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2006.04.16

4/16② 主体的の東アジア的用法

就職に際して学生に「主体性」を求める企業が84%で最多なのに対し、自分が「主体性がある」と思っている学生が28%しかないという調査結果が新聞で発表された。

ブル新・朝日新聞の記事は、主体性の能力開発が十分でなくこれからだ、という報道の仕方をしているが、何か違うような気がする。学校や企業が、受験生や就職活動をしている人に「主体性」を求める場面をよく耳にするが、何かウソっぽく感じてきたのは私だけだろうか。

すでに企業や学校で働き、そこのしきたり、ミッションを感覚的に習得した受験担当者・採用担当者の語る「主体性」は、これから勉強させられる、あるいは、働かなくてはならない自由でなくなる、というイメージをもっている受験生や就職活動している人にとって違和感を持たざるを得ないだろう。

主体性のある労働者は、企業に入って一所懸命働くけども、その愛社精神が高じて労働組合も熱心に始める可能性もある。そこの企業の労働組合が経営者によって十分懐柔されていたり、あるいは出世のためのキャリアステップとして労働組合役員を幹部職員に取り立てていくシステムがなければ、採用担当者は愛社精神が高じて主体的に熱心に組合活動なんかやられたらかなわないのが本音ではないか。

それで思い出したのが、北朝鮮王国の中心思想・主体思想である。主体思想も、言葉の上では人々の各自の自由な自発性を尊び、能力を開花させるべきというようなことが書いている。しかし現実には、それは北朝鮮という国の独善を支え、国民の主体性はソ連や中国にも無理難題をふっかける北朝鮮王国の独善に仕えさせるためのものという論理のすりかえが行われて、現実には王国の臣民に政治的・社会的自由はない。

北朝鮮ほどではないが、日本の学校や企業がこれから入ろうとしている人に求める「主体性」というのも、これから入ろうとしている人から見れば、北朝鮮臣民の主体性の論理のすりかえと同じようなものを感じるのではないだろうか。北朝鮮にしても日本の学校や企業にしても、主体性をめぐる感覚のズレに無自覚なままに、組織構成員に何かを求めるのは東アジアの特有の現象なのだろうか、などと考える。

※ところで主体思想の全文について、検索ソフトでは全然出てこなかった。チュチェ思想研究会のHPも、「首領様」や「指導者同志」の論文しか掲載されていなかった。不思議でありわかりやすい研究会だ。

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