5/13③ 公園があっても・・・
●市内の方と思われる方からメールをいただきました。
内容は基地跡地のことで、自然を残してほしいという気持ちいっぱい(それは私も同感だが)でつまっていて、自然のためにも市民の保養のためにも地球温暖化防止にも洪水対策のためにも、とにかく公園にして残せという主張でした。そして基地跡地の市民懇談会に傍聴に来てほしいというものでした。
お気持ちはわかりますし、共感するところもいっぱいだけども、基地跡地の自然を守りたいなら、絶対的な正義ではなく、利権に勝てるシステム提案と理屈を出していかなくてはならないし、残念ながら、「基地跡地を開発する」という前提が合意形成されてしまっている以上は、認可保育園に入れない子どもを抱えて家計が正直いってきつい状態の我が家にとって、これ以上、市の財政を痛めつけて福祉や教育など人づくりのところにお金をかけることができなくなることは避けてほしいという思いがあります。そうした施策をとれば公園ばかりが立派で、確実に朝霞市民の力を奪っていきます。
公園が善なるもの、という前提を疑ってほしいです。ハコモノ行政の弊害とは何なのでしょうか。使われるか使われないかわからない施設を作り続けることです。立派な建物なのに運用する職員がいない施設のことです。
どんなに自然環境を守ろうとも公園もひょっとするとハコモノ行政の1つかもしれないということを考えなくてはなりません。公園はコストがかからないように見えますが、収入も上がらず、誰かがメンテナンスをしてくれるものでもないので、清掃業者や造園業者を年がら年中使って整備しなくてはならない、ものすごくコスト高なものなのです。
朝霞市に公園が少ないというのは、根拠のない話で、首都圏にしてはものすごく公園が多いまちなのです。朝霞市に造園業者が多いのも公園が多いからなのです。公園がいっぱいあるのに、安らげるイメージを代表する「公園」をもっと欲しい、というのは、もっと別な原因で市民は安らぎを得られないと理解した方がよさそうだと思います。欲しい→つくるべき、という行政ニーズの展開の仕方はばらまき福祉以上に問題だと思います。
私は、基地跡地を緑地で残そうとした人は、基地跡地利用の議論にのってしまったことが失敗戦略だったんじゃないかと最近思っています。基地跡地を使わなくてはならない、という議論ですから、限りある朝霞市財政の中では、民間に売り飛ばすしかないわけで、不純だけども公務員宿舎にして緑をたくさん残す計画にしてもらうことが市の財政を痛めつけずに緑を守る方法じゃないかと思っています。
お金をかけずに自然を守りたいなら基地をあのまま放置しておくことがベストで、そのためには跡地利用という前提をぶちこわすことが必要ですし、私たちの中にある空いた土地は何かに使える、利用しなくてはならない、という脅迫観念を棄てることではないかと思っています。
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