2/28 時代考証
地域福祉計画市民委員会の、広報部の打ち合わせを自宅で行う。
3時間の打ち合わせで、ビラ体裁の広報紙をつくること、その連載内容について決めた。
福祉に縁のなかった人や、人助けと思わぬことを福祉に取り込んでいくためには、福祉の内輪の話題と思わせない工夫が必要だね、ということを確認した。
●日中の再放送ドラマを見る。聴覚障害者との恋愛ドラマ「愛してくれると言ってくれ」が放映されていた。あれは15年ぐらい前のドラマだったっけか?
このドラマぐらいから、ノーマライゼーションとか、バリアフリーの意識が広がったし、ボランティアと力を入れなくても、障害者と友だちでいる、普通に交友関係を持つ、ということが珍しくなくなった。そういう意味では賛否両論あると思うが、一般社会に障害者がいて当たり前という前提を広げた番組といえる。
一方で、聴覚障害者は読唇術があるかのような誤解があったりして、時代状況からしょうがないと思うけど、結構、誤解も大きかったんだと痛感する。今でも実は誤解が多いのかも知れない。
余談だが、時代を感じさせるものが面白い。
主役の常盤貴子はじめ、髪の毛はみんな黒いし、眉は自然のままだし、劇団で「自己実現」のために生きている人がうじゃうじゃいる(出世するか腐るかしかない今の若者のせっぱつまった状況と違う)。筆談で出てきたのが、パソコンではなくてワープロ。この頃、ノートパソコンなんてめったになかったし性能悪かった。
何より携帯電話が一回も出てこない。今のドラマは人間関係を案内していくのに携帯電話を使うシーンなしではありえないのに、当時の人のコミュニケーションは、会うか固定電話。ドラマは聴覚障害がテーマなので、それすら出てこない。
以前も書いたが、95年ぐらいまでは携帯電話なんて、暴力団か不動産屋しか持っていなくて、それも場所・時わきまえず「通じる?」「通じる?」「えっ、何」「えっ」と彼らバブル紳士がアマチュア無線の感覚で使い、とてもイメージの悪いものだった。
固定電話しかないわけで、電話があるところにいなきゃ、待つしかないし、ビジネスマナーとして居留守はありえることとして許された。電話がつながらないからとボヤいても、キレて激怒する人なんていなかった。
95年から98年ぐらいというのは、こうした生活環境が激変した時代なのだろう。
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