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2006.04.29

4/29 落ち着いた第二ターミナル

連合系メーデーに出かける。会場外にフリーマーケット&縁日のようなものを設けて、来た人には居心地のよい時間を提供できるようになったと思う。たばこくさいのが気になる。元上司たちに、このブログ見ているよといわれ、すこし緊張する。
終了後、羽田から家族の故郷に帰省。羽田第二ターミナルで集合する。
家族は志木駅から羽田空港までバス利用。出発客のトラブルで10分遅れで発車して5分前に着いていた。所要時間1時間10分で帰省ラッシュの始まりの日であることを考えると優秀。ルートは首都高速5号、板橋本町から中央環状線で新木場まで大きく迂回、湾岸線で羽田空港に。渋滞に巻き込まれないルートだ。

落ち着いた雰囲気づくりがされていていい感じ。この帰省ラッシュのなかでもそわそわした感じがない。
ただし、レストラン街のあるエリアのエレベーターがデザインばっかりで遅くて混んでいてなかなかこない。で、エスカレーターにまわってみると、ベビーカー利用者をエスカレーターに乗せないために係員まで置いていて拒絶される。そこが問題だと思った。エレベーターを増設するか回転率を上げるべきだし、それができないなら、係員をおいて、利用をきちんとコントロールすべきだ。これは第一ターミナルの中央棟のエレベータにもいえることだ。
第一ターミナルより良かったところは、照明が落ち着いていて、気分がそわそわしない。余計な放送をしないのでうるさくない、チェックインした内側のコンコースに子どもの遊び場や喫茶店などが余裕のあるスペースにあり、落ち着いて飛行機の搭乗時間まで待っていられることがよい。ベンチで座って昼寝をしている人がいたぐらいだ。

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4/28 日本共産党に背を向けた人の難しさ

連休前の最後の出勤日、送れた仕事が届いてほっとするが、これでもかこれでもかと波状攻撃のように締め切りまで時間のない仕事が飛び込む。そして会議が2本。忙しかった。

筆坂秀世「日本共産党」(新潮新書)を読む。共産党離党者にありがちな口汚い批判は少なく、抑制がきいていて、共産党のどこが問題なのか、どこが組織のネックになっているのかがよくわかる。機関紙の売り上げ、党員の増加、党への献金ばかりに力をいれて、そのノルマに組織が疲弊している。社会民主主義ではない社会主義・左翼組織は、党の路線がうまくいってなくても、それを認めると党組織の統制がとれなくなるから、結果として、党員や活動の現場の努力不足か、教宣活動のまずさに責任をなすりつける。こうして誰の責任でもなくして、再び力こぶだけ入れるような運動が展開されて、運動はマンネリ化し、新しい人を呼び寄せる力を失うのだ。

筆坂さんは、東大卒ばっかりの共産党幹部の中で、数少ない高卒。苦労は人一倍したのだろう。

●教育基本法改正が閣議決定された。
公共の精神を尊び、●●を涵養し、●●を愛し、そんなお題目を唱えるだけで社会が良くなるのだろうか。無能な政治家や教員たちが、自分たちの技術がないものだから、精神主義的な呼びかけを子どもたちに押しつける。
埼玉でも元左翼の宗教的教育学者が教員相手の師範塾を始める。一時は知事が理事長になる話もあった。この元左翼のインチキ教育学者の師範塾を受け、精神主義的エートスを身につけなければ、学校で肩身の狭い思いをするようになるのだろうか。

高橋史朗の教育学説は、マルクスの発展段階論を模倣した、教育の発達段階論を出自とする。そこには、左翼的な権利としての教育というお題目の下に、徹底的な教える側と育てられる側のヒエラルキーを前提にした教育理論が展開され、極端な場合は人格改造を可能とする理論を含む。ベルリンの壁が崩壊するぐらいまで、発達段階論の教員・教育学者たちはさかんにオオカミに育てられた子どもたちの話を引き合いに出して、人間は教育で改造されなければけだものになると脅かしたものだ。
そして、古典的な薩長ニッポンの教育スタイルと融合させ、あのような醜態を晒しているのだろう。

そのフレームは、ハーバーマスや佐藤優が指摘した、トロツキストやアナアキストとキリスト教原理主義が融合したアメリカのネオコンの構図にそっくりである。その高橋史朗の教育理論の発展を検証してみようと思う。

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2006.04.27

4/27② お産の誤解をまきちらす記事

AERAの編集部直営記者の質は月とすっぽんで面白い。毎度毎度の雅子さま擁護記事がトップにくるのは何とかならないか。キャリアウーマンが同情する対象としていいのかも知れないが、毎週皇室記事を掲載するのは、産経じゃあるまいし、何か意味があるのでしょうか。

今回号の月は、「恋のドラゴン桜大作戦」は脱恋愛論を唱えた福井洋平という男性記者が、同僚女性から「恋愛批判をしたいなら、まずモテてから言ったらどうですか」と言われて一念発起して、モテるための修行をしたルポルタージュ。こういう自虐的な体験談はとっても面白い。いい記者がいると思う。

すっぽんは、古川雅子という記者の「自然分娩は甘くない」。良くない記事だと思う。書き出しはいい。医者の狭い常識のもとに、会陰切開というオメコに有無を言わさずメスを入れられ、屈辱的な思いをした体験をした人の話からお産を自分のものにしたい試みについて話が始まる。
しかし、自然分娩は体育会系女じゃないとできないかのような誤解を与え(体に特段問題がなければ、普通に家事をやり、バブル前の人たちぐらいに歩けばできると思うが)、読後感は、理想的な人がやることで、私らそんなことに気を遣ってられない人は無痛分娩の普及が一番なのね、と思うようなつくりだ。それもお産の痛みに対する誤解にもとづく解釈。実際にお産した人にはナンセンスな内容だ。
お産に対するヘンな先入観ばかりを植え付けず、もっと自己選択・自己決定になるような記事が書けないのだろうか。もっと産む当事者たちのところに戻すような記事が書けないものだろうか。産むことの痛みばかりではなく、お産を通した家族や子育ての結び直しみたいなことが書けないのだろうか。

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4/27 ネガティブ・ミックスとしてのNPO利用

雑誌世界が、左翼から中道左派ぐらいに歩み寄ってきて、非常に面白い。かつては平和運動家の高邁な決意表明ばかりの雑誌だったが、最近は、格差社会、政局、耐震偽装問題など話題になる記事も出てきて、かつての朝日ジャーナル的なポジションを作っているような感じがする。

5月号を遅くなりながら読む。脱格差社会の構想で、オムニバス形式の記事をつくっている。

筆頭の、神野直彦・宮本太郎の「小さな政府論と市場主義の終焉 有効に機能するほどよい政府へ」は、財政論と社会民主主義理論の共同作業による的確な論文だ。日本政府が小さすぎる政府だ、と論証し、世界の中でも小さな政府を標榜している国々が財政赤字に苦しみ、大きな政府を腹括ってやっている国は財政黒字が大きいという現象の解説も興味深い。レーガン政権も、サッチャー政権も、鈴木俊一都政も、小さな政府を推進したが、結果として最後は猛烈な財政赤字を残して退陣していった。それがずっと謎だった。
財政を小さくする政府は、国民生活や社会を危機から守る能力が弱く、結果として歳入が落ち込んで財政危機に陥るという解説は説得力がある。課題は有効な財政で、亀井静香のように人に投資せずコンクリートと鉄筋ばっかり買う大きな政府も有効でない財政だという。有効な政府とは、人々のより高い自立支援を応援するプログラムを持ち、国民がサービスの客体ではない「参加保障型」政府を作ることが大切だと説く。
またボランタリーな力を活用するにしても、考え方を間違えると時代に逆行すると警鐘を鳴らしているのがいい。

現在の市場主義改革にあたっては、市場主義的競争が加速するなかで「癒し」の論理として家父長的家族が改めて打ち出され、ジェンダーフリーバッシングが強まる。政府の公的責任の範囲は縮小しつつあるが、自民党が「ぶっ壊」され、族議員が放逐されるなかで、官僚の裁量的権力が部分的に保持されあるいは拡張される。さらに小さな政府を補完する受動的パートナーとしてNPOのアマチュアリズムが利用される。これは、各セクターのネガティブな要素を連結させたネガティブ・ミックスと言わざるをえない。日本における市場主義は、自らが買いたいした旧システムの残滓と、このようなかたちで融合しつつある。

続く、大沢真理・神野直彦・三木義一の「有効で公平な税制とは何か」も、「税金が高い」「税金が高いから国際競争力がない」という日経がまきちらした俗論を反証して面白い。p113の各国の租税負担・社会保険負担の比較表は参考になる。

格差社会をいち早く論じて、格差社会現象で売り上げを伸ばした森永卓郎センセがさんざん格差批判をする論文「金融資産への課税強化を」。これは未読。後の楽しみ。

機関紙の取材以来、時折メールを交換している大阪大学教授の小野善康さんの「新しい利権政治としての構造改革」は一読すべきだ。構造改革で失業者が増えれば結局生産もしない人を食べさせる社会になるだけだ、と言い、

構造改革の実態は、効率追求ではなく勝ち組の利益誘導である。勝ち組自身は効率化だと信じているかもしれないが、それは自分の関与する範囲での効率化であって、日本経済の効率かではない。それどころか失業があれば日本全体の効率は下がってしまう。このように自分たちの利益のためには他人の損が大きくても構わないという点では、彼らの非難の対象となっている抵抗勢力や、大企業の課税強化による福祉予算充実、不公平是正を叫ぶ政治勢力などと同じである

と喝破し、ケインズ経済学を不当に貶め、その学問的成果を否定する輩を猛烈に批判する面白い論文だ。

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2006.04.26

4/26③ チェルノブイリの箱

チェルノブイリの原発事故から20年。

東大教授の和田春樹さんとお話することがあった。ソ連のペレストロイカは、チェルノブイリ事故で官僚による情報独占ができないというところから具体化した、というような話をされたと思う。86年といえば、中曽根政権の全盛期で、アメリカもイギリスも新保守主義が全盛の時代だった。冷戦は日に日に激しさを増すんじゃないかと思っていた頃だ。
チェルノブイリ事故を引き金にペレストロイカが始まり、共産圏の崩壊とグローバリゼーションの進行に至る。「軍事費削って●●に回せ」というようなワンパターンな運動に身動きとれなかった市民運動にも、反原発という新しい課題と、生活自身を問い直す運動スタイルが発生した。現在、NPOを担っている30代40代は反原発運動に育てられた世代ではないだろうか。
一方、人間解放の歴史だけではない。ペレストロイカの進行、そしてその失敗からもたらされた激しい市場原理神話による全世界的な経済改革。そしてそのことでただ食べるために働くという生き方がなかなか認められず、強迫観念のような個人の能力開発にもちこたえられる労働が広がり続けている。

1万人に及ぶ死者数や果てなき事故現場の未来永劫の管理、そうした事故の面もものすごい大きな事故だと思うが、世界史のパンドラの箱も開けてしまったような事故だったのかも知れないと感慨にふける。

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4/26 外交の危機ではないか

米軍再編のために我が国政府が3兆円も負担しなければならないことが明らかになる。
イラク戦争で対米追随の小泉政権で、経済政策でもアメリカのいいなりで、さも日米関係は日中関係、日韓関係を犠牲にしてもいいぐらいの良好な関係かと思っていた。しかし、今回の再編の案が出始める前に出た講談社現代新書の「米軍再編」では、選挙があるから、何があるから、とSACO合意を反故にし、交渉も始めようともしないのに、ミサイル防衛だけに関心を持つ小泉政権がアメリカを怒らせていると指摘している。

その怒りの結果のアメリカのたかりなのだろう。もちろん日中関係が冷えているから、それに対するカウンターパンチャーがない。自民党政権のもとでは、核武装でもしない限りはたかられ続けるのではないか。
日本政府は3兆円が国際公約になっているのか、先日の額賀防衛庁長官がラムズフェルドと合意した内容の裏側に3兆円負担の話がないのか、きちんと国民に説明すべきだろう。今日の安倍晋三は何も語れなかった。こんな人間に首相をやらせてはいけないと思う。

昨日の韓国大統領の暴言にしても、今日のアメリカのツケ回しにしても、日本外交は孤立し、国民のナショナリズムを刺激するような状況ばかりである。わが日本社会は危機に陥っているのではないだろうか。

●マンション強度偽装事件で、民放各社がパパラッチ報道をする。
違法行為であるはずの飛行機の中で電気製品を使ったり、携帯で放送局とやりとりして、何の意味があるのだろうか。バカだ。それでマンション強度偽装事件の何の本質になるのだろうか。センセーショナルでしか意味のない間を持たせるための映像を垂れ流すためだけの映像取りである。そしてそんな映像を競って流すことが視聴率競争の実態である。視聴率の多数派の求める映像など、こんなものである。NHK改革の議論も慎重にやってほしい。

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4/26 中央区のがんばり

朝のNHKニュースで人口急増で保育園不足の中央区が紹介された。まるで8~9年前の朝霞市と同じ状況で、マンション乱造で30代の住民が増え、気がついたら保育園が満杯、地元の人が、姉は難なく保育園入れたが弟は抽選に外れ遠くの保育所に通わされている、福祉サービスが急速に低下しているという話だった。

自治体の評価の筆頭は人口。人口さえ増えれば活力のあるまちだという評価になっている。しかし10年前のマンションブームの朝霞でも、今の都心回帰ブームの中央区でも、人口がふえて、流入人口が増えれば、それにふさわしい保育所、幼稚園、学校が不足して、人口増による税収増を上回る行政コストが押し付けられること、既存の市民の福祉サービスを大幅に低下させなくてはならないことはちょっと考えればわかることだ。しかし都市計画や建築許可を出すところはそんなのおかまいなしに不動産業者の利益をどんどん追認する。独自の土地利用規制の条例や地区計画づくりをする勇気などほとんどの自治体にない。さらに保育所を整備するかというと、特定の世代だけの人口増なので、自治体も及び腰である。

 しかしこの先がえらいのが中央区である。突発的な需要に自治体が積極的になれない。ならば、開発利益を享受する大規模開発する業者に民間保育所の設置を求めることにした。
朝霞市は保育園不足を放置して、対策をとったのは1回のみ。それも定員が30人にもいかない保育所の分園を作らせただけである。理由も、市や開発業者の社会的責務としてやったのではなく、もともとマンション建設地の山林伐採に反対していた市民運動の批判に対する地元対策として行われただけである。

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4/25② 韓国大統領の右傾化

韓国大統領が竹島問題まで「歴史認識」に含め、外交関係をこじらせている。
靖国問題などは日本側の失点だと思うが、国際法上さまざまな解釈が可能であり、なおかつ戦後、韓国の金日成ともいうべき李承晩大統領の強引な領土政策で韓国がつばつけた竹島。それを戦争犯罪に起因する「歴史認識」に含めるという大統領の発言は、韓国の方が分が悪くなるのではないかと思う。竹島問題が戦争犯罪とどうつながっているのか、全く理解に苦しむ。

せっかく両国で一文にもならない領土問題は棚上げして時間をかけようと合意したばかりなのに、日本ではなく韓国からこうした挑発があることは本当に残念だ。嫌がおうでも関係悪化はまぬがれず、民族間対立を煽ることになる。人権派弁護士がいつからこんな右翼・民族主義者になってしまったのか、ほんとうに残念でならない。

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4/25 上尾の保育所死亡事故の話を聴く

終業後、目白であった保育の専門性研究会に出席。ハンズオンの西川さんが、上尾の保育所死亡事故の保護者の立場から講師として報告をするというので、誘われて寄り道して聴く。

保護者と保育者の協力でつくってきた上尾の保育所も、事件以後、安全最優先という口実で紙の管理、責任だけの明確化ばかり市役所が熱心に推進している。保育所を核にした地域づくりや保護者をつなぐコミュニティーづくりの機能がどんどん低下して、預けるだけの保育所になってきているという。
安全のためと言って管理しても、それは責任を明確にするだけで、命が返ってくることでも、親同士の力を引き出すことでもない。なんかそんな世相にぐったり。

終了後の飲み会で、コメンテーターの汐見稔幸さんと保育政策の変化についていろいろ話をする。

●直接聴いたわけではないが、家族が言うにはJ-WAVEのラジオでDJのピストン西沢が補選で当選した民主党の太田和美さんの働いていたキャバクラが繁盛しているらしい、と話す。キャバクラの出口調査で11人中9人が太田さんに投票したらしいという話をしていて、同業者が評価する議員とは、とってもいい話だと思った。マスコミよし、候補者よし、お店よしの三方よしだ。

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2006.04.24

4/24② 派生的なことばっかり気になるけど

JR宝塚線の脱線事故から1年を控え、さまざまな検証ニュースが出てくる。

NHKの21時のニュースで、JR西日本がATSの整備より、信号管理から駅の表示、運転指示まですべて一元的に管理する運行管理システムの導入に力を入れていたため、ATSの整備が遅れたという技術者の証言が紹介していた。
経営的にみれば、運行管理もATSも同じもののように見えるし、技術的にも高度で利用者への情報サービスにつながる運行管理システムの方が優れているように見えるのだろう。しかし、ATSと運行管理は設計のそもそもの原点が違うのではないかと思う。ATSは走っている電車の現状がいかなる状態であろうと、安全を確保させる仕組みである。しかし運行管理システムは、電車を計画どおり走らせるところから考えられたツールである。

平時は運行管理システムはとても有効だが、トラブル発生時は運行管理システムの弊害じゃないかと思うようなことがある。電車の遅れや、一部の区間のトラブルで、全面的に運転がとりやめになることが増えた。昔のように、復旧ができ次第、復旧した場所からどんどん電車を走らせる、というようなことがなくなった。
運行管理システムは、電車のダイヤをコンピューター登録していないと走らせることができない。電車のダイヤが登録されているからこそ、駅の電光掲示板の表示、駅や踏切を意識した複雑な信号制御、線路の切り替え、すべて自動的に行われるようになっている。
つまり、電車があって線路があるのに、運行管理システムに登録しているダイヤを組み替えないと電車が動かせなくなる。

今日も、線路のトラブルで山手線、埼京線、湘南新宿ラインが全線止まった。湘南新宿ラインは今日の運転はすべて断念した。いろいろな路線を渡り歩くので、各路線の運行管理システムを調整しなくてはならないからではないか。
昔はダイヤが混乱すると、運行管理の指令をする職人が、ある程度のダイヤを手書きで直しながら、無線や電話で前の電車の後を走れ、などファジーな指示をして、職人技で臨機応変になおしていたようだ。ところが今はダイヤを登録しないと線路の切り替えも踏切の信号も思うように動かないわけだから、混乱したダイヤを建て直そうとして発車順や急行が追い越しする駅を変えようとしても思うように変えられない。やりきれないから全線止めてしまえ、ということになる。平常時は我慢すればいいが、大規模災害のときなど、運行管理システムに依存しないと運転再開ができない、安全運転ができない、となると帰宅難民の問題はもっと大きなことになりそうだ。

ATSだけに依存していれば、ダイヤを直すことの制約は、速度制限などのそもそもの制約以外には、前の電車との距離だけを考えればよい。何か本末転倒しているものを感じるし、養老孟司の「脳化」という概念かも知れない。

と乱暴な推測と断定をしてみるが、どうだろうか。

マニアや専門家はもう少し精緻な検証をしているだろうし、運行管理システムもトラブル発生時のダイヤ自動修正機能や、ファジーな機能もついてきているだろうから私の推測も一方的で断定的だと思うが、ちょっとしたことで全線運休、相互乗り入れ全面停止みたいな場面によく当たる最近、コンピューター化で鉄道システムは脆弱になっているなぁ、という感じがしてならない。

一方、遺族や生き残った生存者のPTSDが繰り返し注目されている。マスコミはこういうのが好きだ。
何かこうした遺族や生存者の立ち直りにPTSDの課題ばかりに視点が行くのは、企業責任を緩和し、心理学履修者の、あるいは心理資格取得者の営業対象をふくらます話にされていないか、という感じがしてならない。
自分の近親者や電車で隣に座っていた人に何かがあれば傷つくし、いつもいつも思い返すことになるだろう。それで日常生活が営めなかったり、生命に危機をおよぼすような状態なら治療が必要だが、事件を思い出して心理的に混乱したり、涙が止まらなくなることが、治療の対象だとは思わないし、とても大切な感情ではないかと思う。そういうことをポジティブな感情に転化させることがよいことか、誰も判断してはならないだろう。
その中、今朝のニュースで出てきた兵庫県のこころのケアセンターの職員(名前と資格を失念)が「悲しみを共感する人と一緒にいることが大事」というのはいいコメントだったと思う。

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4/24 人を不幸にする改革はいらないと民主党

千葉7区の補欠選挙が行われ、民主党が勝つ。負け組ゼロというキャッチフレーズが非現実的だけどこの時代の問題を的確に掴んでいていい。また、はじめて民主党が、人を幸せにしない改革ならいらない、ということを公然と掲げたたかった選挙で勝利したことがなおよい。当たり前のことなんだけど、自虐的に改革しないと世の中良くならないとカルト宗教みたいに信じ込まされてきたマゾヒズムから脱出して元気になりたい、という気持ちが出てきたのか。さっそく自民党の政策通、柳沢伯夫さんが金持ち優遇するような税制改正はしばらくやらない方がいいかも知れないと発言していて、いい牽制になっている。これが共謀罪とか、耐震強度偽装問題とか、米国牛肉の問題にまで広がっていくと、建設的な政治論争になっていくと思う。

出口調査では、公明党以外、自民党から共産党までかなりの票が出ていたという。あれ、この人共産党支持じゃないの?と思うようなブロガーたちが今度は自民党を落選させなくてはという言動をしていたことが興味深く注目していた。共産党も含めて、悪い政策を掲げてなければ現実的な投票行動が行われるということが証明された選挙かも知れない。

今回の候補も、26にして生活感がありすぎていていい。しかし、そんなおねえさんが国会議員になったのを見て、「あんなのが通るならオレも通る」と勘違いして、二匹目のドジョウで、またヘンな候補が増えないかと心配でもある。誰も引き受けない選挙は逸材か大バカ者のどちらかが出てくるけど、誰もが勝つ選挙の候補には、凡庸なエリートばかりが公認候補になりがちだ。

みんなを大切にする小沢一郎だと底堅い支持が続くと思うが、かつてやったような思いつき政策をごり押ししたり、ひきこもったりすると元の木阿弥だから、ほんとうに小沢一郎には今の状態を堪えてがんばってほしいと思う。

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2006.04.23

4/23 今日の会議での私の発言

前の記事で紹介したことに関しての私の発言です。他の方の話したこともメモして残っていますが、正確か、あるいは言葉として正確でも誤解をもって受け止めていないか、そんなこともありますので、起こすのはやめました。

朝霞市の福祉課の職員から計画づくりの概略や流れ、特徴などについて説明された後に、市民委員の立場での特徴を、と求められたことに対して以下のように発言しました。

【以下私の発言】
市の保育園政策を何とか変えたいと思って、次世代育成支援行動計画の策定委員会に参加しようと思いましたが、公募がいつのまにか終わって、参加するチャンスを失って、地域福祉なら近い分野だと思って参加した。

市民参加がもっともラジカルに行われたという評価はその通りだと思うが、内容としてはまだまだの部分も多い。それでも将来に対する糸口になると思う。逆に権利擁護に関する分野などは、かなり高い水準の要求もしているし、行政の言葉にのりにくいものも求めている。初めての計画なので、やれることだけを提起するより、できるだけ原則的なものを掲げて、できなかったときの原因分析をきっちりやることが大切だと思っている。これは民間企業の経営と違って、目標を下回ると資源を浪費するという質のものでもないのでそれが可能なはずである。

市民委員は、市民参加で計画づくりをするという前提で集まった以上、誰かがやってくれる、という考えを棄てるようにしました。最初は、市役所やコンサルが福祉に関心ある市民を利用して安上がり福祉にしようとしているのではないか、コンサルや市役所の書いたものを追認させられるのではないか、などと疑心暗鬼でした。普通はこうしたときに市役所の立場を代弁するのが委員長の役割ですが、最初の頃は、委員長も、私も、そして何人もの委員も、コンサルタントや市役所が出してきたものを、いったい誰の許可受けて市民委員会に提案しているのか、そこからチェックしました。後にだんだん信頼関係ができてきて、チェックすべきものとチェックしなくていいものとの峻別ができるようになりましたが。
当初はコンサルタントもひな形を押しつけるようなスタンスが目立ちましたが、それで会議が紛糾することが多く、途中から営業戦略を変えたようです。客をみながらの計画のマネジメントをし、ときには作文に慣れていない市民が役所っぽい言葉で提案したことに対して、市民らしい表現はこんな言い方じゃないでしょうか、とうまくなおしてくれたりしたことも記憶に残っています。
市民委員会は、自分たちのことは自分たちで決めていきたい、自分たちのものにしたい、という委員のほとんどのみんなの気持ちが、徹底した市民参加になったのだと思います。

役所言葉になじまないことも結構書きましたし、お金や労力はどうかわかりませんが今までの仕事の流儀にダメだしした項目も多かったので、最終段階で、責任を負うべき担当課が計画作成する福祉課との関係で市役所内で勝手に文章修正を行った部分があって、これにも徹底的に反発して、市民委員会としては説明と納得のない修正は応じないし認めない、という強い立場で臨みました。福祉課さんは苦労されたと思います。私たちは内容の全面敗北は覚悟していましたが、担当各課の説明責任は絶対譲らないつもりでしたが、福祉課ががんばってくれて95%の内容にまでもってくることができました。

内容としては、市民の45%が市内に友だちが1人以下という現実、定住民と数年で引っ越しを繰り返す流民との分断、そんな状況で福祉で行われているような、行政サービスや公的サービスを市民に委託していく、ということは不可能だと思い、コミュニケーションの強化なども重点を置きました。
また、朝霞の計画づくりで一番良かったのは団体ヒアリングでここから市民委員のほとんどは地域福祉の感覚を掴んでいったと思います。外に出て話を聞くというのは有効でしたし、アポイントメントを取る段階から、地域福祉なんて言葉を知らない人に説明しなければならないのですから、みんな大変な思いをして咀嚼していったと思います。インタビューは質問のひな形で聞くのではなく、自由形式のインタビューにして、相手の良さや特徴がなるべく引き出されるようにしたように思います。本日は、駄菓子屋さんのインタビューが珠玉ですので、読んでみてください。また朝霞市のホームページにも紹介されていますので見てください。

【質疑応答】
Q子どもヒアリングをされていますが、これは計画に反映されなかったのですか?
A当初はやらないつもりだったのですが、鶴ヶ島市などで大々的に子どもの意見を聴いて策定を進めましたし、子どもも市民という感覚は大事だと思っていた委員さんが暖めていた計画です。諦めかけて調査フェーズの作業が一段落ついたときに、市側からやってみようか、という提示を受けて具体化しました。明確に計画には反映されていませんが(当事者や小さな声を聴けということは計画に盛り込まれてます。)、地域福祉では子どもとはこんなふうにコミュニケーションを取り、こんなふうに意見を聞きます、というデモンストレーションの意味になったと思います。子どもから意見を聞くときのやり方をつくったと思いますし、法律学のいうところの定文法ではないが、不定文法・慣習法みたいなものになったと思います。
Q地区別計画については
A朝霞の場合、いろいろ既存団体に難しい事情があったり、市内に友だちが少ない市民が多いですからその前段階のところに力を入れることにしました。そもそも面積的に小さい市なので、細かい地域分けをしなくても何とかなる要素もあります。

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4/23 地域福祉計画づくりについて話す

県内の地域福祉計画づくりに携わっている市民と市職員と意見交換しようという会に呼ばれた。最初、朝霞市の計画策定について、市の担当職員と私とで発表をした。時間が短かったが、市民が作業するからには市民の同意なく作業を前に進ませてはならないというオキテで作業を進めた話をした。

他の自治体は、市内の地域割りして、そこで徹底的に議論させるという手法をとっているところもあって、この当たりを質問されると確かに弱かったが、朝霞市は課題が多くて、その手間を取らなかった。近所ということにどこまで重みがあるのか、市民が助けてもらいたい近所というのがどのエリアなのか、それによって左右されると思う。

子どもヒアリングに思わず関心が高く、びっくりした。あと、埼玉県の市は隣の市でやっていることに対してとても否定的に話して、話をこんがらがせているという報告もあった。他の県だと隣の市と足並みそろえるということはわりと当たり前で、旧郡内で共通で問題解決したりするものだが・・・。

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2006.04.22

4/22 早朝の歌舞伎町でホストを慰労するヤクザ

早朝、仕事の都合で歌舞伎町の裏にあるコンピューター会社に出物を取りに行く。

その帰り、朝の歌舞伎町を歩く。早朝の繁華街を歩くのは臭いけど発見があってなかなか興味深い。
歌舞伎町は石原都政の風俗追放政策のおかげで、すっかりホストの街になってしまっている。黒服の男があちこちにいるが、少し昔ならそれは風俗産業の「呼び込み」で男相手に仕事していた人たちだった。しかし今の歌舞伎町にいる黒服の男たちは呼び込みではない。ホストクラブの店員たちだ。
朝だから、店の前でホストが客を見送るのはまだしも、営業の終わったホストが電線に止まるカラスのように脱力して並んで座り込んでいるさま、そのホストにヤクザ風の男が慰労の声かけをしているさま、なんだか嫌なものを見てしまった感じがする。

以前、どこかのブログで、風俗にお金を使うことは、風俗産業のみかじめ料でヤクザにお金が入り、風俗嬢がストレス発散でホストに使うお金でさらにヤクザにお金が入り、残ったお金は説明のつかない借金返済でまたヤクザにお金が入る、結局はヤクザにお金をみついでばかりいるんだ、ということを書いている人がいた。必ずしもそうだとは思わないが、そんな構造の一端を見てしまったのかも知れない。

石原慎太郎知事は風俗産業を徹底的に弾圧し、確かに繁華街はきれいになり街が安全風になってきた。私に声かけた呼び込みも1人だけ。それも麻薬や偽造プリペイドカードの売人のような小さな声で。女が女自身を売ることをどんどん摘発して、風俗産業で働く人々の生息場所を小さくしてきた。そのことは石原慎太郎のほか、左翼陣営や高学歴フェミニストもある程度歓迎してきた。ところが、一方で暴利をむさぼるホストクラブは野放しにされている。女が男を買い、買わされた女はとことん経済的に吸い尽くされ、徐々に身の自由を失う。そのことに対して、冷やかしても、誰も問題にしない。

難しい構造問題はともかく、ジェンダーフリーバッシングに熱心な石原慎太郎知事は、男が女を買うことは弾圧しながら、女が男を買うことを野放しにしていることに疑問を感じないのかと思う。
私は、ジェンダーはできるだけ克服すべきと考えているから、もっと格安に男に酌をさせる店が増えるべきだと思う。毎夜何万も使わせるような店しかないなんて、常識からしておかしい。代替措置で、ゲイの飲み屋でゲイ相手に安く酌させる女もいるらしいが、そのことの是非はわからない。

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4/21② 共謀罪をめぐる左右の課題

いろいろ問題のある共謀罪について私はきちんと追っかけていないので、犯罪者と友だちになって身の処し方に相談に乗るだけでも罪に問われそうな薄気味悪い法律だということしか知らず、反対を表明するにとどまります。具体的には何が問題点で、どうなのかある程度クリアに指摘できないので、そういうことは他のブログを当たってみてください。

その薄気味悪い共謀罪の入った刑法改正案の国会審議を強行する与党も大問題なら、反対する左翼市民派の運動のやり方も相当問題があるようだ。共謀罪に反対なら、次の日曜日にある衆議院補欠選挙で、何が何でも与党候補を落選させるよう、知り合いに声かけする必要があると思う。

そこで以下の2つのブログを紹介します。

保坂展人のどこどこ日記 共謀罪のスタートは強制離陸

リベラルを装う同じ選挙区の候補に票を奪われ、選挙の数字では厳しい審判を食らい続けながら、思わぬ幸運を掴みつづけた保坂さん、その幸運に応えるようにいい政治活動をしています。与党の審議強行の不可思議な姿を伝えています。関心のある市民運動の窓口になりながら、いろいろ抵抗しているようで、応援したいものです。

石田日記

共謀罪反対派の議員まで敵に回すような自らの党派の正しさを証明するために民主党の良心派の取り組みを全面否定するような、つきまとい電話、手当たり次第FAXを送るだけの運動のありようを辛辣に批判している。
活動量よりもブログを書く量が多い私が言うのもなんだけど、有権者という優位的立場を利用して、座って電話やFAXをしつこく送り相手を疲弊させるだけの運動は下品だ。しかも敵は与党か民主党か見えずに、民主党の良心的な議員に対して裏切ったの、裏切るんでないかなどと、気持ちを疲弊させる内ゲバ電話が多くかかってくるらしい。しかし彼らは選挙を手伝うということはないという(私もそれはPKOやイラク派兵のときに身をもっと経験した。根深い平和運動への不信感がある)。石田さんの仕える議員が、前原ファッショのもとにあった民主党で勇気ある良心的行動をとったことで知名度の上がった議員だから、ここ数ヶ月の新聞をちゃんと読んでいる人ならば、そんな野暮で無知な電話をかけているとは思えない。

政治の世界に関わりがありながら、自らの性格的問題で政界入りしない私だから言うことだけども、選挙で職を失う政治業界の人にとっては、長電話かけて仕事を妨害しながら1票にもならない人の正しい言い分よりも、考え方が違っても折り合いつけ選挙のときに少しでも時間の都合をつけて事務所で作業してくれる人の1分の話の方が説得力を感じる(それが全部ではなくて、最初は1票にならないクレーマー的な人でも、時間をかければ要求を通す責任を感じて主要敵を打倒するために選挙に取り組む良心的な市民運動家も稀にいます)。福祉や環境は政策要求のためにまだ政治とうまく折り合うけど、平和とか人権の問題になると、どうしてもこんなふうになってしまう。政治問題なのに、政治との関り方を運動家は知らない。
石田さんの言うとおり、多元的な意見を否定できないこの社会で、議会制民主主義の制度のもとで、政治対立している問題の正当性は、選挙で勝って証明するしかない。それを否定したらどんな善政でも独裁政治になる。

話を戻すと、個人情報保護法のように、証明不可能な犯罪構成要件や、実害との因果関係が不明確な法律は、治安維持法の再現とまでは言わないが、社会のなりたちや生活に不確かな規制をもたらし、悪影響を及ぼす。そういった法律の強行審議を行う与党の姿勢は問題だ。そしてその強行審議を通したのは、自称改革派で個々人の自由を認めようというような主張をしてきた石原伸晃であることを心に刻んでおきたい。

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2006.04.21

4/21 いい街です奈良県平群町

奈良県平群町の騒音おばさんに実刑判決が下る。あんな執拗な人に何年もやられ続けた被害者のことを考えると仕方ないのかなぁ、としつこいのが嫌いな私は思うけど、冷静に考えるとその判決が妥当かどうか、おばさんの状況が伝わってこないので、何とも言えない。

あんまり報道されなかったけど、不幸が続いた家庭環境などを考えると弱めの精神的疾病も考えられ(だから責任から逃れられるとは考えないが)、そうだとすればぶたばこに放り込む前に、治療を始めた方が有効な気がする。

そんなことを考えながら家路につくと、騒音おねえさんの運転するズンドコ車が家の前の信号で止まっている。赤ちゃんは起きてしまうし、音楽が全部聞こえてこないで重低音だけが振動で伝わってきて気持ち悪い。北海道ではズンドコ車の運転手が、救急車が近づいていることに気付かず、救急車に突っ込み横転させた事件もあった。暴走族ですら根絶やしにされているこの時代に、ズンドコ車の運転手は無罪なのかな。執拗ではないけども。

平群町の擁護もしておきます。騒音おばさんが化粧っ気ない格好で、あの表情で怒鳴っているところばかり報道されているから、東京でいう歴史の浅い下町ゾーンあたりを想像されるかも知れません。実際、平群町はイメージダウンに過剰反応して、住宅地の騒音を禁止する条例をわざわざ作ったようです。
以前、組合の機関紙の取材でうかがいましたが、平群町は丘陵地の高級住宅地で、乗り換えが1回はいるものの、大阪難波まで20分程度の便利さと静かさの両方がある住宅地でした。町役場も現場サービスをとても大事にしていて、公共サービスが充実している住みやすそうな街でした。

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4/20 会計検査院の仕事の妥当性

会計検査院が、日銀の出張手当が不正に支給していたと報じる記事があったから、よく読んでみると、何のことはない、規定が実費だから、格安切符で出張いった職員が差額をうかせていたことが問題だと。

そういうものかな。不正と言えるかな。

実費とは何か。実際にかかった費用なら、格安切符など使わず、場合によっては席が空いていなかったなどとウソをつきグリーン車やファーストシートに乗った方がいいことになる。
出張旅費や交通費は、席の格や、割引運賃の使い方、経路など、条件によって測定不可能な要素がある一方、例えば、正規運賃なり、往復割引運賃なり、最短経路と条件を決めれば、一定の費用が算出できる。そうやって合理的に基準を杓子定規に当てはめて支給するものではないだろうか。

実費をほんとうに使ったお金としてしまうと、ほんとうにいくら使ったのか、公務員や日銀の庶務担当職員を増員していちいち点検しなくてはならないし、その持ってきた領収証が妥当かどうかもチェックしなければならない。そんな公務員の内々のための職員増員が会計検査院のミッションからして妥当なのかどうなのか。
あるいは、出張のふくらみも無くすだろう。たまさか出張先に旧知の人や親戚がいて会いに行ったり、泊めてもらったり、場合によっては公費では見にいけないような視察とまでいかないような見学をしてくることもあるだろう。そういう場合に、出張の前後に有給休暇などを取ってやりくりすることになるだろうけど、それが実費を厳格に捉えてしまうと、どこまでが実費なのかわからなくなってしまう。

公務員や準公務員のモラルについて厳しい視線が注がれていることと、ポピュリズム政治が増税なき財政再建みたいな夢物語をまきちらすから、会計検査院がこんな細かいことに目くじらを立てて喜々としている。しかし、公務員や準公務員になりたかったけどなれなかった庶民のひがみを鎮め、溜飲を下すだけで、何の意味もないだろう。

会計検査院はもっと大きな不正に目を光らせてほしいと思う。あまり旧橋本派を叩きたくないが、日本歯科医師会が1億円もヤミ献金しようとしたのは、1億円の何十倍もの税金が歯科医師に流れてくるメリットがあるからだろう。だとするとその何十倍ものお金が不正ではないのか、政策的に妥当性があるのか、判断する方が効果的ではないだろうか。マンション耐震偽造事件などでも、業者のミスや不正が、なぜか自治体に請求書が回ってきている。こんなことも会計検査院が検査し、妥当かどうなのか検査すべきではないだろうか。

公費で接待がまずできない昨今、格安航空券で浮かせたお金で出張先の人たちと十分にコミュニケーションを図り、出張先でお金を落とせばいいんじゃないかと思う。

●衆議院千葉7区(松戸・流山・野田)の補欠選挙で、民主党の候補がキャバクラ嬢だったという怪文書が出回っている。敵陣営よ、職業差別するなよ。キャバクラ嬢に一財産巻き上げられた恨みでもあるのかな。
ありとあらゆる仕事が機械やコンピューターが取って代わるこの時代、キャバクラの仕事は、人間でなければできない数少ない仕事ではないか。また、戦前の女性文学者や社会運動家の妻・パートナーなどにも、当時でいうキャバクラ嬢的な存在、カフェーの女給を経験した人が多い。
埼玉とか千葉は、選挙になると、公職選挙法もおかまいなしに、差別感情に全面的に訴えかける下世話な怪文書がよく配られる。それだけ、良く言うと保守的というか、悪くいうと出自や品行などへの下世話な差別感情で選挙の判断をする人がいるのだろうか。愛人がいようが、不倫をしていようが、風俗嬢であろうが、息子がグレていようが、政策には全く関係ないと思う。本人の政治的能力や主張によってのみ政治家を選ぶべきであろう。まだ利益誘導に乗る有権者の方が健全だ。

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2006.04.19

4/19④ 介護労働への外国人開放がいいのか

経済財政諮問会議は介護職に外国人を雇えと。不況での労働力の過剰につけ込んで、食うや食わずの賃金で介護職員をかき集めて、介護保険制度は成り立たせてきた。

いよいよ好況で人材不足なる。今こそ、人命を預かる介護職員が食べていける程度に待遇改善を進めていこうという矢先に、外国人労働力の受け入れを経済財政諮問会議つまり小泉構造改革は提案してきた。外国人介護職員を雇うにあたり、日本人と同じ賃金を払う、送り出す国の社会サービスが不足しないようにすること、外国語に弱い高齢者を相手にするからには語学力を要件とすること、これまで日本に住んできた外国人たちへの差別を解消すること、などの条件が貫徹されれば、外国人労働力を差別的に排除する理由はないと思う。しかし経済財政諮問会議の本音は、今の食うや食わずの介護職員の待遇のまま制度を維持させていきたい、そのために人件費の安い国で日本で働きたくて仕方がない労働力を人身売買のように連れてこようという魂胆だろう。

介護労働は、経済財政諮問会議にいるエライ経済学者たちには家事の延長のようにしか見られていないかもしれない。しかし利用者の生活や人生観などにあわせて働く、コミュニケーションと想像力と判断力が必要な労働だと思う。偏差値的な才能ではないと思うが、相応の人件費を払うべき知的労働だと思う。そのことを見返さずに、安直に安い労働力を入れようということがよいのかどうか、改革だからと、野党が鵜呑みにしたり、あるいは野党が見逃し三振のような法案通過を認めず、きちんと国会等で論戦して、阻止あるいは内容修正を図ってほしい。

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4/19③ タコが足を食う障害者の自立政策

21時のNHKのニュースで障害者自立支援法が始まった後の、障害者の作業所や就労がかえって進まなくなっている現実を紹介してくれた。
障害者自立支援法は、障害者は国や自治体に甘えている・福祉に甘えるな、というメッセージを下に忍ばせ、自立という誰もが反対しない名目のもとに、サービス利用の自己負担の導入を強行した。

その結果、障害者の施設利用料が上がった。そのことの問題はいくつかあるが、今回は、障害者が作業所等で軽作業をして得られる収入から、施設利用料などを払うと、赤字になって、働くほどばかをみるという話を紹介していた。まるでタコが足を食べて体を維持しているような話を聞かされたようだ。
もしこれが障害者でなければ、かつてあった「内職あっせん詐欺」のように社会問題化するだろう(現実には今も一流の介護医療関係の派遣業者が仕事も紹介しないのに資格取得でお金を巻き上げる問題が起きているが)。

障害者は福祉に甘えるな自立しろ、という無知な掛け声を何度も聞いたことがある。しかしそれを言う人がどれだけ障害者の自立につながるような小さな行動をしているのだろうか。とくに自己責任論を強調する企業家たちの責任は大きい。しかし現実には、2005年6月に政府が発表した障害者雇用率は民間企業・特殊法人で1.5%程度で法定雇用率を下回っているし、達成している企業は45%しかない。55%の企業は罰金払っても障害者は雇いたくない、としている。一般公務員は比較的ましな結果だが、教育委員会などは、惨憺たるものだ(子どもたちを育てる責任者たちが障害者差別を平気でしていることはいつか社会的にやり玉にあげなくてはならないと思う)。企業が自己責任を求めるなら、自分たちの障害者の能力を退蔵させるような行動は取るべきではない。

一方、国の財政面から考えると、いくら厳しいとはいえ障害者福祉に使われているお金は1000億程度である。額としては大きいが、消費税の0.1%にもならない。何十兆も年金会計に繰り入れている公的年金にくらべればグラフにも現れない率である。これくらい、みんなで余計に税金払ってでもかぶるべきではないだろうかと思う。

そんなことを考えて毎日新聞の夕刊を見たら、「連合・ネットで団結」という記事が紹介されていた。連合がインターネットでユニークな運動をしているという記事の紹介である。私もそれは同感だと思う。しかしそのテーマが増税反対。何か違うと思う。
月給取りは親が資産家でもなければ、何かがあれば社会に依存して生きるしかない。労働者階級の利益を考えれば、税金が上がることに反対するよりも、きちんとしたセーフティーネットをつくり、労働者がどうなろうと路頭に迷わない社会をつくるのが連合のめざすべき社会じゃないか、と思う。こんなこと言うと職を失うかなぁ。
過日、団塊の世代の活動家と飲んで、私と一緒に飲んだ若い衆が理屈っぽく見えたのか、理屈じゃないよ生活実感だよ、と言われた。その活動家が人と共感し生きてきた歴史から、それは正しいと思う。でも違和感があった。その答えが障害者問題なのかなぁ、と思う。親族に障害者がいたり、障害者の友だちが自分より能力があるのに就職もできずに能力を退蔵させているのを見たときに生活実感となるけど、そうでない人には理屈っぽく考えて共感していくしかないと思う。これ以上考えると哲学の分野になるので、ここまで。

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4/19 経団連の義務教育改革に注目

経団連は義務教育改革の提言を発表した。

市場原理に依拠して、学校選択制を全面展開する制度設計に問題はありそうだが、各論では、子どもに選ばれる学校になれ、教育現場の創意工夫が生かせる学校にすべき、教育の受けてのニーズを調査せよ、学校を外部評価せよ、教員評価は子どもにも広げろ、など、これまでの体制派の教育改革の提言にはみられない、民主的な提言も多い。
とくに、子どもの主体的な選択や、評価を導入するという提言は、これまで表立ってあまりされてこなかったので大切な提言だと思う。

また、これまで体制派の改革の提言にありがちな、愛国心だ規律だというイデオロギーに関する提言は一切なく、機能だけ、具体的でシンプルでわかりやすい。

●お世話になっているnekokanさんのお子さんが小学校に入学された。
保育所とうってかわって、利用者に寄り添わない学校のサービスのありようを報告していますのでご紹介します。

nekokan dialy on the web 満喫!学校文化

当事者じゃないからかも知れませんが、必死な学校の姿に失笑してしまいます。子どもの頃に読んだ宮沢賢治の「注文の多い料理店」さながらです。

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4/19 ヤマト運輸が賞味期限偽装に協力

ヤマト運輸が水産会社と一緒になって、イクラの賞味期限のラベル張替えをして偽装に協力していたというニュース。ヤマト運輸は当局から受けた「注意について」という釈明を出しただけで、謝罪ひとつしていない。

ヤマト運輸は構造改革商人のなかでも比較的良心的だとは思うが、普通の企業では謝罪しないで済ますことは通用せす、企業イメージに甘えたおごりに見える。

郵政公社がローソンと取引しようとしたら、独占禁止法すれすれの圧力をローソンにかけたり、最近のヤマト運輸のやり方はあまり誠実ではない気がする。

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2006.04.17

4/17② 地方分権を進めた人たち

今は地方分権というと、改革派首長などと称して、なんだかいさましい首長ばかりが目立つ。若手政治家の専売特許のように見える地方分権だが、革新市長や、首長出身の保守系国会議員たちのたゆみない努力で理論かされ、運動化され、90年代の政界再編成の中で花開いたものだ。

抵抗勢力の政治家を評価するときに、地方の業界団体だけの話し合い民主主義(談合体質ともいう)を重視するのか、地域社会の話し合いによる緩やかな改革を重視するのか、分かれ目だと思う。

朝日新聞夕刊「ニッポン人脈記・分権のあしたへ⑥」で、私の尊敬する五十嵐広三元官房長官がとりあげられている。旭川市長時代、日本で最初の歩行者天国を始め、国が起債許可をしない中で旭山動物園をつくったことが紹介されている。のちに社会党代議士になる。評価の低い社会党の人材のなかで、一番理想に近いところにいて、一番現実的な政治家だったと思う。村山政権のいくつかの功績はこの人なしにはありえなかったと思う。

東武百貨店の6階家具売り場で売られるアイヌ民芸風の北海道民芸の家具は五十嵐さんが商品開発していったもの。五十嵐さんには商才もある。理想的な社会党人である。

同じ記事で、閣議で地方分権推進法の承認を求めた野中広務の話も面白い。園部町長だったときに、京都府課長から記事には書いていないが共産党が単独推薦する知事の選挙に「証を立てろ」と要求される話も紹介されている。公権力とは何かを知り尽くしている京都共産党のリアリズムと、えげつなさを表現している。

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4/17 そもそもから考え直そう

文部科学省が教員OBを使って、学習塾に通えない子どものための公立塾を始めるというニュースがある。これについては和光の松本たけひろ市議と同意見なので、リンクを紹介します。

最近、学力低下だからとどんどん子どもを拘束して勉強させ学習塾に通わせ、人間力やコミュニケーションが足りないからと義務的に遊ばせ、ガリ勉じゃいけんからと芸術やスポーツの習い事までさせて、とにかく子どもたちを縛ろうとする。その結果、子どもはコンビニで晩御飯を調達しなければならず、深夜街をうろうろせざるを得なくなっている。そして子どもが深夜に超えだして帰宅しているのを見て、深夜徘徊や非行が深刻化していると問題にして騒ぎ立てる。いったい、子どもをどうしようとしているのだろうか。

子どものときの思い出がそんなことしかない子どもが我々より豊かな社会をつくれるとは思えない。

マンション耐震強度偽装問題で話題になったきっこのブログから、日経の社長の歯医者をやっている弟が診療報酬の架空請求をしていたらしい。民事訴訟になっている。
民間活力崇拝の日経社長にして、弟が公共事業である歯医者をやっていたとは・・・。さらには公務員の存在は税金の無駄遣いというような論調を張る日経社長の弟が、最大の税金の無駄遣いである診療報酬の架空請求をやっていたとは。
構造改革を声高に言う連中の言行不一致にはあきれるばかりだ。

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2006.04.16

4/16② 主体的の東アジア的用法

就職に際して学生に「主体性」を求める企業が84%で最多なのに対し、自分が「主体性がある」と思っている学生が28%しかないという調査結果が新聞で発表された。

ブル新・朝日新聞の記事は、主体性の能力開発が十分でなくこれからだ、という報道の仕方をしているが、何か違うような気がする。学校や企業が、受験生や就職活動をしている人に「主体性」を求める場面をよく耳にするが、何かウソっぽく感じてきたのは私だけだろうか。

すでに企業や学校で働き、そこのしきたり、ミッションを感覚的に習得した受験担当者・採用担当者の語る「主体性」は、これから勉強させられる、あるいは、働かなくてはならない自由でなくなる、というイメージをもっている受験生や就職活動している人にとって違和感を持たざるを得ないだろう。

主体性のある労働者は、企業に入って一所懸命働くけども、その愛社精神が高じて労働組合も熱心に始める可能性もある。そこの企業の労働組合が経営者によって十分懐柔されていたり、あるいは出世のためのキャリアステップとして労働組合役員を幹部職員に取り立てていくシステムがなければ、採用担当者は愛社精神が高じて主体的に熱心に組合活動なんかやられたらかなわないのが本音ではないか。

それで思い出したのが、北朝鮮王国の中心思想・主体思想である。主体思想も、言葉の上では人々の各自の自由な自発性を尊び、能力を開花させるべきというようなことが書いている。しかし現実には、それは北朝鮮という国の独善を支え、国民の主体性はソ連や中国にも無理難題をふっかける北朝鮮王国の独善に仕えさせるためのものという論理のすりかえが行われて、現実には王国の臣民に政治的・社会的自由はない。

北朝鮮ほどではないが、日本の学校や企業がこれから入ろうとしている人に求める「主体性」というのも、これから入ろうとしている人から見れば、北朝鮮臣民の主体性の論理のすりかえと同じようなものを感じるのではないだろうか。北朝鮮にしても日本の学校や企業にしても、主体性をめぐる感覚のズレに無自覚なままに、組織構成員に何かを求めるのは東アジアの特有の現象なのだろうか、などと考える。

※ところで主体思想の全文について、検索ソフトでは全然出てこなかった。チュチェ思想研究会のHPも、「首領様」や「指導者同志」の論文しか掲載されていなかった。不思議でありわかりやすい研究会だ。

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4/16 誰のための新交通システムか

朝、テレビを見ていたら、渡部恒三さんが黄門さまと呼ばれているからと、葵の御紋の印籠をもってポーズとっていた。佐幕派の会津藩は、何かと薩長をかばった水戸徳川の真似をしてひんしゅくを買わないのか心配になる。

●新交通システムのゆりかもめが止まる。私は新交通システムが嫌いだ。混んでいるし狭いし、遅いし乗り心地がわるい。今回車輪が外れるというトラブルがあったが、汎用性のない交通システムはトラブルに弱いと思う。

新交通システムが近未来の夢として語られて、神戸のポートライナーを皮切りにいくつかの地域で導入されてきた。亡くなった交通評論家の岡並木さんは、「新交通システム」は新交通システムではない、と指摘されていた。新交通システムとはもともと、もっとパーソナルで、オンデマンドで、タクシーと公共交通の中間的なシステムが想像されてきた。1970年代の未来図によく描かれている、コンクリート軌道の上を走る観覧車のゴンドラ状の乗り物が「新交通システム」の見本だ。

ところが現実には、需要計算が思うように出てこないようなところに公共事業として電車を通すためのつじつま合わせのために、電車とバスの中間的な乗り物という「中量輸送機関」などというカテゴリーがつくられ、「新交通システム」の中身が定義しなおされた。そして、単にコンクリート軌道に小さな車体の車両がトロトロと走る、採算と実用性の低い乗り物が全国各地に建設された。埼玉新交通、千葉モノレール、北九州、多摩モノレール、名古屋の桃花台新交通、どこもここも、赤字を垂れ流し、自治体の財政まで巻き込む結果となったり、借金整理の目処がたたない状態になっている。

最初に乗った埼玉新交通は、低速で、高校の下校時間などにぶつかりちょっと人が乗ってくると、猛烈な混雑になる。ゴムタイヤなので一定の定員以上は乗車制限を受けてしまう。加速減速がきつく、路面の衝撃がたえまなく伝わってくる。二度と乗りたくないと思った。ゆりかもめも座れないと疲れるだけの乗り物で、できる限り乗りたくない(もっとも臨海新都心が●●●ヒルズなんかと似た没個性的な街、嫌いで行かないが)。利用者のことなんかあんまり考えられなくて、コンクリート業者のために開発されたシステムと思う。

わたしが本当の意味で新交通システムと認められるのは、バスに線路をくっつけた名古屋の志段味線で、これはそこらに走っているバスが、専用軌道部分があるところだけモノレールのように走り、またそれが切れると普通のバスに戻るというすぐれもの。需要が高いところや、交通のネックになるところだけ専用軌道をつくればいい。また既存のバス路線を移設していけばいいので、需要予測も外れない。路面電車方式のバス路線「基幹バス」とともにバス以上の需要をどうこなすか、というノウハウで参考になる。

「新交通システム」が経営的に成り立たないことがわかってきて、これ以上の建設はないだろうと思うが、考え方の転換をまったくしないままに、言葉だけ新しくして全国各地で建設推進運動が進められているのが、路面電車である。
全国各地で、地下鉄建設の無駄とモータリゼーションの反省の両面から路面電車が見直され、その新定義という意味合いで「LRT(ライト・レール・トレイン)」という言葉を使って建設推進運動が展開されている。そのこと自体はいいことだと思うが、宇都宮市やさいたま市の路面電車建設推進の取り組みを見ていると、自己目的化しているのでなはいかと思う。それも、単にかつての路面電車と同様のものを車両だけ低床型の新車を入れればいいというような内容のものだ。路面電車の経営が成り立っている街は、広島のように一定の市街地に路線網を細かく張り巡らせているところか、長崎市や鹿児島市、高知市など地理的条件で市街地が細長いところが多い。宇都宮市やさいたま市のように同心円的に郊外が広がってしまった街には1本や2本路線を造っても特定の住民にしか利用されず採算に合わないと思う。

「LRT」は路面電車のことではない。従来の鉄道の固定観念を超えて、都市の実情にあわせて便利に作り直した鉄道ぐらいの意味である。それが既存のものでいうと路面電車のイメージに重なるというものに過ぎない。
必要に応じて地下や高架をつくり、郊外電車と乗り入れしたり、バリアフリーをやったり、いろいろな可能性を模索しないと「LRT」というにはおこがましい。

新交通システムも、LRTもどうしてこんなに固定観念で、通勤電車を水で薄めたようなものしか構想されないのだろうか。私はこれも自治体にたかる建設業者たちを中心とした建設推進運動だからではないかと思う。市民も利用者も彼らのつくりたい願望につきあわされて、固定観念の手のひらの中で踊らされて、「あったら便利だとおもう」という願望的政策要求に転化していくのだろう。

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2006.04.14

4/14② 現場で変えることを拒絶する学校教育システム

東京都教育委員会が職員会議での採決を禁止するという通達を下したらしい。ほんとう、ばかばかしい。

民主主義教育論もあるけど、厳密な民主主義をやっていない民間企業だって、QC活動だとか、現場提案制度とか、はては会社の基本構想プロジェクトなどで、下から物を言わせて、やる気とともに現場ならではの効果的な仕事を創っていくやり方を備えている。行政だって市民参画を進めているし、福祉だって利用者の権利擁護が少しずつ始まっているし、労働組合活動などを介在にした職員からの自己改革や民主的な職場改革が始まっている。

ところが教育だけが上意下達システムのまま。官僚的な多数決採決すらダメとは。県の組織の命令しか認めないとは、地域管理だった江戸時代の藩校・寺子屋もびっくりだ。
社会全体が上意下達システムの限界をうち破ろうとしているときに、学校だけが上意下達システムを強化しているのだから、当然、学校が地域社会と言語や行動様式で共通の前提が作れない。話も合わない。地域福祉計画でも、次世代育成支援行動計画でも、防犯でも、学校のシステムが地域のみんなの話し合いや意思決定のシステムに合わなくて、結局、学校との連携は無駄だね、という結論をいっぱい聞いた。障害児の統合教育から始まって、学校評議員制度、PTA制度、どれもこれもちゃんとやろうとすると学校の上意下達システムと対立し骨抜きにされてきた。

学校システムの硬直性が原因かどうかはまだわからないが、保護者は現場でどんどんやり方を変えていく塾に子どもたちを預けるようになっているのではないかと思う。

労働組合として言ってはいけないことだが、そんな上意下達システムのロボットでしかない学校教員に、普通の公務員の何割増もの賃金を払う意味がわからない。君が代のときに立っていたか、声を出して唱っていたが、職員会議では採決をしていないか、そんなことしか価値を求められていいない労働者のためにただでさえ高いといわれている公務員よりさらに高い賃金を払うことが問題化されないのが不思議だ。せっかく高い賃金を払って確保している優秀な教員たちなのだから、もっと有効に使うことを教育委員会は考えて欲しい。

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4/14 社会民主主義と封建主義を行ったりきたり

通勤電車(だけ)で読書三昧。東京はこの時間がありがたいのかも知れない。

●呉智英「犬儒派だもの」を読む。革命思想の儒教の復権をテーマに評論活動をする呉の文は面白いが、それ以上に近代とは何か、その原理的なものを認識できることがありがたい。
埼玉県南部の自治体の風土や、民主党の体質は近代の理屈になりきれていないと私は怒っているのだろう。じゃ、彼らは儒教(封建的)かと言うとそれまた薩長のつくった明治新政府の残映や薩長政権がつくった通俗道徳にがんじがらめになっているだけで面白くも