9/8 子育てと選挙
小学校のときの恩師が亡くなり、通夜に出席する。
小学校2年の1年だけの担任だったが、その後もいろいろかわいがっていただいて、本を読む愉快さ、作文を書くおもしろさを教えてくれた。その経験があるのにこんな雑文しか書けていないことが恥ずかしい。
高校を卒業して私が北海道に行ってから、なかなか会うことができなくなり、認知症が始まってからは息子さんが引き取られ、周囲の助言もあって会うのを遠慮してきた。いろいろ迷いながらもとうとう朝霞に戻ってから1度も会えなかった。それなのにご家族が暖かく声をかけいていだたいてほんとうに申し訳ないとともに、感謝した。
●毎日新聞の家庭欄で児童手当乱発の今回の政党のマニュフェストを検証している。財源を明示しているだけ民主党がいいが、他の党は財源論もない公約だ、そもそも児童手当が子育て支援になるのか、という疑問を掲げている。
子育てにお金がかかりすぎる、という被害者妄想だけで政策決定がされていないだろうか。新自由主義エコノミストのイデオロギーが跳梁跋扈し、左翼はもちろん、ケインズ経済学まで迫害されたり差別される現在の風潮のなかで、金融屋や資金援助NGOのようなものの考え方しかないのだろうか。
ようやく私も、若い人が「子育てにお金がかかる」という回答の本当の感覚が見えてきた。お金がないから子どもを産み育てないのではない。優先順位をお金という指標で表現しているだけに過ぎないのだ。子育ては高い品物より価値がない、と言っているのだ。
すなわち、どうでもいいものは100円均一で買い、マイカーなどいいものなら、ある払える限度までお金をかけるというのが今の若い人の行動パターンだ。でなければ年収300万そこそこの若年労働者がブランドのバッグを買ったり、スポーツタイプのマイカーを買うことの意味が読みとれない。子育てがある程度の経済的不自由を犠牲にするほどの価値がない、と若い人が感じているのだ。
●昨日、埼玉県の民主党の候補者の政見放送を初めてみた。以前は、首都圏は県別に時間帯をシャッフルしながら政見放送を放送していたのに、今回から県ごとに時間帯が固定された。だから神奈川県と東京都の政見放送しかみれなかった。
それはともかく、政見放送で民主党のある若い候補が、最近子どもを持ったと話す。続いて「子どもを持つ親の痛みや苦しみがわかった」とくるのかと思ったら、「子どもを持っているのに投票に行かなくてどうするんでしょうか」と画面の向こうから説教している。これが民主党のダメなところだ。
子どもを持つ人の大変さや苦悩に共感して、政治に問題意識が発生してから政治家が子どもを育てることを自慢する意味があるのに。投票するかしないかは大事なことだが、選ばれる方からはお願いされても、説教されるような筋合いではない。
●毎日の夕刊で、「改革連呼と子育て」という特集があった。これまた面白い。
子育てする立場から政治の無能さを嘆きながら、小泉の意志の強さに籠絡され、投票を逡巡する女たちのコメント。男性では自民党と民主党の支持率の差はないが、女性は自民党の支持率が高い。意志を押し通すことが評価されているらしい。マッチョで強引なのがいいのか・・・。男は楽になれないなぁ、と嘆いているだけならいいが、そうした感覚の人は、ものごとがうまく行かないときに撤退したり、方法を変えてみたり、そういうことを背後から許さないわけで、思いが通らなければ玉砕しかなくなる。軍国の母みたいのはこういう感覚から生まれてくるのかなぁ、なんて思った。
この記事はそうでなかったが、今回、毎日新聞の政治欄は自民党に甘々ではないか。ヨイショ記事が多すぎる。選挙が終わったら、今後の購読の継続について再考しようと思う。職場でも読めるし。
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コメント
児童手当をパチンコとかゲーセンとかですってしまう親がいるのが現実です。
一方でまじめな夫婦は自分は生まれてくる子供の幸せに責任を持てない、と悩む。
少子化は児童手当では解決しないでしょうね。社会の仕組みを変える必要がある。
大家族を解体して無理矢理若者を都会に連れてきた。結果は育児ノイローゼと虐待です。親の役割が継承されないのが核家族だから。
一方で田舎に残された年より世帯は台風の犠牲になっている。
田舎を破壊し、無秩序な都会を作ってきた霞ヶ関。役割は終わりましたね。
投稿: takeyan | 2005.09.10 02:14
「優先順位をお金という指標で表現しているだけに過ぎない」に,なるほどな,と思いました.でも,教育費(塾を除いたとしても,高校や大学の学費など)だけを考えても,実際けっこうかかりますよね...(1人あたり3千万円,などとどこかに書いてありました).お金の計算から初めてしまうと,べつにほかのことにぜいたくするつもりのない私でも,何人までなら育てられるだろうか? と不安な気持ちになります.
子育てをしたことのない人(ましてや結婚していない人)に「子育ての価値」を伝え,納得してもらうのはなかなか難しいだろうと思います.まずは,産みたいけれど壁が高いと感じている人の支援(保育園の増設やサービス向上,出産の健康保険適用)を望みます.そして,喜んで子育てしている人が増えれば,「わたしも子育てしたいなぁ」と思う人も増えるのではないでしょうか?
投稿: straycat | 2005.09.10 07:43
コメントありがとうございます。
takeyanさん
前提の話は同感です。お金をばらまく話はないと思います。
後段の大家族の再生は無理ではないですか。江戸時代の江戸は大家族ではなく、ご近所がそうした役割をしていました。変に愛憎のから肉親より、生活を共有する近所のおばあちゃん、おじいちゃんの関係の再生が大事だと思います。駄菓子や風呂屋の再生とか、道路に縁台出して近所ですいか食うとか。
straycatさん
子育てにお金がかかるというのですが、疑問なのです。食べさせて風呂入れて遊ばせて寝かせて、どこに特段お金がかかるのかあまりわかりません。
分不相応に塾に行かせて、個室を持たせて、お金をかけまくって結果としてあまり良くないですね。子育てに使うお金が肥大化するのにあわせて政治がお金をばらまく、しかも子どもに直接渡さず、親に渡すところが良くないと思います。
あと、本当に子育てにいろいろ負担を感じている人にはお金より、現物サービスだと思います。いらない人にまで税金を使う必要はないし、必要な人に集中的にお金が使われるから税金を払う意味があるのでしょう。
投稿: 管理人 | 2005.09.10 08:19
大家族復権はまあ、ありえないでしょうね。
ただ、コストの外部化は今でも限界を超えており、おっしゃるご近所の力がターゲットのひとつになると思います。
投稿: takeyan | 2005.09.14 03:15