3/30 たかが家庭科に口出す前に
終戦直後の教育改革で、高校の教科書は指導要領の枠の中で教員たちが自由に市中から選んできたという話を聞いたことがある。間違っている認識なら教えてほしい。義務教育課程でもあるまいし、教科書の中身まで国が縛ることはないだろうと思う。指導要領で十分。それも国で一本でやることが理解できない。過日、教科書会社のわいろ含めて営業活動が解禁されることになったが、検定教科書制度というカルテルの中で営業活動だけ自由化するということがわからない。
ここ数日、高校の教科書検定がマスコミの話題になっているが、反動政治家の標的は歴史教科書から、家庭科教科書に移ったようだ。文部科学省はひとり親とか、従来の男女の役割分担を変えるモデルを示すことを、一切抹殺しようとしているらしい。ひどいものだ。経済教育だ何だと、カブ株だの、外国為替だの教えている学校もあるが、それ以前の家庭の経済生活が多様化している中で、そんなアナクロな話はないだろう。
家庭科はあくまで生活に関する技術を身につけさせる教科である。偏向イデオロギーで染め上げ、生活技術が何もない人間に教育してどうするのか。きょうび、家事のできない男なんて、なかなか結婚できないし、結婚しても肩身が狭い思いをするだけだ。戦前の軍隊だって自分の飯を炊く方法を教えている。
毎日がこの話を紹介しているが、山田昌男の言うように、小泉首相こそ、ひとり親家庭ではないか。
小泉首相の数少ない良いところは、これまでの政治関係者が露骨にやってきた家族問題による差別とは、一切中立的な立場で政権運営をやってきたことだ。結果を出す女性にはいくらでも機会をつくろうと努力してきた(そのしわ寄せで保育労働者がワンコールワーカーになろうとしている問題もあるが)し、女性だからと門前払いしたことはない。また本人も離婚経験があり、複雑な家庭事情も抱えているせいか、家族形態による差別発言は就任以来確認していない。
ところが、小泉氏を除く政治家といえば、ヒマになると教育問題というイデオロギー宣伝をやりたがる。そのイデオロギーたるや、日本の美徳がどう、伝統がどう、偉そうなことをいうけれども、他人を公然と差別するための道具でしかないような低俗なものだ。
教育問題に熱心な政治家たちも、教科書問題といえば、イデオロギー問題ばかり取り組んでいないで、教科書の文言やリンリ問題に神経質になってばかりいないで、真剣に効率よく、能力に結びつくような教育ができるよう、国民の代理人として、取り組んでほしい。以前にも書いたが、長時間子どもを拘束して、効果が上がらず、さらに私塾に通わせているのが今の教育の実態だ。小泉首相やブブキン幹事長が本物の改革派なら、社会情勢に合わない理屈でもって文部科学省へ介入を繰り返すバカ議員にこそ刺客を差し向けてほしい。
また立ち返ると、そもそも家庭科に教科書なんかいるのか、と思う。本屋で売っている料理本や洗濯本、掃除のテキスト、整理術なんか使った方がいい。大学の研究室で掃除機も洗濯機も100円ショップもないような時代の家政学者が書く家庭科の教科書が効果的かどうか。家族問題やら、環境問題は、その他は本来は社会科でやるべき問題かも知れない。
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