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2006.04.29

4/28 日本共産党に背を向けた人の難しさ

連休前の最後の出勤日、送れた仕事が届いてほっとするが、これでもかこれでもかと波状攻撃のように締め切りまで時間のない仕事が飛び込む。そして会議が2本。忙しかった。

筆坂秀世「日本共産党」(新潮新書)を読む。共産党離党者にありがちな口汚い批判は少なく、抑制がきいていて、共産党のどこが問題なのか、どこが組織のネックになっているのかがよくわかる。機関紙の売り上げ、党員の増加、党への献金ばかりに力をいれて、そのノルマに組織が疲弊している。社会民主主義ではない社会主義・左翼組織は、党の路線がうまくいってなくても、それを認めると党組織の統制がとれなくなるから、結果として、党員や活動の現場の努力不足か、教宣活動のまずさに責任をなすりつける。こうして誰の責任でもなくして、再び力こぶだけ入れるような運動が展開されて、運動はマンネリ化し、新しい人を呼び寄せる力を失うのだ。

筆坂さんは、東大卒ばっかりの共産党幹部の中で、数少ない高卒。苦労は人一倍したのだろう。

●教育基本法改正が閣議決定された。
公共の精神を尊び、●●を涵養し、●●を愛し、そんなお題目を唱えるだけで社会が良くなるのだろうか。無能な政治家や教員たちが、自分たちの技術がないものだから、精神主義的な呼びかけを子どもたちに押しつける。
埼玉でも元左翼の宗教的教育学者が教員相手の師範塾を始める。一時は知事が理事長になる話もあった。この元左翼のインチキ教育学者の師範塾を受け、精神主義的エートスを身につけなければ、学校で肩身の狭い思いをするようになるのだろうか。

高橋史朗の教育学説は、マルクスの発展段階論を模倣した、教育の発達段階論を出自とする。そこには、左翼的な権利としての教育というお題目の下に、徹底的な教える側と育てられる側のヒエラルキーを前提にした教育理論が展開され、極端な場合は人格改造を可能とする理論を含む。ベルリンの壁が崩壊するぐらいまで、発達段階論の教員・教育学者たちはさかんにオオカミに育てられた子どもたちの話を引き合いに出して、人間は教育で改造されなければけだものになると脅かしたものだ。
そして、古典的な薩長ニッポンの教育スタイルと融合させ、あのような醜態を晒しているのだろう。

そのフレームは、ハーバーマスや佐藤優が指摘した、トロツキストやアナアキストとキリスト教原理主義が融合したアメリカのネオコンの構図にそっくりである。その高橋史朗の教育理論の発展を検証してみようと思う。

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コメント

シュタイナー教育も発展段階がありますが、結構うまくいっているようですよ。
狼の例を人で言えば、ネオコンに育てられればネオコンになってしまうということですかね。右をみせたら左をみせる教育が大切だとおもいます。

投稿: 村越 | 2006.05.02 02:55

私は、人間の発達を形式化、マニュアル化するような発達段階論そのものに懐疑的です。
人間の発達には、その少なくない部分で量的な進化があることは認めますが、ではそれが科学的に証明しきれるか、というととても難しいと思います。それ以前に科学で証明しようとして、これをやった子どもとこれをやらなかった子ども、どちらが何々について問題行動が多かったか、何々について発達の遅れが見られたか、なんてことを断定することもどうかと思っています。ゲーム脳をどう証明するか、ということです。
何歳で何を教えるか、ということは、そこの一定の文化の前提の中で慣習として知りうる教育課程を提示することが限界だと思います。

右であれ、左であれ、イデオロギーは自分で見つけていくことではないかと思います。少なくとも義務教育課程では、近代社会で生きていく技術や知恵を教えればよく、ネオコン・右を教えてまずかったからスターリニズム・左を教えるみたいなことはすべきでないと思います。

よくわかっていませんが、私はシュタイナー教育に否定的立場です。教育者や教育という場が人間の内面ばかりを詮索するのは勘弁願いたいのです。

投稿: 管理人 | 2006.05.02 22:41

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