1/28 また少子化対策に戻りつつある議論
朝霞市の次世代計画の進捗チェックを行う委員会の下打ち合わせがあって出席する。次の委員会でチェックする事項をみんなで整理した。
ところで、最近、子育て支援の議論から次世代育成という視点が薄まり、再び少子化対策の視点ばかりに話が戻ってしまった。人口減少だからどうしても少子化対策となるんだろうけど、人口が増えればいいのか?
あるHPで「少子化」と題して「子棄て箱」を提起する意見があった。子どもを育てられない親が子どもを棄てるためのかごをおいてある国があるらしくて、日本もそれをやればもっと気楽に出産できるし、児童虐待するような親は早期に子どもを手放し、問題が深刻にならない、という論旨である。
ダメ親に生まれてきてしまった子どもの人生を子棄て箱になるのか何なのかわからないが、最大限幸福にしてあげるということは同意できるが、そんなにまでして子どもを増やす必要があるのかい?ということに疑問がある。年金だ人口だというから子どもを増やせという議論があるけど、子どもは育つまでは20年前後かかり、その時代にはたくさんの青年は不要になっているかも知れない。その間はむしろ年金受給者と同じくらい保護者世帯を中心に負担としてのしかかる。
子棄て箱を用意する話が最も極論だが、子どもが増えさえすればいいという提案ネタは、下手な鉄砲数撃てば当たるみたいな話で、子どもは増えるけれども、育てる能力の弱い親たちから子どもを粗製濫造させるアイディアでしかない。きちんと育てられなければのちのちたくさんの青年がニート・フリーター以上の社会問題になっていくということなのだ。
子どもを育てる問題は、少子化を切り口にするのもいいけど、少子化対策が絶対化されてはいけないと思う。むしろ質の高い子どもたちをどうやって育てていくのか、それを考えるべきである。
子育ての社会全体のコストを抑えながら次に良質な社会を引き継いでいくためには、少子化プレミアムという考え方を援用し、ポテンシャルの高い子どもを増やしながら、子どもの数は漸次減少し続けていくぐらいがいいという。
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コメント
「少子化問題」は、現在の合計特殊出生率1.24を鑑みると、非常にせっぱ詰まった問題であると思います。出生率向上のために緊急に取れる施策を行政は取るべきだと考えています。
ただ、出生した児童の幸福と活力ある社会の実現のための施策も同時に行わなければなりません。でなければ、出生率向上には結びつかないでしょう。
…鶏が先か卵が先か、の議論になってしまいましたが、私自身は低い出生率が続く社会は、社会全体の活力を維持できないと考えています。
「子捨て箱」で思い出しましたが、東欧革命前のルーマニアでは、かの独裁者チャウセスクが全ての女性に3人以上の出産を義務づけていたとか。育てられない子どもたちのために、孤児院が作られ、孤児院に対する予算不足から大人たちの売血を投与され、かの有名な「チャウセスクの子どもたち」が生まれた訳です。
生まれてすぐ輸血でHIV患者にさせられ、両親のぬくもりも感じることなく苦しみながら死んでいった子どもたちのことを思うと、「出生率向上」は「児童福祉の充実」と両輪でなければならないと、私は出生率向上論者ですが、強くそう思います。
投稿: 窓灯り | 2006.01.28 20:18