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2005.08.31

8/31 努力貧乏の働きすぎの時代

●「プリズンホテル」を読む。面白かったが、何かおきるかわくわくさせながら、意外と落ち着くところに落ち着いた終わり方をして、全体ではいまいち。

●通勤電車の中で、森岡孝二「働き過ぎの時代」岩波新書を読む。技術革新や情報化で仕事が効率化しているとともに、いつでもどこでも仕事に応えなくてはならなくなって、かえって人間性を喪失した労働環境になっているという現実から、さまざまな問題提起をしている。引用文がいい。

買い手としての私たちにとって、より良い製品やサービスを求める選択が簡単になればなるほど、売り手の私たちは消費者をつなぎとめ、顧客を維持し、機会をとらえ、契約を取るために、ますます激しく闘わなくてはならなくなる。この結果、私たちの生活はますます狂乱状態になる。

24時間の郊外型スーパーができて、コンビニができて便利になる一方で、そんなところぐらいしか働き口がなくなっている現実がそれだ。そして、この狂乱状態の枠外にいる人だけが、つなぎとめられる消費者としてのおいしい思いをしている。つまり土地持ちの資産家、その子弟の大学院生とニート、公務員・教員、シンクタンク職員たちだ。そして彼らに対する必要以上の反感、嫉妬、風当たりも起きてくる。「民間はこんなに努力しているのに」と。でもそれは努力貧乏というものだ。でも、そうしないと目先食べていけない。無産者はやるせない。

それはともかく、ケインズ経済学が否定され、社会のパイを増やさずにがんばることがイデオロギーになった。社会の繁栄の源が、すべて需給の力関係と、それをシフトする個々人の努力の問題にすりかえられてきた。そうなると収奪しかない。低位安定のように見える労働政策や労働組合のふんばりは、収奪の邪魔者なのだろう。その絶叫して労働組合を批判し、収奪を正当化して言いくるめるのが、小泉構造改革だ。あるいは民主党の半分もそんなことかも知れない。
小泉は労働組合が国民の敵だと選挙演説で絶叫する。国民は自分が収奪される側であることを全く気づかず、収奪する側に立っていると勘違いして絶叫に聞き惚れている。

私は小泉構造改革も、規制緩和の盲信も、イデオロギーであり宗教のようなものだと思っている。結果的に人や社会を幸せにしようがしまいが、正しい、ということを前提に議論されているからだ。しかしその猛威は激しい。民主党の半分はそのいわしの頭を疑えない。だから金子勝にバカにされ続けているし、内橋克人にも相手にされない。

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