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2006.03.23

3/23 介護保険をもっとみんなのものに

介護保険や障害者福祉の行方をめぐって周囲で議論がいろいろある。というのも障害者福祉に不合理な利用量に比例する自己負担が導入され、護保険も財政問題から保険料の見直しが各地で行われていて、その是非、というより非論からいろいろな議論が展開されている。

介護保険料に関しては、共産党のような単純な負担増反対という話は論外だと思う。日本は税金が安いから先進国のなかでまれにみる低福祉でやってきたし、それは家族の能力発揮の機会を奪い、また地域社会が崩壊する中で核家族の中での権力関係を利用しながらこの社会はしのいできた。
税金が高くても、福祉を私的エリアから公的なものに引っ張り出し、不幸の少ない社会にすることが大切だろう。最初は家族でないものが介護することに当事者から抵抗感が示されるような懸念もあったが、実際スタートしてみると、家族よりも当事者自身が介護を自分のものにしていっている。当初反対していた共産党系の福祉関係労組も結局は介護保険反対だけを運動課題にはできなくなった。何に使われるかわからない税金より、介護保険料という使途が明確な税金なら増税の理由も明確だ。

一方、財政論だけで負担増が当たり前とする意見にも気をつけなくてはならないものがある。最大のものはサービスを切れというもの。介護の財政的影響など、年金や医療に比べたら小さい。まずは元気な人ばかりが受益者となる年金と医療に手をつけるべきだろう。

若者に負担とサービスを広げることにはいろいろ議論がある。多摩市で新自由主者の立場で若くして生活者ネットの議員になった友人の友人がいる。財政論的立場から、介護保険料に賛成しながら、若者の立場ということで、介護保険料を若年層に負担することに反対している。若者の立場だから反対というのでは、自分たちから取られたくないだけという話。団塊のおっさんたちが年金引き下げに反対して若者から富を収奪するのと同じ理屈で質が良くない。

確かに介護保険のリアリティーが40歳ぐらいにならないとできてこないと感じることがある。家庭を持ち、親が老化して、自分の行く末が見えてくる。その時に、ちょっと負担が増えてももっと幸せな老後とは何か、という気持ちが出てくる。亀井静香をはじめ多くの抵抗を払いのけ、介護保険導入に成功したのは、そうした合意形成に成功したからだ。それを自分のことで手一杯な若年層に広げたときに、これまでの政治的合意が、年金不払いの理屈に入れ替わらないかという心配がある。不払いが多くなれば、社会保険としての介護保険はうまくいかなくなる。

ただし、連合などが強烈に主張している介護保険と障害者福祉の統合、保険料負担年齢の引き下げも、本来的な福祉のあり方を考えたときに、負担増かそうでないか、という矮小な議論で切り捨てられるものではないのも現実だ。
加齢による介護と加齢じゃない介護との区別はつけられないというのも現実だし、高齢以外の介護は専門家でもない市職員や町の有力者による審議会の裁量で、ヘルパーが派遣されたりされなかったりしているわけで、そうしたものを壊して新しい公正な仕組みをつくるためには、認定会とケアマネージャーが介護の必要性を判断する介護保険システムを障害の分野に広げていかなくことは有効な方法だ。
また、介護は何も障害者(高齢の要介護者も含めて)だけではない。出産直後の核家族の家庭は、誰も家事をやる人がいない。シングルファーザーの家の家事援助も重要だ。そうしたことも含めて介護をやるなら、何も高齢者だけ、障害者だけというものではなくなるだろう。

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