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2005.10.26

10/26 クルマの従属物なのか子どもは

昨日の朝のニュースで、バンコクの高速道路の渋滞を解消するために料金所の手前で料金徴収員としてアルバイトする子どもの話が紹介されていた。確かに低賃金労働から子どもは解放されるが、交通事故に対する見返りの少ない国で、排気ガスだらけのところでアルバイトさせられることは、屋台で働くことより良いことなのかどうか、考えさせられた。NHKのアナウンサーが、保険に入っているから万一のことがあっても大丈夫だそうです、と明るく伝えていたが、死んでも保険で命は返ってこないし、交通事故死に対する重みが低い国で、支払われる保険金は事故を再発させてはなるまい、というインセンティブが働くようなものではないだろう。

しかし、この万一のときは保険に入っているから大丈夫です、という言葉、確かにそのための保険なんだろうけど、保険金で解決できないことがある、ということを忘れさせる拝金融主義的な言葉で嫌になる。

そして土曜日に聞いたのは、朝霞市内に、中学校・児童館前のガソリンスタンド建設問題が強行されて話題になったその隣に、児童館の利用者のための駐車場を建設する話が浮上しているという。
何か本末転倒していると思う。子どもがクルマを運転するわけじゃないのに、どうして駐車場が必要なのだろうか。親の都合とニーズのために児童館は作られ、運営されているのだろうか。子どもも利用できる公共交通を何とかすることの方が大事じゃないのだろうか。
それと、これには土地の賃借料か取得費用がかかっているはずだ。マイカー利用者のためばかりに税金を使うのはやめてほしい。

バンコクの話にしても、児童館の話にしても、子どもがクルマとクルマを運転できる人の従属物でしかない価値観がある。だから屋台の労働は卑しくとも、危険と隣り合わせの料金徴収員は文化的だとなるし、子どもを抱えて大変な親のためになら駐車場はもっともっと整備されて当たり前、という論理が、児童館周辺を安全な地域にするという論理を超えていってしまうのだ。

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コメント

「この万一のときは保険に入っているから大丈夫です」という言葉に怒りさえ感じます。

独身者や子供をもうけない大人を差別するわけではないのですが、彼らにはしばしば命を軽視する発言が見受けられます。

やはり反戦平和の話題であっても、身近な命の尊さを語ることであっても、子を持つ人間ほど重く深みを感じるのは私だけでしょうか。

投稿: シンタロウ | 2005.10.27 16:07

シンタロウ様。
9月から共済に異動になりました。人間のトラブルや生き死にをお金に換算している世界になるわけですが、時折届く死亡解約の申請を見るたびに、保険が無いよりはよかったかも知れないが、二度と返ってこない人のかけがえのなさを思って画面に向っています。
万一で取り返せる万一と、取り返せない万一があります。アナウンサーの言い方は金融資本が肥大化するなかで、最近気になる言い方でした。
赤ちゃんのいいにおい、感触、うごめき、そうしたものに接したら、誰でもがこんな時代があって、大きくなったら二度と返ってこない姿なんだと思うと、とてもいとおしくなります。そのかけがえのなさの重みを感じること、そこからしか人命にかかわる議論は始まらないと、同感です。

投稿: 管理人 | 2005.10.27 21:13

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