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2006.02.04

2/4② 予定調和の保育の市場化のへ理屈

今朝の毎日新聞で、国際基督教大の八代尚宏教授が、市場原理万能の保育制度改革の正当性を力説している。現実の保護者や子どものニーズに全く顧みることなく、決めつけ、レッテル貼り、論理のすりかえで満ちあふれている。

八代氏の提言の、女性の働く社会で何をすべきかということについて、省庁縦割りの対策ではダメ、役割分担論もダメ、女性を家庭に閉じこめれば日本経済は立ちゆかなくなる、などの大枠の時代認識は正しいと思う。ただしそれが少子化対策だという話は違う。少子化ではなくてもやらなくてはならないことだ。

その上で八代氏が何をすべきかという提言で2点おかしな話をする。この間の構造改革で言い古されてきた「流動的な働き方の普及」と、日本の保育所制度は既得権だから切り込んで改革せよ、と提言する。それらが規制緩和イデオロギーを貫徹させるための労働政策や保育政策の変更要求であり、目標が自己目的化して本末転倒な話なのだ。

1点目の「流動的な働き方」を普及させて子育てができないことは子育て世代が一番よく知っている。そういう働き方をしている人たちが、一体どんな状態で生活しているのだろうか。無権利で不安定で力関係が一方的で家庭なんて維持できるようなものではない。八代氏が否定する「年功序列・長期雇用保障」の下にいる人の方が、生活が安定しているため実際に出生率も高い。全く現実を無視している。この理屈は、少子化対策に名を借りて、人材派遣業の経営者たちの利害を代弁しているに過ぎない。

2点目も、今の保育所やその利用者が既得権益だというのは決めつけだけの議論だ。
市場原理で質の高い保育サービスというが、八代氏は自身が委員を務める規制緩和委員会とその後の規制改革会議で、繰り返し、①保育所から調理室を置く義務を無くせ、②保育所に園庭を置く義務を無くせ、③子ども一人当たりの面積の規制はなくせ、④保育士の配置基準はなくせ、⑤保育士の常勤比率規制を無くせ、と主張し、これらは業者間の競争で高め合えばよくて、ダメな保育所は保護者が選択しない、と言い切っている。
八代氏の理屈は、質の悪い保育所を選ぶ保護者が悪い、ということだが、選択の権利を奪われている当の子どものことは何一つ考えられていないし、保育所問題の深刻な大都市部では保護者が質の高い保育所を選べるような状況ではないことを無視している。さらには、母子家庭や障害児の家庭など、保育所の支援を最も必要としている人が逆選択で入所お断りされる危険性など無視している。
当時の20世紀末の規制緩和万々歳の時代ならともかく、マンション強度偽装問題など露呈し、社会的規制を全面的に否定して、消費者の選択権というバラ色をちらつかせて自己責任だけを押しつけることがどんな問題をひきおこすか、何も顧みられていない。

保育所が既得権益の高コストという決めつけも問題がある。
保育所の運営費用の積算根拠で、その大半を占める保育士の人件費は、1人あたり年収400万程度で計算されている。時給制のヘルパーより確かに高いが、一人の職業人が自立して生活するのに高すぎる水準だろうか。また高齢者介護と違い、もともと保育所はある程度整備されていて、高齢者介護ほど誰でももいいから担い手が必要という状況でもない。きちんと財源を確保して保育所を整備せずに、保護者どうし対立させ、政策責任を問わない八代氏の論理立てには問題がある。

でもこういうデマゴギーは、日経新聞しか読まないような人たちに受ける。子育て支援は拡充したいが責任もってやりたくない政治家(特に民主党の若手と森派)にもバカ受けする。で、結局、思い切った保育財源の確保がされず、いつかやっていくる規制緩和の青い鳥に夢見て、何も状況は良くならないことが続く。

2006年2月4日毎日新聞朝刊 どうする少子化 既得権崩す改革こそ(国際基督教大学八代尚宏教授)
各省施策を集めるだけでは効果ない
社会保障を高齢者から保育サービスへ

出生率の低下に歯止めがかからないなかで、さまざまな少子化対策会議だけが踊っている。しかし少子化の根本的な要因を明確にし、それを是正することなしに、各省の施策を寄せ集めるだけでは、効果は期待できない。
少子化は、過去の社会制度の矛盾から生じたひとつの減少である。男性が仕事、女性が家事・子育てという役割分担を不変のままで、働く女性が増えれば、子供が犠牲になるのは当然だ。他方、すでに始まっている人口減少の下で、男性だけが働く仕組みを固守すれば、日本経済は維持できない。夫婦が共に働き、共に子育てができる、普通の社会に変えていくことが、出生率の低下に歯止めをかけるための基本的な方向である。
これが実現できない理由は、他の構造改革と同様に、既得権の壁に阻まれるためである。例えば年功序列・長期雇用保障は、家族ぐるみの雇用契約であり、妻が家庭を守るという前提で、企業は世帯主に慢性的な残業や頻繁な配置転換を求める。現状の雇用慣行の下で、女性が育児休業以外は、男性と同じ働きを強いられれば、子供を育てる者がいなくなるのは当然だ。
仮に欧米のように男女にかかわりなく、流動的な働き方が普及すれば、子育て後の再就職等、仕事と子育てとの両立が容易となる。しかし労働界では、働き方の多様化への流れに対しては、雇用保障を損なう「悪い働き方」として規制強化を求めている。
仕事と子育てとの両立を図るためには、質の高い保育サービスの量的な拡充が不可欠である。しかし、現在の保育所では、限られた層の人々を対象とした「福祉」の論理に基づき、公務員主体の高コスト構造と、それに見合わない保育料水準が維持されている。公立保育所を利用できる者には多額の支援が与えられる一方で、利用できない人々には補助はなく、潜在的に大きな保育ニーズに応えられる仕組みとなっていない。保育所を一定の公的助成を受けつつ、利用者の需要に応じて供給が増える「保育サービス」へと転換しなければ、多くの働く女性の仕事と子育ての両立支援には、十分役立たない。
現在の保育所行政は、2000年の介護保険設立以前の高齢者介護との共通面が多い。高齢者の介護費用は、特定の家族だけでなく、広く社会全体で負担されている。また介護サービスは、自治体や社会福祉法人だけでなく、企業も含めた多様な事業者間の競争の下で、利用者が自由に選択できるサービスとなった。これと全く同じの改革を立ち後れている保育の世界にも導入することが、少子化対策の基本になる。高齢者に偏った社会保障費を子育てにシフトするとともに、子育て支援の内容を、利用者主体へと改革することが必要だ。
出生率の低下は、女性が働き続けることが当たり前という社会の変化に、過去の制度・慣行が対応しないことから生じている現象である。既得権に切り込み、抜本的な制度改革を断行しなければ少子化に歯止めはかからない。

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コメント

 需要と供給のバランスで、託児所は圧倒的に需要側が大きい訳ですから、供給側は楽をしようとします。託児所側はほぼ独占事業体になるわけですから、努力しなくても経営できるわけです。それが人間の欲求(つまりは市場原理)ですね。まぁ、子供を商品として考えれば、良質な商品を得られるような努力をする事業体は生まれると思いますが。
 ですから、公が一定の規制をかけなければ、保育所に入所する段階で、親の収入の多い少ないによって、高品質の保育所に入所するか、粗悪な保育所に入所するか入所できないかが決まってくるこの状況では、市場原理に合わないと思います。
 声を大きくして言いたいのは、「市場も失敗するし、政府も失敗する」という現実です。両方のバランスをいかに取るかが民主主義の政策遂行能力ではないかと私は考えています。

投稿: 窓灯り | 2006.02.04 23:24

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