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2006.05.21

5/21② 権力者に都合のよい権利と義務論

家の塗装工事が予想より早い時間に終わり、午後は時間が自由になったので、子どもの権利条約総合研究所のシンポジウムに行く。テーマは子どもの権利論の総合的検討で、小金井市の子どもの権利条例制定に携わった野村さんの「子どもの権利条例づくりと子どもの権利・義務」、川西市の子どもオンブズパーソンの事務局にいた吉永さんによる「子どもの権利救済と子どもの権利」などが報告。小金井市では、条例策定委員会の公募市民が権利を与えるならその分子どもに義務をとばかりいって議論を混乱させていた状況が報告される。

権利問題を、義務とのトレードオフで議論する愚かさは何度か書いてきたが、子どもの権利というとまさに「義務」ばかりが前面に出てきた議論しかされないという野村さんの報告は同感だし私にとって琴線に触れる話だ。このときの義務とは、権利行使の結果に責任を持てというものではなく(それだったら義務ではなく結果への責任と言えばいいことだ)、権利行使するなら、無条件で何がしか服従しろ、というニュアンスで使われる。

私は日本共産党の影響が強い高校を出たが、その影響下にあった当局は、自分たちの歪んだ権力を正当化するために、「権利には義務がある(言いたいことを言って教員にたてつくならその分教員に忠誠も誓え)」と言って仲間や私に服従を迫った。その矛先は反論できた私やその仲間だけではない。教員に楯突くまでもなく、さして不満を述べずに静かに不登校になった子たちにまで言葉の刃が向けられた。
権利を制限できるのは他人の権利が侵害されるときであって、権利の行使と取引関係で義務が発生することはない。近代民主主義の基本的なつくりである。義務は権利行使とは独立した関係にあるということもわからないで、保守派な通俗道徳のままに権利と義務をトレードオフのような議論をしていた。取引関係で権利と義務を語れば、他人に義務を課すカードの少ない立場の者を抑圧する論理になる。こうした理屈を押しつけてくる彼ら左翼教員たちの偽善的態度に反吐がでる思いをした。

●トルエンの臭いの中、地域福祉計画の過去の資料文献を時系列に整理する作業を午前中行う。

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コメント

権利に対応するのは義務ではなく、責任だと私は理解しています。そして、「責任感」という単語に顕著ですが、責任とは自ら理解し、納得して担うものです。

投稿: takeyan | 2006.05.22 02:23

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