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2005.12.24

12/24 戦後左翼文化人に似るネットウヨ

イイススハリストスの生誕日をあすに控えている。いつもは男女同数のレンタルビデオ店の店員が男だけになっている。若い女性にとって、今日働いていることは屈辱的事態なのかも知れない。

トラックバックをもらう。立川反戦ビラ配布事件の被告は法律で処断されるべきという立場の方である。

ビラ配りを否定する論理として「政治的自由を拒否する自由もある」と書かれている。かつてのソビエト連邦は宗教を弾圧する理由として、「無神論を擁護する自由を守るため」と言っていた。悪質なロジックを感じる。北朝鮮の拉致や戦前の特高警察の取り調べなどの身体的拘束や、ダム建設に賛成しないと仕事をやらないとか、生活権を奪われるような方法で政治的自由を拒否する自由が保障されないときに、法による規制が認められる可能性があると思うが、ポストに入れられるだけのビラに権利侵害が見られるのだろうか。

ビラで脅迫されたり誹謗中傷されたり執拗な訪問や電話勧誘などがあればまさに権利侵害なので脅迫罪など別の法律でカバーされる。権力者でもない反戦活動家の主張なら、こんなバカなこと言っている奴がいる、とごみ箱に直行させれば済むことだ。それは社会的慣習による許容限度内という考え方の範囲ではないか。それを「迷惑だ」というだけで、こんなにアレルギー反応を起こすのかがわからない。まさか反戦ビラをごみ箱に持っていくのが一苦労とか、反戦の主張にPTSDがあるとか、古典的左翼(彼らの言葉で言えばプロ市民と言うのかな)のような証明不可能なこと言うわけではないでしょうね。

ビラなど配らずに「政治的マーケットで競争すれば」というが、選挙にも政治にも関わったことのない机上の理屈だ。人から人に考え方を伝え、共感してもらい、共感してもらう人の中から一緒にやってもらう人をつくっていくことが政治であり、その方法論として選挙がある。ビラ配りはマーケット競争の一手段である。営業活動だって同じじゃないだろうか。マンションにピザ屋のビラ入れが勝手にされるが、執拗にピザを取れ、と電話がかかってくるわけではないので、営業権などの財産権を保障するために認められるべきだと思う。

選挙に参戦するにしても、事前の「政治活動」「後援会活動」のビラ配りが必要だ。それなのに最近は、特定の野党だけに今回の判決のような理屈で逮捕者が出ている。すでにマーケットが新参者に規制を始めている。この逮捕にならって特定の野党以外の政党の候補者もビラ配りをやらない。おかけでマンション住民は地域の政治的事情を全く知ることができなくなってしまった。

ところで、このトラックバックをいただいた方、ご自分は「政治的自由のマーケット」である選挙に出てるわけでもないし、反論しようにもブログのコメント欄は仲間うちだけしか書けないようになっている。それなのに、私のホームページ上に強制的に自分のリンクをつくるトラックバックを送ってよこすとは、ビラ入れ以上に立ち入られた感じがしないわけでもない。たとえて言うなら、犬のション便を自宅前に掛けられてなわばりを主張されたみたいで「迷惑」である。言っていることとやっていることが矛盾するように思うけど、生活に支障がきているわけではないので訴えたりしませんが。反論権もつくらないのにトラックバックなど送るのはやめましょう。

群れて、特定の著述家の主張と同じようなロジックを展開して、権力もない考え方の違う人を執拗に愚弄する。仲間うちはヨイショの互助会。そして敵を愛さない。そんなところに戦後左翼有名文化人たちと共通する、ネットウヨの怠惰を感じざるを得ない。その怠惰のツケは今、左翼文化人が経験しているように大きくやってくると思う。

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コメント

> ビラ配りを否定する論理として「政治的自由を拒否する自由もある」と書かれている。。。、「無神論を擁護する自由を守るため」と言っていた。悪質なロジックを感じる。

 政治的自由を拒否する自由、はあるのか?「ない」と私は思う。現在の憲法は政治的自由を保証している。これは基本権でありいまどき、政治的自由を拒否する、自由を主張する人間というのは 上野動物園行きだろう(貴重な種、といういみ)。是非、その拒否する理由とやらの主張を、ビラにして、わたしんちの郵便受けに(連日の如く)入れて下さい。精読します。

> ビラなど配らずに「政治的マーケットで競争すれば」というが、選挙にも政治にも関わったことのない机上の理屈だ。

ビラだろうと、電波だろうと、モノあるいはエネルギという物理的実体、として配布ことをしなければ「マーケット」は成立しません。選挙シーズンには連日の如く聴きたくもない選挙演説、コマーシャル、経歴放送が流れてくる。ビラどころのハナシではない。拒否する手段もないし、わたしも、そういう放送を止めろとはいわない。法的に保証されているからではなく、その程度のうるささ、は忍ぶ義務があるとおもうからである。
  
ビラ配り、が「不法侵入」とかいう判決を報じる新聞の見出しを見て、裁判所も腐ってきたなあ、と感じた次第。 お疲れなのでしょうか?

投稿: 井上 | 2005.12.28 09:45

井上さま、ありがとうございます。
パチンコ店の騒音や、他人に注文内容が聞こえるような居酒屋の店員のデカい声での復唱、大型スピーカーを載せたトレーラーで町中がなり立てるパレードが売りの祭、そんなことが許容されていて、選挙や政治的主張だけがビラも「迷惑」とされ、学級委員的に細かい法律持ち出して取り締まりが擁護される風土は何なんでしょうかと考えています。

投稿: 管理人 | 2005.12.29 00:16

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