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2005.10.31

10/31 部下に責任をおしつける

改革競争、改革続行と大臣にしてもらった政治家が言葉に酔っている。総務大臣が竹中氏になったことは、私の職場にとってかなり厳しい事態になるだろう。さらには、小さな政府推進ということだから、福祉施策全般にかなり厳しい波が襲いかかってくるだろう。

しかしその影でBSEの安全性がよくわからん米国産牛の輸入にGOサインが出されている。アメリカ議会の圧力と、国内のファストフード業界団体の圧力に屈したものといえる。国民に毒肉を食べさせることが構造改革とは、なんとも情けない。外交圧力はともかく、業界団体が鬼の首取ったように喜んでいる姿に、どこが構造改革なのか、郵便局長会がファストフードに入れ替わっただけじゃないかと思う。

この内閣改造での野党各党のコメントがみんな的はずれ。特に民主はあきれたし、社民は伝わらない。共産はマンネリでパンチがない。麻生太郎さんの外相任命は、失言で失脚させるシナリオだろう。外交音痴の小泉内閣での外相はあまり良いポストではない。残るは、谷垣、安倍、福田か。

●問題になっている地域福祉計画の庁内検討委員会の議論を確認するために、市の情報公開の窓口を訪ねる。職員が機動的に対応して望んだ資料は入手できたが、申請をおしとどめさせたり、資料を持ってきた福祉課の職員と窓口で問題点について話しているときに福祉課の職員に助太刀したりして、情報公開制度の趣旨から見ると、この職員のありようは問題があると感じた。
過去にも情報公開や市長への手紙を出して、逆に市役所の裁量行政で不利に扱われたという人の話も聞いたことがあり、こうした職務にあたる職員には職業倫理の確立を求めたい。

福祉課の担当者と話しでは身動きとれない感じだった。そりゃそうだろう。上司が全幅の権限委譲でもしない限り、担当者が直しますとか、各担当課と協議する場を設けます、なんて答えられないだろう。
4月の人事異動後、市民委員会で課長クラスはほとんど発言しなくなった。市民に作業させて結果を無視したり、係長や課長が自らの判断の結果として部下が厳しい事態に立っているときに、責任ある態度をとらないことに、朝霞市役所の体質の問題を感じた。職業人としての基本がなっていない。やはり接遇だけじゃない職員の研修が必要だ。

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【地域福祉計画③】家賃補助制度

市民提案の計画には、家賃補助制度の検討着手を盛り込んだが、これも市役所から「現時点では取り組まない」という回答になって却下されている。おしきせの福祉から選択の福祉に、ハコモノ行政から人への投資にという福祉の考え方の変化、そして地方でできることは地方、という地方分権の考えからは、貧困者の住宅問題を公営住宅に収容する考え方から転換すべきときに来ていると思う。

日本の貧困問題を考えるときに、大きなものは高い住居費である。今でこそ下げられたが官民問わず現業系労働者の賃金が世界水準より高いとさんかに指摘されたのも、住居費が高いため、生活コストが高くなってしまうのである。逆に言うと、貧困者の住宅政策が確立できれば、フリーターや基礎年金しかない高齢者などに対して、自立させていく道筋が立ちやすいということになる。
今の制度だと貧困問題にはオールオアナッシングな施策しかなく、全財産を捨てて生活保護になって貯金も許されずに自立の道を断念するか、健康で文化的な生活を割り込むような(ホームレスなど)生活をするか、親族に寄生するしかない。

貧困者への住宅政策は現在、公営住宅で行われているが、入居条件が厳しく、単身者はハードルが高かったり、入居に地方議員の口利きを利用する人も多く、本当に困っている人に寄り添っているのか問い直すべきだ。さらには、家賃の低い公営住宅を建て続けることに、財政面で問題がないのか、貧困者が公営住宅に集中的に居住することが良いことなのか、考えるべきことは多い。

民間アパートの供給も多く、それを活用し、公営住宅と同水準の入居条件をつくればどうだろうか、そんなことがこの提案である。そして今すぐ実施せよ、ということではない。要求に応じて公営住宅を作り続ける無駄と、家賃補助とどちらが政策効果があるのか、法律的に超えなければならない問題点は何か、生活保護制度の改革をにらみ、地方分権の趣旨に沿って検討してほしいということだ。

朝霞市民には、零細の建設業者も多く、減ってはいるがその会社の寮や契約するアパートが他の地域より多い。そうしたところに住み働く人たちは雇用している会社が倒産すると、収入と住居を同時に失う、それが郊外のホームレス発生要因だと、日本女子大の岩田正美教授は論文や政府の調査などで指摘している。いつ入れるかわからない公営住宅より、そのまま住み続け次の仕事を探すことができるようにすることがホームレス発生を抑える有効手段である。

今後生活保護制度の改革が行われ、今の政府案のままでいけば来年度から住居保護分については交付税化して、地方の裁量で支出するようになる。そうなれば、もっと弾力的な運用が可能になる。地方自治や分権改革をきちんと理解していれば市役所が何を考えるべきか明らかであろう。

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2005.10.30

10/30 朝霞にも進む路上禁煙

午前中はマンションの管理組合の総会。防災対策が急務になっている。その重責を担うことになる。
午後はなかなか手に入らないマニアックな物を求めて上野、人形町を歩いたが不発。

●朗報。朝日新聞西埼玉版で朝霞・志木・新座・和光の4市で路上禁煙が検討中と。全域にするか駅や商店街等に限定するのかは未定らしい。四市でやるべきことと協調して取り組んでいるのがよい。これが実現されれば、通勤経路すべてが禁煙になる。路上喫煙は、子どもにとっても危険だ。違反者にはぜひとも罰金くらい科してほしい。
こんなご時世で、東京では路上喫煙する人が少数派になってきた。昨年、札幌に出張で行って、歩道があまりにも煙いので、いかに東京での路上喫煙者が少なくなったか実感できた。

あとは放置自転車だ。最近、再びひどくなってきている志木駅前の違法駐輪を観察していると、一番多いのは駅前のパチンコ店の利用客のようだ。通勤客が放置自転車の犯人かのように朝だけの取り締まりをやっているが、朝1台も停まっていない自転車が、夕方には百台以上になっているのは、通勤客の仕業ではない。

なお、このパチンコ店、たばこくさい空気を換気するためかドアを開けっ放しにして臭くて迷惑でしかたがない。また店の前に巨大な発光ダイオードの看板を出している。これがチカチカして神経に障るし、先日、頭痛で帰宅したときには、この看板のおかけで吐き気を催した。公害問題になるか検討してみようと思う。

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【地域福祉計画②】福祉サービスに見合う都市開発

市役所が強硬に反対したものの1つに、福祉サービスの量に見合う住宅開発、という項目があった。

端的に言うと、保育園の入所可能児童数、介護施設の入居可能人数、ボランティア活動の層の厚み、それらに見合う人口に抑制するよう、開発を規制すべきというものだ。

現在は、都市計画法の枠しか開発規制がないので、ほとんどスルーパスで住宅もマンションも開発し放題である。その結果、2度にわたるマンションブームでマンションから林立し、新婚や小さい子どものいる家庭が急増した結果、どうしても福祉や行政サービスが必要な世帯だけが流入してくる。具体的には、マンションブームで保育園や幼稚園が朝霞では入れないものになってしまった。

人口が多くて未来が明るいはずの自治体なのに、住んでいる人は不満だらけで、「どこそこだったらこんなこと当たり前だったのに」と言われるようなことになる。その結果、自分の住んでいる自治体を愛しても、積極的に責任を持とうなんて気持ちにならなくなる。

もちろん、その需要を追いかけて保育園や幼稚園を作り続けるという選択肢があるかも知れない。一方的に子どもが増え続けているならそうすればいいかも知れない。しかし日本全体で人口が減っている中で、朝霞市だけが増えるということに持続性があるとは思えない。さらに保育園や幼稚園を作って子どもを育てても、その子が成長した後、都内に出て帰ってこなければ、全くの持ち出しにしかならない。また、土地やマンションを売って自分たちだけお金儲けした人がいて、その尻ぬぐいを市民の共通のサイフである市役所がやるというのもおかしな話だ。

そういう意味で、都市計画で適正人口や適正な流入人口数を想定し、その範囲内でマンションや住宅開発を抑制し、住んだ人に着実に福祉サービスを提供できるようにすることが重要になる。

市役所はできない理由を百と並べる。しかし、建設規制はいかなくても、窓口指導や要請ぐらいをやっている自治体はある。また公共性の高い事業を提供した業者のみ開発を容認するというアメとムチの使い分けだってできる。要は市役所と公的福祉サービスを持続させようという市の熱意があるかないかではないだろうか。

市役所が福祉を混乱させるような乱開発を認めるのは、市として需要と供給を適切に調整して自治体行政を進めようということを放棄して、財産権の名のもとに、一部の既得権益を守ろうとする勢力に加担するものだ。

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【地域福祉計画①】リカレント教育の必要性

今回から何回かに分けて、朝霞市地域福祉計画で、庁内が全否定した項目についてなぜ必要か説明したい。
最初は、「福祉職員のリカレント教育」だ。

地域福祉計画で、朝霞で福祉を事業としている事業者(市や社協も含む)は、職員のリカレント教育(定期的な再教育)を行うよう中間とりまとめでは盛り込んだ。

しかし、27日の策定委員会で出された素案ではカットされ、市職員がメンバーの庁内検討委員会では結論を「現時点では取り組まない」とし、その理由を「ゼネラリストを養成する方向で様々な職場を経験させるようにしている。しかし、より高度で専門家する市民ニーズの対応や、職員のスペシャリスト志向に応える方向で、今後複線型人事制度を取り入れた際には、定期的なリカレント教育の実施を考えていく必要がある」と回答した。

提案の対象は、ホームヘルパー、保育士、保健士、施設職員、児童相談員、民生委員、ケースワーカーなどの資格職を中心にした専門職のことである。
子どもの例しか挙げられないが、80年代ぐらいまでは3歳児神話(3歳までは母親が子育てに全力を注がないと子どもが歪むという仮説)で保育士等は教育されていたが、今は乳幼児に愛情は必要だが注ぐのは誰でも構わない、という考えに変わっている。あるいは親子密着で寝ていると抱き癖が付く、なんて神話もあったが、今は全く正反対の説が言われている。
あるいは児童虐待やDVなどで新しい考え方、新しい守備範囲、情報の扱い方の注意点などがどんどん増え、資格があればいいのだ、というものでも無くなってきている。
また知識だけではなく、福祉を利用する人たちとの関わり方、コミュニケーションの取り方も新たな考え方がどんどん入ってきている。

そういう状況で、資格取得時の知識だけでは福祉の現場で働く人たちが、善意のもとでミステイクをしてしまう危険性がある。その不利益は利用者に行く。乳幼児健康診断の現場で私はそれを体験してしまった。
そういうことを予防するためには定期的に、ドックのように再教育をさせていく必要がないとは言えないだろう。市役所の職員人事の論理のために、ゼネラリストでもない保育士や保健士を放置しておくことは問題である。
最近は行政が「まぁいいだろう」と見逃していたことが、後々その不作為を問われることが増えてきている。そういうトラブルを未然に防ぐ1つの手だてとしても、やらなくてはならない課題ではないか。

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10/29 どっちを向くか障害者施策

地域福祉計画でご一緒している委員さんから誘われ、障害者とも交流するイベントに参加。まだまだよちよち歩きのイベントでほほえましかったが、こうやって障害やいろいろな困難なことを抱えている人が誰かに会う場をつくっていくことは大事だと思う。

帰宅して新聞を読むと、障害者福祉の地域開放に逆行するような動きが起きている。厚生労働省は、障害者のグループホームは推進するけど、今までの施設の中にグループホームを造ってもよい、と提案しようとしている。おそらく施設経営者の利害が絡んでいるのだろう。
グループホームを推進してきた社会福祉基礎構造改革は、人権無視に近い障害者の施設囲い込みはやめよう、障害をもたない人との壁は取り払っていこう、どのようなところに住むかは極力本人の選択し決定させよう、というの趣旨でスタートした。NPOやボランティアなどの支援で、地域で障害者以外とまざって暮らすことができるように道を開いてきた。
しかし、施設や病院が敷地内にグループホームを持ってしまえば、再び施設の客として囲まれてしまうことは目に見えている。それなら今までの施設にいるのと扱いは変わらないし、「自立に近づいた」として使われるお金やサービスが低下するだけだろう。

厚生労働省の障害関係の担当者の質が下がったような感じがする。社会福祉基礎構造改革を担当した官僚たちは理想も高く、最終的な政策効果を考えて動かれていた。感動する言葉も聞いたことがある。
しかし熱心な官僚は出世して官房に取られてしまい、後が続いていない。グループホームが増えれば政策効果だ、国のお金を使わなくすれば自立への支援だ、といったような態度。財務省向けの安直なアピールをしようとして、グループホームの本来的な意義を潰してしまおうとするものだ。

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2005.10.29

10/28 財政のための市民参加の限界

昨日の怒りがおさまらない。見通しが絶望的であるにもかかわらず、あんまり絶望的な怒りではない。それはいろいろな策が思いつくからだ。

自分が公正中立な立場だから最善の判断を下している、というのが本庁にいる公務員の陥りがちなミステイクだと思うが、その論理を正当化しているのが「行政法学」という独特の法解釈だということは、法政大の松下圭一名誉教授が解明している。自治官僚だった鈴木俊一が、日本国憲法で国民主権という概念が入ったときに、その基本原理を希釈しようとして、三権分立を持ち出し、権力の牽制関係を三権の独立性に議論をすりかえ、国民が選んだ立法府が表向き行政府に口出ししにくくした。

爾来、有権者が政府に口出しする表側のチャンネルは閉ざされ、公務員が政府提案の立法を進めることの取引材料として、政治家が口利きで持ってくる国民の要求のみ反映されるシステムとなった。これは公務員も政治家もお互いの権限と独占的地位を利用でき、政権交代もない中で、何らチェックも受けないシステムとなった。たまに会計監査院が重箱の隅をつつくような行政のミスを指摘するにとどまる。

裁量行政というのはそのような特異な環境の中で生まれ、有権者の直接的な意見を聴くことは、偏りとみなされ、一方で有権者や団体の意見を聴くのに非公式な場が重用されている。役所が今日的課題として求められている開かれた場での、市民との連携、横(部課係間)の連携、当事者との対話ということが、国民不在の三権分立の考え方の中でなかなかうまく行かないのは必然かも知れない。公務員試験ではこうしたことが当たり前という行政法学の「正解」を刷り込まれて庁舎に飛び込んでくる。

地域福祉計画でこれまで多くの市職員とヒアリングやおしゃべりで話をする機会があったが、口では市民参加が必要だ、と言っていただける。しかしその本音は「市の財政が立ちゆかなくなる危険性がある」からであり、職員自らが仕事のやり方を変えてみることよりも、自分たちは今までの仕事のやり方のままで、リストラした分は市民を働かせておこうという提案しか出てこない。市民は市役所の奴隷ではないのだからこうした発想はよく考えるとおかしい。
自分たちのまちを自分たちで提案し、話し合い、決め、実行する、という全体像がともなう市民参加がない限り、そして市職員がそうしたプロセスを尊重しない限り、みんなのために力を出そうとする、みんなのために我慢をしてみるという、まちを心の底から大切にする市民感情は生まれにくいだろう。

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2005.10.27

10/27 市民参加とは誰のため

地域福祉計画策定委員会に出席する。会議前に送られた資料が薄く、中間答申でまとめた計画案文が相当削られているようだと思った。
委員会に出席してみてその理由がわかった。市職員だけの「地域福祉計画庁内検討委員会」が、「現時点で取り組まない」と判断したものを、市民委員会に諮らずに、担当課と市民委員会・策定委員会と協議もせずに、福祉課の裁量でカットしたようだ。

そもそも朝霞の地域福祉計画づくりは、全面的な市民参加を唱ってスタートした。100%公募の市民委員によって議論し、調査を行い、起案し、修文してまとめてきた。それを策定委員会がチェックし、決定していくことになっている。本来ならば庁内検討委員会は市民と協働して計画をとりまとめ、策定委員会に提起することになっていた。ところが庁内検討委員会との「協働」はほとんど行われなかった。その結果がこれである。

市民参加であるなら、なぜ「現時点で取り組まない」となったのか、下働きさせられた市民委員会に説明する責任があるだろう。それを怠って、かなり大変であった作業だけ市民に押しつけたことに、憤りを感じている。内容も、あまりにもサービスが不足している分野以外はお金のかからないことに特化して提案した。そのために市役所がお金を使わずに市民や市の既存事業をつなげて解決していくことや、規制の緩和や強化などを求めた。市役所が効果的な市民サービスは何かを考えれば歩み寄れるものを十分検討したが、市役所の過去のしきたり、庁内の人間関係をまずくすること、前例のないこと、などが却下された。

庁内検討委員会は、市民委員会がまとめたものを実行可能かどうか、実行するにはどうのような課題があるか、市民委員会と「協働」して検討することになっている。しかしこれまで市民委員会と一緒に議論したことは1度しかない。それも文案がない段階のフリーディスカッションみたいなものだけである。市民委員会、策定委員会が委員個人名入りの議事録が公開されている。それに対し庁内検討委員会は、議事録も公開されていない。行政の中立性、公平性という名のもとに密室で裁量行政を行っている。

私が策定委員会でこの点を問題を提起して、委員長、副委員長を始め多くの委員がこの顛末に問題を感じ、委員長、副委員長との再協議になったが、市側としてはもはや再調整するつもりはないのだろう。庁内の議論経過についてつぶさに確認しながら、決定経過の不透明性を問題にしていきたい。
当然、福祉課担当職員たちの責任も問題化していくつもりだ。

市民への業務委託を市民参加と称している自治体が増えてきた。人べらし行政改革の中で、あるいは小泉に煽られた公務員が「民でできるものは民」と称して民間委託を推進している。そうしてセンサーとなっている現場の市職員を市役所から追い出し、市民に出入り業者の感覚で下働きさせて、残った命令する公務員だけが安定した職と給料をもらい続けるシステムが評価される。朝霞の地域福祉計画づくりでは、市民に作業を押しつけて作らせたものを市職員どうしでシニカルに批判して、都合の良いところだけ利用する。そんな公務員たちの都合のよい民間委託の実態につきあわされた感じだ。

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2005.10.26

10/26 クルマの従属物なのか子どもは

昨日の朝のニュースで、バンコクの高速道路の渋滞を解消するために料金所の手前で料金徴収員としてアルバイトする子どもの話が紹介されていた。確かに低賃金労働から子どもは解放されるが、交通事故に対する見返りの少ない国で、排気ガスだらけのところでアルバイトさせられることは、屋台で働くことより良いことなのかどうか、考えさせられた。NHKのアナウンサーが、保険に入っているから万一のことがあっても大丈夫だそうです、と明るく伝えていたが、死んでも保険で命は返ってこないし、交通事故死に対する重みが低い国で、支払われる保険金は事故を再発させてはなるまい、というインセンティブが働くようなものではないだろう。

しかし、この万一のときは保険に入っているから大丈夫です、という言葉、確かにそのための保険なんだろうけど、保険金で解決できないことがある、ということを忘れさせる拝金融主義的な言葉で嫌になる。

そして土曜日に聞いたのは、朝霞市内に、中学校・児童館前のガソリンスタンド建設問題が強行されて話題になったその隣に、児童館の利用者のための駐車場を建設する話が浮上しているという。
何か本末転倒していると思う。子どもがクルマを運転するわけじゃないのに、どうして駐車場が必要なのだろうか。親の都合とニーズのために児童館は作られ、運営されているのだろうか。子どもも利用できる公共交通を何とかすることの方が大事じゃないのだろうか。
それと、これには土地の賃借料か取得費用がかかっているはずだ。マイカー利用者のためばかりに税金を使うのはやめてほしい。

バンコクの話にしても、児童館の話にしても、子どもがクルマとクルマを運転できる人の従属物でしかない価値観がある。だから屋台の労働は卑しくとも、危険と隣り合わせの料金徴収員は文化的だとなるし、子どもを抱えて大変な親のためになら駐車場はもっともっと整備されて当たり前、という論理が、児童館周辺を安全な地域にするという論理を超えていってしまうのだ。

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10/25 いきがったところで

民主党の自己批判が前原路線を正当化するためにあまりにも意図的で、客観的ではない。「骨太の対案」とか、使っている言葉が小泉首相側近と同じで、何の目新しさもない。小泉よりの執行部の正当化のための強引な論理展開ではないか。

民主党は、我田引水のものの考え方をしているから、大事な勝負に潮目を見誤るのではないだろうか。
潮目によっては、徹底抗戦も必要だし、風頼みも必要だ。マニュフェストは必要だが、マニュフェストを過信していなかったとは言えないだろうか。そうした変幻自在さが必要で、小泉首相はその点何枚も上手だ。

潮目を見ないつまらないいきがりも民主党の良くないところだ。岡田前党首を評価していたので悪くは言いたくないが、例えば、岡田前代表は政権交代を実現できなければ党首を辞めると言った。党内向けには気迫を示したと思うが、党外には、その程度で辞めるんだ、としか取られていなかった。岡田さんを潰さないように政権交代させるなんてことを国民が考えっこない。そうした主観的ないきがりが民主党には多すぎる。そうして失敗するし、ドジも踏む。

前原路線もそうした無様なオチが見え見えだ。連合や労組と縁切りしてもよい、なんて言って、手ぐすね引いているのは労組の方だ。民主党につきあわされて選挙をやって組織が疲弊している。で、まずいと思ったのか、前原は連合の大会で発言を釈明していたりする。

今のような落ち目のときに、いきがっても仕方がない。民主党は今、選挙やっては景気のよいときとは違い、静かに物を考え、無駄なことを整理する時期に来ている。いつかいきがる時に力を発揮できるように。
民主党が得意していることと、不得意としていることをはっきり見極め、売りどころを明確にした戦略を描くことに力を注ぐことが必要だと思う。

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2005.10.24

10/24 地方都市に地下鉄はつくるな

川崎市の市長に阿部孝夫氏が再選された。
新保守主義の市長なのであまり期待していなかったが、いけいけどんどんだった川崎市地下鉄を店ざらしにしてきたことは評価したい。

川崎市に地下鉄が建設計画がまとめられたのは、南武線の混雑対策で、武蔵野線の府中本町より南の貨物専用線の活用から話が広がってしまったものだ。

武蔵野線の南側はあまり活用されていない。これが使えるようになると、中央線沿線や埼玉県方面からも稲城市、川崎市北部、横浜市へのショートカットになる。旅客転用するためには、放射状に東京から出ている電車と交差する駅にホームを設置すればよい。新百合ヶ丘、武蔵小杉、鶴見駅などに接点ができる。
この構想が進んでいったときに、武蔵野線の南側は地下が多く地下に駅を作るコストがかかるなどの理由で、どうしてそうなるのか、全区間別に地下鉄を作る話になった。

南武線がどうして混雑するようになったのか、混雑が解消できないのか、その原因をきちんと分析したとは思えず、どこからどこまでの客がどれだけいる、という移動の数字だけで計画をまとめたような感じがある。

南武線には多種多様な乗客が流れ込んでくる。1つは沿線住民。それから東京から放射状に出ている各路線間を渡るために利用する乗客、それから多摩地区から川崎、横浜への通り抜ける客、それらがごちゃごちゃに混ざって、駅が多く、速度の低い南武線に集中してくる。
混雑緩和に独立した地下鉄を作っても、利用者は地域住民に限られるが、地域住民は階段も少なく、乗り換えも楽な南武線を使い続けるだろう。不便な乗り降りを耐えられるのは地域の沿線住民ではなく、スピードメリットを感じられる人たちであり、そういう人は、わざわざ単体の地下鉄を利用するとも思えない。武蔵野線の南側の旅客化が一番コストがかからず、効果が高く、そしておもわぬ効果も大きくなる。

なぜ使われもしない地下鉄が地方都市に次々と建設されてきたのか。
地下鉄、あったらいいなぁ、なんて思う住民の純粋な気持ちを利用して、土建屋が儲ける仕掛けなのである。さらにはまた政府系金融機関に巣くう人たちを利するのである。札幌市の交通運賃値上げで市議会で参考人として話すにあたって、いろいろな資料を見たが、地下鉄を経営する自治体は、運賃収入をみな政府系金融機関の金利の支払いに吸い上げられている。彼らの金儲けのために、市民は「地下鉄があったらいいなぁ」と思わされる。そして建設された地下鉄は、遅くて、使いづらくて、利用されることはないのである。それが多くの都市の地下鉄の現実である。札幌市の場合は、借金の残高が5000億円、運賃収入が360億円、金利の支払いが297億円だった。それだけあれば保育園や老人ホームなど、やむにやまれぬ人たちのための施設をどれだけ運営できるだろうか。

それもただその街の人たちが借金背負って苦しんでくれればいいが、地下鉄は9割が補助金や交付税措置で国庫負担になる。川崎市民の欲望が、全国民の負担になってくる。勘弁してほしい。

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2005.10.23

10/23 人生の始末の落差

年末にはレイアウト替えも考えているので、自宅の片づけに着手。しかし、遅々として進まず、ほこりの種になりそうなところの整理を行うにとどまる。

旅先ではきれいに整理整頓して過ごす方だし、山間僻地のキャラバンのように必要最小限の物を持っていき、広げ、最大限捨てるなり、送り返すなりして身軽になる。家では絶対しないが、着終わった洋服は多少泥酔していてもその日のうちに畳むし、バックに詰める。翌日着る下着なども用意しておく。
自分で言うのもなんだが、手際がいいと思う。ぎりぎり朝食食べられる時間に宿を出るようなことが多かったせいかも知れない。

しかし自分の家では全く逆で、片づける時間をすべて犠牲にして他の時間を捻出しているような過ごし方をしてしまう。したがって資料の山、本の洪水。
着終わった服は、洗濯かごに放り込むだけで、洗濯し終えた洋服はハンガーにかけたままベランダから鴨居に移すだけ。そしてただ着られる日を待っている。

資料の整理、地域活動の原稿とりまとめ、日程管理、日中の雑務、それからファッションセンスがないのでそうしたことの助言も含めて信頼できる秘書がほしいなぁ、と思うが、自分の給料の半分以上をつぎこまないとアルバイトであっても優秀な秘書は出てこないだろう。

小泉首相の尊敬する数少ないものの1つに、飯島のような優秀な秘書がいること。飯島秘書官は嫌な奴だしとんでもないけど、派閥も盟友もいない小泉をあれだけ値打ちがあるように見せているのがすごい。中道左派の大物議員は逆のパターンが多い。

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2005.10.22

10/21 勝手にそこらで遊べ子どもたち

次世代育成支援計画「あさか子どもプラン」推進委員会の分科会の集まりがあって市民会館にでかける。

それぞれの持ち場と課題を忌憚無く話せてとてもよかった。子ども会から出てきている委員さんが「むかしはそこら中で子どもが遊んでいたけど、遊ぶところがなくなったのか遊ばなくなったのか、だから子ども会も弱くなってしまった」と話していた。すごく納得。

最近の親がなっていない、という意見が続出。一方で、昔の親は子どもが勝手に遊んでいてくれたので、その分家事ややらなければいけないことができた、今の親はかえって向き合い過ぎだ、という意見がある。私は、子育てに向かない親が子どもに悪影響与え続けるなら、保育園や幼稚園の力を借りて親以外の社会と接点を持つことは重要と発言。

障害児の子育て、特に保育所や学校選びの苦悩の話や自主的な保育をしている人の話もあって、有意義な意見交換だった。

行政の体質も議論もあったが、毎度同じ議論。みんながそう思っているのだから、早く自主的に体質を改めてほしいが、労組もなく、縦割りを克服し、横に風通しを良くすることはなかなか進まないのかも知れない。でもそれでは市の行政サービスがどんどんたちおくれていくし、費用対効果が悪すぎる。

今後、数回話し合い、子どもプランの実行の評価や、計画の具体化のための提言などをまとめ、委員会で審議していく。

●往路は増発された東武バスを使う。4分の遅刻は減点。しかし、赤ちゃん連れが荷物一杯で乗るのを丁寧に待ったり、とってもよい営業姿勢。わずか15分の乗車だったが気分も良く、快適。
自転車で放置自転車問題や自転車事故を起こすぐらいなら、バスをどんどん利用する方がよい。

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10/21② 歴史は繰り返さないで

菅直人氏が団塊党を作るといって、各地の退職予定者たちに接触を図っているらしい。団塊の世代が改めて地方政治に進出するのかと思うと、少し心配でならない。

私の周囲で団塊世代を代表する運動をしている人たちは、味があって決して悪い人ではないが、思考方法が強引で、突撃一番だったり、左翼転じて民族主義者だったり、あるいは神秘主義者だったり、絶対社会を担わせたくないと思うような人が多い。まだ純粋に左翼を続けている人の方が信用できたりする。

団塊の世代を疎外させないということはおおいに結構なことだが、旧民主党の結党時にもみられたことだが、宇宙人というか、不思議ちゃんというべきか、何のために政治家になろうとしているのかわからない人間をかきあつめて、党運営が大混乱し続けたことがあった。団塊の世代は、能力以上に名誉欲が強いので不安だ。

結局、98年までの旧民主党の悪い体質は、党内権力闘争で新進党出身者にこてんぱにやられ続けて整理された。その結果、98年以後の新民主党は、右傾化したし、リベラル的な政治理念がどんどん薄まり、主要政治課題に改憲を掲げる政党になってしまった。そうした歴史は繰り返さないでほしい。

菅氏の妻の伸子さんが「脇が甘い」と叱ったことがあったが、年金未納疑惑といい、若手議員に裏切られ続けたことといい、意欲だけある人を簡単に信用しすぎるきらいがある。

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2005.10.21

10/21 700兆円の借金は返さない

選挙の分析では鋭い切れ味を出し、選挙後の予測では荒唐無稽な展開を提示して面白かった「世に倦む日々」というブログがあるが、最近の小泉政権批判は全然なっていなくて不満だ。

世に倦む日々は、700兆円の国の借金を楯に国民を脅してくる新自由主義に対抗するために「700兆円の国の借金は返せる」という話を強引に展開している。返せる理由として、①不良債権を消化した日本人に国家の赤字ぐらい消化できないわけがない、②東シナ海のガス田を開発すれば一発逆転できる、③インフレと積極財政をとれば働き口ができて生産力が上がる、という3点を挙げている。

この3点は全く実証性のない主張である。①について、銀行の不良債権は、700兆円のGDPやGDPが作る信用創造、現金の流れそうしたもののごく一部である。株価が上がれば消えるし、下がれば浮かび上がってくる。努力で返済したものではない。しかし国会財政の赤字は、税収の範囲でしか返せない。100兆円もの税収が来年から期待できれば返せるが、そんなことはありえない。世に倦む日々の本人が増税に反対しているのだから、論理矛盾な議論といえよう。国民が優秀であるかどうかという民族主義的価値観とは関係がない。

②は、多くの油田を持つアメリカがなぜ中東から石油を買っているのか考えれば、高い日本人労働者の賃金でガスを掘るより、人件費の安い中国人に掘らせて買い取ったほうが経済効果が高いので必ずしもそうとはいえない。ガス田が国営になるとは思えないし、儲けたとて国庫に繰り入れることができるとは思えない。
もっと言うと、これ以上地球からエネルギーを掘り出して浪費し続けないと成長できない経済が良いのかどうなのか、考えるべきだろう。

③植草経済学をヨイショしながら全く原理をわかっていない。がんばって働けば景気が良くなることを前提にしている。その立場は竹中平蔵たちの考えではないのか。

植草経済学は不況下ではがんばって働いても、よけいにお金より物やサービスが圧倒的に余り、働けども働けども首を自らしめていくことになる。個々が頑張ればデフレ不況を悪化させていくという前提に立つ。だから頑張れば報われる、という主観主義的な竹中平蔵や中谷巌と全面的に対立するのだ。
植草経済学は、不況だから働き口がない。不況である限り一所懸命働いても報われない、だから経済政策によって需要創出が必要なのだという立場で、そもそも入り口を間違えている。頑張ったか頑張らないかではない。
植草経済学は優秀だが、それを採用した海部俊樹、小沢一郎、小渕恵三、亀井静香らが、どんな政策効果をもたらしたかと言えば、700兆円の借金を作ってしまったのではないだろうか。経済学の純理論と、政治の思惑とは異なり、植草経済学は、現実対応能力で竹中平蔵に敗北してしまったと言える。

民族主義的な自己過信が根拠のない希望的観測をしているといえる。

もっともこのような説は政権担当者が採用するわけがないが、問題なのはこうした希望的観測が在野の勢力に蔓延し、非現実的な未来ばかり描くことで政権交代が遅れることである。
増税をしないで国の借金を返したい、新自由主義に対抗する社会がすべてバラ色であってほしい、そんな願望から議論を誤っていると言わざるを得ない。

毎回、繰り返すが、そもそも700兆円の借金を返す必要があるのか、という議論から入る必要があるのではないか。返さなくてよい、となれば、教育や自立支援的福祉など北欧でやっているような未来志向の投資ができるわけだ。
まさに世に倦む日々が批判している金子勝=神野直彦コンビは、財政赤字を膨らませることはできないが700兆円の借金を凍結するシステムができれば借換を繰り返し返済する必要はない、と言っている。

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2005.10.20

10/20 失敗もあるしね

大分市が結婚届に離婚手続きに関する説明書を添付したという事件があった。
http://www.oita-press.co.jp/

本気だったらなかなかやるなぁ、と思った。市役所が謝ってもいいけど、受け取った側は実害ないんだから、このミス大目に見たら、と思う。離婚しないで済むような夫婦になればいいことではないだろうか。
朝霞市なんか、離婚なんてあっちゃいけないなんて言って、離婚相談はもちろん、離婚の手続きで紙に書いたものなんかなかったと思う。大分市、地方なのに準備がいい。

現実に2~3組に1組は離婚する時代なんだから、こうした知識をハプニングから学ぶことも良かったかも知れない。離婚手続きがスムーズにできないと、子どもや職業生活に悪影響をいつまでも与える。あっちゃいけないと知らせないことの弊害の方が大きい。

労働運動だって、ものわかりのいい経営者ばかりで、職場で働く人たちが全能感持って働ければそもそも要らないものなのだ。しかし世の中そうはならない。労働者の利害と最も対立する株主だっているし、経営が傾いたり、経営者が堕落しちゃったり、社会環境が変わったり、労働者がいつでもハッピーなんてありえない。だからネガティブに見える労働運動を否定する人がわずかしかいないように、人間、最悪の事態を考えて、いろいろ考えておかなくては、と仕事でミスして周囲に助けていただいた今日は特に思う。

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10/20② 今日の友は明日の敵

自民党には「日本夢づくり道場」という、フリル付きふんどしのような名前の研修会があるらしい。このネーミングはきっと、武部か森喜朗あたりが考え出したんだろうけど。こうした文化があるから自民党を好きになれない。

それはともかく、「日本夢作り道場」で小泉首相は、
「造反してついていった人。倒閣運動だと早く気が付けば、こんなに多くの犠牲者は出なくて済んだ。後の祭りで仕方がない」とあいさつ。「今日の友は明日の敵。戦国時代じゃなくても人間の社会。わきまえながら友情をはぐくむことが大事」と締めくくった。

この言葉を聞いて、共産党の影響力が強かった高校時代がフラッシュバックした。学内政治の上手な教員たちが、飯島秘書官が小泉チルドレンを囲い込んでいるように、生徒や保護者を上手に争わせて使う。友情や人間の信頼をくっつけたり離反させて、学内を統治していた。

小泉政権は、自民党は圧勝した→小泉政権の政策はすべて国民が信任した→小泉政権のエキセントリックな政策であったとしても反対するのは国民の敵、という論法で反対者の口を封じていく。このやり方は、私が高校時代に経験した「学校の敵」「自由教育の敵」という議論であり、中国では「革命の敵」、ロシアでは「人民の敵」という論法である。こうした全体主義的な、人の内面の自由を奪うようなやり方には心底嫌な思いをしてきたので、小泉政権は嫌いだし、それに媚びへつらっている小泉チルドレンや民主党の前原執行部は骨のない連中だと思っている。もちろん共産政権ができたら真っ先に軍門に下っているような連中かも知れない。

今日の友は明日の敵、政治という人が人を従わせるという人類の叡智の上のシステムにはそういうことはありうる。でも私はその変幻自在な人間社会が、昨日の敵が明日の友と言えるようなやり方を求めていいきたい。

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10/19③ 阿片で犬死にした人を悼む

靖国神社の参拝について、賛成する人たちは国のために死んだ人を祀らなくてどうなるのだ、という単純な論建てで正当化しようとしている。ほんとうに国を守るために死んだのか。

先日読んだ佐野眞一「阿片王」を読めば、そんなきれいな話ではないだろう。まさに阿片利権をめぐって中国大陸でイギリス、国民党、軍閥、匪賊、幣、関東軍、中国共産党が入り乱れて争った結末として、日中戦争があり、副次的に「大東亜戦争」・第二次世界大戦に巻き込まれたのだ。そして、靖国が祀っている故人たちは、そうしたおいしい思いをした人たちによって殺されたのだ。

靖国参拝肯定派は、侵略戦争だったかも知れないが世界情勢が日本を戦争に巻き込んでいったのだ、などと言い、悪いことしたけど仕方なかった、というような論調を張る。ロシアがどうだ、石油が止められた、何がどうだと。しかし、現実に関東軍が戦線を拡大していったのは阿片の利権であり、そのことで中国大陸での米英との対立が抜き差しならなくなったという点では、利権のために多くの日本人が犬死にさせられたと言ってよい。現在の貨幣価値で換算して年30兆円も中国大陸から吸い上げて、戦争をしない軍事屋たちはこれを利権化したのだ。またそれだけの利権だから、誰も戦争を止められなかったのだろう。

阿片の利権は戦後日本の復興に大きく貢献した。1つは政財界にばらまかれ、吉田茂に対抗する政治勢力の後ろ盾になった。もう1つは、製薬業界の発展の原動力になり、医療利権の一翼を担い続けている。薬害エイズ事件のときにも、その主犯的企業の出自がそうしたところにあるということは知られたところだ。

その阿片で稼ぎ出した利権はいろいろあったが、現存しているのはただ森派があるわけで、その中にいて、次の首相を狙おうとしている人が、自分たちの出自を隠して、日本人兵士だけを英霊化することは道義的に問題が多いと言わざるを得ない。

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2005.10.19

10/19② 医療の側の改革を

小泉構造改革が筋が悪くとも前より良くなるのか、それとも筋が悪くて世の中どうしようもなくなるのか、その試金石は医療制度改革だと思う。

郵便局の職員や地方公務員、土建業界を叩いても、開業医師に大甘だったのがこれまでの自民党政権だ。年金生活者、生活保護受給者、母子家庭が財政構造改革の我慢を強いられている中で、開業医だけは聖域だ。学費がかかるからと、それだけの理由で開業医の平均年収が3000万が保障される報酬体系になっている。しかも、同じ医師でも寝る間も削る病院医は開業医の半分だ。開業医は窓口を閉じやすい時間に閉じ、受け付けたくない患者を大病院や公立病院に送りつけている。サラリーマンは行けもしない病院・診療所のために毎月2万(会社負担入れると4万)もの保険料を払わされている。

ところが改革を断行するはずの小泉政権は、医療制度改革では医療保険財政の膨脹を抑えるという目標だけだ。政治に泣きつく医療業界に裏金を失った厚生労働省は勝てない。医療も政府も泣かない解決策として厚生労働省は、毎度の自己負担率の引き上げ、免責(最低自己負担額)1000円という案を出してきた。

共産党のように高齢者医療無料というのは反対で、少しでも自己負担はあった方が良いと思う。昔、診療所は無為な年寄りが朝から晩までたむろしていて、そのためどんなに重篤な症状でも診察待ち時間も長かった。年収3000万の開業医つかまえて世間話しても何も問題にならない制度だった。一割自己負担に戻ってから、話し相手を求めていた人は来なくなって、重篤な患者の待ち時間は少なくなった。
それは、一部自己負担の導入が病院は社会的コストがかかっているんですよ、ということを自覚させて十分政策成果を上げたと思う。これ以上自己負担を引き上げても、わずかな下層階級の高齢者が来なくなるだけで、本質的な医療制度改革にはならない。犠牲の割に政策効果が少なく、早期発見ができなくなり、重篤化した患者が運び込まれてかえってコストがかかることになる可能性もある。

そろそろ医療業界にも犠牲を払ってもらう改革を求めたい。その際考えなくてはならないのは、①産婦人科、小児科など手間のわりに報酬の少ない医療をどう再建するか、②物量作戦の治療の報酬が高くなるような医療のあり方をどう変えるか→包括払い制度の導入③長期入院など医療依存状態におかれた患者をどのように社会に帰すか、④コストの安い介護保険制度のサービスとの役割分担を再検討する、⑤病院の人材不足を解消するために開業医と病院医の報酬や役割分担を見直す、などが課題ではないだろうか。そうしたことに対する答えとして自己負担引き上げだけの財政改革ではダメだ。

歯科医をしていた祖父は足を悪くし病院に入院した途端、院内感染であっという間に死亡した。下手に治療するより病気や障害と共存した方が長生きしたかも知れない。英国では医師がストライキをしていた間死亡率が下がったという話もある。何のための医療なのか、誰のための医療なのか、医療業界は真剣に考えてほしい。そして政治をおもちゃのように使う医療業界に物を言えるのは政治しかない。

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10/19 肥満文化の先進地

「下層社会」を読むといろいろな示唆に富んでいる。とくに東上線、常磐線沿線地域のことではないかという分析があって面白い。著者は東京山の手文化どっぷりの中で生きてきているので、それ以外の生活文化に対してやや差別的な視点があるのかも知れないが。

著者が行った消費行動の調査で、千葉・埼玉のある女性の固まり(といっても回答の比率が9.1の倍率しか無いので800人中11人のことだが)の回答が際だっていて、配偶者あり、既婚、専業主婦率が高く、年収は半分が世帯で300万以下、しかし持ち家比率は高い。そして大卒が皆無。この層は消費行動に特徴があって、

良く行く飲食店は、マクドナルド90.9%(平均67.5%)、ガスト63.6%(31.0%)、サイゼリア54.5%(40.6%)、ロッテリア36.4%(9.6%)など低価格訴求の店が上位を占める。
ふだんからよく食べるものとしては、チョコレート81.8%(56.9%)、ハンバーガー72.7%(33.5%)、アイスクリーム72.7%(49.7%)、ポテトチップス63.6%(37.1%)・・・(中略)・・・また食べ物にもとる条件として「ボリューム感」が45.5%(25.9%)、「後かたづけのしやすさ」が36.4%(23.9%)と他のクラスタよりも多めである。

このほかにも、小売店がセブンイレブン、ローソン、ユニクロ、マツモトキヨシ、ファミリーマート、ヤマダ電機、ケーヨーD2、ゲオなどが他の層より群を抜いて高い比率を示している。

志木駅に初めて降り立った人は、居酒屋とサラ金とパチンコ屋のばかでかい看板しか並んでいない駅前商店街に圧倒される。その派手な駅前の割に、歩いても風俗店はもちろん、バーすらも数店しかないのだ。この調査結果はまさにそうした地域性を表した住民文化の現れかも知れない。アメリカのファーストフードの脂肪肥満文化の食い物にされている地域になりかかっているのかも知れない。

大手の看板のデカい店が並んでいると街が発展しているように見えてしまう。格差社会の食い物にされている層というのがコミュニケーション力が低いというような言説があるところからすると、自分の言うことを聞いてくれるかも知れない小規模なお店を丹念に開拓するより、大手で安くて目立つ看板が出てややこしくない店に居場所を感じてしまうのかも知れない。

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10/18 志木駅にエレベータ設置へ 

VDT労働が心を追いつめることを実感する。自分以外、誰も追いつめていないのにね。

●朗報。志木駅のホームにエレベーターが付く。これで志木駅は完全に段差を解消できる。東武鉄道の英断に感謝したい。
エスカレーター設置ばかり先行して、エレベーター設置がたちおくれてきた東武東上線も、近年急行停車駅を中心にエレベーター設置をどんどん進めている。

交通事業者にとって、メリットが実感しにくいこうした設備投資が進んだのも、交通バリアフリー法の成果でもあるし、そこにもっていった、ノーマライゼーションを訴えてきた障害者団体などの熱心で命がけの行動があったからだと思う。運動に取り組んだ方が「障害者ためだけのエレベーターなんかいらない。我々が動いて誰もが楽になる社会をつくるのが目標だ」、という言葉に心を動かされたこともある。
札幌の障害者運動はラジカルで、市役所に発言力を持つ町内会長に働きかけて、「●●町の最寄り駅にもエレベーターついていた方がいいでしょ」と、障害者よりも地域住民の便利さを強調してエレベーター設置を進めた。今でも首都圏には残っているが、カギのかかった「障害者用エレベーター」という発想をそもそも否定したのだ。

そして、私自身が腰痛になったり、父母の加齢、同世代の育児などを見ていると、障害者だけのためのバリアフリーではないし、みんなが同列なスタート地点に立てるための社会基盤だと思う。あと、駅構内の売店などの納入業者の労働安全や危険回避のためには、エレベーターはあったらいい(今、志木駅のエレベーターは業者に使わせていないみたいだけども、階段を大きな荷物担いで上り下りするのは危険。使ってもらいたい)。

ただし、エスカレーター、エレベーターの設置はもちろんいいことだが、そもそも設置しなくてもよい駅のつくりにする方法もあるだろう。川越駅や朝霞駅など待避線のないような駅は、昔の駅のように階段なしでホームにあがれるままにしておいた方が無駄がなかったのかも知れない。

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2005.10.17

10/17 対抗軸を考えさせられる

●小泉首相が靖国に参拝。参拝したという行為は消えるわけじゃないから、中国や韓国との関係悪化は避けられないし、首相としての参拝にしては腰砕けで、中途半端な行動でしかない。全く得策ではないし、政治の結果責任ということからすると、何も良いことはない。ただし、民主党の制御にはいいかも。新自由主義でタカ派で民営化信仰なのに、靖国参拝だけは反対している前原に得点を上げさせる効果はある。この点で民主党内左派は前原の足を引っ張りにくいので、小泉よりの政策の合意をつくりやすくなるかな。

●先の総選挙で踏みとどまったドイツ社民党は、首相をキリスト教民主同盟に明け渡したものの、重要ポストを占拠。すぐやけのやんぱちのような行動しか取らない日本の野党よりずっとずっと大人だし立派だ。

●イタリア左翼連合「ユニオン(旧オリーブの木)」が統一首相候補の予備選挙を支持者に行う。全国9700ヵ所の投票所で支持者400万人が参加した。その結果、最大政党の左翼民主党のブロディー氏が選ばれる。議員だけの選挙で誰も知らない党首が選ばれ、それが未来の首相候補として押しつけられるより、こうして有権者参加で党首を選ぶことができればと思う。特に、投票所があることが素晴らしい。
野党連合の売り込みにもなったのではないか。自分たちの選んだ首相を勝たせるためにはどうしたらよいか、有権者の脳みそにきちんと記憶が刻まれるだろう。
戦後45年、イタリアと日本はよく似た政治体制が続き、同時期に同じような政治改革に取り組んだ結果はイタリアの方がはるかに優れている。日本は選挙制度の改革と中選挙区時代の自民党と同じく世代交代で乗り越えただけだったが、イタリアは左翼政党はきちんと自己批判し、行動パターンを改革し、イデオロギーを変えながらも、右派連合にきちんと対抗できる政策やスタンスを持っている。日本にはこれがない。小泉首相との違いが見えない。

民主党が党首選挙で支持者投票をやったことがあったが、届いた投票用紙はがきはバーコード入りの実質記名投票。宗教団体(干渉したのは労組とか言われたが、個人宅に届く投票用紙に特定の人の名前を書かせることができるのは今や宗教団体しかない)票の干渉で、世論調査と大きく異なる結果となったことがある。

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2005.10.16

10/15 議員は勤め人と同じ年金に

我が家の近くの東武バス路線が増発。3時間に1本が2時間に1本程度になる。1.5倍に。公共施設に通うことが増え、このバスが増えるといろいろできるなぁ、なんて思っていたのでうれしいニュース。いままで減便が続いていたので、廃止は時間の問題だと覚悟していたが、逆になる。可能な限り利用しようと思う。
回送バスを利用した路線名ので多くは望めないが、せめて1時間に1本まで増えたら使えるが。

●朝のNHKの紀行番組を見ていたままテレビをつけっぱなしにしてたら、日曜討論を見てしまう。
議員年金の廃止問題で、民主党の鳩山が「とにかく廃止」を主張。それに対して公明党の冬柴幹事長の意見が筋が通っていたように思う。与党の議員年金の廃止案は、共済年金または厚生年金に統合していく案である。それに対して民主党のただ廃止をして、政治家の年金を国民年金一本の丸裸にする案だ。
民主党の案だと、100万も稼いでいる国会議員が1万3千円の年金しか払わず、老後は最高でも月7万程度の年金しか受け取れない。結果として、政治家の半分ぐらいは老後、生活保護受給者になるだろう。そうなればフリーターの未来と同じく100%公費の年金生活者になる。

国民は政治家にお金使うのはもったいない、という意識が強くて、議員の側も議員になることに必死で年金にまともに向き合ったこともない(そういう人たちが年金を議論するからおかしくなる)。鳩山は「民に厳しいことをお願いしていかなければならないから、まずは政治家が襟を正さないと」と言っていたが、年金のない引退議員が襟を正せるのか。

政治家の生活保障は、きちんと出すか、利権で裏から出すかの違いしかない。表から報酬を過度に削減したり、生活できない年金にすれば、鳩山のような不労所得が潤沢にある人でなければ、労組・業界団体にたかるか利権に群がるしかない。それが政治の改革になるのだろうか。

政治家が貯金するためには悪いことしなければ不可能だ。すべての年金を剥奪したとき、老後の生活費を顧問料などで集めるためにいつまでも利権にしがみつくようになり、議員引退後も実権を握って政治ブローカーになるだろう。公共事業の弊害と一緒で、政治家に年150万の年金を払うために、5000万の利潤を民間企業にバラ泣かなくてはならない。5000万の利潤をばらまくために、6億円の公共事業を用意しなければならない。

さっさと引退してもらうためにも、普通の人並みの年金制度が必要だ。

今の議員年金は廃止しても、議員はサラリーをもらって農業か不動産業以外は兼業が不可能な勤め人と一緒なんだから、勤め人と同じスタンダードで社会保障を考えるべきだ。つまり年金は共済年金、厚生年金と統合するのが一番妥当な解決策だ。もちろんそうすると国庫負担がある。でもそれは雇用主責任で、今の青天井に給付にあわせて国が赤字を負担する議員年金制度よりは良い。

議員年金廃止の民主党の考えは、前原民主党の乱暴さが表れる議論の1つだ。

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2005.10.14

10/14 当事者との対話

クルマ社会を問い直す会の会合に出席する。交通事故被害者の家族が話する。
昨日、政府が初めて交通安全施策のための公聴会を開いた。6人の公聴人のうち、3人の公聴人が交通事故被害者だったという。クルマ業界、警察、保険業など業界団体しか相手にしていなかった交通安全政策。ようやく被害者やその家族が参加する場が持たれた。政府の英断を評価して、今後もこのような対話を繰り返し、航空機以上の安全を実現してほしい。

帰宅後、政治家をめざしている友人が引退を伝えてきた。突然やってきた2度目の選挙、逆方向にしか吹かない有権者の風、そんな思うに任せない選挙の結果は厳しいものだった。
ずっとふんばってきたのを知っているので寂しい気持ちだが、裃を脱いだ一市民として生きることのできる大切な時間がやってくると思って、これからやってくる幸せな日々を楽しんでほしいと思う。
今後も選挙区の地に踏みとどまって、新しい仕事を探すという。その気概がうれしい。

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10/13 層化していく風景

1日伝票とにらめっこしながら帳尻あわせをする。

●今月末、有楽町線にも女性専用車が入ることになる。しかも一番便利な上り電車の最後尾がそれになる。痴漢がいることがそもそもいけなくて、被害予防の選択肢として女性専用車があるというのはわかるが、一番便利なところに女性専用車を置くことにあまり納得できない。もっとも混雑がひどくて私は使わない車両ではあるが。

●三浦展「下流社会」を読む。読み終えた本が書類の山に埋もれて見つからない。とにかく健全な中産階級はこの日本から消えつつあり、年収400万未満の無教養でファーストフードや郊外型スーパーだけで生活する人と、年収1000万以上の高学歴を再生産する層とに分化するらしい。そのどちらにも付けない商売はこれから廃れるらしい。通勤電車なんか典型的な例かも知れない。
あと、下層団塊ジュニアの5Pというのがあって、パソコン、携帯電話(phone)、プレステーション、ペットボトル、ポテトチップスを愛用しているとそうだという。なるほど。
下流社会におちていく若者は、「自分らしさ」を大切にし、寝てばかりいて、自分を安売りして生活満足度が低い。だから瞬間的な幸福感を得られるカーニバル的なノリが大好きで、サッカーや小泉ブームに熱狂的になる。

結婚は階層固定化しているという話が面白かった。題材は宮台真司。エンコー少女だブルセラだといろいろ言ってきたのに、そうした少女の身元保障をするわけではなく、結婚した相手は大学教授の清純そうな若い娘で、宮台真司の生い立ちそのものだったという事例には笑えた。
篠田節子の「百年の恋」というドラマ化された小説があって、主人公の年収200万のライターが年収6000万の外資系金融機関で働くキャリアウーマンと電撃結婚し、主夫生活に入るという小説。三浦の説では、年収が低くてもライターという知的労働だからありうることで、単純な肉体労働や、もっと苦労が見えにくい工場労働者だとキャリアウーマンが相手として選ぶことはほとんどありえない。

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2005.10.12

10/12 市民のふりをして潜入する利権

朝霞市の基地跡地利用の市民検討委員会の委員募集(定員100人)に160人以上が応募。何があったのだろうか。

もともと基地跡地利用については市民の関心が高い。財源をどうする、既存のまちづくりとの調和をどうする、ということを置き去りにしながら、夢物語ばかりが膨らんでいる。それというのも朝霞市は埼玉県の同規模の都市に比べ、野球場、陸上競技場、老人ホーム、図書館、公民館を基地跡地につぎつぎに作り、あたかも基地跡地が都市基盤づくりの玉手箱のような役割を果たしてきたからだ。

しかし、今回の基地跡地利用は難しい。今までのように財務省が安価で貸与することはありえず、あくまでも市価での貸与または譲渡になる。あまりにもおおぼらを吹きすぎると、他の自治体のように公共事業で首が回らない自治体になる危険性がある。

ところで、跡地利用の市民委員会にどうして160人もの人が応募したのか不思議でならない。福祉にしたって、子ども政策にしたって、みんな切実だし関心があるし文句言うのに、そうした委員になろうという人は桁が2つ違う。役所が文句言う市民にまで声掛けて、やっと2桁に乗っている状態だ。

私は10年前、札幌駅の再開発の市民ワークショップに出席したことがある。小グループでワークショップをやるのだが、一緒になったメンバーのうち私ともう一人の中年男性以外はみな土建屋か行政コンサルの社員。他のグループもそんな感じだった。8割は再開発で儲かる人たち。彼らはどうでもいい態度で議論をされるし、自分たちの仕事に不利な意見が出てくると、「極端な意見ですね」なんて言われる。そういうシーンが各グループで繰り広げられ、最後には各グループでなされたどうでもいいやりとりを発表させられた。それを行政と公共事業業界お抱えの建築学者が「うるおいのある、親しみのある、やすらぎのある駅前づくり」と強引にまとめてしまい市役所にフリーハンドを与えてしまった。そして、いくつかの肝心なことは全く省みられることはなかった。
札幌駅は高架化するときにそっくり北側にそのまま駅をつくってしまった。そのためJR駅が地下鉄駅と200メートルも離れてしまい、乗り換えにはものすごい歩かされるようになった。また地下鉄駅は高度成長期のもので、バリアフリーに全く対応しておらず、それらと一体的に改築すべきだと言ったら、「極端な意見ですね。違う意見も尊重しましょう」と土建屋連合に一蹴された。で、何ができたかと言えば、長い距離歩かされる人がお金を落とすためのデパートであり地下街だった。

この思い出が今回も再現しないで欲しいと思う。基地跡地開発は土地と税金がからむ朝霞市では最大の利権が動く事業である。それが役所や土建業者、基地跡地を自分たちの商売道具にしようとして虎視眈々としている業者の回し者で圧倒されてはならないと心配でならない。
160人の委員の過半数に善良を求めたいが、どういう仕事をしている人たちなのか情報公開を求めたい。

また多すぎる委員で利権を議論することがいいのか疑問でもある。行政コンサルタントの手のひらで、本当に異議を唱える人はまず少数派だろう。そうした人を特殊な意見とか、相手の意見を尊重しない人などと言いながら、雰囲気やレッテル貼りを利用して強引に運営するようなことが100人の会議ともなると可能になる。多くの人はやじ要員でしかないからだ。根回しされた何人かの意図ある委員たちで話の段取りが固められていることもありうる。心配でならない。

●福島県が郊外型スーパーを規制するという。拍手を送りたい。
スーパー業界、特にイオン・ジャスコは憲法まで持ち出して猛反発しているようだが、道路整備、土地用途区分の見直し、水道整備、公害の処理、犯罪の誘発など、郊外型スーパーは無軌道な営業に対して、あまりにも自治体(税金)に無用なコストを押しつけている。失業や廃業、コミュニティーバスの運行、買い物ボランティアの確保なども含めれば多大な間接コストも払わされている。そうしたものを行政任せにしている以上、開業規制されるのは当たり前だ。営業の自由の尻ぬぐいを自治体がさせられるのはあまりにも異常だ。
国民の義務や責務ばかり言いたがる財界が、自分たちの無軌道な自由に何ら反省しないで、改正提案までしている憲法を持ち出すところが情けない。

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10/12② ベビーシッターを考える

97年に改正された児童福祉法によって、各自治体でスタートした保育ママ(ベビーシッター)が各地で整備されている。多様な保育として歓迎されている。
しかし、先日、この保育ママによる虐待事件が起きた。ベビーシッターという制度はあった方がよいが、子育ての本質的な機能を考えると、保育施設を基軸にした保育を中心に施策を進めた方がよいとやはり思った。

少し昔だが、アメリカで、ベビーシッターによる児童虐待が常態化している、というニュースに触れたことがあって、いくつか示唆を与えられた。もちろん日本人とアメリカ人との感情の表し方に大きな違いがある、ということは割り引きながら。
密室で一人きりで保育するということである。保育者に相当な力がなければ厳しいと思う。保育所の保育士よりもずっといろいろなことを自力で解決する力がなければつとまらないと思う。
それから、アメリカの場合、保育士は蔑まれる仕事のようで、女性にとっての3K労働の象徴だ。アングロサクソンには教育を高く評価しても子育てを蔑む価値観も後押ししている。
他に仕事があるような人はなかなかやりたがらず、言語コミュニケーション力にハードルの多い移民が担っていることが多い。また、日本のように公的な補助がないため、保護者が払えるお金の範囲でしか報酬は払えない。したがって、一丁前の人件費を取れるような仕事にはなりえない。

また、子育てにとって、家庭内でベビーシッターと向き合い続けることがどうなのか、という感じがしないでもない。私は、子どもは子どもどうし育つことを基本にすべきだと思っている。親が知識としての生活習慣や人間関係を教え込むよりも、子どもどうしの子ども社会で体得していくことの方が、人と人とを大事にしていく技術を体得していける(もちろん一人が好きだったり、他人と一緒にいることが苦痛な子どもがいるから、そればかりを全面展開するつもりはないが)。
そして、今子どもを適当に放牧しておける空間がない。子ども社会が地域に全くない。そうしたものの代替え機能が保育所や学童保育が担っている。だから私は子育てはなるべく保育所や学童保育を中心に行うべきだと思っている。

●毎日新聞が衆議院の選挙制度についてアンケート。多くの国民が比例代表との重複立候補を問題だと言っている。だいたい選挙で負けた方は、いろいろ選挙制度のせいにしたがるもので、選挙が終わる度に、きちんと思考されてもない俗論で選挙制度の見直しが議論されるのはたまらないものだ。

復活当選は見た目おかしいかも知れないが、問題は単純なものではないと思う。小選挙区制を基本にする以上、復活当選のような制度を作っておかない限り、ほとんどの選挙区では現職有利に動き、議席が固定されてしまう。現に都道府県議選の1人区の多くが無投票当選または現職対共産という結果がわかりきった構図だ。それこそ小選挙区制の弊害がおきてしまう。また比例代表にしか立候補しない候補をそろえ、誰を当選者とするのかを決めるのは難しいのではないか。
復活当選の制度は、健闘度で当選が決まるため、相手より少し弱い候補でも、努力して迫っていけば認められる、そうした今の制度は評価すべきではないか。
また、比例代表と小選挙区を別物とすると、それぞれで候補者を用意しなくてはならなくて、さらに多くの政治家をこの社会は抱えなくてはならない。今で落選中を入れて国政の政治家は1400人ぐらいだが、小選挙区と比例代表を別物にしたら、2000人ぐらいの政治家を用意しなければならない。それだけ税金がかかると思えば、今の選挙区制度は、小選挙区の候補者を比例代表の候補者として吸収しているので、必要以上に政治家は増えない。細部をいえばいろいろあるが、結局のところ政治家は国会内での政党の投票要員だと思う。トータルで政党が獲得する議席が同じなら、無駄に社会で落選浪人を抱えるようなシステムは良くない。

選挙制度そのそのを見直そう、という考えもあるが、完全小選挙区制なんて論外だし、逆に左向きの人はドイツの選挙制度が良い、という人がいるがこれはさらに複雑で今の衆議院の選挙制度を消化できない国民にはもっと理解できない代物だ。中選挙区制の復活は今以上に政治家を落選させることが難しくなる。今の制度がベターな選択肢なのだ。

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10/11 負け犬を変える巨大プロジェクト、母になれるか?

未婚女性向け雑誌「CREA」で出産の特集をやっているので読んでみる。

ファッション雑誌が、子作りの指導(というと怒られるかなぁ)までするようになったのに、その後の責任の取り方について情報が断絶していたので、こうした特集を大々的に打って、しかも電車の中吊り広告まで出したことは、いいことだと思う。ファッションセンスの高い女=子ども無し、というイメージを変えてほしい。子育てがださい人の営みというイメージを払拭できない限り、子育てはどんどんマイノリティーの営みになるだろう。

しかし、内容が良くない。

知っている人は知っているが、女性誌は取材先からお金をもらって記事を書いている(でなければ300ページ前後フルカラーで600円という値段では売れない)。そのせいでネガティブになりそうな情報はいっさい書かれていない。だから、読んでみても、やっぱり他人事のお産、という読後感は否めないし、お産が自分のもの、自分の問題、という意識にならない。

ブラジルですべてのお産のうち70%以上も帝王切開がとられていることを医療技術の進歩だと紹介し、ビキニラインの中に傷が隠れる名医がいて脱帽、とか書いている。ブラジルで帝王切開ばっかりなのは医療関係者のご都合主義だということを現地で奮闘している「オニババ化する女たち」の著者三砂ちづるが指摘していることを無視するような内容だ。
せっかく、会陰切開についてアンケート取っているのに、そこにまつわる思いや議論が全く紹介されず、「やむを得ないこと」というような紹介の仕方をしている。出産における人権蹂躙の象徴的な問題を、産む当事者の側に立たずにいることの鈍感さに少し怒りを感じた。

出産しても遊びやすい場所、といって紹介されているのが、すべて構造改革のたまものの再開発ビル。この中には、地下鉄の複雑な通路を上ったり下りたりしないとたどりつかないところもある。広告主だから仕方がないか。
ゼロ歳児OKのレストランのリストがあるが、どれも高級料理店でベビーカーOKと書いてあるだけ。あたかも安い飲食店は赤ちゃんを連れて行くべきではない、というメッセージが伝わってくる。ベビーカーOK程度ならデパートのレストランで十分だし、今時、ベビーカーをお断りする方がおかしいのだ。問題は、ベビーベッドや、転落しないチェアなどを用意してあるかどうか、欲を言えば有料でもいいから保育施設との連携なんかがあることの方が問題なのに。

お産そのものもすべて産婦人科で産むことを前提にして話を進めている。日本の伝統の助産士の介助による出産については全く無視している。広告主になり得ないからだろう。

それとお金使う育児の話ばかりで、もっと育児に理解を示してくれる友だちやご近所さん作らなきゃとか、困ったときにはこんな人たちが相談に乗ってくれる、とか、そういうことが大事なんじゃないかなぁ。そういうものをもっとおしゃれに紹介してほしい。

「こんな町に住んでみた~い」という自治体紹介は、小話としてはいいけど、本当に子育てするのにこんな情報信じたらえらいめに合う。例えば江戸川区では乳児養育手当が1月1万5000円もらえる、なんて書いてあるけど、江戸川区にはゼロ歳児を預かる認可保育園が1つもないことが書かれていない。お金くれるなんて親切な自治体と言って引っ越して痛い目にあってしまう。

うーんいまいちだなぁ、と思いながら、SEX特集を繰り返し、どんどん進歩してきているananのように進化してくれることを願いたいなぁ。

●そういえば、自民党議員になった佐藤ゆかり、AERAの対談で保守的な家族主義が大事とか言っていた。自己矛盾の発言のような気がするけども。

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2005.10.10

10/10 クルマを運転して見えるもの

昨日、どうしても自動車を運転する事情があって、レンタカーを利用した。駅のないところを通ると、いろいろ発見があった。

ロードサイド店が増え、その出入りがちょこちょこあって、2車線の幹線道路はどこも慢性的なノロノロ運転となっていた。やはりロードサイド店から割り増し税を負担させる必要があると思った。
豊臣秀吉は、京都の町家に間口で税金を課した。そのため長細いウナギの寝床のような家ばかりになったというのは有名だが、これは合理的な街づくり誘導策で、歩いて生活をするためには、間口の広い家や店がたくさんあると生活する人の歩数を増やしてしまう。歩いて生活することを前提とした都市づくりのためには、そうしたことが大切なことになる。

ついでにあひるのおまるを探していたので、曲がりなりにも中央線の沿線となる、チェーンの子ども用品店ベビザラスに行く。アカチャンホンポや西松屋と全然格が違う品揃え。そして、来ている客も、成金の雰囲気漂わせた人が多い。アカチャンホンポや西松屋は、生活感あふれる人たちでいっぱいで何となく安心する。でも、やっぱりメーカーのおまるしかなくて、あひるのおまるは無かった。おまる=あひる、という常識はどこに行ったものか。

それはともかく、駅近くの都会に住んでいるのと、全く行動パターンが違ってくる。都道府県境も何もおかまいなしだし、買い物の量も全然違う。スーパーでカートが置いているが、普段は全然使わない。買い物かごに持って歩けないほど買い物したって持ち帰れないからだ。しかし、ロードサイド店ではいくらでも買い物ができてしまう。
そして看板のデカいチェーンの店ばかりにしか行かなくなる。
また逆に、われわれノーカー族は、機転のきく商売人がみんな郊外に出ていってしまっているので、都心でしっかり商売しようとしている西武セゾン系(西武百貨店、無印良品、パルコ)の店しか行く場所がなくなる。その結果、負け犬と言われる30代独身女性が西武セゾン系の店でしか買い物しなくなるということなのだろう。

●民営鉄道協会が電車内の迷惑を発表。昨年まで携帯電話だったが、今年は座り方が一位。通勤混雑率が低下してきて、座ることの迷惑が注目されてきたと思う。

私は通勤電車でまわりの人に神経質になってしまう。
座っている人のマナーでいうと、足を広げられることが一番不快だ。男の膝がのしかかってくる重みは不愉快だ。次に肩を抜かないことが不快。二の腕を背もたれにつける人のことだ。肘が腰にあたって痛い。これをするのは田舎者と馬鹿にされていたものだが・・・。
足を投げ出して座るのも。座れたのだから、立っている人に気を遣えないものかと毎回憤慨している。抗議行動もすることがある。
座り方が悪い人は、いすに浅めに座り背もたれにきちんと背中をつけていないからそうなる。背中だけでは座っていられず肘が背もたれについて体を支えるため、肩が抜けない。そして足が座面で支えられないから広げて安定を取る。そして腰の位置が前に出ているから足が投げ出される。

立っている人も含めると、新聞の読み方が悪い人や音漏れするヘッドフォンも気に障る。ソニーの馬鹿がMDプレーヤーにイヤフォンではなくヘッドフォンつけて売り出してから、平気で音漏れさせている団塊ジュニアが目立つ。それから電話が苦手なので、携帯電話の呼び出し音も神経に障る。
傘を腕に掛けるときに手前側に掛ける人がいる。濡れている傘ならともかく、手前に掛けると、鞄や足が傘の先を押しだし、結局周囲の人を突っつくことになる。乾いた傘なら腕の向こう側に掛けるべきだ。そうすると傘の先は自分の方に向かって、人をひっかけたり刺したりすることはなくなる。
体育会系で野球部でもないのに、不必要に長いバックを持ち歩く輩。通勤電車の敵です。部活の上下関係を学んでも、国家財政で学生やってんでしょ。労働者に気を遣ってください。

ドア周囲の場所を取ろうとして電車にいつまでも乗らない人。降りる人を邪魔して踏ん張っている人。そのくせ次の駅で降りるわけでもなかったりして、自分は一秒でも速く降りるために場所取りに頑張っているんだろうけど、電車が遅れて結局意味がないのだ。

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2005.10.09

10/9 小さな政府は何も目指さない

朝、出かけて戻ると、テレビがついていてNHKの日曜討論をやっていた。テーマは「小さな政府」。

経済財政諮問会議の本間正明阪大教授、モルガンスタンレーのロバートフェルドマン、みずほ総研の藤森克彦、経済評論家の内橋克人が討論していた。

公共部門の議論では内橋克人の切れ味が弱いと感じた。航空やバスなどの規制緩和の議論では、鋭い予測をし、内橋氏の言うとおりの結論になったが、介護や医療など公共部門の議論では情緒論が目立った。

本間正明がインチキな議論をしていた。冒頭、小さな政府は財政収入と支出のギャップの問題だ、と言いながら、司会者にもうすでに小さな政府なんじゃないですか、と問題提起され、藤森氏に社会保障分野と教育は世界水準より相当低い財政支出しかされていない、とつっこまれると、「必要なところにお金を使うために財政構造改革が必要なのです」と言う。政府の最大の支出である社会保障を多すぎると見るのか、少なすぎると見るのか、それが定まらなくて、財政再建の議論などできないだろう。
小泉政権が、何もしないで財政支出だけを切り込むという印象を与えないように議論をすりかえた。小さな政府も、最初には財政支出の切り込みと言いながら、それが小泉政権が社会サービスを切り込むということに受け取られるのが嫌なものだから、「小さな政府とは民間が元気な経済をつくることだ」と言って、また論点をすり替えている。本間正明は学者なのだろうか、政権プロパガンダなのだろうか。政権プロパガンダならちゃんとバッヂをつけて国会に出てくるべきだろう。

財政支出を見直して新しい分野にお金を使うということは、財政赤字の40兆円あるいは国債の借換分の支出を差額を差し引いた純赤字の20兆円の収入と支出のギャップを修正する、という経済財政諮問会議の最初の論建てを覆す話だ。小さな政府をつくる前に、今までの彼らの言う「大きな政府」の財政支出は継続されるというのだから、話はわからない。

与党も野党も学者も財政赤字を修正する議論をするときに、政府の支出の見直しをして、それから増税するという段取りを主張している。土光臨調の成果は認めるが、80年代の若干でも経済成長している時にできたことと、高齢社会でがんばったってお金が消えていく時代をきちんと峻別すれば、政府の支出を見直すことは思ったより成果は上がらないことぐらいわかるだろう。つまり増税を主張しない財政再建議論は、財政健全化を先送りする議論なのだ。
そういう議論をしているから、財政支出を切るのか、あるいは国民が元気になるための新しい社会保障や教育のための資金を確保するのか、議論が迷走して、長途半端な政策決定しかできない。これは自民党も民主党も同じだ。

無駄な財政支出を洗い出すのは、行政府の枠の中にある会計監査院を使ったりする今の枠組みではできない。またマスコミの暴露戦術では、何も効果的な話にならない。立法府による行政監視などをきちんとやり、予算編成に直結させていく、ということがなければ、無駄な財政支出の切り込みなどできない。それは永続的な取り組みで、これが単年度でドンとできて、国債をさっさと返して次に新しい分野に打って出るなんてことはできない。いつまでもできない。足し算と引き算とわり算ができればわかる話だ。

で具体的には小さな政府は何を目指して何をやっているのだろうか。経済財政諮問会議は小さな政府は既得権益に切り込んで国民のためになるお金を使うと豪語しているが、現実には、道路建設、土地改良を中心とした農業土木、開業医への報酬は何も切り込んでいない。一方、医療、教育費、介護報酬、保育予算、職業訓練、母子家庭への自立支援、DV・児童虐待は全然改革されないし、中には削りこまれ続けているものもある。ちっとも新しいところに打って出てなんかいない。規制緩和も、保育、介護、労働、土地利用と、既得権益とは何の関係もない分野ばかりで、社会サービスの低下につながるところばかりをねらい打ちし、利権化するような臭いのするものばかりである。本当の改革を言うなら、新幹線建設を止めろ(少なくとも長崎は)、開業医の架空請求を根絶せよ、土地改良事業から農民を解放しろ、と思うが、それは全く手をつけられていないで、開業医の息子、土地持ちの息子、政商土建屋の息子ばかりが不労所得と参加のチャンスをかちえている。一方、困っている人がさらに困りゆく改革ばかりだ。

本間正明は村山政権の頃、抵抗勢力の代表選手であるはずのわが労組の周囲をうろちょろしていた人物だ。あの慇懃無礼な物言いを聞いていると政権プロパガンダになるために、わが労組を利用したのか、と思うのだ。朝から胸くそ悪い。

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2005.10.08

10/8 責任回避の児童手当拡大策


●少子化対策、母親の7割「経済支援を」…内閣府調査
国がくれる慰謝料
ガソリン奨励金・パチンコ手当
もらってうれしいけれども
過去にもした児童手当批判を繰り返すことになるので、あまり詳細に言うつもりはないが、内閣府の少子化対策に関するアンケート調査で、若い夫婦はお金があれば対策になると答えている、と発表。
公明党のただただ児童手当を増やす政策を正当化するだけのような内容だ。

本音を捉えたアンケートもあって、そのことについてコメントもした。
子どもが嫌いな社会人たち

その上で再論したい。
今の人なら、欲しいものは何だ、と聞かれればたいていは金と答える。しかし鼻から子どもを積極的につくろうとも思っていない人たちに、いくら子ども作ったら5000円あげますよ、と言われても、子どもなんかつくろうなんて考えに変わることはあり得ない。何をすれば子どもつくる、と聞かれて金としか答えられないぐらい、当事者である若者も政治関係者も、発想が貧困なのだ。その貧困な発想から導き出される「やったらいい」思いつきは、解決策ではなくて、たんなるアリバイになる。

お金がなければ子どもはつくれない、という前提は正しいと思う。現実に仕事も所得もない若者が多い。しかし彼らには手当ではなく、仕事をつくり、何であれ仕事の対価として誇りをもって使えるお金がちゃんと入ることをしなければ意味がない。今の社会常識からして、親としての自立感がなくて子どもを育てる環境は作れない。定職もないのに子どもを作って、という周囲の非難に耐えられる人は例外だ。だから、この層はお金が最も必要であっても、児童手当ばらまいたって子どもはつくらない。

一方、正社員や、正社員まで行かなくても、新卒者以上の給料をもらっているような派遣社員の場合、政府からはした金をもらったからといって子づくり、子育ての動機になるとは思えない。子どもに意味を見いだせばつくるだろうし、子どものいる意味より仕事やその他のことに意味を見いだせばつくらない。
1つは私生活面での、子どもを持つ人への不利な扱いだ。日本のサービス産業は、子育てをしない客をあまりにも優遇してきた。子育てしている人たちは、どこ行っても迷惑がられ、大型スーパーしか楽しみがないのだ。もちろん、仕事と子育ての両立という基本で悩んでいる人もいるが、これは今、多少の金さえあれば何とかなってくるようになった。あと一声だ。仕事とスーパーで煽り調子の掛け声の中で落ち着き無く買い物させられるしかない生活。団塊の世代以上の金満家庭に育った子たちには、耐えられない現実だ。
私鉄は盛んにバリアフリー車の導入と言って宣伝しているが、民鉄協会のホームページを見れば、それは車いすを係留できる車両という程度の意味らしい。公共交通機関も、子育てしている人にとって使いやすい電車なんて発想は頭から無い。

もう1つは仕事と家庭の両立。保育所を拡充すべきというのはそうで、これまで私はそれだけをずっとそれを言ってきた。それ以外の施策を期待すると、お金のかかる保育所の整備が進まなかったからだ。
しかし、最近思うのは、経営者たちも、職場の矛盾をすべて社会につけ回しする態度は良くないと思う。延長保育や24時間保育は必要だし拡大する必要はあると思う。しかし、それを前提に働く必要のない夜まで働かせるような仕事の組み立て方を企業がすれば、社会全体でのコストや負荷がもっと大きいことを自覚してほしい。自分の企業の価値を上げることばかりやって、それにつながらないことはみんな政府や国民の生活に犠牲に押しつける姿勢は、持続的な社会にならない。

ただ難しいのはそうした労働環境は企業の問題ではあるけども、日本の賃金労働者がそうした会社の価値観をさらに上塗りするような感覚を持っていて、職場環境がちっとも優しくないこと。
具体的には、サービス残業が当たり前、病気以外で有給休暇を取るなんてもっての外という職場環境の中で、子育てしているからと残業できない、とか、子どもが病気だから仕事を休むという同僚がいることが、横の同僚たちにどう思われるか。そこは全く議論が成熟していない。楽しんで子ども作って好き勝手にいいよなぁ、という評価をする人すらいる。子どものために会社とはたたかえても、同僚とたたかうのはやりにくいだろう。そういう周囲に、いつかあなたやあなたの子どもにも起こりうることなのですよ、とわかってもらわない限り、難しい。

だからこそ、そうした子どもを育てている人に優しい職場環境は、企業の自発的努力を求めるのは限界がある。ブランド企業か暴利を貪っている企業以外は、せっせと制度をつくっておしまい。実際の現場のマネージャークラス、あるいは仕事の指導をする先輩が「何様のつもりだ」と一喝したら制度が動かない。
だからこそ、社会的規制できちんとやることが必要だ。また市場というまさに生きる人がいなければ成立しない世界で商売しているのに、人間を再生産する力を社会から奪うようなことをする企業や上司は犯罪をしているのだ、という考え方にのっとった政策づくりが必要な段階に入ってきたと思う。

もう一度言うが、児童手当は、何も考えない政策なのである。誰も問題の責任も自己犠牲を負いたくないから。ただただ政府が財政が赤字国債発行して、お金ばらまいて免罪符を買っていることに拍手を送るのが、国民も企業も政治家も楽だからだ。

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2005.10.07

10/7② 親の自覚強化論が児童虐待を放置してきた

少子化問題のおかげで少しは子育ての問題が社会の大きなところで議論されるようになった。
で、日経新聞ばかり読んでいる人は、少子化=経済低迷と思いこまされ、いかに子どもを増やすか、ということばかり考えているが、実際に日本はニートがいたり、若年失業があったりで、本当の原因は違うところにあるけども、現象としては、人余りなのだ。
子どもが増えることではなくて、次の世代をどうやって育てていくか、ということに少し力点がシフトしている。だから少子化対策に代わり、次世代育成という言葉が出てきている。私もこの展開におおむね賛成である。子どもが増えようが減ろうが、どちらでもよい。高齢者の比率が高ければ高齢者を労働力にすればいい。それより子どもたちがいきいきと生きられる社会をどれだけ用意できるか、試されている。

【親の自覚強化論が子殺しを黙認してきた】
さて、話の本題はそんな少子化ではなく、少子化の議論がどうして矮小化されるのか、という私の煮えたぎる問題意識にある。
子どもは次の社会を創造する人たちのことでありながら、子育てという営みが今のところ家庭を中心とした私の領域で行われているため、子どもの議論をすると、教育や児童福祉、あるいは子どもにとって良好な環境づくりといった社会システムの改良の話が、単なる親の自覚論、子どもの精神強化論にすり替えられやすい。そして議論の混乱に乗じて行政の怠慢を誘発することが多い。児童虐待防止もたった6年前まで、虐待を受けている子どもたちは、親の自覚が足りないからだと議論され、一部の専門家に救済される場合以外は放置されてきた。ようやく子殺しがクローズアップされて、自覚がない親を持ったばかりに子どもが殺されても仕方がない、という理屈が成り立たないことを多くの人がわかるようになってきて、政治課題にのり、政策が前進してきた。

しかし、その一方で、親が親であることの自覚を強化させるような考えが、保守でない側にも強まってきた。特に無認可を含めれば保育所の整備が急速に進み制度も多様化してきた中で、お金さえ使えばやむを得ない事情以外にも保育サービスを利用できるようになってきた。政策としてもそれが良好な親子関係を長続きさせるために重要だと位置づけられている。私もそう思う。しかし、そうした保育サービスの積極的利用が「自覚のない親」に映り、親が親である権利を主張するあまりに、保育サービスを「安易に利用」する親に対する揶揄がひどくなっている。
あたかも介護保険制度がつくられる前夜までの高齢者介護と同じだ。高齢者の介護をヨメにタダで押しつけておきながら、押しつけた人たちが介護でくたくたなヨメを好き勝手に非難してきた過去の現実を思い出す。それでヨメも高齢者はいい暮らしができただろうか。ヨメが潰れないために、何でも良いから高齢者を病院に縛り付けておけ、という結果(社会的入院)になったのではないか。介護保険がその地獄的人間関係を解放に向け駒を進めた。

【母子密着子育ては右肩上がり経済の幻想】
日本では、親の自覚によって子育てをしてきたのは、戦後の高度成長期以後だ。それ以前、親子だけで煮詰まる子育てをしてきたのは、中級下級武士階級と高級官僚(今の高級官僚と段違いに格が上)の家庭だけだ。多くの日本人は子育てだからと農作業をさぼったり、家事をしない言い訳は通じなかった。今でも商店を営む家がそうだ。保育学者の汐見稔幸の話はそういうようなことを解明している。

子育て政策を論じるときに最初に立つべきところは、子ども自身にとって良好な環境で育てられるべきだ、ということである。これは大人が一方的な価値観で決めた良好な環境ではないことが重要だ。例えば、夜間働きたくない保育士や専業主婦が良く「保育園に預けられている子はかわいそう」と言う。しかし5年ぐらい前の調査で、保育園で長時間保育をしている児童がストレスを感じているかどうか、というのは証明されず、むしろ保育者と子の良好な関係次第という結果が出ている。夜間保育園の団体も同様の結果を出している。乱暴な言い方をすれば、ろくな子育てできない親に長時間家庭内で監視されるなら、保育所でプロや友だちに育てられたほうが良い(子どもとの折り合いが悪い親を弁護すればそれは時間軸の問題で、赤ちゃんのときにてこずった子がある成長の段階では非常に良好になったり、逆の場合もあるので、子どもとの関係が悪いことを嘆く必要はない)。

また、政策や制度というものは、すべての人に適用されるものであるから、価値観にある程度中立であるべきで、精神訓を注入するような施策は採れない実効性も上がらない。
親に親たる自覚を持て、という施策は採れないのである。実際、そんな精神訓を政府や公的教育機関から押し込まれても、おむつの換え方も、子どもの抱き方も、子どもとの遊び方も知らないでは子育てなんかままならない。アジアの人のこと何も知らないで、アジア解放を信じた帝国陸軍の二等兵と変わらない、全くナンセンスかつ敗北の論理による議論なのだ。

高度成長以後の、親に自覚を期待して、親子密着の関係の中で子どもが育つということを前提にした社会は、もう転換期に入っていると思うし、離婚率の上昇、そしてこの後おこる再婚家庭の増加、構造改革による労働強化の進行など考えると、自覚ある親による親子密着を前提にしたシステムは根本から見直さなくてはならないと思う。もう保育所に預ける親=育児放棄なんて単純な理屈は言っていられなくなる。そうなれば昔の日本のように放牧型子育てを見直さなくてはならないし、あるいはひどい場合にはイスラエルのようなキブツ(子どもどうしの共同生活所)も想定しなくてはならないと思う。

【求められる政策はダメ親が語るべき】
子育ての議論に参加することが、自覚的かつ模範的な親でなければならない、という幻想や重圧がそうした言説を流行させてしまうのだろう。私は、むしろダメ親が、その厳しさの中で見つけだした、子どもと良好な関係でいられるための舞台装置、それをもっと語ってほしいし、そうしたものが政策になっていくことを望みたい。

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10/7 消極的護憲宣言

憲法改正の議論が進み始めている。民主党も悪のりしている。私は特段護憲を強調することはしないが、今の改憲を主張する人たちの言っていることが、安全保障問題以外はほとんどとんちんかんで、与することができない。
ポジティブな面を強調する、環境権、プライバシー権って何だ。プライバシー権は、個人情報保護法を見ればその弊害の方が大きいことがわかってきた。

個人情報保護法の精神の伝播は、選挙や市民運動から始まって、クラス会や保護者会の人間関係すら分断をする結果になった。さらにはマスメディアなど一方的な情報だけが信仰の対象となったしまった。

離婚しようが、不倫しようが、人のプライバシーに一方的な評価を下すような社会でなければ、プライバシーが過度に強調される必要はなくなる。身体障害者がまさにそうで、かつては身内に身体障害者がいただけで、差別と偏見に充ち満ちた扱いを受けたが、障害者全体への偏見が解消されていく中で、親族に障害者がいることをことさら隠すような人は少なくなっている。むしろ、理解を周囲に求め、障害当事者や家族を支援していこうという人も出てきたぐらいだ。
まずは差別や偏見のない社会をつくっていくことから始め、プライバシーは権力や暴力から保護されるものだという基本的な考えに到達することが大切で、差別や偏見を放置して、プライバシーをやれば見えるものが見えなくなるのだ。

環境権も何かと言いたい。環境が単に清潔(デオドラント)な環境を指すのか、自分たちが健康で暮らすことだけに価値を見いだすことを指すのか、人間が不便を強いられても自然のあるがままを守る、ということのなのか皆目わからない。
単に清潔を求める権利なんて社会を窒息させるし汚染が進み自然環境は破壊するだろう。健康で暮らせることだけに価値を見いだせば、障害者や皮膚病、呼吸器系疾患を持っている人は悪い環境にいるからだと存在を抹殺するメルクマールにされるだろう。人間の不便に任せあるがままの自然を守るといえば、権利ではなくて抑圧や少なくとも規制になったり、あるいは石原慎太郎のようにダービニズムの論理を全面展開することになるわけで、そうした概念が政策としては実行可能だと思うが、権利として確立できるのか、疑問である。
例えば、山の上のマンションの景観は財産権として確立している。さらにそれはまた環境権になりうると思うが、ではその山にマンションを建てるために自然を破壊することは、環境権の考えでどう整理できるのだろうか。

右翼のように権利を主張する奴は社会を滅ぼすとは言う考えには反対だが、人類の進歩が権利の種類の増殖にあると考える単細胞的思考と、憲法を改正することで自分が国家百年の計を考えているつもりになれる勘違いが、政治家の中で合成されると、こうした論理矛盾、現実矛盾のようなことを平気でやらかすのだろう。

わが労組の大会で憲法を死んでも守ると答弁した役員がいたが、私はそれは論理矛盾だと思っているし、国民主権の実効性の担保や、国会による行政監視システムの確立、参議院の役割見直しや廃止などを考えると憲法改正は必要だと思うところもある。
しかし今はそうした議論はされていない。環境権、プライバシー権などとどう転ぶかわからない権利と引き替えに大切なその他の人権を手放したり、いたずらに政治家が有権者に課してくる責務が増えたり、あるいは乱暴な平和の議論が進められる可能性が強く、そんなことなら、消極的護憲にならざるを得ない。

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2005.10.06

10/6 地に足をつける闇に足をつっこむ

参議院の神奈川県補選が始まる。斉藤つよしが参議院議員やめてなぜ小泉首相の選挙区で出ようとしたのか、自爆としか思えないような立候補を、党も本人も了承したのが不可解だ。わが労組組織内議員だったので、労組としても民主のメンツのために無駄なことさせられたと思う。

覚醒剤の小林元議員にしても、学歴詐称の古賀潤一郎元議員にしても、アメリカ留学している人を立候補させるのは危険だ。そういう意味で、民主党の今回の補選の候補者は本当に大丈夫なのだろうか。
民主党には、地に足が着くとまでは言わないが、浮き世離れして、何だかわからないお金で勝ち組生活をしてきたような人を候補者にすることを改めてほしい。今回の牧山候補も、生活感がない。
若手が多いといっても、留学生、大学院生、シンクタンク職員、松下塾生と限られたチャンネルからしか候補者が選ばれなくなっている民主だから、たかが杉村太藏ぐらいで自民に若い党のイメージを奪われてしまった。
ただ税金の無駄遣いをやめせさることしか課題のないような若手ではなくて、生活感のあるライフワークのある若手をひっばり出さないと自民党を抜き返すことはできないだろう。
今回は、共産党の畑野君枝と民主の牧山とどちらが下になるのか、見物かも知れない。

●「阿片王」読み終わる。小泉首相の属する森派(清和会)の資金源は阿片王こと里見甫が阿片販売で儲けた金を革新官僚岸信介が巻き上げたものだと言われているが、その里見甫の生涯やなぞめいた人間関係を佐野眞一が「百人以上」の人と会って調べ、ひもといていく。
クセの多い人物揃いで毒気に当てられるが面白くてあっという間に読み進んだ。佐野眞一のルポルタージュは面白いし、ディーティルがとてもよくて、読後の余韻がしっかりしているが、全体を要約して説明しにくい。また佐野眞一を読んでみたい。
また、裏金の流れは敗戦や検察の摘発など外科手術がないと止められない。なかなか軟着陸させることはできないと感じた。裏金の動きが戦争と関わると、止めたらいい戦争をいつまでも続けざるを得なくなるのだ。

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2005.10.05

10/5 信じ合えるネットワーク

午後、地域福祉計画の市民委員会に出席。

福祉オンブズマンの運営主体、カーボランティア、町内会の位置づけについて議論が巻き起こる。町内会の福祉活動の活性化が、うまくいくだろうかという議論になったときに、担当の市職員が「この地域福祉計画で提案されていることがうまく行けば、自ずと町内会の福祉活動も活発になる」という意見が出て、すっとまとまった。そうだと思う。町内会に義務を課すより、いろいろな地域資源が福祉的な行動を始めれば、自然と町内会もその流れに乗り始めるだろう。

社会的・経済的弱者が犯罪の被害者になったり、福祉施策から漏れた層が犯罪の温床になったりすることから、最近の福祉のテーマでは「安全」「安心」という言葉が大きな課題になっている。地域の防犯ネットワークをどう創っていくか、という議論をしていたら「防犯のネットワークの前に、人と人とが信頼できるネットワークが必要よね」という退職教員の方の意見があって、まさにそうだと思った。自警団的にやるにも、地域の人たちとの信頼関係が無ければ始まらない。

メンバーに国勢調査の調査票回収業務をした方がいて、個人情報保護に対する過剰な反応で、人と人とが安心して信頼できる関係がつくれなくなっているねぇ、なんて話も出る。今の与党が創った同法は、結果的に社会を分断し国民をマスコミにだけ釘付けにさせる効果しか生まなかったと思う。本当の防犯は地域の人たちが仲良くすることだ。仲の良い社会や地域に危険分子は入りにくい。
名簿が流通することのデメリットと、名簿も回せないような人間関係によるデメリットを冷静に天秤にかけ同法を再評価すべきだと思う。名簿流通による犯罪の恐怖もあるが、ストーカー、洗脳集団、詐欺師、ねずみ講など流通する名簿で悪巧みする連中にとって個人情報保護法なんてちょろい法律だ。対象者を別な方法で苦情を言わせなければいいのだから。

●佐野眞一「阿片王」、面白い。激しく読み進む。先の大戦で関東軍が暴走し泥沼化していった理由に、欧米列強に対抗するだとか何だとか様々な弁護論があるが、イギリスの高価な阿片を追放するために日本が陸軍や商社のダミー会社を使って安価な阿片の供給に乗り出し、それが莫大な利権となって抜き差しならなくなったから、という背景事情を追っかけているのが興味深い。

●民主党の前原氏、読売では連合大会で労組との関係を見直す(距離を置く)と言ったことに対して「デリカシーの欠いた面があった」と言いながら、共同では、その前日、常任幹事会では郵政民営化について民主党が対案を出さなかったのは党の政局判断で労組の反対が理由ではない、という批判に無視したと報じられている。「労組を切れ」という世論に迎合しながら「圧力団体」に屈服する、右顧左眄な対応だ。

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2005.10.04

10/4 地下鉄の急発進・急ブレーキ

有楽町線の運転が荒い。定時運転ができない東上線も問題だが、少なくともアクセル、ブレーキは急ではない。しかし有楽町線は、急アクセル、急ブレーキだ(さりながら有楽町線も定時運転は怪しい)。加速や減速を始めるとき、終える時、急でよろける。今日は往路も復路もそういう運転をする電車に当たってしまった。疲労が強く、嫌な気分だった。

大多数の客に座席も用意できないサービス業なら、最低限、やさしい運転ぐらい気遣ってほしい。

●佐藤優「国家の自縛」を読み終える。佐野眞一「阿片王」を読み始める。首相の出身派閥の清和会の誕生の資金源にも関わる話らしい。
余談だが、先頃、政党の政治資金の公開がされたが、自助努力で資金集めした政党をちやほやする風潮がある。しかし日本の政治風土と、構造改革によってシビアになった個人・企業が、宗教的狂信に基づかずに誰が政治に見返り無く寄付などするものだろうか。この点については後日再論したい。

●「世に倦む日々」という面白いブログがある。小泉政治の批判では深みがあって面白い。構造改革という言葉がそもそも一発革命を否定する社会主義理論から生まれた言葉なのに、全然違う意味で、違うイデオロギーで利用されている、と説明してくれてうれしくなってから読んでいる。

しかし「世に倦む日々」は、「STOP the KOIZUMI運動」をやろうという。アイディアは美濃部都知事の選挙だと。社共の再興とか、対米従属に対するナショナリズムとの連帯だとか、絵コンテがダメダメ。「STOP the ●●」なんてキャッチフレーズは日共の革新おばちゃんが選挙の度に相手候補にわめきちらしていてて食傷気味。ああ革新がゴネてんなぐらいの気持ちしか呼び起こさない。弱者や貧者を票や献金で食い物にして平和運動だけまじめにやって権威をまちきらす社共の復権なんてゴメンだ。復権された社共がナショナリズムと手を結ぶなんて、最悪の選択だ。そこまで根暗な社会を求めなくては小泉は打倒できないのか。違うだろう。
だいたい社会党も共産党もまじめに社会主義なんてここ40年は考えたことがない。そんな連中に期待するのは間違いだと思う。
小泉政治の分析は奇想天外で面白いのに、自分たちの行く末に対する構図はちょっとめちゃくちゃだ。

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2005.10.03

10/3 相手を叩いて世の中が変わるか

午後一番に、私と一緒に労働運動から共済に異動になった理事長のあいさつを聴く。それから朝霞に戻り、次世代育成支援行動計画推進委員会の会議に出る。

昼間という時間帯のせいか、保育所に風当たりが強い。曰く税金を独り占めしている(年金受給者、医師や介護業者に比べてそうだろうか)、預けれている親はお気楽だ等々。
そうした保育所&保育所利用者への風当たりが強くなると、保育所利用している保護者は「専業主婦は働かないで社会サービス受けてお気楽だよなぁ」なんて議論になって、実に不毛な展開になってしまう。最悪な場合は、役所が両方の議論を手玉に取って何もしなくなること。
保育所を利用していようが、利用していまいが、社会資源をきちんと利用して、子育て、生活、労働、余暇のバランスのとれた生活して、子育てを通して少しでも楽しく、充実した暮らしを創り出すことに意味を求める議論をしていきたい。

●ムネオ疑惑で連座した佐藤優の「国家の自縛」を読む。
外務省、情報外交のあり方、対ロ関係について、編集者のしょうもない質問に対して、佐藤優が極めて的確に答えていくかたちで書かれている本。
興味深かったのは、北方領土四島返還論。単細胞民放視聴者の代表のようなテリー伊藤はムネオ疑惑のときに、鈴木宗男の北方領土返還交渉の動きを「売国奴」と言ってのけた。多くの日本人も四島一括返還論が、鈴木宗男が推進した現実的四島返還論(鳩山・グロムイコ交渉で返還に言及した歯舞・色丹の返還を確定し、国後・択捉を交渉事項にするやり方)より正しいと信じている。私は、北方領土問題の課題は漁業者の安全が第一の目的なんだから、歯舞・色丹の先行返還だって構わないと思っている。
佐藤は、原則的な四島一括返還論にもとづく運動は、進める側が絶対実現しないことを前提に運動を進めており、運動体はそのために年間1億円程度のお金を政府からせしめ取り利権化していると言う。

最近、外交で突っ張れば突っ張るほど国内受けがいい。しかし、北方領土も、靖国参拝も、北朝鮮拉致事件も突っ張れば突っ張るほど元も子もなくなっている。でもその突っ張っている立場の本質は何の外交成果も必要ないという立場なのではないかと思ってしまうことも多い。安倍晋三の言っているやり方で拉致被害者が帰国するシナリオを見てみたいし、根室の漁師たちがイスラムマフィアに泣かされない漁業ができるシナリオを見てみたい。ないだろうと思う。
実を取る外交は、交渉で突っ張り、国内向けには世論の暴走を沈静化させ、交渉の中でお互いの最大のメリットを冷徹に探ることではないか、と思っていたら、佐藤も同じようなことを言っていた。

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2005.10.01

10/1 いのちの対話

NHKスペシャル「いのちの対話」中絶に携わる産婦人科を舞台にしたドキュメントが良かった。

医師たちが誠心誠意、妊婦と父親となる人たちに関わり、単に子づくりというお産ではなくて、命を受け止め、生命を実感してもらい、子どものもつ生まれてくる力育つ力を実感してもらおうという取り組みに感動した。

我が子を授かったときの胎児の心臓の動き、心音、そしていのちの重量感、喜び合ったこと、そしてお産のエネルギー、そんなことを思い出して、それらが走馬燈のように走りながら、番組の中で迷って迷って中絶を決断した人のこと、逆に中絶を思いとどまった人のことの思いをかみしめ番組を見た。

3人の祖父母の死に、私は立ち会えなかった。2人は九州で同居していた親族が看取ったから、寂しい思いはさせなかったと納得させることはできても、1人の祖父は近かったし、立ち会えないとは不覚でしかない。祖父母と同居していた親戚に聞くと、病院の対応が悪く、容態が変化しても家族を呼ばずにおき、病室での孤独死だったようだ。年齢からして死は仕方ないにしても、そのありようがやりきれなかった。

医師や助産士、看護士といった専門職ではないにしても、生まれてくること、子ども、そして死について考えていきたいし、できることがあれば関わっていきたいと思っている。そしてそういうことに取り組んでいるひとを励ましていくことができれば幸せだ。

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9/30 注文の多いレストラン

先の衆議院選挙をたたかった同志で、上京組と一緒に飲む。
新宿で待ち合わせだったので悪い予感がしたが、大当たり。新宿の「星の雫」というありがちなネーミングの居酒屋だったが、今時のダイニングなんちゃらで内装こそきれいなものの、店が客に注文ばかりするありさま。なんちゃらコーディネーター、なんちゃらコンサルタントの言われるままに従ってこんな店ができてくるのだろう、という感じがしだか、客を大切にしていないことがありありで、一見さんしか行かないだろうなぁ。私は二度と行きたくない。
プラスチックに派手なイラスト、筆文字で店の名前を出している、和風ダイニング風の店にいい店はないと、再び確信。
まさに、注文の多いレストランという感じだった。
最後に、割り勘で支払をするために両替を頼んだら、まず会計をしてからにしろ、と偉そう。客の言いなりの店も困ったものだが、ここまで居丈高なのも嫌だ。はやく潰れてしまえ。

で、こんな店でも売り上げや利益を上げてれば、日経や小泉構造改革の価値観では努力したと評価されるんだから、オレオレ詐欺だって、やっている側からすれば努力したつもりになれる社会なのだろう。

家に戻って家族が玄関におかえりなさい、という立て札を立ててくれて、それで心が洗われた。

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