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2005.04.03

4/3 年金自己責任の落とし穴

年金制度改革について、与野党で協議のテーブルが開かれる。自民党は年金運用の民営化(金融機関の利権化)が下心にあった上での年金財政しか心配していないし、民主党は年金一元化しか興味がない。あんまりいい改革の議論にならないのではないかと心配だ。一元化はやらないよりやったほうがいいテーマだが、年金不安とか、維持可能な年金制度の構築というさしせまったテーマと比べると副次的な問題のような気がしている。

年金の自己責任を声高にいう人がいて一定はそうだと思うが、だからといって積立方式(確定拠出方式)は良くない。公的年金は今の下の世代が今の上の世代の年金を払う賦課方式でなければ意味がない。積立方式の問題点は、①国民の貯蓄率を高めさせて景気に破壊的な影響を与える、②個人別の運用管理の労力や手数料コストが社会全体では無駄である、③インフレや戦争・大規模地震などによって日本人の金融資産が破壊的事態におちいったときに制度の防衛できないという3点にある。

では賦課方式のもとで年金財政の何をもって健全とするか、という指標が必要なのか。一橋大学の高山憲之教授の示す、年金バランスシートの考えがそのイメージを明確だ。
それは、政府が将来受け取るべき年金財源の総合計+年金運用金の残高-将来支払うべき年金の総合計が帳尻があえばOK、余りが多ければ国民から年金財源を取りすぎ、少なすぎれば年金不安とする考え方。現在は、当然年金不安となっている。なんとかしなければならない。

年金財政の健全化はやらなければいけないが、年金財政の帳尻だけの改革をするだけでは何の解決にもならない。年金制度から逃げていく人たちがいるからだ。年金払わなかった人が高齢者になったらどうなるのだろうか。稼げないから生活保護を受けることになるだけだ。実は、高齢者生活保護世帯が、1980年台後半から急激に増えている。1946年から1984年まで、生活保護受給者のうち高齢者の割合は約30%だったものが、その後年々増え続け、2002年には46.3%にもなっている。年金制度が整備され、国民皆年金になったのに、無年金高齢者が増え続けているのだ。このような事態が続けば、年金バランスシートの支出に、高齢者生活保護の見込み支給額の総額を加えないと、ほんとうのところがわからない。

厚相経験者の自民党議員という人が、年金保険料を払ってもいない人に年金を払うのは問題だとして、基礎年金の社会保険方式、つまり今までどおり国民年金保険料を納める方式の維持にこだわっている。しかし現実はどんどん先回りして、若い人のうち勤め人じゃない人は国民年金を払わなくなってきている。「年金払ってももらえないから自分で貯金する」と。
しかし65歳から死ぬまで確実に月8万ももらうための貯金を個人の力でできる人はわずかだ。金利が4%(今ではありえない金利)だとしても、毎年84万の利息を受け取るためには、2625万円もの貯金がいる。金利が1%なら、1億500万必要だ。物価変動なども考えると、もっと必要かも知れない。そんな貯金は一部の人しかできないだろう。40年後にはその若者たちが無年金となって、行政に泣きつくのは目に見えている。政府は国民を守る責務がある。仕方がないから生活保護で守らなければならない。その結果、30年後の日本の若者が今の若者を生活保護で養うためにとてつもない負担を課されることになっていくだろう。

そうすると実質税方式の年金制度になってしまう。もっともっとまじめに年金保険料を払っている人間がバカを見る制度になる。それだったら国民年金ぐらいは保険料ではなく、税金で財源を確保したほうがいいのではないかと思う。国民年金保険料相当を消費税におきかえたり、所得税におきかえたりできないのだろうか。少なくとも消費税なら、月収10万そこそこの若者から今の消費税負担に加え1万3500円もの保険料をむしり取るようなことにはならない。
さらに生活保護行政にもよい影響が出てくる。高齢者で生活保護を必要とする人のほとんどがいなくなれば、本当に貧困世帯のために特化して相談や自立支援する生活保護行政ができるようになる。

厚生年金保険料の企業負担が難しいことから、厚生年金の空洞化も始まっている。これについていろいろ考えるところがあるが、今まで通りのやり方のメリットが無くならないのか、企業が課せられている社会負担のうちどのようなものが負担感になったり、歪んだ経営を促すことになるのか検証が足りない。これから考えていきたい。

●再び報道特集で、コンタクト診療所の問題点を追及していた。見応えのある番組だった。3分の2が眼科医ではないらしい。しかも常駐しているはずの医師は同時に大阪と神奈川にいることになっていたりする。安直な診療で失明者をつくりながら、膨大な診療報酬を受け取っているコンタクト診療所の問題にメスを入れたことは意義が大きい。

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コメント

確定拠出方式の問題点について:
1→今でも年金保険料として取られているのだから変わらないのでは?
2→社保庁にもコストはかかるし、民間金融機関の利益の種になれば結局、経済に還元されるのでは?
3→その時には政府財政も破綻して賦課方式も維持出来ないのでは?
そもそも少子化の進む現在における賦課方式の問題についてはどうお考えでしょうか。

「65歳から死ぬまで確実に月8万ももらうための貯金」について:
2880万あれば8万×30年は可能です。何故元本を保持したまま利息のみで得ようと計算するのか理解できません。90歳以上は国庫負担としても現状よりは安く上がりそうですが。また、20歳から貯蓄運用を開始すれば毎月13500の積立で40年、年利1%で800万、2%で1000万になります。退職金やその他の貯蓄、定年後の再就職などで充分に暮らせるとは思いませんか?

投稿: kusse | 2005.04.03 21:03

問いかけありがとうございます。
1→今の年金受給者は積立がありませんから、その分も払いながら自分の積立をすることになります。
2→社保庁と民間とではトータルコストは全然違います。そもそも賦課方式を徹底すれば世代別の年齢の偏りを埋める分の運用金しか持たないことになるので運用コストは極小ですみます。民間金融機関が膨大な運用金を蓄積してしまえば、この運用先に困ります。物をつくったりサービスを提供したりする経済の大きさよりはるかに大きな金融資産が社会全体にだぶつくとき、株価、地価、為替が実態経済の動きの数倍で乱高下し、経済は不安定化する危険性があります。
3→賦課方式なので、常にそのときに国民の生産力に依存します。そのときの国民の支払能力に比例しますが、ハイパーインフレで貯蓄が紙切れになったときよりは確実です。日本の終戦の混乱がそれを証明しています。

賦課方式は永続的な少子化局面で弱点を抱えているのはそのとおりです。今回言及しませんでしたが、財政的に賦課方式で運用しながら、払い込んだ年金保険料などと比例させる仕組みも考えられています。年金受給額は若干不安定になります(だからみなし確定拠出方式といいます)が、財政破綻の危険性はなくなります。

最後については、貯金する自律性をもっている人だけの社会ならおっしゃるとおりだと思います。しかし、若者の生きる選択肢が良い意味でも悪い意味でも多様化し年金の支払い能力が低下(低所得の若者やニート、30超えて大学院に行く人の増加)しているなかで、年金保険料の支払や老後の貯蓄をしなかったりできない人間は増えていきます。
そうした人間たちに親もいない老後、働けなくなったときには、年金保険料も何も財源がないところから、そのときの若者が働いた税金で生活保護を出さざるを得ない、ということを言いました。

投稿: 管理人 | 2005.04.03 23:06

お答えありがとうございます。

1→積立方式に変えると今の賦課方式の受給者分の保険料を納めつつ自分の積み立てが必要なので可処分所得が大きく減る、ということですか?
2→民間と社保庁でトータルコストが全く違うと言うことについてもう少し詳しく説明して頂けますか?それと、運用金が大きい方がリターンも期待できるので、公的運用でも最低限の資金にはならないし、運用金が大きい方が運用コストの総和は上がっても単価は下がるのでは。また、膨大な運用金の行き先が経済に影響を与えて云々は今回の論旨とは関係ないですね。
3→確かにインフレには賦課の方が対応できるでしょうね。

恐らく管理人様はいわゆる左の方なのでしょうね。私は自分の老後の備えも出来ない人は飢え死にでも何でもすればいいのに、と思う人間なので議論はかみ合わないでしょう(笑)

投稿: kusse | 2005.04.03 23:58

きちんとした問いかけをしていただき、ありがとうございます。

1についてはkusseさんがお見込みのとおり、可処分所得が大きく減るということです。切りかえ時点以後しばらくは過去分と自分の分の二重払いを求められます。

2完全賦課方式の場合、数年分の年金支払額を世代人口の偏りなどの支払準備金として運用金にします。あとは国民がそこにいる限り自転車操業をします。それに対して積立方式は全国民の数十年分の支払額を運用し続けなければならないので、運用金の規模が数十倍になる分、金融機関等に支払う運用管理手数料、有価証券売買の取り扱い手数料が大きくなります。運用金が大きくなって運用益が増えるというのはある程度の金額までです。運用金が規模が大きくなりすぎると、ハイリターンの投資先はなかなかみつからなくなります。国民全体で数千兆円の貯蓄をすれば、国家予算の数倍の規模の利息を誰が稼いでくるのか、悩ましい問題になるのではないでしょうか。経済力以上の金融収益はバブルですから、それはいつかははじけることになります。

年金について、自分の老後を自分で始末できなさそうな人は必ずいる、と確信していて、そんな連中の始末を放っておくととても面倒なことになります。そういう前提を考えていること私が左なら左でいいと思っています。また地方政治家の中には、年金を払いたくない払えない住民に、生活保護で面倒見れるから払わなくて良いとミスリードしている連中もいます。

年金未納者が4割いて、それが餓死者となるような時代が来れば、社会は混乱し、年金も貯蓄も意味を失い貨幣というものは価値がなくなってくると思います。そうなると貴金属や宝石が出番かも知れません。

投稿: 管理人 | 2005.04.04 06:56

お二人の議論の中に割りむのはエチケット違反かと思いますが、許してください。
実は私も「自分の老後の備えも出来ない人は飢え死にでも何でもすればいいのに」と考える一人です。ただ、私が恐れるのは、彼等が絶望した末、社会に復讐を企てることです。数年前に起きた池袋通り魔事件、この週末に仙台で起きた"道連れ自殺"なども、その兆候のあらわれと私には感じられます。年金問題はイデオロギーを越えて、「社会の安定をいかにして保つか」という点からもっと議論されるべきと思います。

投稿: はちきん | 2005.04.04 16:53

老後年金のない人が社会にたくさん出たら、という予測はまだ誰もしていないと思います。かつてはそういう社会でしたが、農村共同体だったり、姥捨だったり、都市部では店の相続と引き換えに義務とされる扶養などを通してなんとかやってきたのです。サラリーマン、フリーター、大学院生がこんなに増えた社会では、相続財産はあっても家産というものがありません。年金制度の枠外にいる人がたくさんいたら、ということは生活保護をあげる、という回答以外に誰も想定していないのです。はちきんさんの指摘のとおり恐い事態がやってくるかも知れないのです。

老後の備えを自分でというのは正しい生活態度だと思うのですが、そのために日々の生産活動の注意力が低下したり、子育てや自分の能力開発が後回しになったりすることのほうが無駄で、それなら簡素な年金制度をきちんとさせるほうが効率的です。

投稿: 管理人 | 2005.04.04 22:39

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