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2006.02.14

2/14 ゆとりvs詰め込みは自己満足の教育談義

昔は執念の強い教育専業ママの子が私立中学に行く、というイメージだったが、都内に限れば2割も私立中学に行くようになっている。同僚や知人の子でも私立中学に行くことが珍しくなくなっている。その背景は公立学校の学力談義だ。その中でもっとも盛んであり意味がないと思うのは、ゆとり教育の是非論だ。教育はその効果から検証しなくてはならないのに、ゆとり教育=勉強しない=学力がつなかいと短絡的に結び付けられている。

授業にしてもしかり、部活動にしてもしかり、生活指導においてもしかり、それをやることがどうなのか、という検証なしに、スパルタが良いか、つめこみがよいか、ゆとりがよいか、という過程ばかりに関心を持つ短絡的な議論が繰り返されている。迷惑するのは当事者の子どもだ。学校なんて子どもの生活の一部にすぎない。過程が自己目的化していて、学校の議論をする人間たちは何か勘違いしているんじゃないかと思う。

学力は教育政策が目標とする所期の水準に達しておればよい。そこに向かって、最も効果的に教え、子どもに必要以上の負担をかけない、これが原則ではないかと思う。もちろん子どもには基本的人権があり、子どもの権利条約にのっとった対応は保障されるべきという前提はある。それは教育の時間配分とは違う話だ。
それを、ゆとり派は学校が楽しい場になるようにていねいに教えて、時間をかければ学力がつくと言い、詰め込み派は子どもを学校に縛り付けて時間をかければ学力がつくと思い込んでいる。そしてマスコミや研究機関の調査は、ゆとり派か詰め込み派かでアンケートばかりをとる。まったく意味がない。
子どもに負担ばかりをかける理屈ばかりを思いつき学力を語る、そんな非効率のモラルハザードを学校に許している思考回路が私にはわからない。

授業時間数の短いフィンランドやスウェーデンの教育水準の高さは何にあるのか、教育が精神主義に価値をおかないとか、効果的な教育が行われているとか、子ども自治が盛んで日ごろの生活や遊びが脳みそを使わざるを得ないような社会だとか、いろいろ原因は考えられるが、学力が学校への拘束時間と比例しないことは間違いない。

サービス残業みたいなもので、子どもを長時間学校に縛りつけておけば安心するという、自己満足な親心でしかない。さらにはそれでも不安で学習塾に縛り付けておく。自分は労働を忌避して送り迎えにいそしんで。そして育てられた子は自分で役割と自分の時間の区別もつけられず、サービス残業を当たり前にこなす大人になる。その結果、地域社会におとなはいなくて、子どもを育てる人がいなくなって、地域や生活の力がなくなっていく。

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