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2006.03.20

3/20 不偏不党を言う人は党派性のある人ばかり

もう時効かな。高校生のときも大学生のときもぶちあたった嫌なことです。

だいぶ前、生活課題に関する市民運動団体の会議に出席したら、政治的な問題でもめていた。
その団体が開いたシンポジウムに、専門家とともに、その団体が取り組んでいる問題に詳しい与党第一党と野党第一党の議員を1人ずつシンポジストとして呼んでいた。それを、「不偏不党」であるべき市民運動にあるまじきやり方だ、とごうごうの非難をする人がいた。政治家を呼ぶなら、すべての党に声をかけるべきと。

首都圏に戻ってきて、いろいろな運動体で、政治とのつきあいでねちこく中立性が求められ、どうでもよい議論を繰り返している場面に何度も立ち会った。市民活動にとって政治が役に立てばいいんだから、使えばいいんです、参加してもの言ってなんぼでしょ、と青春時代に北海道で刷り込まれた体験からは、隔絶する感覚だ。
シンポジストの政治家に、票のとりまとめや、会員の後援会の加入、ビラの配布など頼まれたらそれこそ運動体の立場が問われるが、見返りもなく、シンポジウムで100人もいかない参加者に、専門の話をつっこんで話してもらうぐらいで、市民団体の運営が歪むほどの政治性をおびるものなのだろうか。

その団体が取り組んでいる課題は、消費者問題的なもので、専門家だけの検証ではどうしても供給者サイドの視点の話になってしまう。国会で有権者・市民の世論を背景に、専門的なやりとりをしている政治家に事情や課題を聴くのが、有意義な場でもあった。

「不偏不党ではない」と非難を浴びせかけることは、野党第一党だけが議論の場を提供されると非難しているに過ぎない。私には「不偏不党」を叫ぶ人ほど政治的で、党派性の高いものを感じる。不偏不党にこだわる副作用として、市民や生活課題に取り組む市民運動と政治の間の距離が離れたまま、結果として、官僚が業者と癒着してやりたい放題やるような社会になる。

生活課題のいくつかはやはり政治問題だったり、政治にばっちり監視したり圧力をかけてもらわないとおかしくなるものもある。政治の世界に引っ張り出さないと本当のことがわからないこともある(もちろんその逆の問題もある)。そこに不偏不党なんて言葉を出して、見た目中立だけど、そこには内ゲバしかなく、何の世の中を動かす力にもならないように方向に運動をミスリードする議論はよくない。

そもそもいちいち会議の本題と全然違う次元の「不偏不党」をことさら他人に求める人は、どこか党派の匂いがする。まず自分たちが不偏不党のまっさらな心をもってもらいたい。無駄な議論しか生まれず全く不毛だ。
自分の党派性を棚に上げて他人の党派性を問題にする余裕なんて、ベルリンの壁が崩壊してもう無くなっているはずじゃないの?かな。

●「ニートって言うな」の本田由紀さんのブログで、関西非正規労働者の組合「ユニオンぼちぼち」が立ち上がったことが紹介されている。結成宣言がとてもよい。

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