4/27 反定刻主義
原稿の入稿が終わってほっとするが、また次の締切がやってくる、そのための記事探しもしなくてはならない。そんなことしていると、すぐ次の締切が迫ってくる。あぁ。
●尼崎の鉄道事故に関して、JR西日本が遅れに対して敏感になりすぎていた、ということが指摘されている。
今日の毎日新聞では、遅れを繰り返す運転手を乗務から外し、運行規則の丸写しなど懲罰ともいえるような研修を科して運転手のメンタルを追い詰めるようなことをしていたようだ。50秒遅れたことで懲罰になり、自殺者も出しているらしい。おかしな職場だ。
読売新聞では、
特に事故のあった福知山線は私鉄の阪急宝塚線と路線が競合。沿線に住宅地も多いことから、急成長路線と位置づけられ、「サービスをさらに強化する」(垣内剛社長)と力を入れていた。このため、東海道線に乗り入れる尼崎駅までの線区はダイヤが過密となり、「定時運行が最大の誇り」(JR西日本OB)の運転士にとって、精神的に大きな負担になっていた可能性は否めない。しかし首都圏や京阪神などでは、すでに電車はどの区間でも、安全走行のために定められた最高速度に近い速度で走っており、スピードアップによる遅れ回復は難しくなっているのが実情だ。
東武鉄道(本社・東京)では「オーバーランや、急停車による乗客のけがなどにつながりかねないため、無理して速度を上げるのではなく、車掌が乗客に理由をアナウンスし、理解を得るよう指導している」(広報センター)と話す。
(2005年4月26日 ダイヤ厳守が重圧?より)
2段落目の最高速度に近い速度で走っており、というのは首都圏に関してはまちがいだと思う。
それはともかく、インタビューに応じた東武鉄道のコメントはその通りだと思うがしかし、という気持ちがおきてしまう。いつも乗っていて思うが、遅れようが何しようが、全然時間を取り戻そうという努力をしないのだ。夕方のラッシュ時間は、日中より3~5分ゆっくりのダイヤにもかかわらず、さらに2~3分遅れることは日常茶飯事だ。謝ってほしいとは思わないが、もう少し何とかならないものだろうかと思う。まして、こんなコメントされていると、安全のために遅れたっていいだろ、と言われているような気がしてくる。こんな感覚的な議論でいいのだろうか。
近所の書店に行ったら、数年前に人に貸したきりになっていた「定刻発車」が新潮文庫から出ていた。昭和初期の交通関係者がさまざまな実験を繰り返して、電車の定時運行を確立していく話だ。運行規則の丸写しのような精神主義では何ともならない、ということは昭和初期の日本人のほうがちゃんと知っていたようだ。
| 固定リンク
コメント