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2005.07.20

7/20 ダメ政治家の餌としての教育問題

高橋史朗教育委員が夢に出て、うなされた。ポマードひげがたまらん。
彼を批判している勢力は、教育委員就任に反対して署名活動をやったり、適格性をめぐって裁判闘争をしようとしたりしているが、やり方がうざいし力がない。もっと有効に政治的に退治させる方法を考えてほしい。政治が選んだ教育委員なのだから、政治で決着させる方法を考えないと。草薙の剣はないものか。

●埼玉県民の7割、投票率でチチンプイしても3割もの人が極端な右翼的思想あるいは民族主義的な思想を持っているとは思えないのに、県議会で7割もの右翼的言動をする議員がいるのか、高橋史朗とつるんで歴史教科書の採択を働きかける議員がいるのか、不可思議だ。
小選挙区の多い県議選の選挙区制度や、長く、社会党県本部が内部抗争に明け暮れて、保守系が好き放題できたことなども理由だと思うが、そもそも政治家のリクルートシステムや、有権者が政治家に求めるモラルに原因があると考えたほうがよさそうだ、という感じがしている。
議員がそうした特殊なイデオロギーに傾いていく理由を考えてみた。

第1に、政治家は激しい営業競争の中で選ばれることの人間的限界がどうしてある。まして日本の政治家は、経営理念(深い思索や哲学)、商品開発(政策づくり)、物流体制(政治組織化)、コスト管理(政治資金のバランス)といったことをおろそかにしてまで、営業競争に明け暮れないと選ばれないのだから、営業競争至上主義の体質に染まりきった人種ということができるかも知れない。
その中で、大なり小なり、弱肉強食を是とするダービニズムや結果至上主義によるものの見方、考え方がつきまとってしまうのかも知れない。

第2に、有権者は政治家のモラルを厳しく求めることにある。強制わいせつは論外だが、誰も通らない赤信号を渡らないなど、ありとあらゆる私的欲求を抑えて生活しなければならない。そういう毎日を送っている政治家が、自分の不始末の結果としての交通違反のもみ消しや不公正な保育所の入所順位の操作で頼ってくる有権者の自堕落なモラルに苛立ちを感じずにはいられないのだろう。
だから政治家は倫理問題やスキャンダル追及がどれだけ有権者の正義感を刺激することを知っており、またそれを利用することに熱心なのだろう。ルサンチマンに教育を利用することはありうる。この辺は政治家がたまたま政治を担ってくれる職業で、それ以外の専門性は一般人と同じなのだ、という認識が国民に必要かも知れない。政治家に必要なモラルの範囲について、再定義する必要があると思う。

第3に、そんなひどい労働環境の中で政治家は、偉い人として時折、大所高所に立った議論を求められる。そのとき、諄々と今の政治がうまくいかない理由を話す政治家もいるが、中には思考や説明能力の向上を面倒くさがっている議員もいる。政治の無力で社会改革が進まない責任を「結局、教育が悪いんです!」と言っておけば政治の責任ではなく、教育というチチンプイのブラックボックスのせいになる。政治家として難しいことはしなくて良くなる。文部大臣出身の首相経験者が森喜朗氏と海部俊樹氏しかいないことが教育にこだわる議員の水準を語っている。

教育は中央集権で、何言ってみても福祉のように地方議員の責任は問われない。受益者は子どもたちで、有権者でもないし数も少ない。政治にかけつけてくる有権者なんて、子育てもしたこともなく、もう子どもに責任を負わなくてもよい人たちが大多数。主張の有効性を問われるようなことはない。地方政治家の与太話をさも大きな話にすりかえるのに、教育の民族主義的な改革というのは格好の餌になっているのではないかと思う。

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