4/14② 若者を自立させる社会へ
ニート・フリーター問題について検討している内閣府の「若者の包括的な自立支援方策に関する検討会中間取りまとめ」が発表された。
これまで政府に限らず多くはニート・フリーター問題はすねかじりとして捉えてきた。若者の主体的問題としてである。私自身は逃避願望が強く、何とか言い聞かせて仕事しているので、主体性の問題にしたい気持ちはわからないでもない。
しかし、検討会の中間とりまとめでは、ニート・フリーター問題が深刻化したのは、子どもや若者が主体的に社会参加するメカニズムがなく、大人になってから、自ら人間関係を構築していくだけのスキル・能力がつかないからだ、という社会構造にあると明らかにした。主体的問題ではない、若者の意識変革だけでは解決しない、ということだ。
このとりまとめで明らかにしているが、ニート・ひきこもりが年収300万~400万の世帯の子に多い、というのも世間的には意外な結果と受け止められている。今まで中流階級以上の子の気むずかしい問題というようなとらえ方されていたからだ。
今までのとらえ方は、おそらく、評論家や有識者、わけ知りの大学関係者が、自らの周囲の中産階級の宙ぶらりんな存在の若者をみて、ニートやフリーター、ひきこもりにイメージを仮託してきたからではないかと見ている。
しかし、そういう有名人の周辺の子は、そこそこの中産階級で親族や友人にコネクションが多く、何らかのかたちで就業や、再び大学や大学院に行って、あるいは芸術活動などをして、ニートと数えられない位置にすぐいってしまう。さらに本気で就職しようとすれば何とかなる人たちだと思う。
私の行った高校はまさに、この中産階級の宙ぶらりんな親戚とも言える人々の集まる高校だった。一方で、小学校、中学校、大学は、年収300万~400万の家の子が珍しくない学校であった。それぞれの就職できなかった人たちの状況の落差を体感していたので、がんばればニートでなくなる、という有識者の意見というのは、違うと感じていた。
高校の同窓生は、一部の例外を除けば、まじめに働け、と言えるような人たちで、卒業後、徐々に親戚や友人のコネクションやサジェスションなどを受けて食い扶持をみつけている。しかし、大学の同窓生で就職できない人たちは、そういうものがなく何とか生きているというのが実感だ。
中間とりまとめがすぐれているのは、それを階級問題にしてしまわないで、親戚や友人のコネクションがなく育っていく人たちにどうやって生きる力を創っていくか、ということに焦点を当てたことだ。
我が国社会においては、欧米諸国とは異なり、伝統的に個人の自立が社会的な目標とされてこなかったという特徴があるが、上記の目的を実現していくためには、若者の自立に価値を認め、社会的な目標としていくことが必要である。また、特に現代の消費文化の中では若者が受身のまま成長しがちであるが、若者自身が社会で価値をつくり出していく意欲を持ち、自立を目指すよう動機付けを行うことも重要である。 若者の自立を実現するためには、若者は自立し成長段階に応じて社会に参加する権利があることを社会が認識し、支援する責務がある。一方、若者の側も、自ら自立のために努力し、社会に参加するよう努める責務があることを自覚する必要がある。
若者に自立の価値を求め、というのが逆説的で興味深い。今までの青少年政策は、彼らは勝手なことするから監視すべきだ、というのがモチーフだった。その結果、実家にいてくれたほうがいいし、親孝行だ、という価値観がつくられたのだろう。
検討会の座長の玄田氏はニート問題のオピニオンリーダーで、これまで就労体験のみに解決を求めていた。私もそれは有効だと思うが、総合的な対策となると、単に就労だけではないと感じてきた。その玄田氏の座長のこの検討会が、解決策を単に就労体験に絞らず、自立のための社会参加の権利としたことは意義深い。
まだまだ国会議員や、専門家でない有識者の多くが、この考え方に賛同しないと思う。彼らはブラブラしている若者(政治家になるような人は小泉首相のように若いころブラブラしていたと思うが)をビシバシやってからでないと参加の権利はあげないよ、と言いそうだ。それではニート問題の本当の解決は、また10年ぐらい遅れることになる。ニート第1世代は今30代半ばだ。それが40代半ばになって、ようやくまともな解決策がとられるとすればもう手遅れだ。また手遅れの青少年政策のままで、少子化対策としていたずらに子どもを殖やしても、ニート問題を深刻化させるだけだ。少子化対策の本当の解決のためにも、検討会の結果を下手にいじらず実現してほしい。
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