12/23 散逸し薄れる歴史の証言
友人の忘年会があり、出席する。
若者の雇用がほとんどない高知の奥地で選挙に立候補された方が来ていて、現場を踏んで改革すべきものと守るべきものの違いを体感した、という話に感動する。東京で観念的に綺麗な政治を語っても空中戦で、ナショナリズムか観念的平和主義に陥るのが関の山。現場で社会調査的な視点で選挙をやることの意味は大きい。
また、社会民主主義者の友人が、現在、社会党の古老たちのオーラルヒストリーを集めている。その友人が、聞き取りに行った古老たちに社会党の資料を収集する活動をするように促されているという報告を聞く。
戦後保守政治の謎については証言や資料で明らかになりつつある。しかし自民党と役割分担した社会党の戦後政治は公式党史以外の資料は散逸し、証言者たちも平均年齢を超え始め、謎の部分が明らかにならないままである部分が多い。特にここのところ相次ぐ証言者たちの死亡は、証言そのものも消えていくとともに、死後の遺品整理の過程で重要な資料が処分されている。右派社会党と縁の深い大学などの協力を引き出しながら、資料の保存ができないか考えたいという友人を応援したい。
●野中広務「老兵は死なず」を読む。政権をまわし敵とたたかっていく技術に学ぶことが多い。自分の分を知り、可能なところで最善策をとっていくことが情報戦で大事だと感じた。小泉政権への怒りのつぼはほとんど同じ。私も抵抗勢力か。
韓国映画「大統領の理髪師」を観る。朴大統領時代の大統領の理髪師の家族の話。面白いし感動する。時代背景が韓国も独裁政治の時代。その不条理に理髪師の家族が大変な思いをしていく。
北朝鮮ほど過酷ではないが、韓国も相当な圧政をしていた。また金大中拉致事件もあったり統一協会の輸出国でもあってりして、盧泰愚大統領の民主化が始まるまで韓国に対する評価は芳しくなかったと思う。
一方北朝鮮の情報は全く入って来なくて、ソ連や東欧程度の不自由さぐらいにしか思われていなかった。84年ぐらいになって、在日朝鮮人の祖国訪問記の「凍土の共和国」やサンケイ新聞の北京支局長だった柴田穂氏の「謎の北朝鮮」などが発表され、北朝鮮が共産圏の中でもさらに特異で過酷な独裁国家だということが伝わってくるまで、北も南もどっちもどっちの独裁国家というような印象しかなかったことを思い出す。
社会党が北朝鮮に肩入れしていたことは非難されるべきだが、ネット上でみそも糞も一緒に社会党が北朝鮮の手先などと言われると、違和感がある。80年代前半までの北朝鮮の実態についての情報はほとんど無く、韓国の独裁政権との相対的な悪さでしか評価できなかった。その中で北朝鮮の窓口になった議員たちはいろいろ非難されるべきと思うが、多くの社会党議員が証拠も客観的情報もなく北朝鮮を非難し外交関係を絶つことを言うのは難しかったと考えられる。
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コメント
「大統領の理髪師」ですか。見てみたい映画の一つですね。李承晩も朴正熙も全斗煥もある意味独裁政権だったと聞き及んでいます。
韓国映画は「シュリ」と「ブラザーフット」しか見ていない(というか映画を見る習慣がない)のですが、「ブラザーフット」は衝撃的な映画でしたね。目の前で砲弾が破裂するシーンには、圧力と恐怖を感じました。自分には絶対兵隊は向かない、と心の底から感じました。
「ブラザーフット」の中で、国連軍が仁川上陸を成功させ、韓国軍がソウル入城した後に、朝鮮労働党の支援者や関わった人たちをソウル市民が虐殺するシーンが印象に残っています。虐殺された人の中には、食料や生活物資を手に入れるために朝鮮労働党に協力させられた人も多かったそうです。それまで、歴史の陰の部分として語られることのなかったその出来事は、映画のシーンとして白日に晒されました。
韓国、北朝鮮と共に現在も準戦時下であり、戦争は継続しているのです。戦争を継続するためには、不満を抑える独裁体制が何かと都合が良かったと言えるのではないでしょうか。
日本も韓国も北朝鮮も、歴史を直視する勇気を持ちたいものだと思います。
投稿: 窓灯り | 2005.12.24 00:34
政治家、野中は好きな方ではない。鈴木宗男とともにハンナン疑惑(牛肉扱い業、有罪となった)を噂の真相、で読んだからだろうか。
昨日本屋で立ち読みした新刊書評集の一冊に、魚住昭が書いた野中の伝記を紹介していた。そのなかにつぎのような一節があるらしい(記憶によって書くので詳細は実物(魚住)に当たって貰いたい)。
野中が若い頃、連れと一緒に女郎屋に入った。二階に上がったところ、女の顔にケロイドがあった。連れは恐れをなして帰ろうとした。 女郎屋で女を見て帰るのは男のやることじゃない、と野中は 「お姉さん、苦労したのか。戦災でやられたのか」と座り込んで、コンコンと話を聞いたという。
この部分を読み、涙こぼれそうになった、ぞな。野中のことを「部落上がりに首相はできんんわな」と、皇族と縁戚関係のある麻生が言ったようである。
(その女郎も感激し、あのひとはきっと偉くなる、とその後ずっと野中を支持し続けたそうだ。)
投稿: 井上 | 2005.12.28 09:57