5/31 エスタブリッシュメントの態度
好きでやっていることだからあまり文句言いたくはないが、今日の地域福祉計画の策定委員会はひどかった。
策定委員会とは調査と計画をまとめてきた市民委員会の提言を承認したり、修正したりする場である。
市民委員会が市民の希望者で構成し、無報酬で自発的に月数回の活動をしているのに対して、策定委員会は有償で数ヶ月に一度、市の各団体の代表が集められて市民委員会のまとめてきたものをチェックする。
地域福祉では近隣住民に何らかの助け合いの輪をつくっていかなくてはならないが、市民活動の盛んな武蔵野市のような地域とは違い、朝霞市の場合、町内会の役割が大きくなる。市民委員会の提言で町内会の活性化が入ったことについて、市内の任意団体の会長も務めるある委員からは、市民委員会に「町内会には毎日のように市から大量の資料が送られてきて読みこなすだけでも大変だ。それなのに町内会にも入っていないメンバーがいる市民委員会が町内会のことについてあれこれ言うな」との物言いがついた。
またある委員からは、「地域と関わるとは何なのか、福祉でもらうことばかり考えているのではないか」と禅問答のような質問もあった。「この計画は権利の主張ばかりで義務が書いていない」など。
この委員たちは、私語はひどいし、計画を指さしながら冷笑しているし、いやな雰囲気であった。
こんな委員たちに、市民委員会はネタを提供しているのかと思うと、ほんとうにやりきれないし、当事者なんかどこかにいってしまっている態度だ。
町内会のことについては、市民委員会の苦労も一緒にしていないのに提言への評論ばかりしないでください、と言いたかった。任意団体の町内会には毎日のように市から大量に資料が送られてくるということが理解できない。行政に近いのか、住民に近いのか、不透明な感じだ。
地域に関わるということは何なのか、という禅問答に対してはご自身の行動で表してください、と言いたかった。福祉でもらうことばかり、ということについてはどこがそうなのだろうか。支援そのものを否定されるなら、自助しかいらないということだろう。それなら正面から地域福祉計画はいらないと発言すべきだろう。
義務の話については、権利の反対語は義務ではないと言いたかった。難しい話になるが、権利は権利で、義務は義務だ。権利と義務とをトレードオフするような意見が跳梁跋扈しているが、それは違う。権利とトレードオフする議論が成立しうるのは責任で、それも他人の権利を侵害しないようにする責任という意味合いだ。こういう言葉使いをされるときは、権力に近い者から遠い者への抑圧がある時だ。
具体的な策定の作業させられている市民委員会に対して、これらのエスタブリッシュメントの発言は、何にもならないし意欲をそぐだけである。
また、同時に市職員で構成される庁内検討委員会の修正案も出てきた。かなり物言いが絞られていたが、いくつか見過ごせない修正案もあった。市民委員も策定委員も自分の発言は公開されているが、庁内検討委員会はどこのだれが修正案を出したのか明らかにしていない。市民委員会との事前協議もない。
市民参加の計画づくりの体制を守るためには、市職員が職務上の匿名性において市民委員会の結論を自由に修正することを認めてはいけない。私は修正案を出した課名を明らかにさせた。余談だが公園緑地課の修正案はなかなかの変化球で、意図している方向になるともならないとも言えるが、市民として反対しにくい修正だった。すべてを認めるわけにはいかないが、この頭の良さは評価したい。
庁内からの修正案の中には、「~づくり」や「推進」という結語の後に、「のために検討する」を付けるような修正が半分ぐらいあった。医師会出身の委員さんが「検討する、なんてやらないということですよね。よってそういう市側の修正は認めないこととしたいのですが」という発言があり、検討するをつける修正はすべて却下された。医師会のことをあれこれ言ったが、こうした適切な発言に深く感謝したい。
また、先に挙げたように委員会で混乱させるような発言に対して、当事者団体の委員の方がピシッと締めるような意見を言ってくださった。この方には市民委員会と兼任の委員一同でお礼をした。
適切な修正をしていただいた委員もいた。市民委員が大慌てでまとめたものだから、そうしたことにフォローをされることに感謝ばかりだ。
市のエスタブリッシュメントには、混乱しか生まない議論をしたがる人がいて、あまりにも多く発言する。今後の市は市民参加を進めようとしているが、こうした人たちがいやな思いをまき散らさないような工夫が必要だ。
その一方で市民委員会の努力や、当事者に近づこうとする意欲を評価して、きちんと対応された方がいる。その方々には感謝したいし、これからもいろいろ期待していきたい。
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