« 2005年5月 | トップページ | 2005年7月 »

2005.06.30

6/29 心の疲れと仕事の両立

昼から出張で奈良へ。
東京駅に行くに少し時間があって、東京国際フォーラムで亀井静香の絵画展(無料)が開かれているというので、観にいく。うまい。関東に住む人間にとって穏やかな富士山を、まるで浅間山や妙義山のように激しく描いている。これは郵政民営化などへの政治的なメッセージかな。意外なところは①茫漠たる風景画が好きらしい②桜を描かせるとピンク色の使い方がうまい、ということ。無骨なイメージが強いが、こっちの方が亀井さんの実像なのかも知れない。

メンタルへルス対策に力を入れている奈良県平群(へぐり)町の取材。奇遇というか、何というか、ワイドショーで話題になった「引っ越し~」おばさんの町だ。大阪のターミナルから急行停車駅で2つ、そこから支線に乗り換えて3駅程度、30分の近さのせいで転入者が多い。また生駒丘陵の斜面のなだらかなところを選んで、関西特有の丘陵地の住宅が並んでいる。

平群町では、町役場の総務に保健師を配置して、職員の健康管理に力を入れていること、職員の悩み相談等に力を入れていること、メンタルに問題を起こしてしまった人の職場復帰に際してとりまく同僚たちへの働きかけをちゃんと行っていること、などが良い話を聞けた。最近の「住民」感覚からいうと職員のために保健師を置くなんて、という話になるのだろうが、役所や公務員に対する視線が厳しくなっている中で、きちんと対策をうたなければ職員たちが働けなくなったり、能力が十分に発揮できなくなったり、住民の声をきちんと聞けなくなる。そうした観点からも、無駄とは思えない。

終業時間後の役場では、職員向けに隣の生駒市の精神科医の講演を行っていた。メンタルで問題が発生した場合、原因追及より、解決志向が大事、という話には考えさせられるものがあった。またこの先生の講演では、これまで聖域視されていた教員、公務員、医師の精神疾患が増えているということで、きちんと対策を打たないと、同僚がポキポキといなって、住民サービスが維持できなくなるという話をされていた。

夜10時に天王寺に到着。都ホテルに泊まる。予約したシングルルームが満室になってしまったので、申しわけなさそうにダブルルームに変更になる。シングルの料金(しかも割安な料金)でダブルルームに泊まれた。ありがたい。しかし、天王寺はさびしい街だった。コンビニで飲み物を買って終わり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.28

6/28 都議選の風景

機関紙の送り先と市町村合併の影響について、いろいろ検証する作業を行う。予定外の市町村合併が増えている。また組合の住所変更の連絡が、まだ3月ぐらいまでの合併しか届いていないことが判明。大量にあった4月以降の合併はこれからのところが大半、ということがわかり、まだまだ送り先の住所管理の混乱は続くようだ。それでも4500ヵ所の送り先で、毎号2ヵ所程度しか送り返しがないことは、成果だと思う。

昼休み、職場のある千代田区某所を歩いていたら、自民党の有力都議が、近所の公共事業関連の大手業者の本社前で演説会をしていて、そこの社員と近所の人たちが集まっていた。演説会が終わり、選挙カーが動き出すと100メートルもしないところでまた止まった。ビルのオーナーらしき住民夫婦が選挙カーに深々とお辞儀をしている。普通、候補者が深々とお辞儀するものだろう?と思ったが、千代田区は区民が少なく過疎地と同じなのかも知れない。現職議員が選挙カーが来たら、表にでて挨拶しないと、目立ったりして、いろいろ不都合があるのだろう。
そして昼下がり、職場が組合なので、都議選の重点候補の選挙運動用はがきの記入を求められる。親戚や知人がいる選挙区ばかりだったので、何とかノルマを達成。いい候補者なので、推薦しやすくてよかった。

東京の選挙は難しいと思う。人と人とのつながりを拒絶した人たちへの投票依頼を行わなくてはならないので、究極のところマスコミ出演以外に有効な手だてはない。労組も支援候補の働きかけを組合員にやっているが、他の大都市圏と比べても反応が悪いし、「なぜ電話かけてきたんだ」という入り口論でのクレームが多い。
こうした態度は一見自立した市民のように見えるが、入り口で拒絶するのは投票の判断に必要な情報を集めることを拒絶しているわけで、ローカル浮動票はマスコミに乗せられた投票行動しかできなくなってしまう。だから東京は、ウルトラ官僚かタレント知事しか出てこないのだろう。政治家は知事になれない。
余計なこと言うと、選挙運動の入り口論のクレームを言う人が東京で増えてしまったのは、共産党が支持者に他党からの選挙運動を撃退するために始めたもののようだ。そのために市民には近づきにくい選挙になっている。これは東京の共産党の独特のものらしい。

最近では、マンションへの政治活動ビラ入れを規制する雰囲気になってきているし(公的目的のないピンクちらしや不動産屋の広告ちらしは野放しなのに)、個人情報保護法のへんな理解のされ方だけが進んで、一人ひとりを説得していくような手法の選挙はやりにくいだろうと思う。

共産党で思い出した。共産党の選挙演説って、どうして最後が「しようではありませんか」なのだろうか。一緒に何かしたいなら「しましょう」、お願いするなら「してください」でいいと思うのに、まどろっこしい言い方、しかも長州弁なのだろうか。
民主党の保守系がよく使う「させていただきたいと思います」という述語も良くない。日本語として良くない。
東京は駅や商店街で通りがかりの人に話を聴いてもらって票を集めていくような運動をとる。通り過ぎる十数秒の間に、候補者名を伝え、その候補者の訴えたいことを伝えなくてはならない。だとすると、「させていただきたいと思います」などというような長い述語を使っていては、大事なことを伝える時間がそれだけ減る。「●●をします」「●●をお願いします」と簡潔な述語にしないと、ただだらだらと時間が過ぎていく感じを受ける。

などとだらだら選挙の雑感を思う。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.06.27

6/27 愛した社会党

朝から暑くて倒れそうだった。一転、通勤電車の中は冷凍庫。そして猛暑の中を歩き、職場は冷房。体が変になるような感じがした。

仕事帰り、ある都議選の民主党候補者陣営に寄る。帰り道は乗り継ぎが順調で、最後のダメ押しに駅から自宅近くまでの3時間に1本しかない東武バスが偶然やってきて、涼しく帰宅。

都議選の陣営で聞いたことだが、民主党の右っぽいイメージだけでは候補の実像を示さないので、左にウイングを広げて共産党への票の流失に歯止めを掛けようと、ある社民党代議士に応援を頼んだらしい。ところが、自民党候補だけを応援する地元の市長が社民党の市議の力を借りて潰させたらしい。東京社民、情けない。世田谷の大久保さんの陣営が心配だ。

1985年から10年間愛した社会党の零落に、悲しい思いをする。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.25

6/25 少子化と世代間の感覚格差

池袋東武で職人市を見てくる。富士見市の嶋村忠治さんの座敷ほうきに見とれ、話術に巻き込まれて買うが、なかなかいいほうきだ。

●NHKの「人口減少社会②どう思いますか?子どもが生まれない社会」の番組が良かった。
ドラマのつくりが良かった。私と同世代の人間が首相になるというリアリティーに改めてどきっとしたし、子育てに悩んでいる世代が、昨日今日入った新入社員のような世代というのも、どきっとした。少子化だけではなくてその世代の働き方や、高齢者の将来像、介護ビジネスのあり方などにも問題を提起していて、話題盛りだくさん。前回の格差社会のとりとめもない議論よりずっと良かった。

ある参加者が言った、最終的な問題は長時間労働して一丁前というシステムがこれからは役に立たないという発言が、ほんとうのところを突いているのだろう。
これからの労働力減少社会で、高齢者も子育て中の女の人も働かなくてはならない時代が確実にやってくる。その中で、男が長時間労働することに合わせる社会システムでは、国民全体が働きの割にどんどん貧乏になるだろう。「がんばった人が報われるべき」として、がむしゃらに働くことばかりを要求する小泉構造改革では、儲からない子育ては全く評価されないだろう。小泉首相が続く限り、少子化は進めども止まることはないだろう。

次に、M字型雇用を前提として、軟着陸させる制度をNHKが先行事例が紹介された。それに反発して、水島広子代議士と遙洋子が、お母さんが子育てするのが当たり前、という固定観念の打破が必要だという、意見は重要だと思った。男も女も子育てし、ときには社会の力を援用して子育てしていく社会にしないと、子育ての負担は誰も被れなくなるだろう。

それとやっぱりお金の問題。これから子どもを生もうとする参加者の多くが経済的問題に言及していて、それはそれで本当だと思う。
だからといって児童手当をバンバン付ければ子どもを産み育てるかというと違うと思う。子どもを産み育てるということ、つまり親になることはお金をもっていればできることではない。自分が自分であるという尊厳を確保しなければ、親なんかにならない。だとすると親になりうる層に自分の力で稼いで、自分の力で子育てができる社会であることが必要だ。そのためには単に子育て世代にお金を垂れ流すのではなく、自信の持てる雇用と、その裏側の保育政策が重要になるのだと思う。少なくとも今のように雇用を平気で犠牲にする社会のようなあり方ではダメだ。
貧しくても子どもをつくる社会はたくさんある。日本も、40年前まではそんな社会だったはずだ。社会保障の配分の問題もあるが、子どもを産み育てて、かわいいし楽しくて、苦労があるけど何とかなる、という環境を提供しないと、少子化なんて克服できないと思う。その何とかなるのための政策は何があるのか、自治体は考えていく責務があるだろう。

かわいそうだったのは、年金もらいすぎの高齢者が番組の趣旨を理解してあえて出演していたのだが、やっぱり袋だたきにあっていたこと。基礎年金しかない高齢者や、年金保険料負担に苦しむ若者と比べて不公平であることには違いない。しかし、この再配分は別の政策が必要だし、たとえ年金もらいすぎなら全額使ってくれればいい。なぜなら、贅沢する高齢者へのサービスが、若い人が食べていける雇用をつくる。一番たちの悪いのは、年金を貯金する高齢者だ。ケインズ経済学の消費性向の理屈からは、どんな不労所得でも使ってくれれば、社会が再配分し誰かの所得形成につながる。そう考えると、年金からの貯蓄禁止法とか年金からの貯蓄への資産課税法を創ったらいいのかも知れない。

余計な一言だが、団塊フェミニズムの足のつかなさもかいま見られた。
高齢世代が、少子化の恐怖感と自分の生活水準を切り離して考えていることと、若い世代が同一視していることが対称的だった。高齢者の多くは、世の中大変になるだろう、と言いながら、自分の年金生活は変わらないだろう、と予測している。こうした感覚は逃げ切り世代と言われるゆえんだ。こうした感覚にフェミニストの遙洋子が、同調していたのがおもしろかった。
遙は、高齢化が進んだ秋田県阿仁町がガードレールの修復財源も確保できないことを見て、「こんな事例おかしい。ガードレールなんて、国土交通省の責任でしょ、この町のことは参考にならない」と。国土交通省のガードレールの財源を確保しようとしたら、高齢化に対応できる財源が無くなってしまうということを全く考えないように、上野千鶴子に躾られているような感じだった。

両親と年金について議論していても思うが、団塊の世代より上の人たちは、世の中このままでは立ちゆかないと自覚しても、それが自分のことではないとどこか錯覚しているのだろう。きっと、戦後の日本が破竹の勢いで成長していて、その配分に一所懸命ぶらさがっていれば何とかなった世代なのだろう。自分の欲求や意欲が金銭や権利の拡大にとって無駄にならなかった世代なのだろう。
そして、団塊フェミニスト上野千鶴子の子分である遙洋子にとって、社会の未来と自分の未来を同一視することは団塊世代的な権利拡大に反することだ、と感覚を伝授されたのだろうことが見えた。

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2005.06.24

6/24 次の都知事選挙をにらんで

体調が悪く、昼休みに食事もせず突っ伏して寝る。午後、めまいが続き寝込む。

●朝日新聞夕刊で、都議選候補者の応援弁士で菅直人氏の人気が高いと報じる。結局、民主党の新しさなんて菅さんのイメージの枠の中なのかなぁ。社民党の土井さん、共産党の不破さんのように。社民系はオールドファッションだし、小沢派は中曽根時代の若手議員の焼き直しだし、鳩山派は何を言っているかわからないし、薬害エイズ事件と対決して変えた、という現実を超えるリアリティーが他の民主にないのかもしれない。
それはともかくおもしろかったのは、生活者ネットの候補。応援弁士として民主党衆議院議員の石毛えい子さんの人気がトップ。市川房枝と肩を並べている。他の党が党首クラスばかりなのに、ここでは一議員が人気だ、というところがおもしろい。
石毛さんは介護保険創設に尽力し、制度創設決定後、民主党にスカウトされて衆議院議員になった。福祉と人権の政策一本槍で、功名心に囚われた振る舞いが少なく、尊敬している。石毛さんの選挙に応援に入ったことがあるが、とてもできた候補だった。そんなところを一緒に活動してきたネットはよくわかっているのかも知れない。
左派系の人たちには、民主党を必要以上に揶揄する人がいるが、社会党では石毛さんが活躍できたかと考えると、やはり民主党ができたことはよかったことなのだ、と思う。このままの民主党ではいけないし、だからといって意味もなく焦ってもいけないと思うが。

●都議選の報道では、新聞各紙とも石原都知事と菅直人氏を対立させるような報道が目立つ。石原都知事の人気が低下している中で、菅直人氏を07年都知事候補者にしようというムードづくりになってしまわないか、少し心配している。が、ここのところタレント知事が続いたので、政治家としての知事ができることはいいのかも知れない、と考えている。地方自治や、与党としての政策実現ということに拘ってきた菅氏なので、期待するものはいっぱいある。95年の都知事選挙で、菅直人氏は固辞していて、このときに都知事を受けて当選すれば、もっと早く、熊本の細川氏や北海道の横路氏や三重の北川氏のようなネームバリューで国政復帰できたが、今から都知事に転身して、どうなるのか。

●石原都知事が、週2~3日しか出勤していないことについて、記者会見で逆ギレ。
石原知事については嫌いだし、石原都政の政策は問題だと思うが、出勤日数に関しては、そんなに目くじら立てるべきことなのか、もう少し注意深く見なければならないと思っている。毎日出勤している知事より、良い意味でも、悪い意味でも、成果は大きい。知事の仕事は出勤日数とは関係ないということだ。必要があれば毎日出勤すればいいし、必要がなければ週2~3回しか出なくてもよいと思う。また首長や議員は兼任を前提とした制度設計になっている。毎日登庁が必要だとするなら、彼らに専業政治家としての位置づけを与えるべきだろう。
一方、石原知事の交際費の使い方は怪しい。必ずしも交際費を公開することはいいかどうか、偉い人になったことがないのでわからない。ただ政治的決断をするにあたって、公開できないような相手と話をつけなくてはならない機会もあるだろうし、知事側からお願いごとをしなければならない相手もいるだろうし、そうした場合の費用をポケットマネーでやれ、というのはどうか、と思う。世の中だんだん清貧になってきているので、意地汚い人も減ってきてはいて、話を通すのに食事をするのが当たり前と思っている人も減ってはいるが。
石原知事の場合、交際費の総額が大きすぎる、単価が大きい、そしてどうも私的な人間関係に使っているらしい、しかもらしいばかりで、使途の輪郭すらよくわからないというところは問題になるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.23

6/22 小さな政府は政府依存を高める

サラリーマン中心に増税が提案されている。時期が示されていないところは、自民党がスキームをつくって、下野したときに民主党にやらせようという魂胆なのかも知れない。自営業者や医者や農民に比べて、ますます不利になるという感じがしている。

しかし、その中にいくつか合理的なものはある。配偶者控除や扶養控除の圧縮である。税金の控除は弱者にやさしいように見えるが、実は税率の高い高額納税者ほど戻りが大きい。家族構成で、金持ちほど得をするような制度は撤廃したほうがいい。高額所得者の専業主婦が、低所得者の夫婦共働きより優遇されるというのは、制度矛盾だと思う。

では増税しっぱなしでいいかというと、それを補う政策をしなければならないと思う。私は母子家庭への扶養手当の削減が行われたり、保育所の整備や、児童虐待対策が行われる前に児童手当の拡充することは反対だが、扶養控除の撤廃と同規模の児童手当の拡大なら、かえって低所得者や経済的弱者への支援になる。

その上で、やはり増税は必要だと思う。それは、サラリーマンだけに打つものではなく、公正な富の配分に寄与するような中身でなければならない。今回の増税の原因は、先進国では最低レベルの租税負担による財政の欠損の問題だと思う。一時期、税金が高いと産業が海外に流出するというような言説がまかり通っていたが、今は地域経済の研究家などから、人材や技術、情報の集積が海外流出を防ぐカギだと明らかにされてきている。高い技術や情報に対応できる人材を育成することができる社会ならば、税負担が多少高かろうと、日本に産業が残る。

経済財政諮問会議の骨太の方針では初めて、小さな政府を志向することが提起されるようだ。しかし、小さな政府づくりは成功した試しがないのだ。レーガン改革も、サッチャー改革も、支出の切り込みはできたものの、もっと大きな減税の大盤振る舞いで、かえって財政を悪化させていった。税金の無駄遣いを解消するといっても、今日の国の毎年の財政赤字30兆円は埋め合わせられない。
税金が安いほうがいい、という立場の人たちは、自分たちの財布に残る金がもっと多ければもっとチャンスがある、と考えがちだが、高額納税者ならともかく、大多数の人にとっては、税金が多少下がっても財布に残るお金はさほど増えず、逆に税金が安いことによって、人間の能力が十分に開発されず、そのことによって経済的な飛躍がかえってできなくなる可能性が高い。

私は、日本において、もはや小さな政府は不可能だし、かえって日本人の能力を抑え込んでしまうと思う。朝霞市は今のところ低福祉のまちだ。しかし、健康増進施設という市営の温泉やプールが何カ所もある。福祉は無駄だ自立心をそぐ、なんて言っている人が、民間でもできる温泉事業は市営でよかった、なんて言っているのだ。住民票の交付だって、紙と機械のリース料だけではなく、交付にかかる人の人件費まで市民が負担するようなことをして、自分の身の回りの行政依存をことごとく潰していかない限り、小さな政府なんて土台無理だ。

不況とはいえ、財政赤字をある程度解消していくことは考えていなかければならないが、それを支出の刈り込みだけでやることは限界に近い。高い負担で、みんなでリスクを共有し、誰にでも能力開発のチャンスがあるような社会にしないと、やる気のなくしていく人がたくさん発生し、その人たちが生活保護や他人の資産を依存して生きるような社会になってしまう。

最初にすべき増税は何か。がんばったものが報われる、というのが小泉構造改革の美しい理念だが、それなら、がんばりもしないで財産が転がり込んでくる相続に、重税を課すべきだ。これは左翼の主張だけではなく、新自由主義の経済体制を説く野口悠紀夫も言っている。働いたら税金を取られ、親が金持ちで転がり込む財産が無税なら、不公平感は強くなるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2005.06.21

6/21 市役所の意見を聴く

今日は有給休暇を取って、地域福祉計画市民委員会の市役所ヒアリング。私の担当は、教育委員会指導課、防災を担当する庶務課、町内会政策を担当する市民生活課、公園緑地課、商工農業課、コミュニティーバスを運営する企画課の6課。フランクに市役所の意見を聴く場にしたいと思って、慎重に議論を進めた。結果として、市職員の情熱や思いに近いところの話を聞けて、いい場であったと思う。言質を取る取られるというのではなく、こういう話し合いの場を積み重ねて、まちや市役所が変わっていけるといい。

教育委員会指導課は、主に学習障害や発達障害の子どもや不登校の子どもへのケアのあり方について議論する。こちら側の聞き方が及ばず、回答留保されることが多かった。
庶務課とは、災害時の障害者・高齢者の救援のあり方についてヒアリング。帰宅困難者問題は大きいかも知れない。「オレが外を守るから、お前は家を守れ」なんてかっこいいこと言って結婚したお父さんが、大地震で家族を救おうと帰宅しようとしても、板橋区の住宅密集地で火事で足止め食らって、何もできないもどかしさを感じながら、妻が自宅周辺で子どもと力仕事やりながらおじいちゃんおばあちゃんの救出にあたる、なんて、ことがおこりそうだ。次の大災害を機に、性的役割分業を前提としたサラリーマン労働は家族を守れないという現実を突きつけられるのではないか、と話を聴きながら思う。私も含め。

市民生活課とは町内会のあり方やこれからの行政との関係について議論する。課長さんがきちんとした持論をもっていて、町内会に自己改革を求めながら、地域住民の自治を町内会に落とし込んでいこうとしている。正しいかどうかはわからないが、きちんとした見識で、市民と議論できるものを持っていることはいい。ちなみに市民生活課が編集している消費者ハンドブックは評価が高い。朝霞市役所の1階住民票の窓口前で配布している。

公園緑地課は公園の地域・市民運営について議論。とりあえず5人以上の団体に市民に管理委託を始めている。しかし使い方の管理つまり運営の委託まではまだ考えていない。公園で火を使ったりボールを使ったりする遊びができるようにするためには地域住民による運営・管理が必要だろう。空き地等が提供されず子どもたちが危険な遊びを体験できなくなっているということで意気投合。

商工農業課は、高齢社会においての商店街や農業の課題について意見交換した。中心市街地活性化でようやく融資や補助金だけではない商工政策がスタートして、その中で巨大スーパーに立ち向かう営業として福祉的観点の商売の展開を意識しているが、果たして儲かるのかどうなのか足踏みしている状態だという。農業についても聴いたが、もう食べていける農業ではない状態。さらに大都市近郊で地価が高く、商売やるより土地を宅地として貸して東京で働いた方が儲かるし楽だからと商店も農家も減っている。農家の息子さんたちで農業に志のある若者がグループを作っていろいろ議論しているらしい。それで食べていける農業になるのは難しいが、都市近郊農業が地域で活躍する場ができるだけでも意味が大きいと思う。期待したい。

企画課は、交通弱者の移動の自由の問題としてのコミュニティーバスの課題と、庁内の合意形成の方法、審議会のあり方、指定管理者制度など市役所の運営について聴く。コミュニティーバスの開通で市内からほぼバス空白地帯を解消したというが、1時間に1本以下の路線については、移動の自由を保障しているとは思えない。バス空白地帯としてカウントすべきだろうと思った。コミュニティーバスは民営バスが営業できない地域を走っているから赤字で仕方ない、という話を聴いた。が、そのことでそれでよしとしていると、官業は非効率という批判につながるし、市民がどこまで税金の補填に納得するのか疑問だ。民営バスもどこまで企業努力して新路線の開拓をしていないのかわからない。採算による評価が適切でないなら、少なくとも別の指標で政策効果についてきちんと検証しないと、いつかコミュニティーバスはやめろ、という議論が出てきてしまうのではないかと心配になった。自転車駐輪場の整備とコミュニティーバスの整備とは、結果的に矛盾する政策だという市の担当者の悩みはその通りだと思った。市民で総合的に交通政策を考える場が必要だというのも同感。

今回は福祉の利害とはワンクッションある課ばかりだったので、対象の市職員も肩の力が抜けていたのかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.20

6/20 本人の心構えにすりかえる方法

●洋泉社新書「心を商品化する社会」を読む。
学校カウンセラー依存や、何かというと心のケアという、心理学依存の心理主義が間違っているメカニズムを教えてくれる。心理士関連の資格をめぐって学会がいくつも分裂しているのに、文部行政も、災害救助も心のケアに偏重してきて、特定のイデオロギーの心理専門家集団だけが厚遇していることに警鐘をならしている。
心理学は、本人の精神的部分に働きかけて状況改善を図るためにあるものだが、それが心理主義にまでいくと、本人の人間関係や生活環境が悪いことを棚上げして、自己責任にさせる効果をもってしまう、とも言う。事故や災害で最近、心のケアだけが迅速に対応されることに疑義を呈している。
そうした心理士依存社会になりつつある状況に、いろいろな視点からこれで良いのか問題提起をしている。

心理カウンセラーの有効性についても物言いがついていて、まだ技術未確立の世界だということもわかった。それなのに何かというと心理的に対応すれば本人のケアになると思われている、最近の物事のとらえ方に対するカウンターパンチャとしてとても学ぶところのある本だった。

また、文部科学省が音頭を取って全国の小中学校で配布している「心のノート」の批判の中身は、専門的で勉強になった。

先日の組合の福祉労働者の集会でも厚生労働省の課長が説明に来ているというので、児童相談所の心理判定士から専門職の確保を求める意見があった。この意見は労組として一見反論しにくい。しかし、今日の児童虐待はじめ子どもの問題って、心理判定士増やせば解決するのだろうか。もっともっと保護者たちに社会的関係をつくらせて、煮詰まらないようにしていくことが大切で、県の大きな市にしかない施設がいくら専門性を高めても、本当の問題解決にはならないという気がしていた。

職場でもメンタルを病んで退職一歩手前まで行った同僚がいる。メンタル対策が打たれていたが、当時はカウンセラー治療の奨励だけだった。結局、医師や療法士の前で治癒しても、久しぶりに職場復帰しては、改善されていない職場環境のもとで病気が再発し、休みに入るということが続き、何とかしなくてはという議論になっていった。昨年から、職場の人間関係の調査も入れ、職場のコミュニケーションの改善課題を浮き彫りにしている。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

6/19 地方議会を考える

地方議会についていろいろなご意見をいただいたし、穂坂志木市長の「自治体崩壊」を読んで、自治体議員のあり方についていろいろ考える。

全国の自治体では市民参加が進み、市議会を通して物事を言う必要がだんだん薄れてきたと言える部分がある。しかし、自治体もルールで運営されるので立法を行っていく必要があり、それは政治的なことだから、自治体議会が必要ない、ということはないだろう。しかし、現実の自治体議会で行われる立法は行政提案の審査だけで、多くの議員が行っていることは、行政に対する一方通行型の批判や要望伝達だけだ。その裏側にあるのは、役所との力関係の優位性を示すもので、場合によっては行政から利益誘導を引き出そうとする取引材料のための批判だったりする。

まじめに政策について考えている市民は、最初に議員と一緒に考えるということはしない。行政に直接働きかけ、行政が「議員が反対しそうだ」と言う場合に、それを妨害しないように最低限の根回しとして議員対策を行うにとどまる。あるいは行政が怠慢な態度を取ったときの叱り役しての議員の役割しかない。

しかし、これからの地方分権時代に対応する自治体づくりのために、どういう議会が必要かと考えると、今のような議会のままではまずい。しかし改革をしようとすると、地方自治法や、各自治体の議会の慣習法でがんじがらめになっている。より効率的で、生産的な議論をするためにはどういう議会が良いか、と考えても、1つ1つこうした法律や慣習法の壁に阻まれてしまう。象徴的なものは議会では議員どうしの討論が行われないことだ。したがって議員は行政に質問するばかりで、その質問も妥当性のチェックがない。三権分立という考え方があって議会は自己改革しか期待できないのに、地方議会には自己改革するシステムがない。

選挙のあり方、議員の待遇問題なども課題だ。
地方議会の場合、ほとんどの市町村は全市一区で選挙が行われる。30人に1人しかいないマニアックな強い支持層をつかんでいれば当選する。だから議員の後援者は狭くて排他的で政治に利害の強すぎる支持層になりがちだ。ベッドタウンで、多くの市民の意識と、狭くて排他的で政治に利害が強すぎる支持層に選ばれた議員の意識がかみ合わないのも、選挙制度にあると思う。
実際に議会は「会派」という議会内の政党ごとに動いているのに、選挙のときには無所属候補ばかりが何十人も並ぶので、地方政治に興味がある市民以外は判断のしようがない。議会は実際には政党や会派で動いているが、それを見せずに選挙をするので、人柄がどうだ、一緒に飲んでくれた、冠婚葬祭のつきあいがまめだ、近くに住んでいるからどうだ、という判断が投票で優先されてしまう。
議員の待遇については、兼業を前提にしているのに、給料並みの報酬を払っている今の制度は中途半端だ。地方議員は、専業政治家なのか、アマチュアリズムが必要なのか、それぞれの自治体で議論の整理が必要だろう。前者なら給与所得者として社会保険等の待遇改善は必要だし、議会の開会日数ももっと増やさなくてはならない。資質改善のための研修システムを政党がもっと力を入れるべきだろう。後者なら、開催時間、開催場所、望ましい定数といったものを抜本的に見直す必要があるだろう。

●三崎亜紀「となり町戦争」、石田衣良「スローグッバイ」読む。
となり町戦争は、文章がきれいだし、1つ1つの話はわかるし、著者の一定の主張みたいなものはわかるが、一体何のための戦争の話だったのか、全体を串刺しするものが何なのか、無学な私にはわからない。「町職労青年部」なんて言葉を著者が知っているのは、首都圏育ちではないことは確かだと思っておかしかった。
スローグッバイは石田の描写力が良く出ていた。しかし、恋愛話という無難な題材のせいか、「娼年」のような想像力や、「池袋ウェストゲートパーク」のようなファンタジーのようなわくわく感がなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.19

6/18 わがままの交通から交通の公共づくりへ

用事があって、三鷹に行く。
jitensha帰りに三鷹駅の階段に掲げられていたポスター、武蔵野市が自転車のマナー向上を厳しく呼びかけるものだった。武蔵野市は厳しい自転車規制をしているが、コミュニティーバスの経営や、既存バス路線の定時運行のための諸施策なども含めて、その対策は学ぶべきところが多い。

最寄り駅の悪質な放置自転車は一時警備員と撤去用トラックを常駐させて一掃されたが、それからしばらくして最近、また少しずつ戻ってきた。なかには、明らかに歩行を阻害する止め方している自転車もあって危険だ。
今までのように放置された自転車を取り締まる対策はわかりやすいが、対症療法だと思う。常に取り締まり要員を置いておかなければ、今のように再び放置が始まってしまう。そもそも何で駅にこんなに自転車でやってくる人がいるのか、という原因に立ち入って対策を打たなければ、警備員がいるときだけ、ルールを守るような悪弊が続く。
税金使って自転車駐輪場を作るほかには、駅までの交通アクセスが不便なところの開発を規制したり、バスの増便を促したり、バス運賃の値下げと自転車駐輪料の値上げなどをかみ合わせたり、総合的に対策を打つことが必要だ。

自転車は経済的弱者の乗り物かも知れないが、交通強者の乗り物でもある。自転車に乗れない人や高齢者、子連れにとっては、時速2~30キロで歩道を走る自転車は凶器と同じだ。そういうマイナス面もきちんととらえて、過剰利用を抑制し、経済的弱者でも使える環境にやさしい乗り物として都市と共存する方法をそれぞれの地域で考える必要があるだろう。

●となりの志木市で市長選挙が始まる。大胆な市民参加型行政を進めて話題を呼んだ穂坂邦夫市長が引退し、その施策の大半を受け継ぐ助役と、穂坂市長に反発してきた市議に担がれた元新進党系県議との一騎打ちになる。
穂坂市長の毀誉褒貶はいろいろ聞く。しかし、他の地域よりなおお任せ民主主義が根強いこの地域で全国で最もラジカルな市民参加を推進したことや、自らも染まってきた日本の地方政治の古い体質に立ち向かったことは、これからも評価され続けるだろう。市議の中には無視された、という思いが強いらしい。退任にあたり穂坂市長が著した「市町村崩壊」を読むと、行政を屈服させるだけの市議の非建設性が存分に描かれている。市議も建設的な仕事をする権限を与えられてるのだが、議会慣習がそれをできないようにしているのだろう。
穂坂市長は、狭隘道路の多い志木市で歩行者を守る施策をいろいろ提案した。しかし、自由にマイカーに乗りたい市民や、そうした市民の欲望に反対できない市議たちの大反対にあって、歩行者を守る施策の提案は無視と言ってよい扱いを受けてしまった。高齢社会の進行や、環境対策、商店街の育成などいろいろな視点で市長の提案は聞くべきことが多いのだったが、市長の退任で葬られてしまうことがほんとうに残念でならない。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005.06.17

6/17 九州新幹線は薩摩を開国させるか

昨日、鹿児島で調査の仕事。少し時間があったので、県立歴史博物館「黎明館」に立ち寄る。学生時代に行ったときには、薩摩が徳川様に命じられて木曽川の改修をさせられた恨み骨髄の歴史の展示が良くて、敵ながら感動した。今回寄ったら、薩摩の歴史がのべたんで公開されていて、メリハリが無くていまいちだった。ただ、今日の保守的な教育改革論や、明治憲法下の日本の異様さの源流が薩摩にあることはよくわかった。異様なまでの排外主義、少人数による相互監視、精神訓を教え込む教育、偉人への崇拝、官僚統治、これらは薩摩の伝統なのだ。戦前を懐かしむ伝統主義者は実は薩摩の独特なスタイルを奉っているのかも知れない。敵国薩摩で気づかされることは多かった。

昨日の鹿児島の仕事を終えて、朝2番目の九州新幹線で博多へ。博多まで2時間半程度で着く。途中の新八代で在来線に乗り換えるのに、特急券は鹿児島中央→博多となっているし、新幹線の行き先は博多になっている。て、営業面では在来線を含めて博多までを新幹線扱いしている。新幹線と在来線の乗り継ぎの新八代駅は、在来線が引き込み線で新幹線ホームに横付けされていて、ホーム上で乗り換えられるのに感激。

shinkansen1新幹線の車両を4人がけにすると、こんなにもゆとりがあるのか、とおもうほど座席は広い。肘掛けも一人ひとりに両方ついている。

shinkansen2車両のデザインに凝っているJR九州らしく、木材を使った内装も暖かみがあってよい。不要な新幹線とみられている分に、そうしたヒューマンインターフェースの改善努力には見るべきところが多い。

在来線沿いには、ところどころ新幹線の橋脚ができあがってきている。柱の一本一本が自民党の古賀誠さんに見えてくる。日本の税金って、国債と年金と医者への給料を除くと、高速道路と新幹線と港湾整備とダムで、セメントと鉄筋ばかりに化けているんだなぁ、という感じがしている。セメント屋って景気がいいのだろうか。

福岡市では、うちの福祉関係の組合員の集会の取材(というより写真撮り)。労組では、集まって気勢を上げるようなもののほか、学習会のようなものも集会と呼ぶことがある。今回は後者の実質学習会。参加者が予想以上にふくれあがって、障害者福祉や介護保険の分科会は、机を撤去していすだけにして、それでも満席。トータルの参加者も700人を超え、福祉労働者の学習意欲の高さに感動。しかも内容は決して福祉労働者に甘言するようなものではないのに。現役福祉労働者は研修機会が少ないのかなぁ。
会場の同じ階では我が労組を敵視する共産党系看護士団体の学習会が開かれていた。パイロット、かつてのスッチー、医者、弁護士、大学教授、看護士、新聞記者、民放、工業都市の公務員、IBMと、高給取りの職場に共産党系労組・団体は強い。
写真の変わり映えがしないので、ある程度撮ったあとは、集会(学習会)の分科会に潜入する。児童福祉の分科会に入って、厚生労働省の施策の説明、東洋大学の森田教授の講演、子どもシェルターの施設長の話を聞いた。

夕方、東京に帰る。羽田行きの飛行機が機体変更で座席がえらい後方に変えられる。機材は車輪が脱落したものと同型機のB767-300。恐かった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.16

6/15 迫り来る不安

組合の新聞の校正。今時、オーソドックスな写植印刷の入稿・校正の手続きを取っているので、校正の間が空く。そうすると、今度出した新聞にクレームがつくんじゃないか、と不安になってくる。

今回のトップ記事は「クール・ビズ」。労使一体の取り組みなので、ぬるい運動かも知れない。たたかうことにこだわっている組合員からはしかられるかも知れない。

職場に戻って、今度は先日の原稿待ちの延長の作業。

あすから、夏の重要任務の点検で、同僚と薩摩の国の偵察。徳川主義者として薩賊の地に踏み入れることに一抹の不安あり。さらに飛行機はJAL。タイヤがはずれたりして不安だなぁ。
あさっては、初の九州新幹線で福岡へ。JR九州の特急は内装のデザイン性とゴージャスさが飛び抜けているので楽しみ。福岡では取材。写真とインタビューをしてすぐ帰る。友人に会いたいが、残念。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.06.13

6/13② 市民の名誉?

朝霞市が処理し排出したプラスチックごみを引き取った業者が、不透明な処理をしていたと日本テレビが報じたニュースに対して、朝霞市役所がかなり熱心に反論し、裁判まで起こそうとしている。

抗議文から

①朝霞市は処理を財団法人日本容器包装リサイクル協会(の加盟業者)に頼んでいる
②日本容器包装リサイクル協会(に加盟している業者)が、回収したプラスチックごみが不法投棄した。
③日本テレビは朝霞市が業者に不法投棄していることを認めているように報道した
④日本テレビは報道番組で市長のコメントを求めて出席を頼んだが市長は欠席した
⑤市長は欠席した理由は先約があったからであり、番組から逃げたのではない
この5つの事実を日本テレビは強引に結び付けたのかも知れないし、朝霞市役所側は強引に分断しているのかも知れない。

市は報道の内容が不正確だからと、抗議文を日本テレビに出したが、同様の広報が約5万世帯ある市内の各世帯に配布されている。市役所の一部門のトラブルをここまで大きく取り扱うとは、市役所の上層部で相当な意思決定がされたのだろう。

しかしこの抗議文、しっくりこない。
多分、市民がプラスチックごみ処理が適正なのか不適正なのか判断できない状態のままで、日本テレビの報道のミスだけを批判しているからだ。
法律上はいくら日本容器包装リサイクル協会の責任だとしても、ごみ処理の委託をするのに、お金払ってごみ渡してしまえば後は知らない、分からない、という立場のままでテレビ局を批判しても、何か違うんじゃないか、というものがつきまとう。

また、市役所の仕事に対する告発番組なのに、市民の名誉を傷つけたかのような反論の仕方もおかしい。リサイクル行政でどこの業者に処理を依頼したかどうか、というのは、市民の総意で決めたことではない。市民が信託した市役所がその権限で決めたことだ。市民は名誉を傷つけられも、誉められもする立場にない。ただ行政がきちんと仕事をしているかどうか、それを判断し、必要に応じて意見を言い変えていく必要があるのだ。
また、市民の名誉を楯にするような反論は、市役所に批判的な報道をしたから、市民の名誉を傷つけたという言い方になる。ひっくりかえすと、市民の名誉を傷つけないためには市役所の批判をしてはならない、という考え方になる。
市民は市役所の仕事の成果も失敗も市民が市役所をコントロールする以上、知ることができなくてはいけない。それは市民の名誉うんぬんではなく、行政をきちんとコントロールする市民の役割でもある。名誉を傷つけられたのは、市民なのか市役所の仕事の内容なのか、そこを市役所はきちんと峻別して抗議すべきだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

6/13 取り立て屋の1日

私が取り立てるべき原稿の締切が重なって、記事の取り立てとその点検の1日。取り立ては神経につらい。相手の苦しみや、勝手に書き散らかして私に渡すこともできないだろう事情も見えたりして、つらいし、反対側では、編集デザイナーや印刷業者が、今日入るからと割安な仕事にしてくれたりしたのに、裏切られていらいらしながら待っていたりしていて、こちらはこちらで労働者を苦しめているわけで、ほんとうにつらい。
待たされてクオリティーが格段に上がるなら、我慢せさることも考えるけど、土壇場で待たされる場合、書き手のプレッシャーマンとの調整ごとが遅れていることが原因で、クオリティーとは無関係。そんな状況説明は橋本治の「上司は思いつきでものを言う」に書いている。

とにかく取り立ては苦手で、取り立てこそが利益の源泉である金融業を、私は絶対できないだろうなぁ。長銀や拓銀の回収担当者はよく自殺しなかったと思う。

そして今もまだ入る原稿を待っている。書いている人は同僚。ずっと向こうの席で、厳しい顔してパソコンに向かっている。ごめんなさい、だ。業者さんもっとごめんなさい、だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.10

6/10 統合はむずかしいね

職場が労働組合であるためか、社民党でリストラにあった人物からファックスが送られてくる。たぶん、自分の正しさを訴えようとして、相手構わず送っているのだろう。

その文章では、党への忠誠心の吐露と、リストラをした現社民党執行部の不法性や不義理についてさまざまな批判をしている。しかし自分がどれだけ社民党で熱心に働いたかは書かれていない。普通、こうした抗議はいかに職場のために力を尽くしたかが書かれるのだが、それが無いのが不思議だった。

党も党で、整理解雇を伝えた後に、自主退職を求めた。そして自主退職すれば退職金を払うが、整理解雇になれば退職金は払わないと言っている。雇用主の体面だけを守ろうとした一昔まえの日本の企業体質そのものだ。整理解雇なら普通は割増退職金の支払いになるはずだ。また、自主退職になれば雇用保険の失業給付などで不利に働く。どんな雇用契約になっているのかわからないが、不可解な対応だ。

運動体で働く者の労使関係とはわからないことだらけだ。

●神野直彦さん「財政学」を読み始める。
税金と公共支出の関係について感覚的につかんできたものを整理したい欲望によく応えてくれる。さすがは神野先生。
財政再建論議で「入るを計りて出るを制す」、「家計なら」というたとえがよくされるが、まったく違うのだ、そんなものなら財政というものは要らないという話。見返りのない税の徴収から、公共支出を行い、社会システムの再配分を行うことによって、政治システムの統合を図る、という財政の前提からは、税金が入るから使うのではなく、使うあてがあるから税金を取るということが正しく、その税と公共支出をコントロールして、政治統合をつくるのが政治の役割となる。
財政再建は1つの考え方だが、それが竹中平蔵氏のように至上主義にまでいくと、政府が崩壊する可能性があるのか。
いろいろ参考になる本であるし、政治はいい加減な議論をしているものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

6/9 酔っぱらい操業

入るべき原稿が入らなかったり、そのために待機する時間の多い仕事になってしまったり、気候がむし暑かったりと何となくささくれだった気分の1日だった。

昔、福祉労働を担当して働いていたときは、こんなにも自分に働きがいのある仕事があるのか、と思うぐらい楽しかった。人事の偶然だったが、それを采配した誰かに感謝せざるを得ない。
しかし、仕事量の多さとそれに乗数効果が加わったように電話が鳴り続け、加えて抗しきれない政治的な力に対抗する手だてや理屈を考えたりして、精神をすり減らす毎日だった。そうすると、細かい雑事にどうしても抜けが出てくる。定期購読している雑誌の購読料を払い忘れたり、休日に開かれた会議の参加者の交通費を払い忘れたり、またそれがストレスに変わっていく。

福祉労働運動は、福祉労働者や専従者不足に悩む当事者団体にとって意味の大きなものでも、労組全国組織の全体から見るとかなりマニアックな分野で、そこだけで運動を肥大化させることもできない、微妙な立ち位置にあった。だから忙しいからといって増員が叶うわけもなく、上司と2人でつっかえ棒のように働いた記憶がある。そんなにまでして、負け続けた場面が多い。

先輩上司の「お前に給料払ってくれる人はだれや?その人たちがいきいき働けるように信じるところがんばれ」と引き継ぎを受けたときの言葉と、いろいろな人たちの信頼、そして足を運んだいくつかの現場の思い出が、自分を走らせてくれたような感じがしている。

自分にとってつらいのが夏の時期だった。私は青春時代を北海道で過ごしてしまったために、暑い中で働くということが苦手だ。神経も敏感になってくる。息つく間もなくかかってくる電話の呼び出し音から逃げたくなってくる。
そんなときには、机の下にしまっておいた度数の低いアルコールを少し飲んで緩和していたことを思い出す。そして、無謀運転するマイカーに囲まれて業務をこなすタクシーやバスの運転手は強靱な精神の持ち主なんだ、と我が心の弱さを嘆いていたりした。

昨日締め切り厳守と伝えていた原稿の入りを、業者にせっつかれつつ待ちながら、いらいらしている自分をふりかえり、そんなこともあったと思い出す。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.07

6/7② 自転車のひき逃げ

朝、職場の全盲の同僚が通勤途中に自転車にひき逃げされ、現場から電話をかけてきた。腰をいためており、同僚みんなで担いで職場に連れて行った。聞けば、自転車にひき逃げされることはそんなに珍しいことではないらしく、携帯電話を壊してしまったことがちょっと前にもあったらしい。

自動車事故は大事だという意識はあるが、自転車事故が大事につながるなんて認識はないようだ。

コミュニティーバス「ムーバス」開発に携わった故・岡並木さんは、自転車に追突される事故によって多くの高齢者が寝たきり生活や要介護状態になってしまっていることを指摘されておられた(岡さんはそう言いながら自転車との共存方法について考えつづけられたが)。健康な人によって環境問題から自転車がちやほやされているが、自動車同様、人身事故の問題があることを認識しないといけないだろう。
自転車レーンの必要性を言う前に、自転車の歩道走行の禁止を厳格に適用すること、自転車の登録制の徹底、ナンバープレートの掲示、交通事故処理の厳格運用などが必要だと思う。

マイカー依存症生活が嫌いな私ゆえの極論かも知れないが、自転車はマイカー依存症の準備段階だと思うことがある。考えすぎかもしれないが。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

6/7 街の未来像は何なのか?

昼からは地域福祉計画の市民委員会。中間提言がまとめられたので今後の対応についてみんなで議論した。6月17日からパブリックコメントが始まるので、それに市民のみなさんのコメントをいただきたいと思う。

委員会終了後、委員の1人から米軍朝霞基地跡地の利用を考える検討会の話の進み方を聞く。青年会議所が郊外型ショッピングセンターを誘致する提案をしているという。
青年会議所案の言い分は税金をあまり使わないで済むために考えたものらしいが、営利目的のショッピングセンターを核に付属するキャンプ村や高度医療施設などを配置していく案。それでも「極力市財政の負担を軽減」と書いてあるのだから、やはりショッピングセンターをつくるのに公金を使うような案なのだ。
駅から離れた大型ショッピングセンターは道路渋滞や商店街の衰退を招き、道路拡幅やバス路線誘致、商店街活性化策など副次的な公的支出を増大させてしまう。クルマでしか行けない大型ショッピングセンターを高齢社会の今から誘致しようとするセンスがダメだと思う。大企業のスーパーを当てこんだ街づくりではなく、市内でお金が還流するような商店街育成が必要なのではないか。
朝霞地区医師会は休日診療所を併設した医師会館を建設してほしい、という。税金で自分たちのための会館というのは論外としても、休日の救急医療を保障する方法として、それだけの診療所を設けることは非効率性だ。平日は開業医が対応して、休日・夜間・小児など非効率なところは市立病院でやれ、というのは虫がいい感じがする。だったら、市立病院を建設せよ、という左派系議員の言っていることのほうがすっきりしている。

その後、委員仲間に連れられて、市役所近くの家庭保育室(市の独自助成の入る認可外保育施設)「さわらび」を訪ねる。認可保育園に転換するために、社会福祉法人の資格取得の準備に入っているという。地域福祉計画で市の担当課の反対を押し切って「認可保育所への転換」を両論併記で中間提言書に盛り込んだが、やはり、やる気のある家庭保育室は、県の働きかけを受けて認可取得への道を歩き始めている。
認可保育所の代替施設としての家庭保育室を今のままで放置しても、家庭保育室の理念である多様な保育ニーズには手が回らない。市だって、家庭保育室に持ち出し補助を続けるより、国や県からの財政保証のある認可保育所に補助するほうが助かるはずだ。国や県も多様な保育メニューを用意している。家庭保育室の自助努力に任せておかないで、きちんとした公的支援を受けられるように指導や応援をすべきだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.06

6/6 プロテスタンティズムと体罰主義の精神

5日は、目黒チャイルドラインで、東京大学教授で子育ての研究家の汐見稔幸さんの講演「しつけってなぁに-幼児虐待事件から垣間見えるしつけという言葉の意味・考え方について」を聴きに行った。
江戸期までの日本人の子育ては怒ることをあまりせず、子ども集団の中でことわざや、体験から学ぶことをした、ということ、しつけが今日的な意味、つまり場合によっては殴ってでも言い聞かせる、というニュアンスを持つようになったのはルターやカルバンなどプロテスタンティズムの教育の影響だ、ということはいい話だった。

プロテスタンティズムがもたらした近代は明るいイメージがあるが、実は近代は暗黒から始まったというような蛇足の話もいい。多くの専業主婦の前で、汐見さんが「カルバン派は夕方、反省会をします。あなた、たまたま通りかがったお兄さんがいい男だなぁ、なんて思ったら、それを反省会で告白しなければ地獄に行く。では反省会で告白したらどうなると思いますか」主婦「外出できなくなるのかな」汐見さん「そんな甘くはない、死刑ですよ死刑」。うむ、汐見先生は言わないが、近代は北朝鮮状態から始まっているのだ。

話は戻して、森派・民主党右派・文教族の政治家や、巷の俗論で「日本の伝統を教え込むべき、子どもを甘やかすからしつけがなっていない」と良く言う。そんな発想は伝統でも何でもない。明治期にプロテスタンティズムを導入した近代主義者の価値観なのだ。伝統から言えば、日本のしつけは甘やかしながら、丁寧に子どもに接しながら自覚を促すようにやってきたようだ。そういえば、今も伝統芸能では、あれこれ所作を教え込むのではなく、やってダメだしして、自分で考えさせるということをしている。そして頭のうわっつらではないところの奥深くに体得するように教えている。

家庭でのしつけ、というのも、戦後の高度成長まで実質的にはできていなかったという話も、その通りだと思う。家庭がしつけをする、というのは戦後の高度成長で専業主婦にヒマができてからの話だ。それまで妻は一日中働き、たくさんの子を養い、とても1人1人の子にしつけなんてやってられなかったはずなのだ。

ただやはり、今の子たちは、塾や親による囲い込みで、子どもどうしでいろいろな体験をする機会を奪われている。結果として社会性が身につかず「甘やかされた」ような状態におかれているのかも知れない。

今日、久しぶりに上司、同僚と飲む。労組職員として生きるには専門性だ、でないと社内人事に溺れてしまう、と力説された。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.05

6/5 青森県の地下鉄

●東北新幹線の建設中のトンネルが崩落。
現場写真見たら、丘陵地というけども高さ40メートルの平地じゃないか・・・。そんなところに直径10メートル近いトンネルを掘る必要がわからない。青森の、しかも畑の中に地下鉄を通しているようなものだ。私の住む朝霞市だって海抜54メートルだが、首都圏にあっても地下鉄どころか地下街すら1つもない。それで不都合はない。
新幹線や高速道路の工事は、業者の数に合わせて最初にトンネルを全体で何メートル掘るって決めてから、それに合わせて、東京・青森何時間何分以内、東京・函館何時間何分以内という目標を設定し、少しでもトンネルが多く掘られるように路線選定やったんじゃないか、そして平地でもトンネル掘って帳尻合わせしているんじゃないか、という疑念がおきあがる。
技術者たちは、いろいろな理由をつけてトンネルを掘っているのだろう。40メートルの高低差がスピードが出せない、安全上問題がある、どうのこうのと。
しかし東海道新幹線は、トンネルをあまり使わなかったためカーブはあるし、峠は越えるけれども、だからといって大きな不都合はおきていない。

以前にも書いたが、新幹線建設は8割以上税金が使われ、さらに半分以上は国、つまり青森以外の全国のお金が使われている。業者を食わすということに意味がないとは言わないが、目的が逆転した結果としての新幹線建設なのだろう。

あと、地下鉄の駅に掲示している新幹線建設促進の広告は撤去してほしい。採算が問題視されながらも新幹線建設が進むのに、なぜ都会のサラリーマンが通勤地獄に耐えなければならないのか、見るたびに不愉快になる。無神経だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.04

6/4 子どもの代弁者をおく自治体

子どもの権利条約総合研究所の主催する「子ども救済制度の成果と課題・川西市オンブズ調査を素材にして」を聴きに行く。
川西市子どもの権利オンブズパーソンは、自治体における子どものセーフティーネットとして関心を持ち続けてきた実践だったので、それを学術的にはどう評価されているのか関心があって出席した。

オンブズマンというと、不正を発見して告発するような、行政オンブズマンのイメージが強い。しかし、福祉や教育に関わるオンブズマンの場合、不正を告発して、利用者が幸せになるとはいえない。あくまでも本人のために福祉や教育が行われていることを前提にすれば、本人が闘う意志もないのに不正をあげつらうことは、あまり良い結果を生まない。検察の代用品のような態度ではなく、調整を主体としたコンサルタント的な態度が求められる。

弁護士もつけられず、ともすれば親でさえも本人の立場に立って考えてくれることが少ない子どもの問題については、なにがしかの代弁者や調整者は必要であり、子どもの意志や選択を支援し尊重するような代弁者が求められる。児童虐待や不登校、いじめ、非行、親の過干渉など子どもの問題が深刻化し、孤立で適切な相談者が失われている環境の中で、子どもオンブズマンの意義や役割は重要になるだろう。

しかし、最近の、他人の権利を認めることに後ろ向き(もっと義務を、という人に限って他人の権利を認めようとはしない・・・余談)な社会や、子どもそのものを非効率で迷惑なものととらえる社会の中で、子どもの権利をサポートする仕事を行政が抱えることへの合意形成が難しいだろう。事実、川西市もスタートして3年目に議会が予算カットを決定しようとした(のちに川西市議たちは認識を改めたようだが)。また、学校教師を中心に、教室権力を客観化してしまう第三者がいることに不快感を隠せないようなこともあるらしい。

主催者の1人が、子どもオンブズマンを設置しないで問題を深刻化させる場合と、子どもオンブズマンを設置して問題が深刻化するのを予防する場合と、どちらが社会全体のコストが下がるか、そういった検証も必要だ、と言っていた。自治体で子どもオンブズマンを推進していくためにはそうした検討の必要性については同感だが・・・。
観念的には可能だろうが、それを金額やマンパワーの量などに置き換えて検証することは、無いことを証明することが難しいように、子どもの代弁者がいなかったがために得ている社会の損害を測ることは難しいだろう。

川西市では、オンブズマンの認知度が高く、また市民や子育てしている人たちのいざというときの安心感にもつながっているようで、市民の評価が高い。そのことによる自治体の満足度の高まりを評価したほうがよいのかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.03

6/3② NPO、市民、企業、行政の協働を探る

ある民主党政治家のオープンミーティングで知り合った友人がいます。いつも切れ味のよい話をするので、尊敬していろいろ話をして、意気投合した方です。今、郷里の三重県津市のうどん屋さんを継ぐために戻り、仕事のかたわら、いろいろな活動に携わっています。
その友人からの紹介があって、内容が良さそうなので紹介します。
                        
  ■□ 「新しい時代の公」市民社会は実践から生まれる □■
  ■   みえ発!!パートナーシップ・フォーラム      ■   

 三重県では、多様な主体が参画し、みんなで支える社会のあり方や活動に向けた取り組みを「新しい時代の公」として提唱し、昨年度に、その推進についての検討を進めてきました。
 また、県民主体でこれまでの協働事業のふりかえりから「市民と行政とが協働するための行動提案書」をとりまとめました。そして県では、提案書の成果も取り入れ、本年度から実践を通じての取り組みを始めています。
 このフォーラムは、県民の皆さん、NPO、企業、地域の団体、市町村など多様な主体の方々が参加し、様々な活動事例を通して「新しい時代の公」の取り組みを学び、推進しようとするものです。
 今後、現場で実践する際の参考となることを目的としていますので、多くの皆さまのご参加をお待ちしています。

【日時】6月26日(日)10:00~16:30
【場所】三重県津市羽所町700番地 アスト津4階 アストホール
【交通】JR・近鉄津駅下車徒歩1分

【定員】200名 *申込制先着順
          (午前の部の協働ブース出展者20団体も同時募集して
           います。お問い合わせください。)
【参加費】無料

【主催】●パートナーシップ・プロジェクト
 *パートナーシップ・プロジェクトは、みえ市民活動ネットワーク有志と
        三重県NPO室の協働事業体です。
     ●三重県新しい時代の公推進本部

【後援】 *たくさんの団体からご後援いただいています

続きを読む "6/3② NPO、市民、企業、行政の協働を探る"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

6/3 地域と自分と商売と

JALの機内誌「SKYWARD」を読むと、臼杵市の黄飯(おうはん)の記事があった。黄飯とは臼杵の郷土料理で、くちなしに浸けた水で炊いた炊き込みご飯。それ自体に味は特にないので、かやくやきらすまめしなどと併せて食べる。

雑誌では、フランシスコ・ザビエルが初上陸した地なので、パエリヤから黄飯が発明されたのではないか、というものと、赤飯の代用品として発達したものという説の由来が書かれていて、代用品説に軍配を挙げている。

そして、黄飯を食べさせる店ということで、いとこの妻のご実家が紹介されていた。
このお店では臼杵市の郷土料理を発掘して出している。お父さんは、臼杵石仏の伝承を発掘し伝えることに力を注ぎ、お母さんはお店の仕事の間に石仏をテーマにした油絵を描き、息子さんは、郷土料理をテーマにお店をいろいろ変えていきながら、大分の自然から取れる釉薬で焼き物を造っておられる。
全員、地域と自分と商売のバランスがいい、とってもすてきな一家だ。
この記事の写真が格好良すぎて、息子さんのハンサムさが消えていた。

臼杵市民のいいところは、自分の住んでいる街を大事にするし、街に住む仲間をとっても大事にしている。一緒に考えて行動することを大切にしている。キリスト教に開かれた商業都市から始まる500年以上の歴史があるせいか、街おこしをはじめとして、街を楽しくする、街を自分たちで変えていくということをとっても楽しそうにやることができていて、そういう人間関係と街づくりをリンクさせるようなサークル活動が活発なことだ。

●和光市の若手市議の松本たけひろさんからトラックバックをいただいた。

松本さんのブログでは、市民参加に正当性があるのかどうなのか疑問に思っていて、かえって行政の恣意性が強まるし、左翼の社会進出作戦に使われるかも知れない、と危惧され、パブリックコメントどまりでいいのではいなか、と言っていた。私も10年以上前にはそのように考えていたが、改めた。

市民参加が自治体をゆがめていくかということについては、議論の過程について公開性を担保していけば、独特の立場のご意見は市民常識などに晒され、淘汰されていく。
市民参加だからといって思いつき的に一方的に決めることにはならない。当然、行政や当事者や利害関係者のヒアリングや意見交換は、わからないからこそより一層繰り返されていく。むしろ、利害関係者と行政だけで調整が行われた結果としての政策は、「こうしておけばこの連中は黙ってくれるんだよ」という論理からもたらされるゆがみが発生している。公開された市民参加はこうしたゆがみと不透明さを是正していくことと思う。

市民の考えを表す正当性の第1は議会だと思うが、議員が自ら条例づくりをやるようにならなければ、機能しない。今の地方議会のように1回30日間年4回だけ集まって行政に注文したりチェックするだけの議会である限り、その責任は放棄されていると言ってよい。
政治的スタンスは嫌いだが、上田知事を政治家として尊敬できることは3点あって、そのうちの1つは議員立法にたくさん取り組んだことである。市民から正統的な権力を付与された議員が法律や条例をつくらずして、市民参加を否定して、市民はどのようにして行政をコントロールできるのだろうか。

朝霞市のようなベッドタウンにおいて、農民を中心とした市の有力者と多数派のサラリーマン階層の市民が断絶を解消することが大事だと思っている。そのためにはより多くの市民が、いろいろな場面で市役所のこと、市内のことについていろいろ議論して、少しは変わってきている、変えることができている、と実感することだと思う。

なおパブリックコメントは市民参加ではない。行政の提案の公正さを測り、修正を図るもので、意見の採否も行政の裁量の範囲である。場合によっては提出した意見も書き換えられて公表されることもある。行政の計画や通知の完成度を高めるために今以上に推進すべきとは思うが、これで市民の考えが確実に反映されるとは思わないし、根本から改革しないとならない問題については、まず改まることはない。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2005.06.01

6/1 取り立て屋が社会保険庁を乗っ取る

情報が古いが、社会保険庁の市場化モデルの入札で、厚生年金と健康保険の未加入事業所に対する加入促進が入札に出された。落札したのは、東京・港、渋谷、足立社会保険事務所管内が東京社会保険労務士会、福岡、久留米社会保険事務所管内がICRという債権回収業者だ。

小泉構造改革で、官民対立が煽られ、民でできるものは民で、ということがことさら強調されたが、その結果、社会保険の取り立てが債権回収業者に、たった1円で委託された。

社会保険事務とはプライバシーのかたまりである。それを1円で落札する業者は、絶対何かを狙っている。

社会保険庁改革は、そもそも変なところから出てきた話だ。
数500兆円と見込まれる年金財源不足をどうするか、という議論をしているときに、意図的とみられる動きで、保養施設の建設など数百億円の年金財源の不適切な使用
が露呈し、それにかかわった政治家が追及されると思ったら、政治家が年金払っているか払っていないか、という問題にすりかえられ、そしてその情報がどこから流れたか、ということをめぐって、社会保険庁の職員のリストラ問題にすりかえられ、御用「エコノミスト」たちが横から民営化して効率化せよ、と脈絡もない話を持ち込んで今日に至る。そして、官業の民間払い下げを委託費たった1円でプライバシーが商売になる2団体に委託されてしまった。

福岡、久留米社会保険事務所管内の事態は深刻である。
債権回収業者にとって、プライバシー情報はのどから手が出るほどのおいしいものだ。それがただで把握できる。もちろん委託にあたってさまざまな守秘義務などの制約はかけられるが、おそらくそんなものは精神訓だろう、千葉市で産廃処理場建設に反対した住民の名簿を産廃業者に流されたこともあるように、守秘義務なんて、属人的なものでしかない。たった1円の委託料がそうしたものを守らせる規範を持つとは思えない。この地域の住民や企業の保険加入状況や財力などは、社会保険加入状況の調査などとして、公権力に裏打ちされた債権回収業者が立ち入り、踏み込み、調査できることになる。

同様のことが駐車違反取締りでも言える。
政府は駐車違反の取り締まりの民間委託を可能にした。私も駐車違反はビシバシ取り締まるべきと思ってはいて、警察の対応が手ぬるいと思うこともある。
しかし、この業務に暴力団まがいの会社が入ったらどうするのだろうか。駐車違反の対応が恣意的に行われる可能性が高くなる。暴力団の多い街では、暴力団関係の自動車の駐車違反は摘発されない、という噂があるが、取り締まる側が暴力団の息がかかっていれば、こうしたこと自体を不正と言うことすらできなくなるだろう。おそらく警察はそういうことがないよう資格審査はする、というが、いくらだってかいくぐる方法を考えるだろう。

JRやNTTのように事業部門の民営化ならともかく、公正さや権力行使にあたるきわどいところを民間に市場開放するということが危険に思えてならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年5月 | トップページ | 2005年7月 »