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2006.05.31

5/31 朝霞から出ていった人がどのくらい戻っているか?

万年筆をなくす。愛着もって使ってきたので、悲しい。

●障害者の作業所を立ち上げようという保護者の方が改めて市役所に説明に聞きに行かれた。市役所の福祉課が手の内まで見せて、できない事情を説明してくれたようだ。
結果は変わらず当事者たちにはたまらない状態が続くけれども、そういう本当の話を当事者としながらどうしたらよいか考えることが大切なんだと思うし、長い目で見ればそのことがいい結果になっていくと思う。

●市民の9割がサラリーマンかその家庭で、その半分以上が市外通勤者のこのまちで、この層の人たちが地域社会でものを言っていくということが、相当に排除されているなぁ、と感じるこのごろです。
昨日、東京都議の柿沢未途さんと会って若者政策について議論する機会がありました。柿沢さんは若者政策というよりもこれからの生活を提示するような象徴的なことをやった方がいいんじゃないか、と言い「通勤なんてムダなことがなくなる社会」を訴えてみたいとおっしゃっていました。ほんとうにそうだろうと思います。
職住接近もあるけど、IT社会の進化や、コミュニティービジネスの育成などの進化で、通勤は意味がなくなる、そうなったときに、働き盛りのお父さんの地域参加がおきてくる、ということです。本当か?と思いますが、私鉄の乗客数は毎年じりじり減り続けていますし、ありえない話でもないようです。
そんな会話を続けながら、通勤なんてものの価値が否定されたときに、朝霞市の存在意義ってどうなるのか?そんなことを改めて考えさせられました。市役所や地域社会は平日日中しか開かれていないから通勤者がもの言う機会などほとんどなし。たまに言ってもそれは苦情と取られ意見を聞き流されるだけ、もちろん何かが変わるなんてことはない、それで通勤が無意味になったときに、通勤者たちが愛着もって住み続けてくれるか、通勤者たちの落とす税金や家賃などのお金で食べている人たちはシビアに考えた方がいいと思います。
経済的には貧しいけれども、父の郷里の大分県臼杵市には、そこに自分の活躍する場があり、まちを一緒に考える仲間がおり、住み続ける必然性を感じます。保守的な価値観の中にも若者が自治し挑戦できる仕掛けがちゃんと用意されていました。臼杵から出ていって、戻った人はたくさんいます。出ていった人は定期的に同窓会をやっています。朝霞の場合はどうでしょうか。

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2006.05.30

5/30 新設の朝霞市・仲町保育園は公設民営方式へ

22日、保育園運営審議会が開かれ、2007年5月から開設される仲町保育園の運営方式は公設民営方式とすること、業者決定方式は宮戸保育園で行なわれたプロポーザル方式による入札とすることが決定した。

公設民営方式とは、看板が朝霞市立●●保育所となっているが、保育スタッフや行なわれる保育内容は民間というもの。公有財産を利用して民間事業者が事業を行なえる、民間にとっても単独の民間保育所として運営するよりも自治体から多くの支援を得られるというメリットがある。一方で、運営責任やカリキュラム編成などの責任があいまいになりがちで、市役所のチェック能力や地域や保護者による運営参加ができていない場合は、問題がおきても苦情を言う対象する明確にならない。

実際、朝霞市で公設民営で開かれた宮戸保育園では、株式会社に委託されたが、保育士の相次ぐ退職、欠員、保育内容の貧弱化など多くの問題が発生し、2004年12月と2005年3月の市議会でも問題になった。このときの市役所の答弁は何ら具体性のある答弁がされてはいなかったし、私も、次世代育成支援計画推進委員会でこの問題について質問したが、行政はしかるべき監査をやっているのでうまくいっている、という答弁しか返ってこない。

しっかり宮戸保育園について明確に検証報告もされず、特に全国でも稀な株式会社への運営委託ということの評価もされず、保育所を民間委託するにあたっての基準なども作られないまま、再び同じやり方で民間委託を繰り返そうとしている。プロポーザル方式の質の検討に、どういう条件で、どのような人が行なうのかまったく示されていない。いったい、業者たちとどんな関係があるのか。

さらに決定過程も問題がある。保育園にかかわるさまざまなステークホルダーと検討した痕跡が見られない。当事者である保護者や、子育ての質を高める議論をしている次世代育成行動計画推進委員会などに何の話も来ていない。
この審議会、審議時間は17分しかない。おそらく市役所が議案を説明して、何の質疑もなく承認されたのだろう。審議会の委員は日当が1万円以上も出ることになっているが、子どもたちの生活の場を誰に預けるか、その枠組みを考える場がそんな審議でよいのだろうか。市役所というブラックボックスの中でなんら妥当性も検証されずに政策決定がされている。そうして我々の税金が不透明な使われ方をしている。本来は市役所がそうならないよう締める役割が保育園運営審議会にあるのに、市役所を追認しているだけで責任感が見られない。

民間委託の質をどう保障し、ルールを設定し、みんなの評価が可能なように運営する、ということがない状態では子どもたちがどんな目にあっても防ぐことができない。問題だと思う。

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2006.05.29

5/29 お金はどこからながれてどこに行く

社会保険庁の問題が大騒ぎになっているが、問題は社会保険庁の経営陣がアイフルの経営陣と同じで、納付率など短絡的な指標だけでノルマ締め付けをやれば、こんなことが起きるいい見本。川崎厚生労働大臣は、公務員がルールを守らない、と批判していたが、ルールでがんじがらめなのに「民間の手法」という口実でノルマを課せばこんなことになる。ルールを守らせたければ納付率なんて数字を使うべきじゃない。
そもそも納付率が問題になるような年金制度が問題なのだ。商品開発のところ、つまりそもそもの年金制度のところをきちんとしないで、営業部隊だけの責任にさせてきたことがにおかしさがある。

この問題は大騒ぎされているが、国民には痛みはない。免除制度を使えば年金の国費投入分だけが給付されるから生活保護と同じ。生活保護として支出されるか、生活保護が一部カットされて国民年金の国費投入分が支給されるか、の違いでしかない。

もう1つ言うと、経営陣は国民年金の納付率向上にばかり熱心になっているが、構造的に年金財政が赤字である以上、加入者が増えれば増えるほど赤字が膨らむ。社会保険庁(これからは「ねんきん事業機構」だっけか)の財政だけを考えれば国民年金の加入者を増やさず、生活保護受給者として厚生労働省に押しつけてしまう方が得策である。生命保険会社はリスクの高い人を加入拒否して死差益を稼いでいる。

●年金未納問題の罠で失脚してしまった菅直人さんが、民主党のイベントで料理に挑戦のニュース。料理を作ったり子育てしたり、企業社会の論理や市場原理が通用しないわけのわからないものにもっとつきあうことが、民主党の観念的な改革論を超えられると思うのでいいことだ。
けちをつけると、藤野真紀子が料理をやっているみたいな雰囲気がある。料理って繰り返さないと大切さがわからない。それより他人の子の子守りをする(遊ぶじゃなくて)とか、一回でもっと緊張するような体験をしないとダメだろう。その点、秋田の寺田学議員は、秘書に育児休業を取らせた。政治業界にそうした人材がもっといてほしい。天下国家しか語らない維新風の人間は余計なことばっかりして、終いには「日本を愛する心」とかアナクロなことを言う。はっきり言ってうざい。

●阪急が強引に公開買付に。村上に振り回されないためには仕方ない選択肢だと思う。
NHKニュースで訳知り顔の大学教授が村上がやったことで関西の電鉄会社は経営強化された、阪神は失うものが大きかった、と論評していたが逆じゃないかと思う。
阪急は茨木市の住宅地の開発に多額の投資をして経営が非常に厳しい状態。さらに企業価値に比べて高めの阪神株を買わされて、借金返済が当面の課題になってしまった。しばらくはミニバブルで阪急は一息つけるが、景気が再び悪化したときには、クレジットクランチに巻き込まれる状態ではないか。
経営強化なんてものではない。公益企業と梅田の一等地という公益性の高い土地利用を守るために多額の資金が村上や村上に金を預けている不労所得者たちに渡っただけである。

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2006.05.28

5/28 「一部の市民」というレッテル貼り

午前中、マンション管理組合の理事会。防災計画づくりがスタート。副理事長さんが中心にやってくれることになった。管理組合の契約行為のルール化の作業も着手。これは私の仕事になる。近所の住宅公園がマンション敷地内に大きな看板を立てさせてくれ、と申し入れがある。以前にも申し入れがあって断ったものだ。マイカー客相手の商売はバカでかい看板が必要をしている。生活の視線を遮り影ばかりにするし、まちの美観を壊す。

近所にできたセブンイレブンは、昔からあるファミリーマートを潰すために出店した。ところが思うようにファミリーマートの客を奪えず、どんどん看板を大きくしている。マイカーの客には目につくだろうけど、駅前通りを歩いている人の視線には残念ながら入りきらない。

午後は、協働のまちづくり研究会の主催する「市民参加と開かれた行政」を聴きにいく。志木市で市長が交代してから、直接的な市民参加、市民が政策決定に関与してきた志木市民委員会が解散になり、市民参加で進めてきた事業のほとんどが「一部の市民だけが口を出す」として否定されてしまった。その今の状況を聞きたかったが、今のことを言うと現在民間ベースで自主的にやっていることに支障があるのか、昔の話ばかりで残念だった。私は志木の市民委員会がやってきたことは特定の市民の利益ではないし、彼らがいなければ志木市役所がぴりっと締まることもなかったのではないかと思う。

地域社会に思いをもって発言し改革していく市民に、「一部の市民」だから許せない、という農村保守のようなレッテル貼りが行われる。とくに最近は小林よしのりあたりが「プロ市民」などという言葉を発明して、それからなおさらだ。朝霞市でも基地跡地利用の審議会で、どう見ても基地跡地利用で一枚金儲けに噛める不動産屋の委員が、基地跡地利用に抵抗したり商業利用に反対する委員や市民懇談会委員の動きに「一部の市民」というレッテル貼りを行っている。
私はこのようなレッテル貼りは無視すべきだと思う。本人や周囲がそれを真にうけて、誰もが自分が少数だからと発言することを断念してしまったら、再び裁量行政が始まる。そのことでおきる弊害が不正行為だけならよいが、かつての土建業者のように政治と密接に絡み金も権力も操作できるような人間だけがこっそり市役所を動かすようなことに逆戻りすれば、その政策決定の犠牲になる人も多いし、財政規律も政治的に歪められていく。

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2006.05.27

5/27 埼玉県の良好な介護財政をどう評価するか

昨日、子どもの病気で職場を早退。
午前中、東洋大学で開かれた地方財政学会の地方財政と福祉分科会を傍聴。事情で1つめの長崎県立大学の綱辰幸助教授の「介護保険における介護サービスの高支給地域と低支給地域との比較分析」だけを聴く。

低支給地域の埼玉県と、高支給地域の徳島県や沖縄県を比較して、介護給付の内容を分析する報告を受ける。タイトルが魅力的だったが、内容は、施設介護が多い地域は介護保険給付額が多くて、在宅介護が多い地域では介護保険給付が少ない、という報告。その結果から出てくる提言が、介護保険財政を維持するためには、家族介護への報酬を出せ、介護度の低い高齢者には、NPOやボランティアを(タダまたは安く)使え、というものだった。

埼玉県は介護政策が成功しているから給付額が少ないのではない。
施設が作りたくても作れないし、だから入るべき介護度の高い要介護者が施設に入れず、病院を渡り歩いたり、押しつぶされそうな家族介護で耐えたり、サービスの割に費用が高額な負担の有料老人ホームを利用してしのいでいる。こうした現象は東京の多摩地区や神奈川県、千葉県も同様のことがおきている。また一方で家族介護によって、家族が労働力にならないため、市町村の財政収入にも影響があるはずである。社会全体の介護コストをもっと広げて把握しないと、介護財政だけを取り出して分析しても意味がない。

埼玉県は、これまでたまたまふるさとを離れた就労人口の割合が高く、高齢者が少ないプレミアムを享受できた地域だっただけではないか。埼玉県が今後20年ぐらいで最も高齢化が急速に進むと言われている。おそらくあと15年ぐらいすると、埼玉県の人口増をもたらした団塊の世代が介護の必要な高齢者になってくる。このままの埼玉県の状態を学者や経済評論家たちが評価しているととんでもないことがおきる。今のようにサービス供給量にあわせた介護保険の運用をやっていると、大量の介護保険難民が発生し、介護保険の外側で自治体がさまざな施策を打たなくてはならなくなるだろう。

討論者として立ったのが、北海学園大学の横山純一教授(私の大学時代の財政学の先生で北海道民主党が作って市民の政策提言テーブル「未来への扉21」でもご一緒した)。横山さんは綱さんの報告に対して、施設の整備率との関連性や、埼玉県の短期入所施設への給付が突出している現象についてさらに突っ込んだ調査を求めた。また提言に対しては、家族介護への給付は、介護しないのに給付をもらうという(児童手当も同じだ)家族、高齢者虐待などにどう対処するのかという回答がなく危うい、NPOやボランティアを労働力として使うという前に、介護予防を自治体でしっかりやることが介護給付を下げるということを指摘した。

埼玉の短期入所施設の利用の多さは、全国平均に対する専業主婦率の高さと、施設入所がほとんど絶望的な現実とのはざまにある数字ではないだうろか。その状況が今後も通用する環境だと思えない。また、軽度介護を制度外におくことは危険だ。重度化するまで放置されてしまうということを意味する。それでは措置制度時代の介護地獄の復活だと思う。介護保険財政や自治体財政を軽くするが、たまたま要介護者を抱えた家庭だけに運不運でものすごい金銭的、時間的、精神的犠牲を求めるものになる。

地方財政とはもっと政策論とリンクしなくてはならないが、地方財政の議論では、「地方財政が危機だ」という掛け声にそのまま反応して、財政の帳尻あわせのためにトータルコストを無視したパッチワーク的なコスト削減提案合戦が流行している。ほんとうに財政を健全化するということはどういうことなのか、もっと慎重な議論をしてほしいと思う。

その後の、関西学院大学大学院生の的場啓一さん「自治体の少子化対策はなぜ効果が上がらないのか?」の報告はとても興味があったが時間切れで退席した。
配布されレジュメを見る限りでは、自治体は「少子化対策へ取り組む姿勢は見せているが、施策の有効性はともかく、それ以前に解決しておくべき課題は多い」として、施策の周知ができない体制であること、施策の総合的なコーディネートができていないこと、相談窓口はあっても相談しやすい仕組みになっていないことを指摘している。そして自治体の次世代育成支援行動計画について、「既存計画を集め、再整理した」だけと評価している。ほとんど同感。
朝霞市の次世代計画の策定を側面で見ていたが、個々のセクションが子育てを応援する施策に変更していくという熱意がなく、今やっている事業を変えずに追認してもらうために次世代育成とか少子化ということに強引に結びつけている施策ばっかりだった。目標項目と、具体的施策とに矛盾する内容も多い。
ただし、次世代計画の意図は少子化だけではない。子育てを大切にする社会的価値観を作り、子どものポテンシャルを高めること。次世代計画の評価を少子化の回避だけで測るのは良くないだろう。

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2006.05.25

5/25② 今ごろ作業所ができないと言われても

朝、作業所を作ろうと奔走していた方からメールをいただく。
障害者自立支援法で、障害者の作業所設立のハードルが高くなって、個人の力で立ち上げることが絶望的な制度になったと市役所から説明を受けたということ。市役所は、これまで作業所を作ることをけしかけてきたのに、全く手のひらを返した態度をとったらしい。

まず、その道義的問題を問われなくてはならない。作業所作りができるかできないか、ということに、そこには障害者の生活自立へのきっかけが断たれるかどうかという場面があり、成功するかしないかで障害者とその家族の人生をパーにしてしまうかも知れないという問題。市には責任感がなさすぎる。

それから、朝霞市の職員に自分の仕事に関わる制度に対してスキルがあまりにもない。特に福祉関係部署は顕著だ。中央の審議会でいろいろ議論され、その議事内容について新聞や厚生労働省のホームページにすぐ掲載されているのに、全然目を通していない。だから制度改正の議論に入るのが遅いし、地方分権一括法以前の、機関委任事務のように「国がこういう制度にしろというから」という言い訳がまかり通っている。あるいは市民に面倒な説明をしたくないからそもそも勉強しないようにしているのだろうか。
介護保険の見直しも、次世代育成支援行動計画の策定も、スタートが遅くて、計画策定の委員会の委員たちは、結局市役所の都合を丸飲みさせられていた。

それと、地方分権を全く理解していない。現在、自治体の福祉の事務のほとんどは自治事務になっており、国の関与は補助金を出すか出さないかに限られていきている。国がどんな制度になろうと、自治体が必要だと思うなら、国が制度を廃止しようとしまいと、自治体で存続することができる。ただし持ち出し財源になるが、どうでもいい事業や、レジャーまがいの事業(湯ぐうじょうなどクルマを持っている人しか行けない温泉でしかないのに年1億も赤字を垂れ流していた)が市役所にごろごろころがっているから、それを見直すことで捻出できないお金ではないと思う。

ほんとうに朝霞市は運不運に左右される自治体だ。鳴子だ基地跡地利用だ、遊びみたいなことばかりにお金を使って楽しいのかも知れないけど、そんなのでいいのだろうか。
障害者として生まれてくるのも、子どもが障害者として生まれてくるのも、誰の責任でもない。そして社会全体でならせばその障害者にまつわる負担はみんなで分担できる。さらにはその障害者の力を温存したり伸ばしたりするのか、家や施設の中に閉じこめて生存すれすれで置いておくのかでも、その分担する「コスト」をコントロールすることができるのに、そんなことは夢のまた夢である。
そうした人の生きることにかかわるリスクを管理できる地域社会でなければ、どんどんひどい地域になっていくことが避けられないだろう。焦りを感じてくる。

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5/25 政治がダメで宗教がOK

民主党の教育基本法改正案の要約でないものを読んだが、本当に内容がひどい。
これからは現場で子ども・保護者・教員・地域が話し合えば改革できる、分権自治型の教育システムが必要なのに、国の責任論。国の責任論というのは誰も責任をとらないということなんですね。
教育の目的も、「人格の形成」。人格の形成を「国の責任」でやる必要があるのか。国民(在住外国人含む)のポテンシャルを上げることが本当の課題じゃないかな。
知識や能力を高めることではなく、人格とか、精神とか、そんなことばかりが強調されていて、教育機関の宗教団体化をめざす法案ともいえる。
「発達段階」などという共産党の教育理論を無批判に書き込んでいることもどうだろうか。子どもの能力をマニュアル化して子どもの能力を見くびり、多様性・多面性を認めないのが「発達段階」である。

それと私学への位置づけがちゃらんぽらんだ。日本は、私学に多大な公費を支出して、私学に依存して教育基盤を整備しているが、それなのに、私学の経営にはまったく無頓着で、社会福祉法人のような厳格な公費使用の制限が見られない。私学が建設会社とつるんで不祥事を起こしたりすることはうわさの世界では日常茶飯事、理事長が公用車を乗り回したり、不可解なことばかりだ。
私学の建学の精神の自由を高らか尊重しながら、公費助成はもっとやれというのもかわらない。自由なことやりたいなら公費はなし、ではないか。
政治教育は私学でもしちゃいかんが、宗教教育は私学なら構わないというのもわからない。オウムや幸福の科学(実際幸福の科学の信者の議員がいるらしいが)は良くても、共産党や社民党や自民党はダメということか。私学に党派性があったっていいんじゃないかと思う。子どもたちにちゃんと拒否したり抵抗する権利を認めれば。船田元の作新学院のように中立といいながら裏で自民党を応援している私学なんてゴマンとある。中立性なんてうそっぱちを否定してその私学の政治的な立場を透明性を確保することに全力を挙げてほしいと思う。政党助成金の残金で民主党が学校作ったっていいと思う。
そこまで政治にはセンシティブになりながら、宗教教育やっている私学に公費を出すことがどうして可能なのかわからない。

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2006.05.24

5/24 年金不正免除は制度設計の問題だ

社会保険庁が、保険料免除措置の申請もしないで保険料を払っていない人に保険料免除を行っていたということがマスコミや国会で袋だたきにあっている。ダメな年金制度を創った政治家たちの尻ぬぐいで、大阪の社会保険庁の局長が更迭された。嫌な感じがしてならない。

更迭はやりすぎだが、懲戒はありうる。しかし、それなら、そんな現場が暴走するような制度設計した政治家どもも責任があるはずだ。年金の危機とモラルハザードは国民年金に象徴的に現れており、国民年金を含む一元化とか、税方式に移行するとか、いろいろな提案がされていたのに、そうしたシステム改革を全部一蹴した。そして年金財政の帳尻あわせだけの制度改正と、それから目をそらすように職員の不正行為をしつこくマスコミにリークして現場職員を雇用不安に陥れ、年金保険料の収納率のアップだけを目標にしたことだ。


何もしないで、収納率だけ上げるというのだから、やれることは限られている。暴力団でも雇って集金させるか、書類の上で誤魔化しをやるしかない。今回のことで言えば、書類の上のごまかしで、誤魔化された人こそ得をしているのだから、やむを得ない。

そもそも国民年金の保険料免除制度などというものが歪んでいる。
国民年金保険料は人頭税で、毎日拾った週刊誌売って、月収30000円の人も、月収1000万の大金持ちも同じ保険料しか払わなくてよい。人頭税に等しい国民年金保険料による財源のまま、投資先が宿泊施設から、株や債券に変わっただけなのだ。証券会社とつるんだ人がトップになれば、体よくボロ株の引受先に使われることだろう。
もちろん貰える年金も一緒だけど、月収3万円の人が苦労して月6万5000円しか貰えなければ、月収1000万の人も6万5000円しか貰えない。ないよりましな制度でしかない。政府は貧乏人や学生向けに免除制度があります、と盛んに宣伝し、免除制度の枠をどんどん広げている。そして免除制度が適用されれば「収納率」の分子にカウントされて収納率が上がるしかけだ。
しかし、免除といってもその分しっかり年金はカットされる。したがって貧乏な人はより貧乏な年金になってしまうだけなのだ。結局、その分は生活保護で埋め合わせるわけで、国民年金は損得以前に、払わない奴がトクする制度になってしまっている。

今回の大阪の問題は、大臣とそれ以上の、政治責任でもあると思う。アイフルもJR西日本もそうして現場の暴走の責任を取っている。年金のとりあえずの改革が終わりようやく本質的な年金の議論を始まろうという矢先に、うやむやにして衆議院を解散した小泉首相の責任は大きい。

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2006.05.23

5/24② 相続税の課税強化へ

政府税調が相続税の課税強化で動き出す。歓迎したい。
相続税を高くすることは努力に水を注すというような意見もあるが、所詮、子どもは他人。親の財産当て込むようではどうもならない。今の税制では、詐欺まがいの商売をやったり、親の財産をあてにして生きることを評価されるようなかたちになっている。いろいろ留保はあるが、賛成したい。

一方で、地域の緑地を守っている土地持ちなどを保護したい気持ちもある。だからといって相続税を下げればいいかというと、違うと思うし、これこれの用途なら、と理由をあれこれつけると、それを抜け道に相続税を払わない大金持ちが出てくる。

台湾の資産課税に学ぶことが多い。台湾の土地課税は、土地の価格を申告制にしている。そして申告した土地の価格が高ければ日本で言う固定資産税や相続税を高く払う代わりに、土地を売り払ってもほとんど課税されないし、逆に土地価格を低く申告すれば、固定資産税や相続税はべらぼうに安くできる代わりに、土地を売ったときにはごそっと税金で持っていかれる。孫文の思想がルーツらしいが、面白い税制だ。これなら、土地を公益に使おうとする土地持ちには固定資産税や相続税は安く、土地を投機に使おうという土地持ちには固定資産税や相続税をがっちりかけられる。

そして1980年代のバブルの頃、こうした税制を主張していたのが菅直人さん(「国会論争土地政策」参照)だが、今の民主党には土地持ちと労組出身議員の相続税の是非の対立論しかなくて、コロンブスの卵を割るような主張が見られない。

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5/23 文部科学省は小中学校を刑務所化すると

文部科学省が、学校秩序を守るために「問題行動」の生徒に懲戒権をもっと行使しろ、という報告書をまとめる。
内面支配するよりは外形支配の方が決着つけやすいけど、その運用やルールは市民社会の原理とはほとんど相容れない内容ばかりで、ひどいものだ。

教育にとって子どもは客で、客に対する懲戒権はどこまで使ってよいのか、もう少し冷静に検討すべきではないか。
学校秩序とは何か。学校はそもそも何を目的にしているのか。クラスという閉鎖社会で王様である教員が統治することが「学校秩序」なのか。子ども自身の能力開発と「学校秩序」がどのような関係性があるのか、薩摩の持ち込んできた明治維新以後の教育スタイルの中から、これらの答えは出てこない。

教育を他の商売と比べてみた方がいい。他の客商売で、客に懲戒権を行使することができるのか、行使するときはどのようなときなのか。そして懲戒の内容はどのようなものか。教育だから別次元で比べる必要がないというのは、文部科学省や教育者たちの驕りでしかない。さらに極端なこと言うと、その社会性のない驕りから教員たちによる性犯罪が引き起こされているのだ。

たとえば、授業妨害や、学校内でのほかの子に対する虐待・暴力などは、私個人は反対だが、他の子を保護するために出席停止などの一定の懲戒権が行使されることは仕方がないと思う部分もある。小売店では、クレームのうるさい客に懲戒権は行使しない。しかし万引きを放置したら商売が成り立たないから場合によっては問答無用で警察に突き出す。客への懲戒権の行使には一定の行動原理がある。
しかし文部科学省やこの報告書作りに協力した馬鹿者たちや、懲戒権をもとに教員たちがやっていることは、自由主義社会のしきたりを無視した、権力的な支配と服従の強制である。ルールはなんら合理的な基準もなく、子ども集団との合意形成なし教員が勝手に押し付けるものであり、ときには恣意的な判断がされるし、親が有力者だったり、担任と親がイデオロギーが近ければお目こぼしがあったりもする。

懲戒の内容も「訓告」や法律的な対応ならともかく、「居残り」させるとは拉致にあたり、「清掃」は強制労働にあたる(余談だが奉仕や懲罰で清掃をさせるから掃除が差別労働になってしまう。こういうことをする教員は清掃労働者への差別をつくっていると思う)。私の嫌いな共産主義政権とやっていることは同じである。そういうことを客である子どもたちに課すことがこの社会に成り立つのか、ことあれば、わが国は自由主義だとか言う論理と矛盾するのでないか。

愛国心だとか、学校秩序ばかりが優先されて、肝心の学力や考える能力、社会でたたかっていく能力がつかない。そんな公教育に税金を使うのはおかしい。小沢一郎は教育は国の責任と言ったが、そうだろうか。旧民主党時代、民主党は文部省の廃止を政策に掲げ、教育は現場と地域が責任を持てと。これからは自分たちの教育をつくる営みが求められているのに、それに反する動きばかりだ。
市場原理で公教育を変えることだって賛同したっていい。高校・大学のときの持論だったが、義務教育・高校教育予算を廃止、教育バウチャー制を導入すべきだという思いが復活してくる。子どもを客と思えないような学校なんて滅びてほしい。

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2006.05.22

5/23③ 「多様な保育」という誤魔化し言葉にダメ出し

十分な合意なく保育所の民営化をした横浜市に賠償判決が出る。

民営化がダメということではなくて、保護者の合意をおろそかにした民営化は賠償の対象になるという内容の判決。民営化の是非論と、民営化による質の低下や乱暴な不利益変更の是非論を分離して、利用者やその家族にとって実害のある部分に限って、厳しい結果を出した判断は妥当だと思う。

みんなの共有財産である保育所政策について権威のある人に白黒つけてもらうことは好ましくないと思うので、このことについて裁判で決着をつけるのは疑問だが(自治体政策決定過程への市民参加や市議会の勢力転覆で決着つけるべきということ)、鈍感な政治家が多いことや、そもそも政治的発言力の弱い保育所入所児童の家族にとって、やむを得ない手段だったのではないかと思う。

判決について記事でしか判断できないが、その中で「多様な保育ニーズに応えるため」という理由で不利益変更したことを根拠が足りないとしていることは注目だ。
朝霞市もそうだが、あちこちの自治体は、内容もわからないくせに「多様な保育ニーズ」を理由に民営化や安易な無認可保育所の活用などを行っている。この判決ではそのことが不利益な保育を押しつけられる理由にならないことを指摘している。朝霞市も、公園だかスーパーだか医師会館を作るために財政をけちり、無認可保育所に子どもたちを押し込めている政策を取っているが、その口実が「多様な保育ニーズ」。多様って何かと聞いても児童福祉課職員は答えられない。多様な保育なんかやっていないからだ。あるのは保育所利用者の多様な運不運だけ。そうした態度に反省を求める判決だと思う。

一方で、原告の保護者が「横浜市は子育て第1の保育政策にしてほしい」とコメントしていたが、少し違和感を感じた。保護者は民営化ということで混乱し、大変な思いをしたり、市役所に許し難い気持ちになったことは想像がつく。
しかし、朝霞市の保育所政策と比べると、横浜市の保育政策がそんなに劣悪だったか疑問である。民営化の手法に問題は残されるものの、専門家の前田正子副市長は、基準を満たした認可保育園が大事という視点で、他の予算をすべて削りながら保育園予算だけは増やしてきた。政策が劣悪だと決めつけられるものではないと思う。全国一多かった待機児童数をわずか3年でほとんど解決した自治体はそんなにない。むしろ、有名な革新市長を含めて専業主婦の育児責任を強調して保育園をつくらなかった(同じ革新市政の川崎市と対照的な態度)のがこれまでの横浜市だ。
副市長になるまで育児と仕事の両立の観点での保育政策ばかり提言してきた前田さんだったが、副市長に就任してからは観点が少し広がっていた。昨年、わが労組と子ども情報研究センターが共催した保育集会で、障害児の子育てや、貧困家庭や生活困難家庭、DV被害者の支援などの観点からも保育所の役割を強調していて、公立保育所こそそうした役割を担うよう促すあいさつをした。
※私は中田市長については、前田正子さんを副市長に起用したこと以外は、あまり評価していないことも言い添えたい。

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5/23② 営業から学ぶ理由と営業がダメな理由

●藤本篤志「御社の営業がダメな理由」(新潮新書)を読む。
障害児を抱えた知人が市役所に相談に行って、微妙な話になってくるとあっちいけ、こっちいけ、相談所を用意しているから、とたらい回しにされるという。そのことにほんとうに辟易していて、行政の福祉窓口は意見を聴くことができても、ニーズを見つける能力が欠けているのではないかと思っている。
ニーズを発掘し、相手により満足度の高い結果を提供する習性を学ぶには、営業マンのあるべき姿を学ぶことが良いと思っている。客の欲求に合う商品が提供できなくても、客の困っていることを解決する商品をあてはめていく能力などは、福祉に最も有効に使えると思っている(だからといって、福祉を民営化すればいいと思わない。民間福祉業者は、営業マンとも言うべき直接サービス職員を安価で不安定で身分的にも低い働かせ方をして、製造部門や仕入部門が勝手な思い込みで威張っている世界だから)。
そんなんで読んでみた本だけども、別のことを発見。営業マンというと激務でやる気満々のオスをイメージするが、やっぱり人間、そこまで徹底できる人もそんなにいないらしい。やっぱり。
すごい営業マンなんてそうそういるわけじゃないし、上下2割を切った残り6割の営業マンに視点をあててどんな働きかけをすべきか、ということを著者は考えている。世の営業啓蒙書の多くは、上2割の真似をさせることしか書いていない。
そのためには、営業課長は見もしなければ検証価値もない営業日報を廃止して、1人の営業マンに1日30分はヒアリングしろと言う。面と向かってはウソは書けないし、仕事を数字をつくる感覚から、上司にいい話を持って帰ろうとするようになるという。また、営業課長はノルマを持たずに、部下の大事な営業シーンで同行することだけにしろ、という話も。他の仕事や市民活動でも、外に広げていくためには取り入れることが多い。

●ニフティー・ココログがうまく動作しないせいで、まともなコメント、トラックバックが飛ばなくなった。劣悪な環境でも万難を排して営業するエロサイトや怪しげなアフリエイトの誘いばっかり来る。意味が少し違うが、悪貨は良貨を駆逐している。

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5/22 山本孝史さんの快癒を祈る

民主党の山本孝史参議院議員ががんに。過日、テレビの映像で激しく痩せて出ていたので心配していた。
山本議員は、あしなが育英会の事務局から議員に転身し、当事者の権利を大切にする民主党の福祉政策を作り上げてきた議員。競争原理やマッチョ体質、維新の志士が大好きなオス臭い民主党の中で、そういう感覚ではつかめない、政治がやらなくては解決できない課題に誠実に向き合ってきた議員。いなくなれば民主党の福祉政策の質が大きく下がることは避けられない。ほんとうに心配で、快癒を祈っています。

今、当事者として取り組んでいるがん対策のための総合的な政策を、与野党、利害を超えて当事者のために合意してほしい。

●一方で、10月の神奈川16区の補欠選挙に、民主党は、週に1回何かを実現するという自称「実現男」後藤祐一を擁立することにしたらしい。ブログを読んでいると毎日遊んで暮らしているみたいだ。そして阪神乗っ取りの村上と同じ経済産業省出身。
また悪い病気が始まった。戦略性も感じない。高学歴で突飛で目立っていればそれでいい、という感覚で候補者を選んで選挙区に押しつけてくるのは、野党第1党が公器であることをわきまえないおごりでしかない。民主党の中枢部は2ちゃんねるしかやっていないのだろうか。こんな候補擁立を続けていると、再びあの手この手の自民党にやられるだろう。不まじめなことをすると痛いしっぺ返しが来るということをわかっていない。

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2006.05.21

5/21② 権力者に都合のよい権利と義務論

家の塗装工事が予想より早い時間に終わり、午後は時間が自由になったので、子どもの権利条約総合研究所のシンポジウムに行く。テーマは子どもの権利論の総合的検討で、小金井市の子どもの権利条例制定に携わった野村さんの「子どもの権利条例づくりと子どもの権利・義務」、川西市の子どもオンブズパーソンの事務局にいた吉永さんによる「子どもの権利救済と子どもの権利」などが報告。小金井市では、条例策定委員会の公募市民が権利を与えるならその分子どもに義務をとばかりいって議論を混乱させていた状況が報告される。

権利問題を、義務とのトレードオフで議論する愚かさは何度か書いてきたが、子どもの権利というとまさに「義務」ばかりが前面に出てきた議論しかされないという野村さんの報告は同感だし私にとって琴線に触れる話だ。このときの義務とは、権利行使の結果に責任を持てというものではなく(それだったら義務ではなく結果への責任と言えばいいことだ)、権利行使するなら、無条件で何がしか服従しろ、というニュアンスで使われる。

私は日本共産党の影響が強い高校を出たが、その影響下にあった当局は、自分たちの歪んだ権力を正当化するために、「権利には義務がある(言いたいことを言って教員にたてつくならその分教員に忠誠も誓え)」と言って仲間や私に服従を迫った。その矛先は反論できた私やその仲間だけではない。教員に楯突くまでもなく、さして不満を述べずに静かに不登校になった子たちにまで言葉の刃が向けられた。
権利を制限できるのは他人の権利が侵害されるときであって、権利の行使と取引関係で義務が発生することはない。近代民主主義の基本的なつくりである。義務は権利行使とは独立した関係にあるということもわからないで、保守派な通俗道徳のままに権利と義務をトレードオフのような議論をしていた。取引関係で権利と義務を語れば、他人に義務を課すカードの少ない立場の者を抑圧する論理になる。こうした理屈を押しつけてくる彼ら左翼教員たちの偽善的態度に反吐がでる思いをした。

●トルエンの臭いの中、地域福祉計画の過去の資料文献を時系列に整理する作業を午前中行う。

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5/21 子育て世代への経済的支援は歪んだ政策決定だった

政府が近く打ち出す少子化対策案について、それをまとめてきた専門委員会は子どもを生み育てられる労働環境や社会インフラの整備で議論を進めてきたのに対して、猪口邦子少子化担当大臣が、結論を自民党が強く求める経済的支援にすりかえたことで週明けに抗議声明を出すという。
少子化担当大臣は、本来、子育てがきつい乳幼児をもつ親のためにスタートした児童手当を、高年齢層の子や富裕層にまでばらまく制度にしてしまい、その上、やっばり乳幼児の育児が厳しいからと、乳幼児手当という屋上屋を重ねるような愚策をやると言っている。
自治体では現在も、児童手当支給事務に数人の職員が常時配置されている。これにさらに支給基準の体系が異なる乳幼児手当がばらまかれるようになったら、自治体職員がさらに必要になる。多分、乳幼児手当に兆のお金を用意できるとは思えないから、乳幼児1人5000円程度のばらまき福祉のために。
児童虐待やDV対策に、人手不足を理由に何もできなかったり、保育所を無理に民営化している現状の自治体を見ていると、そんなつまらないことに労力を使っているとはばかばかしくなる話だ。

これまでこのブログでも繰り返し経済的支援の愚かさを指摘してきた。
子育て世代も騙されてはいけない。保育園をリストラしたり、産科医の全国的な廃業を指をくわえて見ているだけの政権がいう経済的支援とは、本当に困ったときの行政サービスは何もしないから、はした金でなんとか自分たちでやってくれ、というメッセージでしかない。就労環境の整備や保育所の整備をやらないで現金だけばらまけば、それは専業主婦優遇策でしかない。どう考えても、専業主婦がいる家族モデルを前提にした政策はもはや有効性を失っていると思うが、自民党はイデオロギーに縛られている。
そんなことで少子化対策にもならないし、少子化が解決しなくても子どもが育つ環境が良くなればいいが、保育園も入れない、母子家庭は路頭に迷う、こんな社会のままでお金だけ流したって何になるのか、自立を促す政策になるとは思えない。
ほんとうに困っているところだけに財政出動すれば効果的なお金の使い方になるが、政策意図もなく財政出動をするためにムダに税金を集めることになるのだから、政府の機能の否定である。

専門家たちはそんな「ばらまき福祉」で子どもが増えないし子育ての環境が良くならないことはわかっている。でもいくら渡したと選挙で絶叫するのは楽だから、政治家たちは後先考えずに経済的支援に傾くのだろう。猪口邦子も働く女だからおそらくその不合理さはわかっているのかも知れない。しかし、反動的感情渦巻く中で圧勝した小泉チルドレンの一員として、働かせ方を変えろとか、保育所を充実しろとか、「社会主義者」たちが言うような政策は主張できなくなっているのかも知れない。

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5/20 社会生活と医療との関係を考える1日

昨日は同僚が3ヵ月研修で地方に行くことになり、その送別会に出る。その後、同僚と飲む。労働組合職員にとっての共感能力が議論になる。

今日は、地域福祉計画の策定過程を振り返るため、議事録をもう一度読み返す。ものすごいノウハウの宝庫だと改めて感じた。

朗報というか。祖母が退院したという知らせを受ける。まだ入院期間は残っていたが、母の兄弟姉妹たちが病院から退院させてきたという。リハビリが成功しなければ寝たきりが続く。
医師は、在宅で暮らすのは無理だから限界まで入院して施設に入れと助言した。
しかし、このままでは何もできない人間になってしまう、万一を恐れて病院で寝て暮らしても死ぬのを待つだけだし、祖父は病院でMRSAで孤独死した。年齢からして仕方がないところもあるが、みんなどこか悔しく、情けない思いをした。慣れたところで暮らす方がいいという母たち兄弟姉妹の判断だったようだ。

●臨床研修を終えた医師が大学病院に残らない、という記事を読み、そこについていた大学病院にそのまま就職する人の科別の増減のグラフに興味をひかれた。やはり産科、小児科、脳神経外科、救急科は大幅に減っている。一方で形成外科、皮膚科は急激に増えている。
最近、産科、小児科の医師が不足していることから、医師をもっと増やせという議論がまきおこっている。しかし、このただ医師を増やせば、増え続けている形成外科や皮膚科などの医師はもっともっと増えてしまう。そしてやらなくてもいい医療のための社会のコストが膨らんでくる。
医師の総量は医療費総額でコントロールできるかも知れない。しかし、これ以上増える必要のない科の医師もいるわけで、その調整はレッセフェールでやっていてはだめで、政策的介入がどうしても必要になる。青天井に医師にお金を注ぎ込んでいけばいいという議論ではダメだと思う。

●NHKのETV特集「ある地域医療の挫折」を観た。合併交付税で目のくらんだ北海道の寒村が合併して(どうせ合併新庁舎の建設の国費めあてだろう)、何もわからない新町長とその側近が最先端の地域医療の実践をパーにし、熱心な医師を手放してしまった話。地域医療の充実で住民1人あたりの医療費を抑えた実績が、「財政問題」で否定されている論理矛盾。
そのからくりはベッドばかりたくさんあるだけの役に立たない救急病院を持っている自治体に手厚い交付税が入る仕組み。人手をかけて予防医療に力を入れて医療費を削減するより、ベッドを置いてあるだけの病院の方が自治体財政にメリットがあるというしかけ。
「公務員が多い」「準公務員が多い」という議論の果てに、日本の公的財政って、モノにしか金を払わない。医療や福祉の分野でモノを基準にお金を払うと、施設や設備に合わせて患者や利用者をつくることになる。ベッドが多いから稼働率を上げるために入院患者を増やす、入院患者が増えるからコストがかかる、さらには住民自身も寝かせきりで機能低下してますます医療依存にさせられていく。そして自治体の国保財政を中心に医療関係の支出に歯止めがかからなくなる。
もう1つ、心療内科で受診していた酪農家の患者の言葉が心に響いた。「村上先生(地域医療を推進してきた中心的な医師)は、ぼくのこと何でもわかってくれて、どんな体調でも牛の世話をしなくてはならないぼくの生活と治療が両立するように一所懸命考えてやってくれる。そんな医師はなかなかいない」。同感だ。

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2006.05.18

5/18② 繰り返される朝霞市の談合

朝霞市の入札では談合事件が後を絶たない。
きょうの朝日埼玉西版などで報じられたが、朝霞一中の取り壊し作業の入札で、談合情報があり、入札を延期したということだ。何度も何度もこうしたことが繰り返されており、入札改革が必要である。

法政の武藤先生の「入札改革」はいくつかの点で参考になる。
・入札を、登録業者だけでやる指名競争入札ではなく、一般入札にすること。応札する業者が特定できなくなるので談合がしにくくなる。
・応札業者がわかってしまう業者向けの説明会を開かないこと。入札にかける事業についての説明は文書かインターネットでのみ公開すること。説明会を開くと応札業者がわかってしまい、談合がされやすい。

そして大事なことは、
・お金だけの評価で入札しないこと。男女平等や障害者雇用、リサイクルへの協力、地元雇用、労働基準法の遵守など政策協力度も評価に入れて入札すること。それらをポイント換算するなどして、公正に評価されるようにすること。

この間の「改革」好き連中の議論は、税金が無駄遣いされなければいいというだけのポリシーしかない。でもお金だけしか評価しないから、談合が簡単にできてしまうし、安ければ問題業者などに簡単に委託されてしまう、という。お金だけが評価基準なら、業者どうし、説明会の廊下やトイレの隅、市役所のロビー、帰り道でものの1分もかけずに談合ができる。
政策協力度をポイント化して入札基準に組み込むことは、民間業者に政策協力を得るための有効な手法になるだろう。朝霞市の次世代育成支援計画では、市の職員が「私たちが民間業者にあれこれ言える立場じゃないんですよ」なんて泣き言を言っていたが、金も権限もあるのだから、泣き言を言う前に手段を持ってほしい。
一方で、事前に政策協力をスクリーニングして登録業者制度にしてしまわないよう、指名競争入札の失敗を繰り返さないよう、政策協力度もポイント化して競争基準に入れ、公正な業者決定をすることが大事だという。評価基準が複雑化すれば、説明会の廊下やトイレの洗面所での談合では済まなくなり、資料なども出回り、確実に足がつくことになる。

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5/18 ほちいほちいという子どもみたいな議論

基地跡地利用の策定委員会の3月27日の会議の議事録が公表されている。

第10回基地跡地利用策定委員会の議事録(2006/3/27)

これを読むと、基地跡地利用をするためには、朝霞市財政に相当な犠牲がかかってくることが報告されている。それなのに基地跡地を利用したくてしたくて仕方がない、不動産屋の委員や市民の委員は、そんなことは財政課が考えることだ、議会が考えることだ、とまったく顧みようとしない。あんまり財政のことを考えて何のための行政になってしまうのか、という状態は考え物だが、あまりにも自分たちのやりたいことばかり主張して、財政のことを顧みない議論は、第二次世界大戦中の陸軍・海軍の失敗を繰り返すようなものだ。
私は、事務局が説明した数字を議事録から拾う限り、基地跡地取得の借金返済のため毎年20億~30億の返済が必要になる。20億~30億というと、介護施設や保育所5~6ヶ所開設できる金額であり、介護施設や保育所への国補助も考えると10ヶ所ぐらい開設できる金額だ。介護施設や保育施設のランニングコストに換算すれば20ヶ所分である。

私のように保育園を使わなくてはならない市民は、市職員に財政事情で我慢しろ、と言われ続けている。それもふてぶてしい態度で。児童福祉課の窓口職員に半ば税金泥棒みたいに言われて、いい応対されたことはなかった。
それなのに、公園だとか、巨大スーパーだとか、医師会館だとか、作りたい人たちで自分たちで何とかしたら、ということにジャブジャブお金を使うなんてナンセンスだ。
基地跡地利用なんて政策が間違っていると思えてくる。都市計画で、国が変なところに売ったり、変な用途に利用されないように歯止めをかけるだけで十分じゃないかと思う。

私は小さな政府に反対しているが、税金が有効に使われないことについては、問題だと思っている。
公園をつくるのか、救急病院に客が取られるのを嫌がる医師会のための施設をつくるのか、はたまた今や時代遅れになり始めている郊外型スーパーのために使われるのか、いずれにしても、あったからといってどうだというのだ。
朝霞市で保育園や介護施設に入れない人たち、劣悪な障害者福祉サービスの中で、仕事も他の家族の面倒も犠牲にしている人たち、そして満足な機会を与えられない当事者たちの状況が放置される。彼らは、行政にちょっと詳しい市民や市職員に税金の無駄遣いと言われているのだ。そして税金の節減というと「行政に甘えている」と真っ先にその標的になる。土地成金で私費で福祉をまかなえる人たちが市役所に大きな顔をしているから。
私の小学校の頃の朝霞市の教育はひどかった。教員は白の模造紙しかかってもらえず、枚数も上限があった。がんばっている先生は自分の給料からカラーの模造紙を買ったりしていた。この議事録を読むと、当時、野球場を作ったり、運動公園を作るために、そんな犠牲を払われていたんだということがわかる。当時は、まだ能力主義なんてなかったからとりあえず就職できる子さえ育てれば学校の役割は終わった。
しかし、これからは熾烈な自治体間競争が始まり、教育や福祉にお金をけちって質を下げてしまうと、首都圏の中では比較的安いという面でしか朝霞を評価しない、町を住み捨てる人しかやってこなくなる。
立派な公園ができた、医師会館ができた、郊外型スーパーとの複合施設ができた、さてそれで朝霞市民の力がどんどん低下したら、市民所得が下がり、税収が下がり、さらに朝霞市は財政的に危機的な状況に陥れる。
そういうことをわかって、財政論を無視した議論をしているのか、疑問である。

こうした主張をする不動産屋や市民を見ると、稼ぎも少ないのに、家計も顧みず、自動車や家電製品を買ってくるおやじのメンタリティーを見る。こういう自治体を見て、母屋はお茶漬け食べているのに、離れではすきやきというのだろう。

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2006.05.17

5/17② 情けない話ばかり

●民主党の教育政策がよくわからないし、断片的な言葉はほんとうに品がない。福祉とか教育政策には勉強不足な議員が多く、勉強不足な奴ほど威張って政策をねじ曲げるのが民主党の特質だ。次の政権交代で政権を担当する政党はセーフティーネットをつくれるかどうかが試されているのに、今は無能力状態だ。戦後の教育を批判するなら、明治維新から戦前までは歪んでなかったのか。きちんと整理してほしい。

●クローズアップ現在で多国間協調政策を進めるアナン国連事務総長のインタビュー。クリントン時代の理想に惚れ込んでやってきた人だという感じがした。
河辺一郎「日本の外交は何を隠しているか」(集英社新書)では、日本政府、はアメリカに負けず劣らず国連分担金を滞納している国で、そのことを国民に隠し、アメリカだけが滞納しているようなウソ情報を流して国民を信じ混ませている。国会議論も与党も野党もその情報に騙されているという。
外務省は、外務大臣演説時間が確保されたり、国連の要職のポスト捕りが成功したり、アメリカの与国として一緒になって圧力をかけることに成功した後に、滞納した分担金を納入しているという。さらに恥の上塗りに、米軍再編経費の1%程度の国連分担金を、高すぎるの非効率だの何のといって、見直し要求を出しては、アメリカと一緒になって、アナン事務総長やそれに同調する国々を脅かす。ひどい話で国辱だ。
佐藤優の現代の記事も笑えた。川口順子外相時代に川口が優秀な職員を川口賞として表彰し、赤シャツをプレゼントしていたという。本人たちは小泉改革への忠誠の印なのかもしれないが、たかが赤シャツを栄誉だと思っているとは情けない。

●ネットの利用環境についてあれこれ言うのは下品な感じがしますが、どうにも使いにくくて。

ニフティー・ココログがめちゃくちゃ遅い。社長もブログでわびているが、本音は我慢しろ、と言っているだけ。何が原因で遅くなり、どんな対策を打とうとしているのか、まったく情報開示がない。
どういう料簡で既存の有料客に迷惑かけて、無料開放などするのか。無料開放してから使用にたえられないほどレスポンスが遅くなっている。そこまでして無料客を甘やかすのには、どこから金が出ているのか。下手なスポンサーのために、まともな利用客が我慢しなくてはならないのか。ニフティーやココログは利用料で育てた世界だ。有料客をまず優先して扱ってほしい。
こんな状態が続くなら、村上ファンドが上場している親会社の富士通を乗っ取ろうとしたときには、諸手を挙げて賛成してやりたくなってくる。

それともそろそろネット離れしろという天の声かも。

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5/17 埼玉は障害者が就職しにくい県

障害者の就職率が公表される。
全国の障害者のほんとうの数はわからないので、雇用率ではなく、就職しようとした障害者に対する比率なので、どこまで実態を示しているかわからないが、なんとなく傾向が見える。

埼玉の障害者就職率は、大阪、神奈川、千葉、青森についで下から5番目。次が東京だから、青森を除けば障害者が働くのに大都市圏は厳しいのかも知れない。優秀な比率が新潟、富山、石川、福井だけども、そもそも就職しようとする人の数(分母)が少ない。
全国の就職者数に対する各県の就職者数を見ると興味深い。東京が1割なのでほぼ人口比どおり。埼玉は6~7%必要だが、3%ぐらいなので、あまり就職状況は良くないということがわかる。神奈川はもっとひどい。逆に埼玉よりちょっと人口の多い大阪が倍ぐらいの人が就職できている。

「大幅な伸び」となっているが、注意しなければならないのが精神障害者の伸びである。身体障害者や知的障害者の伸びは従来どおりの傾向である。
また、雇われた障害者がどのくらいの賃金をもらっているかも検討が必要だ。
障害者自立支援法の施行でマスコミがいろいろな障害者に取材していたが、手取り月収10万しかいかないような人ばかりだった。
仕事があるだけありがたいと思っている障害者に対して、二級市民的に、格安な労働力として使われてもいけないし、逆にノーマライゼーションを拡大解釈して、障害があることにそれなりに配慮された仕事の回し方をしていない職場もあって、ひどい場合には自殺するようなこともある。
障害者が働くということを機会に、誰でもが気持ちよく働けて、その人の機能や能力をできるだけ尊重されるような職場づくりを考えてほしい。

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2006.05.16

5/16 とんでも科学信者に愛国心を求められても

教育基本法改正で、自民党が愛国心的なものを打ち出せば、民主党が日本を愛する心と、さらに純化路線。対案出せばいいってもんじゃないだろうに。

レベルはぐっと下がるが、むかし「好・き・で・す・朝霞」というキャッチフレーズで市長選に出たパンチパーマの県議がいた。なんかものすごい違和感を感じた。

自分の属する集団を、為政者が好きか嫌いか価値判断させるのが、近代のいやらしさである。政治家なら、今の地域の問題をきちんと捉えて提起していくことが仕事じゃないかと思う。「好きになりたい朝霞」ならわかるが、有無も言わせず「好き」を押しつける、属する集団が好きか嫌いかで統合を図ることは下品なやり方だと思う。人はそこで生きていくのだし、そこにはあえて好きだの嫌いだの言う必要はないと思う。ただ、過ごしやすい社会や地域があることが大切だと思う。そういうことをやっていれば為政者は愛されるかどうかはわからないが、嫌がられることはないのではないかと思う。

民主党が愛国心を自民党以上におしつけようとする考えをまとめている席に並ぶ、幹部の面々を見てほんとうにがっくりきた。とくに菅直人が並んでいることを。そして、この問題では、公明党の方がよっぽどましだということも。

●首都圏の8都県市(東京、埼玉、千葉、神奈川、横浜、川崎、千葉市、さいたま市)の首長の会議があって、ゲーム脳の研究を始めることで大いに盛り上がったらしい。そして浦和の相川宗一(革新市長の息子)は、早寝早起きしない子は頭が悪くなる、と真顔で提案し、一部の首長が啓発運動だけでなく規制をしようと言い出しているという。
こいつら改革派で選ばれた奴ばかりだが、おつむのレベルを疑うぜ。とんでも科学を真顔で議論しているヒマあったら、首都圏内の地域格差とか県を超えると不便な問題を解決するような議論してほしい。

北海道や札幌と比べると明らかに首長の質が低い。行政に期待されるものも少なく責任感がないからじゃないか。
さらに輪をかけるように、自治体の動きを地元紙や全国紙の地方欄が追っているわけではない。首都圏では行政施策の変化は口コミでしか知ることができない。原始時代なみだ。その口コミをありがたがって、首長をあえて批判しようという動きもない。どいつも2選目は事実上の信任投票だ。
首長がみんなの視線に晒されて、仕事を評価をされることが少ないと、どうしてもこうした思い込みだけのとんでも科学みたいなことに飛びつく体質ができあがっていくのは避けられない。この8都県市では千葉県・市の2人以外は、愛国心強要論者ばかりだ。
不幸なことに、全国紙で埼玉地方欄を担当している記者が、生臭いニュースより、運動会やお祭りのニュースばかりで埋める方がクオリティーが高いと宣った話を聞いたことがある。埼玉新聞もお金がないのか大本営発表の人事ニュースしか載っていない。地域メディアの役割は大きいのに、フリーペーパーしかない。

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2006.05.15

5/16 野党のあり方で自治体も変わる

朝の有楽町線が車両故障。これまでも連結器が切れたり車両がよく壊れる物騒な電車だ。和光市や新木場の工場のメンテナンス能力の質が低いのか、有楽町線の車両が設計上問題を抱えているのか、寿命なのか、原因を明確にしてほしい。

●最近、知り合いが、朝霞市の「市民ネット」という市議会会派の広報を見せてくれた。この市民ネットは首都圏各地の生協運動から生まれた会派ではなく、旧社会党の若手議員が社会党の崩壊と同時につくった会派。
実は、このうち1人の議員の初当選の選挙を私は応援したが、その後、私が民主寄りに見えたのか、おたよりも何も送ってこなかった。民主主義を徹底する左翼的な主張を高く掲げているのに、どんな議会活動をしているのか、全く情報が入ってこないし、民主主義に対してまずいんじゃないかなぁ、なんて思っている。

埼玉県南部の自治体の体質が、北海道や大分の自治体よりもはるかに古くて勉強していなくてやる気がなくて批判してきたが、本来、そういう自治体を改革すべき旧社会党や革新系無所属の態度もまずかったんじゃないの、と思うことがある。
保守派に対する批判を、すべて「戦争の準備をしている」というところに話をこじつけて意味のない批判にしてしまったり、介護や保育の利用料値上げのことはことさら問題にするのに、サービスを受けることすら行政裁量で排除されている人々のことについては、ほとんど無視をしてきた態度は本当に問題だと思う。国際情勢についてはマニアックなぐらいしゃべり倒すのに、福祉については熱心さが見られない。

今回の通信で、路上禁煙条例にこの会派はただ1つ反対した。たばこの火と煙の暴力性について何も自覚しないこの会派の態度はほんとうに残念で、次の投票行動に十分に参考にさせてもらおうと思う。

でも、自民党(地主ばかり)と公明党と共産党しかない市議会(最近民主もできたけど、よそ以上に自民党との違いが解らない。労組出身者もいない)で、どこを選ぶかというとでもしかでそういう人を選ぶしかない。誰か市議に出てくれないかと思う。保育園問題とか、東京通勤者とか、給与所得者の家庭の大変さをわかるような、しかも市民運動やNPO活動にも関わって楽しんでいけるような元OLの人材がいないかと思う。

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2006.05.14

5/14② 男性に対する職業差別に賠償求める

午後、次世代計画の推進委員会のワーキンググループの会合。子ども・子育てに関する講演会・学習会の話を具体化していくこと、母親学級の改革で出産・子育てに対する未知なる不安を払拭しポジティブに捉えられるようにしていくこと、「子どもデー」みたいな日を設けて集中的に子ども・子育てに関するイベントを同時多発的に行い、地域では、子どもと地域の商店を結びつけるイベントを実現していくことが話としてまとまった。ほんとうに実現していくと、子育て・子どもに関する意識が変わってくるのではないかと思う。

●きょうの毎日で、人材派遣会社の事務職に応募した人が、男性であることを理由に採用を断られ、裁判を起こしたことが報道された。快挙であると思う。女性が入り込めない職場はだいぶなくなってきた(現実的に出産と上方婚(関西人と結婚することではなくて、結婚相手の男性を身長や年齢や年収で上回っている人を選ぶこと)を求めた結果として夫から押しつけられる育児によって、現実的には女性が入りにくい仕事はまだまだたくさんあるが)。しかし、一方でこれは女の仕事、性格的に女が向いている、男のする仕事じゃないなどの口実で、男が入ることを拒絶されてきた仕事も多い。
私も、北海道にいたときに近所にあった中央郵便局の年賀状業務のアルバイトをしようと思ったが、男性は自転車で配達のみ、屋内の仕分け作業は女性だけ、という条件があって、雪道自転車をこぐ自信がなくて諦めたことがある。

これで思い出したのが、新座の星川さんという女性市議がもらった手紙の話だ。新座市の女性職員有志という差出人で、要約すると「これまでの女性職員はお茶くみやってコピーとってテキトーにやっているだけで公務員としての給料を貰えたが、あんたが男女平等でがんばったせいで女もいろんなことをしなければならなくなった、落選させてやる」と。これが本当に女性職員のものなら冗談じゃないクビを切れと思うだろうし、星川市議を快く思わない男性の悪意に満ちたいたずらかも知れないが、こうした論拠が成り立つことがおかしい。

男であるから、女であるからと役割分担を求められるのは、妊娠と出産と月経とトイレに関連するものではないかと思う。仕事は、男だから向いているのか、女だから向いているのか、ということではなく、それぞれの各人において、その能力や向き不向きの中で決められるべきで、門に入る前から男だから、女だからと決められるものではないと思う。
私は中学生のときに面白い経験をした。ラッパが格好良くてブラバンに入ったが、なぜか同学年で男1人だった。同学年の人たちは女の園を作ったのに、そこに異分子が入り込んだというので、お互い最初はえらい苦労した。何度も退部を決意した。でもやっぱりそういう経験をしてよかったと思うし、後で一緒の輪に入れて、一緒にいろいろ考えさせてくれたことはとってもいい経験だった。

余計なことだが、男と女で被害者と加害者が入れ替わると、逆セクハラとか逆性差別という言葉を使うことに違和感をもっている。男だろうが女だろうがセクハラの被害はセクハラの被害だし、性差別は性差別だ。

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5/14 社会人になるための偏差値

商売のあり方に毀誉褒貶のあるNOVAのCMで「日本が沈む前に」というフレーズに笑った。愛国心だ在郷っぺを愛せだとか、いんちきな教育改革が議論されて、その一環で外国語の早期教育も始まっている。その外国語教育が「日本が沈む前に」だから、ニーズとしてあるのは日本脱出。
外国語が不得手で、海外に行くことが恐くてしょうがない私だけど、20年後のこの社会が恐ろしく乱暴でモラルハラスメントに満ちた社会になっているような感じがする。いろいろ考えてしまう。

●安倍晋三の本質を見るような話。小泉政権のむごたらしさを是正するかのような発言をしているが、やっぱり福田よりもむごたらしい本質をもっている。
安倍晋三が議長の政府の「再チャレンジ推進会議」が、社会人基礎力なる人間を測る物差しをつくったというニュース。就職を円滑にする、などと目的を挙げているが、実際は、個々の労働者の内面的な能力をあれこれ測りたがるんだろうか。うんざりする。人間の多様な内面、ふくらみまで偏差値のように扱おうというのがこれからの社会なのか。このように企業に望ましい内面性を持たないと就職できない、というメッセージを送れば、優等生の若者は自己暗示をかけ望ましい人格形成をし、劣等生の若者は最初から就職を諦めて自分らしさを追いかけて社会保障制度にぶら下がりコース一直線。かえって悪影響だ。世の中そんなものではないだろうと思う。
「再チャレンジ」というのはこうした偏差値数字をあれこれつくって失敗させないことだという理解はどうしてもできない。「再チャレンジ」というのは失敗したり、失敗しそうな要素を持ってる人でも何とか社会参加してこの社会に居場所があり、誇りを持って生きていける社会をつくることだろうに。まったく筋がずれている。
雇用の流動化なども含めて「あんたのためだよ」なんて甘いささやきをする政府や御用学者・御用経済人(それとフランスのドビルパン首相。対抗すべき社会党の女性大統領候補も同種の思考の持ち主らしい。余談でした。)たちは、地獄行きの切符の売人だと思う。こういう甘言は彼ら自身の金儲けのために