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2006.01.31

1/31 焼け太りをもくろむ額賀防衛庁

長くわが労組の障害労働者グループのリーダーを務めていただいた方が亡くなった。情熱的に障害労働者の雇用率向上、雇用環境の整備を訴え、したたかに労働省や自治省などに交渉していた。また全国の障害労働者に自分たちの声を出す組織をつくるよう熱く訴えてきた。全国相手の仕事をするのは体がきついと出身の大阪に戻り、介護事業の仕事をされたと聞いてきた。惜しい方が亡くなったと落胆している。

●防衛施設庁の汚職で、役職と過去の再発防止が効き目なかった責任を問われている額賀防衛庁長官が、防衛施設庁を再編して新たな組織にする必要がある、なんて、防衛庁と統合して防衛省にしようという魂胆なのだろう。そういうのを焼け太りというのではないか。
一方、社会保険庁などはほんとうに気の毒だ。保険料を流用していろいろな不採算施設を作ったり、赤字垂れ流しにした幹部やそれにまとわりついた政治家の責任は未だに問われず、その怒りは社会保険庁の一般職員に向けられている。そして、今度新しく発足する人をバカにしたような名前の組織は、職員をあっさりクビにできるシステムを入れるという。
競争原理だか、民間の智恵だか知らないが、社会保険庁の膨大な運用資金を狙うハゲタカたちはもっとやりたい放題になるのだろう。
改革、改革といって、やり場のない怒りをもっと弱いところにぶつけて本当のところが良くならない。そんなことばかり繰り返している。

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2006.01.30

1/30 ホリエモンよりがんばっていないと断定される人々

ipodは欠陥商品だと思う。朝の地下鉄の車内、音漏れがひどい。きょうは3重奏で、気がおかしくなりそうだった。満員電車のない外国メーカーはこうしたことに注意が回らないからダメだ。

その電車の中で「ニートって呼ぶな!」を読む。
就職できない若者の問題を、雇用の側の責任から眼をそらすために、若者の主体性や内面の問題にすり替えるのが「ニート」問題の真相じゃないか、という本書のモチーフにエールを送りたい。
また、育て上げだの若者自立塾だの、教育で内面支配を図ろうとする右+左の教育好きのいやらしさを余すところなく指摘していて共感。若者の自立というと、自発的な能力を力づける発想ではなく、どうして合宿だの強制労働だの、そんな発想しか出てこないのだろうか。

小泉・前原の「構造改革」は、通俗的にはがんばったものは報われるという価値観をベースにしている。だから報われるためのがんばりを邪魔する規制は少しでもない方がいいし、富の再配分なんかされないように「小さな政府」の方がいいと言うのだ。場合によっては、できない人の力づけなんかも余計なことだと言う。
では、何をもってがんばったかというかについては、がっばっているから報われた人がいるという主観的な説明しかできず、報われた人ががんばっていると決めつけられる。
でも世の中には経済的ヒエラルキーがあって、どんなに必要とされていても、どんなに大変な仕事でも報われない仕事はある。民間保育士やヘルパーなどいい例だ。一方、ホリエモンや三木谷、村上なんかは大変なんだろうけど、別に人の命を預かっているわけでもないのに何百億も紙切れコロがして金儲けする。ヒューザーのように顧客の生命を危険にさらしても成長企業と言われる。がんばっていることとして賞賛されてきた。
社会の関係性を無視して、内面重視でしかものをみない失われた10年の構造改革談義を今こそ打ちきるタイミングだと思う。ニートががんばらない人と断定してきたのは、この構造改革のイデオロギーメガネのものの考え方から出てきたものだ。

●中川農林水産大臣が、アメリカ牛輸入再開で農水省がアメリカに監視団を送っていなかったことを国会で白状。正直でよろしい。
野党は、中川大臣の罷免を求めて委員会審議を空転させている。民主党のこうしたスキャンダリズムがイヤだ。中川大臣は本当のことを話しているのだろうから、もっと話させればいいのだ。審議を空転させるのは、要求を無理に通すときか、相手が本当のことを話さないときに行うことではないのだろうか。

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2006.01.28

1/28 また少子化対策に戻りつつある議論

朝霞市の次世代計画の進捗チェックを行う委員会の下打ち合わせがあって出席する。次の委員会でチェックする事項をみんなで整理した。

ところで、最近、子育て支援の議論から次世代育成という視点が薄まり、再び少子化対策の視点ばかりに話が戻ってしまった。人口減少だからどうしても少子化対策となるんだろうけど、人口が増えればいいのか?

あるHPで「少子化」と題して「子棄て箱」を提起する意見があった。子どもを育てられない親が子どもを棄てるためのかごをおいてある国があるらしくて、日本もそれをやればもっと気楽に出産できるし、児童虐待するような親は早期に子どもを手放し、問題が深刻にならない、という論旨である。

ダメ親に生まれてきてしまった子どもの人生を子棄て箱になるのか何なのかわからないが、最大限幸福にしてあげるということは同意できるが、そんなにまでして子どもを増やす必要があるのかい?ということに疑問がある。年金だ人口だというから子どもを増やせという議論があるけど、子どもは育つまでは20年前後かかり、その時代にはたくさんの青年は不要になっているかも知れない。その間はむしろ年金受給者と同じくらい保護者世帯を中心に負担としてのしかかる。
子棄て箱を用意する話が最も極論だが、子どもが増えさえすればいいという提案ネタは、下手な鉄砲数撃てば当たるみたいな話で、子どもは増えるけれども、育てる能力の弱い親たちから子どもを粗製濫造させるアイディアでしかない。きちんと育てられなければのちのちたくさんの青年がニート・フリーター以上の社会問題になっていくということなのだ。

子どもを育てる問題は、少子化を切り口にするのもいいけど、少子化対策が絶対化されてはいけないと思う。むしろ質の高い子どもたちをどうやって育てていくのか、それを考えるべきである。
子育ての社会全体のコストを抑えながら次に良質な社会を引き継いでいくためには、少子化プレミアムという考え方を援用し、ポテンシャルの高い子どもを増やしながら、子どもの数は漸次減少し続けていくぐらいがいいという。

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2006.01.27

1/27 障害者がみっともないかね東横イン

東横インが行政の指導にしたがって設置したはずの、身体障害者用の駐車スペース、身体障害者が利用しやすい部屋、点字ブロックなどを勝手に撤去していた。謝罪した社長の弁はこうした施設が「かっこうわるいんだよね」。

あきれたコメントである。障害者に対応できる施設が効率悪いとか、経費がかかる、ならともかく、かっこうわるい、ということは、障害者に対してどのような視点で接客していたかよくわかろうものだ。

東横インなど、価格一点張りで激しい競争を仕掛ける構造改革商法。その影には、社会的責任を放棄した上で成り立つものが多い。GDP世界で2番目の日本で、未だに貧乏が撲滅する対象で、税金もそうだし、様々なコストもそうだが、安いことは一番の福祉だ、という議論がまかり通っている。その結果、こうした障害者でも子連れでも妊婦でも使えるように商業施設が作られるための必要コストが削られ続けているのではないだろうか。

障害者に教わったこと、これから高齢社会になって、高齢によって障害者と同じような課題を持つ人がものすごい数になってくる。障害者の自分たちが生きやすい社会にしないと、高齢者の介護やケアでこの社会は押しつぶされる、と。

私は、勤務先の労働組合で、障害労働者が集まる会議を何回か担当したことがある。会場の下見を手抜きして大失敗し、退職を覚悟したこともある。で、その障害者労働者の会議を誘致するホテルや会議場があるが、どこも一流までいかないが施設のグレードから言って破格の値段で対応してくれて、「私たちの研修の機会にしたいんです」と言ってくださった。
臨機応変の中身でやっている会議の進み具合や参加者の状況を察して、設営、参加者の移動、食事、宿舎の改造、盲導犬が安心してうんちできる場所探しなどを快くやっていただいた。必要以上にサービスが手厚いわけではないが、客の困っていることや、みっともないことにもきちんとサポートしてくれるところばっかりだった。被服やスタイルで差別することはなかった。

それと東横インを比べると、あまりにも志しが低すぎる。親切心から「うちは車いすの人は使えないと思うよ」と言ってくれた宿泊施設はあったが、「みっともない」という言葉は初めて聞いた。トップにこうした感情を持つホテルには安易に泊まりたくないものだ。

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2006.01.26

1/26 与党は野党に懲罰を乱発する

ライブドア事件に関して、ニュースがホリエモンの人生を繰り返し繰り返し放送するが、あまり意味のない情報だ。それによって、天気予報や、道路情報、通勤電車の運行情報などが決まった時間に放送されない害の方が大きい。

自民党が、堀江貴文を担ぎ出した責任を問う民主党の議会質問に懲罰動議を次々に出している。
そもそも国会も地方議会も、懲罰という制度が機能しているのか疑問だ。本来は、議会(立法府)に警察(行政府)を踏み込ませないための自浄のための制度として懲罰があるのに、検察特捜部がかぎつけた政治家を懲罰せず、ほいほいと逮捕させて行政府である検察に差し出し、名誉毀損にも当たらない内容で与党批判をした政治家に懲罰動議を出す、これでは単なる言論抑圧制度ではないか。全く機能していない。小室直樹は、田中角栄を擁護して、刑事事件を起こした政治家を議会で審査懲罰もせず、安易に警察や検察に差し出すことが、三権分立の機能するべき自由社会かと怒りと疑問を投げかけている。

やくざを示談交渉に使って政治資金作りをしていた西村真悟が懲罰されないのに、堀江を担いだ自民党執行部をたかが粉飾だと言っただけの江田五月さんや前原が懲罰されるのが不思議でならない。

地方議会では、ほんとうにびっくりするような内容で懲罰が行われる。マニュアル本では、議会質問での実につまらない言葉の使い方で「言論の府にふさわしくない発言」として懲罰にかけることができると書いている。
今は志木市長になった長沼明氏は、20代の青年議員だった頃、ジーパンを履いてきたなど、つまらないことで繰り返し議会懲罰を受けている(長沼岩根「地方政治家」)。議会少数派や、地域ボス(時には共産党まで一緒になって)たちになじまない議員に対する弾圧に使われている。そうした懲罰をいいように反対派の弾圧に使ってきた地方議員に限って、社会主義批判を一丁前にやり、自由主義社会のすばらしさを高らかに言うからあほくさい。
警察に対する独立・自治を示すために使われる懲罰が、刑事罰を問われた議員の調査能力や懲罰を行えず、
選挙で民主的に選ばれた人を何の罪もなく懲罰にかけようとしているのが、残念ながら日本の議会での懲罰制度の実態である。

戦前、軍部の意向を汲んだ大政翼賛会のごりごりの政治家たちが、西尾末広、尾崎行雄、斉藤隆夫などの言葉の揚げ足を取り次々に懲罰にかけ、軍部をチェックできない議会にしていった。いつになったらまともな使われ方がされるのだろうか。

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2006.01.24

1/24 奴隷が奴隷を働かせて奴隷になる

22時まで開いているある保育園の掲示板では、利用者の間で議論が沸騰している。
その保育園が22時以後も子どもをしばしば引き取りに来ないルーズな利用者がいるらしく、やむにやまれずペナルティーを科したり、退園措置をすることにした。そのペナルティーも時間あたり3000円程度で、年収500万の人の時給を超える程度の水準である。
そのことに対して、競争にもまれて忙しいお母さんから、社会はそうなっていない、ユーザーに従えと怒りの書き込みがスタートしている。

でも、どうなのか。仕事は生活費の源泉だからむげにできないとは言っても、「競争」のためなら、保育園の下園の定刻を守らなくてもいい、相手にもっと働けという。何かが違うと思う。
客であれば何を言ってもいい、相手に何を要求をしてもいい、それに従わない業者は「抵抗勢力」だの「努力の足りない業種」だのありとあらゆる悪罵を投げかけられる。あるいは言下にそれをにじませるような物言いをする。それでいいのだろうか。
それといつから保育園労働者はこんな奴隷労働みたいな立場におかれるようになったのか。労働組合として情けなくなる。

保育園に子どもを預けるだけで精一杯の親の気持ちや状況はよくわかる。よくわかるからこそ、子どもを引き取らせるような言い方ではなくて、保育所のスタッフに愚痴を聞いて貰えるような関係をつくらなければもったいないんじゃないか。

「競争」「努力」そうした主観的な言葉に騙され、脅かされ、何の対抗手段も思いつかず社会のもっと弱いところに同じやり方で圧力をかける、そんな今の若年労働者の忙しくも無力な姿が浮き彫りになるような話だった。
小さな政府型の構造改革はこうした金、仕事、競争のために何も犠牲にして構わないという価値観を蔓延させた。人の命こそまだ大切にしているが、その寸前の、人が人であり、文明的に生きる社会的な命というものをずたずたにした。そうして日本人をどんどん野獣のようにしていくような価値観を推進した、小泉、竹中、宮内義彦、八代尚宏、田原総一郎、草野厚、猪瀬直樹、大宅映子、テリー伊藤、松下政経塾出身者、他人に努力を求めながら、自分たちは互助会組織で勝手なことばかり言い合っている。見るだけでイヤな気分になる。

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2006.01.22

1/22② 日米関係従順度テスト

首都圏に10センチの雪が降って、大雪とのニュース。雪国から引っ越してきた身からすると違和感がある。

●大学入試のセンター試験、英語でヒアリングのICプレーヤーの不調が続発というニュース。
このテスト、そもそも考え方がバグっているんじゃないかと思う。ヒアリングテストに使われたICプレーヤーは再生機能しか付いていない。停止ボタンも巻き戻しボタンもない。ヒアリングとは現実の英語力を試そうというのだから、ほんとうは聞き取れなかったらもう一度話してくれという能力が求められるのに、唯々諾々とICプレーヤーが流す英語を止めることもできずに相手のペースで聞いて直訳して適切に答える。まさに小泉政権の日米関係を模倣するかのようなテストではないか。この再生しかできないICレコーダーによるヒアリングテストは、客に対して過酷な「努力」ばかりを要求する日本の教育業界の思考回路の産物だ。大学入試センターは社会での使用価値のないICレコーダーを何十万台も購入して、他に使い道があるのだろうか。経費の無駄遣いじゃないのか。ICレコーダーの業界と癒着して何かプレゼントされたんじゃないのか。いろいろ疑問が突いて出てくる。

東大からアホ大学まで共通で使うセンター試験なんて所詮、大学の勉強に使う英語力を問えばいいんではないのか。それならペーパー英語でいいんじゃないかと思う。中学高校の6年間で、今の一方通行の学校教育スタイルでは、紙の上での英語力を付けることしかできないのではないか。それを生の英語の理解力なんて問いはじめるから、幼稚園生が必死になって英語を覚える羽目に陥っているのではないか。

話して聞ける英語力を受験で問うことの意味、もっというと、ここまで全てに近い大学で英語を試験に課す意味を問い直してほしいものだ。

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1/22 見直しが始まるか構造改革

朝の討論番組を見る。
ライブドア、耐震強度偽装事件、アメリカ産牛肉の背骨混入という規制緩和の膿を象徴するような事件が3連発で出てきて、珍しく規制緩和派の形勢が悪い。共産党の小池議員の突っ込みが的確。社民党は情報不足なのか、突っ込み不足な感じ。民主は「役所は予算消化ばかりやってきてルールをコントロールする仕事をしてこなかった」と。そうだろうけど、その理屈からどうしたら公務員が減らせるなんて話が出てくるのかわからない。少ない公務員だから予算消化しかできないのであって、ルールのコントロールなら、たくさんの監督業務が必要になる。

がんばった者が報われるだとか、天職を探そうだとか、経済情勢や社会のヒエラルキーの構造を直視せず、主体性の問題にすり替えるとんちんかんな物言いが流行し、そのツールとして規制緩和が推進されてきた。しかしその結果として、今回の事件が起きているし、格差社会や、若年者の挑戦の機会が奪われるパラドックスも起きている。

小さな政府、民でできるものは民で、など美しい言葉と、「抵抗勢力」などという品のない言葉は、根拠の薄い言葉だと気づくのが遅かったのではないだろうか。

朝ちょっとしかテレビを見れなかったが、「ここがおかしい日本の営業」というビジネス書を書いた宋氏が紹介されていた。根性、人情を商売道具にする日本の営業は下品で無意味だ、という宋氏の意見に感じるものがあって、書店に買い求めに行くが無かった。ビジネス書って宗教書みたいだ。そして、横には株の本のコーナーがあって、おとなたちが群がる。株で一発逆転の夢を見るしかないのかなぁ、この社会は。

●東京証券取引所の西室社長がまだ犯罪が立証されていない段階で、ライブドアの株を上場停止するだとか、監理ポストに移行するだとか、少し発言が暴走していないだろうか。こうしてライブドア株の投げ売りを煽ってしまっていいのだろうか。西室社長といえば竹中平蔵の後見人であり、小泉構造改革の推進勢力なわけで、ホリエモンをこれまで礼賛していた勢力だ。形勢が悪くなると手のひらを返している。実業家が政治に深入りして大成したためしはないという話は本当のようだ。

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2006.01.20

1/20 若手の分際でやるべきこと 

風邪かなぁ、と思い、帰宅後寝込むことにした。

ダイエー中内功氏のルポルタージュである佐野眞一「カリスマ」を読む。文学少年だった中内氏が満州、フィリピンの戦地で酸鼻を極める体験をして以来、猛烈な人間になったらしい。過酷な状況をかいくぐってきた自らの戦争を美化せず、インタビューで

前線にまでこんなものを持ってくるアメリカの豊かさに本当に驚きました。斬り込みに行くというと兵はみんな尻込みするのですが、敵の糧秣廠を襲うというと喜んでついてくる。何しろ敵の食糧を奪う以外、食糧調達の方法はありませんでしたからね。
私も兵も喜んだのは、Kレーションという米軍の食糧でした。タテ二十センチ、横十センチ、厚さ三センチぐらいの小さな箱に、ブレックファーストからサパー、ディナーまで三食分ぎっしり詰まっている。
例えば朝食から、コンビーフの缶詰、チーズ、ビスケットから、食事後口をぬぐうナプキン、煙草まで四本ついてくる。それをみたとたん、情けない話でずか、この戦争に勝てるはずがないと、確信しました。
と語る。

中内氏については、ダイエーの再建にあたり、老害的に抵抗勢力として報じられたし、おそらく、GMS(大型総合スーパー)の進化によって、中内氏のトラウマみたいなものは時代遅れになってしまったのかも知れない。しかし、高度成長期に日本全国にGMSが広がったのは、中内氏のこうした原体験、イデオロギーでは飯は食えない、ものを生活者にどんどん流すことだ、と確信したことが原動力だったのだろう。
本書の中で多面的であり、異様でもあり、知識人的でもあり、野獣のような中内氏の姿が面白い。

●民主党の前原が阪神大震災・小嶋喚問の日である1月17日に京都の料亭で民主党の国対幹部(若手議員)と芸者をあげて遊んでいたらしい。本人たちは、お酌をされた程度だ、と回答しているが、民主党若手議員のアナクロな政治体質を物語るエピソードである。杉村太藏であるまいに、無教養な若手議員の分際で芸者遊びなんかするなと言いたい。
話も、勉強会と称して、党内政局の対応策を協議していたらしい。どうせ横路や菅直人についていくもっと若手の議員を恫喝したりパージする算段でもしていたのだろう。そういえば先日、前原が菅直人議員を呼びつけたところもなにやら料亭めいたところではなかったか。

●初当選のときに応援した自治体議員の友人が、この料亭事件で名前の挙がった議員と決別し、民主党を離党したようだ。民主党は衆議院の選挙区支部長がその地域では封建領主より強い権限を持つ。地域でまじめに活動するなら、不真面目な議員のもとで何のメリットもない党員をやっている必要はないと思い、この友人の気持ちを受け止めている。

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2006.01.18

1/18 自画自賛だらけ

けさNHKニュースが、延々とライブドア事件を報道し、昨日の証人喚問についてほとんど報じていなかった。しかも終わり頃になってニュース解説で、伊藤公介や安倍晋三をはじめヒューザーと自民党森派との不透明な関係に言及した程度だが、この時間って、サラリーマンは出勤した直後だし、家にいる主婦は連ドラかワイドショーの始まる前に洗濯機にかかりきりになっている時間。最近のNHK、特に朝夜それぞれ7時のニュースは作為性を感じざるを得ない。

一方、民主党は昨日の国会質疑に自画自賛だという。たしかに馬淵議員の追及は一所懸命だと思うけど、結果から評価すれば、国会対策で補佐人を認めさせてしまったり、司法問題を理由に回答拒否を許してしまったことなど、自賛できる状況ではないだろう。
民主党は、自分のところの党首がおいつめられたり、党の会議やイベントで辛口の意見が出ると党の情報からそれらをすべて表に出ないようにして、党首が愛想ふりまいているところしか伝えない。公明党の支持団体のことを批判できるのかと思う。
民主党には抵抗勢力とレッテルを貼られている連合の方が、評価委員会という限られた場とはいえ、自らの組織に辛辣な意見ばかりだった議論の経過を全面公開している。
むしろ残念だった、と馬淵議員に涙を流させるような演出をして、まだまだ証人喚問をやり続けること、マンションに対する法規制を強化していくことをきちんと訴えるべきではないか。
自民党の世耕がなぜ強いのか、というのは冷静に客観的に自分たちの姿を見ようとし始めたからだ。対して民主党はいまだにうぬぼれだけで結集している。もっと冷静に自分たちの姿を見ることが必要だ。

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1/17② 伊藤公介はなぜ証人喚問されない?

強度偽装マンションを販売し続けたヒューザーやその関連企業から、表献金、パーティー券、裏献金、関連企業の経営などさまざまな便宜を受けた、自民党の土地政策小委員会の前の委員長の伊藤公介代議士の証人喚問が先送りされ続けている。

これまで、様々な政治家が証人喚問を受けてきた。それらは辻元清美や鈴木宗男などが象徴されているように、ほとんどが汚職であったり政治資金規正法がらみだったが、彼らは国民を生命の危機に陥れるようなことはしていないが、それでも喚問は受けている。
しかし伊藤公介は、国民の安全を小額の政治献金で売り渡し、マンションの購入者を死の危険と、詐欺同様の手口で破産の危機におとしいれることに加担した。さらにはその後始末は国民の税金で行うことになっている。このような政治家が証人喚問されないことは全くもって理解に苦しむし、不動産屋に弱い自民党体質そのものだと思う。
国政調査権が国民のものであるなら、政治家同士の政争で喚問するのだから、国民の生命の危機に関することで証人喚問するのは当たり前だろう。

我が選挙区の「おはようございます(しか言わない。それも変な節回しで)」早川忠孝代議士は自民党のこの問題の解明プロジェクトのリーダーらしい。党首が自民党をぶっこわす改革をするというのだから、徹底的にやってほしい。

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1/17 ここは昭和の一年目

正月休み、成人の日と何だか休暇が長期間にわたった上、地域福祉の仕事も連日あったので滞留した仕事を片づける。

半藤一利の「昭和史」を読む。複雑怪奇な太平洋戦争開戦までの歴史を理解するに良書。その複雑でわかりにくい歴史の中から、アメリカに物資が禁輸にされたとか、都合のよい部分をうまく利用して、ネットウヨたちが、日本被害者論や、過去の日本の過ちを過度に正当化しているが、そのインチキさがわかる。やっぱり日本の軍人たちが自分たちの都合のよいことばかりやっていって責任を取らなかった結果として、開戦があり、泥沼化があり、民間人が被害に巻き込まれたのだ。
サラリーマンに人気があって、読書会を開いているなんて話も聞く。今まで週刊誌か、戦国時代か明治維新ものの小説しか流行らなかったこの階層に、冷静に戦争を見据える本が流行していることは喜びたい。

明治維新から40年で立派な国にして、そのあと40年で滅ぼして、また40年で立派な国にしたけど、またダメになっているという半藤の著述がウソに思えないのが恐い。それにあわせると、今はちょうど大正から昭和への変わり目だとすると、うかうかしているとあと7年ぐらいで清く正しく貧しく自由のない暗黒の社会が始まり、20年するときょうびの少子化時代の貴重な赤ちゃんたちが若者になって社会の破局に巻き込まれていく。NHKがまとめたドキュメント太平洋戦争とあわせて読むといい。

菅直人代議士のホームページの日記が最近よい。某野党党首の中国脅威論に対する批判の紹介、某野党の候補者選定基準の批判など簡潔でよい。中国脅威論は戦前の軍部の、候補者選定基準は左派主導時代の社会党の機関中心主義の、2つの悪い歴史を繰り返すな、と思う。

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2006.01.16

1/16 デンジャラスな世界

地域福祉計画で最後まで行政内で調整のつかなかった事項について行政と率直に意見交換する。

都市計画に福祉の需給管理みたいなことを求めて、担当課長と話したが、都市計画、建築関係って、未だにまだ裁量行政と専門家支配が色濃く残る世界だと思った。それでもまちづくり条例づくりがスタートしていることがわかり、これを活用して、せっかく家を買って住んだのに保育所に子どもが入れない、介護施設に入れないそうした悲劇をなくしていきたい。

朝霞ではないが、これまで土木建築関係の政策を問い直した経験では、門外漢にわからないように話す独特の業界内話法、素人には思うだけ夢と抽象言語を語らせて、強引に自分たちの作りたいものに誘導していく市民参加など、なかなかデンジャラスな世界だと思ったことが多い。

●ライブドアに東京地検が強制捜査。東京地検といえば政治犯取締の本部。森派政権になってから、ほんとうによく政敵が捕まる。
ある週刊誌がライブドアの堀江社長が選挙に出た理由として、堀江氏が与党中枢から選挙に出て刺客にならないと証券取引法違反で逮捕すると脅かされたからだ、と先の総選挙直後に報道していた。本当かどうか知らないが、そうだとすれば、与党中枢は約束を破ったことになる。約束の通じない政権である。

フジテレビはライブドアの強制捜査を鬼の首を取ったように報道していた。
しかし、その直後の17歳非行少女のルポはそれこそ法律違反の疑いのある映像満載。父親がごみ箱に冷や水を入れて非行少女に掛けるシーンが出てきたり、父親が有無も言わさず長田百合子のナントカいう戸塚ヨットスクールの生まれ変わりのようなところに預けてしまったり、17歳の非行少女相手とはいえ、児童虐待そのもの。児童福祉法違反の疑いのある映像だった。それをフジテレビは非行少女、両親を改心させた長田の美談のように流していた。
それにしても長田百合子、何か問題があると思う。とにかく客である子や親に偉い。教育産業とカルト宗教はこうした倒錯が成立する。

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2006.01.14

1/14 地殻変動の予兆

きょう夕方、地震があった。ここのところ発生している小さな地震の大半が茨城県南部の霞ヶ浦周辺を震源にしている。すっかり地震は東海沖で起きるものと信じ込まされている首都圏の住民にとって、ノーマークの地域ではないか。少し心配になる。

民主党に動きが起き始めているようだ。
昨日、届いた民主党に助言してきた経済学者からの年賀状では「共和党」に党名を変えるべきじゃないか、というメッセージ。
昨日の朝日新聞で、山口二郎、榊原英輔、田中秀征の3人の論者が3人とも民主党の前原執行部を批判。山口二郎氏はよく決断した批判だと思う。また田中秀征氏はわかりにくいが政治として味のある文章、榊原氏はオーソドックスな政治観からわかりやすく批判している。とても参考になる。
横路氏や小沢氏が地方講演で露骨に前原を批判をしているという情報も出回る。
それを受けて、前原が持論の外交安保で党をまとめられなければ9月の党首選挙には出ないと発言。これはいつものような前言撤回をしないでほしいものだ。
野党第一党と第二党の間には大きな差がある現状、小泉政権あるいは自民党政権の批判は野党第一党に集約されてしまう。公のものである。少しでもよい方向に行くことを期待したい。

●共産党が党大会を終える。前向きにとらえたい興味深いできごとがいくつかあったが、不破議長の引退が残念で行く道が見えない。
不破議長の引退は、野党共闘路線の明確な否定のような感じもある。しかし不破党首が引退理由として「引退すべき幹部が引退せずに」と言ったことは、21世紀の入り口まで続いた長かった宮本独裁体制の弊害を批判したのだろう。その皮肉と左翼業界だけにわかる皮肉が面白い。宮本独裁体制を支えた志位君はともかく、討論番組での優秀な若い議員もいるようなので、この党に自由が入れば随分代わり、少なくとも「死票」ならぬ国会の「死席」的存在ではなくなると思う。
今回の党大会で批判の議論が公表されていることにも変化を感じる。議論が表に出ず、表に出るときには誰もが同じ言葉をオウム返しに言う党だったが、マスコミが取材している中で、公然とした批判を出して議論し路線を決めていく政党になることは歓迎すべきことだ。
そうであっても、民主・社民批判を続けていくのか、民主左派に援護射撃を打ちながら野党共闘を推進するのか、まだまだ読めずにわかりにくい存在だ。

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1/13 変化する行政コンサルタント

午後地域福祉計画市民委員会。そして終了後、新年会。コンサルタント会社の方と話をすると、市民側が作成過程に徹底的に関与した計画づくりに携わったのは初めてで、最初は戸惑いながらも、地域福祉計画づくりの仕事の幅が広がったと喜ばれた。日本のコンサルタント会社のほとんどが土建行政の事務屋の下請けとして育ってきた。だから道路や橋を行政から期待された結果を一ミリとも違わない結論でつくるように仕事をしてきた。そして土建行政が縮小し、福祉や医療の分野が伸びる中で、営業分野を変えてきている。しかし福祉や医療は公共事業のように明確なかたちがない。満足度も千差万別の世界だ。だから、今回私たちのまちにかかわってくれたコンサルタントのように大胆な営業の姿勢を変えないと、生き残るのは難しいだろう。

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2006.01.12

1/12② 大阪市の本質的な問題

大平光代さんが、大阪市の助役を辞め、顧問の就任も断った理由として、自民党・公明党市議団の拒絶にあると報道されている。朝日新聞が大平光代さんに取材していて興味深い。

大平さんは、市議たちの口利き問題を手をつけようとしたところ、それを封じられたと語っている。与党市議たちの利権問題が大阪市問題のほんとうの巨悪だったことがわかってくる。市議たちは1日数千円の費用弁償の返上をもって自己改革したと言い張っているが、口利きで出ていく大阪市の税金は桁がもっともっと大きい。その口利き問題を放置しているのだから、全くもって何をいわんやだ。

この間、小泉首相と武部氏が選挙対策もあって、大阪市の問題はもっぱら市職員のモラル、さらには市職員の労組の責任に集約されてきた。もちろん責任が全くないわけではないが、もっと巨悪があって何かすりかえられているという感じがしてきたところの大平さんの証言である。

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1/12 市役所に出入りする業者は障害者や高齢者を雇え

s868武藤博巳「入札改革 談合社会を変える」(岩波新書)を再読した。
16日に控えた地域福祉計画の市民委員会の行政ヒアリングで、障害者や高齢者の雇用に積極的な企業を評価する入札制度の導入の検討ができないか意見交換する。それにあたり、再確認したいことがいくつかあったためだ。

武藤さんの論旨は、①談合を防止しなくてはならない、②一方で価格競争による入札で公共サービスの提供者側も細ってきている、特に福祉のような労働集約型の公共サービスでは。③入札で質の評価をどう行うのか、④障害者や高齢者の雇用、男女平等、環境への配慮など、コスト高になるが社会の求める政策に取り組んでいる企業にどのようにインセンティブをつけるか、などの観点で、価格一辺倒ではない総合評価による入札制度を提言している。「我々は物を買うときに価格だけで選んでいるだろうか」と武藤さんは言う。
もちろん、談合防止だけについては一所懸命努力している自治体も珍しくなくなっている。そのノウハウは学ぶべきことが多いが、それだけでいいのかという思いがある。また武藤さんは「価格という単一の価値だけで入札を行うから簡単に談合ができてしまう」という。その通りだと思う。
税金を節約しろ、と言う人の多くが、入札を厳格化して価格だけの競争すれば何でもコストが安くなると思っている。しかし、価格だけのものさしだから、喫茶店や入札会場の廊下で簡単な打ち合わせができてしまう。つくるものの質、内容、そして入札参加業者の障害者雇用や環境への取り組みを評価したら、廊下での打ち合わせでの談合はできなくなるし、行政の発注先が公害企業、人権抑圧会社、低賃金労働なんて笑えないような話はなくなっていくだろう。

朝霞市の地域福祉計画づくりでは、障害者の雇用推進を課題にした。日本社会では何より就職することが自立の指標になる。障害者の人権が確立されたことを証明するには、障害者が当たり前に働いている社会づくりを目標を立てて環境を変えたり能力開発をしなくてはならない(もちろん働けない障害者がいるし、そういう障害者も大切にされて生きなければならないが)。
朝霞市役所でできることとして障害者の就職支援もあるが、そもそもの雇用が広がらないと話が進まない。そこで障害者雇用や高齢者雇用をやった企業の入札での評価を求めた。市役所がお金を落とす企業が障害者雇用に取り組んでほしいと思い、その意欲を入札での優遇に求めた。どこまで入札を担当する課に理解されるかわからないが、障害者を働かせずに税金を使うより納税者になってもらった方が、福祉でたくさんのお金を使うより企業や市民の自主的な工夫で改善する方が、長い目で見れば市役所全体にとって効果的だ。

ところで、障害者の自立に力をおいた活動をしているDPI日本会議という障害者団体が長年の取り組みで、課徴金を払ってでも法律で定められた障害者雇用率を守らない企業名を公表させている。DPI日本会議のHP・2000年度障害者雇用未達成企業9012社。このうち厚生労働省は46社しか改善勧告していないという。※この中でソニーは後に改善のための行動に取り組んでいるようです。見直した。

もう1つ。質や内容を評価した入札をする場合も、それをやった市立宮戸保育園の運営委託のように、提案書はものすごい立派でも、現場の指導者の質が追いついていないような問題も発生している。それには、十分な対策が必要だ。ただし、宮戸保育園の委託にあたって、多くの業者が参加した入札が行われたとは聞かない。

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2006.01.11

1/11② 前原民主は中国に宣戦布告するつもりか

昨日、1年ぶりにある穏健派の保守系無所属政治家の秘書さんと会う。9月11日以後の政治情勢について嘆かれ、オリーブの木なるものをきちんとつくることを考えてほしいと言われる。しかし非力な私ではなぁ・・・。

今日の菅直人さんのホームページで前原に諫言したようなことが書かれている。若手だしがらみがないだ、そんなことが誰1人評価しない時代からたたかってきた菅さんの立場から厳しいことを言うべきだろう。たぶん、前原は内心反発してバカにしているんだろう。

共産党が今日から党大会。不破(野党協調)対志位(孤立路線)の暗闘の結果はどうなるか注目。

●民主党の前原は、民主党の公式見解で中国の武力を「現実的脅威」とすることとしている。

一個人が、中国の武力を脅威と感じることを言明しても、どうということはない。1つの議論だ。しかし、政権与党をめざす政党が公言すれば、相手国は国の見解になりうる発言と思うだろう。
しかも外交上、「現実的脅威」という言葉はアメリカがイラクに対して使った言葉であり、取り除かなくてはならない対象を意味する。およそ戦争を覚悟する外交相手ということであり、隠れた宣戦布告メッセージとなる。

当然、この見解で政権を取れば、面子や心の問題である小泉首相の靖国参拝問題よりも日中関係に深刻な事態を与えることになると思う。与党も靖国なら、野党も敵国視しているとなれば、外交での中国カードはなくなり、北朝鮮への圧力や、アジアの安定のための日本の発言力も相当低下することになるだろう。
現在、中国は、反日の江沢民派+李鵬派と、親日の温家宝派とで熾烈な権力闘争が繰り広げられている。その中で、世論もたいがいだが、公党の党首が親日派を孤立させるようなメッセージを送ることがどういうことを冷静に考えるべきだろう。いきがっているのもいいが、国益を考えたら、近隣諸国と富の交換をスムースにできる関係を築くことは重要だ。

そんなことをして何を目指そうとしているのか、その価値がわからない。何の実益も無いようなナショナリズムで自分を慰めている一部の世論が喜ぶだけだろう。国益を損なうこのような「党首」は早急に退陣に追い込むべきだろうが、前原の生殺与奪は民主党議員にしかないことが口惜しい。

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1/11 対症療法もいいけれど

AERAのインフルエンザの記事がよい。アンチタミフル派の考え方を紹介しながら、タミフルが必要な事例も紹介して、バランスがとれている。

一方、厚生労働省やNHKはタミフルでのインフルエンザ封じ込めを過信した情報しか流さない。タミフルを一斉投与すれば感染の広がりが抑えられると宣伝。抑えられないんじゃない!
また、朝日の夕刊では、通勤電車の運転本数を間引けば感染が広がらないと学者が発表。通勤電車に乗らない職種の人はお気楽なものだ。勤務先が閉鎖されない限り、通勤電車の運行本数を間引けばさらに混雑がひどくなり、感染しやすい環境になることがわからないのか。

●連合と日本経団連とのトップ交渉で春闘がスタート。賃上げが標題になっているが、不安定雇用の労働者の賃金引き上げをきちんとやらないと全く意味がない。連合会長はこれまでリストラに協力してきた労働者に配分を、と奥田経団連会長にお願いした。しかし、このメッセージがリストラで生き残った正職員、我々だけに分け前を、と受け取られないように気をつけないとならない。
組合員は自分の給料がどうなることが第一の期待だろう。しかし一方で、労働者の公正な処遇についても、多くの人が期待しているようだ。失念したがある調査で、正職員と派遣労働者との賃金格差はおかしいという人が正職員のうち7割を超えるようになった結果に驚いた。リストラでコストの安い派遣労働者やパート労働者が職場にあまりにも多く入ってきて、職場のモラルや空気が変化しているせいでもあろう。
労働界は、これまで課題にしてきた臨時非常勤パート労働者などの不安定雇用労働者の待遇改善を最優先しないと、再び景気悪化したときに不安定雇用労働者を利用して、正職員たちの労組として特権階級扱いされてしまう。そうした状況を回避する機会にしてほしい。

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2006.01.09

1/9 元党首が民主党を追い出される危険

引き続き「民主と愛国」を読む。学生時代は、社会党右派の歴史を研究したので、1945年から80年にかけての戦後左派陣営の議論の混乱を改めてなぞる。政治からではない、国民運動史の視点での分析は考えのふくらみを与えてくれる。

1945年、社会党はイギリス労働党的な政治勢力をめざす勢力が、幅広い社会主義者に声をかけて作った政党だった。戦前に共産主義者との理論闘争に敗北し政治難民となっていたマルクス主義者も入党した。その頃の社会党は右から左まで幅広い人材がおり、思想の多様性もあり、今の民主党以上の国民政党だったと思う。
それが1960年には、難民入党した人たちが、「機関中心主義」やポピュリズム的人格攻撃で、結党に尽力し声をかけた主たちを追い出すことになる。その結果、世界でも特異な共産主義色の強い社会民主主義政党になってしまった。

保守系の人たちから民主党は社会党的なイデオロギーになると危険視されているが、私は逆の立場から運営や体質が社会党と同じ過ちを繰り返すと思うようになっている。今、民主党は次の総選挙の公認候補を決める作業に最大の力を使ってるが、条件を満たしていないのに公認されている人と、条件を満たしている人なのに公認されていない人との違いがあまりにもありすぎるのだ。多様な考え方を否定し、国民にとっての政権党と並ぶ財産でもある野党第一党を特定の体質に染め上げようとしている。

8日の朝日新聞生活欄で「ゆく年とる年」で、町田の石毛えい子さんが「高齢」を理由に民主党に公認されない、という話を読む。学者をやりながら障害児の普通学級への通学を実現するための活動に奮闘してきた。96年に結党した民主党は、市民発の立法活動を重視し、市民運動も立法活動も政策もわかるバッターとして石毛さんを起用した。そして石毛さんが福祉政策の核になったことで、社民党よりも共産党よりも先進的で、公明党と互角以上に闘える介護・福祉政策を持つことができた。そういう党の商品開発力をおざなりにして、営業力つまり小選挙区で「勝てそう」という若くてマッチョで狡猾なイメージが公認基準になっているようだ。そんな感じだから、2000年以後、民主党の議員の顔が画一的になっている感じがしている。

今の民主党は、政治改革ブーム後に難民となって流れ込んだ人物が党の主導権を握っている。そして民主党を中心的に作ってきたメンバーが、元難民の指導部に迫害され始めている。社会党が15年かけて誤った道を右と左の攻守の違いはあるものの、繰り返そうとしているような感じがしないでもない。

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2006.01.08

1/8 エートスを変える難しさ

借りてきたDVDで映画「カルメン」を見る。成人映画指定されていたが、どう見たらそうなるかと思った。単なる毒婦と身を崩したマッチョの話かとおもったら、19世紀のスペインの近代化の中での、新旧エートスの葛藤の話なんだ。へぇ。

午後は引き続き、拾い読みしている「民主と愛国」を読み続ける。戦後の左翼と右翼のイデオロギー暴露書だ。
教育界が右も左も神学論争好きなのは、戦後、公職追放も農地解放や労組結成のようなドラスティックな構造変化がなかったためだという分析が面白い。また、戦後の左翼教育学者は、反米という前提をおきながら、戦後教育は、民族性を失わせた、教育勅語にならぶ精神的教育が無い、などと強烈に主張し、プラグマティズムを否定していた話は興味深い。

高校生のときに、60年代前半まで共産党員だったという家父長制的体質丸出しの校長と、その高校の教育が有効なのか交渉のような論争をしたことがある。その高校の教育の有効性に議論が行くたびに、GHQが持ち込んで占領期にやっていた「生活単元教育」批判を延々展開し、プラグマティズムが良くない(言葉の裏には俺の教育方針に従って修行していればいいんだ)と、信念の世界に議論を引き込み、私たちの批判を正面から受け止めなかったことを思い出す。

1950年代後半に日教組はそうした左翼民族主義を棄てたようだし、左翼業界も60年安保や全共闘運動で過去の権威の強烈な否定とともに、共産党以外の左翼は民族主義を否定した。そのため今では誰もそんなこと覚えていない。つくる会教科書の編集や採択に躍起になっている復古調の教育学者の過去を調べると、共産党系の教育研究者だった例は珍しくない。源流がそんなところにあれば、超えるハードルは低い。

●恩人のブログで知った情報。鷲宮町で、親の食育の精神をたたき直そうという目的で給食の一部を廃止することが議会で通ったらしい。あほかと思う。
給食をなくすとどのようなことが起こるのか、全く洞察を欠いている。コンビニ弁当持たせればいい方。サプリメントやスナック菓子もいい。ひどい親は何も持たせない。それでいいのだろうか。
食事を作れない親がいてもいいと思う。もし食事を作れない親が問題だ、という設定をするにしても、親を放置したまま、弁当もってこいでは何の解決にもならない。それは食育にならない。
むしろ給食をきちんとさせて、どの子どもに安心を与えること、次に、その給食調理は作りっぱなしではなく、保護者を巻き込んで食事の作り方を伝えていくことが必要だ。
自動車や機械の技術に関しては問題解決する思考能力が高い日本人だが、教育や福祉などの人的サービスに関しては具体策のない根性主義しか出てこないのはなぜだろうか。ひまも金も持て余して道楽でやっている地方議員は、生活で手一杯な若い親たちをよく叩きたがる。

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2006.01.07

1/7 路上禁煙で市が意見募集中

過日、朝霞市が志木、新座、和光の3市と路上喫煙防止を取り組むということで、朝霞市は条例案をパブリックコメント(論点公開と意見募集)にかけている。1月4日から20日までが意見提出期間で、市内に在住、在勤、在学の人が意見提出権を持ち、市の回答は全体に対して行われる。

市がパブリックコメントにかけた朝霞市路上喫煙の防止に関する条例(案)の内容は、①市内の歩道は禁煙するよう努めること、②市が特に決めた区域内は禁止とすること、②禁止区域内での喫煙について、指導、勧告、命令、罰金を科すことができる、というものだ。

路上喫煙は迷惑なだけではなく、特に子どもや車いす利用者にとってほんとうに危険。喫煙者は喫煙で頭がぼやっとしているのか無自覚で、火や煙のやり場に気を遣うことはない。少し感情的だが、知らない人の吐いた煙を吸わされると、愛煙家なら煙を吸い切り吐くなと思ってしまう。
そんな思いで徹底した路上喫煙の禁止を求めたいところだ。そのためには今回、罰金を盛り込んだのは前進といえる。しかしこの条例案でほんとうに実効性が上がるのだろうか。また歩行空間の安全という意味では、もっと総合的な対策が必要だし、喫煙を防止するなら、もっと本人がメリットを実感できるような社会保障制度等での誘導策が必要じゃないかと思っている。

禁煙家の隣の市の市議は、禁煙は賛成だけどこうした強制策は良くない、と言っている(すみません、例に使って)。しかし今、職場のあちこちで職場内に限らず、建物内の禁煙が進められている。その結果として、禁煙や節煙がどんどん進んでいる。外的要因がなければ禁煙は進まないのが現実だ。内発的な禁煙を期待すると、喫煙者を内面の良心を問いつめるような感じでこれも良くないし、偽悪趣味の人は禁煙をしてもらえない。禁煙は、嗜好以前に、他人にとって危険で健康に害するものである、というところからスタートしなければならない。幼女趣味だって、猟奇趣味だって、大蛇の飼育だって趣味や嗜好でホームページや書物をにたにた見ているうちは許されても、他人を害したり恐怖におとしいれたりすることが法律で規制されているように。

私は、条例案に対して、これまでの路上喫煙無法地帯より前進するので賛成としながら、以下の4点で修正や補強を求める意見を提出しようと思っている。
【提出意見の予定稿】
①新聞の報道では、禁止区域が駅周辺などを想定しているようだが、路上喫煙の危険を考えると、バス停、病院、スーパー周辺、学校や保育所など子ども関連施設の周辺なども指定してほしい。
②禁煙指定地内での喫煙者に対して、指導、勧告、命令、罰金というプロセスを踏んだ対応が条例を空洞化させるもので修正を求めたい。提案された条例案では、指導して、勧告して、命令しないと罰金を科すことができないわけで、1人の人間を市役所が執拗に追っかけ回すことができなければ、罰金が科されることはまずありえない。罰金を科さない対応をとった豊島区などの自治体の路上禁煙防止条例が実効性が上がっているとは思えない。現在の条例案では破っても何の不利益もない。指導や勧告などは外し、即時に罰金を取れるような条例にしてほしい。さらには、即時に罰金が高いと、喫煙者が猛烈な抵抗を行い、罰金を科すことができなくなってしまう。千代田区などの例を見れば、もっと罰金の金額は低くてもよいのではないだろうか。
③歩道上の危険行為は、喫煙だけではなく、自転車走行さらには携帯電話を使用しながらの自転車走行、歩道への自動車の駐車、ごみの不法投棄、車道に比べておざなりな道路工事後の歩道の補修など各種ある。歩道の安全確保という意味で、これらの対策も総合的に行ってもらえるとなおありがたい。
④禁煙の誘導策や喫煙に対する予防施策が採られていないこと。喫煙がさまざまな成人病の罹患率を高めており、社会保険の給付増大の原因となる。であれば、せめて市が運営する国民健康保険や介護保険などで、喫煙者の罹患率が高い慢性疾患に対する給付を一部カットしたり、保険料を高くするなど、禁煙に対するインセンティブをきちんとつけていくべきではないだろうか。

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2006.01.06

1/6 ミドルクラスの衣料費(家族計)が年5万?

「自治総研」12月号を読む。熊本学園大学の中村良広教授の「個人所得税課税改革のグランドデザイン」を読む。政府税調の税制改革案への批判で連合の論点に近い。

政府は、月給取りを「優遇」してきた給与所得控除(給与所得者に経費を認めない代わりに一律のみなし経費的なもの)を縮小するという話だが、その計算根拠※1を見てびっくり。サラリーマンが年間に使う衣料費が年収445万以下で12505円、950万円以上で52125円。理容クリーニング代が、年収445万以下で9409円、950万円以上で28199円。つきあい費が445万以下で4538円、950万以上で33939円。文具費が445万以下で920円、950万以上で1665円。しかも、支出額には世帯主以外の家族の分も含まれている、勤務と関係ない支出も含まれている、と注釈してある。こんなことあり得るか、という数字だ。
※1政府税調2004年10月15日資料「図表2 勤労者世帯の年間収入5分位階級別1世帯当たり品目別年間支出金額調」

理容とクリーニングが年28199円だとすると、3500円する床屋に2月に1回行って、スーツを3か月に1回洗濯に出したら終わりだ。死に際の永井荷風じゃあるまいし年収950万円以上の家庭でそんなことありえない。衣料品もスーツ安売り店でスーツ2着買って、下着やシャツを買ったら終わりじゃないか。最低ランクなんか、スーツすら買えない水準だ。でっち上げの数字じゃないかと思う。この数字を根拠に、最低ランクで名目収入の3割、最高ランクで5%の給与所得控除が高すぎると論立てている。

もちろん政府税調が問題にしている給与所得控除は、実際のサラリーマンの経費支出に比べ大きい金額が見積もられている。それは自営業者や農家が、マイカーでも昼食代でも携帯電話使用料も経費として申告し、いくらでも課税所得をコントロールできてしまう(課税所得1000万を超えなければまずほとんど査察は来ない)こととの不公平感を解消するためにそうしている。サラリーマンと自営業者の所得補足率の差が3割と言われていることからこの差をつけてきた。それを否定するなら、自営業者の所得補足率を高めるために自営業者や農家の脱税への罰則強化ぐらいやってほしい。それと、医師の所得控除は7割だ。そのことを、月給取り階級は忘れてはならない。
そういうサラリーマン三代目の階級的な怒りを呼び起こすに値する論文だった。

しかし、この論文では、配偶者控除や、扶養控除などについての廃止にまで疑義を差し挟んでいることが残念だ。経済や税の専門家が、所得税の世界だけでの損得や政策的調整の話をすればそういう話になるのかも知れない。しかし配偶者を大切にしたり、子育てを応援するのは税金だけでやることではないし、もっと効果的な方法があると思う。そうであれば、税金を取り、サービスを充実させるほうが、効果的な社会をつくると思う。

家計から見れば、収入は所得税が勝手に源泉徴収された残りしか手に取ることができない。したがって所得税は払っているんだか払っていないんだかわからないような税金だ。10人のサラリーマンやその家族に会って、月々の税金を言い当てられる人は1人いるかいないかだ。
家計をじっくり検証すればそんな月10000円前後の税金のうち、なにやら控除が増えたの減ったので所得税が数百円が増えたの減ったの言ってもあまり意味はない。それより毎年1000円単位で上がる社会保険料の方が問題だし、安い税金のおかけで不足する社会サービスを補うために、子どもを塾や私立中学に通わせたり、高い無認可保育所に預けたり、生命保険に何万も払ったり、そんなことの無駄の方が大きい。

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2006.01.05

1/5② ただ子ども政策の支出を増やすために

●あるサイトで紹介された「このビンボー人の再生産のシステムを何とかしろ」。ビンボー人ほど携帯電話やパチンコやたばこを辞められず、ビンボーを再生産してしまうのだから、この業界に規制をかけろ、という主張。
差別的で乱暴な議論でところどころ間違いもあると思うが、本質を突いているような気がする。学術的な社会調査の結果はないようだが、あるマーケティングの調査では、携帯電話、パチンコ、たばこに依存する人は低所得者ほど多く彼らの生活を搾取しているような側面もあるようだ。

●来年度は児童手当の拡大で小金持ちの子までにばらまくことになるが、さらに政府は育児手当というもので屋上屋を重ねるばらまき福祉をやるようだ。あわせて乳幼児医療を無料化するという。子育てはお金がかかる、とか、政府支出のうち子育てに使われるものは少ない、という一面的な情報だけをそのまま政策にしただけの話。少子化対策ならまったく的はずれだし、次の世代の子どもたちをきちんと育てるという観点でも愚策だと思う。

私は児童手当をくれるというならもらうが、子どもがいるからと現金給付をすることは愚策だと思っている。金のない親がこの世にいることは知っており、年収200万しかない親にお金をばらまくならまだ理解できるが、今で年収780万、来年度から860万の親がどうして子育てするお金を政府が配らなくてはならないのだろうか。また所得が少ないから子どもをつくらないと言い張る若者がわずかな児童手当や育児手当で行動を変えるとは思えない。低賃金政策を改めるしかないだろう。まして、その使途たるや家計が子どものために支出を増やしているなどという保障は何もない。普通の家庭には特別会計みたいなものはないから証明は難しいが、家計支出の中で増え続ける携帯電話の使用料や、ガソリン代に化けているのではないだろうかと疑っている。
一方、現金給付が一番必要なひとり親家庭には冷淡だ。父子家庭には何の支援策もない。さらに母子家庭へは「児童扶養手当」は毎年どんどん刈り込んで、年収300万でもカットの対象になっている。政府の役割がデパートの商品券積立なのか、リスクカバーのための保険業的存在なのか、もう一度再確認する必要があるだろう。

さらには現金給付するだけの制度を、児童手当だ、育児手当だ、複雑にしてバッチワーク的にやることに問題を感じざるを得ない。今で月5000円の支給のために、数人の市職員が支給申請、支給決定、支払明細の発行、振り込み、年に一度の資格審査などを繰り返している。その裏側には、都道府県や税務署、社会保険庁などと照会業務を頻繁に繰り返している。その事務経費や労力が公共サービスとして妥当なものなのか、ちっとも検証されていない。

乳幼児医療費の無料化も、軽症の子どもが安易に病院に通うようになり、子育て世帯を救うよりも医療業界にお金を流すことになる。それはどうかと思っている。病院に行くと風邪程度での診察で、重篤な子や急性症状の子の診察が犠牲になっているような感じがしてならない。風邪程度でかかっている人に2割程度の自己負担をすることに何が問題があるのだろうか。それより、その財源3000億円をほんとうに重篤な患者や慢性疾患の子どもに集中して使い、辛い彼らが快適で良質な医療が受けられるようにすべきだと思う。

公明党が、子育て支援に取り組んでいるというポーズを示すために、子どもがいるという一点の根拠だけでの現金給付策をぶちあげて、与党入りの公約、つまり政治課題にしてしまったものだから、どんなに効果が無くても自公政権の間は引くに引けない政策になってしまっている。
かつては公明党は「少子化対策臨時交付金」を発案し、子ども支援策をまとめ交付金を申請した自治体にお金を配る施策を実現させた。これによって、保育所不足の自治体では保育所整備が進められ、専業主婦まで含めた育児支援や、子育てサークルづくりに力を入れる自治体ではそうした広い子育て支援策が進められ、各自治体の子育て支援策のポリシーを強める効果があった。優秀な政策だったが、批判もされなかった代わりに、子ども施策関係者以外は誰も評価をしなかった。残念なことだと思う。

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1/5 おきざりにされる保育園に通う子たち

昨日、来客と酒を飲みながら午前様で近況を話し、政治談義をする。なかなか飲めない生活環境の中で、久しぶりにとことん飲んで話すことができた。

●政府・与党自民党が幼稚園を義務教育期間に組み入れ、義務教育を延長することを考えている。与党の公明党もこれを承認しているようだ。私は、幼稚園と保育所の一元化が行われないままに幼稚園への義務化を行うことは、保育所利用をしている保護者に対する著しい不利益政策になること、幼稚園教育や保育所保育が小学校の下請け化する可能性が高いことなどから問題だと思っている。

学校週休二日制の後退案とあわせて、教育水準の低下で不安な世論につけこむような対策のような気がする。より多くの子が塾に行き、行事も減った今の学校が、かつての学校よりなぜ教育水準が下がったのか、それは単に勉強量ではないと思う。義務教育期間を延長したり、子どもにだけ週休二日を否定するような土曜開校を求めたりすることで解決できることとは思えない。
私は、教育水準は量よりも質の問題ではないかと思う。コミュニケーションツールや実社会での人間関係の作り方が変化しているこの時代に、一流大学を卒業して何十倍もの教員採用試験をくぐり抜けた人材に、200年前の産業革命、あるいは150年前のビスマルク流のやり方から一歩も抜け出さないやり方を右も左も文教関係者は押しつけている。技術や内容の質的転換を図らなければ教育水準など諸外国からどんどん切り離されていくと思う。授業時間数をこれでもかこれでもかを増やしたり、早期教育をやればいいというものではないと思う。

今回のこの話の底流にあるのは、自民党森派・文教族による幼稚園産業の救済策ではないかと思う。
若年労働者の所得が下がり続け、家族構造が変わっている。1時や2時に降園する幼稚園は、専業主婦の子しか通わせられない。そのため朝霞市のように子どもが多すぎる市はともかく、たいていの地域では幼稚園が斜陽産業化している。
ニーズの少なくなってきている、つまり利用者からあり方の改革をつきつけられている幼稚園を小学校と連結させて、現行の幼稚園制度に子どもや家族を合わせる施策を採ろうというのであろう。

ここで問題になるのが、保育園に通う子どもたちのことだ。義務教育なら、保育所が幼稚園化しなければならないか、新たに義務教育年齢に編入される子どもたちが保育園に通えなくなるか、どちらかだ。マスコミの報道からは、保育園やそこに通う子たちをどうしていくか、という発想はみられない。
もし、幼稚園の義務教育化が今の枠組みを温存しながら進められた場合、またもや自民党保守政権による、専業主婦家庭のみを優遇し、共働き家庭あるいはひとり親家庭への迫害策となる可能性が高い。
民営化と商業化という、どうかと思うような施策ではあったとしても、家庭と仕事の両立支援として保育所整備を推進してきた小泉政権の方針との整合性はどうなったのだろうか。執拗に保育所の民営化、民間委託、利潤追求の是認を要求され、その一部を飲まされてきた立場としては、納得いかないものがある。

副次的に財政的な裏付けも問題になるだろう。現在でも整備財源と運営費財源の両面から財政が不足し、保育所の整備が遅々として進まないのに、幼稚園教育課程を義務教育に組み入れ、小学校並みに扱うとすれば、現在、公務員の25歳ぐらいの給与が平均給与である私立認可保育所、学校法人の幼稚園の保育士や教諭の給料も小学校教諭並みにすることが避けられなくなる。そうなれば保育所も幼稚園も政府が支出する運営費補助は今の何倍にも拡大することになる。そんなことが可能だろうか。

幼稚園救済策のために、幼稚園の改革や長年の課題である幼保一元化に手をつけずに、安直な文教行政の中だけの「改革」をされることは、納得がいかない。

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2006.01.03

1/3 国民をタダ働きさせる前原誠司

小泉首相の小さな政府に対抗して、前原民主が「低負担高福祉」などと調子のよいことをばらまいている。まずその設定がポピュリズムだ。そのからくりは公務員半減だそうだが、それでそんなにすばらしいことできる財源は残念ながら捻出することはできない。話がうますぎる。鉄筋の少ないマンションが広くて住みやすいという話とそっくりだ。

ポピュリズムの前原民主は、公務員を半減するために、福祉や教育をなど公共サービスの多くをリタイア世代やボランティアを活用するという。それは美談だが、体よく国民をただ働きさせて、最大の社会構造改革につながる年金や専業主婦中心の家庭のあり方を放置することにほかならない。親や塾にお金をもらって、生活のことを考えずにボランティアやれた極楽人間の考えそうなことだ。

【ボランティア依存は時代のねじを巻き戻す】
今のところ公共サービスをボランティアにしても公務員は半減しない。今、特定の大都市以外は、福祉のほとんどのサービスを民間委託している。残っているのは事務職が中心である。福祉を担っている民間団体やごみ収集など環境保全をやっている民間企業の委託費を切り下げろ、ということになる。現状でもこれらの職場の人たちは何歳になっても大卒新人程度の給料で働いているが、それよりもっと劣悪な労働環境にせよと言っているに等しい。

ボランティアをやることができる主婦やフリーターというのは、霞を食べているのではないから、たいていは公務員程度あるいはそれ以上の所得の夫や父に養育されている人だ。高所得者が供出しない善意を税金というかたちで集めて、公共サービスが必要なところに裏付けをもって集中して投下することの方が必要ではないのだろうか。また、そうした主婦やフリーターのうち全員が善意の活動をするわけではないから、彼らの無賃労働に公共サービスが依存することは極めてリスクが高い。高所得者に養われている人の善意にだけ寄りかかっているだけでは全然福祉の裾野は広がらない。夜は活動できないし、専業主婦の「義務」とされている家事労働もある。制約が多すぎる。さらには専業主婦の少ない地方では実現不可能で地域格差もひどくなるだろう。

【高齢者に年金で働かせ若者の職場を奪うのか】
リタイア世代の活用については、彼らが地域活動で元気になってもらうのは歓迎すべきだが、それを福祉や教育や環境保全の主力選手とすることは、年金問題や富の再配分から言っても変な話になってくる。働ける高齢者に年金を配って、無賃労働させることに疑問を感じないのだろうか。むしろ、高齢者であっても働くなら就業の場を作り労働の対価として賃金を支払い、年金支給を保留すべきだろう。年金で暮らせるから、いくらでも「奉仕の精神」でタダ働きしてしまう。そのことでこれからの社会と家庭を担わなくてはならない若い世代が福祉や地域で働く、参入の機会を奪ってしまいかねないと思う。
私はいろいろな地域の活動に首を突っ込んできたが、もっと地域の活動に、主婦や高齢者以外の人たちを入れなくては、いろいろな面から行き詰まると確信してきた。

【契約としての福祉サービスの考え方を後退させる】
1995年から2000年の間に介護保険法や社会福祉法の成立で、慈善事業、要求する福祉、してあげる福祉という供給者サイドの考え方から、自立支援、権利としての福祉、自らつくる福祉という本人の能力開発のための福祉に考え方を転換した。そのために、利用者とボランティアの間に契約の概念を入れてきた。さらには、ボランティアの裾野や責任を広げるために有償ボランティアという考え方が出てきた。これから有償ボランティアから地域の公共サービスを自らの手で作り食べていける社会にしていこうという話になろうとしている矢先、公務員を減らすという口実のもとに、また振り出しに戻されかねないと思う。

私は、市民・有権者が政策決定や計画策定に関わる作業は、無償の市民ボランティアでやるべきだと思う。しかし、公共サービスを現物で提供することは労働と同義であり、責任を持たせたり契約の考え方を貫徹させるためには、たとえボランティアと称しても労働という考え方に近づけなくてはならないと思う。

【役に立つ政府づくりを考えるべき】
公務員や公共サービスの従事者をいくら減らしたかということではなくて、その人たちのうちどれだけの割合が有効な公共サービスをつくり、その水準がどこにあるのか、それを打ち出して自民党に対抗しないかぎり、目先の効率性だけを追い求めている小泉・竹中ラインの政策の方が現実的である。

前原民主は行政改革というと公務員人件費しか目がいかないらしい。改革競争の公務員の減らす数比べだ。だからそれ以外の政策が希望的観測や美談でしかないようなことしか提案できない。どのようにベストな社会を作ろうとしているのか、全く見えない。小泉以上にアメリカでも中国でも韓国にも評価を下げた外交能力だったが、内政もダメなようだ。真の改革競争なんてほど遠い。

【追記・なぜNPOという言葉を使わないのか】
民主党や、自民党や社民党の改革派の議員は、公共サービスをNPOに運営委託したりNPOに民営化することを主張してきたが、ここにきて、前原氏や、その他自称「改革派」の政治家がNPOという言葉を使わずボランティアの活用という言葉を盛んに使い始めているのが気になる。市民社会のありようを、責任もつ自治ではなく、役所を補う無償労働で支えるという価値観に転換したのではないか。

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2006.01.02

1/2 元日に働けという偉いお客さまたち

年賀はがきを送っていただいた方にお礼申し上げます。ありがとうございます。年賀状が少し復活してきているようですね。逆に新年のあいさつメールはほとんどなくなりました。某野党の党首のメールマガジンだけです。

今年からなのか、年賀状が2日に配達されるのには驚きましたが、一方、私製はがきが全然来ません。私製はがきで早めに送ってくださった方がいなかったからなのか、別ルートで後回しにしているのか、わかりません。印刷店の窓口が混雑していたのを見てきたので、私製はがきで出す人が少なかったとは思いにくく、すこしいぶかしい思いです。

年賀状の2日配達はおおむね好評のようです。しかし、ネット上では、73年の労使合意で廃止した経緯をあげつらって、今まで何さぼってきたんだ、という論調が散見されます。何だか嫌な感じです。
最近の、客の要求があるならどこまでも命令を聞けという「お客様」たちの態度はどうかと思います。郵政省が2日配達することの経営の合理性や、従業員たちの有効な労働と休暇のバランスを考慮して決めればいいのでしょう。それと、あいさつ文である年賀状の配達が3日にまわされて、問題があるのでしょうか。
私も遅刻組ですが、1日に配達されたかったら、この日までに出してください、と郵便局は毎年再三再四アナウンスし、年賀状販売窓口でも知らせているのですから、その日までに出せばいいのです。それをやりきらないで文句言うというのは偉いものです。客だからと約束の日までに出せなかったものをすぐ出せというのはずいぶんな態度です。

と、こんなこと言うのも、私も流通業にいたとき、スーパーの正月営業に随分面倒な思いをしたからです。ここ数年、スーパーが当たり前のように元日営業するようになりました。それに対して、商店街や市議会が自粛を求めると抵抗勢力のような言われ方をしてきました。「そうやって商店は努力しないんだ」と。
しかしメーカーが物を作らない正月に、金融機関が閉まっている正月に、物流業者がいつもより配達日数が遅れる正月に、スーパーに納入する業者は欠品をしないように(すればスーパーから逸失利益の補償を求められる)神経をすり減らす思いをします。さらには納入業者のコンピューターシステムは年替わりで思わぬプログラムが障害で止まる危険性も高まっています。そうした危険をいくつもくぐり抜け、開店するメリットって何でしょうか。
確かに他のスーパーが元日営業しないなら元日開店はセールスポイントになりますが、そんなものはすぐ次の年には他のスーパーも真似します。元日開店してもしなくても、全体ではスーパーに人々が落とすお金はそんなに変わりないのに、正月営業しただけ、スーパーもパートのおばちゃんたちも納入業者も物流業者も負担になりますし、電気や水道の無駄遣いになってしまいます。社会全体では労力のすりへらし、エネルギーの無駄を重ねるわけです。ケインズ経済学ではないけども、これはまさに「合成の誤謬」です。

環境問題では豊かになるためにエネルギーの浪費をする社会を何とかしようとしています。豊かにならないのにエネルギーの浪費をする、明らかに不合理です。

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2006.01.01

1/1 施設をもらわないと救急医療をしないのか

新年になる。紅白歌合戦の予告番組がだらだら続いたせいか、食傷気味で、本番を観るのをやめた。結局、原稿執筆など仕事をしてしまう。民放から始まったと思うが、いつからテレビ番組は予告番組をだらだらと流し続けるようになったのだろうか。定時にピシャッと観る緊迫感やありがたさがどこかに行ってしまった。

●市役所の発行する「広報あさか」が届く。少しリニューアルしたみたいだ。

その中で、朝霞地区(朝霞・志木・新座・和光)医師会のお医者さんの執筆している「わたくしたちの健康」というページがある。いつも参考になる情報でありがたいが、今回の医師会長の書いた小児救急医療と災害時の医療についての記事は問題を感じた。
小児救急医療と災害の対応をするためには、医師会が求めている医師会館の建設が必要だと主張する記事になっているのだ。市の広報は政策決定されたもの以外、特定の主張を対論なく掲載することは慎んだ方がよいのではないだろうか。掲載した市役所の問題もあるが、こうしたことを市の広報に無く書いた医師会も問題だと思う。

問題点の1つは、基地跡地利用について議論が神経質になっている今、その1つの案である医師会館についての意義を市の広報で主張したことだ。プレーパークの会や青年会議所などがそれぞれ異なる主張をしているのに市の広報で紹介されてはいない。

もう1つ、その主張の妥当性である。
医師会館がなければ休日診療や夜間小児救急医療や災害救急医療ができないのだろうか。今ある自前の診療所でなぜできないのだろうか。診療所では設備を置けないという理由なら、今ある総合病院がパンクしていたり不備に原因あるわけで、朝霞台中央病院と開業医との役割分担や、朝霞台中央病院の改革や、それでも不足するなら左派の市議が主張しているように市立病院の開設をする方が適切ではないだろうか。
医師会館による夜間・休日医療は、新たに難しい医療だけを行う施設を作り、そこにだけ難しい問題を転送するだけになりかねない。不採算部門ばかりなのでコスト高になるし、問題がおきたときの責任は市だが市は医療知識が無いから謝って金銭補償するだけになる。おととし、関西のある市長を取材した。医師会館が行う小児救急医療のやっていない時間帯に亡くなった子どもがいて、その後の政策対応が市長の就任直後の仕事になっていた。医師会館の小児救急医療の時間拡大を市が求めても、なかなか医師会が対応してくれない、というような話を聞いた。その結果死者が出てしまったのだ。医師会館方式をとるなら、医師会に対抗できる専門知識のある市職員の育成が重要になる。残念ながら現状の市役所では無理だ。

そもそも医師会館本体は何をする場所なのか。現在でも、市の施設である保健センターの一角に医師会の事務局があるが変だと思っている。その上に市のお金を使って医師施設を作れとは過大な要求だと思う。特定団体のためにハコモノを作らないと救急医療をしないという問題設定の仕方は、住民の命を人質に取るような言い方で政治的にも問題が多い。

医師会は10年前からの主張だと書いている。しかし何でもハコモノを造ってきた10年前と自治体の財政事情は大きく変化している。歳入は減りながら、新しい行政ニーズが発生している。またこの間に介護保険の導入や医療制度改革で病院・診療所の役割も変わっている。医師会もハコモノ抜きの現実的な要求に変えるべきではないだろうか。

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