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2005.05.08

5/8② 夜回り先生キャンセル事件

夜回り先生こと水谷修氏が、市民活動が参加費有料で開いた講演会を、有料であることを理由にキャンセルした。どうなのか考えさせられる。

<夜回り先生>有料ではできないと講演中止 岡山・倉敷

 高校生らの非行問題に取り組み、夜の繁華街での生徒指導から「夜回り先生」として知られる横浜市の元夜間高校教諭、水谷修さん(49)が8日、岡山県倉敷市で予定していた講演を中止した。「入場料を取る」との連絡が主催者から伝わっていなかったのが理由で、水谷さんは事情説明に訪れた会場で「有料の講演はできません」と話し、約30分間、集まった約400人にサインや握手で応じた。
 不登校問題に取り組む同市の民間団体などでつくる実行委員会が企画したイベントのメーン行事として、水谷さんは午後から講演予定だった。
 実行委によると、同日午前1時ごろ、水谷さんから「入場料1500円が払えないので講演に行けないというメールが届いた。もともと有料の講演は引き受けないし、そういう子がいる以上、講演できない」と電話連絡があった。実行委は「会場使用料などもあり入場料は頂くが、スタッフも払い、収益は寄付などに使う。営利目的ではない」と説明したが、受け入れられなかったという。
 実行委は開場時、前売り券を持った約400人に払い戻したが、水谷さんは翻意せず、会場では「残念」の声も上がったという。子どものステージ演奏など他の行事は予定通りあった。
 実行委は「入場料の件は事前に水谷さん側に伝えていた」としている。水谷さんは「聞いていない」と話した
(毎日新聞) - 5月8日20時9分更新

主催団体は倉敷の不登校の課題に取り組む市民団体、倉敷子供のためのフェスティバル実行委員会だ。

主催団体の催しをよく読むと、水谷修氏の講演でお金を取るのではなくて、1日の催し全体の入場料としてお金を取っている。

確かに1500円というのは高いが、未成年からは取るな、とか、水谷氏ならではの譲らせ方があっただろうと思う。私も札幌という地方都市で市民活動に携わったことがあるが、地方都市では、市民活動に大きなお金を出せるような裕福な市民が東京や神奈川のようにいるわけでもなく、また有名な講師に来ていただくためにものすごい労力をかけなくてはならない。そんなさまざまな負担についてもう少し思いを馳せるべきだろう。

教員は技術者であるべきだと考えている私は、水谷氏に疑問を感じている。自分を救済の神として生活指導にうつつを抜かすなど、職業人としてなっていないと思う。子どもに救いを感じさせるのは立ち直りに有効かもれないが、こうした依存が高じると宗教になる。
またマスコミで伝えられる彼の姿はメールを1日500本読む、夜回りをする、1時間しか寝ない、など神話が多すぎる。私にとって聖書以外は、読み物としてしか神話は受け止められない。
また、教員を退職してもなお、人々に先生と恥ずかしげもなく呼ばせている感覚に、どうかと思う。

関係ないですが、こんな情報もありました 夜回り先生はスモーカー
夜回り先生についてネット上では礼賛の声ばかりで、参考にならなかった。

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コメント

>有料であることを理由にキャンセルした。どうなのか考えさせられる。
それは彼の姿勢だとおもう。
そういう部分も尊重すべきではないかな。

>教員は技術者であるべきだと考えている私は、水谷氏に疑問を感じている。
今、学校で求められているモノは何か。
という事を考えると、一概にそうとは思えないです。少なくとも僕自身は。

投稿: 20代社員 | 2005.06.12 10:14

20代社員さんコメントありがとうございます。

まず前段への答え。「それも彼の姿勢だと思う」という、当事者無視のがおかしいと思うのです。彼の姿勢が第1ではなく、問題解決を欲している、倉敷の子どもや、水谷氏にすがった倉敷の人たちにとって、水谷氏の姿勢はどうか、という評価をすべきではないでしょうか。
夜回り先生の講演料、交通費は誰が出すのでしょうか。
それなりの質を維持しながら、行政に中立であったり、メンバー間の対等な関係を持った上で運動を進めようとすれば、常識の範囲内で受益者からお金を取ることは、一番まともなやり方です。タダより安い運動からは、自分たちで問題を解決する力が奪われいくと思ったほうがいいでしょう。

後段の答え。学校や教員を肥大化させるような問題解決は誤りだと思います。教員は知育の専門家でしかないのであって、子どもの面倒見を何でもやらせようという前提に無理があるのです。そうしたことを求めれば教員は全知全能の宗教家になるしかありません。
主観が入りやすい生活指導を、中立性を求められる教員が、学校教育というシステムの延長でやること自体が矛盾なのです。人の内面に立ち入るヒマがあったら、知育をきちんとやりきってほしいと思います。

投稿: 管理人 | 2005.06.12 11:20

ここで述べられている水谷さんへのツッコミはもっともな正論ばかりだと思います。講演キャンセルの件に関しては私もどうかと思います。
しかし、水谷さん本人はこうした批判があることは充分わかっていると、彼の発言を読むと感じます。彼に救われた子供達は実際におり、その実績は正論よりも説得力があります。
水谷さんは自分の役目を果たそうとしているのであって、「教員は技術者」という枠からは確かにはずれてしまっています。ですがそうした枠からはずれたやり方が機能する層にいる子がいることも確かです。

投稿: Tak | 2005.11.02 09:35

コメントありがとうございます。
ほんとうにそうです。水谷さんにフィットする子どももいると思います。立ち直りのきっかけはいろいろあってよいと思います。
気になるのは、子どもはいずれ手放さないといけないから、水谷氏のように信服させるやり方の悪影響はないのか、心配になります。
学校にすべての子どもの存在感を集約して、子どもの前で全能者のようにふるまう教員というフィクションが教育にも子どもにも混乱を与えていると思うところです。教員でない人がこういうことをすべきだと思っています。
現在「教員」ではなくなった水谷氏がどのように子どもと向き合っているその後を確認してみたいと思います。

投稿: 管理人 | 2005.11.02 12:59

おっしゃること、よくわかります。
マスコミの煽るような持ち上げ方で、親や子供達の中で間違った幻想が生まれるような悪影響はあると思います。
水谷さんは極端で、やっていることは常識はずれです。一線を超えているような部分があります。欠点も問題点もある。
ただ、無視できないものも感じます。
「教員の姿ではない」という否定で終わるのではなく、教員の方々と水谷さんの間で建設的な交感が起きればうれしいです。

投稿: Tak | 2005.11.03 08:40

Takさんコメントありがとうございます。
教員がなぜ生徒指導(授業を進めるために学校内の治安維持は一定認めますが)しなければならないのかがかわらないのです。個々の内面の問題と学業とを混同するから、丸刈りにしたりスカートの丈を図ったり君が代唱わなかった生徒を洗い出したり一般社会では通用しないようなことが学校で行われていると思います。
生徒指導で行おうとしていることは、親や地域社会の仕事です。そういう場がなければ趣味でも何でもいいから若者の居場所づくりをして、そこで働きかけていかなければならないのではないか、と思っています。

投稿: 管理人 | 2005.11.06 23:15

水谷先生だって人間。人間だから欠点もある。それに、人間何をしたって絶対批判されるのは世の常。
先生は私の長い長いメールをちゃんと読んで返事をくれた。あんなに忙しくて、病気なのに、会ったこともない私のメールを読んで返事くれたことがある。
水谷先生をあれこれ批判する時間があるのなら、自分を見つめて、自分が何ができるのか考えればいいのに。
あなたたちにそれができる?
先生のいいところから何か学べばいいのに。
人を、安全な立場から批判だけするのは簡単。
私はこれから自分が何ができるのか一生懸命考えようと思う。批判ばかりするのではなく、水谷先生からでも誰からでも、その人のいいところ、悪いところから何かを学びたい。
人は考え方は皆違う。でも考え方が違うからって、あらそっていてどうなるの。
人間は愛がないとかれてしまう。
友達が悩んでたら、理屈じゃなくて、ただただ聞いてうけとめてあげる。つらかったね、って言ってあげる。そしてけんかしながらでもお互いを大切にする。それを教えてくれる人たちの何が悪い。自分が出来ないことをやってる人のことを、本人に直接じゃなく、安全なところから簡単に批判だけするのは卑怯だ。きれいことかもしれないが、大切なのは愛だと思う。
私はこれからもがき苦しみながらでも、愛を勉強して、愛をたくさん感じて、身近な人だけにでも愛の輪を作っていきたい。きれい事を実行するのは水谷先生みたいにもがき苦しまないといけない。

投稿: たのか | 2005.11.12 17:28

どなたか詳しくわかりませんが、長々とコメントありがとうございます。
私も困った人や大変な人と関わったことは1人や2人ではありません。そこでどんなことが起きるか知らないわけではないのです。
私の言いたいことは、教員という権力性に自己陶酔してどうするんですか?という疑問があります。また、裏方仕事が長いので、せっかく講演に呼ぶことに苦労されている各地の人の苦労がわからないわけではありません。無理難題言って、すぐにキャンセルをちらつかせる人物に人を救う感覚があるのか疑問なのです。
当面、信じてついていってもいいと思いますが、いつかはかつての恩師として切り離し、自分の世界を確立しなければなりません。その時に、こうした信仰のような関係を続けていると、ほんとうに自立にとって邪魔になると思いますし、私は高校時代の経験からそのことは断言できます。

投稿: 管理人 | 2005.11.12 22:19

人を批判することは簡単です。
人を疑うことは簡単です。
恐ろしいほど簡単です。
人を否定する事で時として優越感さえ感じてしまいます。
でも、それで良いのでしょうか。
自分の理想やきれい事を押しつけ合う事が正義なのでしょうか。
大人たちの傲慢さに子供は押しつぶされそうになっています。
どうか現実を直視してほしい。
本当の自立とは、ただ現実を真摯受け止めて自分に何ができるかを考えること。
それが出来ない大人が多すぎる。
自分の考えを押しつける前に相手を理解する努力をしましょう。
自分を正当化する前に相手を理解する努力をしましょう。
せめて努力だけでもしましょう。

投稿: chaos | 2005.11.28 19:02

chaosさんのコメントは何にコメントされているのかよくわかりません。わざわざ夜回り先生の記事にコメントしているので私の夜回り先生観について批判されているのでしょう。
理想の教育者がとんでもないことばかりしている姿を見て体験した私の問題提起です。それを、批判が下品だ、という話ですから、批判はするな、ということでしょう。
夜回り先生を批判する人を批判している方は必ず、「何かしろ、でなければ批判するな」と言う言い方します。そういうご意見をおっしゃっている方が何をやっているのかよくわかりません。せめて、働いて夜回り先生に寄付ぐらいはしているのでしょうね。

投稿: 管理人 | 2005.11.28 19:25

水谷は単なる偽善者、いや詐欺師だろう。
話の内容聞いてわからない?
僕は一回テレビ見ただけでわかったよ。
ほとんど全部作り話です。
日本人って、おめでたいね。

入場料がかかるのを嫌がるのは会場で本が売れないというのがひとつの理由。自分は講演料たんまりもらってるのにさ。

投稿: 青い海 | 2005.12.26 23:00

詐欺師水谷の批判をいろいろ探してたらみんな洗脳されててなかなか見つからなかったがやっとここに出会えた。水谷は詐欺師です。池田大作や文鮮明と同じです。心の弱いたのかさんとかchaosさんとかはそれにのめりこみ、テレビで感動します。そこが商売の狙いどころなんですよ。水谷にしても出版社にしても。似非宗教にだまされてる人たちと同じ雰囲気が伺えますね。心の弱い人たち。自分たちが真実を見ていないのに真実を見ろとか。管理人さん、辛らつな言葉遣いごめんなさい。管理人さんのやわらかく物事を言おう、子供たちにやさしく接しようという気持ちすごくわかります。管理人さん、これからもがんばってください。管理人さんは普通の親父だ。だから尊敬できる。水谷の500倍は尊敬できる。信頼できる。

投稿: 青い海 | 2005.12.26 23:22

 最後のくだり,『引退しているのに「先生」と呼ばせている』・・・先生はある講演で,「僕はもう教員を辞めたから今日から夜回りおじさんだよ」と語っておられました.
 先生が呼ばせているのではなく,周りが勝手にそう呼んでいるだけ.誤解のないよう

投稿: lune | 2006.02.26 04:47

そんな発言があるなら確かに誤解ですが、でも「夜回りおじさん」と言わせてないので、誤解とも言い切れません。
そもそも教員が自分のこと先生と言わせて悦に入っているのは、近代社会ではありません。一職業人でしかないのに、聖職者として宗教的カリスマを期待するところが教育界の前近代的体質です。
なお、最近の水谷さんは、そうした限界を認識されるような発言をして、教育より児童福祉的な立場にたたれているようなので、以前より好感を持っています。

投稿: 管理人 | 2006.02.26 08:43

私は夜回り先生を尊敬してます。大好きです。
でも、ここの書き込みを見て、今までの自分がちょっと間違っていたなと気付きました。
先生をまったく信じなくなったんじゃありません。いつのまにか先生を勝手に神格化してたんです。そういう私達のおかしな姿を見て、管理人さんもこういう考えを持つようになったんだと思います。
管理人さんの考えも理解できます。管理人は普通の親父だ、という発言が少し前にありますが、私もそう思います。むしろ日本の昔からの親父でしょうか。最近人の意見に流される人が多い中、このように多くを敵にしてまでご自分の考えを主張できること、尊敬します。
批判するな、何かやれ。
確かにこれはおかしいです。私達だって何もできないのに。でも、皆さんたちにも同じことが言えるんじゃないですか?批判してもいいです。でも、自分の考えを断定しないで下さい。先生を神格化する人と同じになってしまいます。
ここはとてもいい場所です。こうやって、過度に子どもを心配する先生に疑問を持っている大人たちがいることは、先生に依存しすぎている子どもを目覚めさせるキッカケになると思うんです。人の意見を批判するのではなく、自分の意見を貫くこと、頑張って下さい。続けてください。

高校生が生意気言ってすみません。
私は先生を信じています。でも、このような意見を持った人がいることにホッとした部分もあるんです。先生を信頼しながらも批判を受け入れる私は変に見えるかもしれません。でも、こういう考えもあると知って欲しかったんです。私は先生の批判をやめろなんて言いません。誰も言えないはずです。聞きたくないならここに来なければいいじゃないですか。物事をどう捉えるかは自由で、ここの管理人さんは↑にあるような事を感じている。ただそれだけです。

長々と失礼しました。

投稿: エマ | 2006.09.22 22:50

エマさんこんばんは。ていねいなコメントありがとうございます。

高校生だから生意気なんてことないです。いちばんいろいろなことをいろいろなふうに考えられる大切な時期だったなぁ、と思います。私なんか、エマさんのこととやかく言えるような高校生ではなかったの。高校生なのに、客観的にいろいろ考えて発見できるエマさんがうらやましいです。

最近はおとなたちが徒党を組んで夜回りしていますが、夜回り先生がやっているような1人の夜回りと、そこで出会った子たちへの相談支援のような活動だけでもなかなか普通の人にできることじゃない、と思っています(メール千件とか、そういうのは?と思っていますが)。社会活動としてはどちらかと言えば尊敬している人です。

しかし私が高校時代に経験したことは、どんなに「いいこと」でも、教育という場ではその対象を神格化してはいけないことということです。
教育は、誰のものでもない自分自身の今と未来の自立のためのもの(看護士さんたちのように、自分が受けた教育の成果を誰かのために使うことはほめられるべきことです)だから、教育者が子どもたちや保護者が自分を神格化するようなことはほんとうに慎むべきだと思っています。勇み足でいえば、よき教育者は教え子がどんどん巣立って、自分から離れていくことを楽しみにできる人ではないかと思っています。

なんかエマさんにちゃんと答えたことになったかどうだか自信がありませんが、そんなことを考えていますから、エマさんのコメントにはとっても共感できたし、最近、元気のいい話を聞かない夜回り先生を見ていると、きちんと冷静に励ます人が必要なんじゃないか、と思います。

ブログ冥利に尽きるようなコメントありがとうございました。

投稿: 管理人 | 2006.09.23 01:03

私のコメントがきちんと受け止めていただけてよかったです。
教育は、誰のものでもない自分自身の今と未来の自立のためのもの―私もそう思います。先生はその手助けをする存在なんです。その人の人生に深く関わりすぎてはいけないんです。
水谷先生の多くの生徒は先生を絶対的な存在、神的な存在と見ているように思えます(私自身がなっていないことを願うばかりです)先生はそう思っていないでしょうが。恐ろしいのは、そう遠くない先生の死がやって来た時のことです。何かに依存することでやっと生きてきた子たちはどうなってしまうんでしょうか。
先生という言葉は尊敬語です。その人がいい事をしていればこうなってしまうだろうというのは、予想できなかったんでしょうか?とにかく、先生が教員をお辞めになったのは正しい選択でした。私も管理人さんと同じく、このような活動は教育の場とは別にあるべきと思っていますから。いつかは離れて過去の人となってしまうけれど、自分の人生に何か残してくれた人。それが先生という存在だと思います。

私の拙いコメントにきちんと答えてくださって、本当にありがとうございました。

投稿: エマ | 2006.09.24 00:44

今日NHK教育ETVで水谷先生の番組が再放送されていました。
こんな人がいる事を今日初めて知りました。
感心しました。
でも私には出来ません。
先生が先生と呼ばれる事に納得できました。
ご病気だそうですね。
まだご存命なのでしょうか。
どこかのインタビューで『自分の死に方を気をつけなければならない』と仰っていました。
自分がどのような存在であるかを良くご存知のようです。
後追いが出る事を心配されてました。
神格化しているのは周囲の人間です。
先生はきっかけを与えたに過ぎないと思います。
どのようにフェードアウトするのか…
ちょっと楽しみです。

投稿: saya | 2006.11.04 04:20

自分の死を間近に感じ瞬間から時間の無い中で一人でも多くの
子供を守ってあげてほしいという信念から、少しでも自分のメ
ッセージを一人でも多くの人に伝えたかった思いがあられたと
感じます。
マスコミという媒体を利用することで当然いろんなフィルター
を通してディフォルメされると思いますが、あえてそれも覚悟
で短い残された時間をフルに活用しようとされたんじゃないで
しょうか?
それはご本人のメッセージを聞けば伝わることですし、我々は
まず、自分の身近にいる子供たちが少しでも輝ける目を取り戻
せるよう彼らの逃げ場をつくってあげること、理屈ぬきで抱き
しめてあげられる大人になることが、大切なのではないでしょ
うか?

投稿: あおぞら | 2006.11.06 10:59

ビックコミックオリジナル連載中の「弁護士のくず」。
TVドラマにもなったから知っている人も多いと思いますが、
今号の「夜明けの聖母」って、水谷「先生」がモデルだよね、きっと。

詳しく事実を検証してないから、こういう事を言うのは
どうかとも思いますが、はっきり言って
「うさんくさい」
少なくとも、ネットを検索して批判的な記事が殆んどヒットしないのは
異常だと思う。

マンガの世界にも「うさんくさい」と思う人がいてほっとしてる。

投稿: ぬま | 2007.02.21 15:09

水谷さん以上のことが出来ない人間に批判する資格はないです。
それこそが正論では?
うさんくさいとかそういうレトリックは無用です

投稿: zunn | 2007.05.26 09:14

ネットやゴシップ週刊誌でボロが出ない事が
夜回り先生の凄さを現しているのでしょう。
ヤンキー先生はいろいろボロが出ているようですが・・・・

言うまでもなくネットで言論統制など出来ようはずもないので
この人には「ボロがない」としか言い様がありません
上のほうで
全部作り話だの言っている奴がいますが
ソースがない。


考えてみてください。
これだけ有名な人物が嘘発言連発してたら
必ずボロがでます。
内部告発者のたぐいが出てきます。
「夜回り先生は実は・・・」
と新潮あたりが叩くでしょう。
ネットでも告発サイトがいくつも出来るでしょう。

それが出来ないという事は・・・・

1 夜回り先生はネットや週刊誌すら黙らせる事の出来る超人である
2 叩いてもボロがでない聖人

週刊誌、ネットを統制する事など不可能であることを考えると・・・
結論は2になりますが・・・・

歴史上の聖人、偉人は(キリストや釈迦など)
は自分で教祖とか救世主とか聖人とは言いません
「周りの人間が」そう呼ぶのです。
うさんくさい宗教家の場合は「自分で」救世主だの教祖だの
言い出すわけです。

彼の本は半分以上読みましたが
この人は前者だと私は思っています。

一つ疑問があるのですが管理人さんは夜回り先生の本を見たり
講演を聴いたことがあるのでしょうか?

「自分を救済の神として生活指導にうつつを抜かすなど
水谷氏のように信服させるやり方の悪影響はないのか、
子どもの前で全能者のようにふるまう教員というフィクション
教員という権力性に自己陶酔してどうするんですか?」

など書かれていますがまったくの逆です。
夜回り先生は何度も著書で
「私は立ち直るきっかけを与えたに過ぎず、子供たちが
自分の力で立ち直ったのだ」とおっしゃられております。
「自分が子供を立ち直らせた」とは一言も言っていないし
そのような姿勢も誇示していません。
夜回り先生はよく教え子から結婚式によばれたりしますが
夜回り先生は一度も行っていません。
(一度だけ行ったことがあったかも知れません)
著書によると「私は過去の人間にすぎないから、おめでたい日に
私が行って不幸な思い出を思い出させたくない」とあります。
夜回り先生のNHKで放映されたドキュメンタリーでも
「自分はいつかいなくなる。私を絶対的な存在として
とらえてしまったらまた同じ事の繰り返しになる。
だから自立の為に必要な時には突き放す」
(正確な言葉は覚えてませんがだいたいこのような意味でした)
(その後その女の子には冷たい態度をとって突き放していました)
管理人さんの別の言葉
「いつかは離れて過去の人となってしまうけれど、自分の人生に何か残してくれた人。それが先生という存在だと思います。」
まさにこれを体現しているのですが・・・・


ちなみに夜回り先生は宮崎でも講演をキャンセルしておりますが
その時彼はこう言っております。
「私が子供だからいけないのです」
自己陶酔して自分を救済の神のように振舞う人間が
このような事を言うでしょうか?

投稿: 疾走者 | 2007.07.09 01:23

昨日書き忘れた事があったので付け足します。
まず上にある

>夜回り先生を批判する人を批判している方は必ず、「何かしろ、でなければ批判するな」と言う言い方します。そういうご意見をおっしゃっている方が何をやっているのかよくわかりません。せめて、働いて夜回り先生に寄付ぐらいはしているのでしょうね。

ですがこれの意味がよく分かりません
額面通りに受け取るのなら
夜回り先生に寄付(布施)している人間は恐らくいないでしょう
お金をたくさん布施などしたらそれこそ教祖と信者の関係に
なってしまいますが・・・・・
夜回り先生を批判している人を批判している人は
子供の為に何をしているのか?
と言う問いであるならば
何もしていないでしょう。私もそうです

だからこそ私は夜回り先生を批判しないし、また出来ないのです
大勢の子供を支援している夜回り先生を
何もしていない私が批判するなどお笑い草です
実に見苦しいですよね

ここの管理人さんは
恐らく子供を支援する活動を長年していて多くの成果をあげて
いるのでしょう。
その成果を自負もしておられると思います。
だからこそ「そのやり方はおかしい」と
異議を唱えておられるのだと推測します
市民委員などをなされているようですが
具体的な成果を教えて頂きたいです


>無理難題言って、すぐにキャンセルをちらつかせる人物に人を救う感覚があるのか疑問なのです。

ですが人を救う感覚とはどのような事ですか?
著書や行動を見る限りでは
水谷先生に人を救う感覚は無いでしょう
(せいぜい「自立を手助けする」程度の物です)
むしろそのような感覚を持たれては
管理人さんの言う自分を救済の神として生活指導にうつつを抜かす
人物になってしまいますよ
もちろんそうではないのが夜回り先生ですが。
そもそもこのニュースを見る限り
無理難題言って、すぐにキャンセルをちらつかせているようには
見えないのですが・・・・
水谷先生は無理な要求を押し付け
「いやならキャンセルするよ?」
と脅しをかけているようには見えず
講演料の件について水谷先生の方に話が言っておらず
(おそらく市民団体責任者→水谷先生のどこかで話が止まって
先生にまで話が到達していなかったのでしょう。)
その結果キャンセルになってしまったのでしょう

>当事者無視のがおかしいと思うのです。彼の姿勢が第1ではなく、問題解決を欲している、倉敷の子どもや、水谷氏にすがった倉敷の人たちにとって、水谷氏の姿勢はどうか、という評価をすべきではないでしょうか

とありますが
それならこの会場に来た人と水谷先生との話であって
(つまり水谷先生の行動について評価をするのは
この会場にきた人)
私やあなたのような外野が口を出すべき事では
ないでしょう。

>こうした依存が高じると宗教になる。
昨日の書き込みでも書きましたが
水谷先生はその点を注意深く避けています
たしかNHKドキュメンタリーの言葉だったと思いますが
「今は水谷を頼っていい。けど将来は自分の足で立つんだよ」
(後半の言い回しが少し違ったかもしれません)
と将来の自立を促しています
事実相手を突き放す事も多々あります
水谷先生と教え子との関係を妙に宗教に結び付けていますが
大きな誤解です

つまり管理人さんの言う
自分を救済の神として生活指導にうつつを抜かす
水谷氏のように信服させるやり方の悪影響はないのか、
教員という権力性に自己陶酔してどうするんですか?
その時に、こうした信仰のような関係を続けていると、ほんとうに自立にとって邪魔になると思います
教員が自分のこと先生と言わせて悦に入っているのは、

辺りの言葉はまったくの誤解なのです。

次に
>でも「夜回りおじさん」と言わせてないので、誤解とも言い切れません。
そもそも教員が自分のこと先生と言わせて悦に入っているのは、

の所ですが彼は講演でも著書でも
「もう先生はやめたから夜回りおじさんだよ」
と言っています。しかし周りが彼に敬意をもって
「夜回り先生」と言っているのです

>「夜回りおじさん」と言わせてないので

とはどういうことでしょうか?
周りが彼に敬意をもって先生と呼んでいるのに
「これからはおじさんと呼べ!」
と強要でもするのでしょうか?
教祖と信者の関係でもないのに
自分の呼び名を強要などできません
「こう呼べ!」と強要するような人物こそ
自分を救世主と自己陶酔する危険人物です

著書にこのようなエピソードがあります
夜回り先生とかかわった事で夜の街にいた人間が
昼の学校に戻ってきますが
元不良を恐れたおとなしい生徒が学校を出て行きました

同僚の教師が水谷先生にこう言います。
「水谷先生。あなたのやっている事は素晴らしいし誰も批判できない。
けど彼らが学校に戻ってきた結果真面目な生徒が彼らを恐れて
出て行ってしまった。
先生、我々教師は彼ら(真面目な生徒)の事を第一に考えるべきでは
ないでしょうか?」
水谷先生は著書にこう書いています
「私は何も言う事が出来ませんでした」

これが自己陶酔し悦に入っている人間の態度でしょうか?

そういえば昨日の書き込みが表示されていませんが
ここは書き込みがすぐ反映されないのかな?

投稿: 疾走者 | 2007.07.09 16:59

人のためあんたも行動してみたら?ただのオタクじゃだめだよ かんばってねー

投稿: マイケル | 2007.07.26 12:43

信者には苦笑するしかないですね。
マイケルにしろ、失踪者、失礼疾走者さんがどんな人かもわかりませんので(人が役に立つこと何一つしていないかのような言い方をする前に自分が何しているのかぐらい明らかにしてものを言うべきです)、判断しようがありませんが、言っていることの非論理性のごり押しに、教育者が人格教育をしようとすることの矛盾と、そういう感覚で排他的な勘定を植え付けられた人の困ったぶりを改めて実感します。

繰り返しますが、私は職業人としての学校教員は、生徒を感化することなんかより、勉強をちゃんと教えるべき、そのことに専念し、そのことに全力を尽くすべきだと考えています。
そういう意味で、水谷氏を非難したのであり、教師という職業をやめて、教育界を離れて、専業で社会活動に励まれる方については、私は全く非難するつもりはありませんので、今の水谷修氏について、ことさら非難するつもりはありません。

ただしたびたび繰り返す、講演のキャンセルについては、これまた別の問題を感じています。

投稿: 管理人 | 2007.07.26 23:16

レスありがとうございます

さっそくですが
私の質問に何一つ答えが無いのは気のせいでしょうか?
まず水谷先生のどの辺りが

「自分を救済の神として生活指導にうつつを抜かすなど
水谷氏のように信服させるやり方の悪影響はないのか、
子どもの前で全能者のようにふるまう教員というフィクション
教員という権力性に自己陶酔してどうするんですか?」
なのかまったく書かれていないのですが・・・・

具体的な行動、著書の言葉などからお願いします


>人が役に立つこと何一つしていないかのような言い方をする前に自分が何しているのかぐらい明らかにしてものを言うべきです

ちゃんと私の書き込みを見ましたでしょうか?
私は子供に対する支援活動について何もしていません
だからこそ現実に成果を挙げている夜回り先生を批判しないし
また出来ないのです
もう一度言いますが私は何もしていません
だからこそ夜回り先生を非難できないのです

しかしあなたは夜回り先生を批判された
つまりあなた子供を支援する活動を長年している方だからこそ
「そのやり方は違う、おかしいぞ」
と言いたかったのだと推察します
違いますか?
そこで具体的な活動、成果を教えて頂きたいのですが・・・・
その結果も教えて下さると実に参考になります


投稿: 疾走者 | 2007.07.30 22:19

>信者には苦笑するしかないですね。
>言っていることの非論理性のごり押しに、
>そういう感覚で排他的な勘定を植え付けられた人
これだとまるでレッテルを張っているように聞こえますが・・・
私はただ管理人さんの言う

「自分を救済の神として生活指導にうつつを抜かすなど
水谷氏のように信服させるやり方の悪影響はないのか、
子どもの前で全能者のようにふるまう教員というフィクション
教員という権力性に自己陶酔してどうするんですか?」

が誤解でありむしろ管理人さんの言う
「よき教育者は教え子がどんどん巣立って、自分から離れていくことを楽しみにできる人ではないかと思っています。」
に近い人間である事を
著書や言動などからあげただけですが・・・・


後私は職業人としての学校教員は、生徒を感化することなんかより、~

以降の文章については私は何も言う事がありません。
これは個人個人の考え方ですからね

ただ自分を「救済の神として生活指導にうつつを抜かすなど」
などの書き込みが明らかに彼の言動や著書の言葉とは違うので
それは違うのではないか?と著書やドキュメンタリーの
言動や行動などを挙げて反論したわけです

もしかしたら誤解されてるかもしれませんが私は
「教師とは水谷先生の如くあるべきだ!ほかは認めん!!!」
とは思っていません(これだとまさに信者ですよね)
教師のあり方なり教育者のあり方なりは人それぞれ
考えは違いますからね
どれが正しいとも間違ってるとも言えません
教師は人格指導などしてる暇があれば勉強を教えて欲しい
これも一つの考えであり間違ってるとは誰も言えません


ただ「自分を救済の神として~」は明らかに事実と違うと思われるので
書き込んだだけです
そこは誤解しないで頂きたいです

投稿: 疾走者 | 2007.07.30 22:22

かなり長い文章ですいませんでした
いちいち長文読むのも面倒でしょうし
勘違いされても困りますので要約しておきますね


1 教員とはどのような存在であるべきか?と言う問いについては
それは各々の自由であると思います
もちろん管理人さんの意見も一つの意見です

2 講演のキャンセルをどう捕らえるかについては
これも人それぞれであると思います。
一応意見は言わせていただきましたが・・・

3 「自分を救済の神として生活指導にうつつを抜かすなど~
教員という権力性に自己陶酔してどうするんですか?」
の部分については彼の行動や言動、著書の内容と明らかに違うので
反論した次第であります。

4「自分が何しているのかぐらい明らかにしてものを言うべきです」
ですが私は子供を支援する活動を何もしていません
だから大勢の子供を手助けしている夜回り先生を批判する気には
とてもなれないのです
管理人さんは何らかの子供を支援する活動をなされているようですが
どのような活動をしてどのような成果を挙げて
どのような結果になったのか
実に参考になりますので教えていただけるとありがたいです

投稿: 疾走者 | 2007.07.30 23:08

疾走者さんのコメント解りやすかったです。

何気なくこのサイトを見て(まぁ、テレビでちょうど夜回り先生をやってたからググッたのですが…)思ったのは、結局こういうサイトでの書き込みがイジメの種なんじゃないでしょうか?

確かに講演キャンセルの件については、楽しみ?心待ちにしてた方にしてみれば少し反感を買うかもしれません。
でもそこにはやはり双方(主催者・水谷氏)に事情があっただろうと思います。
このことの事実を述べるのは情報を伝えるためには必要だと思いましたが、その後の”宗教的~”は個々の意見であって事実であるとは限らない情報ではないのでしょうか


とにかく もはやネットは見たくなければ見なければ…というレベルのツールではないだろうし、一通り読んだ方々の思いによって、良くも悪くも人の印象は変わると思います
結局このサイト自体が『私、○○さん嫌いだな…』という一言から始まるイジメの種のように受け取れました

人間、十人十色です
私も学生時代苛められ、また苛めたものです
偉そうな事は何も言えませんが、子供の事を一番に考えるなら、実際に遭った被害でないのなら誹謗中傷はやめませんか?
子供がみれば、いい気はしないと思います。

投稿: わからんちん | 2007.08.04 03:05

少しでも批判を加えれば執拗に揚げ足取りをする人たちがいることが感化というのです。水谷さんはそのことを意図してやっているかどうかわかりませんが、少なくとも日本の教育談義は、そんな人たちを持ち上げすぎです。

一労働者に過ぎない、教員が負える責任の範囲で、勤務時間の中で、全力を全うすべきであり、それ以上の自己犠牲で教育が維持されるべきものではないと思っています。

また、教員という仕事は尊い仕事ではありますが、他人の人格に踏み込む危険性があり、私学を含めて公権力を背景として行われている以上、他人の人格に極力踏み込まないよう、他人の生活スタイルや人生観に極力踏み込まないよう、留意すべきです。そうしたことは、地域や、家庭や、友人や、本人をとりまく人間関係、思想運動家、宗教家がやるべきことです。公権力が人間の内面を干渉してならないことについては、自由主義社会の共通の価値観である、憲法と立憲主義をよくよく勉強してください。

極論を言わないとわからないようですからどぎつく言います。教員は勉強を教えればいいんです。人間としての更正だの、更正を手助けするだの、自立を支援するだの、そんなことは、公教育の教員としては、越権行為だということです。
その歯止めがぐちゃぐちゃだから、教員が子どもたちの余暇活動に過ぎない部活動の指導で疲弊したり、体罰事件が起きたり、いじめに加担したり、モンスターペアレンツの攻撃にさらされたり、教育に無駄な労力が使われすぎているのです。

毎夜、時間外労働で街を巡回するヒマがあったら、休養を取って授業のための体力を温存されたらどうですか、メールを一日何百件も目を通すのなら、授業の準備をされたらどうですか、と思うのです(ただし教員をおやめになって社会活動家となった今においては、このことについて何も文句をいいません)。

水谷さんのような先生がいなければ公教育が再建できないなんて議論をされたら、教育がまともになるわけがないんです。知育以外のことについては、学校や教員はもっともっとニュートラルになるべきです。

ですから、そもそもやっていることがダメ(今の水谷さんが何やろうと自由です。私が問題にしているのは、教員時代であり、教員という職業を兼職にして、かつ職業としての教員の活動の延長としてやっているから問題だと考えています)といっている私に、ディーティルで水谷さんはそんなつもりではない、あんなつもりではない、と指摘されて議論を持ち込まれても、全然話がかみ合うわけがありません。そのディーティルの前提が、やるべきではないと考えているからです。

それから水谷さんの支援者たちの間違っていることは、水谷さんほどのことができない人間は批判してはならない、と自分に課しているだけならともかく、私のような信じてもないものにまで、批判を封じようとすることです。これは議論によって進歩を求めることになっている、自由主義、民主主義の価値観とは相容れません。

私は長く障害者運動の隣にいたり、保育運動では当事者になったりしていますが、「あんな立派な人のことを批判できない」という空気の圧殺によって、障害者が福祉施設や福祉職員に人権侵害を受けたり、保育でいえば保護者が不当な扱いをうけたとしても、多くの人が我慢させられてきました。ときにはセクハラ事件のように泣き寝入りした事例もあります。障害者とか子どもを抱えた人が身動きが取れなくて、何も社会にいいことができないからと、苦情も文句も言ってはいけないなどという社会にいい未来はありません。

私自身は、仕事と若干の地域社会の民主化の活動をやるのが手一杯です。妻も働いていますから、赤ん坊の面倒を見なければなりません。料理も作らなくてはならないし、洗濯もしなければなりません。それでも残業は制限されるし、同僚とのおつきあいなどもほとんど断っている状態です。
ですから、水谷さんのやっていることなどまねできないし、だからすばらしいと考える人もいますが、私には逆で、あんなことしていたら、仕事も家庭も、睡眠時間も満足に取れないでしょうから、冷静な判断力すら相当犠牲にすることになるし、それで職場である学校や家庭が維持できるの?という疑問も起きます。そういう変わった人がときどきいてもいいとは思いますが、支援者の人たちのように、、みんながあんな先生になればいいんだ、などという乱暴な議論には異常さを感じざるを得ません。

おかしなことはおかしいとどんな立場の人間でも言えることが、自由な社会の価値ではないかと思います。批判者を黙らせるような雰囲気を漂わせる社会活動はうさんくさいと思わなくてはダメです。

あと、市民団体が呼んで、本人も合意した講演を一方的にキャンセルするのは契約違反です。本来は損害賠償を請求されても仕方のないことです。お金の集め方が気に入らないとか、そんなことを言えるのは、何にも頓着していないでこれたからでしょう。うちの街も彼を呼びましたが、すべて税金でまかなったようです(いろいろな団体がお金を出したかも知れませんが、名を連ねた団体は純民間というものはありませんでした)。高校生からもお金を少しずつ集めて呼んだ団体がいけなくて、行政からお金を出させれば合格という線引きが私にはわかりません。地域でいろいろな団体と触れる機会がありますが、税金にお願いすることの多い団体が、まともだと思うことはありません。むしろ呼びたい人がいればみんなから必要な参加費を集めているような団体の方が、いい活動をしています。

最後に、水谷さんを擁護する人たちは、私が何をやっているかについて執拗に聞くので、このブログはそんなことの報告のために自己顕示欲と見られるぐらい書いているはずです。教育だとか保育だとか福祉とかそんなカテゴリーの記事をお読み取りください。

最後に、人のブログに繰り返し連投をするなら、自己紹介ぐらいしましょう。匿名なら安全圏で何でも言えますよね。やむにやまれぬ内部告発とか、そういうこと以外で匿名で行動しても、あまり意味のないことだと思います。

投稿: 管理人 | 2007.08.05 00:18

お邪魔します。

>自分を救済の神として生活指導にうつつを抜かすなど、職業人としてなっていないと思う。

 思うに彼を取り巻く環境が彼を「殉教者」にしていっているのではな
いでしょうか。特定個人の「献身」や「自己犠牲」に依存するのではな
く(それ自体は美しくても)そういった(子供達に手を差し伸べられ
る)"仕組み"等を作るべきでは。夜回り先生は癌だと聞いていますが、
もし彼が死んだらその後はどうなるのでしょう。

投稿: ブロガー(志望) | 2007.08.08 07:17

お前馬鹿か。

だったらお前が夜回り先生の1000分の1
でも行動してるのか。

おまえが一人ごとで理屈を述べるのは勝手だが
わざわざHPなどをつくって、みんなに能書きをたれるんじゃねぇ。


投稿: 林 五郎 | 2007.08.19 16:53

批判もわからないではないんだけれど、ご本人の考えを伺ってみないことには何とも言えない点も多々あるんじゃないかと思いますね。

ただ、部外者でも簡単に推測できることは、もしこのとき彼がそのまま講演を引き受けていたら、どこかで心無い人が「あいつは子供をダシにして自分の金儲けの道具にしている」と言い出すでしょう。
光市母子殺害事件の本村さんや、拉致被害者家族会のみなさんにも、同じような批判(金儲けだろ、という)があるくらいです。

もちろん、水谷氏はそれを恐れて入場料無料を主張したのではないだろうと思います。単に「関わった子供たちの不幸や無念を元にして金儲けをするような人間にはなりたくない」と思ってのことじゃないかと推測しますが、本人に聞かないとわかりませんね、最終的には。

彼の普段の行動というか活動についてですが、これはかなり誤解があるように見受けられますね。
彼は自分自身のことを許せていない人です。また、自分に厳しい人ですよ。講演や著書、出演したテレビ番組、関わった子供たちの声を聞けばわかるかと思います。
もちろん、失敗もしていますし、間違いも犯しています。そのことを本人は認めていますし、反省もしています。
なんというか、そういう意味でとても人間臭い人だと思うのですがね。

投稿: mon | 2007.08.24 17:33

最初のほうのコメントで、「必要以上に子供に踏み込まない」というのは賛成できます。
ただ、「教師は勉強教えるだけ」は例えでもどうかなと。

勉強は、やる気さえあれば子供一人でもできます。勉強だけでなく同世代の仲間と触れ合いながら、社会に出る前の人格形成の場として学校が位置づけられているなら、目の前で困っている子供に手を差し伸べるのは間違っていないと思います。意見が分かれるのは、手助けの際のアプローチの違いなのでは?

自分は教師ではないですが、職場で新人を教えることが3、4回ほどありました。積極的に関わるべきか、あえて突き放して彼ら自身でやり方を見つけるのを待つか、周囲の意見も聞きながら教え方には苦労しました。自分も人間、相手も人間ですから、常に正しいやり方はないです。

水谷さんのやり方は変わっていますが、正しいやり方かどうか判らないけど、できることからやっていこう、それが「夜回り」だったのではないでしょうか。

別に彼のやり方を真似する必要はないですが、やっかんだりアラを探すより一つのやり方として受け止める方が建設的かなと思い、長々と書かせて頂きました

投稿: ku | 2007.09.10 02:23

monさま
>もちろん、水谷氏はそれを恐れて入場料無料を主張したのではないだろうと思います。単に「関わった子供たちの不幸や無念を元にして金儲けをするような人間にはなりたくない」と思ってのことじゃないかと推測しますが、本人に聞かないとわかりませんね、最終的には。

金ない金ないと言って、障害児の普通学級編入を拒んでいる自治体の教育委員会が、彼の講演にはポンと何十万ものお金を使ったりします。結局、子ども関係でメシを食うとなれば、子ども自体が働いてお金を作るなどということが稀な以上、どこかでだれかに払わせるしかないのです。自分の講演料だけ、子どもから直接取らない、などと言えるのは、子ども関係の商売をするには覚悟がなさすぎます。

kuさんのアラ探しと言いますが、全く私の書いてきていることが通じていないと思うのです。アラじゃなくて、本質的な問題だと繰り返し書いてきました。

教員が真夜中繁華街をうろつきまわって、子どもたちを見つけて歩いて意味があるんですか、教員という職業の功罪考えずにそんなことしていいんですか、ということです。

意味という点について。子どもたちの私生活をあれこれ知って、どうするつもりなのでしょうか。それで勉強ができるようになるのでしょうか。夜街にいる少年少女を何とかしたいということで、治安目的でやりたいなら補導員になるべきだし、子どもたちの支援としてやりたいなら社会福祉事業としてやるべきです。
功罪という点について。教員という、国の文部行政を背景に、内申書をつけ子どもの将来を選別できる立場にある人間が、私生活の分野は不必要に踏み込むべきではないし、それを職業生命とするなど、本末転倒だと言っているのです
家父長制的思考回路から抜けないと、日本の教育も、子ども社会も良くなりません。

投稿: 管理人 | 2007.09.15 17:08

古い記事ですが、県外から岡山へ来た私にとっては

【さっすが岡山県】と思えました。

人をどうのこうの言えるのは、己が同じ経験をしてからのこと。

外野があれこれ言いすぎではなかろうか?

その人と同じ苦しみ、同じ生活、同じ体験をして

やっと、その人の大変さが「少しだけ」わかる。

それででも少しだけだと思う。同じ苦しみではない。


それは、同じ体験をしても人によって

【心の優しさ度合】

【人に無償で愛情を注げる度合】

この辺りは異なるから、決して本人と同じ心にはなれない。


企業もしかり・・

【創始者の苦しみ】と【引き継いだ者の苦しみ】は種類が異なる。


何はともあれ
【己が一気奮起して、夜回り先生と同じことが出来ないなら黙って感謝していればいい】と思うが・・・

【出来もしない親や教職者】が

【外野にかかわらず偉そうに言うだけ】の、ご時世であることが

子どもたちが一番しっかり見ていると思いますね。

子どもたちの方が賢いかもね。

最近は外ではいい母親ぶって偉そうに言っても、蓋を開ければ

ネットで不倫、チャットで不倫の母親も多いですしね。

ここらも気付いている子供は多いですね。

バレていないと思うのは、母親だけかもね。

私は絶対しませんがね。


人の行動をトヤカク言うなら、同じ行動をとってからですね。

私は、そこまで偉くないので、夜回り先生の行動は一切何も言いません。

何かしらの「わけ」があるから、その行動を取られたのでしょうから。。。。


ただ、ただ・・・「ありがたし」と感謝しておきます。

夜回り先生が、売春斡旋でもしたなら、考えます。

投稿: ふむ | 2007.10.16 21:18

1つ1つの言葉の意味はわかりますが、全体として何を言いたいのかよくわかりません。

現・夜回り活動家の彼のことを擁護する人たちが、決まり文句のように言う「他人のこととやかく」という態度は美的な態度です。しかしその態度が、えていて問題企業を放置したり、詐欺師、違法な人の雇い方をするような企業をのさばらせていることも知っておくべきです。いじめなんかもそういう空気が漂いますよね。
社会を風通しよくし、本物の価値を高めるためには、とやかく言えるべきなのです。

投稿: 管理人 | 2007.10.16 22:03

はじめまして。
水谷先生・・・いや、ここでは水谷氏と言ったほうがいいでしょうね。
水谷氏について調べていたら、
ここのブログを見させていただいた、ダメ汚といいます。
ちなみに専門学生です。
社会にも出ていない学生が言うのも失礼かもしれませんが、管理人さんのコメント見させていただくと、なんだか、ずれているような・・・。
管理人さんが、支持者と言っている人達は意見を言っているだけで、必ずそうしろとは言っていないように私は思えます。
人それぞれ、意見もそれぞれ違いますし、管理人さんが水谷氏を嫌っているのならそれでいいし、好きな人はそれでいいじゃないですか。
ブログでコメントを書き込めるようにしているのはいろんな人に「私の意見はどうですか?」と言う風に書き込めるようにしているものだと私は思っているのですが、管理人さんのコメントを見ていると「私がこう思うからこの意見に賛成しない奴は間違っている!!!」みたいに見えてしまいます。
管理人さんは、「いじめ」と言う言葉をあげ、批判していますが、このブログも一種の「いじめ」になるのでは?
前の人のコメントにありましたように、「○○さんって、嫌いだよな〜。」と言う風にこのブログはなってますよね?
相手の意見も聞かずに排他的になっていますよね?
ブログは書く人の自由だし、管理人さんの信念もあるでしょうが、少しぐらいは相手の意見を聞いてみては?

投稿: ダメ汚 | 2007.10.21 02:05

なんか、管理人さんかわいそうだね。
きっと、管理人さんも自分の人生と戦ってるんだね。戦うモノや戦い方が違っても、管理人さんもちゃんと自分と向き合ってるんだね。
そして、こうやって、みんなから刺激もらって、また、自分を高めてる。
偉いと思う。
あなたのこの場での意見は、私の価値観とは違うけど、一生懸命生きてるあなたは偉いと思う。

投稿: はっしー | 2008.04.28 00:12

はじめまして。
気になったのでコメントさせていただきます。

「労働者に過ぎない、教員が負える責任の範囲で、勤務時間の中で、全力を全うすべきであり、それ以上の自己犠牲で教育が維持されるべきものではないと思っています」

というのは正解だと思います。

教育において自己犠牲は、解決にはならないと思います。
水谷氏が神格化されるのは、自己犠牲における活動からです。教育者がそうのように見られるのは、いかがなものでしょう。
また、水谷氏は、価値観が固定されています。硬い正義感が、柔軟性を失っているようです。

そのような方が子供に教育をするのは問題です。。
神格化によってある種の価値観を埋め込む可能性があります。子供は、自らの失敗や経験で学ぶべきであり、そこから自分の考えや主張を固めていくべきです。何が良くて何が悪いかなどは自分で知っていくものです。

水谷氏は、価値観を植えつけようなど、微塵も思っていないでしょう。
しかし、本人が気付いていないなら、なおタチが悪いです。

「水谷先生が言ってることは、ゼッタイ正しいんだ」とか言い出す人も出てくるのでは、、、
水谷依存もでてくるでしょう。
それは教育ではありません。

教育者は、殉教者であってはなりません。
子供とVSの関係でなければダメです。

投稿: die sel | 2008.11.20 05:32

考え方自由ですよね

私はマスゴミが全部悪いと思うけど

一方的な主催者側のコメントから見ても意図的にそう作られてるニュースソースな気がする。

結果だけ見れば委員会側のミスだろ

結局
報告連絡相談
が出来てなかった訳だから

社会的に見てもそうだと思うんだけどなぁ

水谷さんは招かれてるんだから

投稿: お~い | 2010.10.18 15:58

学校の教員の職務って何なのでしょうね?

たとえば、午後8時、学校で残業をしている最中に、警察から電話で呼び出され、万引きをした生徒を、居場所の知れない(電話で連絡のとれない)親の代わりに引き取りに行く・・・といったことも、その職務の範囲に含まれているのでしょうかね? 

>労働者に過ぎない、教員が負える責任の範囲で、勤務時間の中で、全力を全うすべきであり、それ以上の自己犠牲で教育が維持されるべきものではないと思っています。

管理人さんのおっしゃる通りと思います。

投稿: KM | 2011.01.25 14:27

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