7/26 退職したら地域ニートになるのかな
昨日、地域福祉計画を県下に広めたいので何かできることない?と県の要請を受けた人から、アイディア出してくれ、と誘われて話し合いに行く。いろんな話をしたが、とりとめもない話で団塊の退職者をどうするか、という話が出てくる。
これから5年ぐらいの間に埼玉県で40万人もの団塊の世代の退職者が出てくるらしい。人口が700万、労働力人口が400万から500万というところだから、恐ろしい割合の無業者が地域に溢れかえることになる。
で、その団塊の退職者が地域のために動いてもらえる人材になりうるかどうか、という心配をした。その上の世代のように、地域の人と将棋を指したりできるのかなぁ。人それぞれだけども、若い頃から装置産業的レジャーやマスメディアにどっぷり浸かった初の世代だから、そういうの苦手なのではないか、学生運動をやったり生活クラブをつくったり会社の改革に熱心な世代だったけど、実際にはゴルフ、野球、ドライブ、バーベキューといった企業社会にどっぷり浸かったライフスタイル・趣味しか興味を持たない人が多くて、地域で誰かと対等につきあえ、なんて課題を下しても簡単に受け入れないよね、なんて話になる。マイホームパパは地域と切れているでしょう。
県内では知事に親しい政治家やグループが、団塊の世代の退職者を当て込んで、退職高齢者をNPOに活用、なんて政策を簡単に言っているが、簡単にはそうはならないと思う。もちろん、連合埼玉・労福協のように退職者を地域活動者としてトレーニングしている活動もあるが、40万人のグロスからはほんとうにごく一部の機会に恵まれた方か、意志のある方々だろう。
企業というある種のヒエラルキーのある共同体にどっぷり浸かってきた団塊の世代のお父さんたちが、ヒエラルキーはない、包み込んでくれるようなもののない地域社会に戻れ、と号令かけられても、何やっていいんだかわからず、そのまま会社のOBとゴルフ行ったり、妻とさまようようにドライブに行くことしかやらないのではないかと思っている。退職してさっぱり離れていく人もいるが、多くの人は、むしろ今までの会社で培ったノウハウを使えないか(今までの仕事のやり方を退職後も通用させられる職場はないか)、と模索しているのが現実だ。
会社のように鉄のピラミッドの地域福祉推進の組織を作って、70代や60代後半のモーレツサラリーマン世代のおじいちゃんに管理職を勤めてもらい、戦争を知らない団塊の退職者たちに「ばかやろう」「だから今時の若いのは根性がないんだ」「仕事中に携帯電話するんじゃねぇ」なんて机叩かせて怒鳴らせたら、団塊の世代はがんばっちゃうかも知れないねぇ、なんて冗談話も出る。もちろんそんなのではちっともいい地域社会にはならないけど。
退職者を地域活動に活かしていきたいなら、退職してからでは遅いと思う。ごく稀に、自分や妻や自分の子どもが障害や病気になったり、失業したり困った問題があって、仕事ばっかりじゃ家族守れないんだ、と自覚する機会に恵まれた人だけが地域に足場をつくっていったりするが。
私は、もっと若い人たちにもアプローチしないとダメじゃないかと思う。まだ偉くないうちに、地域社会や、PTA的な場で、いろいろやって、楽しい経験や成功体験を積まないと、退職で辛くも全人格を包み込んでくれる企業社会という共同体から与えられる毎日の刺激が無くなったときに、地域でそれと同じぐらいの居場所を作れと言われても難しいだろう。
退職者を地域でどうするか、ということはニート問題と良く似ているのである。子どものときから人間関係や手伝いで成功体験を積まない子がニートになりやすい、という玄田氏の説を取れば、地域社会で人間関係や手伝いの経験を積まない月給取りは、退職してから地域ニートになる、と言うことができるかも知れない。
家族という共同体から社会に飛び立てない若者、会社という共同体から家族や地域という共同体に飛び立てない退職者というのが今の社会の問題なのか。
ただ、団塊の世代を迎え入れた地域社会というのが、ほんとうにどうだったのかは検証しなくてはならない。私の子どもの頃の感じでは、当時の地域社会は勤め人の家庭にとても排他的な世界に感じた。たまの休みの地域の人たちとのつきあいが新参者扱いで苦行なら、いくら「地域が大事」といってもお題目にしかならないし、電車で15分で行ける池袋のデパートや飲食店の方が自分の世界だろう。誰でもが地域で何かが始められる、それにフレンドリーでおもしろがる仲間がいる、そんな開かれた地域社会をつくらなくてはならない。
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