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2005.06.20

6/19 地方議会を考える

地方議会についていろいろなご意見をいただいたし、穂坂志木市長の「自治体崩壊」を読んで、自治体議員のあり方についていろいろ考える。

全国の自治体では市民参加が進み、市議会を通して物事を言う必要がだんだん薄れてきたと言える部分がある。しかし、自治体もルールで運営されるので立法を行っていく必要があり、それは政治的なことだから、自治体議会が必要ない、ということはないだろう。しかし、現実の自治体議会で行われる立法は行政提案の審査だけで、多くの議員が行っていることは、行政に対する一方通行型の批判や要望伝達だけだ。その裏側にあるのは、役所との力関係の優位性を示すもので、場合によっては行政から利益誘導を引き出そうとする取引材料のための批判だったりする。

まじめに政策について考えている市民は、最初に議員と一緒に考えるということはしない。行政に直接働きかけ、行政が「議員が反対しそうだ」と言う場合に、それを妨害しないように最低限の根回しとして議員対策を行うにとどまる。あるいは行政が怠慢な態度を取ったときの叱り役しての議員の役割しかない。

しかし、これからの地方分権時代に対応する自治体づくりのために、どういう議会が必要かと考えると、今のような議会のままではまずい。しかし改革をしようとすると、地方自治法や、各自治体の議会の慣習法でがんじがらめになっている。より効率的で、生産的な議論をするためにはどういう議会が良いか、と考えても、1つ1つこうした法律や慣習法の壁に阻まれてしまう。象徴的なものは議会では議員どうしの討論が行われないことだ。したがって議員は行政に質問するばかりで、その質問も妥当性のチェックがない。三権分立という考え方があって議会は自己改革しか期待できないのに、地方議会には自己改革するシステムがない。

選挙のあり方、議員の待遇問題なども課題だ。
地方議会の場合、ほとんどの市町村は全市一区で選挙が行われる。30人に1人しかいないマニアックな強い支持層をつかんでいれば当選する。だから議員の後援者は狭くて排他的で政治に利害の強すぎる支持層になりがちだ。ベッドタウンで、多くの市民の意識と、狭くて排他的で政治に利害が強すぎる支持層に選ばれた議員の意識がかみ合わないのも、選挙制度にあると思う。
実際に議会は「会派」という議会内の政党ごとに動いているのに、選挙のときには無所属候補ばかりが何十人も並ぶので、地方政治に興味がある市民以外は判断のしようがない。議会は実際には政党や会派で動いているが、それを見せずに選挙をするので、人柄がどうだ、一緒に飲んでくれた、冠婚葬祭のつきあいがまめだ、近くに住んでいるからどうだ、という判断が投票で優先されてしまう。
議員の待遇については、兼業を前提にしているのに、給料並みの報酬を払っている今の制度は中途半端だ。地方議員は、専業政治家なのか、アマチュアリズムが必要なのか、それぞれの自治体で議論の整理が必要だろう。前者なら給与所得者として社会保険等の待遇改善は必要だし、議会の開会日数ももっと増やさなくてはならない。資質改善のための研修システムを政党がもっと力を入れるべきだろう。後者なら、開催時間、開催場所、望ましい定数といったものを抜本的に見直す必要があるだろう。

●三崎亜紀「となり町戦争」、石田衣良「スローグッバイ」読む。
となり町戦争は、文章がきれいだし、1つ1つの話はわかるし、著者の一定の主張みたいなものはわかるが、一体何のための戦争の話だったのか、全体を串刺しするものが何なのか、無学な私にはわからない。「町職労青年部」なんて言葉を著者が知っているのは、首都圏育ちではないことは確かだと思っておかしかった。
スローグッバイは石田の描写力が良く出ていた。しかし、恋愛話という無難な題材のせいか、「娼年」のような想像力や、「池袋ウェストゲートパーク」のようなファンタジーのようなわくわく感がなかった。

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