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2006.05.06

5/6 ある社会民主主義の理論家の死亡

関嘉彦さんが亡くなる。社会民主主義の思想史の研究家で、初期の民社党の思想面を支えた。私も、共産主義ではない社会主義を研究した大学時代、彼の著書をいくつか読み、現在の政治的スタンスを確たるものにしたので、影響を大きく受けた。彼の著書によって自らを社会主義者の一種だと自認するようになった。

惜しむべきは、現在の民主党の民社協会グループ、かつての民社党が、関嘉彦さんのリベラルな社会主義をきちんと踏襲せず、民族主義との癒着、安易な企業内社会主義への恭順に堕してしまったことである。そして人権や公害問題、消費者問題にあえて後ろ向きな姿勢を示し、矮小な利益を主張する、大企業の反動的サラリーマンオヤジの感覚を代弁するだけの中政党路線が確定してしまった。

関嘉彦さんが模倣した西欧社会民主主義理論が確立していれば、民社党は大企業反動的サラリーマンおやじの偏見を超えた大義で動く政党になっていただろう。田中角栄が福祉政策を拡充する前に様々な主体的な提案もできたのではないかと思う。そうなれば民社党は70年代後半社会党が急激に左傾化する中で1つの勢力を築くことができただろうし、江田三郎もあえて社民連を作らずに済んだだろうし、もしも90年に社会党の党改革が右傾化した民社党で大事にされなくなっていた関嘉彦さんの考え方を取り入れていたら、社会党は今日のような転落はなかったと思う。それらの選択肢があれば、政界再編成ももっとわかりやすい姿で進んだのではないだろうか。

社会党というか、左派全般に言えるのかも知れないが、90年代に議会でのたゆみない改良による社会主義を求める社会民主主義と向き合いそこからスタートすることをあえて無視し、ニューアカだの、ポスト工業化時代だとか、エコロジー&フェミニズム(それもかなり原理主義的な)とか、およそ大学院生でしか通用しないような近未来イデオロギーに飛びついて、結果として主体的に社会改革に関与するチャンネルをつくることを放棄してしまったような印象がある。結果として政治的には、現実にべっとりの自民党やネオ保守を増長させてしまったし、社会主義者の中では、パターナリズムに染まったマルキストのために援護射撃をしてしまったのではないか、と思っている。

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