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2006.04.03

4/2 不条理にたたかう面白い人生

わが労働組合の障害者運動のリーダーだった方が亡くなって、そのお別れ会で大阪に行く。

養護学校高等部を卒業して、74年に「当時は職員をジャブジャブ採用していた自治体なら何とか就職口があるだろう」と、豊中市役所の入職試験を受けて、そのいきさつから、障害者の雇用の推進に取り組んだのが運動の始まり。障害者福祉の担当を長くやり、亡くなる直前までベッドの上で豊中市が新たに策定する障害者福祉長期計画の作業をしていたという。

とっても面白い人柄で、いろいろ語ればあるのだけど、以下の文章を紹介する。

僕はやな、養護学校の後頭部出てから大学に行こうと思うて、予備校に通うていたんやけども、お父ったんの勤めてた会社が倒産してもうて、それどころやない。まあ、大学どころか働かなアカンちゅうことで、職業安定所に行ったんやけど、働くところなんかあれへん。 その時分は、ようけ公務員を雇うとった高度成長期やったし、僕が受験した年が大量採用の最後の年やった。当時障害者保育で脚光を浴びとった豊中市やったらなんとかなるやろう、甘い期待一杯で受験に行きました(笑い)。 そやから障害者運動がどうこでどうなってんのかなんて、ゼーンゼン知らんかった。 役所に願書持っていったけどな、係りの人に「アンタ何しに来はったんや」いわれてもうてね(笑い)。願書持ってきたから受け付けてくれいうたら、「最終学歴はどこや」いうから、養護学校高等部出たというたんやけど、窓口では高校卒業の資格と同じやいうことが解らんかったみたいで、二〇分位待たされた。 ほいでしばらくしたら受け付けます言うたんやけど、その対応がやな、腹立つやんか。血の気の多い頃やもん、コノヤロみたいな気持ちで、その足で職員組合の事務所に行って、こんなこといわれたけどおかしいやんけ、何とかしてくれちゅうて文句いうた。
もう十三年もやってるけど、僕の職場が障害福祉課になってね。最初は何も分からん。字が書けない、書類が書けない、仕事の流れが分からん。大体、仕事がどういうものかイメージも分からんのやからね。ただ障害者のことすんねんぐらいのモンや。僕が持ってた仕事のイメージは、障害者の家庭を訪問して相談活動みたいなことやるもんやと思うてたけど、実際はどんでもない。雑務というか、事務処理に追われる毎日、みんな書類の処理だけ。役所に来る人はチョット相談に乗るだけみたいな雰囲気。基本的には今とチョットも変わってへん(笑い)。 もう僕の考えていた障害者福祉と全然違うわけで、それでまず挫折したね(笑い)。エライとこ来てしもうたもんやと(笑い)。入って一年目ぐらいまでは、やめよう、やめようという気持ちばっか。そやけどケンカして入ったんやからやめられへんし、組合に義理があるからやめられへん(笑い)。 『そよ風のように街に出よう』35号1988.6より

何事にもなんとかなるやろ、という前向きな考えで進み、壁にぶちあたると精一杯たたかう。対政府交渉で相手の役所の人との議論の中でも見せたが、論敵でも人を包み込むやさしさも持ち、とっても素晴らしい人だった。

ご冥福をお祈りします。

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