4/16 誰のための新交通システムか
朝、テレビを見ていたら、渡部恒三さんが黄門さまと呼ばれているからと、葵の御紋の印籠をもってポーズとっていた。佐幕派の会津藩は、何かと薩長をかばった水戸徳川の真似をしてひんしゅくを買わないのか心配になる。
●新交通システムのゆりかもめが止まる。私は新交通システムが嫌いだ。混んでいるし狭いし、遅いし乗り心地がわるい。今回車輪が外れるというトラブルがあったが、汎用性のない交通システムはトラブルに弱いと思う。
新交通システムが近未来の夢として語られて、神戸のポートライナーを皮切りにいくつかの地域で導入されてきた。亡くなった交通評論家の岡並木さんは、「新交通システム」は新交通システムではない、と指摘されていた。新交通システムとはもともと、もっとパーソナルで、オンデマンドで、タクシーと公共交通の中間的なシステムが想像されてきた。1970年代の未来図によく描かれている、コンクリート軌道の上を走る観覧車のゴンドラ状の乗り物が「新交通システム」の見本だ。
ところが現実には、需要計算が思うように出てこないようなところに公共事業として電車を通すためのつじつま合わせのために、電車とバスの中間的な乗り物という「中量輸送機関」などというカテゴリーがつくられ、「新交通システム」の中身が定義しなおされた。そして、単にコンクリート軌道に小さな車体の車両がトロトロと走る、採算と実用性の低い乗り物が全国各地に建設された。埼玉新交通、千葉モノレール、北九州、多摩モノレール、名古屋の桃花台新交通、どこもここも、赤字を垂れ流し、自治体の財政まで巻き込む結果となったり、借金整理の目処がたたない状態になっている。
最初に乗った埼玉新交通は、低速で、高校の下校時間などにぶつかりちょっと人が乗ってくると、猛烈な混雑になる。ゴムタイヤなので一定の定員以上は乗車制限を受けてしまう。加速減速がきつく、路面の衝撃がたえまなく伝わってくる。二度と乗りたくないと思った。ゆりかもめも座れないと疲れるだけの乗り物で、できる限り乗りたくない(もっとも臨海新都心が●●●ヒルズなんかと似た没個性的な街、嫌いで行かないが)。利用者のことなんかあんまり考えられなくて、コンクリート業者のために開発されたシステムと思う。
わたしが本当の意味で新交通システムと認められるのは、バスに線路をくっつけた名古屋の志段味線で、これはそこらに走っているバスが、専用軌道部分があるところだけモノレールのように走り、またそれが切れると普通のバスに戻るというすぐれもの。需要が高いところや、交通のネックになるところだけ専用軌道をつくればいい。また既存のバス路線を移設していけばいいので、需要予測も外れない。路面電車方式のバス路線「基幹バス」とともにバス以上の需要をどうこなすか、というノウハウで参考になる。
「新交通システム」が経営的に成り立たないことがわかってきて、これ以上の建設はないだろうと思うが、考え方の転換をまったくしないままに、言葉だけ新しくして全国各地で建設推進運動が進められているのが、路面電車である。
全国各地で、地下鉄建設の無駄とモータリゼーションの反省の両面から路面電車が見直され、その新定義という意味合いで「LRT(ライト・レール・トレイン)」という言葉を使って建設推進運動が展開されている。そのこと自体はいいことだと思うが、宇都宮市やさいたま市の路面電車建設推進の取り組みを見ていると、自己目的化しているのでなはいかと思う。それも、単にかつての路面電車と同様のものを車両だけ低床型の新車を入れればいいというような内容のものだ。路面電車の経営が成り立っている街は、広島のように一定の市街地に路線網を細かく張り巡らせているところか、長崎市や鹿児島市、高知市など地理的条件で市街地が細長いところが多い。宇都宮市やさいたま市のように同心円的に郊外が広がってしまった街には1本や2本路線を造っても特定の住民にしか利用されず採算に合わないと思う。
「LRT」は路面電車のことではない。従来の鉄道の固定観念を超えて、都市の実情にあわせて便利に作り直した鉄道ぐらいの意味である。それが既存のものでいうと路面電車のイメージに重なるというものに過ぎない。
必要に応じて地下や高架をつくり、郊外電車と乗り入れしたり、バリアフリーをやったり、いろいろな可能性を模索しないと「LRT」というにはおこがましい。
新交通システムも、LRTもどうしてこんなに固定観念で、通勤電車を水で薄めたようなものしか構想されないのだろうか。私はこれも自治体にたかる建設業者たちを中心とした建設推進運動だからではないかと思う。市民も利用者も彼らのつくりたい願望につきあわされて、固定観念の手のひらの中で踊らされて、「あったら便利だとおもう」という願望的政策要求に転化していくのだろう。
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コメント
こんにちは。私は、新交通システム「桃花台線」が走っている、桃花台ニュータウンに住んでいます。
>新交通システムも、・・・通勤電車を水で薄めたようなものしか構想されないのだろうか。私はこれも自治体にたかる建設業者たちを中心とした建設推進運動だからではないかと思う。
私も、同じ意見です。
特に、桃花台線は、ひどすぎます。わざわざ、住民に利便性のない路線を建設し、その上、費用だけは、桃花台ニュータウン住民に負担を求める(「1戸建て住宅の価格」と「賃貸アパートの家賃」には、この路線の建設費用が、上乗せされていたそうです。しかも、最近まで、この路線を建設した愛知県は、この事実を否定し続けていたらしく・・・)。おまけに、もし存続されていたら、さらに費用を負担させられていた事でしょう。
廃止になって、本当に良かったと思っています。
この路線の建設には、他にも、問題があります。既存の競合路線を、存在しなかった事にして、建設前の予想利用者数の試算が、行なわれていることです。これは、あきらかに「改ざん」です。これにより、大幅な利用者数の「水増し」が行なわれ・・・。
どう考えても、沿線や桃花台ニュータウン住民の為になら無い路線が、建設されてしまいました。どう考えても、「建設する事だけが、目的だった」としか、思えません。
投稿: kyu3 | 2006.04.17 06:12
kyu3さんコメントありがとうございます。
大都市の郊外という、地域の情報がなかなか流れない地域で、とってもよい地域情報を出しておられていて、すごいと思いました。こんなことやれたらと思うような内容でした。
住宅の乱開発で保育所不足になったり、バスの輸送力がものすごく不足しているような場所では、開発利益を得る不動産開発業者に独自課税したり、不動産価格上乗せして、公共サービスを確保するための費用を集めるのは方法としてありだと思っていますが、それは隠してやるべきではなく、購しとち入者にきちんと説明して、負担がいやだから買いたくないという判断が可能なように行われるべきだと思います。
桃花台交通を実際に見たことも乗ったこともないのでよくわかりませんが、過大な需要見積もりは想像できます。沿線に中心市街地もない桃花台交通の移動なら、ほとんどの人はマイカーを使うのではないかと思います。
公共交通の建設が、建設業者のために行われる現実を札幌で経験しました。公共交通の利用者のことなんかちっとも考えないで、どんどん建設を進めていく。需要がどんどん作り上げられていく。作って逃げる建築業者だけが儲かり、利用者は思ったほど便利にならなかったのに階段ばかり歩かされ、交通局の職員もリストラに合うという結果でした。一回、地下鉄建設業者を街に呼び込むと永遠に新路線を造り続けなくては失業問題になってしまうことも。誰のための公共交通なのだ、ということを問い直さなくてはならないと思います。
投稿: 管理人 | 2006.04.17 21:15
ゆとりーとラインという名前だけ知ってました(笑)
名古屋の地下鉄の路線図に書いてあって何のことかわかってませんでした。
さいたまの新交通システムは選挙の時乗りましたけど、
微妙な乗り心地でした。
桃花台の件は中部地区では大きく報じられてましたね。
昔、地図を見てた時に取ってつけたような線で不思議な感じがしたのを覚えています。
投稿: wacky | 2006.04.18 01:34
新交通システムのある街に住んでいますが、沿線ではないためあまり利用しませんね。
その新交通システム(開発ディベロッパーが運営している)も、実際面では赤字とのことです。しかしながら、現在開発を行うとなると、バス事業者がインセンティブを持つように、バス停を作り、バス会社に応分の利子補給をすることがディベロッパーにとって必須なのだとか。その負担と新交通システム(斜面地など利用価値の薄い土地に敷設されている。)の赤字を天秤にとって、新交通システムを選んだと、千葉の在野の鉄道研究家が書いた本にはかいてありました。
LRTがもてはやされていますが、都市交通体系を総合的に考えて選択すべきだと思います。例をあげるならば、千葉市の千葉駅=県庁間ですが、多くのバス路線が千葉駅を起点に伸びているのに対して、千葉駅=県庁間という短い区間のみモノレールを敷設する意図が分かりません。同区間では「ちーばす」という100円均一料金でバスに乗れるため、多くの乗客がバスに流れているのが現状です。
投稿: 窓灯り | 2006.04.18 21:18
お邪魔します。
思うに新交通システムには
・繋がらない(互換性の無さ)
新交通システムではありませんが、岡山関連の第三セク
ター鉄道の「近畿から山陰のバイパスとして好調な智津
線」と「通勤や通学及び観光といった周辺需要しか望めな
いためパッとしない井原線」にそれを感じます。
・新交通システムでしかできない(従来の交通システムで
はできない)度合いの低さ
といった問題があるのではないでしょうか。こういった問題
がある限り「道楽」の域からは抜け出せないのでは。
投稿: ブロガー(志望) | 2008.05.06 07:25
路面電車と言えば、"元祖"の京都市電が網の目状に張り巡らせた路線を不採算だからと次から次へと廃止したら、結局丸々あぼーんって結果になった様ですね。今になって路面電車復活!と声が挙がっている様ですが、逆に渋滞を増やして市街地を衰退させる気か!!って反対が多いってのが象徴的って気もします。
すっかり「面」として発達した場合では、車ベースの交通機関が結局具合が良いのかも知れませんね。まぁ、百歩譲ってLRTとか路面電車を導入するとしても、それは車ベースの交通機関がチャンと相乗りできる(ないしは需要を奪える)もんじゃないと、厳しいってのが教訓ってとこでしょうか。
投稿: 杉山真大 | 2008.05.07 21:53