« 2005年3月 | トップページ | 2005年5月 »

2005.04.30

4/30 肉を食らわば羊肉

朝霞市で安くて、長居ができて、チェーンじゃない店をさがしてみるが、なかなか思いつかない。飲んだり食べたりする場所を3分の1は地域社会に戻すことができないか、と思うけど、TPOにあわせられる店が少ないなぁ。

●朝日新聞「首都に香る道産子料理」
北海道の料理が東京進出しているようだ。北海道料理というと、海産物を活かした料理というイメージが強いが、それとは別に、北海道の陸の食文化を体現する素材として、根菜と肉があって、それを活かした料理である、スープカレーとジンギスカンが、元気がいい。
北海道で学生をやっていた頃は、まだ牛肉の輸入自由化がなっていない頃、みんなで集まって鍋をするといえばジンギスカンかラム肉のしゃぶしゃぶだった。安くて、柔らかくて、栄養がいいので、重宝した。あのときの楽しさは15年たった今でも思い出せる。北海道の暮らしでは、ジンギスカンや羊肉のしゃぶしゃぶを通して、学生のように家庭を開放して交流することがよくある。その中にとけ込んでいくと、いろいろなことを助けてくれたり、情報やきっかけを紹介してくれる。
また、羊肉を食べることで、中央アジアから北海道にかけている遊牧民の暮らしの感覚や、共通性がすんなり理解できる。
羊肉が臭いというのは先入観で、同じくらい牛肉だって臭う。それと羊肉は焼きすぎず柔らかいうちに食べることがおいしいし、嫌な臭いを服につけないための秘訣だ。
あぁ、ジンギスカンやりたくなってきたなぁ。

●「定刻発車」を読み直す。鉄道システムづくりの前提になった日本人の時間感覚やシステムへの理解についての研究が面白い。
日本は徳川中期以後、全国3万ヵ所で昼夜問わず一時(いっとき)ごとに鐘を鳴らすようになっていたという。日本にやってきたペリーも真夜中にゴーン、ゴーンとなる鐘の音に苦しんだらしい。またそうした時間感覚が赤穂四十七士の仇討ちを可能にしたとも言える。
鉄道システムの地ならしとして参勤交代のシステムを指摘している。参勤交代は、事前に幕府に申請した時間通りに江戸に到着しなければならず、また途中で他藩の参勤交代にかちあったりしないようにしながら、食糧、お金、宿泊場所、行進経路などをルールとつきあわせて綿密に調整しながら、計画どおりに行列を進めなくてはならない。この経験は鉄道の運行計画づくりに非常に似ている。尼崎の列車脱線事故を考えるにも、読んでおいたほうがいい一冊である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.29

4/29 労働者の日じゃよ

何年か前から、連休中日の5/1のメーデーに、労働者がレジャーや海外旅行に行っていまうということで、連休初日のみどりの日にメーデーが行われることになった。

労組の職員として、今日、メーデーの裏方作業に携わった。作業は警備係。

newoldleftメーデーそのものに危険がそんなにあるわけじゃなく、主な仕事は「新左翼」の人たちの会場侵入と占拠の予防。境界線争いのように、一歩でも入ってビラ撒きすれば、「出ていってください」というのが業務内容。

警視庁の公安対策が厳しくなっている感じがしたし、そのせいか、あまり手も足も出なかったようだ。3年ぐらい前には、「新左翼」は会場内に乱入したり、出ていってもらおうとする警備係と小競り合いになったりした。そのとばっちりで殴られたこともある。そのとき、公安警察は写真を撮っていくだけで、何もしなかった。
3年前に一所懸命ビラ配りしていたきれいな△○派のお姉さんがまたいた。すっかり脂がのってきた。今回もそのお姉さんが一番若かった。大学自治会等での新左翼追放が進んで、人材の補給線が断たれているのだろう。

そして「新左翼」の敵対派閥どうしでの言い争いが目の前で始まった。
両派閥とも言っていることも憲法改正反対と、戦争反対、時々大幅賃上げ勝ち取ろう、ということだけ。福祉も住民参加も理想の社会主義社会像の話もなく、70年代のままで、旧左翼より古い。

ookubo休憩時間になったので、会場内を見た。一昨年ぐらいからメーデー改革として、NPO団体やボランティア団体、政党、労働組合の職員グループに会場内でブースを貸し出している。
その1つのブースが社民党。そこを通りがかり、都議選にチャレンジしようとしている大久保青志さんとツーショット。大切な私の友人・知人の何人かが学校からはみだして頼ったのが、当時学校解放新聞を発行していた保坂展人さんだが、その保坂さんの活動をサポートしてきたのが、ロッキングオンの編集者から転身した大久保さん。ぜひともいい結果を出してほしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.27

4/27 反定刻主義

原稿の入稿が終わってほっとするが、また次の締切がやってくる、そのための記事探しもしなくてはならない。そんなことしていると、すぐ次の締切が迫ってくる。あぁ。

●尼崎の鉄道事故に関して、JR西日本が遅れに対して敏感になりすぎていた、ということが指摘されている。
今日の毎日新聞では、遅れを繰り返す運転手を乗務から外し、運行規則の丸写しなど懲罰ともいえるような研修を科して運転手のメンタルを追い詰めるようなことをしていたようだ。50秒遅れたことで懲罰になり、自殺者も出しているらしい。おかしな職場だ。

読売新聞では、

特に事故のあった福知山線は私鉄の阪急宝塚線と路線が競合。沿線に住宅地も多いことから、急成長路線と位置づけられ、「サービスをさらに強化する」(垣内剛社長)と力を入れていた。このため、東海道線に乗り入れる尼崎駅までの線区はダイヤが過密となり、「定時運行が最大の誇り」(JR西日本OB)の運転士にとって、精神的に大きな負担になっていた可能性は否めない。

 しかし首都圏や京阪神などでは、すでに電車はどの区間でも、安全走行のために定められた最高速度に近い速度で走っており、スピードアップによる遅れ回復は難しくなっているのが実情だ。

 東武鉄道(本社・東京)では「オーバーランや、急停車による乗客のけがなどにつながりかねないため、無理して速度を上げるのではなく、車掌が乗客に理由をアナウンスし、理解を得るよう指導している」(広報センター)と話す。
(2005年4月26日 ダイヤ厳守が重圧?より)

2段落目の最高速度に近い速度で走っており、というのは首都圏に関してはまちがいだと思う。

それはともかく、インタビューに応じた東武鉄道のコメントはその通りだと思うがしかし、という気持ちがおきてしまう。いつも乗っていて思うが、遅れようが何しようが、全然時間を取り戻そうという努力をしないのだ。夕方のラッシュ時間は、日中より3~5分ゆっくりのダイヤにもかかわらず、さらに2~3分遅れることは日常茶飯事だ。謝ってほしいとは思わないが、もう少し何とかならないものだろうかと思う。まして、こんなコメントされていると、安全のために遅れたっていいだろ、と言われているような気がしてくる。こんな感覚的な議論でいいのだろうか。

近所の書店に行ったら、数年前に人に貸したきりになっていた「定刻発車」が新潮文庫から出ていた。昭和初期の交通関係者がさまざまな実験を繰り返して、電車の定時運行を確立していく話だ。運行規則の丸写しのような精神主義では何ともならない、ということは昭和初期の日本人のほうがちゃんと知っていたようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005.04.26

4/26 脱教育・脱宗教

知事が任命した県教育委員、高橋史朗氏が「つくる会」教科書の執筆をしていたことがばれて問題になっている。

問題に関連して、毎日新聞埼玉版に高橋氏の写真入りのインタビューが載っている。

そのインタビュー記事の高橋氏も高橋氏であやしくて、全共闘世代エコロジストのようなひげを蓄えている上に、テカテカのサテンのスーツを着ている。子どもたちにしつけだ乱れだ言えるのだろうか。言っていることが、子どもの内面重視で、マインドコントロールチックな雰囲気もやばい感じがする。

高橋氏についてインターネットで経歴等を調べると、明治図書から何冊か著書を出している。明治図書は左派系出版社のはずだ。「つくる会」の藤岡氏も元左翼教員。百ます計算の蔭山氏も元左派系教員。向山式の向山氏も元左派教員。左翼の教員たちが民族教育やマニュアル教育のカリスマになっていくのはなぜなのだろうか。単に高橋氏に反発するだけではなくて、その背景を解明することは必要だと思う。こうした教育界のカリスマと言われるような人たちが、そろいも揃って怪しい雰囲気を醸し出していることも気になる。

県内に高橋氏の教員委員就任に執拗に反対しているグループがある。高橋氏についてどうか、ということについては認識をともにする人は多いが、この反対運動グループはどうかと思うほど執拗かつ効き目のないことばかりやっていて、関わるだけ無駄という雰囲気を醸し出している。

●辻井喬「父の肖像」を読み終える。事業家としての堤康次郎はいろいろ伝記があるが、政治家としての堤康次郎について、いろいろ知ることのできる小説である。小説として感じたことのほかに、戦前の政治家のことについて書かれた部分にも得ることが多かった。
次はイリイチ「脱学校の社会」。読まなくてはならない本が多い。
脱学校。学校に期待しすぎるから、宗教家みたいな教育者しか頼りなく見えるような気がしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.25

4/25 社長室の国語力

帰宅すると、家族の親しい学生さんのお母さんの訃報が入る。
食事後、辻井喬「父の肖像」あと一息なので読み切ってしまおう、と力を入れてみたが、花粉症で目が痛くて、そのまま居眠り。気づくとすでに時計の針は天井近くに・・・。
辻井喬の文体は美しく、どろどろの堤家を神秘的にしていく。

●JR西日本で鉄道事故。原因究明はこれからされるが、今日の社長の声明には、久しぶりに感じる日本語の言葉遣いが見られた。

最近、こうした会見の席では、「所存」「真摯」という言葉が濫用されていたような感じがしている。公式的な席ではこうした漢字の熟語を動詞の前にちりばめなくては、という感覚があるのだろうか。昔、国会答弁の、「遺憾」がよく揶揄されたが、それよりもっと多くの頻度で、民間企業の会見でも、こうしたことばがよく使われるようになったと思う。
しかしこうした言葉にふれると違和感が出てしまうし、こうした事故や犯罪を起こしてしまった側が「所存(=つもり)」という言葉を使うことには、誠意がパーになるようなものを感じてきた。

今日のJR西日本の垣内社長の会見では、「申しわけない気持ちでいっぱいでございます」「救済にあたってまいります」といった表現が巧いと感じた。事故の発生原因や責任、補償や原因究明の時期について具体的に何の言質も与えていないにもかかわらずに、官僚的な感じをさせていないし、後ろ向きな感じを与えていない。社長室の国語力に敬意を表したいと思う。

JR西日本そのものについての評価は、事故の究明があってからだが、民営化以後、大事故が繰り返されているという点では、考えさせられるものがある。駅や車両のリフォームなど目に見えるところの改善には熱心だが、安全性につながるところへの投資はどうなのか、疑問を感じる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.23

4/23② 空き地の公共性

何年か前に、埼玉県に住んで何がよかったか、というアンケートで自然が多い、という回答が多かったような記憶がある。

私自身は街の子で、商店街の中で育ったせいで、がけのある幼稚園以外に自然に触れて遊ぶ経験はあまりなかった。だから埼玉=自然が豊か、なんていうのは思いこみだと今でも思っている。私は路地で近所の子といろいろな遊びをした記憶のほうが大きい。路地には駄菓子屋があって、そこのおばちゃんが私たちを見守ってくれた。
そうそう、それでもあなぼこ掘ったり、草に戯れたりしたことはあったなぁ、なんて思い出すと、うなぎ屋の裏のマンション予定地が空き地としてみんなに使われていたことを思い出す。私が十分おとなった頃、マンションになって空き地はなくなった。

バブル前後から、マンション予定地のような民有の空き地がなくなった。みんな鉄板の囲いで覆われ、強烈な私有財産権の主張を始めるようになった。そこで事故があったときの責任は、などという最もらしい理由で。

ここでも何回か紹介したスウェーデンの中学教科書では、最初に社会の約束ごととして法律と、伝統にもとづく慣習法であるアレマンスレットが紹介される。その中には、「たとえその土地を所有していなくても、住宅などが建っていない川の岸辺や海岸に踏み入ることができる」「他人の所有する土地や森を歩き回ることができ、テントを張ることができる。その場合、テントは建築物から適当に離れている必要がある・・・」。
「ロッタちゃんと赤い自転車」というスウェーデンのきかん坊の女の子の映画があった。主人公の子どもが他人の土地に入ってピクニックをしていた。スウェーデンは使われていない土地は公共(みんな)に利用権がある、という考え方をしているのだろうか。

●朝日新聞、毎日新聞の埼玉版が相次いでさいたま市の合併2年・政令市移行1年の内容を検証する連載をした。公共施設を準備せず、マンションの乱開発を許してしまったことで、とても子育てのしにくい町になっている、と報じられたが、朝霞市も状況は同じだ。さらにサラリーマン階層が市の行政にまったく影響力がないので、そうした人たちのニーズや怒りが全然伝わらないのが、事態をさらに悪化させている。
土地利用に関する公共性との調和、まちづくりとの調和が求められて、都市マスタープランづくりでは住民参画のまちづくりを求めている。しかし、先日配られた朝霞市都市マスタープランは、市内の地域をイメージだけでゾーニングして、商業中心のまちづくり、とか、住宅中心のまちづくり、と色分けしているだけである。計画段階で住民参加はあったようだが、そもそも住民が地域のまちづくりを継続的に考えていく方策はない。だからマンションがこの地域の環境や社会サービスの需給バランスにとって良くない、と地域住民が思っても、住民自身は考える場も意見を言う場も用意されていない。市も地方分権以前の機関委任事務の体質のままで開発規制する術もなく乱開発を許してしまう。

他にもこの連載では、合併してから行政サービスに対して無責任になってきた旧与野市の話があったりして面白い。自治体は大きければいいというものではないことがわかる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

4/23 裁きの日は近い

うっすらと二日酔いでぼーっとしているところに、朝からキリスト教の新興宗教の宣伝カーに家の周りを二巡された。「裁きの日は近い」「神はあなたの近くにいる」・・・独特の節回しで。ああ、やかましい、朝からお説教だよ。

この団体は、おそらくお正月の原宿や、クリスマスの渋谷の駅前などでやっているあの団体である。アジトの1つが近所にあるらしいのか、ときどきやってくる。そして志木駅のまわりをぐるぐる回ると、うちの前を二巡三巡することなる。
以前、近所を散歩していたら、宣伝カーが目の前を通り過ぎたが、紫色のワゴンに黒フィルムの窓。暴走族のワゴンみたいだった。この団体、カルト宗教なのだろうが、それ以外にも何かあるのではないか。

日曜日の朝は、鐘の音が近くの聖公会(英国国教会)の教会から聞こえてくる。お茶の水のオフィス街も、正教会の鐘の音が響き渡る。信心は激しくも美しくありたい。

主憐れめよ、アアメン。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

4/22 

2年前の都知事選挙で一緒にたたかった仲間と飲む。石原的なノリや小泉的なムードに対抗していきたい、という中道左派の若者たちの集まりで、僭称「レフティーズ」。新たな仲間も加わり、また元気をもらった。参加者の1人が新たに結婚した人がいて、おめでたい会でもあった。

今年から始まった法政大学の菅直人「国民主権論」の講義のスタッフが参加していた。菅氏の講義内容はかなり学問としてきちんとしていて、深みがあるようだ。今は行政権の独立の問題点を説明している。民主主義の原理からいえば市民自治の営みとして行政があるが、三権分立などの学術用語で、市民と行政の間に数々の断層や白紙委任のシステムがつくられてきた、という話だそうだ。
官僚支配の打破、というのが民主党の考えで、それは菅直人氏の目標とする国民による政府、市民による自治体を取り戻すために必要なことだ。しかし現実に民主党の多くの議員はそういう自覚がなく、行政を政治家の下におくだけの行動や、官僚の不正行為を暴いていることしかしていない。民主党は官僚支配の構造の権化である無駄な公共事業にノーと言わなくなった。この断層をワイドショー政治というのか。

二次会は銀座の飲み屋に行くが、戸井十月さんという冒険家の出発を祝うパーティーに合流。南米を4ヵ月かけて一周する。地図無き道をたどったり、アマゾンを縦断したりの行程で、帰還後の話が楽しみ。思わぬ大人物に会う。
その出発式で、わが労組の組織内議員の秘書として「医療の社会化」の運動に取りくまれた先輩と知り合う。「医療の社会化」運動は、地域医療や、今でいうQOLを重視した改革を提唱してきた。一昨年亡くなられた今井澄さんや、衆議院議員をされている石毛えい子さんなどが関わられていた。

そんなことを延々と話していたら、夜も更け、久しぶりに午前様で帰宅。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.21

4/21 招かれざる市民

午後から休暇を取って地域福祉計画の市民委員会に出席。これまで市民任せにしてきた計画策定に、事務局(市)からの細かい指摘が異様に増えた。その標的はなぜか私。私が発言しすぎるせいかも知れないが、原案の半分の不適切な表現は市側がつくっているものではないか。先日、策定委員会で細かい言葉の表現についていろいろ指摘されて、事務局は気にはなっているのかも知れない。あるいは、人事異動もあり、市民中心の計画策定に批判的な庁内の声が挙がってきたのか。

細かい文言の指摘をされることはいいとしても、それ以外に、市民の価値観に関わることについて市職員があるべき論を展開したのは、大きな問題だと感じた。市民委員会側が提起した「専門的な相談・援助の充実」として事例に離婚相談を挙げた。それに対して事務局である市職員の1人が、「子育ては夫婦が基本であり、やはり離婚というものはあってはよくないものだと・・・」。離婚相談というのは事例と指定良くないということに、ここまで言うかという内容だった。

びっくり。離婚しようが、何しようが、子どもが親のために著しい不都合に陥らないためにどうしようか、ということに思いも馳せずに、離婚しない人間の立場だけを、しかも先入観に満ちた言い方は大問題だ。市役所が市民の生き方のあるべき姿を規定し、それにはまらない人のことには対応したくない、と会議の席で公言していることになる。行政の中立性とそれを保障する公務員の身分保障は何のためにあるのだろうか。

3組に1組が離婚する時代、放置しておけば、育児放棄や、生活破綻→生活保護受給者の増大になってしまう。法律相談、立ち直りのケア、住居や就労や保育所の斡旋と、離婚家庭のやるべきことはたくさんある。離婚当事者を支援するグループが関係機関が連携とってやれば、悲惨な状態に陥らずに、離婚家庭の生活再建ができる。

離婚に限らず、こうした「専門的な相談・援助の充実」の実現にあるので、離婚相談を事例に出してこのことそのものが否定されてはかなわないので、市職員の指摘に従い撤回したがが、どうにも腑に落ちないことだった。

次世代計画の審議会でも福祉事業者の委員から離婚家庭や共働き家庭に対する差別発言があったが、ライフスタイルやおかれた生活の境遇が普通でない人に、倫から外れた者として、差別することに平気な風潮があるのかも知れない。招かざる市民なのだろう。

●国会で野党に疑惑を追及されまくっているのに、厚生労働省が「筋肉トレーニングは介護予防に効果あり」と。それを疑いもせずそのまま掲載するブル新。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

4/20 すきまの少なさ

夜、5年ぐらい前に選挙の応援で知り合った友人たちと食事。若手の都議候補を手伝っている人から、最近の若手候補者の話を聞く。

95年、99年の統一地方選挙を前後して、若手の地方議員が増えたが、彼らは政治に関して全くのシロウトたちが多く、思い立ったように立候補し、当選して、各地の市議会、区議会で議会の旧弊をうち破ってくれた。また、国会議員や都県会議員との親分子分関係もなく、自由な立場でさまざまな問題提起をしていったと思う。

ところが2000年ぐらいを境に、若手議員は増えたし政治家志望の若者は格段に増えたものの、その内訳が民間から挑戦するシロウトから、政治塾出身者や、政治家秘書など、業界の訓練を受けた若者が立候補するようになってきた。国会議員や都県会議員の親分子分関係をひきずってくるようになった。その結果、若手議員が政治業界の旧弊に挑戦したり、をうち破ることなくなってきている。かえって生活体験が乏しい分、政治業界のしきたりに従順になっている感じがしている。生活に根ざした目標がないから、汚職追及と公務員給料バッシングしかやらなくなっている。

そう考えると、政治の世界の人材供給源は、数は増えても類型化されているのが見えてくる。95年から5年間は、政界が地方政治も含めて流動化していて、いろいろな人が入り込める余地が増えてきたのだろう。ところが2000年に入ってからは、政党が固まってきて、タテ系列の政治の人間関係ができあがってきて、新たに素手で挑戦できるすき間が小さくなってきているのだろう。ここ数回の国政選挙でも、無所属に不利な状況になっているし、さりとて民主党の公認をもらうのは、多くの選挙区で民主党の国会議員候補がいて、その人が公認権を実質的に掌握していて、政界のタテ系列を受け入れることになる。

私は、自民党はいつか社会党のように、党のシステムが時代に追いつけなくなって再編することになると思う。そのときに保守の側に流動化がおきて、流れを変えるチャンスが出てくると思う。でもこれは、民主党が風通しがよかった時代は社会党とさきがけの間の新党で混沌としていたからで、自民党が再編に追い込まれても、それは保守の側だけの話になると見ている。
その頃は民主党の若手議員が50、60歳になって、今の自民党と民主党の立ち位置が入れ替わることになるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005.04.20

4/19 託児と保育のちがい

午前中、朝霞市内の障害児放課後クラブなかよしの取材。夜は埼玉県内の子育てするオヤジたちで集まって「おやじ動物園」という名の飲み会。食べては飲みながら、いろいろ面白いこと考える。気持ちが通じることが多くでいろいろ参考になる。

●「おやじ動物園」で、託児と保育の違いは大きいよね、という話になった。
預けっぱなしの保育は、保育といえるのか、託児というべきじゃないのか、
保護者に働きかけをしないような、コミュニケーションを取ろうとしないのは、託児じゃないのか、
手間がかかっても、子育てを自分たちのものにしていけるような支援がなければ保育じゃないね、
というような話になった。
下部構造にどうしても目がいってしまう私は、日頃、待機児童ゼロ作戦や、認可か無認可かという線引きについていろいろ考えている。しかし、それは質の高い託児と、質の高い保育の求めるものを一緒くたにした:限界のある考えだということを確認した。

保育所に託児の側面しか評価せず、質の評価をしない行政、規制緩和一本槍の今時の政治家たちには、わからない議論だと思う。

●わが労組の出している月刊政策雑誌が家族問題の変化について特集を組んでいるが、内容がおいしくない。
特集のタイトルは「変容する世帯と公共サービス」・・・なじみのない言葉からしてダメだ。
家族制度の犠牲者は女だ、といいたいのか、座談会があるが、女性ばかりで、女性にとっての家族形態の変化しか語っていないし、世帯の経済学的分析は、筆者が八代上智大学の関係者なのか、新保守主義の経済学に立った内容だ。社会保険コストを軽減するというだけで民間医療保険を評価してしまっている。戸籍制度1つその矛盾を解明しないで、旧来型の公務員サービス至上主義に対するアンチテーゼの議論しかしていない。あまり意味の感じない一冊だった。
現実はそんなイデオロギー的に家族形態の変化はおきているのではなく、さらに想像を超えて多様化している。そうした家族には様々な当事者団体や支援グループができて活動が始められている。家族制度の犠牲者は女だ、というかたちの描き方ではそれを捉えきれない。
最近のこの雑誌は変な主張のバイアスで深みと発見のある情報がない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.17

4/17 暴走を止めるには

選挙区の民主党代議士のビラがポストに入る。小選挙区制になって、この地域選出の代議士ができて、こうしたものがポストに入るようになった。以前の中選挙区制のときには大宮の選挙区の飛び地で、選挙があったって候補者も来ないし、ビラも配られない地域だった。

読んでみると、八つ場ダム建設中止に取り組んだ、と報告されている。しかしこの選挙区を譲ってくれた県知事や、その一番の与党である県議会地方主権の会(新進党出身者の民主党会派)は、八つ場ダムの埼玉県負担金支出について民主党会派から分裂してまで容認した。

この議員の応援のために、小沢一郎氏が応援に来るらしい。この議員に限らず、民主党の一年生議員のホームページを見ると、そこらじゅうに小沢一郎が来たとか、来るとかそんなニュースだらけだ。党幹部が新人議員の応援やてこ入れに入るのはいいことだろうけども、党の会議を健康上の理由でほとんどさぼったりしながら、新人の囲い込みをやることに薄気味悪さを感じる。民主党の新人議員の半分以上に小沢一郎の息がかかっていると見てよい。

民主党にはいろいろな問題があると思う。しかし、平和運動しかまともにとりあってくれなかった社会党より具体的に人権を前進させる政策づくりにきちんと取り組んでくれるようになったことはほんとうに良い。
しかし、それも菅直人に鳩山由紀夫、それに横路孝弘という民主党のイメージを切り替えるべきときかも知れない。あまりにも小沢一郎に関係している議員が多すぎる。

社会党のときにも思ったが、自分の選挙区の候補者がどういうスタンスなのか、選別して投票判断したい。民主党は自民党のように、どの議員がどの派閥に入っているか、判断材料にできるよう、所属派閥を公表してほしい。

●「愛国無罪」暴徒化した中国の反日デモが唱えた開き直りの言葉だ。
森派や民主党の右側の議員たちは、愛国心の育成を教育改革のテーマに掲げ、教科書では自国の誇りだけを教え込もうとしているが、そういうことをやり続けると、江沢民政権のもとで愛国教育を受け続けた「愛国無罪」青年のような人をたくさんつくってしまうと痛感した。国を大切にする気持ちが、必ずしも、モラルの崩壊を止めることにはならないのだろう。愛国心は主観的なものでしかないからだ。
この中国の視野の狭い青年たちを反面教師として、教育について考えてほしい。必要なのは、主観的に国を愛しているかどうかではない。自分や、その周囲の社会や、人間関係を大切に思えるようにすることだ。そのためには、今生きている社会を大切なものと実感できる感覚、具体的には人々がその社会に参加し自らの手で改革するチャンスを創ることが大切だ。その結果として自分のいる社会、自分のいる国を大切と思わせていくほうが自然だ。

●EUが中国への武器輸出解禁に踏み切るかどうか、というところにきている。おそらくドイツやスウェーデンの有名な軍需産業がからんでいるのだろう。
部品がどう使われたか、という疑惑があるにしても、日本は武器そのものを海外に輸出してこなかった。戦争に謝罪していなくても、戦争に加担しないけじめの1つして、具体的に武器輸出禁止で自戒してきたことは、誇ってよいと思っている。
ところがドイツは、戦争犯罪について謝罪したものの、軍需産業が世界中の戦地に武器を売っている。そして今度は不安定要素の大きい中国に販路を広げようとしている。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2005.04.16

4/16② 介護保険制度にまで群がる

先日、介護保険の見直しがいい加減だという話を書いたが、厚生労働省自身が、新しく入れる介護予防の目玉筋肉トレーニングに目立った介護予防効果がないという結果を発表(朝日新聞3面)。

高齢化というのが、足腰が弱ることというイメージが先行してしまっているのかも知れない。よくわからない病気にもなるし、視力、聴力も弱くなるし、判断スピードも落ちてくる。記憶力も悪くなる。場合によっては認知症になる。筋力トレーニングが万能であるはずがないし、症状によってはよくない。

介護予防は公明党が言いだしたことになっているが、介護保険の改革をめざす国民運動で完全に与党よりの団体はほとんど無く、与党が打ち出す政策は、官僚の助言や相談、データの提供など、関与が大きい。公明党の提案も、何らかの官僚のサジェッションがあったと見るべきだ。そして筋肉トレーニングが盛り込まれ、今の段階になって筋力トレーニングが意味がないというデータを出す、その政治的意味を考えてしまう。

というのも、99年、介護保険導入直前、ケアマネージャーを誰が雇えるか、ということをめぐって厚生労働省と当時の私の上司が交渉したことがあった。
介護保険の最初の案は、他の介護事業をやっている事業者がケアマネージャーを雇ってはならない、としていた。ケアマネージャーが雇い主の会社の介護事業だけを売り込んだり、不適切な介護サービスを押し売りするようなことがあってはならないからだ。ところが厚生労働省は、人材確保の困難を理由に、介護事業者がケアマネージャーを雇えるようにしたい、ということを言いだした。私の上司は他の介護保険導入推進団体とともに利用者の権利性を侵害すると猛反対した。
結果は厚生労働省に押し切られ、ケアマネージャーの業者に対する中立性は守られなくなった。その結果、大手介護事業者の株価が急上昇した。
厚生労働省や自治体の福祉関係者が介護保険導入直前でねる間を削って準備しているその時、介護保険制度が家族制度を崩壊させると、自民党内に凍結論が元気になっていた。しかし、この株価急上昇を前後して、凍結論が沈静化した。
そしてその後、介護報酬の決定段階でもその計算の仕方や種類別の報酬配分をめぐっていろいろな情報が流れた。それをめぐって、大手介護事業者の株価がもとの金額に下がった。

直接的な関係はないが、偶然にしてはという動きだった。介護事業者は土建屋さんのように政策変更を求められるほど政治献金できる余力はない。それなのにどうして介護保険反対論が強かった自民党を抑え込んで導入に持ち込めたのか、そのからくりがわかったような気がした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

4/16 わが一族の日華友好70年

あと1ヵ月で命日になるが、10年前に死亡した私の祖父は、戦前、青島で広島出身の商家の娘と結婚し、商売人をやっていた。昭和恐慌から店を守った話や、出張先の大阪で大阪大空襲に遭遇してくぐりぬけた話を自慢のようにしていた。

祖父は、若かかりしときに日華友好の活動に関わった。祖父は商業高校卒だが、実学ばかりでなく中国の漢籍に親しんでいた。戦前、華人を見下すような日本人の関わり方に忸怩たるものをもっていたようで、青島毎日新聞の懸賞論文にそのことを改めるようよびかける論文を執筆して入選した。そのために右翼といざこざがあって追いかけられ、しばらく満州・ハルピンに逃亡した。戦後も、自民党員でありながら日中友好の運動に参加して、文化大革命が沈静化したばかりの中国への訪中団に参加したこともある。青春時代の思い出の地に行けたことは感慨が大きかったようだ。その後、1度めの脳卒中で倒れ、旅行は避けるようになり、最後の中国訪問になった。

毎夏休み、九州の祖父宅に帰ると、祖父に中国語の四声の練習をさせられた。また、書架には当時、謎だらけの中国に関して書かれたルポルタージュや、中国革命の偉人たちの伝記があって、ひまがあれば読み、中国革命がどういうものか知らずに、そのスケールの大きさに胸を躍らせた。そして鄧小平のファンになった。

日本にいる中国人のマナーや、遵法精神には思うところがあるが、それでも中国との関係が良くなるととても未来が明るい気持ちになるし、中国との関係が悪化すると辛い気持ちになる。だから日中関係の悪化は悲しい。また、日露の関係が悪化し、日韓の関係が悪化し、日中の関係が悪化し、ますます日本はアメリカに依存せざるをなくなっていることに心配でもある。そのアメリカは教養ないブッシュ政権で、自国内の利権でしか動かない。それに日本はこれというカウンターパンチャーもなく、ノーを言えずにつきあっていくしかない。

中国が持ち出す歴史問題に意味はあるが、それを外交がネガティブな時に持ち出す時代ではなくなったと思う。日韓のように共同研究をして解明していくべきことだと思う。その中で日本の非はもっと厳密に解明されていくだろうし、日本軍始め、外国勢が入り込んでしまった当時の中国の混乱状況も明確になると思う(中公新書「中国革命を駆け抜けたアウトローたち」がこの時代の中国の混乱状況やその背景をうまく伝えている)。ことあるごとに歴史問題を持ち出す中国の姿勢は効果的ではない。

日本側の非は、不用意な首相の靖国参拝と、森派の閣僚や自民党幹部の挑発的発言だったと思う。領土問題や教科書問題、憲法改正などで、中国や韓国のプライドを刺激し、寝た子を起こしてしまったことだろう。外交は長い裏交渉、事務折衝などを積み重ねてつくられていくものだ。たまたま一時期政治家になった人の、感情的な思い、イデオロギー的先入観で、双方が引くに引けないところにもってくるのは失敗だ。

中国側の非は、いうまでもない。多くの日本人が共有しているものと同じだ。中国に理解的な人たちまで、敵に回している。ただ、今まで中国はこうしたデモや混乱も非常に冷徹に対応してきたのに、今回は当局があまり事情を掌握できていないようで、中国の統治能力の崩れを感じている。それはそれで恐いことだ。

一般市民が外国に感情的になると外交は身動きがとれない。日本も中国もお互い、冷静に考えれば重要な外交のパートナーだ。日本は工場の海外移転などで、中国なくして、今の経済を維持できなくなっているし、中国は、日本の技術援助、資本流入がなければ国内開発はできなくて、豊かにはなれない。安定した日中関係がなければ、北朝鮮問題も解決できない。そんな深入りした関係なのに、国民レベルが感情的な民族主義を盛り上げてしまうと、身動きがとれず全てを失っていく。

中国への非難を強めて日中関係を悪化させる前に、中国の反日デモの背景を解明する必要があるだろう。単に中国政府が日本へのゆさぶりとしてデモを黙認したというのは、いくら共産政権だとしても、改革解放が進んだ今において単純すぎるような感じがしている。
改革開放路線に傾斜した胡総書記に対する江沢民派のゆさぶりなのか、日中分断を画策するアメリカか北朝鮮の工作なのか、中国政府の黙認のものなのか、その当たりが明確にならない段階で、非難合戦をするのは慎んだほうがいいと思う。

外交当局が厳密な非についてお互い処理して、冷静に事態の収拾を図りながら、背後関係の解明を行い、その後首謀者たちには法にのっとった断固とした対応が必要だろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

4/15 理想主義だが

午前中、印刷業者で校正。午後から地域福祉計画の策定委員会に出席。

計画づくりをする市民委員会と、市民委員会でまとめたものを審議する場である策定委員会があり、両方を兼任する私含め3人の委員は事実上の市民委員会の答弁要員となる。

市民の課題を約30項目にまとめ、基本課題の前提となった共通課題の各項目については議論があった。ほとんどは大急ぎで文章化したことによる表現の問題だった。7項目の基本課題についてはおおむね了承がとられたことにほっとした。

その関連の議論で、少し気になるめざす方向のずれが見えてきて、不安になる。

地域福祉の進め方では、町内会や小学校区、中学校区などの一定の地域で住民の統合を強める考え方と、孤立回避のために何らかのつながりをまずつくろうという考え方に違いが見られた。
前者は、いろいろな課題をみんなが考える地域づくりをしなければならないという立場に立っている。社会的統合という考え方と支え合いづくりのためにはこの方がよい。理想的だが、地域の活動が活発でないとなかなか現実化しにくい、町内会役員しか出てこない、マイノリティー問題がなかなかテーマにのらない、という弱点も考えられる(各地の市議会をみていただければわかると思う)。
一方、地域のつながりをつくるにしても、まずは職場でない地域のどこかに居場所をつくらないと、という考え。またマイノリティーの課題や、デリケートな問題、個々人の嗜好性に着目したネットワークの作り方。弱点は、同じ課題を抱えた人だけでグループ化されやすいため、他の問題と課題を共有して共闘したり譲り合ったりして自治的に解決していく力を補完しないと、自治的解決能力が育たない、という弱点がある。

福祉利用者の権利擁護について議論があったが、これは福祉の市場化という現実について説明して、理解してもらえた。

たまり場について、悪く捉える人と、良く捉える人がいた。私は、つながりのない市民が半分以上のこのまちで、どこであれ何であれ、人間関係があるということを前向きに捉え、それをよい力に変えていく方法を考えたほうがいい、前向きに捉えてどうするか考えたい、と答えた。

DV問題に取り組んでいる策定委員会の委員長は、市民委員会がまとめている地域福祉計画が相当理想主義的なもので、すべて実現できたら良い街なる、と感想を言ってくれた。今までの朝霞市にない理想的なシステムをいろいろ盛り込んでいる。計画つくりながらこんなこと言ってはいけないが、多分、5年のうち8割実現できれば上出来だと思う。

計画というのは100%達成すべきものだが、ゼロからスタートする朝霞市の地域福祉計画は、まず高い理念を市民や福祉関係者が共有して、そこに向けて努力したり工夫したりすること取り組みが始まったら、それだけで市民や福祉の利用者は「変わった」と実感できると思う。

5年たって、できるだけ多くが実現したり、そのめどを立ったらいいと思う。残念ながら計画未達のところがいくつか出てくると思う。そのときに、どうして未達なのか、その障害になっている問題は何か、それとも新しいやり方をすれば同じ結果が目指せるのか、そんなことを議論できる題材になるような計画にしていきたい、と思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.15

4/14② 若者を自立させる社会へ

ニート・フリーター問題について検討している内閣府の「若者の包括的な自立支援方策に関する検討会中間取りまとめ」が発表された。

これまで政府に限らず多くはニート・フリーター問題はすねかじりとして捉えてきた。若者の主体的問題としてである。私自身は逃避願望が強く、何とか言い聞かせて仕事しているので、主体性の問題にしたい気持ちはわからないでもない。

しかし、検討会の中間とりまとめでは、ニート・フリーター問題が深刻化したのは、子どもや若者が主体的に社会参加するメカニズムがなく、大人になってから、自ら人間関係を構築していくだけのスキル・能力がつかないからだ、という社会構造にあると明らかにした。主体的問題ではない、若者の意識変革だけでは解決しない、ということだ。

このとりまとめで明らかにしているが、ニート・ひきこもりが年収300万~400万の世帯の子に多い、というのも世間的には意外な結果と受け止められている。今まで中流階級以上の子の気むずかしい問題というようなとらえ方されていたからだ。

今までのとらえ方は、おそらく、評論家や有識者、わけ知りの大学関係者が、自らの周囲の中産階級の宙ぶらりんな存在の若者をみて、ニートやフリーター、ひきこもりにイメージを仮託してきたからではないかと見ている。
しかし、そういう有名人の周辺の子は、そこそこの中産階級で親族や友人にコネクションが多く、何らかのかたちで就業や、再び大学や大学院に行って、あるいは芸術活動などをして、ニートと数えられない位置にすぐいってしまう。さらに本気で就職しようとすれば何とかなる人たちだと思う。

私の行った高校はまさに、この中産階級の宙ぶらりんな親戚とも言える人々の集まる高校だった。一方で、小学校、中学校、大学は、年収300万~400万の家の子が珍しくない学校であった。それぞれの就職できなかった人たちの状況の落差を体感していたので、がんばればニートでなくなる、という有識者の意見というのは、違うと感じていた。
高校の同窓生は、一部の例外を除けば、まじめに働け、と言えるような人たちで、卒業後、徐々に親戚や友人のコネクションやサジェスションなどを受けて食い扶持をみつけている。しかし、大学の同窓生で就職できない人たちは、そういうものがなく何とか生きているというのが実感だ。

中間とりまとめがすぐれているのは、それを階級問題にしてしまわないで、親戚や友人のコネクションがなく育っていく人たちにどうやって生きる力を創っていくか、ということに焦点を当てたことだ。

我が国社会においては、欧米諸国とは異なり、伝統的に個人の自立が社会的な目標とされてこなかったという特徴があるが、上記の目的を実現していくためには、若者の自立に価値を認め、社会的な目標としていくことが必要である。また、特に現代の消費文化の中では若者が受身のまま成長しがちであるが、若者自身が社会で価値をつくり出していく意欲を持ち、自立を目指すよう動機付けを行うことも重要である。 若者の自立を実現するためには、若者は自立し成長段階に応じて社会に参加する権利があることを社会が認識し、支援する責務がある。一方、若者の側も、自ら自立のために努力し、社会に参加するよう努める責務があることを自覚する必要がある。

若者に自立の価値を求め、というのが逆説的で興味深い。今までの青少年政策は、彼らは勝手なことするから監視すべきだ、というのがモチーフだった。その結果、実家にいてくれたほうがいいし、親孝行だ、という価値観がつくられたのだろう。

検討会の座長の玄田氏はニート問題のオピニオンリーダーで、これまで就労体験のみに解決を求めていた。私もそれは有効だと思うが、総合的な対策となると、単に就労だけではないと感じてきた。その玄田氏の座長のこの検討会が、解決策を単に就労体験に絞らず、自立のための社会参加の権利としたことは意義深い。

まだまだ国会議員や、専門家でない有識者の多くが、この考え方に賛同しないと思う。彼らはブラブラしている若者(政治家になるような人は小泉首相のように若いころブラブラしていたと思うが)をビシバシやってからでないと参加の権利はあげないよ、と言いそうだ。それではニート問題の本当の解決は、また10年ぐらい遅れることになる。ニート第1世代は今30代半ばだ。それが40代半ばになって、ようやくまともな解決策がとられるとすればもう手遅れだ。また手遅れの青少年政策のままで、少子化対策としていたずらに子どもを殖やしても、ニート問題を深刻化させるだけだ。少子化対策の本当の解決のためにも、検討会の結果を下手にいじらず実現してほしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.14

4/14 三度目の家宅捜索

警察情報の新聞記事なのでどこまで信用してしまってよいのかわからないが、竹ノ塚の踏み切り事故の関係で、竹ノ塚駅長や東武労組が踏切保安係からの改善要望を会社側に伝えていた、と証言しているにもかかわらず、東武鉄道本社は「そのような話は聞いていない」と否認し、東武の本社が捜査に入られたらしい。

言ったことを聞いていない、という食い違いはよく起こることで、それそのものを否定できるものではない。しかし、現場での事故の因果関係等は、容疑者も事実を全面的に認定しており、捜査がこんなにも長期化していることは東武本社と、竹ノ塚駅、あるいは東武労組の証言との食い違いがあまりにも甚だしく、東武本社側に彼らの証言を否定できるものが何1つないからだろう。

現場職員の作業ミス、規程違反で本社が逃げ切ろうとしていることが見えてくる。証拠や証人のあることすらしらを切るのだから、利用者の意見や苦情なんてなかったことになっているのだろう。
こんな電車を利用していて大丈夫なのだろうか。不安になる。
鉄道会社は、安全性とサービスをトレードオフにするような議論をしたがる。安全性のためには電車の速度は上げられないとか、これ以上本数は増やせない、というような言い分である。でも、利用者の声も、現場労働者の声も、現場管理職の声も聴かないし、議論もさせない鉄道会社が、いろいろな人の叡智や工夫を反映できると思えない。安全性もサービスも良くできるとは思えない。
東武はサービスも悪いだけではなく、安全性も疑問があるのかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.12

4/12

朝の通勤時間帯、東上線が信号故障で遅延。遅れているだけなのに、電車と電車の間があく。電車はどこに行ったのだろう。
乗り入れている有楽町線も、直通電車と和光市始発電車の出発順をかたくなに守るものだから、なかなか次の電車がこなかった。

●介護保険料が上がらないように、と介護保険制度の改革の議論が進んでいるが、とんでもない方向に議論が進められ、ゆり戻されているようだ。連合の介護保険制度の見直しに向けてによるまとめがわかりやすい。

介護保険制度では、程度の軽い要支援、要介護1の人の利用が急増していて、その人たちが利用すれば利用するほど重度化している、とニュースが流された。
ところが6日の衆議院での山ノ井和則議員(民主)の質問では、全国規模で行われる03年度の介護給付費実態調査では、要介護1の74.8%が状態維持で、悪化は18%と低く、悪化率は要介護2,3,4の方が高い、と指摘された。軽度の要介護者が介護保険を使うと悪化するというニュースの元データが小規模調査で偏りがおきる内容であった可能性が高いという。マスコミが厚生労働省が流した情報を鵜呑みにして世論誘導したものらしい。

ではなんでそんなことしたのか。
その間違ったデータをもとに、「予防介護が必要」という掛け声(必要ではあるが)のもと、新予防給付が導入されることになり、その中身として筋肉トレーニングの充実がうたわれた。
要介護状態には、筋力の低下のほか、記憶力や認識力の低下、特定疾患の発生などさまざまな症状がある。なぜか筋力の低下ばかりに注目されたのは不思議な話しだった。
どうもその裏側では特定の業者の筋肉トレーニングマシーンの売り込み話があったようだ。その疑惑に対する中根康浩議員の質問に、厚生労働省は特定の業者の特定の商品を使わせる話はしていない、と答弁している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.11

4/11 保育士に逃げられる保育所詳報

以前、市報あさかの議会報告で取り上げられていた、保育士が逃げたし続けている宮戸保育園について書いたが、もっと具体的に問題点を知りたいと思い、市議会議事録を読む。本会議の議事録に関してはインターネットで誰でも見られるようになっている。

市立宮戸保育園は、2005年4月開所。市立保育所の看板を掲げながら運営はベネッセの系列会社が担っている。ベネッセは公立だけではなく認可保育所が非効率でサービスが悪いという論拠に立つ学者や政治家を動員して、規制改革会議等で保育所に関する必要の以上の規制緩和を求めている。三鷹市を皮切りに首都圏各地の市立保育所の運営を受託している。

質疑者は共産党の石川啓子市議。保育園問題に関わってきた市議だ。2004年12月議会での質疑。
そこで石川市議が挙げた具体的な問題点は以下の通り。

①半年間に10人の保育士が中途退職していること
市の答弁 内訳は、結婚退職が2人、病気退職が3人、親の介護1人、非常勤職員は他の資格を有効活用するために転職、退職していった。
石川市議の再質問 病気や急な結婚が続いて10人も辞めたということはありえず、影に別の理由があるのではなにいか。

②価格だけではないプロポーザル方式入札で決定し企画提案書が出ているが、全然違う。保育園運営実施事業者選定委員会の選定が甘かったのではないか。
市役所の答弁 企画提案書と違っている実態は把握しており、遺憾と思う。引き続き十分な対応を取るよう指示したい。
石川市議の再質問 契約上の履行を怠った確認が市からベネッセになされていない。

③年齢別クラス別の職員配置が明記され、「朝霞市基準の人員配置を厳守します」とかかれているが、実際にはそれが守られていない。
市の答弁 毎月指導している。

④「常勤およびパート職員を長期的に雇用することに務める」と契約に書かれているが退職者が多く、担任の入れ替えも頻繁。残存者も頻繁に異動。これは保育所保育指針に違反するおそれ。背景に契約社員だけの職員確保にある。ある程度の職員が入れ替わらないと人件費がかさんでしまう。
市の答弁 毎月指導している。

⑤企画提案書の勤務シフトは全然ちがっていた。市が保育士の勤務実態を把握していない。(勤務シフト表とタイムカードの確認)
市の答弁 シフト表のチェックは難しい。市立保育所は園長に任せている。今後は把握できるか検討したい。

⑥職員不足で8月は園庭遊びをさせてもらえなかった。子どもの登園拒否もみられる。
市の答弁 運営に関する細かい報告書はなく、園に出向く、あるいは呼んで内容を把握しているところ。書類の提出について検討してみたい。

⑦欠員が常態化されている中で運営費補助金が満額支払われている(補助金の詐取または適正化法違反)
市の答弁 返還を求めていくことを考えている。

⑧保育士の募集広告では16万5千円となっているが、額面どおり支払っていない。(職安法違反か)
市の答弁 適切な指導をしたい

以上が3回にわたる石川市議の質問で明らかにされた問題点。

行政改革がらみで、プロボーザル方式入札とか、今までの制度の欠陥を埋め合わせるような言い方があるが、市がチェックしたり、前向きな意欲で業者をしばかない限り、どんな方法でもトラブルがおきる好例である。

ベネッセは、本社にはとても優秀なスタッフがいたり、専門家や研究者を囲い込んでいたりして、立派な提案書を書く能力がある。しかし保育所という現場では、少人数職場で運営はミクロ。立派な提案書が徹底されるにはそれ相応の社員が監督していなければ現場でトラブルは必至である。

ベネッセは、安い不安定雇用の非常勤職員を常勤職員といいくるめて(実際、厚生労働省の通知では長時間労働させていれば低賃金でも契約社員やパートでも常勤とみなされる)、全員を契約社員かパートにしてしまった。そしてきれいなマニュアルによる保育所運営をしていたのが実態だろう。
しかし現場はマニュアル通りにはいかないことが多い。保護者の言い分のどこまでが多様なニーズなのか、どこまでがわがままで指導すべきことか、経験に基づいた確固たる線引きができなければ混乱することが多いだろう。

そうした現場での問題を保育士たちは大企業である会社側に伝えることもできなかったのだろう。低賃金のパート保育士、契約社員保育士たちが、その矛盾を抱え続けていたと予測できる。
そして、結婚退職、病気退職と次々に同僚がいなくなる中、しわよせが残っている人たちにおしよせ、その混乱状態にまた保護者からの不安が寄せられ、さらにストレスをため込んでいることが考えられる。

いない保育士の補助金を受け取ったピンハネは、他人の人件費を自治体から詐取しているという意味で国会議員の秘書給与疑惑と同種の問題だ。
職安法違反などの半ば違法行為も話にならない。労働市場の規制緩和の先取りというところか。

石川市議は、民間だから問題だという議論を展開していた。私は保育士の給料や雇用形態の問題は民間だからと思うが、保育内容については必ずしも民間だからこうなったとは思わない。民間でもうまくいくシステムといかないシステムというのがあって、きちんと線引きした議論をしなければならないと思う。
その上で、ベネッセへ委託することが妥当なのか、考えなくてはならない。地場の根っこをはってやってきた民間保育所に立派な企画提案書を書く力は及ばないだろう。しかし、経営者は地域社会から逃げられないということではベネッセの数倍の信用があるはずだ。問題を指摘したときの反応も、地場の民間保育所なら、組織が小さい分、腹のわった話し合いができると思う。

厚生労働省も、保育所運営費補助金について、そこの保育所の保育事業に使うこと以外は余った補助金を流用することを禁止していた。保育士の人件費の流用を防ぐためである。ところが01年の規制緩和で、運営費補助金で余ったものについての使途の制約がほとんどなくなった。その結果、株式会社の運営する認可保育所の多くは人件費を圧縮させ、その儲けを本社の会計に繰り入れたり株主に配当する原資にしたりするようになった。今回の問題の背景にはこのことがある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.10

4/10 商品としてではない土地政策

景気回復に役立つからと、土地に関する規制緩和策が推し進められている。

朝霞市でも移転したスーパーのあとにマンションが建つことになって、反対運動がおきている。また数年前にはハケノヤマという里山が開墾されて、500棟のマンションが建った。しかし行政も市議会もこれらにはノーチェックで通り抜けてしまっている。まさに規制緩和だ。

マンション建てて売り抜けてしまえば、後は野となれ山となれ。マンションができる日照権の問題だけではなく、入居者への社会サービス、例えば学校とか保育所とかさまざまな副次的問題がおきてくるが、自治体独自の条例がなければ建築基準法の壁があって、どんなに市が財政負担に苦しもうとマンション開発側は知ったことではない。一般市民には、マンション開発で人口が増えれば市の財政は豊かになる、と信じられているが、実際は、そうすることで財政支出も肥大化するのである。

菅直人が、1980年代は土地問題をライフワークに積極的に取り組んでいた。その国会論争をまとめた「国会論争土地政策」を読む。

土地の乱開発が異常に守られているのは、土地がテレビやクルマと同じような商品と位置づけられているからだ。テレビやクルマは儲かると思えばもっと生産され、結局価格はある程度のところで止まる。だから土地も同じく規制しないほうが最適利用がされる、という神学にもとづいた法制度におかれている。
ところが、土地は転売ができるので、もっと儲かるとなれば、土地をもっている人は商品として差し出さず極限まで上がるまで手放さない。土地の開発条件をして供給を増やせば家賃が下がるかと思って規制緩和すると、最初にその開発緩和によって儲かる予測の分を期待して地価が上がり、元の黙阿弥にな。だからたんなる規制緩和の需給調整策では意味がないと言っている。

私も同感だ。超高層ビルが建って、土地が効率的に使われた分そこの家賃が安くなるのかというとならない。建て替え前の低層住宅の家賃のほうが圧倒的に安い。だから新しく開発されたところに入るテナントはみんなチェーンの店ばかりになる。自営の飲食店は、再開発後のビルに家賃が払えないので、借地権を売り払って事業を畳んでしまう。公団住宅の建て替えでも、土地を有効利用したはずなのに、建て替え後のアパートの家賃が数倍になるということばかりだ。

土地の公共性の回復というのは、不動産屋の支援を受けた政治家が多い中で、なかなか実現できない。土地の公共性の回復を明確に打ち出してくれれば、憲法改正に賛成してもよいと思っている。

地価コントロールという意味では、台湾の土地価格申告制という制度が面白い。

自分の所有している土地の価格を税務署に申告させる。申告した土地の価格によって固定資産税をかけるが、土地を売った場合や、土地価格を変更した場合、前の申告した土地価格との差額がプラスならキャピタルゲインとして、所得とみなして課税するというもの。
長期保有をめざす人は申告価格を低くするので、土地価格が安くなるし、売買を目的とする人は、土地価格を高めに設定し、なるべく早く処分しようとする。
1987年、菅氏が後藤田官房長官に提案し検討されたが、当時の内閣が憲法29条の財産権の自由の壁を超えられないと断念したものだ。

土地持ちにもいい土地持ちと悪い土地持ちがいる。いい土地持ちとは英国でいえば貴族だし、日本なら庄屋で、地域責任を持つ。地域の伝統を守り、その生活環境を保全し、地域の名士として地域社会に貢献する人だ。悪い土地持ちとは、自分の持つ広大な土地資産を私物化するだけの人だ。財産があるのに無教養で、自分の土地を使った金儲けばかりを考え、地方議員か地域の有力ポストをとってそれをステータスとする人たちだ。

日本の税制では、どうしても後者を増やしてしまう。前者のいい土地持ちの態度では、損するだけだからだ。台湾の税制なら、悪い土地持ちになれば一生持っている土地を切り売りして生きて行かなくてはならなくなる。前者のいい土地持ちは、土地売却さえしなければうまくやっていける。そういう意味で再評価できる制度だ。

問題は自民党も民主党も地域での支持基盤に不動産屋が入り込みすぎていることだ。実現は難しいだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

4/9 江戸の忘れ物を長崎に取りに行く

知人が花見に誘ってくれて、厚木の相模川まで出かける。うっかり往きの小田急線に上着を忘れ、駅で調べてもらうと、小田原駅に保管しているので、小田原駅に来てほしい、と言われた。本厚木駅まで回してもらえないか、というと、快諾してくれたが、1週間後になると言われる。
1週間後に埼玉から本厚木駅に行くくらいなら、今日小田原に行った方がいいと思って、結局、花見を途中で切り上げ、夜な夜な小田原に取りに行く。

忘れた私が悪いので、あれこれ言いたくないけれども、忘れ物の回送ぐらい、どうして手際よくやってもらえないのか。
特に小田急線は、長距離電車ばかりで、とんでもなく遠いところで忘れ物が発見されるのだと思う。

●外務省のラスプーチン佐藤優「国家の罠」を読み終える。
小泉首相が誕生してから多発している特捜の露骨な国策捜査の一端と、外交の仕事の内実が見えて読み応えのある一冊だった。
佐藤氏は、外交官の立場で被疑者となった。外国との微妙な関係や秘密事項を抱えながら、必ず立件することになっている特捜と、どのように自らを犯罪者とし、外交秘密を守っていったか、その闘いのドラマが面白い。

佐藤氏は、日本は①親米外交、②アジア中心外交(中国を中心とした枠組み)、③地政学的思考外交(対ロシア)の3本柱で成り立っていたが、現在、橋本・野中の失脚で②は崩壊、鈴木宗男の失脚でロシアとのパイプが無く対米従属にならざるを得ない、という分析をしている。
日本がケインズ主義的公平配分路線から、ハイエク的傾斜配分路線への転換、地政学的国際協調主義から排外主義的ナショナリズムに転換する過程で、「時代のけじめ」として、品の悪い鈴木宗男がスケープゴートになったようだ。
中国、韓国、ロシアへの外交チャンネルがなくなってきているとすると、日本の外交は対米依存するしかなく、毒肉である検査なしのアメリカ産牛肉を買わなくてはならないし、常任理事国問題のように、アメリカの気まぐれで中国との挟み撃ちに合うということが今後多発することだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.08

4/8 フリーハンド

自民党が公務員労組の不祥事バッシングのプロジェクトチームを組み、公務員の私人としての政治活動まで規制しようとしている。

現在、公務員の政治活動は、一般的に禁止されているが、罰則規定は、職務にある地位を利用した場合のみ。私人としての時間に、政治家の話を聴きに行ったり、近所にビラを配ったり、次の選挙での投票について議論することは何のとがめはない。
公務外の私人として、一般市民としている時間に、政治的信条にしたがい市民として権利を行使することは、社会的に何の弊害もないし、公務員も国民の一員としての人権として保障しなくてはならない。
一方、権限を持っている相手に職務的地位をちらつかせて投票依頼をすることをやれば、公権力を有権者が制御し監視する民主主義の原理のバランスが崩れてしまう。
公務外の市民としての人権保障と、民主主義のための制約のバランススが、罰則規定が地位利用に限っていることになる。一般公務員の私人としての政治活動を全面的に規制している国はほかにあまりないし、かといって全面解禁している国もそんなにない。現状の規制が妥当なところだ。

ところが自民党は、民主党の有力支持団体に公務員労組があるからと、公務員が私人として政治活動することまでも規制し罰則を入れようとしている。民主党へのダメージを狙っているのだと思う。しかし自民党にとってあまりメリットはないと思う。
おそらく期待に反して、公務員労組の支援を受けられなくなった民主党は、公務員に気兼ねせずに自民党の官僚依存を批判できるようになる。そのことでスタンスを明確にし、票を伸ばすことになるだろう。
一方、公務員に対する労組の選挙運動がなくなったからと、公務員が自民党に投票するかといえばそんなこともない。組合員への投票依頼能力は、先の参議院選挙での組織内候補者の得票から推測すれば、かなり低くなっている。さりながら公務員への調査では、60%以上が民主党に投票している。組合の依頼ではなく、個々人の政治的判断で民主党に投票してしまっている。かつて国労を壊して社会党は弱体化したが、今の民主党の支持基盤の構造はそんなにわかりやすいものではない。
露骨なことを自民党がやっても、効果はないし、なお民主党にフリーハンドを与え利するだけになると思う。

自民党は、地位利用そのものをやって腐るほど官僚出身の議員をつくってきた。でなければ政治活動なんてできないはずの高級官僚が辞めたとたんに選挙に出てすぐ当選するなんてことはありえない。道路、郵政、医療、軍事恩給、農業土木、公営住宅、貿易の規制や保護それぞれで後輩の官僚たちが官界のみならず、出入りの業界にまで、官僚出身者の政治家のパーティー券を売り、選挙寄付を求め、投票依頼をしてきた。それについてはなかなメスが入らない。パーティー券の財源など、政府支出に対する業者の裏リベートのようなもののばずだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.07

4/7 本が続々

帰宅時に近くの桜並木を歩く。暖かいし、夕方が延びたし、春を実感。暖かくなると体力を使うのがきつい。

●あんまり面白い本がないなぁ、と思ったら、ここのところ続々出てきて読むスピード以上に買い込んで、まず拾い読み。

ムネムネ疑惑に連座した佐藤優「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて
ムネムネ疑惑は宗男と真紀子をぶつけて外務省の対立(言語閥、技能閥)の矛盾を昇華させようとした官僚発の陰謀という話。宗男はダーティーだし、社会党系知事を恫喝して寝返らせて失脚させるし、あまり好きじゃない政治家だったが、対露政策では現実的かつ問題解決型の選択をしてきた。そのことを再確認。
著者の佐藤優はただ者じゃないと感じた。チェコスロバキアの共産党政権とプロテスタント教会の関係について専攻し、神学と哲学を勉強し続け、ソ連東欧関係の調査のためのノンキャリ職員として外務省に入る。当時の外務省のソ連関係者がゴルバチョフ派ばかりと親交を結ぶ中、その教養を買われてソ連保守派大物とエリツィン派に信用されていく経歴が唸らせる。教養のある人のすごみを感じた。今後の読み続けが楽しみ。

風俗嬢意識調査」(ポット出版)。まだまえがきしか読んでいない。
風俗嬢126人への聴き取り調査で当事者サイドからの労働問題を明らかにしている圧巻の資料だ。
「私は、セックスワークを是とする意見、非とする意見を聞くたびに、じゃ当の風俗嬢はどう思っているのだろう?とか風俗に対するこの見方は、現場で正しいのか、正しくないのか?ということをいつも心の中で突っ込んでいました」
「もし、従来のような売買春論議が、セックスワーカーの現実や思いと全く無関係に自分の理想(幻想)のユートピアを目指して語られるのだとしたら、これほど愚かなことはないと思います」
という著者の言葉にはっとする。そしてこの後、一人の労働者としての働き方、という言葉を使っているのがとてもいい。

辻井喬「父の肖像
父との葛藤と学生運動での挫折をテーマにした「彷徨のの季節の中で」で辻井の文章の美しさや、屈折に心を打たれたので、読むのを楽しみにしている。

●中山成彬文科相(森派)の暴走気味なナショナリズムが心配になる。
ある種の立場からは教科書検定で文部科学省のとった態度は正しいのかも知れないが、少なくとも日本が韓国や中国と不毛な対立することになるやり方は、北朝鮮を喜ばすだけじゃないかという気がしている。今の韓国や中国との関係のもとで、経済制裁なんて無意味だし、両国に拉致問題への協力や核疑惑の解決のための与力なんか期待できないだろう。
森派の文教・外交政策は、すっきりしているようで、一番大きなツケを払わなくてはならない結果になりそうで危なっかしい。今まで文教族として、無責任にナショナリズムを煽ってきた町村外相(森派)が、森派のスタンスに対するハレーションの尻ぬぐいに奔走せざるを得ないということで一番痛感しているかも知れないが。
ところで、国民としての誇りにこだわる中山氏は日向の国、宮崎県の出身だが、名前は日向の国を侵略し属国化した薩摩の国のお殿様の名前ではないか。いつも気になってしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.06

4/6 過去の呪縛

職場である労働組合で、NHK格差社会が話題になっている。
左翼労働界では、高度成長期に蔓延した原理的マルクス主義の窮乏化理論(貧しい者は資本に搾取されますます貧しくなる)に支配され、革命理論にふりまわされて運動が陳腐化したほか、職場の近代化まで阻害してしまった過ちの過去があって、貧しい者はますます貧しくなる、金持ちはますます金持ちになる、という考えそのものをあえて拒絶してきた時代が続いていた。
マルクス主義とは全然違うところで、金持ちと貧乏人の二極化ということが語られ、統計上も表れはじめ、ようやくイデオロギーから自由なところで、格差社会についてたたかう気持ちがまとまってきたのではないかと思う。

●自民党が憲法改正素案をまとめる。
国民への義務だらけ、復古調だった当初の議論からずいぶんトーンダウンしたものの、民主党や公明党がのれないような内容で、何とか改正するための合意形成のための案なのか、自民党の政治スタンスを明確にする綱領の代替物としての案なのか、政治的意味合いがわからない。この案では今の憲法の中で運用が可能なものがほとんどのような気がしている。
家族を保護する責務というのが、親孝行路線かとびくついたが、DVや児童虐待へのメッセージという範囲だったのでほっとした。
逆にいうと、復古的色彩をトーンダウンさせたことは、政権党・自民党の現実主義的感覚というものを感じたし、自民党政権という装置は、良きにつけ悪しきにつけ、暴走しないが思い切った判断が不可能なシステムなのだと思う。

宮沢喜一回顧録を読む。
ちょうと安保条約改定のところを読んでいるが、宮沢氏いわく、安保闘争というのは、本質的に戦前的政治家に対する国民の拒絶だったというような話が興味深い。岸首相が退陣したところで、安保闘争そのものは静かになったというような受け止めをしている。
この後、石橋湛山を経て池田首相になって、保守側は戦後がおかしかったという感覚をもち、戦前に日本の体制を戻すことをめざす政治家が影をひそめたターニングポイントだと思う。
自民党の党是が憲法改正というのも、反軍であった吉田茂を批判する流れを自民党にまとめていくための方便だったようなことも言及されており、憲法改正論者というのが、戦前しかモデルを持てない限界がここにあるのかと納得した。
終戦直後の政治家どうしの世界というのは、思ったより非民主的な話が多く、今ならオレ聞いてない、とか言われそうな話が多いのも驚いたし、党首が簡単に所属議員を除名したようだ。
戦前のエリート層がどんなこと考え、どんな感覚を持っていたか、という側面も面白い一冊だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.05

4/5 オリーブの木

上部団体の会議に代理出席する。威圧的雰囲気で進められる会議の中で、参加者はアイディア出しを求められる。アイディアはもっとまあるい雰囲気でないと、出てこないのではないかと思う。

●イタリアの地方選挙で与党が惨敗。14州都のうち、11が中道左派市長になる。日本では静岡、広島、さいたま、北九州以外の政令都市が民主党市長になったような感じか。
イタリアの政治体制や構造は日本とよく似ていて(社会サービスの水準の低さやその結果である少子化やパラシンまで)、その動きが参考になる。93年以前はほんとうによく似ていた。日本では民主党のまとまりのなさが指摘されるが、イタリアの右派も左派もまとまりがないが、それについて野暮なこと言わず、まとまりのなさを前提に、うまく連合体をつくっている。
来年の総選挙では中道左派(むかしはオリーブの木といっていたが、改名する予定)が5年ぶりに政権を取れるかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.04

4/4 近代的に見えながら

ここ数日、コメントをいただいたり、多くの方にアクセスしていただいてありがたい限りです。そこで見ていただいている年金の議論にしてもそうですし、格差社会の議論にしてもそうですが、自己責任論的立場の方の意見には、問題から因果関係を類推して自業自得という結論を導き出す考えが多いです。それは近代的な自己責任論的な考え方のように見えて、宗教的な因果応報の考え方のままではないか、と疑っています。

格差社会の問題でいえば、頑張った者が報われるの頑張ったにいろいろな種類があって、そのなかの都合のよいところだけを結果からセレクトして評価しているに過ぎないのです。
オレオレ詐欺でお金持ちになった人たちも、一所懸命いい名簿さがして電話かけて頑張ったから報われたとも言えます。しかし人のためにもならず人を騙して濡れ手に粟で汚いという言い方もできます。
NPOで福祉事業なんかやってる人たちの多くは低収入にあえいでいます。国や自治体の補助もあまり受けずに国や自治体がやらないけども自分たちが地域で必要だと思う活動をして、利用者にコストがかからないようにしているからです。これは頑張ったのに報われないとも言えますし、もっと利用者に無理言って料金上げて儲けたほうがいいんじゃない、とも言えます。
日本の戦後の経済成長も、頑張ったからなのか、チャンスがあったからなのか、エリートの善導がうまくいったのか、本当のところは評価が定まっていないと思います。

だから、報われたのは頑張ったからだ、と言い張るのは、お金持ちであること自体を正当化できない卑屈な態度なのです。お金持ちになった自分に誇りがあるなら頑張ったなんて因果応報の考え方を持ち出さなくても、お金持ちの自分の状態を誇ればいいのです。

年金の問題でいえば、社会制度の話なので本当の結果責任が求められます。あのときああだったから仕方がない、では不可です。
私は、個々人の生き方はともかく、社会の制度において、結果においてダメであればプロセスがどうであれダメだと思っています。制度を良くして飢え死にする人が減るのであれば、政権は制度改革すべきだと思います。制度の改革をやった上で自分の身の丈にあわせた老後の備えができない人(例えば生活費が月100万もかかる人なのに公的年金しか備えがないなど)に、言ってあげることばが自業自得とか老後の備えをしなかったくせに、だと思うのです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.04.03

4/3 年金自己責任の落とし穴

年金制度改革について、与野党で協議のテーブルが開かれる。自民党は年金運用の民営化(金融機関の利権化)が下心にあった上での年金財政しか心配していないし、民主党は年金一元化しか興味がない。あんまりいい改革の議論にならないのではないかと心配だ。一元化はやらないよりやったほうがいいテーマだが、年金不安とか、維持可能な年金制度の構築というさしせまったテーマと比べると副次的な問題のような気がしている。

年金の自己責任を声高にいう人がいて一定はそうだと思うが、だからといって積立方式(確定拠出方式)は良くない。公的年金は今の下の世代が今の上の世代の年金を払う賦課方式でなければ意味がない。積立方式の問題点は、①国民の貯蓄率を高めさせて景気に破壊的な影響を与える、②個人別の運用管理の労力や手数料コストが社会全体では無駄である、③インフレや戦争・大規模地震などによって日本人の金融資産が破壊的事態におちいったときに制度の防衛できないという3点にある。

では賦課方式のもとで年金財政の何をもって健全とするか、という指標が必要なのか。一橋大学の高山憲之教授の示す、年金バランスシートの考えがそのイメージを明確だ。
それは、政府が将来受け取るべき年金財源の総合計+年金運用金の残高-将来支払うべき年金の総合計が帳尻があえばOK、余りが多ければ国民から年金財源を取りすぎ、少なすぎれば年金不安とする考え方。現在は、当然年金不安となっている。なんとかしなければならない。

年金財政の健全化はやらなければいけないが、年金財政の帳尻だけの改革をするだけでは何の解決にもならない。年金制度から逃げていく人たちがいるからだ。年金払わなかった人が高齢者になったらどうなるのだろうか。稼げないから生活保護を受けることになるだけだ。実は、高齢者生活保護世帯が、1980年台後半から急激に増えている。1946年から1984年まで、生活保護受給者のうち高齢者の割合は約30%だったものが、その後年々増え続け、2002年には46.3%にもなっている。年金制度が整備され、国民皆年金になったのに、無年金高齢者が増え続けているのだ。このような事態が続けば、年金バランスシートの支出に、高齢者生活保護の見込み支給額の総額を加えないと、ほんとうのところがわからない。

厚相経験者の自民党議員という人が、年金保険料を払ってもいない人に年金を払うのは問題だとして、基礎年金の社会保険方式、つまり今までどおり国民年金保険料を納める方式の維持にこだわっている。しかし現実はどんどん先回りして、若い人のうち勤め人じゃない人は国民年金を払わなくなってきている。「年金払ってももらえないから自分で貯金する」と。
しかし65歳から死ぬまで確実に月8万ももらうための貯金を個人の力でできる人はわずかだ。金利が4%(今ではありえない金利)だとしても、毎年84万の利息を受け取るためには、2625万円もの貯金がいる。金利が1%なら、1億500万必要だ。物価変動なども考えると、もっと必要かも知れない。そんな貯金は一部の人しかできないだろう。40年後にはその若者たちが無年金となって、行政に泣きつくのは目に見えている。政府は国民を守る責務がある。仕方がないから生活保護で守らなければならない。その結果、30年後の日本の若者が今の若者を生活保護で養うためにとてつもない負担を課されることになっていくだろう。

そうすると実質税方式の年金制度になってしまう。もっともっとまじめに年金保険料を払っている人間がバカを見る制度になる。それだったら国民年金ぐらいは保険料ではなく、税金で財源を確保したほうがいいのではないかと思う。国民年金保険料相当を消費税におきかえたり、所得税におきかえたりできないのだろうか。少なくとも消費税なら、月収10万そこそこの若者から今の消費税負担に加え1万3500円もの保険料をむしり取るようなことにはならない。
さらに生活保護行政にもよい影響が出てくる。高齢者で生活保護を必要とする人のほとんどがいなくなれば、本当に貧困世帯のために特化して相談や自立支援する生活保護行政ができるようになる。

厚生年金保険料の企業負担が難しいことから、厚生年金の空洞化も始まっている。これについていろいろ考えるところがあるが、今まで通りのやり方のメリットが無くならないのか、企業が課せられている社会負担のうちどのようなものが負担感になったり、歪んだ経営を促すことになるのか検証が足りない。これから考えていきたい。

●再び報道特集で、コンタクト診療所の問題点を追及していた。見応えのある番組だった。3分の2が眼科医ではないらしい。しかも常駐しているはずの医師は同時に大阪と神奈川にいることになっていたりする。安直な診療で失明者をつくりながら、膨大な診療報酬を受け取っているコンタクト診療所の問題にメスを入れたことは意義が大きい。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2005.04.02

4/2② キャリアウーマン考

NHKの格差社会でのキャリアウーマンたちの意見を聴いたり、日頃出会う、日本のキャリアウーマンたちの考え方にふれ、思うところがある。

というのもNHKの格差社会の番組では、格差社会についてどう思うか、という(あまり意味のない問いだが)、①問題あり(金子勝・斉藤貴男)、②問題はあるがやむを得ない(本間正明)、③格差はあったほうがよい(奥谷礼子・ホリエモン)と、番組参加者に三択でこたえさせる場面があった。

そのシーンについて詳細な画面を記憶しているわけではないが、③の格差社会全面肯定論は、成功者のなかでは男性より女性のほうがたくさん出てきているのだ。男性の成功者の多くは②の格差社会は問題があるがやむを得ない、という立場を選択したが、女性の成功者のほとんどは③格差があったほうがよい、とこたえている。貧乏は自業自得という考えだ。ホリエモンがそうこたえるのはそんなもんだろうけど、今は得策じゃないと思うなぁ。
コメンテーターで出ていた人材派遣会社の社長の奥谷礼子、番組で成功者として紹介された女性、いずれも格差があったほうがよい、と考えている。

80年代後半からのかつてフェミニズムは、女が実力を評価されないことに問題提起をし、また女性が社会的マイノリティーというところが出発して、土井たか子さんにイメージされる「平和・女性・フェミニズム」というパッケージのイデオロギーを否定できなかった。サッチャー英国元首相がフォークランド戦争で敢然とアルゼンチンに戦っているにもかかわらず、女が政権とれば戦争はできないとまで言い切る女性国会議員もいた。つい最近まで、1950年の社会党の派閥抗争の末に出てきた「青年よ銃を取るな、婦人よ夫を戦場に送るな」のスローガンのままだった。しかし冷静に考えると高度成長期に、夫を企業戦士として職場という戦場に送り続けたのは「婦人」だったのだが。

これは実感のレベルだが、まわりのフェミニズム的価値観を重視する女性の多くが、格差社会に男性以上に肯定的になっている。能力主義に疑義を挟むこと自体が野暮のような感じだ。私は、女性だからといって、無思考に平和運動や人権運動や平等志向につきあわす考えのほうが間違いだとは思う。女だってタカ派はいるだろうし、人権が嫌いな人もいるだろうし、平等が嫌いな人もいるだろう。
こんなにまでバランスの悪い考えが突出しているのは、彼女らが敵視する「男性社会」が男性だけの談合による安定社会であったこと、能力ある女性を認めようとしなかった現実への反逆なのかも知れない。

それでも、私は、今のキャリアウーマンや経済的成功者の中に、極めてイデオロギッシュな能力主義を開陳する人が猛烈に増殖していることに、なんだか割り切れない気持ちを持っている。
とくに、人が人を売る商売の経営者や、たまたま株で一気にチャンスをつかんで投資のチャンスが広がった人が、自分に能力があったから成功したのだ、あなたも努力しなさい、努力しないから報われないのです(現実にそういう人もわずかにいるが)、と説教するような意見には、どうしても与したい気持ちにならない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

4/2 安易な視聴者参加

久しぶりに髪を切る。風邪の後遺症の胃が良くなってきたので、えびちりに挑戦。

●NHK日本のこれから格差社会を最初40分見て、切った。テーマは興味あったのに、番組の作り方がよくなかった。
格差が広がっていることについて、コメンテーターと番組に来た市民に議論させている。富裕層と極貧層の増加という現象だけを見て、良いか悪いか感覚的な議論ばかりをしていて、疲れてしまった。どのような人が豊かになっていて、どのような人が貧しくなっているのか、分析も何もない。議論が終わったら今度は実績主義の話に移ってしまった。
富裕層が増えていても、その中身が社会全体の豊かさを後押しする物やサービスをつくって豊かになっている人が多いことと、人の上前はねて豊かになる人が多いことと、評価が全く変わるだろう。そういうことに何らかの具体的検証を伝えていくことこそ報道機関の役割じゃないかと思う。

NHKは最近、視聴者参加を求めすぎているような気がする(特に三宅アナが出てくる番組)。画面に活気があるようで番組つくるほうにはいいのかも知れない。しかし見ているほうは文化人の酒飲み話をテレビでもつきあわされているような感じがする。もっと取材や調査にもとづく情報提供をしてほしい。NHKスペシャルデータで見る日本は数字から現場に踏み込んだ検証をしていてよかったのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005.04.01

4/1② 踏切遮断事故から

NHK特報首都圏で2人が死亡した東武電車の竹の塚駅の踏切事故の検証報道がされていた。電車が近づいているにもかかわらず踏切遮断機を開け逮捕された容疑者と、同じ仕事をしている踏切保安係員の手紙が紹介され、とてもいたいたしい実情があった。

開かずの踏切に保安係が地域住民の非難の矢面に立たされていたこと、その中で遮断機の規則違反の運用をせざるを得なかったこと、そのことに危機感をもって東武労組を通じて会社に問題解決を求めたが、会社には対応されず、遮断機の規則違反の運用を黙認され続けた内容だった。

竹の塚の踏切が今以上の安全かつ地域が利用にたえうる運用改善できるか、難しい問題のような気がするが、それでも地域住民や利用者の非難を受け止める現場職員の声をスムースに会社が受け止めて、改善改革ができていれば、どうだったのか、もう一度厳しく検証すべきだろう。

大手私鉄という、複雑な運用システムの上に成り立っている事業だから、簡単には変えられないことがたくさんあって、軍事組織のように上意下達の組織になりがちなのだと思う。しかし、変えたほうがいい現実にぶちあたったときに、複雑な運用システムを前に考えようとしない理屈を考えることは経営にとってとても危険だということを教えてくれる事件だったと思う。

以前、運賃改定に関して、質問メールを出したものの、できない理由すら挙げない非常に官僚的な返事が来たことがある。現場の職員の安全にかかわる問題提起も受け止めていなかったとすると、東武鉄道のセンサーは基本的に壊れていると思わせてしまう。
東武鉄道には、現場の職員たちの考えや困っていること、危険を感じていることなど、風通しよく受け止め、社内改革に取り組んでほしい。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

4/1 外国人登録者数

職場で机の配置換え。床下配線の貼り替えなども行い大儀じゃ。

●先日の地域福祉計画の市民委員会で、ある委員が請求した、朝霞市の外国人登録者数の国別内訳が配られた。もちろん、外国人登録していない外国人もいると思うので外国人の実数ではないが、概ね傾向をあらわしている。

外国人と無国籍者の合計が2357人、男が1084人、女が1273人。1位が中国人(台湾含む)861人、2位が韓国・北朝鮮で444人、3位がフィリピン人321人、4位がブラジル人305人、5位がアメリカ人で47人、6位がパキスタン人で40人、7位がタイ人38人。4位のブラジル人と5位のアメリカ人の桁違いの数にまず驚く。

総数は人口の2%になる。単純にいえば、1クラスか2クラスに1人は外国人がいるという感じだ。在日朝鮮人が学年にいるだけで注目された私たちの世代とは全然違うということだ。

いま、小学校や無認可保育所で英語教育が大流行しているが、この国別の数を見ると、外国語教育は何を目的にしているか、きちんと考えてやらないと意味がないということがわかる。ビジネスマン育成なら英語かも知れない。しかし朝霞からそういうエリート出世競争に勝ち抜くことを望み、そのことに意義を見いだす子がどれほどいるだろうか。受験教育のための英語なら、今まで通り論理的思考力がきちんとついてくる中学校からでいいだろう。日本にいる外国人とどう折り合っていくのか、ということなら、中国語やポルトガル語を習得すべきなのだろう。

あと、これら定住している外国人たちに地域で見守っていく施策をとらないと社会不安の大きな原因になるだろう。もちろん語学交流なども重要だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年3月 | トップページ | 2005年5月 »