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2005.12.30

12/29 理解の壁

文春新書の「黒字亡国」を読む。
貿易黒字が大きいことは、外需に依存し、外国のために働かされている経済であること、稼いだ外貨を円貨に両替しようとすると、為替の関係で円高になり国内の生産体制を壊してしまうこと、などを主張している本。主張には同感するし、マクロ経済学では知られた理屈だが、輸出物をつくるな、外貨を稼ぐなととられるし、内需拡大は大きな政府にすることになるので、政策提言にはなりにくい話だ。

それはともかく、前から思っているが、文春新書は読みにくい。文藝春秋や週刊文春を発行している書店とは思えないような読みにくさである。テーマの割に読みにくい本が多くて、たいていは途中で読書放棄している。
読んで感じていることは、著者と編集者の近辺の人間しかわからないどうでもよい比喩が多いからではないかと思う。無くても支障のない著者のエピソード披露も多く、読んでいる方ががどこまで大事な話なのか考えながら読み進まなければならない。そういうのは編集者がカットしなくてはダメじゃないかと思う。
逆に、書いてあることの理屈がきちんと説明されきっていないし、代名詞が何を指すのか不明確な文章が多い。私は読みやすいと思うのは、中公新書だ。文体は硬いが、無駄が無く説明に過不足がない。ただエピソード紹介などはないので、理屈っぽい人向きかも知れない。次は岩波新書。理由は中公と同じ。参考書や引用がきちんと明示されていて、原典や読書の展開が進めやすい。講談社現代新書はまちまち。分野が違うものは読みにくいかなと思う。題材が面白いのがちくま新書と新潮新書。後発部隊なのに、よく頑張っているとおもう。

●ビデオで「オペレッタ狸御殿」を観る。暴君安土桃山様の息子オダギリジョーが、狸の化身のヒロイン狸姫と恋に落ち、周囲の反対を押し切って、天国で一緒になるという話。
前衛的な表現やしかけがいろいろ面白い。小説やエピソードにちなむ登場人物やお城の名前を使っているので、教養があればその深い意味、文脈がわかってもっと面白かったろうな、と思うが、自分が最近まで文芸書を読まなかったことがいけないんだと反省。
それと、80代になる鈴木清順監督がこのような映画をつくったことも驚異的。
カンヌ映画祭の招待作品だったが、招待してくれたヨーロッパ人にとって狸というのがポピュラーな動物なのか、その狸が人間を化かしながら愛されているという日本的なありようを理解できたのか、不思議な思いをしながら観た。

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コメント

私も近所の本屋で新書だけはよくチェックする。(都内の書店のようにたくさんの新刊が入ってこない)
たしかに文春新書にはいいのが少ないが、新書に限らず著者(と編集者)次第。文春新書で夏頃岸田秀の書いたものは読ませた。
最近では、現代新書、大庭健の「責任ってなに」が読ませた。責任の哲学的考察と現状論が混じっておりバランスが壊れているが、倫理学者の怒りが伝わってきた(それにしても、やくざ社会だね、日本は。昔ッから)。
新書の数がべらぼうに増えてきており、ポップ化したようだ。テーマも数年しかもたないようなのが多い。新書は安い、というイメージがあるが、単行本と比べてそれほど差はない。10分で立ち読みできるようなぺらいのが多い。わたしは、図書館でまとめて10冊以上借りてきて、再読に耐えるものしか買わないことにしている。ネット古書店で単行本を買った方が安くつく。

ところで、現代新書のデザインが変わった。むかしの方が遙かによい。そもそも、日本の本は包装過剰。新書にカバーなどいらない。そのぶん安くしろ。
                                

投稿: 井上 | 2005.12.31 09:05

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