5/31② 朝霞市の幼保一元化
地域福祉計画案で、今までの福祉のやり方と違う福祉のあり方を提示するものの1つして「幼稚園・保育所の一元的運用」を提言している。
それに対して市職員で構成される庁内検討委員会は、児童福祉課を中心に削除せよ、という修正案を出してきた。
策定委員会の審議で中間提言では両論併記で市民に公開されることになった。
朝霞市は、保育所の待機児童問題が深刻で、かつ幼稚園も入園が難しいほど子どもの多い地域なので幼保一元化の必要なしということらしい。
政府が推進している幼保一元化が、単に保育所不足解消策として提案しているので、市職員は待機児童問題解消の文脈だけで受け取ってしまったのだろう。待機児童問題解決のための幼稚園・保育所の一元化という提案もあるが、私はそれは副次的なものだと思っている。
大事なことの第1には、子どもの育ちが、分断されることの弊害が大きいということだ。幼稚園で育った子と、保育所で育った子の勉強への集中力と生活での問題解決能力が反比例する関係にあると言われ続けてきている。能力開発面に限らず、社会的関係、多様な人との共存などを考えると、この分断はナンセンスだと思う。
第2には、保護者の分断が良くない。育児休業を取って地域のお母さんたちと交流をもつ機会があったが、専業主婦は、保育所問題を贅沢な問題ととらえ、保育所入所児の親は、専業主婦の子育て支援なんて贅沢な問題ととらえ、お互いが断絶の中にいる。複雑になるが、同じ施設の保護者として共に子育てする関係を作れないのか、という思いがある。
第3には、明らかな就労以外にも、保育所の入所条件である「保育に欠ける」と考えられるケースが増えているからである。たとえば、ボランティア活動やNPOでの無償労働などどうだろうか。失業した母子家庭の求職活動なども保育に欠ける状態と言えるが、現状では保育所入所は朝霞市では不可能だ。一方、パート労働などで「就労」している親が子どもを幼稚園に「預けて」いるケースも多い。もはや線引きは意味なし、だと思う。
第4には、幼稚園の施設の充実で、ほとんど保育所と施設の状態が変わらなくなっている。分けていることの意味がなくなっている。
いきなり幼保一元化は、思い切った行政のトップクラスの覚悟がない限り不可能だと思う。しかし、幼稚園と保育所の担当課・係を一緒にしたり、国や県から入る幼稚園の入園補助金と保育所の運営費補助金の扱いを同一部署で管理すること、保育士と幼稚園教諭が一緒に研修したり、保育所を横目でみながら幼稚園の延長保育を実施したり、幼稚園を意識しながら保育所の教育内容を改革したりすることは、可能だろう。
この街の、分断された子育て、育ちの環境を変えていく一歩が必要だ。
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コメント
いつも読ませていただいております。
コメント力に欠けるので投稿するのは気が引けていたのですが、恥ずかしながら。
幼保一元化の問題ですが、私も昨年子育て計画作りに参加して、これまでの子育て施策が就労の有無で区切られてきていたことに驚きました。
保育園と幼稚園、学童と全児童対策。
おっしゃるとおり専業主婦と働く親との間には深い溝が出来ています。
そこに一石を投じたのが障害児の受け入れ問題だと思います。
保育園で障害児を受け入れたら加配の保育士がつくのに、同じように受け入れている幼稚園はどうなの?
同じく障害児を受け入れている学童は加配の指導員がつくのに、全員障害児の障害児学童はなぜ3対1もしくは6対1の指導員配置なの?
「保育に欠ける」という条件で障害児の入所が認められるなら、就労という条件はどうなるの?
もともと障害児を育てている親の中には、就労していないのではなく、働きたくても働けないという人が多い。
そして、延長保育や園庭解放の話になるともはや幼と保の境目がわからなくなります。
障害者と健常者、働きながら子育てしている人と在宅で子育てしている人、幼稚園と保育園・・・
この垣根を、少なくても利用する側が取り払わなければ、行政も動きようがないかもしれません。
投稿: msd | 2005.06.01 16:39
北陸や九州などほとんどの子が保育所に通っている地域では、保育に欠けるが幅広く適用されているようです。
垣根を取り払うのは市民も必要ですが、少しだけでいいから制度や運用を変えてみないと、多くの人は目の前の問題についつい関心を奪われがちです。そういうことではないんだ、と示し、気持ちのよい地域社会をつくっていきたいですね。
投稿: 管理人 | 2005.06.01 20:07