2/18 今日から歩く
腰痛も治り始め、今日から復活いたしました。
午後から地域福祉計画の策定市民委員会に出席。調査結果の課題洗い出し作業を行う。初めて市職員と一緒に作業したが、腹をわっていろいろ議論したことが、かえってよかった。要望する→要望されるの関係性はやめにして、一緒に考える、市民が主体に考える、ということに向けて歩き出した貴重な機会だったと思う。
帰り道、委員の1人と市の子ども施策について意見交換する。
●ライブドアがニッポン放送の乗っ取りを企てている。
SPA(フジサンケイグループだが)で神足祐司というシニカルな評論家が、NHK騒動に関して、放送のデジタル化が進むと、NHKからパスワードの入っているカードを買わないとテレビを見ることができなくなる→民放も含めて実質有料化になる→エンターテイメント系の番組に金を払ってまで見る人は少なくなる、資料性の高いドキュメント番組から民放は撤退してしまっておりNHKに敵わない→民放の経営は傾く、という予測を立てていた。私もそう思う。
すでにメディアがインターネットに移りつつあり、世論調査で情報の信頼性ではテレビは新聞に敵わず、テレビが隘路にはまっていく可能性は高い。
そういう中で、民放がこのままの商売ではやっていけなくなる可能性は高い。
ホリエモンが(取り巻き含めて)どの程度の人物か、プロ野球の再編問題でしかわからないが、少なくとも、今の沈滞する民放の状況を変えようとしているビジョンは持っているとおもう。またホリエモンが、フジサンケイグループを脱イデオロギー化させれば、とても魅力的な事業に変わるというのはその通りだと思う。
一方、自民党の森元首相がホリエモンに対して「教育が悪いからお金で何でもしようとする人が出てくる」というような批判をした。すべてを教育の責任にする理屈は、国民の精神改造さえすれば社会改革ができるという、観念的で、具体的な政策の構想力に欠ける政治家たちの方便ではないかと思う。人間は教育だけでそんなになるものかと思う。余談だが、国の統制による教育がそんなに立派なのだろうか、自治体の独自の取り組みでやっている教育政策を邪魔しているシステムは何なのか、古い文教族がモデルにしている国家教育にあるのではないかと思う。
また森氏はホリエモンを敵視するのに「国民のための電波」という言い方をしていた。政治家が国民の代表であるかのように振るまい、国民のものという方便で放送に対して介入を繰り返す森派の政治家たちこそ迷惑だし、そういう方便の立て方は、「人民のために」という言葉を繰り返す主義の国々と同列の議論として恥じ入るべきだ。
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