10/12② ベビーシッターを考える
97年に改正された児童福祉法によって、各自治体でスタートした保育ママ(ベビーシッター)が各地で整備されている。多様な保育として歓迎されている。
しかし、先日、この保育ママによる虐待事件が起きた。ベビーシッターという制度はあった方がよいが、子育ての本質的な機能を考えると、保育施設を基軸にした保育を中心に施策を進めた方がよいとやはり思った。
少し昔だが、アメリカで、ベビーシッターによる児童虐待が常態化している、というニュースに触れたことがあって、いくつか示唆を与えられた。もちろん日本人とアメリカ人との感情の表し方に大きな違いがある、ということは割り引きながら。
密室で一人きりで保育するということである。保育者に相当な力がなければ厳しいと思う。保育所の保育士よりもずっといろいろなことを自力で解決する力がなければつとまらないと思う。
それから、アメリカの場合、保育士は蔑まれる仕事のようで、女性にとっての3K労働の象徴だ。アングロサクソンには教育を高く評価しても子育てを蔑む価値観も後押ししている。
他に仕事があるような人はなかなかやりたがらず、言語コミュニケーション力にハードルの多い移民が担っていることが多い。また、日本のように公的な補助がないため、保護者が払えるお金の範囲でしか報酬は払えない。したがって、一丁前の人件費を取れるような仕事にはなりえない。
また、子育てにとって、家庭内でベビーシッターと向き合い続けることがどうなのか、という感じがしないでもない。私は、子どもは子どもどうし育つことを基本にすべきだと思っている。親が知識としての生活習慣や人間関係を教え込むよりも、子どもどうしの子ども社会で体得していくことの方が、人と人とを大事にしていく技術を体得していける(もちろん一人が好きだったり、他人と一緒にいることが苦痛な子どもがいるから、そればかりを全面展開するつもりはないが)。
そして、今子どもを適当に放牧しておける空間がない。子ども社会が地域に全くない。そうしたものの代替え機能が保育所や学童保育が担っている。だから私は子育てはなるべく保育所や学童保育を中心に行うべきだと思っている。
●毎日新聞が衆議院の選挙制度についてアンケート。多くの国民が比例代表との重複立候補を問題だと言っている。だいたい選挙で負けた方は、いろいろ選挙制度のせいにしたがるもので、選挙が終わる度に、きちんと思考されてもない俗論で選挙制度の見直しが議論されるのはたまらないものだ。
復活当選は見た目おかしいかも知れないが、問題は単純なものではないと思う。小選挙区制を基本にする以上、復活当選のような制度を作っておかない限り、ほとんどの選挙区では現職有利に動き、議席が固定されてしまう。現に都道府県議選の1人区の多くが無投票当選または現職対共産という結果がわかりきった構図だ。それこそ小選挙区制の弊害がおきてしまう。また比例代表にしか立候補しない候補をそろえ、誰を当選者とするのかを決めるのは難しいのではないか。
復活当選の制度は、健闘度で当選が決まるため、相手より少し弱い候補でも、努力して迫っていけば認められる、そうした今の制度は評価すべきではないか。
また、比例代表と小選挙区を別物とすると、それぞれで候補者を用意しなくてはならなくて、さらに多くの政治家をこの社会は抱えなくてはならない。今で落選中を入れて国政の政治家は1400人ぐらいだが、小選挙区と比例代表を別物にしたら、2000人ぐらいの政治家を用意しなければならない。それだけ税金がかかると思えば、今の選挙区制度は、小選挙区の候補者を比例代表の候補者として吸収しているので、必要以上に政治家は増えない。細部をいえばいろいろあるが、結局のところ政治家は国会内での政党の投票要員だと思う。トータルで政党が獲得する議席が同じなら、無駄に社会で落選浪人を抱えるようなシステムは良くない。
選挙制度そのそのを見直そう、という考えもあるが、完全小選挙区制なんて論外だし、逆に左向きの人はドイツの選挙制度が良い、という人がいるがこれはさらに複雑で今の衆議院の選挙制度を消化できない国民にはもっと理解できない代物だ。中選挙区制の復活は今以上に政治家を落選させることが難しくなる。今の制度がベターな選択肢なのだ。
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