ」。多様って何かと聞いても児童福祉課職員は答えられない。多様な保育なんかやっていないからだ。あるのは保育所利用者の多様な運不運だけ。そうした態度に反省を求める判決だと思う。

一方で、原告の保護者が「横浜市は子育て第1の保育政策にしてほしい」とコメントしていたが、少し違和感を感じた。保護者は民営化ということで混乱し、大変な思いをしたり、市役所に許し難い気持ちになったことは想像がつく。
しかし、朝霞市の保育所政策と比べると、横浜市の保育政策がそんなに劣悪だったか疑問である。民営化の手法に問題は残されるものの、専門家の前田正子副市長は、基準を満たした認可保育園が大事という視点で、他の予算をすべて削りながら保育園予算だけは増やしてきた。政策が劣悪だと決めつけられるものではないと思う。全国一多かった待機児童数をわずか3年でほとんど解決した自治体はそんなにない。むしろ、有名な革新市長を含めて専業主婦の育児責任を強調して保育園をつくらなかった(同じ革新市政の川崎市と対照的な態度)のがこれまでの横浜市だ。
副市長になるまで育児と仕事の両立の観点での保育政策ばかり提言してきた前田さんだったが、副市長に就任してからは観点が少し広がっていた。昨年、わが労組と子ども情報研究センターが共催した保育集会で、障害児の子育てや、貧困家庭や生活困難家庭、DV被害者の支援などの観点からも保育所の役割を強調していて、公立保育所こそそうした役割を担うよう促すあいさつをした。
※私は中田市長については、前田正子さんを副市長に起用したこと以外は、あまり評価していないことも言い添えたい。

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5/23② 営業から学ぶ理由と営業がダメな理由

●藤本篤志「御社の営業がダメな理由」(新潮新書)を読む。
障害児を抱えた知人が市役所に相談に行って、微妙な話になってくるとあっちいけ、こっちいけ、相談所を用意しているから、とたらい回しにされるという。そのことにほんとうに辟易していて、行政の福祉窓口は意見を聴くことができても、ニーズを見つける能力が欠けているのではないかと思っている。
ニーズを発掘し、相手により満足度の高い結果を提供する習性を学ぶには、営業マンのあるべき姿を学ぶことが良いと思っている。客の欲求に合う商品が提供できなくても、客の困っていることを解決する商品をあてはめていく能力などは、福祉に最も有効に使えると思っている(だからといって、福祉を民営化すればいいと思わない。民間福祉業者は、営業マンとも言うべき直接サービス職員を安価で不安定で身分的にも低い働かせ方をして、製造部門や仕入部門が勝手な思い込みで威張っている世界だから)。
そんなんで読んでみた本だけども、別のことを発見。営業マンというと激務でやる気満々のオスをイメージするが、やっぱり人間、そこまで徹底できる人もそんなにいないらしい。やっぱり。
すごい営業マンなんてそうそういるわけじゃないし、上下2割を切った残り6割の営業マンに視点をあててどんな働きかけをすべきか、ということを著者は考えている。世の営業啓蒙書の多くは、上2割の真似をさせることしか書いていない。
そのためには、営業課長は見もしなければ検証価値もない営業日報を廃止して、1人の営業マンに1日30分はヒアリングしろと言う。面と向かってはウソは書けないし、仕事を数字をつくる感覚から、上司にいい話を持って帰ろうとするようになるという。また、営業課長はノルマを持たずに、部下の大事な営業シーンで同行することだけにしろ、という話も。他の仕事や市民活動でも、外に広げていくためには取り入れることが多い。

●ニフティー・ココログがうまく動作しないせいで、まともなコメント、トラックバックが飛ばなくなった。劣悪な環境でも万難を排して営業するエロサイトや怪しげなアフリエイトの誘いばっかり来る。意味が少し違うが、悪貨は良貨を駆逐している。

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5/22 山本孝史さんの快癒を祈る

民主党の山本孝史参議院議員ががんに。過日、テレビの映像で激しく痩せて出ていたので心配していた。
山本議員は、あしなが育英会の事務局から議員に転身し、当事者の権利を大切にする民主党の福祉政策を作り上げてきた議員。競争原理やマッチョ体質、維新の志士が大好きなオス臭い民主党の中で、そういう感覚ではつかめない、政治がやらなくては解決できない課題に誠実に向き合ってきた議員。いなくなれば民主党の福祉政策の質が大きく下がることは避けられない。ほんとうに心配で、快癒を祈っています。

今、当事者として取り組んでいるがん対策のための総合的な政策を、与野党、利害を超えて当事者のために合意してほしい。

●一方で、10月の神奈川16区の補欠選挙に、民主党は、週に1回何かを実現するという自称「実現男」後藤祐一を擁立することにしたらしい。ブログを読んでいると毎日遊んで暮らしているみたいだ。そして阪神乗っ取りの村上と同じ経済産業省出身。
また悪い病気が始まった。戦略性も感じない。高学歴で突飛で目立っていればそれでいい、という感覚で候補者を選んで選挙区に押しつけてくるのは、野党第1党が公器であることをわきまえないおごりでしかない。民主党の中枢部は2ちゃんねるしかやっていないのだろうか。こんな候補擁立を続けていると、再びあの手この手の自民党にやられるだろう。不まじめなことをすると痛いしっぺ返しが来るということをわかっていない。

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2006.05.21

5/21② 権力者に都合のよい権利と義務論

家の塗装工事が予想より早い時間に終わり、午後は時間が自由になったので、子どもの権利条約総合研究所のシンポジウムに行く。テーマは子どもの権利論の総合的検討で、小金井市の子どもの権利条例制定に携わった野村さんの「子どもの権利条例づくりと子どもの権利・義務」、川西市の子どもオンブズパーソンの事務局にいた吉永さんによる「子どもの権利救済と子どもの権利」などが報告。小金井市では、条例策定委員会の公募市民が権利を与えるならその分子どもに義務をとばかりいって議論を混乱させていた状況が報告される。

権利問題を、義務とのトレードオフで議論する愚かさは何度か書いてきたが、子どもの権利というとまさに「義務」ばかりが前面に出てきた議論しかされないという野村さんの報告は同感だし私にとって琴線に触れる話だ。このときの義務とは、権利行使の結果に責任を持てというものではなく(それだったら義務ではなく結果への責任と言えばいいことだ)、権利行使するなら、無条件で何がしか服従しろ、というニュアンスで使われる。

私は日本共産党の影響が強い高校を出たが、その影響下にあった当局は、自分たちの歪んだ権力を正当化するために、「権利には義務がある(言いたいことを言って教員にたてつくならその分教員に忠誠も誓え)」と言って仲間や私に服従を迫った。その矛先は反論できた私やその仲間だけではない。教員に楯突くまでもなく、さして不満を述べずに静かに不登校になった子たちにまで言葉の刃が向けられた。
権利を制限できるのは他人の権利が侵害されるときであって、権利の行使と取引関係で義務が発生することはない。近代民主主義の基本的なつくりである。義務は権利行使とは独立した関係にあるということもわからないで、保守派な通俗道徳のままに権利と義務をトレードオフのような議論をしていた。取引関係で権利と義務を語れば、他人に義務を課すカードの少ない立場の者を抑圧する論理になる。こうした理屈を押しつけてくる彼ら左翼教員たちの偽善的態度に反吐がでる思いをした。

●トルエンの臭いの中、地域福祉計画の過去の資料文献を時系列に整理する作業を午前中行う。

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5/21 子育て世代への経済的支援は歪んだ政策決定だった

政府が近く打ち出す少子化対策案について、それをまとめてきた専門委員会は子どもを生み育てられる労働環境や社会インフラの整備で議論を進めてきたのに対して、猪口邦子少子化担当大臣が、結論を自民党が強く求める経済的支援にすりかえたことで週明けに抗議声明を出すという。
少子化担当大臣は、本来、子育てがきつい乳幼児をもつ親のためにスタートした児童手当を、高年齢層の子や富裕層にまでばらまく制度にしてしまい、その上、やっばり乳幼児の育児が厳しいからと、乳幼児手当という屋上屋を重ねるような愚策をやると言っている。
自治体では現在も、児童手当支給事務に数人の職員が常時配置されている。これにさらに支給基準の体系が異なる乳幼児手当がばらまかれるようになったら、自治体職員がさらに必要になる。多分、乳幼児手当に兆のお金を用意できるとは思えないから、乳幼児1人5000円程度のばらまき福祉のために。
児童虐待やDV対策に、人手不足を理由に何もできなかったり、保育所を無理に民営化している現状の自治体を見ていると、そんなつまらないことに労力を使っているとはばかばかしくなる話だ。

これまでこのブログでも繰り返し経済的支援の愚かさを指摘してきた。
子育て世代も騙されてはいけない。保育園をリストラしたり、産科医の全国的な廃業を指をくわえて見ているだけの政権がいう経済的支援とは、本当に困ったときの行政サービスは何もしないから、はした金でなんとか自分たちでやってくれ、というメッセージでしかない。就労環境の整備や保育所の整備をやらないで現金だけばらまけば、それは専業主婦優遇策でしかない。どう考えても、専業主婦がいる家族モデルを前提にした政策はもはや有効性を失っていると思うが、自民党はイデオロギーに縛られている。
そんなことで少子化対策にもならないし、少子化が解決しなくても子どもが育つ環境が良くなればいいが、保育園も入れない、母子家庭は路頭に迷う、こんな社会のままでお金だけ流したって何になるのか、自立を促す政策になるとは思えない。
ほんとうに困っているところだけに財政出動すれば効果的なお金の使い方になるが、政策意図もなく財政出動をするためにムダに税金を集めることになるのだから、政府の機能の否定である。

専門家たちはそんな「ばらまき福祉」で子どもが増えないし子育ての環境が良くならないことはわかっている。でもいくら渡したと選挙で絶叫するのは楽だから、政治家たちは後先考えずに経済的支援に傾くのだろう。猪口邦子も働く女だからおそらくその不合理さはわかっているのかも知れない。しかし、反動的感情渦巻く中で圧勝した小泉チルドレンの一員として、働かせ方を変えろとか、保育所を充実しろとか、「社会主義者」たちが言うような政策は主張できなくなっているのかも知れない。

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5/20 社会生活と医療との関係を考える1日

昨日は同僚が3ヵ月研修で地方に行くことになり、その送別会に出る。その後、同僚と飲む。労働組合職員にとっての共感能力が議論になる。

今日は、地域福祉計画の策定過程を振り返るため、議事録をもう一度読み返す。ものすごいノウハウの宝庫だと改めて感じた。

朗報というか。祖母が退院したという知らせを受ける。まだ入院期間は残っていたが、母の兄弟姉妹たちが病院から退院させてきたという。リハビリが成功しなければ寝たきりが続く。
医師は、在宅で暮らすのは無理だから限界まで入院して施設に入れと助言した。
しかし、このままでは何もできない人間になってしまう、万一を恐れて病院で寝て暮らしても死ぬのを待つだけだし、祖父は病院でMRSAで孤独死した。年齢からして仕方がないところもあるが、みんなどこか悔しく、情けない思いをした。慣れたところで暮らす方がいいという母たち兄弟姉妹の判断だったようだ。

●臨床研修を終えた医師が大学病院に残らない、という記事を読み、そこについていた大学病院にそのまま就職する人の科別の増減のグラフに興味をひかれた。やはり産科、小児科、脳神経外科、救急科は大幅に減っている。一方で形成外科、皮膚科は急激に増えている。
最近、産科、小児科の医師が不足していることから、医師をもっと増やせという議論がまきおこっている。しかし、このただ医師を増やせば、増え続けている形成外科や皮膚科などの医師はもっともっと増えてしまう。そしてやらなくてもいい医療のための社会のコストが膨らんでくる。
医師の総量は医療費総額でコントロールできるかも知れない。しかし、これ以上増える必要のない科の医師もいるわけで、その調整はレッセフェールでやっていてはだめで、政策的介入がどうしても必要になる。青天井に医師にお金を注ぎ込んでいけばいいという議論ではダメだと思う。

●NHKのETV特集「ある地域医療の挫折」を観た。合併交付税で目のくらんだ北海道の寒村が合併して(どうせ合併新庁舎の建設の国費めあてだろう)、何もわからない新町長とその側近が最先端の地域医療の実践をパーにし、熱心な医師を手放してしまった話。地域医療の充実で住民1人あたりの医療費を抑えた実績が、「財政問題」で否定されている論理矛盾。
そのからくりはベッドばかりたくさんあるだけの役に立たない救急病院を持っている自治体に手厚い交付税が入る仕組み。人手をかけて予防医療に力を入れて医療費を削減するより、ベッドを置いてあるだけの病院の方が自治体財政にメリットがあるというしかけ。
「公務員が多い」「準公務員が多い」という議論の果てに、日本の公的財政って、モノにしか金を払わない。医療や福祉の分野でモノを基準にお金を払うと、施設や設備に合わせて患者や利用者をつくることになる。ベッドが多いから稼働率を上げるために入院患者を増やす、入院患者が増えるからコストがかかる、さらには住民自身も寝かせきりで機能低下してますます医療依存にさせられていく。そして自治体の国保財政を中心に医療関係の支出に歯止めがかからなくなる。
もう1つ、心療内科で受診していた酪農家の患者の言葉が心に響いた。「村上先生(地域医療を推進してきた中心的な医師)は、ぼくのこと何でもわかってくれて、どんな体調でも牛の世話をしなくてはならないぼくの生活と治療が両立するように一所懸命考えてやってくれる。そんな医師はなかなかいない」。同感だ。

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2006.05.18

5/18② 繰り返される朝霞市の談合

朝霞市の入札では談合事件が後を絶たない。
きょうの朝日埼玉西版などで報じられたが、朝霞一中の取り壊し作業の入札で、談合情報があり、入札を延期したということだ。何度も何度もこうしたことが繰り返されており、入札改革が必要である。

法政の武藤先生の「入札改革」はいくつかの点で参考になる。
・入札を、登録業者だけでやる指名競争入札ではなく、一般入札にすること。応札する業者が特定できなくなるので談合がしにくくなる。
・応札業者がわかってしまう業者向けの説明会を開かないこと。入札にかける事業についての説明は文書かインターネットでのみ公開すること。説明会を開くと応札業者がわかってしまい、談合がされやすい。

そして大事なことは、
・お金だけの評価で入札しないこと。男女平等や障害者雇用、リサイクルへの協力、地元雇用、労働基準法の遵守など政策協力度も評価に入れて入札すること。それらをポイント換算するなどして、公正に評価されるようにすること。

この間の「改革」好き連中の議論は、税金が無駄遣いされなければいいというだけのポリシーしかない。でもお金だけしか評価しないから、談合が簡単にできてしまうし、安ければ問題業者などに簡単に委託されてしまう、という。お金だけが評価基準なら、業者どうし、説明会の廊下やトイレの隅、市役所のロビー、帰り道でものの1分もかけずに談合ができる。
政策協力度をポイント化して入札基準に組み込むことは、民間業者に政策協力を得るための有効な手法になるだろう。朝霞市の次世代育成支援計画では、市の職員が「私たちが民間業者にあれこれ言える立場じゃないんですよ」なんて泣き言を言っていたが、金も権限もあるのだから、泣き言を言う前に手段を持ってほしい。
一方で、事前に政策協力をスクリーニングして登録業者制度にしてしまわないよう、指名競争入札の失敗を繰り返さないよう、政策協力度もポイント化して競争基準に入れ、公正な業者決定をすることが大事だという。評価基準が複雑化すれば、説明会の廊下やトイレの洗面所での談合では済まなくなり、資料なども出回り、確実に足がつくことになる。

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5/18 ほちいほちいという子どもみたいな議論

基地跡地利用の策定委員会の3月27日の会議の議事録が公表されている。

第10回基地跡地利用策定委員会の議事録(2006/3/27)

これを読むと、基地跡地利用をするためには、朝霞市財政に相当な犠牲がかかってくることが報告されている。それなのに基地跡地を利用したくてしたくて仕方がない、不動産屋の委員や市民の委員は、そんなことは財政課が考えることだ、議会が考えることだ、とまったく顧みようとしない。あんまり財政のことを考えて何のための行政になってしまうのか、という状態は考え物だが、あまりにも自分たちのやりたいことばかり主張して、財政のことを顧みない議論は、第二次世界大戦中の陸軍・海軍の失敗を繰り返すようなものだ。
私は、事務局が説明した数字を議事録から拾う限り、基地跡地取得の借金返済のため毎年20億~30億の返済が必要になる。20億~30億というと、介護施設や保育所5~6ヶ所開設できる金額であり、介護施設や保育所への国補助も考えると10ヶ所ぐらい開設できる金額だ。介護施設や保育施設のランニングコストに換算すれば20ヶ所分である。

私のように保育園を使わなくてはならない市民は、市職員に財政事情で我慢しろ、と言われ続けている。それもふてぶてしい態度で。児童福祉課の窓口職員に半ば税金泥棒みたいに言われて、いい応対されたことはなかった。
それなのに、公園だとか、巨大スーパーだとか、医師会館だとか、作りたい人たちで自分たちで何とかしたら、ということにジャブジャブお金を使うなんてナンセンスだ。
基地跡地利用なんて政策が間違っていると思えてくる。都市計画で、国が変なところに売ったり、変な用途に利用されないように歯止めをかけるだけで十分じゃないかと思う。

私は小さな政府に反対しているが、税金が有効に使われないことについては、問題だと思っている。
公園をつくるのか、救急病院に客が取られるのを嫌がる医師会のための施設をつくるのか、はたまた今や時代遅れになり始めている郊外型スーパーのために使われるのか、いずれにしても、あったからといってどうだというのだ。
朝霞市で保育園や介護施設に入れない人たち、劣悪な障害者福祉サービスの中で、仕事も他の家族の面倒も犠牲にしている人たち、そして満足な機会を与えられない当事者たちの状況が放置される。彼らは、行政にちょっと詳しい市民や市職員に税金の無駄遣いと言われているのだ。そして税金の節減というと「行政に甘えている」と真っ先にその標的になる。土地成金で私費で福祉をまかなえる人たちが市役所に大きな顔をしているから。
私の小学校の頃の朝霞市の教育はひどかった。教員は白の模造紙しかかってもらえず、枚数も上限があった。がんばっている先生は自分の給料からカラーの模造紙を買ったりしていた。この議事録を読むと、当時、野球場を作ったり、運動公園を作るために、そんな犠牲を払われていたんだということがわかる。当時は、まだ能力主義なんてなかったからとりあえず就職できる子さえ育てれば学校の役割は終わった。
しかし、これからは熾烈な自治体間競争が始まり、教育や福祉にお金をけちって質を下げてしまうと、首都圏の中では比較的安いという面でしか朝霞を評価しない、町を住み捨てる人しかやってこなくなる。
立派な公園ができた、医師会館ができた、郊外型スーパーとの複合施設ができた、さてそれで朝霞市民の力がどんどん低下したら、市民所得が下がり、税収が下がり、さらに朝霞市は財政的に危機的な状況に陥れる。
そういうことをわかって、財政論を無視した議論をしているのか、疑問である。

こうした主張をする不動産屋や市民を見ると、稼ぎも少ないのに、家計も顧みず、自動車や家電製品を買ってくるおやじのメンタリティーを見る。こういう自治体を見て、母屋はお茶漬け食べているのに、離れではすきやきというのだろう。

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2006.05.17

5/17② 情けない話ばかり

●民主党の教育政策がよくわからないし、断片的な言葉はほんとうに品がない。福祉とか教育政策には勉強不足な議員が多く、勉強不足な奴ほど威張って政策をねじ曲げるのが民主党の特質だ。次の政権交代で政権を担当する政党はセーフティーネットをつくれるかどうかが試されているのに、今は無能力状態だ。戦後の教育を批判するなら、明治維新から戦前までは歪んでなかったのか。きちんと整理してほしい。

●クローズアップ現在で多国間協調政策を進めるアナン国連事務総長のインタビュー。クリントン時代の理想に惚れ込んでやってきた人だという感じがした。
河辺一郎「日本の外交は何を隠しているか」(集英社新書)では、日本政府、はアメリカに負けず劣らず国連分担金を滞納している国で、そのことを国民に隠し、アメリカだけが滞納しているようなウソ情報を流して国民を信じ混ませている。国会議論も与党も野党もその情報に騙されているという。
外務省は、外務大臣演説時間が確保されたり、国連の要職のポスト捕りが成功したり、アメリカの与国として一緒になって圧力をかけることに成功した後に、滞納した分担金を納入しているという。さらに恥の上塗りに、米軍再編経費の1%程度の国連分担金を、高すぎるの非効率だの何のといって、見直し要求を出しては、アメリカと一緒になって、アナン事務総長やそれに同調する国々を脅かす。ひどい話で国辱だ。
佐藤優の現代の記事も笑えた。川口順子外相時代に川口が優秀な職員を川口賞として表彰し、赤シャツをプレゼントしていたという。本人たちは小泉改革への忠誠の印なのかもしれないが、たかが赤シャツを栄誉だと思っているとは情けない。

●ネットの利用環境についてあれこれ言うのは下品な感じがしますが、どうにも使いにくくて。

ニフティー・ココログがめちゃくちゃ遅い。社長もブログでわびているが、本音は我慢しろ、と言っているだけ。何が原因で遅くなり、どんな対策を打とうとしているのか、まったく情報開示がない。
どういう料簡で既存の有料客に迷惑かけて、無料開放などするのか。無料開放してから使用にたえられないほどレスポンスが遅くなっている。そこまでして無料客を甘やかすのには、どこから金が出ているのか。下手なスポンサーのために、まともな利用客が我慢しなくてはならないのか。ニフティーやココログは利用料で育てた世界だ。有料客をまず優先して扱ってほしい。
こんな状態が続くなら、村上ファンドが上場している親会社の富士通を乗っ取ろうとしたときには、諸手を挙げて賛成してやりたくなってくる。

それともそろそろネット離れしろという天の声かも。

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5/17 埼玉は障害者が就職しにくい県

障害者の就職率が公表される。
全国の障害者のほんとうの数はわからないので、雇用率ではなく、就職しようとした障害者に対する比率なので、どこまで実態を示しているかわからないが、なんとなく傾向が見える。

埼玉の障害者就職率は、大阪、神奈川、千葉、青森についで下から5番目。次が東京だから、青森を除けば障害者が働くのに大都市圏は厳しいのかも知れない。優秀な比率が新潟、富山、石川、福井だけども、そもそも就職しようとする人の数(分母)が少ない。
全国の就職者数に対する各県の就職者数を見ると興味深い。東京が1割なのでほぼ人口比どおり。埼玉は6~7%必要だが、3%ぐらいなので、あまり就職状況は良くないということがわかる。神奈川はもっとひどい。逆に埼玉よりちょっと人口の多い大阪が倍ぐらいの人が就職できている。

「大幅な伸び」となっているが、注意しなければならないのが精神障害者の伸びである。身体障害者や知的障害者の伸びは従来どおりの傾向である。
また、雇われた障害者がどのくらいの賃金をもらっているかも検討が必要だ。
障害者自立支援法の施行でマスコミがいろいろな障害者に取材していたが、手取り月収10万しかいかないような人ばかりだった。
仕事があるだけありがたいと思っている障害者に対して、二級市民的に、格安な労働力として使われてもいけないし、逆にノーマライゼーションを拡大解釈して、障害があることにそれなりに配慮された仕事の回し方をしていない職場もあって、ひどい場合には自殺するようなこともある。
障害者が働くということを機会に、誰でもが気持ちよく働けて、その人の機能や能力をできるだけ尊重されるような職場づくりを考えてほしい。

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2006.05.16

5/16 とんでも科学信者に愛国心を求められても

教育基本法改正で、自民党が愛国心的なものを打ち出せば、民主党が日本を愛する心と、さらに純化路線。対案出せばいいってもんじゃないだろうに。

レベルはぐっと下がるが、むかし「好・き・で・す・朝霞」というキャッチフレーズで市長選に出たパンチパーマの県議がいた。なんかものすごい違和感を感じた。

自分の属する集団を、為政者が好きか嫌いか価値判断させるのが、近代のいやらしさである。政治家なら、今の地域の問題をきちんと捉えて提起していくことが仕事じゃないかと思う。「好きになりたい朝霞」ならわかるが、有無も言わせず「好き」を押しつける、属する集団が好きか嫌いかで統合を図ることは下品なやり方だと思う。人はそこで生きていくのだし、そこにはあえて好きだの嫌いだの言う必要はないと思う。ただ、過ごしやすい社会や地域があることが大切だと思う。そういうことをやっていれば為政者は愛されるかどうかはわからないが、嫌がられることはないのではないかと思う。

民主党が愛国心を自民党以上におしつけようとする考えをまとめている席に並ぶ、幹部の面々を見てほんとうにがっくりきた。とくに菅直人が並んでいることを。そして、この問題では、公明党の方がよっぽどましだということも。

●首都圏の8都県市(東京、埼玉、千葉、神奈川、横浜、川崎、千葉市、さいたま市)の首長の会議があって、ゲーム脳の研究を始めることで大いに盛り上がったらしい。そして浦和の相川宗一(革新市長の息子)は、早寝早起きしない子は頭が悪くなる、と真顔で提案し、一部の首長が啓発運動だけでなく規制をしようと言い出しているという。
こいつら改革派で選ばれた奴ばかりだが、おつむのレベルを疑うぜ。とんでも科学を真顔で議論しているヒマあったら、首都圏内の地域格差とか県を超えると不便な問題を解決するような議論してほしい。

北海道や札幌と比べると明らかに首長の質が低い。行政に期待されるものも少なく責任感がないからじゃないか。
さらに輪をかけるように、自治体の動きを地元紙や全国紙の地方欄が追っているわけではない。首都圏では行政施策の変化は口コミでしか知ることができない。原始時代なみだ。その口コミをありがたがって、首長をあえて批判しようという動きもない。どいつも2選目は事実上の信任投票だ。
首長がみんなの視線に晒されて、仕事を評価をされることが少ないと、どうしてもこうした思い込みだけのとんでも科学みたいなことに飛びつく体質ができあがっていくのは避けられない。この8都県市では千葉県・市の2人以外は、愛国心強要論者ばかりだ。
不幸なことに、全国紙で埼玉地方欄を担当している記者が、生臭いニュースより、運動会やお祭りのニュースばかりで埋める方がクオリティーが高いと宣った話を聞いたことがある。埼玉新聞もお金がないのか大本営発表の人事ニュースしか載っていない。地域メディアの役割は大きいのに、フリーペーパーしかない。

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2006.05.15

5/16 野党のあり方で自治体も変わる

朝の有楽町線が車両故障。これまでも連結器が切れたり車両がよく壊れる物騒な電車だ。和光市や新木場の工場のメンテナンス能力の質が低いのか、有楽町線の車両が設計上問題を抱えているのか、寿命なのか、原因を明確にしてほしい。

●最近、知り合いが、朝霞市の「市民ネット」という市議会会派の広報を見せてくれた。この市民ネットは首都圏各地の生協運動から生まれた会派ではなく、旧社会党の若手議員が社会党の崩壊と同時につくった会派。
実は、このうち1人の議員の初当選の選挙を私は応援したが、その後、私が民主寄りに見えたのか、おたよりも何も送ってこなかった。民主主義を徹底する左翼的な主張を高く掲げているのに、どんな議会活動をしているのか、全く情報が入ってこないし、民主主義に対してまずいんじゃないかなぁ、なんて思っている。

埼玉県南部の自治体の体質が、北海道や大分の自治体よりもはるかに古くて勉強していなくてやる気がなくて批判してきたが、本来、そういう自治体を改革すべき旧社会党や革新系無所属の態度もまずかったんじゃないの、と思うことがある。
保守派に対する批判を、すべて「戦争の準備をしている」というところに話をこじつけて意味のない批判にしてしまったり、介護や保育の利用料値上げのことはことさら問題にするのに、サービスを受けることすら行政裁量で排除されている人々のことについては、ほとんど無視をしてきた態度は本当に問題だと思う。国際情勢についてはマニアックなぐらいしゃべり倒すのに、福祉については熱心さが見られない。

今回の通信で、路上禁煙条例にこの会派はただ1つ反対した。たばこの火と煙の暴力性について何も自覚しないこの会派の態度はほんとうに残念で、次の投票行動に十分に参考にさせてもらおうと思う。

でも、自民党(地主ばかり)と公明党と共産党しかない市議会(最近民主もできたけど、よそ以上に自民党との違いが解らない。労組出身者もいない)で、どこを選ぶかというとでもしかでそういう人を選ぶしかない。誰か市議に出てくれないかと思う。保育園問題とか、東京通勤者とか、給与所得者の家庭の大変さをわかるような、しかも市民運動やNPO活動にも関わって楽しんでいけるような元OLの人材がいないかと思う。

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2006.05.14

5/14② 男性に対する職業差別に賠償求める

午後、次世代計画の推進委員会のワーキンググループの会合。子ども・子育てに関する講演会・学習会の話を具体化していくこと、母親学級の改革で出産・子育てに対する未知なる不安を払拭しポジティブに捉えられるようにしていくこと、「子どもデー」みたいな日を設けて集中的に子ども・子育てに関するイベントを同時多発的に行い、地域では、子どもと地域の商店を結びつけるイベントを実現していくことが話としてまとまった。ほんとうに実現していくと、子育て・子どもに関する意識が変わってくるのではないかと思う。

●きょうの毎日で、人材派遣会社の事務職に応募した人が、男性であることを理由に採用を断られ、裁判を起こしたことが報道された。快挙であると思う。女性が入り込めない職場はだいぶなくなってきた(現実的に出産と上方婚(関西人と結婚することではなくて、結婚相手の男性を身長や年齢や年収で上回っている人を選ぶこと)を求めた結果として夫から押しつけられる育児によって、現実的には女性が入りにくい仕事はまだまだたくさんあるが)。しかし、一方でこれは女の仕事、性格的に女が向いている、男のする仕事じゃないなどの口実で、男が入ることを拒絶されてきた仕事も多い。
私も、北海道にいたときに近所にあった中央郵便局の年賀状業務のアルバイトをしようと思ったが、男性は自転車で配達のみ、屋内の仕分け作業は女性だけ、という条件があって、雪道自転車をこぐ自信がなくて諦めたことがある。

これで思い出したのが、新座の星川さんという女性市議がもらった手紙の話だ。新座市の女性職員有志という差出人で、要約すると「これまでの女性職員はお茶くみやってコピーとってテキトーにやっているだけで公務員としての給料を貰えたが、あんたが男女平等でがんばったせいで女もいろんなことをしなければならなくなった、落選させてやる」と。これが本当に女性職員のものなら冗談じゃないクビを切れと思うだろうし、星川市議を快く思わない男性の悪意に満ちたいたずらかも知れないが、こうした論拠が成り立つことがおかしい。

男であるから、女であるからと役割分担を求められるのは、妊娠と出産と月経とトイレに関連するものではないかと思う。仕事は、男だから向いているのか、女だから向いているのか、ということではなく、それぞれの各人において、その能力や向き不向きの中で決められるべきで、門に入る前から男だから、女だからと決められるものではないと思う。
私は中学生のときに面白い経験をした。ラッパが格好良くてブラバンに入ったが、なぜか同学年で男1人だった。同学年の人たちは女の園を作ったのに、そこに異分子が入り込んだというので、お互い最初はえらい苦労した。何度も退部を決意した。でもやっぱりそういう経験をしてよかったと思うし、後で一緒の輪に入れて、一緒にいろいろ考えさせてくれたことはとってもいい経験だった。

余計なことだが、男と女で被害者と加害者が入れ替わると、逆セクハラとか逆性差別という言葉を使うことに違和感をもっている。男だろうが女だろうがセクハラの被害はセクハラの被害だし、性差別は性差別だ。

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5/14 社会人になるための偏差値

商売のあり方に毀誉褒貶のあるNOVAのCMで「日本が沈む前に」というフレーズに笑った。愛国心だ在郷っぺを愛せだとか、いんちきな教育改革が議論されて、その一環で外国語の早期教育も始まっている。その外国語教育が「日本が沈む前に」だから、ニーズとしてあるのは日本脱出。
外国語が不得手で、海外に行くことが恐くてしょうがない私だけど、20年後のこの社会が恐ろしく乱暴でモラルハラスメントに満ちた社会になっているような感じがする。いろいろ考えてしまう。

●安倍晋三の本質を見るような話。小泉政権のむごたらしさを是正するかのような発言をしているが、やっぱり福田よりもむごたらしい本質をもっている。
安倍晋三が議長の政府の「再チャレンジ推進会議」が、社会人基礎力なる人間を測る物差しをつくったというニュース。就職を円滑にする、などと目的を挙げているが、実際は、個々の労働者の内面的な能力をあれこれ測りたがるんだろうか。うんざりする。人間の多様な内面、ふくらみまで偏差値のように扱おうというのがこれからの社会なのか。このように企業に望ましい内面性を持たないと就職できない、というメッセージを送れば、優等生の若者は自己暗示をかけ望ましい人格形成をし、劣等生の若者は最初から就職を諦めて自分らしさを追いかけて社会保障制度にぶら下がりコース一直線。かえって悪影響だ。世の中そんなものではないだろうと思う。
「再チャレンジ」というのはこうした偏差値数字をあれこれつくって失敗させないことだという理解はどうしてもできない。「再チャレンジ」というのは失敗したり、失敗しそうな要素を持ってる人でも何とか社会参加してこの社会に居場所があり、誇りを持って生きていける社会をつくることだろうに。まったく筋がずれている。
雇用の流動化なども含めて「あんたのためだよ」なんて甘いささやきをする政府や御用学者・御用経済人(それとフランスのドビルパン首相。対抗すべき社会党の女性大統領候補も同種の思考の持ち主らしい。余談でした。)たちは、地獄行きの切符の売人だと思う。こういう甘言は彼ら自身の金儲けのために言われていることで、我々賃労働者になるしかない若年者にとってただただ労働力をダンピングさせられるための入り口にすぎない。
折しも自民党と民主党のバカ政治家は自分たちの情けない脳みそを愛してもらえるように愛国心を煽ろうとしているが、国民に内面的な能力への強迫観念ばかりを煽って、パン食い競争ばかりさせるような政府を若者が愛するのは難しい。パンを食うためだけにしか努力できない国にぶらさがることに美学を持てる人はおめでたい。欠陥商品を誇らしげに使うような感覚だ。それを逸らすために安倍晋三はへんちくりんなナショナリズムを煽り、他にも欠陥商品はいっぱいあると、中国・韓国にフラストレーションのはけ口を向けているのだろう。ああいゃだいゃだ。

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5/13③ 公園があっても・・・

●市内の方と思われる方からメールをいただきました。

内容は基地跡地のことで、自然を残してほしいという気持ちいっぱい(それは私も同感だが)でつまっていて、自然のためにも市民の保養のためにも地球温暖化防止にも洪水対策のためにも、とにかく公園にして残せという主張でした。そして基地跡地の市民懇談会に傍聴に来てほしいというものでした。

お気持ちはわかりますし、共感するところもいっぱいだけども、基地跡地の自然を守りたいなら、絶対的な正義ではなく、利権に勝てるシステム提案と理屈を出していかなくてはならないし、残念ながら、「基地跡地を開発する」という前提が合意形成されてしまっている以上は、認可保育園に入れない子どもを抱えて家計が正直いってきつい状態の我が家にとって、これ以上、市の財政を痛めつけて福祉や教育など人づくりのところにお金をかけることができなくなることは避けてほしいという思いがあります。そうした施策をとれば公園ばかりが立派で、確実に朝霞市民の力を奪っていきます。

公園が善なるもの、という前提を疑ってほしいです。ハコモノ行政の弊害とは何なのでしょうか。使われるか使われないかわからない施設を作り続けることです。立派な建物なのに運用する職員がいない施設のことです。
どんなに自然環境を守ろうとも公園もひょっとするとハコモノ行政の1つかもしれないということを考えなくてはなりません。公園はコストがかからないように見えますが、収入も上がらず、誰かがメンテナンスをしてくれるものでもないので、清掃業者や造園業者を年がら年中使って整備しなくてはならない、ものすごくコスト高なものなのです。

朝霞市に公園が少ないというのは、根拠のない話で、首都圏にしてはものすごく公園が多いまちなのです。朝霞市に造園業者が多いのも公園が多いからなのです。公園がいっぱいあるのに、安らげるイメージを代表する「公園」をもっと欲しい、というのは、もっと別な原因で市民は安らぎを得られないと理解した方がよさそうだと思います。欲しい→つくるべき、という行政ニーズの展開の仕方はばらまき福祉以上に問題だと思います。

私は、基地跡地を緑地で残そうとした人は、基地跡地利用の議論にのってしまったことが失敗戦略だったんじゃないかと最近思っています。基地跡地を使わなくてはならない、という議論ですから、限りある朝霞市財政の中では、民間に売り飛ばすしかないわけで、不純だけども公務員宿舎にして緑をたくさん残す計画にしてもらうことが市の財政を痛めつけずに緑を守る方法じゃないかと思っています。
お金をかけずに自然を守りたいなら基地をあのまま放置しておくことがベストで、そのためには跡地利用という前提をぶちこわすことが必要ですし、私たちの中にある空いた土地は何かに使える、利用しなくてはならない、という脅迫観念を棄てることではないかと思っています。

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5/13② 運動体が金融事業に噛むことのメリット・デメリット

マンション管理組合を支援するNPOの会議に出席をする。全国団体が各加盟組織の意向に気を配らず、共済事業をやりたいとアクセルを踏んでいることに対して、共済を抱えている組織にいる私から意見を聴きたいという話だった。

労働組合の共済事業は、かつて生命保険が未開拓の分野を保障する運動として始まり、全労済がそれなりに知名度のある共済に成長したことを見て、成功と評価できる。しかし、全国団体が提案するマンション保険は、内容も不明で、民間保険の不備や問題点をきちんと整理されずに共済事業に乗り出すような話だった。それは市場性の見えない話で、事業失敗を想定すると危険だから反対した方がいいと意見した。
昨今のアメリカ政府、在日アメリカ商工会議所、金融庁の共済締め付け(規制強化)政策を見ていると、資力のある民間損保に改革を求める方が実現しやすい。後発の共済は何かと規制されるだろう。
マンション管理組合の全国団体としては、民間損保会社にマンション保険の制度改革や保障充実を求めた方がいいのではないかとも意見した。

運動体と共済事業との連携と緊張関係のバランスもなかなか難しい。また事業のお金や事務工数に振り回されるのではないかと思う。

●村上ファンドが国内を廃業して、シンガポールに脱出。税金逃れを指摘する意見が多いが、何か後ろ暗いことがあるのだろうか。本当は金融庁が要求する報告書提出などの規制から逃げるためだろう。
嫌なことしかしない人物だ。彼が手を出しているのは公益性の高い企業ばかりで、TBSも阪神も松坂屋も、不動産の再開発計画で周囲からあれこれ取りざたされている企業ばかりだ。株主価値とか言っているけど、土地利用に一枚噛んで、再開発利権の分け前に首突っ込もうというのが真相だろう。

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5/13 情報の誤解

12日の保坂代議士のイベントは飲食店で行われ、相当酔っぱらって帰宅して、朝起きて改めていいキーワードがいっぱいあった講演会だった。

保坂さんは、落選中、佐世保の児童殺傷事件のインタビューに行った。事件の原因がインターネットコミュニケーションのトラブルか、ちょっと聞きかじった人は最近流行の軽度発達障害に結びつけ脳機能の障害のように理解されているが、どうも激しい部活動にあって、そこで熱心に活動していたのに認められなくなったことに原因があったようだ、と報告された。そうなると特異な事件ではあっても、原因については普通の殺人事件にありうる事例である可能性が高く、インターネットや発達障害の問題にことさらすりかえるのは問題ではないかという話だった。

内藤朝雄さんはその当時、管理教育で相当な人権侵害をやっていた愛知県立東郷高校で被害を受けた人だということを話された。内面や精神性にまで支配を求めたがる教員や若者政策についての嫌悪感を述べていて、これはとても共感した。

強制的に保坂氏に要求されて飛び込み発言を求められた本田由紀さんは、日本のニート議論の特異性を5点指摘した。
①失業問題や制度の問題としての定義なのに日本では内面問題としてニートが使われていること。②ひきこもりを連想させる使い方、ニートの内訳にひきこもりがあるのに同義語として使う。③親が悪いという議論にして、就労を絞った企業や政治責任を回避してしまう。④拡大適用して澱んでいる状況にある人全てに適用している。例「ニート主婦」「団塊ニート」などよどんでいるもの。⑤恣意的に因果関係をこじつけた発生原因を指摘する。例武部氏「サマワに行けば一発で治る」など。そして若者を合宿・共同生活で根性たたきなおそうという発想しか出てこない、と挙げた。
また政府が推進している若者自立塾の問題についても、何ら因果関係のないカリキュラムが組まれ、就労できないような状況の人を就労させるような計画になっていると問題を指摘した。

その後の若者の質問で、就職口を増やせといってもそれは総需要が決めるわけだから、それについて意見のない本田由紀は卑怯だ、という発言があった。何だろうか最近の若者は。日経の読み過ぎなのか新古典派経済学へのびっくりするぐらいの信仰があって、レッセフェールの運命論と唯我独尊努力主義みたいなことしか言わない。いくら自分の運命がなかなか変わらないとしても、怒ることぐらいしろよ、と思って嘆かわしいく中年初等兵は思った。
終了後、隣の席にいた人と議論したがなかなか話があって面白かった。古い知り合いとも再会できたこともよかった。

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2006.05.13

5/12 よかれと思っていても

昼過ぎ、水道労働者のいるわが労働組合でディスポーザーの是非を検討するために呼んでくれた業者による実演を見る。確かに性能もよいし、なかなかのものだけど、ごみの分別収集と同じで、最初に生ごみをわければいいものを一端粉砕して、下水道処理場ですくい上げるということが意味があるのかわからない。力任せに相手を壊し、眼の前から嫌なものがなくなれば、この社会からいゃなものが全て無くなったかのような錯覚を起こすようなアメリカ的な機械だなぁ、なんて感想を言い合った。
ただし燃えるごみがどんどん少なくなっている中で、燃えるごみの内訳が生ごみばかりになっていて、うまく清掃工場で処理できない、なんて話を聴くとどっちがいいのか、専門家にきちんと計算してもらわないと何とも言えないのかも知れない。

夜、衆議院議員の保坂展人さんの主催するトークイベントに「ニートって呼ぶな」の著者の内藤朝雄さんが来るというので楽しみに聴きに行く。飲み屋でやったイベントなので、飛び込み参加でコメントを寄せてくれた本田由紀さんは酔っぱらっているし、保坂さんが目配せするので私も意見を言ったけど、酔っぱらって、直前の労働経済の専門家である本田由紀に新古典派経済学説を強要するバカに反応して、ふだんの生活似つかわしくもない勇ましい発言をしてしまって、帰りの電車で恥ずかしい思いになる。
内藤さんの、ニート問題にかこつけて、若者の内面支配をもくろんでいるのではないか、という提起は辛辣だったし、本田さんの日本のニート問題の議論の特徴として挙げた5つのうち1つの若者の心の内面にばかり問題を押しつけるような議論の展開の仕方について、同様に問題だと思ってきた。
ニート議論がどうして親のすねかじって無気力な若者、みたいなイメージだけで語られるのか。疑問だ。

●朝日の「論座」に「新しい教科書をつくる会」の内紛が掲載されている。
アカデミックと権威主義の西尾・藤岡連合と、サンケイ文化人のいかがわしさプンプンの八木とが対立していて、お互い引退しろのするなの、かつての共産党や左翼の内ゲバエピソードを再読するような感覚に囚われる。モスクワの権威主義よろしく、フジサンケイグループが首をつっこんているのが怪しい。
また、つくる会の幹部の大半が怪しげな宗教団体の支援を受けているらしい。昔から宗教団体の支援を受ける意味がよくわからなかったが、宗教団体は税の査察も入らないし、監査法人も入らないし、労組や協同組合までいれこれ干渉受ける今の時代に、数少ない、政治家やそうした活動家にお金を出せる団体なんだと痛感した。
右と左の行動習性の品のなさが入れ替わった昨今だ。

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2006.05.12

5/11 トンデモ教養大好きな知事の発言から

市内の知人が教えてくれたが、埼玉県の上田知事が10日に記者会見をし、ゲーム脳や脳内革命の解析を関東八都県市で協力して始めるらしい。
国が現在、ゲームがキレる脳をつくるのではないかと、その影響を調査しているが、その結果がコミュニケーションによるものなのか、ゲームしかさせないような家庭環境にあるのか、それともゲーム自体にあるのか、原因はよくわからない結果になりそうで、「いかなる結果になろうとも県は首都圏の他の都県と独自の結果を出す」というようなことを言っている。
記者会見の記録を読むと、脳内汚染だとかあやしげな言葉が並んでいて、とんでもネタが大好きな知事だということがわかる。政治の世界で苦労しすぎると考え方がやばくなるのかも知れない。
そのおかしさについては、このブログを。

でもこうしたエライ人が言うから笑えるものの、子育て業界ではこうした迷信に近いことを本気で信じているような人が少なくない。子どもにテレビを見せるな、ゲームをさせるな、何の科学的裏付けもないのに宗教のように信じている。それらがモラルハラスメントのように、周囲の保護者たちに「親は親たれ」と親無し子を傷つけるような、猛烈な保守主義的感性を押しつけてくるのがうっとおしいものだ。

それと、戦争ゲームばかりやっているとゲーム感覚で人殺しや戦争をやれる人間が育つという、旧左翼たちの主張の滑稽さもここで指摘しておきたい。そんな人間は単純なつくりではない。戦後、左翼になった多くの青年たちが戦前の軍国少年で戦争ごっこをしこたまやった人たちだ。今の70前後の反戦運動に関与している人たちの出自を聞くとびっくりするぐらい軍国少年ばかりなのだ。
ゲーム感覚で人殺し理論にフェミニストがまざると、戦争のような場面で男性的なものが刺激されるとレイプが増えるというような論調まで加わってくる。性的攻撃性は男だけのものではないし、実際、権力関係が変わると従来の固定観念から逆転することがおきる。最近では女性政治家の方がタカ派な人が目立つようになっている。
すさんだ戦地で軍人が性欲を抑制するのは重要なことだが、男性的なことが問題なら、最も日常でそれを刺激するようなラグビーやサッカーこそ規制することを提言してほしい。

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2006.05.10

5/10 東上線を東武の回収台にするな

東上線ってどのくらい黒字なのかと調べてみたら、100円の運賃収入にかかる経費が48円~50円ということのようだ。ネット情報なのでどこまで本当か知らないが、東京の各民鉄と利用者数や輸送効率や運賃収入を比べるとそれぐらいの数字でも不思議ではない。適正利潤を考慮に入れたって、東上線の経営はボロ儲けだということのようだ。

で儲けた運賃が東上線の設備投資にされているかというと、それはされずに、マイカー保有率全国一で、公共交通なんて日本一利用しない群馬県民や栃木県民の「足」を維持するという政治的要請のために乗客が投下した運賃が吸い上げられていく。

先日、阪神電車を村上氏が乗っ取ろうとしている話にかこつけて、公共交通機関は膨大な設備投資を乗客たちの運賃でこつこつ積み上げた地域の共有資産だというようなことを書いた。まさに東上線もそうで、沿線住民が混雑率300%の時代から本社の投資計画から見放された中で我慢に我慢を重ねて運賃を積んできたものなのだ。でも乗客の意見など聴く仕組みもないし、聞いて何かを実現した話は一回も聞いたことがない。

収益の悪いバス部門は簡単にリストラで分社化されて、親会社の満足な協力もなく孤軍奮闘している。働いている人にはかわいそうだが、本社のくびきから解放されて運行本数が増えたり、新路線ができたり、地域で踏ん張るようになってきている。
一方、東上線は、収益がよいのに、東武本社に利益を吸い上げられるだけ。満足な設備投資もされず、エレベーターの設置も毎年数駅程度のペース。バリアフリーなんて夢のまた夢。5年に1回あるかないかのダイヤ改正のたびに電車のスピードが遅くなり続けている。値上げまでして新車を買うというので期待したら、どこかの私鉄と色だけ違う電車だった。そのことで何のメリットもない。儲かっている東上線を分社化して、バス子会社などと一体でもっと沿線を便利にしてほしいものだ。

●ニフティー「ココログ」が無料開放を始めてから、動作が遅い。大して高い利用料を払っているわけではないが、タダで利用する連中のために、何で我慢しなければならないのか(私もタダで情報を垂れ流さなくてはならないのか?)。
小泉構造改革の進行と同時に価格が安い=構造改革の成果みたいなもののなりたちや原価を考えない消費者サービスが増えた。フリーペーパーとか、インターネットサービスとか。サービスの対価をユーザーから取らないことが商売としていいのかどうなのか、疑問に感じている。

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2006.05.09

5/9 キャリアウーマンを批判したいからといって

やっぱり田中角栄を評価したいと思うのは、排他的な通俗道徳ではなく、徹頭徹尾、利害関係で有権者を動員しようとしたことだ。だから田中派には文人の息子、戦争中の親米リベラリスト、社会党議員の二世など、在郷保守にはなかなか認めてもらいにくい人材が多かった。

最近の政権与党、とりわけ自民党は、有権者の道徳観や価値観、ライフスタイルをあれこれ規定し、この財政難のもと、何に使われるかはっきりしない奨励金をばら撒くような政策ばっかり打つのが鬱陶しい。

昨日は、ニートひきこもり矯正のNPOへの補助を批判したが、今日、共同通信が報じたのは、自民党が三世代同居の奨励金を創設すると。自民党に「家族・地域の絆(きずな)再生プロジェクト」という家父長制(DV家庭)復活をもくろむプロジェクトがあるらしい。そこが深刻な少子化の原因として「過度に経済的な豊かさを求め、個人を優先する風潮がある」と指摘しているということで提言した。

経済的な豊かさを求め、個人を優先する人、というのは多分キャリアウーマンを想像し攻撃対象にしているのだろうが、そうしたタイプの人が子どもをつくらない人の多数派ではない。
子どもをつくらない多数派は、毎日深夜残業を続けさせられて疲弊している若者の正社員、あるいは職業的地位や経済的自立に見通しが立たない状況におかれたフリーター・派遣社員だ。彼らは望ながらも、子作りや、その前提となる結婚や男女交際も思うにならないような環境におかれている。深夜の駅立ちあいさつをすればそういう若者がびっくりするぐらい多いことぐらいわかろうものだ。

そうした環境づくりを推進してきたのは、労働者保護を次から次に外し、国際競争力だ何だと、非効率な労働に邁進させるようなことを許した小泉構造改革ではないか。さらには、そうした小泉構造改革を追認してきたのが自民党ではないか。冗談言ってもらっては困ると思う。

親と同居するのもよし、しないのも良しというライフスタイルや価値観に中立的な政策を打ち出してほしい。通俗道徳の美徳だけで、観念的な政策を作るようでは、下野する日も近いだろう。

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2006.05.08

5/8 ニート・ひきこもり支援は中年の趣味

10年ぶりに旧友がやってきて会う。いろいろな話をしてよかった。
志木駅に着くと、駅の入り口に外国人の尺八吹きが地べたにすわりこんで演奏している。いつも客引きしているキャバクラのボーイは仕事にのれない様子で、迷惑そうな、困惑しているような顔をしていて笑えた。我慢していたのがエライ。

●「引きこもり支援」NPOが監禁致死で代表逮捕。
また愛知の民間教育施設だ。戸塚ヨットといい、長田百合子といい、このNPOといい、保護者と結託して、子どもの生命に危険を及ぼすようなことを「教育」の名目でやる。愛知には子どもへの暴力的教育を容認するような社会風土があるのだろうかと疑ってしまう。
家族が言うには、18時台のフジテレビのニュースでしばしば長田やこのNPOが不良や引きこもり少年を立ち直らせた「感動」レポートが流れる。今回、この事件でフジテレビはこのレポートで収録した映像を引っ張り出してきて、その画像の奥に鎖でつながれていた少年がいたことを指摘していたという。フジテレビはこのNPOが子ども虐待をしている映像を何の問題もなく放送していたことになるし、常日頃から「感動」レポートを流して、長田や杉浦の営利活動を支援していたのだ。
この事件を機に、引きこもり対策、ニート対策の質と必要性をきちんと検証すべきだろう。またその運営主体も、公務員が悪でNPOが善という決めつけなのか、こうした密室で人権侵害を平気でやるNPOに簡単に事業委託がされている。引きこもり対策やニート対策をやっている団体の半分ぐらいが、特訓・合宿を趣味とする社会から浮き上がった中年たちのための遊びと金儲けを兼ねた事業になっているのが実態ではないか。そんなものに税金を使われてはたまらない。

かつては読み書きそろばんという言葉があった。教育とは技術だときちんと認識し、人間の内面教育は高次な教育段階でやるものだということがわきまえられていたのだろう。
ところが、昭和初期の神国日本の教育以後今に至るまで、イデオロギーはあっちだったりこっちだったりしたが、教育者たちが読み書きそろばんを放り出して熱心になっているのは、子どもの眼だとか、生活態度とか、最近では人間力とか、コミュニケーション力などというような得体の知れない改造を子どもたちに施すことだ。
たかが教職課程で熱心に勉強していただけの人間には理解できるとは思えないものを一所懸命子どもに強要して、自分の脳の中で理想的だと思うような画像を作ろうとしている。その理屈や実用を超えた押しつけ教育観の延長に、戸塚ヨットや長田やこのNPOのような暴力的なものがはびこるのだろう。

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2006.05.07

5/7 雇用保険を少子化対策に流用?

アイヌ民族初の国会議員、萱野茂さんが亡くなる。アイヌ民族の課題を前進させたし、膨大なアイヌの民俗伝統の記録や検証の活動は、アイヌ民族の誇りを取り戻したと思う。残念だし死を悼みたい。

●政府は少子化対策で雇用保険から1000億円流用する計画を打ち出している。
その意味はわからないではないが、目的外使用じゃないかと思う。社会保険は、税金と意味合いが違い負担と給付を関連づけているから税金ではない方法で集めているものだ、という説明を政府は続けてきた。その趣旨からいうと少子化対策と雇用促進がどのように結びつくのか、説明つかないことが多い。
額こそ数千円のものの、2005年4月から雇用保険料は1.75倍に値上げされている。構造改革で大量失業が発生し雇用保険財政が逼迫したから値上げしたのではないか。それが今となっては余って仕方がないから少子化対策に流用する、というのはおかしい話だ。東大の神野直彦さんがパッチワーク的な改革というのはこういうことではないだろうか。財政がないなら正面から増税を持ち出すべきだろう。
今のミニバブルが終わって、再び大量失業時代が来たら(小さな政府路線を走っている以上、不況になれば大量失業が発生する)、雇用保険財政が再び厳しくなるのは明らかだ。

公的な支出は、それによって得られる政策効果iによって政府の収入増に結びつく財源から行われるようにすべぎたろう。1つはそれが財政の透明化につながり国民のコントロールが可能になるからだ。もう1つは、社会状況の変化に対して自律性をもった財政構造になるからだ。

雇用保険の保険料は支払う側が失業率の上がり下がりが仕事のある人にも共有できるように失業率にある程度は連動するように運用すべきだろう。余ったからと目的外流用するのは良くない。保険料負担者に世の失業の多少を実感できるようにすることに意味があるのではないか。
少子化対策の費用負担は、保育所建設費のように住宅開発の影響を受けるようなものは都市計画税や固定資産税を財源にすべきだろうし、保育所運営費補助金のように各々の就業者の利益に結びつくものであれば、それによって増える所得税や住民税を中心に財源にすべきだろうし、児童手当のように子育て費用の補填であるなら消費税を財源にすべきだろう。出産・不妊治療に関わる補助なら、人口バランスを回復して健全化する年金保険や医療保険を財源にすべきだろう。

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2006.05.06

5/6 ある社会民主主義の理論家の死亡

関嘉彦さんが亡くなる。社会民主主義の思想史の研究家で、初期の民社党の思想面を支えた。私も、共産主義ではない社会主義を研究した大学時代、彼の著書をいくつか読み、現在の政治的スタンスを確たるものにしたので、影響を大きく受けた。彼の著書によって自らを社会主義者の一種だと自認するようになった。

惜しむべきは、現在の民主党の民社協会グループ、かつての民社党が、関嘉彦さんのリベラルな社会主義をきちんと踏襲せず、民族主義との癒着、安易な企業内社会主義への恭順に堕してしまったことである。そして人権や公害問題、消費者問題にあえて後ろ向きな姿勢を示し、矮小な利益を主張する、大企業の反動的サラリーマンオヤジの感覚を代弁するだけの中政党路線が確定してしまった。

関嘉彦さんが模倣した西欧社会民主主義理論が確立していれば、民社党は大企業反動的サラリーマンおやじの偏見を超えた大義で動く政党になっていただろう。田中角栄が福祉政策を拡充する前に様々な主体的な提案もできたのではないかと思う。そうなれば民社党は70年代後半社会党が急激に左傾化する中で1つの勢力を築くことができただろうし、江田三郎もあえて社民連を作らずに済んだだろうし、もしも90年に社会党の党改革が右傾化した民社党で大事にされなくなっていた関嘉彦さんの考え方を取り入れていたら、社会党は今日のような転落はなかったと思う。それらの選択肢があれば、政界再編成ももっとわかりやすい姿で進んだのではないだろうか。

社会党というか、左派全般に言えるのかも知れないが、90年代に議会でのたゆみない改良による社会主義を求める社会民主主義と向き合いそこからスタートすることをあえて無視し、ニューアカだの、ポスト工業化時代だとか、エコロジー&フェミニズム(それもかなり原理主義的な)とか、およそ大学院生でしか通用しないような近未来イデオロギーに飛びついて、結果として主体的に社会改革に関与するチャンネルをつくることを放棄してしまったような印象がある。結果として政治的には、現実にべっとりの自民党やネオ保守を増長させてしまったし、社会主義者の中では、パターナリズムに染まったマルキストのために援護射撃をしてしまったのではないか、と思っている。

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2006.05.05

5/4 大分での発見

帰省中の大分での発見。

①水族館「うみたまご」、近海魚を見せる技術がなかなかいい。ペンギンの展示が貧弱なのが難点。だがどこでも見ることができるわな。

②大分のデパート「トキハ」の「おめざフェア」。テレビの静止映像の広告にぶったまげたが、大入り盛況でまたぶったまげた。東京に来る地方の物産展はよく見るが、東京のどんな店が地方行脚をしているかわかって参考になる。パステルのなめらかプリンは確かにうまいけど大行列ができていたのは、びっくり。四谷の韓国料理店「妻家房」が全然流行っていなかったのが残念。
地下2階が改装されて、とても良くなっている。地方百貨店ではものすごく強いトキハは、何度か沈みかけているがその度に地元の力で浮上する。なかなかのデパートだ。

③大分市と別府市に関しては、商店街や中心市街地に人が戻ってきているなぁ、と感じたこと。ぎゃくにほかの小都市の商店街は相変わらず人が少ない。郊外型スーパーの進出が他県より少し遅れて今著しい。

④電車のマナー。座り込み防止を訴えるメッセージばかり。電車の中で携帯を使っていようが、人を押しのけて割り込んで乗車しようが、全然おとがめないのに、座り込みだけは繰り返ししないよう車内放送が流れる。優先順位が違うような気がする。

⑤元首相の家がリフォームされてなかなかおしゃれになっていた。

⑥県外からの観光客が多かった。別府の飲食店などは観光客に占拠されていた。私も観光客だな。でも地元客に愛されてきた店が観光客の来襲でダメになっている姿をまざまざと見せられた。札幌にいたときも思ったけど、観光地で飲食店をやるのは厳しいなぁ。

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5/5③ タクシーより朝日新聞の規制緩和はどうなのか

帰省先の大分から帰宅した。風邪のキャッチボールで寝たり起きへぼたりの一週間だった。
別府市では、市内楠港跡地の郊外型スーパー誘致をめぐって、賛成反対論がねじれ入れ替わり大混乱のもと市長が辞任、市長選挙の前段でいくつかの話を聴いて帰れた。跡地利用の決定に影響を与える市の有力者がその隣接地に土地を買っていたり、そんな利権めいた話もあるようだった。
朝霞市においても、基地跡地利用についてさまざまな議論があり、混乱しているようだ。混乱はいいと思うが十分な合意なく前に進むと、別府市のような混乱に発展するのではないかと思った。また逆に前に進めることに抵抗する側も正しいことだけではなく反論をしていかないと、利権がらみ政治がらみで進む計画なのでなかなか容易ではないと思う。

●毎度のようなタクシーの規制緩和について論じているようで論じてない朝日の社説に腹が立つ。
受験競争に勝ち抜いて、自助努力だけで生きてきた記者らしい記事だと思うが、規制緩和以後、働く人のおかれた状況と安全軽視のタクシーの状況に同情しながら、規制緩和・市場原理で進めた改革は逆回転できないから、働く人の給料と事故件数を公開して客が選べるようにしろ、と。
あほかと思う。朝日に入るような高学歴のリベラル派は、戦争反対と大学の学費値上げ反対ぐらいしか政治的ポリシーを持っていないんじゃないだろうか。自分たちは高給取りで会社からさまざまな特権を与えられており、自分たちより弱者の規制緩和・市場原理を享受できる立場だから否定できない。左翼連中を応援したり、格差社会について結果についてわあわあ騒ぐわりに、規制緩和については同情しか見せず、システム的問題を何一つ掘り下げられない。毎日新聞より相当認識が悪い。
また、客が主体的に全知全能の情報力で選べるということを過信している。数あまたあるタクシー会社のどこがどうでなんて誰もしるよしもない。タクシーにうんちく垂れる奴と一緒には外出したくないな。
安全を考えて働く人の給料が高いタクシー会社を選ぶ人はいるだろうけど、より多くの人はもっと人件費の安い会社があるではないか、人件費を下げればもっと運賃下げられるんじゃないか、という風になるのではないか。
こんな論説をする朝日の幹部社員には、記者の給料や経費、誤報の内容などを比較検討できるように朝日新聞は公表できるのか、と聞いてみたい。高い給料払っているのに誤報やでっち上げ記事が多い新聞社はどこだ、という風になるのではないか。
さらには、業界団体が報道という力を武器に、政治家や自治体に働きかけまくって、一切の規制緩和の議論を発生するところから潰しているのが新聞業界ではないだろうか。記者クラブ制度という独占システムと、タコ部屋労働の販売店という搾取システムで読者に高い新聞を売りつけ、高給と他の業界ではありえないが一介の記者が黒塗り社用車を利用できるのが朝日新聞ではないのだろうか。

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5/5 スゥエーデンで首相は何を学ぶか

何のためだか知らないが、政権末期にスウェーデンに訪問した小泉首相。スウェーデンの国策とは対極の路線を歩んできた小泉氏が何のために行ったのかは不明。訪問して接待されておいて、残る任期でその国の国策の間違いを「大きな政府」批判の引き合いに出して指摘するわけ行かないだろうし。北朝鮮と外交のある非共産国に頼み事があったのか?

小泉首相はスウェーデンの国策のもっとも象徴的な保育所を訪問し、幼保一元化がいいね、厚生労働省と文部科学省は縄張り争いばかりやっていてけしからん、と言った。確かにそうだけども、どうして縄張り争いになっているか、無視して悪者を決めつけるような発言でよろしくない。

幼稚園・保育所の縄張り争いは官庁よりも自民党の族議員がつくったものだ。さらには、小泉政権以後の幼稚園・保育所の一元化の旗振りをしている規制改革会議は、本来の子どもが分断されないための一元化が目的ではなく、一元化をテコに新興保育産業に補助金=公的資金を流そうという利権づくりの構造なのだ。そして、その内容は、終戦直後に定めたレベルの水準、調理室も園庭も人員確保も制限すら守れない保育所の形態を新た認め、そうした基礎条件からして質の低い保育サービスに補助金を支給できるようにする、場合によっては、保育所の質についての規制をかけずに保護者の選択に任せる、という制度改革を行い、子育ての質を評価しえない家庭の子はさらに質の悪い施設に通わさせられる、格差拡大社会を未就学児にまで広げるようなことを始めようとしている。

百歩譲って小泉政権を評価すると、手法や意図するところは問題だらけだが、子育て支援の重点を現金支給ではなく保育サービスの充実に視点を置いているところがまだましだが、今や与党も野党も、実質的に消費税上げの見返り施策として「少子化対策」と称して現金支給や税控除の話にアクセルを踏み始めている。
保育所・幼稚園制度について思い入れがあって改革したいなら、スウェーデン並みの水準の予算を用意すべきだろう。そのためにはいたずらに子育て支援予算を現金などというかたちでばらまかないでほしい。

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5/5 専業主婦が1500万円!?

子どもの日。子どもを大切にする社会とはどういう社会か、考えてしまう。
政府はしきりに税制優遇だとか、児童手当だとか保護者に金をばら撒く政策ばっかり考えている。でも町に出れば子どもに突っ込んでくる暴走自転車、クラクション一つで歩行者を支配しようとする自動車、子どもが集まれば行政に苦情が届けられ、保育園や幼稚園ができるといえば騒音問題で反対運動。子どものためといって公園さえ作ればいいと思う大人やそれに付け入る建設業者、そして将来世代の負担を重くする。子どもが健全に育たないと文句を言う経済界が言うのにスーパーが子どものために用意しているスペースはゲームセンターばっかり。

●アメリカの企業が、専業主婦の労働力は年収1500万円に相当すると発表。
専業主婦や「母親」の価値にこだわるところがアングロサクソン的。以前、関わった専業主婦の市民運動の中で、こうした評価を持ち出して、専業主婦優遇税制を残せだとか、社会保険の優遇を残せ、という提案を聞いたことがあるが、それはまたナンセンスな議論だと思う。
この発表の中で専業主婦が経済的価値をつくっているとしても、それは家族内のことであって、対価を払うべきは家族だろう。社会に専業主婦としての価値を還元しているのは、地域活動やNPOに参加している主婦だけになる。その場合専業主婦という地位で価値を評価すると、同じくかかわっている退職者や学生・フリーターとの格差が問題になる。地位で評価するのではなく、地域活動やNPO活動そのもので評価してその労働力を評価し優遇するのが本筋だろう。
また、共働き家庭の場合、この労働力は夫や子ども、保育や介護、人によってはお手伝いさんなど社会サービスと分担し、一つ一つの家事に無駄をなるべくなくすよう努力している。その場合、同じサービスの結果でも時間のかけかたがぜんぜん違うわけで、専業主婦の労働時間だけで1500万という数字の信憑性までが疑わしい。
こうした数字は「母親」に暖かいまなざしを送ったように見えても、男女役割分担を肯定する復古的イデオロギーを何一つ克服していないような感じがしてならない。ポジティブに捕らえようにも、仕事も大事だけど家庭の仕事も大切にね、という意味にとどめるべきだろう。

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2006.05.03

5/3 公益企業は誰のものか

阪神電鉄の株を村上氏がほぼ半数抑えたことで、役員の半分をよこせと恫喝されている。

阪神電鉄は、この間の不況下でも民営化後スピード勝負でやってきたJRとの対抗上、電車の本数も増やしたり、神戸からは行きにくい大阪のミナミに直通する新線を建設する計画を打ち出すなど、施設は古くても、乗客サービスをあげてきた。しかも沿線はほぼ開発を終えた成熟市場のもとで。私は東京のとにかく詰め込んで運べというメッセージしか感じない通勤電車に対比して、阪神電鉄は公益企業としての使命をよく果たしてきたと感じている。

ところが村上が目をひんむいて乗り出してきて、株主の利益優先主義をおしつけてきている。阪神電鉄のおかれた状況からいって、梅田の土地の間接的な投機狙いであることは間違いないだろうし、経営体質の改善ということになれば、すでに成熟市場に走っている電車で、売上高も思うように伸ばせないだろうから、経費削減しか考えられない。となれば、無駄に電車を走らせるな、バスを整理しろ、と公益企業としての責任やサービスの切り落としになりかねないと思う。

こうしたみんなのためにある公益企業が、特定の株主のために翻弄されている。村上氏もおそらくその取得した株式のうち大半は自腹ではなく、どこかから資金調達したか、あるいは誰かが買ってくれた株を借りているのだろう。何かおかしいし、こうした電鉄会社はいったい誰のためにあるのか、ということを考えると悲しくなってくるような話だ。公益企業を対象にしたこうした投機には一定の社会的規制が必要ではないかと思うし、一歩間違えると公益企業はすべて国営でなければならない、という議論をひきおこしかねないと思う。

村上氏には、すでに取得時の株式価格の倍程度になっている株を放出しキャピタルゲインをほどほどに取って、早々にお引取りをお願いしたいと思う。

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2006.05.02

5/2 職員数20%削減の自治体

九州の親戚の家をたずね、いとこの子たちと遊ぶ。赤ちゃんが可愛かった。
帰路商店街で、わが組織内議員の事務所を発見。「田舎の正義」と一言かかれ、議員のすくっと立つ写真のポスターがよかった。

●大分合同新聞で、中央政府に強制されて推進している大分県内の自治体の公務員削減数が報道されていた。いちばん多いのが津久見市で20%削減。いちばん少ないのが中津市で2.2%削減。中津市の場合、国から移管された病院の職員配置の改善があり、それを差し引くと実質5.9%。
その表に出ていた自治体数が20前後しかないことに、この間の大分県内の市町村合併のすさまじさを感じたが、さらに、この表を見ると、自治体合併を推進した自治体や一部給与カットをした自治体は職員数の削減をまぬがれ、給与カットや自治体合併に取り組めなかった自治体が職員数削減を大幅に実施しなければならないような関係が見えてくる。
労働組合としては、賃金保障と雇用保障、両方求めていかなければならない。だが環境が厳しく、現実としては、賃金と雇用がトレードオフの関係になってしまうようなとき、どうすべきか悩ましいところだ。とくに賃金保障を求めた結果雇用が減らされた場合、ますます公務員は地域社会で少数派となり、地域雇用が少ない地域の場合、特権階級的存在になっていく危険性も高い。また公共サービスの存立の前提も、大きく変わらざるを得ないだろう。従来のように公共事業的な部門の職員をどこまで配置すればよいのか、民間委託を企画立案の場面にまで踏み込まざるを得なくなれば、業務をさらにコンサルタントのような成果不透明な産業に委託していくことになり、市民自治という観点からは弊害も多くなる可能性もある。
県庁の姿勢にもよるが、大分県のように、交付税カットを大きく想定して市町村をたきつけた地域では、自治体職員の間に猛烈な将来不安が広がっていて、そのことで必要以上に対応策を受け入れてしまうような感覚を持たされていることを感じた。

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