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2006.05.21

5/20 社会生活と医療との関係を考える1日

昨日は同僚が3ヵ月研修で地方に行くことになり、その送別会に出る。その後、同僚と飲む。労働組合職員にとっての共感能力が議論になる。

今日は、地域福祉計画の策定過程を振り返るため、議事録をもう一度読み返す。ものすごいノウハウの宝庫だと改めて感じた。

朗報というか。祖母が退院したという知らせを受ける。まだ入院期間は残っていたが、母の兄弟姉妹たちが病院から退院させてきたという。リハビリが成功しなければ寝たきりが続く。
医師は、在宅で暮らすのは無理だから限界まで入院して施設に入れと助言した。
しかし、このままでは何もできない人間になってしまう、万一を恐れて病院で寝て暮らしても死ぬのを待つだけだし、祖父は病院でMRSAで孤独死した。年齢からして仕方がないところもあるが、みんなどこか悔しく、情けない思いをした。慣れたところで暮らす方がいいという母たち兄弟姉妹の判断だったようだ。

●臨床研修を終えた医師が大学病院に残らない、という記事を読み、そこについていた大学病院にそのまま就職する人の科別の増減のグラフに興味をひかれた。やはり産科、小児科、脳神経外科、救急科は大幅に減っている。一方で形成外科、皮膚科は急激に増えている。
最近、産科、小児科の医師が不足していることから、医師をもっと増やせという議論がまきおこっている。しかし、このただ医師を増やせば、増え続けている形成外科や皮膚科などの医師はもっともっと増えてしまう。そしてやらなくてもいい医療のための社会のコストが膨らんでくる。
医師の総量は医療費総額でコントロールできるかも知れない。しかし、これ以上増える必要のない科の医師もいるわけで、その調整はレッセフェールでやっていてはだめで、政策的介入がどうしても必要になる。青天井に医師にお金を注ぎ込んでいけばいいという議論ではダメだと思う。

●NHKのETV特集「ある地域医療の挫折」を観た。合併交付税で目のくらんだ北海道の寒村が合併して(どうせ合併新庁舎の建設の国費めあてだろう)、何もわからない新町長とその側近が最先端の地域医療の実践をパーにし、熱心な医師を手放してしまった話。地域医療の充実で住民1人あたりの医療費を抑えた実績が、「財政問題」で否定されている論理矛盾。
そのからくりはベッドばかりたくさんあるだけの役に立たない救急病院を持っている自治体に手厚い交付税が入る仕組み。人手をかけて予防医療に力を入れて医療費を削減するより、ベッドを置いてあるだけの病院の方が自治体財政にメリットがあるというしかけ。
「公務員が多い」「準公務員が多い」という議論の果てに、日本の公的財政って、モノにしか金を払わない。医療や福祉の分野でモノを基準にお金を払うと、施設や設備に合わせて患者や利用者をつくることになる。ベッドが多いから稼働率を上げるために入院患者を増やす、入院患者が増えるからコストがかかる、さらには住民自身も寝かせきりで機能低下してますます医療依存にさせられていく。そして自治体の国保財政を中心に医療関係の支出に歯止めがかからなくなる。
もう1つ、心療内科で受診していた酪農家の患者の言葉が心に響いた。「村上先生(地域医療を推進してきた中心的な医師)は、ぼくのこと何でもわかってくれて、どんな体調でも牛の世話をしなくてはならないぼくの生活と治療が両立するように一所懸命考えてやってくれる。そんな医師はなかなかいない」。同感だ。

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