4/24② 派生的なことばっかり気になるけど
JR宝塚線の脱線事故から1年を控え、さまざまな検証ニュースが出てくる。
NHKの21時のニュースで、JR西日本がATSの整備より、信号管理から駅の表示、運転指示まですべて一元的に管理する運行管理システムの導入に力を入れていたため、ATSの整備が遅れたという技術者の証言が紹介していた。
経営的にみれば、運行管理もATSも同じもののように見えるし、技術的にも高度で利用者への情報サービスにつながる運行管理システムの方が優れているように見えるのだろう。しかし、ATSと運行管理は設計のそもそもの原点が違うのではないかと思う。ATSは走っている電車の現状がいかなる状態であろうと、安全を確保させる仕組みである。しかし運行管理システムは、電車を計画どおり走らせるところから考えられたツールである。
平時は運行管理システムはとても有効だが、トラブル発生時は運行管理システムの弊害じゃないかと思うようなことがある。電車の遅れや、一部の区間のトラブルで、全面的に運転がとりやめになることが増えた。昔のように、復旧ができ次第、復旧した場所からどんどん電車を走らせる、というようなことがなくなった。
運行管理システムは、電車のダイヤをコンピューター登録していないと走らせることができない。電車のダイヤが登録されているからこそ、駅の電光掲示板の表示、駅や踏切を意識した複雑な信号制御、線路の切り替え、すべて自動的に行われるようになっている。
つまり、電車があって線路があるのに、運行管理システムに登録しているダイヤを組み替えないと電車が動かせなくなる。
今日も、線路のトラブルで山手線、埼京線、湘南新宿ラインが全線止まった。湘南新宿ラインは今日の運転はすべて断念した。いろいろな路線を渡り歩くので、各路線の運行管理システムを調整しなくてはならないからではないか。
昔はダイヤが混乱すると、運行管理の指令をする職人が、ある程度のダイヤを手書きで直しながら、無線や電話で前の電車の後を走れ、などファジーな指示をして、職人技で臨機応変になおしていたようだ。ところが今はダイヤを登録しないと線路の切り替えも踏切の信号も思うように動かないわけだから、混乱したダイヤを建て直そうとして発車順や急行が追い越しする駅を変えようとしても思うように変えられない。やりきれないから全線止めてしまえ、ということになる。平常時は我慢すればいいが、大規模災害のときなど、運行管理システムに依存しないと運転再開ができない、安全運転ができない、となると帰宅難民の問題はもっと大きなことになりそうだ。
ATSだけに依存していれば、ダイヤを直すことの制約は、速度制限などのそもそもの制約以外には、前の電車との距離だけを考えればよい。何か本末転倒しているものを感じるし、養老孟司の「脳化」という概念かも知れない。
と乱暴な推測と断定をしてみるが、どうだろうか。
マニアや専門家はもう少し精緻な検証をしているだろうし、運行管理システムもトラブル発生時のダイヤ自動修正機能や、ファジーな機能もついてきているだろうから私の推測も一方的で断定的だと思うが、ちょっとしたことで全線運休、相互乗り入れ全面停止みたいな場面によく当たる最近、コンピューター化で鉄道システムは脆弱になっているなぁ、という感じがしてならない。
一方、遺族や生き残った生存者のPTSDが繰り返し注目されている。マスコミはこういうのが好きだ。
何かこうした遺族や生存者の立ち直りにPTSDの課題ばかりに視点が行くのは、企業責任を緩和し、心理学履修者の、あるいは心理資格取得者の営業対象をふくらます話にされていないか、という感じがしてならない。
自分の近親者や電車で隣に座っていた人に何かがあれば傷つくし、いつもいつも思い返すことになるだろう。それで日常生活が営めなかったり、生命に危機をおよぼすような状態なら治療が必要だが、事件を思い出して心理的に混乱したり、涙が止まらなくなることが、治療の対象だとは思わないし、とても大切な感情ではないかと思う。そういうことをポジティブな感情に転化させることがよいことか、誰も判断してはならないだろう。
その中、今朝のニュースで出てきた兵庫県のこころのケアセンターの職員(名前と資格を失念)が「悲しみを共感する人と一緒にいることが大事」というのはいいコメントだったと思う。
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