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2005.10.31

10/31 部下に責任をおしつける

改革競争、改革続行と大臣にしてもらった政治家が言葉に酔っている。総務大臣が竹中氏になったことは、私の職場にとってかなり厳しい事態になるだろう。さらには、小さな政府推進ということだから、福祉施策全般にかなり厳しい波が襲いかかってくるだろう。

しかしその影でBSEの安全性がよくわからん米国産牛の輸入にGOサインが出されている。アメリカ議会の圧力と、国内のファストフード業界団体の圧力に屈したものといえる。国民に毒肉を食べさせることが構造改革とは、なんとも情けない。外交圧力はともかく、業界団体が鬼の首取ったように喜んでいる姿に、どこが構造改革なのか、郵便局長会がファストフードに入れ替わっただけじゃないかと思う。

この内閣改造での野党各党のコメントがみんな的はずれ。特に民主はあきれたし、社民は伝わらない。共産はマンネリでパンチがない。麻生太郎さんの外相任命は、失言で失脚させるシナリオだろう。外交音痴の小泉内閣での外相はあまり良いポストではない。残るは、谷垣、安倍、福田か。

●問題になっている地域福祉計画の庁内検討委員会の議論を確認するために、市の情報公開の窓口を訪ねる。職員が機動的に対応して望んだ資料は入手できたが、申請をおしとどめさせたり、資料を持ってきた福祉課の職員と窓口で問題点について話しているときに福祉課の職員に助太刀したりして、情報公開制度の趣旨から見ると、この職員のありようは問題があると感じた。
過去にも情報公開や市長への手紙を出して、逆に市役所の裁量行政で不利に扱われたという人の話も聞いたことがあり、こうした職務にあたる職員には職業倫理の確立を求めたい。

福祉課の担当者と話しでは身動きとれない感じだった。そりゃそうだろう。上司が全幅の権限委譲でもしない限り、担当者が直しますとか、各担当課と協議する場を設けます、なんて答えられないだろう。
4月の人事異動後、市民委員会で課長クラスはほとんど発言しなくなった。市民に作業させて結果を無視したり、係長や課長が自らの判断の結果として部下が厳しい事態に立っているときに、責任ある態度をとらないことに、朝霞市役所の体質の問題を感じた。職業人としての基本がなっていない。やはり接遇だけじゃない職員の研修が必要だ。

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【地域福祉計画③】家賃補助制度

市民提案の計画には、家賃補助制度の検討着手を盛り込んだが、これも市役所から「現時点では取り組まない」という回答になって却下されている。おしきせの福祉から選択の福祉に、ハコモノ行政から人への投資にという福祉の考え方の変化、そして地方でできることは地方、という地方分権の考えからは、貧困者の住宅問題を公営住宅に収容する考え方から転換すべきときに来ていると思う。

日本の貧困問題を考えるときに、大きなものは高い住居費である。今でこそ下げられたが官民問わず現業系労働者の賃金が世界水準より高いとさんかに指摘されたのも、住居費が高いため、生活コストが高くなってしまうのである。逆に言うと、貧困者の住宅政策が確立できれば、フリーターや基礎年金しかない高齢者などに対して、自立させていく道筋が立ちやすいということになる。
今の制度だと貧困問題にはオールオアナッシングな施策しかなく、全財産を捨てて生活保護になって貯金も許されずに自立の道を断念するか、健康で文化的な生活を割り込むような(ホームレスなど)生活をするか、親族に寄生するしかない。

貧困者への住宅政策は現在、公営住宅で行われているが、入居条件が厳しく、単身者はハードルが高かったり、入居に地方議員の口利きを利用する人も多く、本当に困っている人に寄り添っているのか問い直すべきだ。さらには、家賃の低い公営住宅を建て続けることに、財政面で問題がないのか、貧困者が公営住宅に集中的に居住することが良いことなのか、考えるべきことは多い。

民間アパートの供給も多く、それを活用し、公営住宅と同水準の入居条件をつくればどうだろうか、そんなことがこの提案である。そして今すぐ実施せよ、ということではない。要求に応じて公営住宅を作り続ける無駄と、家賃補助とどちらが政策効果があるのか、法律的に超えなければならない問題点は何か、生活保護制度の改革をにらみ、地方分権の趣旨に沿って検討してほしいということだ。

朝霞市民には、零細の建設業者も多く、減ってはいるがその会社の寮や契約するアパートが他の地域より多い。そうしたところに住み働く人たちは雇用している会社が倒産すると、収入と住居を同時に失う、それが郊外のホームレス発生要因だと、日本女子大の岩田正美教授は論文や政府の調査などで指摘している。いつ入れるかわからない公営住宅より、そのまま住み続け次の仕事を探すことができるようにすることがホームレス発生を抑える有効手段である。

今後生活保護制度の改革が行われ、今の政府案のままでいけば来年度から住居保護分については交付税化して、地方の裁量で支出するようになる。そうなれば、もっと弾力的な運用が可能になる。地方自治や分権改革をきちんと理解していれば市役所が何を考えるべきか明らかであろう。

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2005.10.30

10/30 朝霞にも進む路上禁煙

午前中はマンションの管理組合の総会。防災対策が急務になっている。その重責を担うことになる。
午後はなかなか手に入らないマニアックな物を求めて上野、人形町を歩いたが不発。

●朗報。朝日新聞西埼玉版で朝霞・志木・新座・和光の4市で路上禁煙が検討中と。全域にするか駅や商店街等に限定するのかは未定らしい。四市でやるべきことと協調して取り組んでいるのがよい。これが実現されれば、通勤経路すべてが禁煙になる。路上喫煙は、子どもにとっても危険だ。違反者にはぜひとも罰金くらい科してほしい。
こんなご時世で、東京では路上喫煙する人が少数派になってきた。昨年、札幌に出張で行って、歩道があまりにも煙いので、いかに東京での路上喫煙者が少なくなったか実感できた。

あとは放置自転車だ。最近、再びひどくなってきている志木駅前の違法駐輪を観察していると、一番多いのは駅前のパチンコ店の利用客のようだ。通勤客が放置自転車の犯人かのように朝だけの取り締まりをやっているが、朝1台も停まっていない自転車が、夕方には百台以上になっているのは、通勤客の仕業ではない。

なお、このパチンコ店、たばこくさい空気を換気するためかドアを開けっ放しにして臭くて迷惑でしかたがない。また店の前に巨大な発光ダイオードの看板を出している。これがチカチカして神経に障るし、先日、頭痛で帰宅したときには、この看板のおかけで吐き気を催した。公害問題になるか検討してみようと思う。

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【地域福祉計画②】福祉サービスに見合う都市開発

市役所が強硬に反対したものの1つに、福祉サービスの量に見合う住宅開発、という項目があった。

端的に言うと、保育園の入所可能児童数、介護施設の入居可能人数、ボランティア活動の層の厚み、それらに見合う人口に抑制するよう、開発を規制すべきというものだ。

現在は、都市計画法の枠しか開発規制がないので、ほとんどスルーパスで住宅もマンションも開発し放題である。その結果、2度にわたるマンションブームでマンションから林立し、新婚や小さい子どものいる家庭が急増した結果、どうしても福祉や行政サービスが必要な世帯だけが流入してくる。具体的には、マンションブームで保育園や幼稚園が朝霞では入れないものになってしまった。

人口が多くて未来が明るいはずの自治体なのに、住んでいる人は不満だらけで、「どこそこだったらこんなこと当たり前だったのに」と言われるようなことになる。その結果、自分の住んでいる自治体を愛しても、積極的に責任を持とうなんて気持ちにならなくなる。

もちろん、その需要を追いかけて保育園や幼稚園を作り続けるという選択肢があるかも知れない。一方的に子どもが増え続けているならそうすればいいかも知れない。しかし日本全体で人口が減っている中で、朝霞市だけが増えるということに持続性があるとは思えない。さらに保育園や幼稚園を作って子どもを育てても、その子が成長した後、都内に出て帰ってこなければ、全くの持ち出しにしかならない。また、土地やマンションを売って自分たちだけお金儲けした人がいて、その尻ぬぐいを市民の共通のサイフである市役所がやるというのもおかしな話だ。

そういう意味で、都市計画で適正人口や適正な流入人口数を想定し、その範囲内でマンションや住宅開発を抑制し、住んだ人に着実に福祉サービスを提供できるようにすることが重要になる。

市役所はできない理由を百と並べる。しかし、建設規制はいかなくても、窓口指導や要請ぐらいをやっている自治体はある。また公共性の高い事業を提供した業者のみ開発を容認するというアメとムチの使い分けだってできる。要は市役所と公的福祉サービスを持続させようという市の熱意があるかないかではないだろうか。

市役所が福祉を混乱させるような乱開発を認めるのは、市として需要と供給を適切に調整して自治体行政を進めようということを放棄して、財産権の名のもとに、一部の既得権益を守ろうとする勢力に加担するものだ。

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【地域福祉計画①】リカレント教育の必要性

今回から何回かに分けて、朝霞市地域福祉計画で、庁内が全否定した項目についてなぜ必要か説明したい。
最初は、「福祉職員のリカレント教育」だ。

地域福祉計画で、朝霞で福祉を事業としている事業者(市や社協も含む)は、職員のリカレント教育(定期的な再教育)を行うよう中間とりまとめでは盛り込んだ。

しかし、27日の策定委員会で出された素案ではカットされ、市職員がメンバーの庁内検討委員会では結論を「現時点では取り組まない」とし、その理由を「ゼネラリストを養成する方向で様々な職場を経験させるようにしている。しかし、より高度で専門家する市民ニーズの対応や、職員のスペシャリスト志向に応える方向で、今後複線型人事制度を取り入れた際には、定期的なリカレント教育の実施を考えていく必要がある」と回答した。

提案の対象は、ホームヘルパー、保育士、保健士、施設職員、児童相談員、民生委員、ケースワーカーなどの資格職を中心にした専門職のことである。
子どもの例しか挙げられないが、80年代ぐらいまでは3歳児神話(3歳までは母親が子育てに全力を注がないと子どもが歪むという仮説)で保育士等は教育されていたが、今は乳幼児に愛情は必要だが注ぐのは誰でも構わない、という考えに変わっている。あるいは親子密着で寝ていると抱き癖が付く、なんて神話もあったが、今は全く正反対の説が言われている。
あるいは児童虐待やDVなどで新しい考え方、新しい守備範囲、情報の扱い方の注意点などがどんどん増え、資格があればいいのだ、というものでも無くなってきている。
また知識だけではなく、福祉を利用する人たちとの関わり方、コミュニケーションの取り方も新たな考え方がどんどん入ってきている。

そういう状況で、資格取得時の知識だけでは福祉の現場で働く人たちが、善意のもとでミステイクをしてしまう危険性がある。その不利益は利用者に行く。乳幼児健康診断の現場で私はそれを体験してしまった。
そういうことを予防するためには定期的に、ドックのように再教育をさせていく必要がないとは言えないだろう。市役所の職員人事の論理のために、ゼネラリストでもない保育士や保健士を放置しておくことは問題である。
最近は行政が「まぁいいだろう」と見逃していたことが、後々その不作為を問われることが増えてきている。そういうトラブルを未然に防ぐ1つの手だてとしても、やらなくてはならない課題ではないか。

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10/29 どっちを向くか障害者施策

地域福祉計画でご一緒している委員さんから誘われ、障害者とも交流するイベントに参加。まだまだよちよち歩きのイベントでほほえましかったが、こうやって障害やいろいろな困難なことを抱えている人が誰かに会う場をつくっていくことは大事だと思う。

帰宅して新聞を読むと、障害者福祉の地域開放に逆行するような動きが起きている。厚生労働省は、障害者のグループホームは推進するけど、今までの施設の中にグループホームを造ってもよい、と提案しようとしている。おそらく施設経営者の利害が絡んでいるのだろう。
グループホームを推進してきた社会福祉基礎構造改革は、人権無視に近い障害者の施設囲い込みはやめよう、障害をもたない人との壁は取り払っていこう、どのようなところに住むかは極力本人の選択し決定させよう、というの趣旨でスタートした。NPOやボランティアなどの支援で、地域で障害者以外とまざって暮らすことができるように道を開いてきた。
しかし、施設や病院が敷地内にグループホームを持ってしまえば、再び施設の客として囲まれてしまうことは目に見えている。それなら今までの施設にいるのと扱いは変わらないし、「自立に近づいた」として使われるお金やサービスが低下するだけだろう。

厚生労働省の障害関係の担当者の質が下がったような感じがする。社会福祉基礎構造改革を担当した官僚たちは理想も高く、最終的な政策効果を考えて動かれていた。感動する言葉も聞いたことがある。
しかし熱心な官僚は出世して官房に取られてしまい、後が続いていない。グループホームが増えれば政策効果だ、国のお金を使わなくすれば自立への支援だ、といったような態度。財務省向けの安直なアピールをしようとして、グループホームの本来的な意義を潰してしまおうとするものだ。

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2005.10.29

10/28 財政のための市民参加の限界

昨日の怒りがおさまらない。見通しが絶望的であるにもかかわらず、あんまり絶望的な怒りではない。それはいろいろな策が思いつくからだ。

自分が公正中立な立場だから最善の判断を下している、というのが本庁にいる公務員の陥りがちなミステイクだと思うが、その論理を正当化しているのが「行政法学」という独特の法解釈だということは、法政大の松下圭一名誉教授が解明している。自治官僚だった鈴木俊一が、日本国憲法で国民主権という概念が入ったときに、その基本原理を希釈しようとして、三権分立を持ち出し、権力の牽制関係を三権の独立性に議論をすりかえ、国民が選んだ立法府が表向き行政府に口出ししにくくした。

爾来、有権者が政府に口出しする表側のチャンネルは閉ざされ、公務員が政府提案の立法を進めることの取引材料として、政治家が口利きで持ってくる国民の要求のみ反映されるシステムとなった。これは公務員も政治家もお互いの権限と独占的地位を利用でき、政権交代もない中で、何らチェックも受けないシステムとなった。たまに会計監査院が重箱の隅をつつくような行政のミスを指摘するにとどまる。

裁量行政というのはそのような特異な環境の中で生まれ、有権者の直接的な意見を聴くことは、偏りとみなされ、一方で有権者や団体の意見を聴くのに非公式な場が重用されている。役所が今日的課題として求められている開かれた場での、市民との連携、横(部課係間)の連携、当事者との対話ということが、国民不在の三権分立の考え方の中でなかなかうまく行かないのは必然かも知れない。公務員試験ではこうしたことが当たり前という行政法学の「正解」を刷り込まれて庁舎に飛び込んでくる。

地域福祉計画でこれまで多くの市職員とヒアリングやおしゃべりで話をする機会があったが、口では市民参加が必要だ、と言っていただける。しかしその本音は「市の財政が立ちゆかなくなる危険性がある」からであり、職員自らが仕事のやり方を変えてみることよりも、自分たちは今までの仕事のやり方のままで、リストラした分は市民を働かせておこうという提案しか出てこない。市民は市役所の奴隷ではないのだからこうした発想はよく考えるとおかしい。
自分たちのまちを自分たちで提案し、話し合い、決め、実行する、という全体像がともなう市民参加がない限り、そして市職員がそうしたプロセスを尊重しない限り、みんなのために力を出そうとする、みんなのために我慢をしてみるという、まちを心の底から大切にする市民感情は生まれにくいだろう。

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2005.10.27

10/27 市民参加とは誰のため

地域福祉計画策定委員会に出席する。会議前に送られた資料が薄く、中間答申でまとめた計画案文が相当削られているようだと思った。
委員会に出席してみてその理由がわかった。市職員だけの「地域福祉計画庁内検討委員会」が、「現時点で取り組まない」と判断したものを、市民委員会に諮らずに、担当課と市民委員会・策定委員会と協議もせずに、福祉課の裁量でカットしたようだ。

そもそも朝霞の地域福祉計画づくりは、全面的な市民参加を唱ってスタートした。100%公募の市民委員によって議論し、調査を行い、起案し、修文してまとめてきた。それを策定委員会がチェックし、決定していくことになっている。本来ならば庁内検討委員会は市民と協働して計画をとりまとめ、策定委員会に提起することになっていた。ところが庁内検討委員会との「協働」はほとんど行われなかった。その結果がこれである。

市民参加であるなら、なぜ「現時点で取り組まない」となったのか、下働きさせられた市民委員会に説明する責任があるだろう。それを怠って、かなり大変であった作業だけ市民に押しつけたことに、憤りを感じている。内容も、あまりにもサービスが不足している分野以外はお金のかからないことに特化して提案した。そのために市役所がお金を使わずに市民や市の既存事業をつなげて解決していくことや、規制の緩和や強化などを求めた。市役所が効果的な市民サービスは何かを考えれば歩み寄れるものを十分検討したが、市役所の過去のしきたり、庁内の人間関係をまずくすること、前例のないこと、などが却下された。

庁内検討委員会は、市民委員会がまとめたものを実行可能かどうか、実行するにはどうのような課題があるか、市民委員会と「協働」して検討することになっている。しかしこれまで市民委員会と一緒に議論したことは1度しかない。それも文案がない段階のフリーディスカッションみたいなものだけである。市民委員会、策定委員会が委員個人名入りの議事録が公開されている。それに対し庁内検討委員会は、議事録も公開されていない。行政の中立性、公平性という名のもとに密室で裁量行政を行っている。

私が策定委員会でこの点を問題を提起して、委員長、副委員長を始め多くの委員がこの顛末に問題を感じ、委員長、副委員長との再協議になったが、市側としてはもはや再調整するつもりはないのだろう。庁内の議論経過についてつぶさに確認しながら、決定経過の不透明性を問題にしていきたい。
当然、福祉課担当職員たちの責任も問題化していくつもりだ。

市民への業務委託を市民参加と称している自治体が増えてきた。人べらし行政改革の中で、あるいは小泉に煽られた公務員が「民でできるものは民」と称して民間委託を推進している。そうしてセンサーとなっている現場の市職員を市役所から追い出し、市民に出入り業者の感覚で下働きさせて、残った命令する公務員だけが安定した職と給料をもらい続けるシステムが評価される。朝霞の地域福祉計画づくりでは、市民に作業を押しつけて作らせたものを市職員どうしでシニカルに批判して、都合の良いところだけ利用する。そんな公務員たちの都合のよい民間委託の実態につきあわされた感じだ。

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2005.10.26

10/26 クルマの従属物なのか子どもは

昨日の朝のニュースで、バンコクの高速道路の渋滞を解消するために料金所の手前で料金徴収員としてアルバイトする子どもの話が紹介されていた。確かに低賃金労働から子どもは解放されるが、交通事故に対する見返りの少ない国で、排気ガスだらけのところでアルバイトさせられることは、屋台で働くことより良いことなのかどうか、考えさせられた。NHKのアナウンサーが、保険に入っているから万一のことがあっても大丈夫だそうです、と明るく伝えていたが、死んでも保険で命は返ってこないし、交通事故死に対する重みが低い国で、支払われる保険金は事故を再発させてはなるまい、というインセンティブが働くようなものではないだろう。

しかし、この万一のときは保険に入っているから大丈夫です、という言葉、確かにそのための保険なんだろうけど、保険金で解決できないことがある、ということを忘れさせる拝金融主義的な言葉で嫌になる。

そして土曜日に聞いたのは、朝霞市内に、中学校・児童館前のガソリンスタンド建設問題が強行されて話題になったその隣に、児童館の利用者のための駐車場を建設する話が浮上しているという。
何か本末転倒していると思う。子どもがクルマを運転するわけじゃないのに、どうして駐車場が必要なのだろうか。親の都合とニーズのために児童館は作られ、運営されているのだろうか。子どもも利用できる公共交通を何とかすることの方が大事じゃないのだろうか。
それと、これには土地の賃借料か取得費用がかかっているはずだ。マイカー利用者のためばかりに税金を使うのはやめてほしい。

バンコクの話にしても、児童館の話にしても、子どもがクルマとクルマを運転できる人の従属物でしかない価値観がある。だから屋台の労働は卑しくとも、危険と隣り合わせの料金徴収員は文化的だとなるし、子どもを抱えて大変な親のためになら駐車場はもっともっと整備されて当たり前、という論理が、児童館周辺を安全な地域にするという論理を超えていってしまうのだ。

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10/25 いきがったところで

民主党の自己批判が前原路線を正当化するためにあまりにも意図的で、客観的ではない。「骨太の対案」とか、使っている言葉が小泉首相側近と同じで、何の目新しさもない。小泉よりの執行部の正当化のための強引な論理展開ではないか。

民主党は、我田引水のものの考え方をしているから、大事な勝負に潮目を見誤るのではないだろうか。
潮目によっては、徹底抗戦も必要だし、風頼みも必要だ。マニュフェストは必要だが、マニュフェストを過信していなかったとは言えないだろうか。そうした変幻自在さが必要で、小泉首相はその点何枚も上手だ。

潮目を見ないつまらないいきがりも民主党の良くないところだ。岡田前党首を評価していたので悪くは言いたくないが、例えば、岡田前代表は政権交代を実現できなければ党首を辞めると言った。党内向けには気迫を示したと思うが、党外には、その程度で辞めるんだ、としか取られていなかった。岡田さんを潰さないように政権交代させるなんてことを国民が考えっこない。そうした主観的ないきがりが民主党には多すぎる。そうして失敗するし、ドジも踏む。

前原路線もそうした無様なオチが見え見えだ。連合や労組と縁切りしてもよい、なんて言って、手ぐすね引いているのは労組の方だ。民主党につきあわされて選挙をやって組織が疲弊している。で、まずいと思ったのか、前原は連合の大会で発言を釈明していたりする。

今のような落ち目のときに、いきがっても仕方がない。民主党は今、選挙やっては景気のよいときとは違い、静かに物を考え、無駄なことを整理する時期に来ている。いつかいきがる時に力を発揮できるように。
民主党が得意していることと、不得意としていることをはっきり見極め、売りどころを明確にした戦略を描くことに力を注ぐことが必要だと思う。

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2005.10.24

10/24 地方都市に地下鉄はつくるな

川崎市の市長に阿部孝夫氏が再選された。
新保守主義の市長なのであまり期待していなかったが、いけいけどんどんだった川崎市地下鉄を店ざらしにしてきたことは評価したい。

川崎市に地下鉄が建設計画がまとめられたのは、南武線の混雑対策で、武蔵野線の府中本町より南の貨物専用線の活用から話が広がってしまったものだ。

武蔵野線の南側はあまり活用されていない。これが使えるようになると、中央線沿線や埼玉県方面からも稲城市、川崎市北部、横浜市へのショートカットになる。旅客転用するためには、放射状に東京から出ている電車と交差する駅にホームを設置すればよい。新百合ヶ丘、武蔵小杉、鶴見駅などに接点ができる。
この構想が進んでいったときに、武蔵野線の南側は地下が多く地下に駅を作るコストがかかるなどの理由で、どうしてそうなるのか、全区間別に地下鉄を作る話になった。

南武線がどうして混雑するようになったのか、混雑が解消できないのか、その原因をきちんと分析したとは思えず、どこからどこまでの客がどれだけいる、という移動の数字だけで計画をまとめたような感じがある。

南武線には多種多様な乗客が流れ込んでくる。1つは沿線住民。それから東京から放射状に出ている各路線間を渡るために利用する乗客、それから多摩地区から川崎、横浜への通り抜ける客、それらがごちゃごちゃに混ざって、駅が多く、速度の低い南武線に集中してくる。
混雑緩和に独立した地下鉄を作っても、利用者は地域住民に限られるが、地域住民は階段も少なく、乗り換えも楽な南武線を使い続けるだろう。不便な乗り降りを耐えられるのは地域の沿線住民ではなく、スピードメリットを感じられる人たちであり、そういう人は、わざわざ単体の地下鉄を利用するとも思えない。武蔵野線の南側の旅客化が一番コストがかからず、効果が高く、そしておもわぬ効果も大きくなる。

なぜ使われもしない地下鉄が地方都市に次々と建設されてきたのか。
地下鉄、あったらいいなぁ、なんて思う住民の純粋な気持ちを利用して、土建屋が儲ける仕掛けなのである。さらにはまた政府系金融機関に巣くう人たちを利するのである。札幌市の交通運賃値上げで市議会で参考人として話すにあたって、いろいろな資料を見たが、地下鉄を経営する自治体は、運賃収入をみな政府系金融機関の金利の支払いに吸い上げられている。彼らの金儲けのために、市民は「地下鉄があったらいいなぁ」と思わされる。そして建設された地下鉄は、遅くて、使いづらくて、利用されることはないのである。それが多くの都市の地下鉄の現実である。札幌市の場合は、借金の残高が5000億円、運賃収入が360億円、金利の支払いが297億円だった。それだけあれば保育園や老人ホームなど、やむにやまれぬ人たちのための施設をどれだけ運営できるだろうか。

それもただその街の人たちが借金背負って苦しんでくれればいいが、地下鉄は9割が補助金や交付税措置で国庫負担になる。川崎市民の欲望が、全国民の負担になってくる。勘弁してほしい。

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2005.10.23

10/23 人生の始末の落差

年末にはレイアウト替えも考えているので、自宅の片づけに着手。しかし、遅々として進まず、ほこりの種になりそうなところの整理を行うにとどまる。

旅先ではきれいに整理整頓して過ごす方だし、山間僻地のキャラバンのように必要最小限の物を持っていき、広げ、最大限捨てるなり、送り返すなりして身軽になる。家では絶対しないが、着終わった洋服は多少泥酔していてもその日のうちに畳むし、バックに詰める。翌日着る下着なども用意しておく。
自分で言うのもなんだが、手際がいいと思う。ぎりぎり朝食食べられる時間に宿を出るようなことが多かったせいかも知れない。

しかし自分の家では全く逆で、片づける時間をすべて犠牲にして他の時間を捻出しているような過ごし方をしてしまう。したがって資料の山、本の洪水。
着終わった服は、洗濯かごに放り込むだけで、洗濯し終えた洋服はハンガーにかけたままベランダから鴨居に移すだけ。そしてただ着られる日を待っている。

資料の整理、地域活動の原稿とりまとめ、日程管理、日中の雑務、それからファッションセンスがないのでそうしたことの助言も含めて信頼できる秘書がほしいなぁ、と思うが、自分の給料の半分以上をつぎこまないとアルバイトであっても優秀な秘書は出てこないだろう。

小泉首相の尊敬する数少ないものの1つに、飯島のような優秀な秘書がいること。飯島秘書官は嫌な奴だしとんでもないけど、派閥も盟友もいない小泉をあれだけ値打ちがあるように見せているのがすごい。中道左派の大物議員は逆のパターンが多い。

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2005.10.22

10/21 勝手にそこらで遊べ子どもたち

次世代育成支援計画「あさか子どもプラン」推進委員会の分科会の集まりがあって市民会館にでかける。

それぞれの持ち場と課題を忌憚無く話せてとてもよかった。子ども会から出てきている委員さんが「むかしはそこら中で子どもが遊んでいたけど、遊ぶところがなくなったのか遊ばなくなったのか、だから子ども会も弱くなってしまった」と話していた。すごく納得。

最近の親がなっていない、という意見が続出。一方で、昔の親は子どもが勝手に遊んでいてくれたので、その分家事ややらなければいけないことができた、今の親はかえって向き合い過ぎだ、という意見がある。私は、子育てに向かない親が子どもに悪影響与え続けるなら、保育園や幼稚園の力を借りて親以外の社会と接点を持つことは重要と発言。

障害児の子育て、特に保育所や学校選びの苦悩の話や自主的な保育をしている人の話もあって、有意義な意見交換だった。

行政の体質も議論もあったが、毎度同じ議論。みんながそう思っているのだから、早く自主的に体質を改めてほしいが、労組もなく、縦割りを克服し、横に風通しを良くすることはなかなか進まないのかも知れない。でもそれでは市の行政サービスがどんどんたちおくれていくし、費用対効果が悪すぎる。

今後、数回話し合い、子どもプランの実行の評価や、計画の具体化のための提言などをまとめ、委員会で審議していく。

●往路は増発された東武バスを使う。4分の遅刻は減点。しかし、赤ちゃん連れが荷物一杯で乗るのを丁寧に待ったり、とってもよい営業姿勢。わずか15分の乗車だったが気分も良く、快適。
自転車で放置自転車問題や自転車事故を起こすぐらいなら、バスをどんどん利用する方がよい。

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10/21② 歴史は繰り返さないで

菅直人氏が団塊党を作るといって、各地の退職予定者たちに接触を図っているらしい。団塊の世代が改めて地方政治に進出するのかと思うと、少し心配でならない。

私の周囲で団塊世代を代表する運動をしている人たちは、味があって決して悪い人ではないが、思考方法が強引で、突撃一番だったり、左翼転じて民族主義者だったり、あるいは神秘主義者だったり、絶対社会を担わせたくないと思うような人が多い。まだ純粋に左翼を続けている人の方が信用できたりする。

団塊の世代を疎外させないということはおおいに結構なことだが、旧民主党の結党時にもみられたことだが、宇宙人というか、不思議ちゃんというべきか、何のために政治家になろうとしているのかわからない人間をかきあつめて、党運営が大混乱し続けたことがあった。団塊の世代は、能力以上に名誉欲が強いので不安だ。

結局、98年までの旧民主党の悪い体質は、党内権力闘争で新進党出身者にこてんぱにやられ続けて整理された。その結果、98年以後の新民主党は、右傾化したし、リベラル的な政治理念がどんどん薄まり、主要政治課題に改憲を掲げる政党になってしまった。そうした歴史は繰り返さないでほしい。

菅氏の妻の伸子さんが「脇が甘い」と叱ったことがあったが、年金未納疑惑といい、若手議員に裏切られ続けたことといい、意欲だけある人を簡単に信用しすぎるきらいがある。

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2005.10.21

10/21 700兆円の借金は返さない

選挙の分析では鋭い切れ味を出し、選挙後の予測では荒唐無稽な展開を提示して面白かった「世に倦む日々」というブログがあるが、最近の小泉政権批判は全然なっていなくて不満だ。

世に倦む日々は、700兆円の国の借金を楯に国民を脅してくる新自由主義に対抗するために「700兆円の国の借金は返せる」という話を強引に展開している。返せる理由として、①不良債権を消化した日本人に国家の赤字ぐらい消化できないわけがない、②東シナ海のガス田を開発すれば一発逆転できる、③インフレと積極財政をとれば働き口ができて生産力が上がる、という3点を挙げている。

この3点は全く実証性のない主張である。①について、銀行の不良債権は、700兆円のGDPやGDPが作る信用創造、現金の流れそうしたもののごく一部である。株価が上がれば消えるし、下がれば浮かび上がってくる。努力で返済したものではない。しかし国会財政の赤字は、税収の範囲でしか返せない。100兆円もの税収が来年から期待できれば返せるが、そんなことはありえない。世に倦む日々の本人が増税に反対しているのだから、論理矛盾な議論といえよう。国民が優秀であるかどうかという民族主義的価値観とは関係がない。

②は、多くの油田を持つアメリカがなぜ中東から石油を買っているのか考えれば、高い日本人労働者の賃金でガスを掘るより、人件費の安い中国人に掘らせて買い取ったほうが経済効果が高いので必ずしもそうとはいえない。ガス田が国営になるとは思えないし、儲けたとて国庫に繰り入れることができるとは思えない。
もっと言うと、これ以上地球からエネルギーを掘り出して浪費し続けないと成長できない経済が良いのかどうなのか、考えるべきだろう。

③植草経済学をヨイショしながら全く原理をわかっていない。がんばって働けば景気が良くなることを前提にしている。その立場は竹中平蔵たちの考えではないのか。

植草経済学は不況下ではがんばって働いても、よけいにお金より物やサービスが圧倒的に余り、働けども働けども首を自らしめていくことになる。個々が頑張ればデフレ不況を悪化させていくという前提に立つ。だから頑張れば報われる、という主観主義的な竹中平蔵や中谷巌と全面的に対立するのだ。
植草経済学は、不況だから働き口がない。不況である限り一所懸命働いても報われない、だから経済政策によって需要創出が必要なのだという立場で、そもそも入り口を間違えている。頑張ったか頑張らないかではない。
植草経済学は優秀だが、それを採用した海部俊樹、小沢一郎、小渕恵三、亀井静香らが、どんな政策効果をもたらしたかと言えば、700兆円の借金を作ってしまったのではないだろうか。経済学の純理論と、政治の思惑とは異なり、植草経済学は、現実対応能力で竹中平蔵に敗北してしまったと言える。

民族主義的な自己過信が根拠のない希望的観測をしているといえる。

もっともこのような説は政権担当者が採用するわけがないが、問題なのはこうした希望的観測が在野の勢力に蔓延し、非現実的な未来ばかり描くことで政権交代が遅れることである。
増税をしないで国の借金を返したい、新自由主義に対抗する社会がすべてバラ色であってほしい、そんな願望から議論を誤っていると言わざるを得ない。

毎回、繰り返すが、そもそも700兆円の借金を返す必要があるのか、という議論から入る必要があるのではないか。返さなくてよい、となれば、教育や自立支援的福祉など北欧でやっているような未来志向の投資ができるわけだ。
まさに世に倦む日々が批判している金子勝=神野直彦コンビは、財政赤字を膨らませることはできないが700兆円の借金を凍結するシステムができれば借換を繰り返し返済する必要はない、と言っている。

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2005.10.20

10/20 失敗もあるしね

大分市が結婚届に離婚手続きに関する説明書を添付したという事件があった。
http://www.oita-press.co.jp/

本気だったらなかなかやるなぁ、と思った。市役所が謝ってもいいけど、受け取った側は実害ないんだから、このミス大目に見たら、と思う。離婚しないで済むような夫婦になればいいことではないだろうか。
朝霞市なんか、離婚なんてあっちゃいけないなんて言って、離婚相談はもちろん、離婚の手続きで紙に書いたものなんかなかったと思う。大分市、地方なのに準備がいい。

現実に2~3組に1組は離婚する時代なんだから、こうした知識をハプニングから学ぶことも良かったかも知れない。離婚手続きがスムーズにできないと、子どもや職業生活に悪影響をいつまでも与える。あっちゃいけないと知らせないことの弊害の方が大きい。

労働運動だって、ものわかりのいい経営者ばかりで、職場で働く人たちが全能感持って働ければそもそも要らないものなのだ。しかし世の中そうはならない。労働者の利害と最も対立する株主だっているし、経営が傾いたり、経営者が堕落しちゃったり、社会環境が変わったり、労働者がいつでもハッピーなんてありえない。だからネガティブに見える労働運動を否定する人がわずかしかいないように、人間、最悪の事態を考えて、いろいろ考えておかなくては、と仕事でミスして周囲に助けていただいた今日は特に思う。

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10/20② 今日の友は明日の敵

自民党には「日本夢づくり道場」という、フリル付きふんどしのような名前の研修会があるらしい。このネーミングはきっと、武部か森喜朗あたりが考え出したんだろうけど。こうした文化があるから自民党を好きになれない。

それはともかく、「日本夢作り道場」で小泉首相は、
「造反してついていった人。倒閣運動だと早く気が付けば、こんなに多くの犠牲者は出なくて済んだ。後の祭りで仕方がない」とあいさつ。「今日の友は明日の敵。戦国時代じゃなくても人間の社会。わきまえながら友情をはぐくむことが大事」と締めくくった。

この言葉を聞いて、共産党の影響力が強かった高校時代がフラッシュバックした。学内政治の上手な教員たちが、飯島秘書官が小泉チルドレンを囲い込んでいるように、生徒や保護者を上手に争わせて使う。友情や人間の信頼をくっつけたり離反させて、学内を統治していた。

小泉政権は、自民党は圧勝した→小泉政権の政策はすべて国民が信任した→小泉政権のエキセントリックな政策であったとしても反対するのは国民の敵、という論法で反対者の口を封じていく。このやり方は、私が高校時代に経験した「学校の敵」「自由教育の敵」という議論であり、中国では「革命の敵」、ロシアでは「人民の敵」という論法である。こうした全体主義的な、人の内面の自由を奪うようなやり方には心底嫌な思いをしてきたので、小泉政権は嫌いだし、それに媚びへつらっている小泉チルドレンや民主党の前原執行部は骨のない連中だと思っている。もちろん共産政権ができたら真っ先に軍門に下っているような連中かも知れない。

今日の友は明日の敵、政治という人が人を従わせるという人類の叡智の上のシステムにはそういうことはありうる。でも私はその変幻自在な人間社会が、昨日の敵が明日の友と言えるようなやり方を求めていいきたい。

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10/19③ 阿片で犬死にした人を悼む

靖国神社の参拝について、賛成する人たちは国のために死んだ人を祀らなくてどうなるのだ、という単純な論建てで正当化しようとしている。ほんとうに国を守るために死んだのか。

先日読んだ佐野眞一「阿片王」を読めば、そんなきれいな話ではないだろう。まさに阿片利権をめぐって中国大陸でイギリス、国民党、軍閥、匪賊、幣、関東軍、中国共産党が入り乱れて争った結末として、日中戦争があり、副次的に「大東亜戦争」・第二次世界大戦に巻き込まれたのだ。そして、靖国が祀っている故人たちは、そうしたおいしい思いをした人たちによって殺されたのだ。

靖国参拝肯定派は、侵略戦争だったかも知れないが世界情勢が日本を戦争に巻き込んでいったのだ、などと言い、悪いことしたけど仕方なかった、というような論調を張る。ロシアがどうだ、石油が止められた、何がどうだと。しかし、現実に関東軍が戦線を拡大していったのは阿片の利権であり、そのことで中国大陸での米英との対立が抜き差しならなくなったという点では、利権のために多くの日本人が犬死にさせられたと言ってよい。現在の貨幣価値で換算して年30兆円も中国大陸から吸い上げて、戦争をしない軍事屋たちはこれを利権化したのだ。またそれだけの利権だから、誰も戦争を止められなかったのだろう。

阿片の利権は戦後日本の復興に大きく貢献した。1つは政財界にばらまかれ、吉田茂に対抗する政治勢力の後ろ盾になった。もう1つは、製薬業界の発展の原動力になり、医療利権の一翼を担い続けている。薬害エイズ事件のときにも、その主犯的企業の出自がそうしたところにあるということは知られたところだ。

その阿片で稼ぎ出した利権はいろいろあったが、現存しているのはただ森派があるわけで、その中にいて、次の首相を狙おうとしている人が、自分たちの出自を隠して、日本人兵士だけを英霊化することは道義的に問題が多いと言わざるを得ない。

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2005.10.19

10/19② 医療の側の改革を

小泉構造改革が筋が悪くとも前より良くなるのか、それとも筋が悪くて世の中どうしようもなくなるのか、その試金石は医療制度改革だと思う。

郵便局の職員や地方公務員、土建業界を叩いても、開業医師に大甘だったのがこれまでの自民党政権だ。年金生活者、生活保護受給者、母子家庭が財政構造改革の我慢を強いられている中で、開業医だけは聖域だ。学費がかかるからと、それだけの理由で開業医の平均年収が3000万が保障される報酬体系になっている。しかも、同じ医師でも寝る間も削る病院医は開業医の半分だ。開業医は窓口を閉じやすい時間に閉じ、受け付けたくない患者を大病院や公立病院に送りつけている。サラリーマンは行けもしない病院・診療所のために毎月2万(会社負担入れると4万)もの保険料を払わされている。

ところが改革を断行するはずの小泉政権は、医療制度改革では医療保険財政の膨脹を抑えるという目標だけだ。政治に泣きつく医療業界に裏金を失った厚生労働省は勝てない。医療も政府も泣かない解決策として厚生労働省は、毎度の自己負担率の引き上げ、免責(最低自己負担額)1000円という案を出してきた。

共産党のように高齢者医療無料というのは反対で、少しでも自己負担はあった方が良いと思う。昔、診療所は無為な年寄りが朝から晩までたむろしていて、そのためどんなに重篤な症状でも診察待ち時間も長かった。年収3000万の開業医つかまえて世間話しても何も問題にならない制度だった。一割自己負担に戻ってから、話し相手を求めていた人は来なくなって、重篤な患者の待ち時間は少なくなった。
それは、一部自己負担の導入が病院は社会的コストがかかっているんですよ、ということを自覚させて十分政策成果を上げたと思う。これ以上自己負担を引き上げても、わずかな下層階級の高齢者が来なくなるだけで、本質的な医療制度改革にはならない。犠牲の割に政策効果が少なく、早期発見ができなくなり、重篤化した患者が運び込まれてかえってコストがかかることになる可能性もある。

そろそろ医療業界にも犠牲を払ってもらう改革を求めたい。その際考えなくてはならないのは、①産婦人科、小児科など手間のわりに報酬の少ない医療をどう再建するか、②物量作戦の治療の報酬が高くなるような医療のあり方をどう変えるか→包括払い制度の導入③長期入院など医療依存状態におかれた患者をどのように社会に帰すか、④コストの安い介護保険制度のサービスとの役割分担を再検討する、⑤病院の人材不足を解消するために開業医と病院医の報酬や役割分担を見直す、などが課題ではないだろうか。そうしたことに対する答えとして自己負担引き上げだけの財政改革ではダメだ。

歯科医をしていた祖父は足を悪くし病院に入院した途端、院内感染であっという間に死亡した。下手に治療するより病気や障害と共存した方が長生きしたかも知れない。英国では医師がストライキをしていた間死亡率が下がったという話もある。何のための医療なのか、誰のための医療なのか、医療業界は真剣に考えてほしい。そして政治をおもちゃのように使う医療業界に物を言えるのは政治しかない。

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10/19 肥満文化の先進地

「下層社会」を読むといろいろな示唆に富んでいる。とくに東上線、常磐線沿線地域のことではないかという分析があって面白い。著者は東京山の手文化どっぷりの中で生きてきているので、それ以外の生活文化に対してやや差別的な視点があるのかも知れないが。

著者が行った消費行動の調査で、千葉・埼玉のある女性の固まり(といっても回答の比率が9.1の倍率しか無いので800人中11人のことだが)の回答が際だっていて、配偶者あり、既婚、専業主婦率が高く、年収は半分が世帯で300万以下、しかし持ち家比率は高い。そして大卒が皆無。この層は消費行動に特徴があって、

良く行く飲食店は、マクドナルド90.9%(平均67.5%)、ガスト63.6%(31.0%)、サイゼリア54.5%(40.6%)、ロッテリア36.4%(9.6%)など低価格訴求の店が上位を占める。
ふだんからよく食べるものとしては、チョコレート81.8%(56.9%)、ハンバーガー72.7%(33.5%)、アイスクリーム72.7%(49.7%)、ポテトチップス63.6%(37.1%)・・・(中略)・・・また食べ物にもとる条件として「ボリューム感」が45.5%(25.9%)、「後かたづけのしやすさ」が36.4%(23.9%)と他のクラスタよりも多めである。

このほかにも、小売店がセブンイレブン、ローソン、ユニクロ、マツモトキヨシ、ファミリーマート、ヤマダ電機、ケーヨーD2、ゲオなどが他の層より群を抜いて高い比率を示している。

志木駅に初めて降り立った人は、居酒屋とサラ金とパチンコ屋のばかでかい看板しか並んでいない駅前商店街に圧倒される。その派手な駅前の割に、歩いても風俗店はもちろん、バーすらも数店しかないのだ。この調査結果はまさにそうした地域性を表した住民文化の現れかも知れない。アメリカのファーストフードの脂肪肥満文化の食い物にされている地域になりかかっているのかも知れない。

大手の看板のデカい店が並んでいると街が発展しているように見えてしまう。格差社会の食い物にされている層というのがコミュニケーション力が低いというような言説があるところからすると、自分の言うことを聞いてくれるかも知れない小規模なお店を丹念に開拓するより、大手で安くて目立つ看板が出てややこしくない店に居場所を感じてしまうのかも知れない。

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10/18 志木駅にエレベータ設置へ 

VDT労働が心を追いつめることを実感する。自分以外、誰も追いつめていないのにね。

●朗報。志木駅のホームにエレベーターが付く。これで志木駅は完全に段差を解消できる。東武鉄道の英断に感謝したい。
エスカレーター設置ばかり先行して、エレベーター設置がたちおくれてきた東武東上線も、近年急行停車駅を中心にエレベーター設置をどんどん進めている。

交通事業者にとって、メリットが実感しにくいこうした設備投資が進んだのも、交通バリアフリー法の成果でもあるし、そこにもっていった、ノーマライゼーションを訴えてきた障害者団体などの熱心で命がけの行動があったからだと思う。運動に取り組んだ方が「障害者ためだけのエレベーターなんかいらない。我々が動いて誰もが楽になる社会をつくるのが目標だ」、という言葉に心を動かされたこともある。
札幌の障害者運動はラジカルで、市役所に発言力を持つ町内会長に働きかけて、「●●町の最寄り駅にもエレベーターついていた方がいいでしょ」と、障害者よりも地域住民の便利さを強調してエレベーター設置を進めた。今でも首都圏には残っているが、カギのかかった「障害者用エレベーター」という発想をそもそも否定したのだ。

そして、私自身が腰痛になったり、父母の加齢、同世代の育児などを見ていると、障害者だけのためのバリアフリーではないし、みんなが同列なスタート地点に立てるための社会基盤だと思う。あと、駅構内の売店などの納入業者の労働安全や危険回避のためには、エレベーターはあったらいい(今、志木駅のエレベーターは業者に使わせていないみたいだけども、階段を大きな荷物担いで上り下りするのは危険。使ってもらいたい)。

ただし、エスカレーター、エレベーターの設置はもちろんいいことだが、そもそも設置しなくてもよい駅のつくりにする方法もあるだろう。川越駅や朝霞駅など待避線のないような駅は、昔の駅のように階段なしでホームにあがれるままにしておいた方が無駄がなかったのかも知れない。

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2005.10.17

10/17 対抗軸を考えさせられる

●小泉首相が靖国に参拝。参拝したという行為は消えるわけじゃないから、中国や韓国との関係悪化は避けられないし、首相としての参拝にしては腰砕けで、中途半端な行動でしかない。全く得策ではないし、政治の結果責任ということからすると、何も良いことはない。ただし、民主党の制御にはいいかも。新自由主義でタカ派で民営化信仰なのに、靖国参拝だけは反対している前原に得点を上げさせる効果はある。この点で民主党内左派は前原の足を引っ張りにくいので、小泉よりの政策の合意をつくりやすくなるかな。

●先の総選挙で踏みとどまったドイツ社民党は、首相をキリスト教民主同盟に明け渡したものの、重要ポストを占拠。すぐやけのやんぱちのような行動しか取らない日本の野党よりずっとずっと大人だし立派だ。

●イタリア左翼連合「ユニオン(旧オリーブの木)」が統一首相候補の予備選挙を支持者に行う。全国9700ヵ所の投票所で支持者400万人が参加した。その結果、最大政党の左翼民主党のブロディー氏が選ばれる。議員だけの選挙で誰も知らない党首が選ばれ、それが未来の首相候補として押しつけられるより、こうして有権者参加で党首を選ぶことができればと思う。特に、投票所があることが素晴らしい。
野党連合の売り込みにもなったのではないか。自分たちの選んだ首相を勝たせるためにはどうしたらよいか、有権者の脳みそにきちんと記憶が刻まれるだろう。
戦後45年、イタリアと日本はよく似た政治体制が続き、同時期に同じような政治改革に取り組んだ結果はイタリアの方がはるかに優れている。日本は選挙制度の改革と中選挙区時代の自民党と同じく世代交代で乗り越えただけだったが、イタリアは左翼政党はきちんと自己批判し、行動パターンを改革し、イデオロギーを変えながらも、右派連合にきちんと対抗できる政策やスタンスを持っている。日本にはこれがない。小泉首相との違いが見えない。

民主党が党首選挙で支持者投票をやったことがあったが、届いた投票用紙はがきはバーコード入りの実質記名投票。宗教団体(干渉したのは労組とか言われたが、個人宅に届く投票用紙に特定の人の名前を書かせることができるのは今や宗教団体しかない)票の干渉で、世論調査と大きく異なる結果となったことがある。

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2005.10.16

10/15 議員は勤め人と同じ年金に

我が家の近くの東武バス路線が増発。3時間に1本が2時間に1本程度になる。1.5倍に。公共施設に通うことが増え、このバスが増えるといろいろできるなぁ、なんて思っていたのでうれしいニュース。いままで減便が続いていたので、廃止は時間の問題だと覚悟していたが、逆になる。可能な限り利用しようと思う。
回送バスを利用した路線名ので多くは望めないが、せめて1時間に1本まで増えたら使えるが。

●朝のNHKの紀行番組を見ていたままテレビをつけっぱなしにしてたら、日曜討論を見てしまう。
議員年金の廃止問題で、民主党の鳩山が「とにかく廃止」を主張。それに対して公明党の冬柴幹事長の意見が筋が通っていたように思う。与党の議員年金の廃止案は、共済年金または厚生年金に統合していく案である。それに対して民主党のただ廃止をして、政治家の年金を国民年金一本の丸裸にする案だ。
民主党の案だと、100万も稼いでいる国会議員が1万3千円の年金しか払わず、老後は最高でも月7万程度の年金しか受け取れない。結果として、政治家の半分ぐらいは老後、生活保護受給者になるだろう。そうなればフリーターの未来と同じく100%公費の年金生活者になる。

国民は政治家にお金使うのはもったいない、という意識が強くて、議員の側も議員になることに必死で年金にまともに向き合ったこともない(そういう人たちが年金を議論するからおかしくなる)。鳩山は「民に厳しいことをお願いしていかなければならないから、まずは政治家が襟を正さないと」と言っていたが、年金のない引退議員が襟を正せるのか。

政治家の生活保障は、きちんと出すか、利権で裏から出すかの違いしかない。表から報酬を過度に削減したり、生活できない年金にすれば、鳩山のような不労所得が潤沢にある人でなければ、労組・業界団体にたかるか利権に群がるしかない。それが政治の改革になるのだろうか。

政治家が貯金するためには悪いことしなければ不可能だ。すべての年金を剥奪したとき、老後の生活費を顧問料などで集めるためにいつまでも利権にしがみつくようになり、議員引退後も実権を握って政治ブローカーになるだろう。公共事業の弊害と一緒で、政治家に年150万の年金を払うために、5000万の利潤を民間企業にバラ泣かなくてはならない。5000万の利潤をばらまくために、6億円の公共事業を用意しなければならない。

さっさと引退してもらうためにも、普通の人並みの年金制度が必要だ。

今の議員年金は廃止しても、議員はサラリーをもらって農業か不動産業以外は兼業が不可能な勤め人と一緒なんだから、勤め人と同じスタンダードで社会保障を考えるべきだ。つまり年金は共済年金、厚生年金と統合するのが一番妥当な解決策だ。もちろんそうすると国庫負担がある。でもそれは雇用主責任で、今の青天井に給付にあわせて国が赤字を負担する議員年金制度よりは良い。

議員年金廃止の民主党の考えは、前原民主党の乱暴さが表れる議論の1つだ。

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2005.10.14

10/14 当事者との対話

クルマ社会を問い直す会の会合に出席する。交通事故被害者の家族が話する。
昨日、政府が初めて交通安全施策のための公聴会を開いた。6人の公聴人のうち、3人の公聴人が交通事故被害者だったという。クルマ業界、警察、保険業など業界団体しか相手にしていなかった交通安全政策。ようやく被害者やその家族が参加する場が持たれた。政府の英断を評価して、今後もこのような対話を繰り返し、航空機以上の安全を実現してほしい。

帰宅後、政治家をめざしている友人が引退を伝えてきた。突然やってきた2度目の選挙、逆方向にしか吹かない有権者の風、そんな思うに任せない選挙の結果は厳しいものだった。
ずっとふんばってきたのを知っているので寂しい気持ちだが、裃を脱いだ一市民として生きることのできる大切な時間がやってくると思って、これからやってくる幸せな日々を楽しんでほしいと思う。
今後も選挙区の地に踏みとどまって、新しい仕事を探すという。その気概がうれしい。

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10/13 層化していく風景

1日伝票とにらめっこしながら帳尻あわせをする。

●今月末、有楽町線にも女性専用車が入ることになる。しかも一番便利な上り電車の最後尾がそれになる。痴漢がいることがそもそもいけなくて、被害予防の選択肢として女性専用車があるというのはわかるが、一番便利なところに女性専用車を置くことにあまり納得できない。もっとも混雑がひどくて私は使わない車両ではあるが。

●三浦展「下流社会」を読む。読み終えた本が書類の山に埋もれて見つからない。とにかく健全な中産階級はこの日本から消えつつあり、年収400万未満の無教養でファーストフードや郊外型スーパーだけで生活する人と、年収1000万以上の高学歴を再生産する層とに分化するらしい。そのどちらにも付けない商売はこれから廃れるらしい。通勤電車なんか典型的な例かも知れない。
あと、下層団塊ジュニアの5Pというのがあって、パソコン、携帯電話(phone)、プレステーション、ペットボトル、ポテトチップスを愛用しているとそうだという。なるほど。
下流社会におちていく若者は、「自分らしさ」を大切にし、寝てばかりいて、自分を安売りして生活満足度が低い。だから瞬間的な幸福感を得られるカーニバル的なノリが大好きで、サッカーや小泉ブームに熱狂的になる。

結婚は階層固定化しているという話が面白かった。題材は宮台真司。エンコー少女だブルセラだといろいろ言ってきたのに、そうした少女の身元保障をするわけではなく、結婚した相手は大学教授の清純そうな若い娘で、宮台真司の生い立ちそのものだったという事例には笑えた。
篠田節子の「百年の恋」というドラマ化された小説があって、主人公の年収200万のライターが年収6000万の外資系金融機関で働くキャリアウーマンと電撃結婚し、主夫生活に入るという小説。三浦の説では、年収が低くてもライターという知的労働だからありうることで、単純な肉体労働や、もっと苦労が見えにくい工場労働者だとキャリアウーマンが相手として選ぶことはほとんどありえない。

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2005.10.12

10/12 市民のふりをして潜入する利権

朝霞市の基地跡地利用の市民検討委員会の委員募集(定員100人)に160人以上が応募。何があったのだろうか。

もともと基地跡地利用については市民の関心が高い。財源をどうする、既存のまちづくりとの調和をどうする、ということを置き去りにしながら、夢物語ばかりが膨らんでいる。それというのも朝霞市は埼玉県の同規模の都市に比べ、野球場、陸上競技場、老人ホーム、図書館、公民館を基地跡地につぎつぎに作り、あたかも基地跡地が都市基盤づくりの玉手箱のような役割を果たしてきたからだ。

しかし、今回の基地跡地利用は難しい。今までのように財務省が安価で貸与することはありえず、あくまでも市価での貸与または譲渡になる。あまりにもおおぼらを吹きすぎると、他の自治体のように公共事業で首が回らない自治体になる危険性がある。

ところで、跡地利用の市民委員会にどうして160人もの人が応募したのか不思議でならない。福祉にしたって、子ども政策にしたって、みんな切実だし関心があるし文句言うのに、そうした委員になろうという人は桁が2つ違う。役所が文句言う市民にまで声掛けて、やっと2桁に乗っている状態だ。

私は10年前、札幌駅の再開発の市民ワークショップに出席したことがある。小グループでワークショップをやるのだが、一緒になったメンバーのうち私ともう一人の中年男性以外はみな土建屋か行政コンサルの社員。他のグループもそんな感じだった。8割は再開発で儲かる人たち。彼らはどうでもいい態度で議論をされるし、自分たちの仕事に不利な意見が出てくると、「極端な意見ですね」なんて言われる。そういうシーンが各グループで繰り広げられ、最後には各グループでなされたどうでもいいやりとりを発表させられた。それを行政と公共事業業界お抱えの建築学者が「うるおいのある、親しみのある、やすらぎのある駅前づくり」と強引にまとめてしまい市役所にフリーハンドを与えてしまった。そして、いくつかの肝心なことは全く省みられることはなかった。
札幌駅は高架化するときにそっくり北側にそのまま駅をつくってしまった。そのためJR駅が地下鉄駅と200メートルも離れてしまい、乗り換えにはものすごい歩かされるようになった。また地下鉄駅は高度成長期のもので、バリアフリーに全く対応しておらず、それらと一体的に改築すべきだと言ったら、「極端な意見ですね。違う意見も尊重しましょう」と土建屋連合に一蹴された。で、何ができたかと言えば、長い距離歩かされる人がお金を落とすためのデパートであり地下街だった。

この思い出が今回も再現しないで欲しいと思う。基地跡地開発は土地と税金がからむ朝霞市では最大の利権が動く事業である。それが役所や土建業者、基地跡地を自分たちの商売道具にしようとして虎視眈々としている業者の回し者で圧倒されてはならないと心配でならない。
160人の委員の過半数に善良を求めたいが、どういう仕事をしている人たちなのか情報公開を求めたい。

また多すぎる委員で利権を議論することがいいのか疑問でもある。行政コンサルタントの手のひらで、本当に異議を唱える人はまず少数派だろう。そうした人を特殊な意見とか、相手の意見を尊重しない人などと言いながら、雰囲気やレッテル貼りを利用して強引に運営するようなことが100人の会議ともなると可能になる。多くの人はやじ要員でしかないからだ。根回しされた何人かの意図ある委員たちで話の段取りが固められていることもありうる。心配でならない。

●福島県が郊外型スーパーを規制するという。拍手を送りたい。
スーパー業界、特にイオン・ジャスコは憲法まで持ち出して猛反発しているようだが、道路整備、土地用途区分の見直し、水道整備、公害の処理、犯罪の誘発など、郊外型スーパーは無軌道な営業に対して、あまりにも自治体(税金)に無用なコストを押しつけている。失業や廃業、コミュニティーバスの運行、買い物ボランティアの確保なども含めれば多大な間接コストも払わされている。そうしたものを行政任せにしている以上、開業規制されるのは当たり前だ。営業の自由の尻ぬぐいを自治体がさせられるのはあまりにも異常だ。
国民の義務や責務ばかり言いたがる財界が、自分たちの無軌道な自由に何ら反省しないで、改正提案までしている憲法を持ち出すところが情けない。

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10/12② ベビーシッターを考える

97年に改正された児童福祉法によって、各自治体でスタートした保育ママ(ベビーシッター)が各地で整備されている。多様な保育として歓迎されている。
しかし、先日、この保育ママによる虐待事件が起きた。ベビーシッターという制度はあった方がよいが、子育ての本質的な機能を考えると、保育施設を基軸にした保育を中心に施策を進めた方がよいとやはり思った。

少し昔だが、アメリカで、ベビーシッターによる児童虐待が常態化している、というニュースに触れたことがあって、いくつか示唆を与えられた。もちろん日本人とアメリカ人との感情の表し方に大きな違いがある、ということは割り引きながら。
密室で一人きりで保育するということである。保育者に相当な力がなければ厳しいと思う。保育所の保育士よりもずっといろいろなことを自力で解決する力がなければつとまらないと思う。
それから、アメリカの場合、保育士は蔑まれる仕事のようで、女性にとっての3K労働の象徴だ。アングロサクソンには教育を高く評価しても子育てを蔑む価値観も後押ししている。
他に仕事があるような人はなかなかやりたがらず、言語コミュニケーション力にハードルの多い移民が担っていることが多い。また、日本のように公的な補助がないため、保護者が払えるお金の範囲でしか報酬は払えない。したがって、一丁前の人件費を取れるような仕事にはなりえない。

また、子育てにとって、家庭内でベビーシッターと向き合い続けることがどうなのか、という感じがしないでもない。私は、子どもは子どもどうし育つことを基本にすべきだと思っている。親が知識としての生活習慣や人間関係を教え込むよりも、子どもどうしの子ども社会で